大伴旅人 - みる会図書館


検索対象: 萬葉秀歌 上巻
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1. 萬葉秀歌 上巻

〔き四〕おほきみの・とほのみかどと ( 柿本人麿 )•• 〔三 c 五〕かくゆゑに・みじといふものを ( 高市黒人 )•• 〔三一六〕むかしみし・きさのをがはを ( 大伴旅人 ) ・ : 〔三一 6 〕ふじのねに・ふりおけるゆきは ( 作者不詳 ) : 〔一一元〕さけのなを・ひじりとおほせし ( 大伴旅ん ) : ・ 〔三岩〕いにしへの・ななのさかしき ( 大伴旅人 ) : 〔三四一〕さかしみと・ものいふよりは ( 大伴旅人 ) : 〔一一一四一 D いはむすべ・せむすべしらに ( 大伴旅人 )••・ 〔三四三〕なかなかに・ひととあらずは ( 大伴族人 ) : 〔羇四〕あなみに く・さかしらをすと ( 大作旅人 )•• 「三四五〕あたひなき・たからといふとも ( 大件族人 ) : 〔三四六〕よるひかる・たまといふとも ( 大伴旅人 ) : 〔三〕よのなかの・あそびのみちに ( 大伴旅人 )•• 〔三犬〕このよにし・たぬしくあらは ( 大作旅人 ) : 「三四凸いけるもの・つひにもしぬる ( 大作族人 ) : 〔三台〕もだをりて・さかしらするは ( 大仆旅人 ) : ・ 〔三五一〕よのなかを・なににたとへむ ( 沙彌滿誓 ) : 〔煢となはのうらゆ・そがひにみゆる ( 山部赤人 ) ・ : ・一五四 V い

2. 萬葉秀歌 上巻

〔三三 0 しるしなき・ものをおもはずは ( 大伴旅人 ) ・ ロ五 0 むこのうらを・こぎたむをぶね ( 山部赤人 )•• 〔三七五〕よしぬなる・なつみのかはの ( 湯原王 ) : 〔一元 0 〕かるのいけの・うらみゆきめぐる ( 紀皇女 ) 〔三突〕みちのくの・まぬのかやはら ( 笠女郎 ) : ・ 〔四一六〕ももったふ・いはれのいけに ( 大津皇子 )••・ 〔四一 0 とよくにの・かがみのやまの ( 手持女王 ) : ・ 〔四一九〕いはとわる・たちからもがも ( 手持女王 )••・ 〔四一 6 〕やくもさす・いづものこらが ( 柿本人麿 ) : 〔四一一三〕われもみつ・ひとにもっげむ ( 山部赤人 ) : 〔四異〕わぎもこが・みしとものうらの ( 大伴旅人 ) : ・ 〔四四九〕いもとこし・みぬめのさきを ( 大伴旅人 ) : ・ 〔四五二〕いもとして・ふたりつくりし ( 大俘旅ん ) : 〔四を〕あしひきの・やまさへひかり ( 大伴家持 )•• 卷第四 〔哭六〕やまのはに・あちむらさわぎ ( 舒明天皇 ) : ・ 〔哭 0 きみまっと・わがこひをれば ( 額田王 ) : ・ 一六 0 一六四 ・一六五 ・一セ五

3. 萬葉秀歌 上巻

穴へ 0 つねしらぬ・みちのながてを ( 山上憶良 ).. ・ 〔兊三〕よのなかを・うしとやさしと ( 山上憶良 ) : 穴九 0 なぐさむる・こころはなしに ( 山上憶良 ) : 穴究」すべ、なく・くるしくあれば ( 山上憶良 ) : 〔き五〕わかければ・みちゅきしらじ ( 山上憶良 ) : ( 九冥〕ふせきて・われはこひのむ ( 山上憶良 ).•・ 卷第六 〔九兄〕やまたかみ・しらゆふはなに ( 笠金村 )•• 〔九一 0 おきっしま・ありそのたまも ( 山部赤人 ) ・ 〔九一九〕わかのうらに・しほみちくれば ( 山部赤人 ) : 〔九一一四〕みよしぬの・きさやまのまの ( 山部赤人 ) : 〔九二五〕ぬばたまの・よのふけぬれば ( 山部赤人 ) : 〔九四四〕しまがくり・わがこぎくれば ( 山部赤人 ) : 〔会五〕かぜふけば・なみかたたむと ( 山部赤人 ) : 〔九穴〕ますらをと・おもへるわれや ( 大伴旅人 . ) : ・ 〔九当〕ちょろづの いくさなりとも ( 高橋蟲麿 ) : 〔空四〕ますらをの - ゆくとふみちぞ ( 聖武天皇 )••・ ・一三 0 ・一 60 一一 0 四 を 11 】

4. 萬葉秀歌 上巻

ものでこの歌に似てゐる。遊行女婦あたりのロ吻だから、東歌の中にはかういふ類のもの も交ってゐることが分かる。 0 つくし たなび ここにあて筑紫ゃいづく白雲の棚引く山の かた 方にしあるらし〔卷四・五七四〕 大件旅人 大伴旅人が大納言になって歸京した。太宰府に殘って、觀世音寺造營に從ってゐた沙彌滿 第から『眞十鏡見飽かぬ君に後れてや旦タにさび「 0 居らむ』釡一 ) 等 0 歌を贍 0 た。そ れに和、た歌である。旅人の歌調は太く、餘り剽輕に物をい、なかったところがあった。讚 酒歌でも、『猿にかも似る』といっても、人を笑はせないところがある。旅人の歌調は、顫 が少いが、家持の歌調よりも太い。 きみ すべ 君に戀ひいたも術なみ平山の松がに立ち なげ 嘆くかも〔卷四・五九三〕 笠女郞 ならやま やま

5. 萬葉秀歌 上巻

〔「発〕あべのしま・らのすむいそに ( 山部赤人・ 〔四一一 0 こもりくの・はっせのやまの ( 柿本人 づものこらは ( 柿本人窘 )•• 〔四元〕やまのまゆ・い 〔四吾〕ゆくさには・ふたりわがみし ( 大俳族人 ) ・ 〔一〕ひともなき・むなしきいへは ( 大件旅人 )•' ・ ・うゑしうめのき ( 大伴旅人 )••・ 〔四五三〕わぎもこが 〔犬とあふみちの・とこのやまなる ( 舒明天皇 ) : 「四兊〕かぜをだに・こふるはともし ( 鏡王女 ) : ・ 〔四発」いにしへに・ありけむひとも ( 柿本人窘 ) : 〔吾六〕わがせこは・ものなおもほし ( 安倍女郎 ) ・ いへのこどもの ( 山上憶良 )••・ 〔九 8 〕とみびとの・ 〔合一〕あらたへの・ぬのぎぬをだに ( 山上憶良 ) : ・ 〔・ ~ 四】一〕たまもかる・からにのしまにハ山部赤人 ) : 〔突凸おほならば・かもかもせむを ( 遊行女婦兄島・ ・くもがくりたり ( 遊行女婦兄島 ) ・ 「突六〕やまとちは 〔一一孟〕うちがはは・よどせなからし ( 作者不詳 ) : 〔一一元〕ちはやびと・うちかはなみを ( 作者不詳 ) ・ : 〔一一六 0 〕なにはがた・しほひにたちて ( 作者不詳 ) ・ : ・一七三 ・一 6 三 ・三六 ・一一三六 ・一三六 XViIi

6. 萬葉秀歌 上巻

口一五凸あまざかる・ひなのながちゅ ( 柿本人窘 )••・ 〔一一六一一〕やつりやま・こだちもみえず ( 柿本人麿 )••・ 〔二癶四〕もののふの・やそうちがはの ( 柿本人麿 )••・ 〔一一六五」くるしくも・ふりくるあめか ( 長奥麻呂 ) : 〔一一六六〕あふみのうみ・ゅふなみちどり ( 柿本人麿 )••・ 「一一六七」むささびは・こぬれもとむと ( 志貴皇子 ) ・ : 〔一一七 0 〕たびにして・ものこほしきに ( 高市黒人 ) : 〔一三〕さくらだへ・たづなきわたる ( 高市黒人 ) : 〔一一七五〕いづくにか・われはやどらむ ( 高市黒人 ) : ・ 〔一一七〕とくきても・みてましものを ( 高市黒人 )••・ 〔二全〕ここにして いへやもいづく ( 石上卿 ) ・ : 〔一一発〕ひるみれど・あかぬたごのうら ( 田口益人 ) : 〔一一一一 0 たどのうらゆ・うちいでてみれば ( 山部赤人 )•• 〔一三 0 あをによし・ならのみやこは ( 小野老 ) : ロ三〕わがさかり・またをちめやも ( 大伴族人 ) : 〔壷一一〕わがいのちも・つねにあらぬか ( 大伴旅人 ) : 〔三実〕しらぬひ・つくしのわたは ( 沙彌滿誓 ) ・ : 〔三毛〕おくららは ・いまはまからむ ( 山憶良 ) : ・一五四

7. 萬葉秀歌 上巻

〔吾凸いまさらに・なにをかおもはむ ( 安倍女郎 ) ・ : 〔五一三〕おほはらの・このいっしばの ( 志貴皇子 ) ・ : 〔五三〕にはにたっ・あさてかりほし ( 常陸娘子」・ : 〔五七四」ここにありて・つくしゃいづく ( 大件振人 ) : ・ 〔五九 = 一〕きみにこひ・いたもすべなみ ( 笠女郎 ) ・ : 〔六 00 あひおもはぬ・ひとをおもふは ( 笠女郎 ) : 〔六一一凸おきへゆき・ヘにゆきいまやハ高安王 )••・ 〔六七 0) つくよみの・ひかりにきませ「湯原王 ) : 〔セ兄〕ゅふやみは・みちたづたづし ( 大宅女 )••・ 電六九〕ひさかたの・あめのふるひを ( 大件家持 ) : 卷第五 〔三〕よのなかは・むなしきものと ( 大伴旅人 )•• 〔七発〕くやしかも・かくしらませば ( 山止憶良 ) : 心九 0 いもがみし・あふちのはなは ( 山上憶良 )•• 〔七究〕おほぬやま・きりたちわたる ( 山上憶良 ) : 〔合一〕ひさかたの・あまちはとほし ( 山上憶良 ) : 穴 9 こしろがねも・くがねもたまも ( 山上憶良」 : ・天三 ・元 0 一突 Xii

8. 萬葉秀歌 上巻

トも わぎもこ み うらむろ 吾妹子が見し鞆の浦の室の木は常世にあれど み 見し人ぞ亡会〔卷三・四四六〕 大件旅人 太宰帥大伴旅人が、天平一一年冬十一一月、大納言になったので歸京途上、備後鞆の浦を過ぎ て詠んだ三首中の一首である。『室の木』は松杉科の常綠喬木、社松 ( 榁 ) であらう。當時 鞆の浦には榁の大樹があって人目を引いたものと見える。一首の意は、太宰府に赴任する時 むろき には、妻も一しょに見た鞆の浦の室の木は、今も少しも變りはないが、このたび歸京しよう として此處を通る時には妻はもう此世にゐない、といふので、『吾妹子』と、『見し人』とは 同一人である。『人』は後、『根はふ室の木見し人』、『人も無き空しき家』といってある如 、妻・吾妹子の意味に『人』を用ゐてゐる。旅人の歌は明快で、顫動が足りないともおも ふが、『見し人そ亡き』に詠歎が籠ってゐて感深い歌である。 ひと 0 171

9. 萬葉秀歌 上巻

參考とすることが出來る。 さかり をち みやこ わが盛また若めやもほとほとに寧樂の京を 見ずかなりなむ〔卷三・三三一〕 大件旅人 おほとものたびと 太宰帥大伴旅人が、筑紫太宰府にゐて詠んだ五首中の一つである。旅人は六十一一、 = 一歳頃 ( 溿龜三四年 ) 太宰帥に任ぜられ、天平一一年大納言になって兼官の儘上京し、天平 = 一年六十七 歳で薨じてゐる。そこで此歌は、六十三、四歳ぐらゐの時の作だらうと想像せられる。 一首の意は、吾が若い盛りが二たび還って來ることがあるだらうか、もはやそれは叶はぬ ことだ。かうして年老いて邊土に居れば、寧樂の都をも見ずにしまふだらう、といふので、 『をつ』といふ上二段活用の語は、元〈還ることで、若が、ることに用ゐてゐる。『昔見し より變若ましにけり』 ( 卷四・六五 0 ) は、昔見た時よりも却って若返ったといふ意味で、旅人 の歌の、『變若』と同じである。 旅人の歌は、彼は文學的にも素養の豐かな人であったので、極めて自在に歌を作ってゐる し、寧ろ思想的抒情詩といふ方面にも開拓して行った人だが、歌が明快なために、一首の聲 153

10. 萬葉秀歌 上巻

し とき なかむな 世の中は空しきものと知る時しいよよますま かな り「卷五・七九三〕 大件旅人 す悲しかりけ おほとものいらつめ おはとものたびと 大伴旅人は、太宰府に於て、妻大伴郎女を亡くした ( 科龜五年 ) 。その時京師から弔間が來 こた しきり たのに報へた歌である。なほこの歌には、『調故重疉し、凶問累に集る。永く崩心の悲みを なみだ いた のみ 懷き、獨り斷膓の泣を流す。但し兩君の大助に依りて、傾命纔に繼ぐ耳。筆言を盡さず、古 今の歎く暫なり』といふ詞書が附いてゐる。傾命は老齡のこと。兩君は審かでない。 一首の意は、世の中が皆空・無常のものだといふことを、現實に知ったので、今迄よりも ますます悲しい、といふのである。 『知る時し』は、知る時に、知った時にといふ事であるが、今迄は經文により、詭敎によ けん 、萬事室寂無常のことは聞及んでゐたが、今現に、自分の身に直接に、眼のあたりに、今 の言葉なら、體驗したといふ程のことを、『知る』と云ったのである。同じ用例には、『うつ 卷第 ( 五 1 新