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検索対象: ユニバック30年のあゆみ
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1. ユニバック30年のあゆみ

所が設立され、東京計算センターは同研究所に発展 的に吸収された。 そして、計算センターは、データセンター部門と して、従来からの事務計算業務だけでなく、科学技 術計算分野のニーズにもこたえるため、研究部門と 一体となり業務を展開することになった。 一方、佐賀町ビルでは、従来のとおり、 0UK9400 、 9 3 0 0 を設置し、主に一般事務計算サービス、経営計 算サービスの受託業務を里した。 46 年には大阪にデータセンターを開設、当面は事 務計算サービスを中心に業務の展開を図った。 一方、データセンター部門として科学技術計算サ ービスを主に担当するセンターが、翌年 4 月本社ビ ルに開設されることになっていく・・・。 総合→センターとそ」 昭和 45 年 3 月、東京・の新本社ビルが竣工し、 , 、ロデータセンターを開設した。 その狙いは、①コンヒ。ュータ利用技術の開発、普 及、②新規システムの開発およびそのテスト、③ユ ーザーへのシステム導入の支援、④ューザーへのバ ックアップ・サービスのいっそうの充実、など各種 サービス活動の拡充をめざすこと。設置機器として、 UNlVAC1108 超大型コンヒ。ュータ、 UNIVAC418 Ⅲ、 0 U K 9 4 0 0 、 0 U K 9 3 0 0 ( 3 システム ) 、 0UK1004 ( 2 システム ) などの大型機から′」機ま で 8 システムのコンヒ。ュータとデータ・コミュニケ ーション・ターミナルなど多くの装置を完備した。 一方、計算センターの機能としては、 UNIVACI 1 08 大型機利用による科学技術計算分野 の受託里を行なうことになった。この UNIVAC づ / ビー 2 3 6 受託した。 製造業、石油会社、大学、研究機関などから業務を 1 108 はモニター・オープン形式で利用され、大手の コンピュータ利用、テータ・センター利用の手引き 計算サービス験銃 ■コンヒュータの総合サービス 昭和 49 年、情報化社会の進展にともなう受託業務の 増大により、 2 か所に分散されていたデータセンタ ーは、研究部門におけるコンヒュータ利用技術の研 究、開発活動と一体となって活動を展開することと なり、日本ユニバック総合研究所はふたたび事務所 を移転し、全事業所を集結した。 新しいオフィスは中央区新川に新築されたコンヒ ュータ専用の東京ダイヤビルとなった。のデー タセンターと佐賀町のデータセンターが研究部門と 同居して、名実ともに総合的な計算サービスを提供 できる体制が築かれた。 ■ SHARE-II の TSS サービス開始 4 6 年に公郊甬信法が改正されて新しいネットワ ーク時代の幕カ輛き、以後、わが国の通信自由化は 段階的に進んできた。 ユニバックがタイム・シェアリング・システム (TSS) による専用回線の情報里サービスを開始 したのは 47 年の 10 月のことである。 UNlVAC1108 システム吏用し、 SHARE-11 ( シェア・イレプン ) と呼ぶ TSS サービスを提供してきた。 TSS は 45 年からスタートしているユニバック自 社内の TSS を始めとして、石川島播磨重工業、ト 0 00 0 00 、 0 0 、 0 , サービスをひろく世に普及するため、ユーザー企業 してきたことから、 48 年の 4 月には SHARE-II の 大型機の利用などに即応してますますニーズを増大 TSS サービスは企業経営の多層化、遠隔地からの を与えている。 以後のコンヒ。ュータの利用技術に大きなインパクト ったため、業界の注目を一身に集めるものであり、 にわカ瘋の代表的な企業において実用化の実績があ ヨタ自動車工業、三菱重工業、富士銀行など、すで TSS 普及をめざした SHARE-II NEWS

2. ユニバック30年のあゆみ

0 ゞ USSC の高速磁気ドラム記憶装置 ( 左 ) とカタログ表紙 の高速磁気ドラムを主記憶装置に採用し、毎秒約 12 , 000 回の加減算を行なう能力があった。 USSC は、第 2 世代コンピュータの先駆けとして、当時の PCS を EDPS (EIectronic Data Processing System) に発展させるのに大いに貢献した。 のちに記憶容量を減らして低価格にした STEP (SimpIe Transition tO Electronic processing) と、 1 , 280 語 0 愛気コア記憶装置および 2 台の磁気 テープ用シンクロナイザを付加し、最高 20 台までの 磁気テープ装置を接続できるよう高性能化した USS Ⅱのニつのシステムが追加されている。 ・初めて多重プログラミングを実現した大型コンヒ ュータ UNIVAC Ⅲ 1960 年に発表された IJNIVAC Ⅲは世界で初めて 多重プログラミングを実現した。これは数個のプロ グラムを同時並行に実行するオヘレーティング・シ ステム CH 旧 F 、 BOSS によるものである。これに より、コンヒュータのもつ潜在能力をあますところ ■ PCS の中核となった小型コンヒュータ UNlVAC120 、 60 1950 年、パンチカード・システム ( PCS ) の中核とな るコンヒュータ RR409 が開発され、改良型の RR409 ー 2 A 、 2 B を経て、 1954 年 ( 昭和 29 ) には名 称も UNIVAC120 、 60 と改められた。 カード読み取り穿孑置と演算里装置で構成さ れた UNIVACI 20 、 60 は記憶装置に冷陰極放電管 吏用し、 12 云 6 行のデータが記憶できた。プロ グラムは 2 面の配線盤で行ない、演算度は加減算 が 10 マイクロ秒、乗算が 50 マイクロ秒と、当時とし ては驚くべき速さであった。 UNIVAC120 の登場により、日本においても昭和 30 年代に PCS による事務機械化が急速に進んだ。 また UNIVAC120 は事務計算ばかりでなく、 LP ( 線型計画法 ) を始めとして、各種の技術計算にも 活躍した。 ■大容量の記憶装置をもった事務用中型コンヒュー タ UFC 1955 年 ( 昭和 30 ) に事務処理用として発表された中 型コンヒュータ UFC(UNIVAC FiIe Computer) モデル 0 に続き、 1957 年にはモデル I 、 1961 年には 主記憶装置が磁気コアで 2 倍の容量をもつモデルⅡ が発表された。事務計算に合わせて設計された UFC は、大容量磁気ドラムを最大 33 台 ( 594 万桁 ) ま でに応じて接続することができ、台帳など莫大 なデータを記憶。また、各種入出力装置を任意の組 み合わせで 1 0 台ま続できるため、バッチ里ば かりではなく在庫管理や航空機の予約などのオ ンライン里にもひろく利用された。 ■磁気コアを採用した事務用大型コンヒュータ UNIVAC Ⅱ 1957 年に発表された UNIVAC II は UNIVAC I の改型である。水銀遅延タンク記憶装置を磁気コ アに代えて、容量や性能を向上させたこの事務用大 型コンヒュータは、行政、軍事、運輸、交通、電力、 銀行、保険など各分野に数多く使用された。 ■固体回路を全面的に採用した中型コンヒュータ USSC 1956 年に開発された UMC(UNIVAC Magnetic Computer) を改良して、 1 957 年 ( 昭和 32 ) に磁気増 幅器やトランジスタ吏用した世界最初の全固体回 路の中型コンヒュータ USSC(UNIVAC SoIid- state computer) が 50 , 00 行という大容量 、 C 一朝望 R. る 1 一 6 一 7 UNIVAC ) Solid-State っ Computer IJNIVAC Ⅲの磁気コア記憶装置 なく利用できるようになり、事務分野で最も進歩し た経斉的な大型コンヒュータとして、多くの大企業 でイ吏用された。また、 UNIVAC Ⅲでネ刀めて登場し た高性能の UNISERVO Ⅲ A 磁気テープ装置も画 期的な入出力装置であり、 NRZ 方式に代わる位相 1 88

3. ユニバック30年のあゆみ

大規務システムへの対応 高度斉成長も終わり、第 1 次石油危機を第した 企業は、生き残りをかけて体質改善のために情報シ ステムを強化していった。 業界向けには大規模総合バンキング・システム ウェア・パッケージ窈票準化に全力をあげた。金融 サービスはいままでのノウハウを結集させ、ソフト められた時期である。これに対応して、システム・ に行なうか、システムづくりの省力化と標準化が求 この時代は、システム構築をいかに短期間で容易 る。 情報化への責任と使命は重くなっていった時代であ で受託開発する傾向が強まり、よりいっそう企業の て、ユーザーの大規模システムをフルターンキー 頼感と、その高い実績を基盤に成長してきた。そし ービスは、それまでに培ったユーザーからの厚い信 そんな竟のなかで、ユニバックのシステム・サ 報里要員不足の予測数字を発表している。 代である。ソフトウェアが叫ばれ、通産省も情 さわる情報里要員の不足が強く表面化し始めた時 強まった時代であり、一方ではシステム構築にたず この時期は、コンヒュータ化へのニーズがさらに 3 FAST80 のティスケットと磁気テープ の機械化に要する時間と費用は飛躍的に減少した。 ューション・システムの源流であり、以後ユーザー FAST を開発している。これらのパッケージはソリ ューザーのシステム開発作業を省力化する R- FAST 1100 を開発、そして、中・′」陞機向けには の受託開発の経験を生かし、個人住宅向けのハウジ 一方、積水ノ、ウスでの、ノ、ウジング CAD システム 信用金庫を中心として、他社機種からの手ラも相次 いた。 ング CAD も完成。このシステムは大手住宅メーカ ーに次々と導入されていった。 技術的に高度な大規模受託システムの典型は、全 221 券業務に精通した SE が構築したこのシステムは、 的な例として、債券総合システムが挙げられる。証 金融界におけるソリューション・システムの典型 に寄与したといえよう。 大きな効果を発揮し、ユーザーでの開発負担の轆咸 が、そのなかでソリューション・システムの提供は 解消するため、ユニバックも種々努力を重ねていた このようなユーザーにおける情報里要員不足を 化運転が始まったのもこの時期である。 いった。また、省力化を目的として運用部門で無人 が直接開発する第 4 世代言語の開発に期待をかけて ソリューション・システムのキ綢、エンドユーザー 体が SE 要員の確保や、短期間に効果をあげられる は、そうした需要に追いつかず、そのため、業界全 各企業のコンヒ。ュータ部門におけるシステム開発力 ステム開発のニーズがますます増大した。しかし、 昭和 50 年代も半ばをすぎると、ユーザーにおけるシ ソリューション・システム共 ている。 開発総合支援システム TSX へと具体化し発展し 論を確立した。この技法は、その後のソフトウェア トウェア / システム開発技法 RSDM と呼ぶ方法 を、利用部門指向の視点で体系化した高信頼性ソフ いたが、システムの企画、開発から運用までの技術 したシステム技法 NUPS 法を昭和 48 年に発表して 開発技法の開発に関しては、データベースを中心と プロジェクト・マネジメントを含めたシステム ものである。 理システムとして、ワールドワイドに標準化された れは資材所要量計画 MRP を実現する総合生産管 管理システム IJNIS を体系づけて発表したが、 中司機分野で実用化されていたユニバック生産 ステムが求められつつあり、ユニバックはすでに 製造業界では、コストダウンのための生産管理シ 算等のシステムを受託、開発している。 また、原子力分野でも、東京電力から燃焼追跡計 化、高度化したシステムのひとつの極致を示した。 tem) を土台に開発した RESANA システムは巨大 システム USAS (Univac Standard Airline Sys- 日空における航空予約システムである。先進的

4. ユニバック30年のあゆみ

UNIVAC 0S1100 EXEC レベルアップの経過 レベノレ 目的 システム資源 管理の向上 システム・ ダウンの防止 / ヾフォーマンス の向上 ~ [ 29 ( 昭和 42 ~ 46 年 ) ・ DA (MEMORY) ・スタティック・パンク ・ガード・モード ・プログラム実行時の動的割当て 自動割当て ・ファイルの動的拡張 / 縮小 , ・ ACTIVITY PRIORITY(I/O) (CPU) ・ ACTIVITY SWITCHING ・ロールアウト / ロールバック L30 ~ L34 ( 昭和 47 ~ 50 年 ) ・メモリ・フラグメンテーションの 管理 ・スワップ・ファイルの最適化 ・ SUPs によるシステム資源の 統合管理 ・ SIP/PAR ・ QUOTA システム ・ TLS ・ EXEC 機能のユーサー・プログ ラム化 ( R 引 0 , CMS ・・・・ ) ・ライト・プロテクト・パンク ・ギャランティード・エントリ・ コモン / くンク ・ BYTE 命令 ・プリシーク ・スティッキング・ / くワーと リアクト・スケジュール ・リエントラント TPS ・リスタート・スケジュール ・高速ロード型プログラム・ ファイル ( UN UR ) ・メッセージ・キューインク (COMPOOL) ・常駐 TPS ・引 P メモリ ・ TPS マックス・コピー ・グレイスフル・テクラデーション (CPU/MEMORY) ・入出力パッド・スポット管理 ・交替経路からの再試行 ・ FCSS ニ重化ファイル ・ディレクトリ・エラー時の システム・ストップ回避 ・ ACT Ⅳ灯 Y 環境設定 ・日 S 命令 ・ R PS ・チャネライサ ・スイッチング・エン / 、ンスメント ・遅延再ロード機能 ・ TPS コスト計算機能 ・ポストストア型キャッシュ・ ディスク ・遅延更新方式による回復 ・ PEFI ・多重ー N 灯ー AL L35 ~ L38 ( 昭和 51 ~ 58 年 ) ・メモリ・プロック余りの減少 ・スイッチング・エン / 、ンスメント ・デマンドと / くッチのシステム 資源の配分 ・ OSAM ・ AVR ・多重プログラミングの動的制御 L39 ~ ( 昭和 59 ~ ) ・マルチ・ホストファイル・ シェアリング ( MHFS ) ・ EXEC ファイルのニ重化 ・ NEW S / W 工ンハンスメント ・クリーン・インタラブト ・スタック制御とプロシージャ命令 ・一 OP ファームウェア ・高速ロード型プログラム・ ファイル (SUPUR) ・メッセージ・キューイング MCB (C ・ B) ・パンク切替えによるプログラム 問連動 ( HV 引 P ) 気コアで、 65K 語の容量をもっていた。こ 0 愛気コ アをエグゼクテイプと呼び、多重プログラミングを 可能とする EXEC I と 1963 年に開発されたシン ビオントをもつ EXEC Ⅱの 2 種があった。 昭和 40 年 ( 1965 ) に世に出た UNIVAC1108 は、 プロセッサおよび主記憶装置に 1107 と同じタイ プの素子を用いていたが、主記憶装置のメモリ容量 が 262K 語に拡張された。後に多重プロセッサ構成 をもつ 1108 が加わっている。 1108 のエグゼクテ イプには当初 EXEC Ⅱが用いられたが、 EXEC II の機能を引き継ぎ、さらに多重プロセッサ里を 可能とした EXEC 8 が新規に開発されて 42 年に リリースされた。この EXEC 8 カ見在の 0S1100 の母体となったのである。 47 年に発表された UNIVACIIIO は、 2 階層のメ モリーをもち、最大 262K 語でアクセス・タイム 280 ns の主記憶装置と最大 1048K 語で 800nS の拡張記 憶装置から構成されている。使用者はこれらの記憶 装置 0 寺質を利用し、有効に使い分けることができ た。また、 1110 では仮想アドレス方式を実現し、バ イト操作命令も追加された。 さらに、 52 年になると分散里の中枢のシステム となる UN Ⅳ AC1100 / 80 シリーズが出現し、 54 年 には UN Ⅳ AC1100 / 60 が発表されている。その特 徴はキャッシュ・メモリー ( 記憶 ) の採用による 里の向上、マイクロ・プログラム、システム 障害時の自動回復機能の向上である。また、入出力 チャネルとしてバイト・チャネノ励 : 追加された。 57 年に発表された UN Ⅳ AC1100 / 90 シリーズでは次 世代を先取りした画期的な拡張アーキテクチャが採 用されている。 シリーズ 1100 のオヘレーティング・システムは 左図のような階層構造のソフトウェア群から成り立 っている。以下、それぞれの発展過程を略記する。 207

5. ユニバック30年のあゆみ

UNIVAC120 の導入 昭和 30 年、わが国初のコンピュータが、東 京・兜町に運びこまれた。東京証券取引所 と野村證券に UNlVAC120 が搬入・設置 されたのである。搬入の当日は、このコン ピュータを、ひと目見ようとやってきた人 が路上にあふれた。 これは、戦後の経済復興を象徴する出来 事の一つである。この UNlVAC120 の導 入を契機として、わカ瘋のコンピュータ利 用は急速に各界にひろまっていった。 コンピュータの登場は、従来の PCS で はできなかった計算能力の飛躍的な向 上と里業務の大幅な拡大を実現したので ある。 東京瓦斯では、主に大量の料金調定業務に lJNlVAC120 を活用し、コンピュータの有用 性に対する評価を大い「古めた 24 昭和 3 ロ年、野村證券に導入された IJNIVAC120 の搬入は、ビルの窓から行なわれた。通行人や近隣 の会社の窓から、もの珍しげに多くの人々が見守っていた。

6. ユニバック30年のあゆみ

タの提供を受け、データベース・サービスの第一弾 として「企業情報データベース・サービス (COS- MOS Ⅱ ) 」の販売を開始した。サービス内容はオン ライン検索やダイレクトメール用住所ラベルのアウ トブットなどである。 続いて同年 9 月、 RCS ( リモート・コンヒューテ イング・サービス ) の品揃えのひとっとして「特定 金銭ィモシステム」のサービスを開始し、チェース マンハッタンイモ銀行が第 1 号ユーザーとなった。 MAPPER をベースに構築されたこのシステムは、 主として外国銀行の日本法人の間から好評を博し ている。 かねてから準備中の U-net 高速デジタル回線が 東京ー大阪間に敷設され、サービスを開始したのは 6 0 年 1 1 月であった。また、札幌ー仙台ー東京ー名古 屋ー大阪ー広島一福岡と日本を縦断する全国規模の 高速デジタル網が敷設されたのは 61 年 10 月のこと である。 238 サービスの一翼を担う入力業務の効率的運用、さら 入力専門会社、 ( 株 ) ュニスタッフを設情報里 ( ュニバック情報里サービス協議会会員 ) と合弁で ューに加えた。また、 62 年 4 月には、コムスタッフ 情報システムを商品化して IJ ー net サービスのメニ スのひとっとして、当社がすでに利用しているキ綿 61 年 8 月、 MAPPER のアプリケーションサービ に事業の拡大に備える体制をととのえた。 同年 4 月には組織をネットワーク本部と改称し、 さらにネットワーク・ビジネスに傾斜した事業展開 を図ることになった。同年 6 用葹甬業界への積極的 販売を目的として POS 分析データベース・サービ スの販売開始を皮切りに、わずか 3 か月で、新規に 大手食品や雑貨メーカー十数社のユーザーを獲得し、 好調なすべり出しとなった。 同年 9 月には、従来の企業情報データベース・サ ービス (COSMOS Ⅱ ) に企業財務情報を付加した 企業財務データベース・サービス (COSMOS) の販 売も開始した。 同年 10 月、基本通信サービスの柱のひとっとなる バケット交換サービスの販売を開始。まず全国 38 か 所にサービス拠点を敷設した。さらに 3 年後の 65 年 には 100 拠点に拡大する計画である。 このバケット交換サービスでは、玩具業界におけ る全国レベルの VAN サービスの一環として、おも ウンドな商品群を用意している。 に関してはメーカー、卸、小売り向けまでオールラ の POS 分析受託サービスも開始し POS システム 顧問システムのメニューを加え、さらに小向け 同じ時期に、 MAPPER オンライン吏った投資 スを開始している。 ちゃ券う甬情報処理システムが 62 年 12 月よりサービ

7. ユニバック30年のあゆみ

社名を変更し、「 U&U 」を実現するための施策が次々と実 行に移されました。 44 年の総合研究所設 45 年の伊豆 エグゼクテプ・センター竣工、営業所網の全国展開。 4 7 年には人材開発センター、技術センターを建設し、 TSS サービスが開始されました。 毎年、数百人の採用が行なわれ、その人材育成と能力 開発のための生涯教育プログラムが本格的に始まったの も昭和 45 年からです。これは CTP ( キャリア・トレー ング・プログラム ) と名づけられ、実務知識、専門知識 から、マネジメントにわたる広範か本系的な硎彦制度 として現在も行なわれています。 昭和 48 年の石油ショックは、弊社のみならず業界全体を 揺り動かし、体質の転換が迫られた時期であったといえ るでしよう。これを契機に高度経済成長が終焉し、時代 はイ鰔長へと移行しました。業界内ではコンヒ。ュータの 自由化にともなう業、通信回線の自由化による 全国ネットワークの出現、大規模システムの開発の生産 性、またソフトウェアやサービスの有償化などの諸問題 が生起してきました。 技術面では、マイクロ・プロセッサの登場によるイ面 格化が進み、利用面では分散里や OA 化が出現しまし た。工ンドユーザーが直接にコンピュータ吏用する時 代に入ったのです。 弊社では、この時期からオフィス・コンヒ。ュータを始 めとする OA 分野にも参入し、昭和 58 年には「日本ユニ バック情報システム株式会社」を設立しました。また、 系列ソフトウェア会社を次々と誕生させ、全国をカバー する IJ - net サービスを開設するなど、着々と来るべき時 代に向けて 0 メ本制を固めていったのです。 幸い、イ鰔長時代の到来は企業の経営合理化を促し、 コンピュータを中心とする情報システムへの投資は衰え を見せませんでした。ューザーの方々からはますます高 度な技術を要求され、弊社の対応もさまざまな形におよ びました。 外部ネットワークや異機種との接続、エンドユーザー 利用のための第 4 世代言語、システム開発の時間と人員 を節減する問題解決型ソフトウェア・パッケージ、個別 学習のための CAI システム、図形里のコンヒ。ュータ・ グラフィックス、人工知能 (AI) をめざした知識システ 。限りなくひろがるユーザーのニーズにこた ムなど えていくことを通じて、高技術集団が済成され、トータ ル・システム・サプライヤとしての社会的責任を果たし てきました。 昭和 6 3 年、弊社は創業以来の大きな転換の局面を迎えて おります。 61 年 9 月、米国のスペリー、バロース両社合 併による「ユニシス・コーポレーション」発足にともな い、 63 年 4 月 1 日をもって日本ユニバック株とバロース 株が合イ并し、新たに「日本ュニシス株式会社」として出 発することになったからです。 新会社は、これまでの両社の製品系列の、発展を 図るだけでなく、日本の市場をより重視した製品開発を 進めるという運営方針をつらぬいてまいります。もちろ ん「 U & IJ の精神」も変わることはありません。 新生「日本ユニシス」は、これまでの 30 年と同様、 21 世紀に向けてユーザーの方々とともに歩み続けてまいる 所存です。

8. ユニバック30年のあゆみ

シリーズ 8 u8000 オフィス・コンピュ ータ 6 0 年 1 1 月には、オフコンのエントリ・システムと フコンである。 格的なトータル OA 時代に向けて開発された新オ 高速アタッチド・プロセッサなどの特徴をもち、本 ンフレーム・コネクションを実現するための機能、 分散データベースのアクセス機能、マイクロ・メイ チャを採用し、高度な通信ネットワークへの対応、 を発表した。このシリーズは 32 ビット・アーキテク を一新し、シリーズ 8 / システム 100 、 200 、 300 、 400 6 0 年 5 月には、シリーズ 8 のプロダクト・ライン の場として毎日、来客の姿はひきもきらない。 発展させた OA プラザを開設。セミナーや展示実演 東京、大阪には、いままでのビジネス・プラザを ルスの基盤カ立した。 してシリーズ 8 / システム v を商品化した。オフコ ン里とパソコン里とを同時にち虹して行なえる システム V は、スタンド・アロン、あるいはワーク ステーションとしても利用できるため、オフコンの いっそうの普及に一役買っている。 また、数々の OA ソフトを自由に使いこなすため に、多機能オフィス・ステーション、モデル 800 や OA ワークステーションもこの時期に商品化され た。そ窈也、オフコンとさまざまな 0 A 機器を組み 合わせた複合 OA システムも次々開発されている。 たとえば、光ファイルやビデオテックスを組み合わ せた画像検索システム、磁気力ード簡易データ収集 ターミナル UNPOS6000 シリーズ、さらにバーコ ード・システムや多機能電話などを組み合わせた複 合型の現場システムが続々登場している。 ru ファミリ」で、 VAN 弋に対応 昭和 61 年度のオフコンの出荷台数は 11 万台を超え、 またパソコンは 200 万台を超える勢いでイ申び、同時 にユーザーの OA に対する要求もますます高度な ものとなってきた。 オフコンでは、従来にも増してホストコンヒュー U ファミリの特長 ・オフィス空調・電源 ・ワンタッチ操作 ・日本語処理 ・アプリケーション・パッケー 使いやすさ ・グラフ処理 ・単体型表計算言語 ・ワープロ処理 OA 機能 ・ 16 ビットアーキテクチャ ・回線数最大 32 回線 処理性能 ・メモリ最大 4MB ・ワークステーション最大 32 台 ・磁気ディスク最大 1 .4MB オフィス・プロセッサ ・遠隔システム管理 ・リレーショナノレ・データベース ・自動運転 ・リモート・ワークステーション ・多機能ワークステー ・イメージ処理 ・ FAX プリンタ機能 ・ MML OA ソフト ・音声応答機接続 ・光ファイル接続 ション ・ 32 ビット / 16 ビット混在アーキテクチャ ・ディスク・キャッシュ ・トランサクション処理システム ・システム開発支援ツール ニュー・オフィス・プロセッサ ・ OS の一貫性 ・高度な機密保護機能 ・マルチ・ホスト機能 ・分散データベース ・システムサービス・プロセッサ ・拡張リモート・ワークステーション機能 ・高速 OA-LAN ・電子キャビネ ・第 4 世代言語 ( 4GL ) ・電子メール ・拡張複合 OA 音声 , イメージ , FAX ・ 32 ビット統一アーキテクチャ ・ UN ー X 機能 1 9 9 ・ VL 引高度実装 ・デュアルチャネル・ファイル機能 ・分散トランサクション・システム ・メモリ最大 32MB ・ワークステーション最大 128 回線 ・磁気ディスク最大 6.4GB

9. ユニバック30年のあゆみ

た要因ともいえる。 言語プ靤ッサ ュニバックは、日本工業規格 ( 』 S ) はもとより、国際 標準化機構 0S0 ) や米国規格協会 (ANSI)GIJ 定さ れる標準を重んじてきた。したがって、ユニバック が提供してきた言語プロセッサ ( 別名、言語プログラ ム。使用者プログラムを最適な機械語に翻訳するた めのコンパイラと、各種の機能を提供するためのラ イプラリから構成される ) の歴史は、そのべースとな ードウェアおよび 0S1100 の優れた機能のほ か、国内外における標準イヒ動向とも密接に関連して ーノレ 、 0 その歴史は昭和 30 年代半ばまでさかのばり、当 UCS の概念図 COBOL プログラム UCS COBOL FORTRAN プログラム UCS FORTRAN UCS フロントエンド ( 構文解析・意味解析 ) プログラム UCS UCS パック・エンド 適化 コード生成 目的モジュ U C S 最 U CS システム リンキング 実行時ライプラリ PADS 1 1 OO 時、すでに、優れた性能を備えた FORTRAN V お よび FD COBOL を提供している。これらの言語 プロセッサは、 FD コード ( 6 ビット・コード ) を取り 扱い、それぞれ ANS FORTRAN-1966 および ANS COBOL ー 1968 の規格に準拠し、かっ、独自の 拡張機能も備えていた。とくに、 FORTRAN V の 性能は、機能および効率の両面において、ユーザー の間で高く言刊面された。 40 年代も半ばを過ぎると、新たな言語プロセッサ ASCII COBOL 、 ASCII FORTRAN および PL/I がリリースされた。これらの言語プロセッサは 8 単 位標準 ( 8 ビット・コード ) を取り扱い、それぞ れ』 S COBOL ー 1972 、』 S FORTRAN ー 1976 およ び ANSI PL/ ト 1 976 の規格に準拠し、かっ、ユニバ ック独自の拡能を備えている。たとえば、 ASCII COBOL においては、高速の列明ハードウェア 命令 ( バイト命令 ) を利用して効率を吉めた ' と れらの言語が共通のデータ・ファイル明ライプ ラリ (PClOS=Processor Common I/O Sys- tem) を利用してファイルの交換性を高めたこと、さ らには、これらの言語プロセッサのコモンバンク化 により、計算機資源利用の節約、いいかえれば使用者 作業領域の拡大を促進したことなどが特記できる。 規格で定められた標準言語のほかにも、ユニバッ クは RPG1100 や MACRO などの言語プロセッ サも提供してきた。ちなみに、 MACRO は、里で きる言語が下艮定されない明のマクロ・プロセッサ である。 40 年代前半になると、さらに高速のハードウェア 命令 (EIS : Extended lnstruction Set) が各言 語プロセッサに適用され、効率が大幅に向上した。 また、 ASCII COBOL および ASCII FORTRAN は、それぞれ、 JIS COBOL ー 1980 ( 74 COBOL) お よび』 S FORTRAN-1982(FORTRAN77) の規 格に準拠した新機能をリリースしている。 56 年以降、各言語プロセッサは、プリプロセッサ による日本語里機能をイ劬ロして、 JIS 漢字コード の取り扱いを可能とした。また、多くのエンドユー ザーをもつ ASCII COBOL においては、プログラ ムのデバッグを容易にするためのツールとして PADSIIOO をリリースした。さらに、 ASCII FOR- 209 計算プログラムの作成を容易にしている。 る Large Array 機能を提供して、巨大な科学技術 TRAN においては、巨大配列の取り扱いを可能とす

10. ユニバック30年のあゆみ

本格的な中型機登場 当社創業当初は、 UNlVAC120 、 60 の大量 納入時代で、昭和 40 年までに約 1 00 台を設 置した。この間、 34 年からは UFC 、 ussc といった高速、大容量の本格的な中型コン ヒ。ュータが登場し、続々とユーザーに導入 された。 UFC は、アメリカでは、航空管制システ ムや飛行機の予約システムなどに使わ れていたが、高速で一貫したデータ里が 可能だったため、わが国のユーザーにも人 気か咼かった。 USSC は、初めて全面的に固体回路素 子を採用した中型機で、当時の同クラスの どのコンピュータと比較しても、 10 倍以上 という高速演算性能を備えていた。高速の ラインプリンタがオンライン で接続されており、入出力の ための強力な制御プログラム を備えた最初の中型明コン ピュータとして、注目を集め た。当社が独自にソフトウェ アを開発するようになったの は、このコンヒ。ュータからで ある。 第 2 世代コンピュータの先頭 を切って登場した IJ S S C は相次いで多数のユーサーに 導入され、幅広い計算業務の 処理に活躍した。 写真左は、 38 年月、プリ チストンタイヤ東京工場に設 置された IJSSC Ⅱ。下は、 34 年 8 月、東芝に搬入された IJ S S C 国内第 1 号機の据 付・調整風景。 38