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検索対象: 萬葉秀歌 上巻
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1. 萬葉秀歌 上巻

と相通じてゐるのである。 あかときよがらすな 曉と夜鳥鳴けどこの山上の木末の上はいまだ 作者不詳 靜けし〔卷七・一二六一 = 〕 よがらす をか 第三句、『山上』は代匠記に『みね』とも訓んだ。もう夜が明けたといって夜鳥が鳴くけれ こだち ど、岡の木立は米だひっそりとして居る、といふのである。『木木の上』は、繁ってゐる樹 木のあたりの意、萬葉の題には、『時に臨める』とあるから、或る機に臨んで作ったもので あかっき からす あらう。そして、鳥等は、もう曉天になったと告げるけれども、あのやうに岡の森は未だ靜 かなのですから、も少しゆっくりしておいでなさい、といふ女言葉のやうにも取れるし、或 は男がまだ早いからも少しゆっくりしようといふことを女に向って云ったものとも取れるし、 或は男が女の許から歸る時の客觀的光景を詠んだものとも取れる。いづれにして、曉はや く二人が未だ一しょにゐる時の情景で、かういふ事をいってゐるその心持と、曉天の淸潔と が相待って、快い一首を爲上げて居る。鑑賞の時、どうしても意味を一つに極めなければな らぬとせば、やはり女が男にむかって云った言葉として受納れる方がいいのではあるまいか。 こぬれ うへ

2. 萬葉秀歌 上巻

ばけ』のところに心が牽かれたのであった。 こゑ しろ いも くろかみ ひと さきはひ のいかなる人か黒髮の白くなるまで妹が音 作者不詳 を聞く〔卷七・一四一こ 自分は戀しい妻をもう亡くしたが、白髮になるまで二人とも健かで、その妻の聲を聞く ( しあは との出来る人は何と爲合せな人だらう、羨しいことだ、といふので、『妹が聲を聞く』とい ふのが特殊でもあり一首の眼目でもあり古語のすぐれたところを示す句でもある。現代人の 言葉などにはかういふ素朴で味のあるいひ方はもう跡を絶ってしまった。 一般的なやうなことを云ってゐて、作者の身と遊離しない切質ないひ方で、それから結句 に、『こゑを聞く』と結んでゐるが、『聞、』だけで詠歎の響があるのである。文法的には詠 歎の助詞も助動詞も無いが、さういふものが既に含まってゐるとおもっていい。

3. 萬葉秀歌 上巻

すべ 術もなく苦しくあれば出で走去ななと思へ さや 山上憶良 ど兒等に障りぬ〔卷五・八九尢〕 同じく短歌。もう手段も盡き、苦しくて爲方がないので、走り出して自殺でもしてしまは うと思ふが、兄等のために妨げられてそれも出來ない、といふので、此は長歌の方で、『年 さまよ さはヘ かさ 長く、病みし渡れば、月累ね、憂ひ吟ひ、ことごとは、死ななと思へど、五月蠅なす、騷ぐ うつ 兄等を、棄てては、死は知らず、見つつあれば、心は燃えぬ』云々といふのが此短歌にも出 さや まつらち てゐる。『障る』は、障礙のことで、『卍しも行かぬ松浦路今日行きて明日は來なむを何か さや 障れる』 ( 卷五・八七〇 ) にも用例がある。 この歌の好いのは、ただ概括的にいはずに、具體的に云ってゐることで、かういふ場面に なると、人麿にも無い人間の現實的な姿が現出して來るのである。『出ではしり去ななとも へど』といふあたりの、朴實とでも謂ふやうな調べは、憶良の身に印き纏ったものとして くた 一」も とびといへ 重していいであらう。なほ此處に、『富人の家の子等の著る身無みし棄つらむ絹綿らはも』 あらたへぬのぎぬ ( 九 0 〇 ) 、『麁妙の布衣をだに著せ難に斯くや歎かむ爲むすべを無み』 ( 九〇一 ) といふ歌もあ ~ 、る

4. 萬葉秀歌 上巻

一首の意は、あなたをお待中して、慕はしく居りますと、私の家の簾を動かして秋の風が おとづれてまゐります、といふのである。 この歌は、當りまへのことを淡々といってゐるやうであるが、こまやかな情味の節った不 思議な歌である。額田王は才氣もすぐれてゐたが情感の豐かな女性であっただらう。そこで 知らず識らずかういふ歌が出來るので、この歌の如きは王の歌の中にあっても才鋒が目立た ずして特に優れたものの一つである。この歌でただ、『簾動かし秋の風吹く』とだけ云って あるが、女性としての音聲さへ聞こえ來るやうに感ぜられるのは、ただ私の氣のゐばかり でなく、つまり、結句の『秋の風ふく』の中に、既に女性らしい愬へを聞くことが出來ると いひ得るのである。また、風の吹いて來るのは戀人の來る前兆だといふ一種の信仰のやうな ものがあったと詭く詭 ( 古義 ) もあるがどういふものであるか私には能く分からない。ただ さうすれば却って歌柄が小さくなってしまふやうだから、此處は素直に文字どほりにただ天 皇をお慕ひ中す戀歌として受取った方が好いやうである。 かがみのおほ、み この歌の次に、鏡王女の作った、『風をだに戀ふるはともし風をだに來むとし待たば何か 歎かむ』 ( 四八九 ) といふ歌が載ってゐる。王女は額田王の御姉に當る人で、はじめ天智天皇 に寵せられ、のち藤原鎌足の正室になった人だから、恐らく此時近江の京に仕んでゐたので 179

5. 萬葉秀歌 上巻

もよく話面白かったものに相違ない。第一の歌は御製で、話はもう澤山だといっても、無 理に話して聞かせるお前の話も、このごろ暫く聞かぬので、また聞きたくなった。第二の歌 は嫗の和へ奉った歌で、もう御話は止しまぜうと中上げても、語れ語れと御仰せになったの でございませう。それを今無理強ひの御話とおっしやる、それは御無理でございます。二つ は諸謔的間答歌であるから、印興的であり機響的でもある。その調子を詞の繰返しなどによ って知ることが出來る。しかし、お互の御親密の情がこれだけ自由自在に現はれるといふこ とは、後代の吾等には寧ろ異といはねばならぬ程である。萬葉集の歌は千差萬別だが、人 の切實な歌などのあひだに、かういふ種類の歌があるのもなっかしく、な敬せねばならぬの である。この第一の歌の題詞はただ『天皇』とだけあるが、諸家が皆持統天皇であらせられ ると考へてゐる。さすれば天皇の歌人としての御力量は、『春過ぎて夏來るらし』の御製等 と共に、近巨の助カ云々などの想像の、いかに當らぬものだかといふことを證明するもので ある。「志斐い」の『い』は語調のための助詞で、『紀の關守い留めなむかも』 ( 卷四・五四五 ) などと同しい。山田博士は、『このイは主格を示す古代の助詞』だと云ってゐる。 125

6. 萬葉秀歌 上巻

山々とも別れることとなるであらう。その頃には家鄕の大和も、もう見えずなる、といふの である。『入らむ日や』の『や』は疑間で、『別れなむ』に續くのである。 歌柄の極めて大きいもので、その點では萬葉集中稀な歌の一つであらうか。そして、『入 0 0 らむ日や』といひ、『別れなむ』といふやうに調子をとってゐるのも波動的に大きく聞こえ、 『の』、『に』、『や』などの助詞の使ひ方が實に巧みで且っ堂々としてをる。特に、第四句で、 『榜ぎ別れなむ』と切って、結句で、『家のあたり見ず』と獨立的にしたのも、その手腕敬 憬すべきである。山來、『あたり見ず』といふやうな語には、文法的にも毫も詠歎の要素が 無いのである。『かも』とか、『けり』とか、『はや』とか、『あはれ」とか云って始めて詠歎 の要素が入って來るのである。文法的にはさうなのであるが、歌の聲調方面からいふと、響 きから論ずるから、『あたり見ず』で充分詠歎の響があり、結句として、『かも』とか、『け り』とかに敵するだけの效果を持ってゐるのである。この事は、萬葉の秀歌に隋處に見あ いっかし たるので、『その草深野』、『棚無し小舟』、『印南國原』、『嚴橿が本』といふ種類でも、『月か たぶきぬ』、『加古の島見ゅ』、『家のあたり見ず』でも、また、詠歎の語の入ってゐる、『見れ ど飽かぬかも』、『見れば悲しも』、『隱さふべしゃ』等でも、結局は同一に歸するのである。 さういふことを萬葉の歌人が實行してゐるのだから、驚きな敬せねばならぬのである。かう 0 0

7. 萬葉秀歌 上巻

ひとや おほぬ ふゅ 冬ごもり春の大野を燒く人は燒足らねかも わ 作者不詳 吾が情熾く〔卷七一三三六〕 譬喩歌で、『草に寄す』歌であるが、劇しい戀愛の情をその内容として居る。「冬ごもり』 は春の枕詞。一首の意は、こんなに胸が燃えて苦しくて爲方ないのは、あの春の大野を燒く 人逹が燒き足りないで、私の心までもこんなに燒くのか知らん、といふので、譬喩的にいっ たから、おのづからかういふ其合に聯想の歌となるのである。この聯想はただ輕く氣を利か して云ったもののやうにもおもへるが、繰返して讀めば必ずしもさうでないところがある。 つまり戀情と、春の野火との聯想が、ただ輕くつながって居るのでなく、割合に自然に緊密 につながってゐるといふのである。そんならなぜ輕くつながってゐるやうに取られるかとい こころや ふに、『燒く人は』と、『吾が情熾く』と繰返されてゐるために、共處が調子が好過ぎて輕く 響くのである。併しこれは民謠風のものだから自然さうなるので、奈何ともしがたいのであ る。この歌は明治になってから古今の傑作のやうに評價せられたが、今云ったやうに民謠風 なものの中の佳作として鑑賞する方が好いであらう。 こころや 0 や

8. 萬葉秀歌 上巻

あきぬ くさか ) ぢ みやこ 秋の野のみ草苅り葺会宿れりし兎道の宮處の かりい瀲 おも 額田王 假廬し思ほゅ〔卷一・七〕 ぬかだのおぼ、み 額田王の歌だが、どういふ時に詠んだものか審かでない。ただ兎道は山城の字治で、大和 と近江との交通路に當ってゐたから、行幸などの時に假の御旅宿を宇治に設けたまうたこと があったのであらう。その時額田王は供奉し、後に當時を追懷して詠んだものと想像していい。 かがみのおきみ 田王は、田姫王と書紀にあるのと同人だとすると、額田王は鏡王の女で、鏡女王の妹 であったやうだ。初め人皇子と御婚して十市皇女を生み、ついで天智天皇に寵せられ近 江京に行ってゐた。『かりいほ』は、原文『假跡』であるが眞淵の考では、カリホと訓んた。 一首の意。嘗て天皇の行幸に御伴をして、山城の字治で、秋の野のみ草 ( 薄・萱 ) を刈っ ャさ て葺いた行宮に宿ったときの興深かったさまがおもひ出されます。 この歌は、獨詠的の追懷であるか、或は對者にむかってかういふことを云ったものか不明 だが、單純な獨詠ではないやうである。意味の内容がただこれだけで取りたてていふべき曲 が無いが、單純素朴のうちに浮んで來る寫象は鮮明で、且っその聲調は溝潔である。また單

9. 萬葉秀歌 上巻

あらう。そして、額田王の此歌を聞いて、額田王にやったものであらう。この歌にも廣い意 味の贈答歌の味ひがあり、姉妹のあひだの情味がこもってゐる。併し萬葉集には、妹に和へ た歌とは云ってゐない。 0 きみ おも いまさら 今更に何をか念はむうち靡こころは君に寄 安倍女郞 りにしものを〔卷四・五〇五〕 あべのいらつめ 安倍女郎不詳 ) の作った二首中の一つである。女性の聲の直接俥はり來るやうな特色 ある歌として選んだが、さうして見ると、素直でなかなか佳いところがある。前に既に『君 に寄りななこちたかりとも』の歌を引いたが、この歌はもっと分かり易くなって來て居る。 おも なほ、この歌の次に『吾背子は物な念ほし事しあらば火にも水にも吾無けなくに』 ( 五 0 六 ) といふ歌があって、やはり同一作者だが、女性の情熱を云ってゐる。併しこれも女性の 語氣として受取る方がよく、此時代になると、感情も一般化して分かりよくなってゐる。寧 をはっ世やまいはき ろ、『事しあらば小泊瀬山の石城にも籠らば共にな思ひ吾が背』 ( 卷十六・三八〇六 ) の方が、 古い味ひがあるやうに思へる。卷十六の歌は後に選んで置いた。 ょに な 1 ど 0

10. 萬葉秀歌 上巻

無事であることが出來たらといふのは、皇太子の試間に對して言ひ開きが出來たらといふ ので、皇子は恐らくそれを信じて居られたのかも知れない。『天と赤兄と知る』といふ御一 語は悲痛であった。けれども此歌はもっと哀切である。かういふ萬一の場合にのぞんでも、 たたの主觀の語を吐出すといふやうなことをせず、御自分をその儘素直にいひあらはされて、 そして結句に、『またかへり見む』といふ感慨の語を据ゑてある。これはおのづからの寫生 で、抒情詩としての短歌の態度はこれ以外には無いと謂っていいほどである。作者はただ有 りの儘に寫生したのであるが、後代の吾等がその技法を吟味すると種々の事が云はれる。例 へば第三句で、『引き結び』と云って置いて、『まさきくあらば』と績けてゐるが、そのあひ だに幾分の休止あること、『豐旗雲に入日さし』といって、『こよひの月夜』と績け、そのあ ひだに幾分の休止あるのと似てゐるごときである。かういふ事が自然に實行せられてゐるた めに、歌調が、後世の歌のやうな常識的平俗に墮ることが無いのである。 け いへ いひくさまくらた 家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれは椎 有間阜子 の葉に盛る〔卷】一・一四二〕 は しひ