御製 - みる会図書館


検索対象: 萬葉秀歌 上巻
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1. 萬葉秀歌 上巻

0 あをぐもほしさか きたやま 北山につらなる雲の靑雲の星離りゆ会月も て〔卷二・一六ご 持統天皇 天武天皇崩御の時、皇后 ( 後の持統天皇 ) の詠まれた御歌である。原文には一書曰、太上天 皇御製歌、とあるのは、文武天皇の御世から見て持統天皇を太上天皇と中奉った。印ち持統 天皇御製として言俥へられたものである。 つらな 一首は、北山に連ってたなびき居る雲の、靑雲の中の ( 蒼き空の ) 星も移り、月も移って 行く。天皇おかくれになって萬づ過ぎゅく御心持であらうが、ただ思想の綾でなく、もっと 具體的なものと解していい。 大體右の如く解したが、此歌は實は難解で種々の説がある。『北山に』は原文『向南山』 である。南の方から北方にある山科の御陵の山を望んで『向南山』と云ったものであらう。 『つらなる雲の』は原文『陣 ( 陳 ) 雲之』で舊訓タナビククモノであるが、古寫本中ツ一フナル クモノと訓んたのもある。けれども古來ツ一フナルクモといふ用例は無いので、山田博士の如 きも舊訓に從った。併しツ一フナルクモも可能訓と謂はれるのなら、この方が型を破って却っ つき

2. 萬葉秀歌 上巻

を遣さる、その御軍の手ならしを京にてあるに、苡吹のこゑ鞆の音など ( 弓弦のともにあた りて鳴音也 ) かしかましきを聞し召て、御位の初めに事有をなげきおもほす御心より、かく はよみませしなるべし。此大御哥にさる事までは聞えねど、次の御こたへ哥と合せてしるき 也』とある。 みなべのひめみこ 御答歌といふのは、御名部皇女で、皇女は天皇の御姉にあたらせられる。『吾が大王もの すめかみ な思ほし皇の嗣ぎて賜へる吾無けなくに』 ( 卷一・七七 ) といふ御答歌で、陛下よどうぞ御心 配あそばすな、わたくしも皇祖禪の命により、いつでも御名代になれますものでございます から、といふので、『吾』は皇女御自身をさす。御製歌といひ御答歌といひ、まことに緊張 した境界で、戀愛歌などとは違った大きなところを感得しうるのである。個人を超えた集團、 國家的の緊張した心の世界である。御製歌のすぐれておいでになるのは中すもかしこいが、 御姉君にあらせられる皇女が、御妹君にあらせらるる天皇に、かくの如き御歌を奉られたと いふのは、後代の吾等拜誦してまさに感涙を流さねばならぬほどのものである。御妹君にお むかひ、『吾が大王ものな思ほし』といはれるのは、御妹君は一天萬乘の現祚の天皇にまし ますからである。 土はきみ 8

3. 萬葉秀歌 上巻

きた 『らし』といふのは、推量だが、實際を目前にしつついふ推量である。『來る』は良行四 キタレド ハルキタルラ・ ) 段の動詞である。『み冬つき春は吉多禮登』 ( 卷十七・三九〇一 ) 『冬すぎて暖來良思』 ( 卷十 , 一 八四四 ) 等の例がある。この歌は、全體の聲調は端厳とも謂ふべきもので、第二句で、『來る 0 0 0 0 らし』と切り、第四句で、『衣ほしたり』と切って、『らし』と『たり』で伊列の音を繰返し、 一踵の節奏を得ているが、人麿の歌調のやうにくゆらぐといふのではなく、やはり女性に まします御語氣と感得することが出來るのである。そして、結句で『天の香具山』と名詞止 めにしたのも一首を整正端厳にした。天皇の御代には人麿・黑人をはじめ優れた歌人を出し たが、天皇に此御製あるを拜誦すれば、決して偶然でないことが分かる。 この歌は、第二句ナッキニケ一フシ ( 舊訓 ) 、古寫本中ナッゾキヌ一フシ ( 元脣校本・類聚古集 ) で あったのを、契沖がナッキタル一フシと訓んだ。第四句コロモサラセリ ( 舊訓 ) 、古寫本中、コ ロモホシタリ ( 古葉略類聚抄 ) 、コロモホシタル ( 神田本 ) 、コロモホステフ ( 細井本 ) 等の訓が 0 0 0 0 0 0 あり、また、新古今集や小倉百人一首には、『春過ぎて夏來にけらし白妙の衣ほすてふあまの 香具山』として載ってゐるが、これだけの僅かな差別で一首全體に大きい差別を來すことを 知らねばならぬ。現在鴨公村高殿の土壇に立って香具山の方を見渡すと、この御製の如何に 實地的卲ち寫生的だかといふことが分かる。眞淵の萬葉考に、『夏のはじめつ比、天皇埴安

4. 萬葉秀歌 上巻

やま あぢむらさわ われ 山の端に味鳬群騷ぎ行くなれど吾はさぶしゑ きみ 君にしあらねば〔卷四・四八六〕 舒明天皇 岳本天皇御製一首並短歌とある、その短歌である。岳本天皇は印ち舒明天皇を申奉るので あるが、御製歌には女性らしいところがあるので、左注には後岳本天皇印ち齊明天皇の御製 ではなからうかと疑間を附してゐる。それだから此疑問は隨分古いものだといふことが分か るが、その精しい考證は現在の私には不可能である。攷證では、『この御製は、女をおぼし めして詠せ給ふにて』と明かにしてゐる。 あぢがも 一首の意は、山の端をば味鴨が群れ鳴いて、騷ぎ飛行くやうに、多くの人が通り行くけれ ども、私は寂しうございます、その人々はあなたではありませぬから、といふので、やはり 女性の歌として解釋するのである。そんなら作者は後岳本天皇印ち齊明天皇にましますかと いふに、それも私にはよく分からぬ。ただ岳本天皇御製とあるのだから、天皇がかういふ戀 第四 175

5. 萬葉秀歌 上巻

0 おかみ ゆきくだけそ わが岡の祺に言ひて降らしめし雪の摧し共 藤原夫人 處に散りけむ〔卷二・一〇四〕 おかみ 藤原夫人が、前の御製に和へ奉ったものである。神といふのは支那ならば龍のことで、 水や雨雪を支配するである。一首の意は、陛下はさうおっしゃいますが、そちらの大雪と おっしやるのは、實はわたくしが岡の霊禪に御祈して降らせました雪の、ほんの摧けが飛ば っちりになったに過ぎないのでございませう、といふのである。御製の御揶揄にして劣ら ぬュウモアを漂はせてゐるのであるが、やはり親愛の心こまやかで棄てがたい歌である。そ れから、御製の方が大どかで男性的なのに比し、夫人の方は心がこまかく女性的で、技巧も こまかいのが特色である。歌としては御製の方が優るが、天皇としては、かういふ女性的な 和へ歌の方が却って御喜になられたわけである。 をか くだ

6. 萬葉秀歌 上巻

る。そこで、天皇の御住ひが大島の嶺にあればよいといふのではあるまい。若しさうだと、 歌は平几になる。或は通俗になる。ここは同じことを繰返してゐるので、古調の單純素朴が あらはれて來て、優秀な歌となるのである。前の三山の御歌も傑作であったが、この御製に なると、もっと自然で、こだはりないうちに、無限の情緒を仲へてゐる。聲調は天皇一流の 大きく強いもので、これは御氣魄の反映にほかならないのである。『家も』の『も』は『を も』の意だから、無論王女を見たいが、せめて『家をも』といふので、強めて詠歎をこもら せたとすべきであらう。 この御製は戀愛か或は廣義の往來存間か。語氣からいへば戀愛だが、天皇との關係は審か でない。また天武天皇の十二年に、王女の病篤かった時天武天皇御自ら臨幸あった程である から、その以前からも重んぜられてゐたことが分かる。そこでこの歌は戀愛歌でなくて安否 を問ひたまうた御製だといふ説 ( 山田博士 ) がある。足歿後の御製ならば或はさうであらう。 併し事實はさうでも、感情を主として味ふと廣義の戀愛情調になる。

7. 萬葉秀歌 上巻

うか。この歌の稍主観的な語は、『わが欲りし』と、『底ふかき』とであって、知らず識らす あひ對してゐるのだが、それが毫も目立ってゐない。 るなぬ なすぎやまっぬ 高市黒人の歌に、『吾妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いっか示さむ』 ( 卷三・二七九 ) があり、この歌より明快だが、却って通俗になって輕くひびく。この場合の『見せつ』は、 『吾妹子に猪名野をば見ぜっ』だから、普通のいひ方で分かりよいが含蓄が無くなってゐる。 現に中皇命の御歌も、或本には、『わが欲りし子島は見しを』となってゐる。これならば意 味は分かりよいが、歌の味ひは減るのである。第一首の、『君が代も我が代も知らむ知れや いはしろ くさね 磐代の岡の草根をいざ結びてな』 ( 一〇 ) も、生えてをる草を結んで壽を祝ふ歌で、『代』は 『いのち』印ち壽命のことである。まことに佳作だから一しょにして味ふべきである。以上 の三首を億良の類聚歌林には、『天皇御製歌』とあるから、皇極 ( 齊明 ) 天皇と想像し奉り、 その中皇命時代の御作とでも想像し奉るか。 かぐやま みみなしやま 香具山と耳梨山と會ひしとき立ちて見に來し いなみくにはら 天智天皇 印南國原箞一・一四〕

8. 萬葉秀歌 上巻

も秀歌として取扱はれて來た。そこで注釋家の間に寓意説、例へば守部の、『此歌は、天皇 を安見知し吾大君と中し馴て、皇子を安見す御子と中す事のあるに、此采女が名を、安見子 と云につきて、今吾安見子を得て、既に天皇の位を得たりと戲れ給へる也。されば皆人の得 がてにすと云も、采女が事のみにはあらず、天皇の御位の凡人に得がたき方をかけ給へる御 詞也。又得たりと云言を再びかへし給へるも、共御戲れの旨を慥かに聞せんとて也。然るに かやうなるをなほざりに見過して、萬葉などは何の巧も風情もなきものと思ひ過めるは、實 におのれ解く事を得ざるよりのあやまりなるぞかし』 ( 萬葉緊要 ) の如きがある。けれどもさ ういふ説は一つの穿ちに過ぎないとおもふ。この歌は集中佳作の一つであるが、興に乘じて 一氣に表出したといふ種類のもので、沈灣重厚の作といふわけには行かない。同じく句の繰 返しがあっても前出天智天皇の、『妹が家も繼ぎて見ましを』の御製の方がもっと重厚であ る。これは作歌の態度といふよりも性格といふことになるであらうか、そこで、守部の説は 穿ち過ぎたけれども、『戯れ給へる也』といふところは一部常ってゐる。

9. 萬葉秀歌 上巻

ますらを おも 丈夫の行くとふ道ど凡ろかに念ひて行くな丈 らを 聖武天皇 夫の件〔卷六・九七四〕 聖武天皇御製。天平四年八月、節度使の制を東海・東山・山陰・西海の四道に布いた。聖 武天皇が共等の節度使等が任に赴く時に、酒を賜はり、この御製を作りたまうた。その長歌 の反歌である。 一首は、今出で立っ汝等節度使の任は、まさに大丈夫の行くべき行旅である。ゅめおろそ かに思ふな、大丈夫の汝等よ、と宣ふので、功ををさめて早く歸れといふ大御心が含まれて ゐる。『行くとふ』の『とふ』は『といふ』で、天地のことわりとして人のいふ意である。 ももくさことこも 『おほろかに』は、おほよそに、輕々しく、平凡にぐらゐの意で、『百種の言ぞ隱れるおほ みかまかで ろかにすな』 ( 卷八・一四五六 ) 、『おほろかに吾し思はば斯くばかり難き御門を退り出めやも』 ( 卷十一・二五六八 ) 等の例がある。御製は、調べ大きく高く、御慈愛に滿ちて、闊逹至極のも のと拜誦し奉る。『大君の邊にこそ死なめ』の語のおのづからにして口を漏るるは、國民の 亭」すくに 自然のこゑたといふことを念はねばならぬ。短歌はかくの如くであるが、長歌は、『食國の、 おほ ます 220

10. 萬葉秀歌 上巻

九六二 ) 等である。 續王が配流されたといふ記録は、書紀には因幡とあり、常陸風土記には行方郡板來村と してあり、この歌によれば伊勢だから、配流地はまちまちである。常陸の方は仲説化したも のらしく、因幡・伊勢は配流の場處が途中變ったのだらうといふ詭がある。さうすれば詭明 が出來るが、萬葉の歌の方は伊勢として味ってかまはない。 はるす きた ころも あめか 赤過ぎて夏來るらし白妙の衣ほしたう天の香 ぐやま 持統天皇 持統天皇の御製で、藤原宮址は現在高市郡鴨公村大字高殿小學校隣接の俥説地土壇を中心 とする敷地であらうか。藤原宮は持統天皇の四年に高市皇子御視察、十二月天皇御視察、六 年五月から造營をはじめ八年十二月に完成したから、恐らくは八年以後の御製で、宮殿から 眺めたまうた光景ではなからうかと拜察せられる。 一首の意は、春が過ぎて、もう夏が來たと見える。天の香具山の邊には今日は一ばい白い 衣を千してゐる、といふのである。 しろたへ