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検索対象: 萬葉秀歌 上巻
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1. 萬葉秀歌 上巻

スナキヨハフケニツツ 少夜者更下乍』 ( 卷七・一 0 七五 ) でも月光の形容にアカリを使ってゐるのである。平安朝に 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 なってからは、『秋の夜の月の光しあかければくらぶの山もこえぬべらなり』 ( 古今私上 ) 、『桂 0 0 0 0 0 0 川月のあかきにぞ渡る』 ( 土佐日記 ) 等をはじめ用例は多い。併し萬葉時代と平安朝時代との 言語の移行は暫時的・流動的なものだから、突如として變化するものでないことは、この實 0 0 0 0 0 0 例を以ても證明することが出來たのである。約めていへば、萬葉時代に月光の形容にアカシ を用ゐた。 アガココロキョスミノイクノ 次に、『安我己許呂、安可志能宇良爾』 ( 卷十五・一一一六二士 ) 、『吾情淸隅之池之』 ( 卷十三・三 ス アカキココロフ ミマシガココロノアカキコトハ アガココロアカキュア - 一 二八九 ) 、『加久佐波奴、安加吉許己呂乎』 ( 卷二十・四四六五 ) 、『汝心之淸明』、『我心淸明故』 キョキココロ キョキアカキココロラモナテ (. 古事記上卷 ) 、『有二淸心一』 ( 書紀代卷 ) 、『淨伎明心乎持弖』 ( 績紀卷十 ) 等の例を見れば、心あ かし、心きよし、あかき心、きよき心は、共通して用ゐられたことが分かるし、なほ、『敷島 アキラケキ のやまとの國に安伎良氣伎名に負ふとものを心っとめよ』 ( 卷二十・四四六六 ) 、『つるぎ大刀い サヤケクオヒテ よよ研ぐべし古へゅ佐夜氣久於比弖來にしその名ぞ』 ( 卷二十・四四六七 ) の二首は、大伴家持 の連作で、二つとも『名』を咏んでゐるのだが、アキラケキとサヤケキとの流用を證明して サヤケカリケリ ゐるのである。そして、『春日山押して照らせる此月は妹が庭にも淸有家里』 ( 卷士・一〇七四 ) は、月光にサヤケシを用ゐた例であるから、以上を綜合して觀るに、アキ一フケシ、サヤケシ、 アガココロ カクサ

2. 萬葉秀歌 上巻

たけそがひ いづくゆ わがせこ 吾背子を何處行かめとさき竹の背向に宿しく 作者不詳 今し悔しも〔卷七・一四一ニ〕 をつと これも挽歌の中に入ってゐる。すると一首の意は、私の夫がこのやうに、死んで行くなど とは思ひもよらず、生前につれなくして、後ろを向いて寢たりして、今となってわたしは海 しい、といふことになるであらう。『さき竹の』は枕詞だが、割った竹は、重ねてもしつく りしないので、後ろ向に寐るのに績けたものであらう。また、『背向に宿しく』は、男女云 ひ爭った後の行爲のやうに取れて一層哀れも深いし、女らしいところがあっていい。 かな いづち 然るに、卷十四、東歌の挽歌の個處に、『愛し妹を何處行かめと山菅の背向に宿しく今し 悔しも』 ( 三五七七 ) といふのがあり、二つ共似てゐるが、卷七の方が優ってゐる。卷七の方 ならば入情も自然だが、卷十四の方は稍調子に乘ったところがある。おもふに、卷七の方は 末だ個人的歌らしく、つつましいところがあるけれども、それが俥誦せられてゐるうち民謠 的に變形して卷十四の歌となったものであらう。氣樂に一しょになってうたふのには、『か なし妹を』の方が調子に乘るだらうが、切實の度が薄らぐのである。 くや

3. 萬葉秀歌 上巻

仲哀卷に、譬如 = 美女之碌「有 = 向津國→喙、此云 = 廠用弭枳→古事記中卷、態紳天皇御製歌に、 麻用賀岐許邇加岐多禮、和名鈔容飾具に、黛、和名萬由須美。集中の例は、『おもはぬに到ら まよびき げ妹が嬉しみと笑まむ眉引おもほゆるかも』 ( 卷十一・二五四六 ) 、「我妹子が笑まひ眉引面影に かかりてもとな思ほゆるかも』 ( 卷十一一・二九〇〇 ) 等がある。 一首の意は、三日月を仰ぎ見ると、ただ一目見た美人の眉引のやうである、といふので、 少年向きの美しい歌である。併し家持は少年にして斯く流暢な歌調を實行し得たのであるか ら、歌が好きで、先輩の作や古歌の數 ~ を勉強してゐたものであらう。この歌で、「一目見 し』に家持は興味を持ってゐる如くであるが、『一目見し人に戀ふらく天霧らし零り來る雪 の清ぬべく念ほゅ』 ( 卷十・二三四〇 ) 、『花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し兄ゅゑ千たび歎き っ』 ( 卷十一・二五六五 ) 等の例が若干ある。家持の歌は、斯く美しく、覺官的でもあるが、彼 の歌には、なほ、『なでしこが花見る毎に處女らが笑ひのにほひ思ほゆるかも』 ( 卷十八・四一 一四 ) 、『秋風に靡く川びの柔草のにこよかにしも思ほゆるかも』 ( 卷 = 十・四 = 一〇九 ) の如き歌 をも作ってゐる。『笑ひのにほひ』は靑年の體に印いた語でなかなか旨いところがある。併 し此等の歌を以て、萬葉最上級の歌と伍せしめるのはいかがとも思ふが、萬葉鑑賞にはかう いふ歌をもまた通過せねばならぬのである。

4. 萬葉秀歌 上巻

「葦べ行く鴨』といふ句は、葦べを飛びわたる字面であるが、一般に葦べに住む鴨の意と してもかまはぬだらう。『葦べゆく鴨の羽音のおとのみに』 ( 卷十二・三〇九 0 ) 、『葦べ行く雁 の翅を見るごとに』 ( 卷十三・三三四五 ) 、『鴨すらも己が妻どちあさりして』 ( 卷十二・三 0 九一 ) 等の例があり、參考とするに足る。 志貴皇子の御歌は、その他のもさうであるが、歌調明快でありながら、感動が常識的粗雜 はがひ に陷るといふことがない。この歌でも、鴨の羽交に霜が置くといふのは現實の細かい寫實と いはうよりは一つの『感』で運んでゐるが、その『感』は室漠たるものでなしに、人間の觀 察が本となってゐる點にみがある。そこで、『霜ふりて』と斷定した表現が利くのである。 『葦べ行く』といふ句にしても稍ぼんやりしたところがあるけれども、それでも全體として の寫象はただのぼんやりではない。 さきたま はね 集中には、『埼玉の小埼の沼に鴨ぞ翼きる己が尾に零り置ける霜を拂ふとならし』 ( 卷九・一 ほひは 七四四 ) 、『天飛ぶや雁の翅の覆羽の何處もりてか霜の降りけむ』 ( 卷十・一三三八 ) 、『押し照る 難波ほり江の葦べには雁宿たるかも霜の零らくに』 ( 卷十・】一一三五 ) 等の歌がある。

5. 萬葉秀歌 上巻

る。气直に』は、現身と現身と直接に會ふことで、それゆゑ萬葉に用例がなかなか多い。『百 ただ 重なす心は思へど直に逢はぬかも』 ( 卷四・四九六 ) 、『うつつにし直にあらねば』 ( 卷十七・三 九七八 ) 、『直にあらねば戀ひやまずけり』 ( 三九八〇 ) 、『夢にだに繼ぎて見えこそ直に逢ふま でに』 ( 卷十一一・二九五九 ) などである。『目には見れども』は、眼前にあらはれて來ることで、 寫象として、幻として、夢等にしていづれでもよいが、此處は寫象としてであらうか。『み ひとごと 室ゆく月讀男ゅふさらず目には見れども寄るよしもなし』 ( 卷七・一 = 一七一 I) 、『人言をしげみこ ちたみ我背子を目には見れども逢ふよしもなし』 ( 卷十二・二九三八 ) 、の歌があるが、皆民謠 風の輕さで、この御歌ほどの切實なところが無い。 ひと おも かげ み たま 人は縱し思ひ止むとも玉かづら影に見えつつ わす 倭姫皇后 忘らえぬかも ( 卷二・一四九 ) これには、『天皇崩じ給ひし時、倭太后の御作歌一首』と明かな詞書がある。倭太后は倭 姫皇后のことである。 一首の意は、他の人は縱ひ御崩れになった天皇を、思ひ慕ふことを止めて、忘れてしまは

6. 萬葉秀歌 上巻

く、實際あち群の居るのでなく、枕詞に使った處もあるが、いづれにしても古風な氣持の好 い用ゐ方である。ことに、短歌の方で、單に『行くなれど』と云って、長歌の方の、『人さは に』といふ主格をも含めた用法にも感心したのであった。この歌に比べると、『秋萩を散り さぶ 過ぎぬべみ手折り持ち見れども不樂し君にしあらねば』 ( 卷十・二二九〇 ) 、『み冬つぎ春は來れ ど梅の花君にしあらねば折る人もなし』 ( 卷十七・三九〇一 ) などは、調子が弱くなって、もは みやち 。もきみ や弛んでゐる。また、『うち日さす宮道を人は滿ちゅけど吾が念ふ公はただ一人のみ』 ( 卷十 ・二三へ二 ) といふ類似の歌もあるが、この方はもっと分かりよい。 あふみちとこ このごろ この次に、『淡海路の鳥籠の山なるいさや川日の此頃は戀ひつつもあらむ』 ( 四八七 ) といふ 歌があり、上半は序詞だが、やはり古調で佳い歌である。そしてこの方は男性の歌のやうな 語氣だから、或はこれが御製で、『山の端に』の歌は天皇にさしあげた女性の歌ででもあら なっそ うかみがた 以上、『あちむら騒ぎ』までを序詞として解釋したが、『夏廠引く海上潟の沖っ洲に鳥はす だけど君は音もせず』 ( 卷七・一一七六 ) 、『吾が門の榎の實もり契む百千鳥千鳥は來れど君ぞ來 まさぬ』 ( 卷十六・三八七二 ) といふのがあって、これは實際鳥の群集する趣だから、これを標 準とせば、『あぢむら騷ぎ』も實景としてもいいかも知れぬが、この卷七の歌卷十六の歌 、 0

7. 萬葉秀歌 上巻

の照る月は滿ち闕けしける』 ( 四四二 ) がある。『おして照ら止一る』の表現も萬調の佳いと - 」よひ レ一よ ころで、『我が屋戸に月おし照れりほととぎす心あらば今夜來鳴き響もせ』 ( 卷八・一四八 0 ) 、 0 0 0 0 0 0 『窓越しに月おし照りてあしひきの嵐吹く夜は君をしぞ思ふ』 ( 卷十一・二六士九 ) 等の例があ る。此歌で、『この月は』と、『妹が庭にも』との關係に疑ふ人があったため、古義のやうに、 さや 『妹が庭にも淸けかるらし』の意だらうといふやうに解釋する説も出でたが、これは作者の 位置を考へなかった錯誤である。 みちとほ 海原の道遠みかも月讀の明すくな夜はふけ につつ〔卷七・一〇七五〕 作者不詳 作者不詳。海岸にゐて、夜更にのぼった月を見ると、光が淸明でなく幾らか霞んでゐるや うに見える。それをば、海上遙かなために、月も能く光らないと云ふやうに、作者が感じた から、斯ういふ表現を取ったものであらう。卷三 ( 二九〇 ) に、「倉橋の山を高みか夜ごもり に出で來る月の光ともしき』とあるのも全體が似て居るが、この卷七の歌の方が、何となく 稚く素朴に出來てゐる。それだけ常識的でなく、却って深みを添へてゐるのだが、常識的に つくよみあかり

8. 萬葉秀歌 上巻

て見つつ來し御津の松原浪越しに見ゅ』 ( 卷七・一一八五 ) があるから、大きい松原のあったこ とが分かる。 『いざ子ども』は、部下や年少の者等に對して親しんでいふ言葉で、既に古事記應神卷に、 まぬ ひる ぬびる 『いざ兄ども野蒜つみに蒜つみに』とあるし、萬葉の、『いざ子ども大和へ早く白菅の眞野 まりま・り の手折りて行かむ』 ( 卷三・二八〇 ) は、高市黒人の歌だから憶良の歌に前行してゐる。 『白を取らば清ぬ・〈し」ざ子ども露に競ひて萩 0 遊びせむ』 ( 卷才 = 一 ~ = ) もまたさうで ある『いざ兄ども香椎の潟に白妙の袖さへぬれて朝菜採みてむ』 ( 卷六・九五七 ) は旅人の歌で 憶良のよりも後れてゐる。つまり、旅人が億良の影響を受けたのかも知れぬ。 この歌は、環境が唐の國であるから、自然にその氣持も一首に反映し、さういふ點で規模 の大きい歌だと謂ふべきである。下の句の歌調は稍弛んで弱いのが缺點で、これは他のとこ ろでも一言觸れて置いたごとく、憶良は漢學に逹してゐたため、却って日本語の俥統的な聲 調を理會することが出來なかったのかも知れない。一首としてはもう一歩緊密な度合の聲調 を要求してゐるのである。後年、天平八年の造新羅國使等の作ったものの中に、『ぬばたま とまり よあか の夜明しも船は榜ぎ行かな御津の濱松待ち戀ひぬらむ』 ( 卷十五・三七二一 ) 、『大伴の御津の泊 に船泊てて立田の山を何時か越え往かむ』 ( 三七】一・ D とあるのは、この億良の歌の模倣であ

9. 萬葉秀歌 上巻

ぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ』 ( 卷一・四八 ) 、『風をいたみ奥っ白浪高か らし海人の釣舟濱に歸りぬ』 ( 卷三・一一九四 ) 、『あらたまの年の緒ながく吾が念〈、る兄等に戀 ふべき月近づきぬ』 ( 卷十九・四二四四 ) 等の例があり、その結句は、文法的には客観的であ ? て、感慨のこもってゐるものである。第三句、『夏草の』を現實の景と解する説もあるが、 これは、『夏草の靡き寐』の如きから、『寐』と『野』との同音によって枕詞となったと解 釋した。またかう解すれば、『奴流』 ( 寐 ) は『奴島』 ( 二四九 ) のヌと同・じく、時には『努』 アシヒキノヤマゴエヌユキ ( 野 ) とも通用したことが分かるし、阿之比奇能夜廱古要奴由伎 ( 卷十七・三九七八 ) の、『奴 由伎』は『野ゆき』であるから、『奴』、『努』の通用した實例である。印ち甲類乙類の假名 通用の例でもあり、野の中間音でヌと發音した積極的な例ともなり、ノと書くことの間違だ ぬしま といふことも分かるのである。また現在淡路三原郡に沼島村があるのは、野島の變化だとせ ば、野島をヌシマと發音した證據となる。 いなびぬ ゅ す おも こころこほ 稻日野も行過ぎがてに思へれば心戀しき可 古の島見ゅ〔卷三・一一五三〕 柿本人 しまみ 129

10. 萬葉秀歌 上巻

こころ あふみ うみゆふなみちりな 淡海の海タ浪千鳥汝が鳴けば心もしぬにい一 おも 柿本人屆 しへ思ほゅ〔卷三・二六六〕 柿本人麿の歌であるが、卷一の近江舊都囘顧の時と同時の作か奈何か不明である。『タ浪 千鳥』は、タベの浪の上に立ちさわぐ千鳥、湖上の低い室に群れ啼いてゐる千鳥で、古代造 語法の一つである。一首の意は、淡海の湖に、その湖のタぐれの浪に、千鳥が群れ啼いてゐ しを しん る。千鳥等よ、お前等の啼く聲を聞けば、眞から心が萎れて、昔の都の榮華のさまを偲ばれ てならない、といふのである。 この歌は、前の宇治河の歌よりも、もっと曲折のある調べで、その中に、『千鳥汝が鳴け ば』といふ句があるために、調べが曲折すると共に沈厚なものにもなってゐる。また獨詠的 な歌が、相手を想像する對詠的歌の傾向を帶びて來たが、これは、『志賀の辛崎幸くあれど』 とつまりは同じ傾向となるから、ひょっとしたら、卷一の歌と同時の頃の作かも知れない。 卷三 ( 三七一 ) に、門部王の、『飫字の海の河原の千鳥汝が鳴けば吾が佐保河の念ほゆらく に』があり、卷八 ( 一四六九 ) に沙彌作、『足引の山ほととぎす汝が鳴けば家なる妹し常にお 139