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検索対象: 月刊 みんなねっと 通巻第131号 2018年3月号
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1. 月刊 みんなねっと 通巻第131号 2018年3月号

「お子様が困っておられるこ話が終わると、二上先生は息子は働くことを止めて、子育てに 専念するように言われました。 とに間違いはないから、これか に声をかけてくれました。 しかし、私は止めませんでした。 「宿題をしていたの ? 偉い ら私と一緒に育てていきましょ 夫との共稼ぎを続けました。 ね。見せてくれる ? 」 その理由は、もし、仕事を辞 そして、印鑑を出して、その その言葉によって、私はよう パーに押してくれためて家の中で子育てに専念して やく診断を受け入れることがで宿題のペー ふたかみさとし いたら、生活の範囲が狭くなり、 きました。二上哲志先生というのです。息子はそのことで自信 小さな世界に閉じこもって自信 お名前ですが、その先生に出会がついたと思います。学校でも、 えていなかったら、私たち母子担任の先生から「あら、一一上先がなくなり、誇りも失って子ど は、今日まで生きて来られな生にも宿題を見ていただいたのもには過干渉をする親になって いたと思っています。 かったと思います。 ね」と褒められました。 ただ、女性の就労のあり方に 一一上先生は、息子に会うと必 母親は就労など、児以外の ついては、人生の様々な時期で ず「何か困っていることはない 世界を持っことも大事 就労のスタイルを選べるように かい ? 医者の僕にできること お母様は、お仕事はなさっすると働きやすくなると思いま はないかい ? 」と訊いてくれま す。 した。 ていたのですか。 あるときは、私が先生と一一人橋ロ働くことを止めませんで で話している間、息子は離れたした。息子は学童保育に預けて いたのですが、そこの先生から ところで宿題をしていました。 まず、大人が子どもの純粋な 心から学ぶための教育を受ける 学校でのいじめについて 肓児の難しさ ことも必要だと考えます。人は 障害があると学校でいじめ誰でも他の人とは違っている、 その後の子育てはいかがで の対象になることが多いのですそして、誰もが尊敬に値するこ したか。 橋ロやはり子育てはたいへんが、この問題についてのお考えとを当たり前のこととして学ば なければなりません。 でした。特に思春期になると困をお聞かせください。 いじめがあると、教師が責め りました。普通の子でも、思春橋ロ発達障害の子が、学校で られることがあります。しかし、 いじめの対象になることは多い 期は自立への衝動や他者の視点 犯人捜しのように、誰かの責任 が自分のなかに芽生えて揺れ動です。それで引きこもる子もた を問い詰めるやり方は間違って きが激しいのですが、発達障害くさんいます。人と違う、とい レ」 います。 う理由でいじめられます。 のその特性から、揺れ動きの幅 私の友人のある新任女教師 子どもが人を差別する理由の 、こ激しい が倍になります。余計 ! ん 学 ら のです。私と息子は家の中で毎一つとして、大人が子どもに差が、小学校 2 年生の学級担任に 日言い合い、主人とは取っ組み別する感情を植え付けているとなりました。とてもまじめな人害 の 合いになったこともあります。私は感じています。「変わってでした。ところが彼女のクラス 子 自 には課題のある子がたくさん居 いるあの子とは付き合ってはだ 本当に、いろいろありました 集 特 が、息子は成人して昨年の 4 月め」などと大人の判断を子どもて、しかもその学校では教員同 に押し付けてしまうんですね。士の助け合いの精神が無く、彼 から働いています。 みんなねっと 2018 年 3 月号 10

2. 月刊 みんなねっと 通巻第131号 2018年3月号

女は孤立して行き詰り、とうとめに学校教育を改革するとしたもの一人ひとりが抱えている ら、どのようなことが考えられ「困っていること」「つまずいて号 う自殺をしました。 月 いること」に目を向けて支援を このことがあってから、私たますか 年 ちは彼女を悼み、すべての教師橋口まず学校教育法に、発達行うようにすることです。 に、一一度とこのようなことの起障害が明記されることが必要で特別支援教育が始まったこ と っ きないようにと願って教師を支す。特別支援教育では、発達障ろ、おかしなことが起きました。 ね な えるための冊子を作り配布しま害だけでなく、すべての子ども教師たちの中には「発達障害」 ん み した。過酷な教育現場で責め合たちの個々のニーズに合わせたと診断されている子には配慮し ましたが、診断されていない子 うのではなく、心と心が信頼関教育を行うことが明記されてい には配慮をせず叱責するという 係で結ばれることの大切さを伝ます。 ことがありました。診断名の有 えました。 いま、内閣官房が進めてい 発達障害のある子は、親と教る「ユニバ 1 サルデザイン無だけを対応の基準にしてはい けません。 」行動計画の「心のバ 師だけでは支えられるものでは 大切なことは、「どんなこと リアフリー」にも示されていま なく、社会全体で守っていかな に困っているのか」「どうした す。子どもの時から支援すると ければうまくいきません。 ら、困りごとを解決できるの 書かれています。 もう一つは、学校での対応をか」ということです。目の前に 学校教冐に求めること いる困っている人と一緒に考え 診断名によって画一的に行うの 発達障害のある子どものたではなく、目の前にいる子どます。「心のバリアフリー」で もそう一言っています。 齢になります。親亡き後の不安無が決まるのはおかしいです。 は同じように大問題です。 例えば就労では、手帳の有無で ひきこもりと親亡き後の不安 はなくすべての人達が、個々の 手帳制度と発達障害 ニーズによって就労スタイルを 発達障害でのひきこもりの 選べるようになること、これが 状况はどうですか 話は制度のことに移ります多様性を実現し、今国が進めて 橋ロ発達障害では感覚が鋭敏が、手帳のある無しでサービス いる働き方改革にもつながると すぎて、今の社会の激しい刺激が受けられたり受けられなかっ考えます。 に耐えられない人がたくさんい たりする現状があります。ご意 個々人の困りごとにどう対応 ます。家から外に出られないの見をお聞かせください。 するか。ある程度の基準がない です。ストレスが重なって精神橋ロこの問題にこそ、日本発と、サービスの決め方が難しい 疾患にかかる人も多いと思われ達障害ネットワークが先頭に こともありますが、社会全体でと ます。 立って取り組むべきであると一生懸命に考えるときが来てい ん 学 統合失調症の方々の親は年老思っています。 ます。 ら いていると聞きますが、発達障発達障害には手帳が必要な人 害 の 害がある人の親も、年老いた人もいればそうでない人もいま今後の地域支援について 子 自 ( は同じようにたくさんいます。す。「困りごと」があるか無い 集 発達障害の子が生まれたときは かではなく、手帳があるか無い ーー今後の地域支援のあり方に 特 若くても、長い年月が経てば高かでサービスを受ける資格の有ついて、お考えを教えてくださ

3. 月刊 みんなねっと 通巻第131号 2018年3月号

て、働く機会を得たのです。当 があったものの、結婚願望は無時に結婚したのです。 初、心配だったものの、ついに かったと言います。そのような 1 か月間働き抜いた時、なんと 折、蛍さんと出会ったのです。私が一番幸せだったのは、あの 蛍さんはアルバイトで得たお金 1 年間だった そのうち、蛍さんの純粋な姿に 蛍さんは、結婚してからも、の殆どを、南さんや甥や姪をは 惹かれた南さんは、結婚を決意 しました。結婚指輪を買った時、精神症状が出現しました。あるじめ、親しい人へのプレゼント 代に使ったのです。 蛍さんの純粋に喜ぶ姿を見て、時は、南さんが夜勤に就いてい その後、 1 年半たって職場の 南さんは「人っていいな」と思っるとき、「あなたが呼んだでしよ」 がん 雰囲気が変わったことや、癌が たそうです。 と言って、夜中の 3 時頃、突然 ところが、結婚を直前に控え飲食店に行ってみたり。またあ見つかり、仕事を辞めることに た頃、不安からか、蛍さんは精る時は、突然、誰かに襲われるなります。ですが、亡くなる直 神科に入院となってしまいましような感覚に見舞われ、窓から前、蛍さんは「私が一番幸せだっ た。蛍さんは、これで結婚が破外に大声で「助けてー」と叫ぶたのは、あの 1 年間でした」と、 談になると思い、絶望感に打ちこともあり、入退院を繰り返しか細い声で言いました。また、 たのです。南さんは、仕事中も、不思議と仕事をしていた期間は、 ひしがれたそうです。ところが、 南さんは面会に行き、「待ってい蛍さんのことが気がかりでした。精神症状が出ることも殆どなく、 そのような中、ある時から蛍充実感に満ちた表情だったそう るからね」と伝えました。 それから、しばらくして退院さんは目覚ましく回復し、近くです。 となり、同じ年の 2 人は歳のの大学の食堂の調理補助とし に起き、前の晩の後片付けをした第についても、のなかで、一者の施設で計芻年間働いておら 後、家族の朝食を作ってから仕事番応援してくれたのがお父さん れます。 号 月 に出かけ、帰るとタ食の準備、と それでもお父さんは、どんな その一方で、南さんは父の勧 年 いうへトへトになる毎日を、考え に辛くても耐え忍び、家族の安めで家族会活動に歳の頃から る余裕もない中、必死にこなして定と成長のために全力を振り絞関わり始め、以来途絶えること と っ いたのです。 りました。仕事には誠実に取り なく継続しているのです。 ね さらに、追い打ちをかける出組み、会社の部下たちのことを、 僧侶を辞め、歳で施設に就な 来事が起こります。お母さんの社長とぶつかりながらも、親身職してから 6 年後、南さんは精み ほたる 被害妄想から、近所と大きなト になって守っていました。 神障がいのある蛍さん ( 仮名 ) ラブルになり、お父さんは退職その後、月日が経ち、南さんとの結婚を考えるようになりま を余儀なくされると共に、社宅は家計を助けながらも、国立のした。そのことについて、親族 も出ないといけないことになつ大学に見事合格しました。そののなかで、一番応援してくれた てしまったのです。その後、お時、お父さんは大変喜んでくれのがお父さんです。お父さんは、 父さんは小さな会社に転職した たと言います。ですが 3 年後、南さんの人生の様々な転機に、 ものの、生活は苦しく、ボロボ南さんが突然、大学を辞めて僧 いつも背中を押してくれました。 ロの背広に、底がバカバカの靴侶になると伝えたとき、お父さ を履いており、子ども心に「おんは布団の中で泣いていました。蛍さんの純粋に喜ぶ姿を見て、 父さん、可哀そうだな」と、南南さんは仏教寺院に 4 年間出家「人っていいな」と さんは思っていました。 し、その後、知的・精神障がい 南さんは、人間修行には関心 つら 29 知ることは生きること