149 床ありましたが、減らし◇精神科スタッフの態度 っていくので、 2 年後の過疎化 続けて平成年に病院を閉鎖。 長野先生の考え方として、何を見越して地域社会を創ってい 他の地域にある系列の精神科病より、強制的な治療は避けるよく必要がある。精神科病院は必 院の病床も床にまで減らしまうにしています。医療スタッフず行き詰るので、地域医療に切 した。 との関係で本人が暴れるのは、 り替える。足りない社会資源を ◇地域の支援拠点の建設 両者の関係から生じるので、本創り続ける。 病院の跡地には、精神科診療人と徹底して対話をすることを精神障害者と一般人との境界 所とグループホーム、デイケア大切にしています。時には 2 時は、診断基準でも曖昧。障害は、 棟、ショートスティ施設を、そ間も話すことがありました。決私たち自体の延長上にある。将 こから離れた場所にもグループして騙さない、ごまかさないこ来は人手が少ない社会になるの ホームとショートスティ施設をとも重要です。このように接すで、地域のみんなで補い合って動 の ると、暴れる人がいなくなりま生き抜いてゆく。 建てました。診療所は時間・ と 年中無休営業にして、外来に来した。入院する人は、月に 皆で土地を耕し、精神科医療っ るのが嫌な人には訪問診療を行 2 件ですが、本人の同意がなけを改革し続け、社会に貢献してな み ゆきたい。 い、必要があれば本人の家に医れば入院させません。 : と衄明られました。 療スタッフが泊りに行くことも 地域にあるあらゆる社会資源筆者は、ふとイタリアの精神す あります。しかし、グル 1 プホと連携、協働して支えています。科医療の改革者バザーリア ( イし ームは利用者がどうしても一般◇今後の抱負 タリアの精神科病院を全廃させら お 市民と違う生活を強いられるの 長野先生の考え方として : た医師 ) を思い出していました。 で、将来は廃止する予定です。 今後の日本は人口が劇的に減 ( 講演の要約・野村 ) 一お知らせします の渡部三郎先生に招かれて愛南◇精神科病院への違和感と御荘 号 月 みんなねっとの活動一町に移り住み、渡部先生と一緒病院の閉鎖 初めて精神科病院に就職し、 にその病院を閉じて診療所、居 年 ・今月号は、みんなねっとフォー 住施設などをつくり、住民同士ひどい違和感に襲われていたと ラム 2018 の講演 ( 後編 ) とべ ルギーの視察報告を掲載します。 が皆で支え合う地域づくりに家きに、愛媛県愛南町の御荘病院 と っ の渡部三郎先生と出会い、その 族ぐるみで取り組んできました。 みんなねっとフォーラム 2018 講演より ね 病院に転職。愛南町は、人口な 過疎地の精神科医療△ 『過疎の地で皆と生き抜く』 み 2 万人の過疎地です。 5 ある精神科医の実践— ( 後編 ) ◇異質な医学生 みしよう 御荘病院は昭和年に開設さ 大学で医学を学んでいた頃の ( 講師 ) 御荘診療所所長・なん 長野先生は、実習などをよくされましたが、渡部先生はこの病 ぐん市場理事長野敏宏先生 ぼっていたそうです。所属して院を閉鎖して地域に患者さんを 《編集者より》先月号の「共に故いた大学の楽団ではラッパを吹支えるための様々な資源を整え 、て、ましたが、楽器演奏の下ることを構想しており、その構 郷をつくる」 ( 前編 ) に続き、今しし 回は後編「過疎地の精神科医療」手な先輩には文句を言い、どん想にそって長野先生は着々と改 として、長野先生の講演から過どん辞めさせたとのこと。その革を進めました。 その頃、結婚したての現夫人 疎の愛南町での精神科医療の実結果、自分が孤立することにな ったのですが、助けてくれる人と駆け落ちのようにして愛南町 践の部分をお伝えします。 長野先生は、刀年前の平成 8 もいました。自称、だめな研修に移り住み、愛南町を自分の故 年、愛媛県愛南町の公益財団法生でしたが、医師免許は取れま郷と感じるようになりました。 平成 8 年には御荘病院の病床が 人正光会御荘病院 ( 精神科病院 ) した。