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検索対象: 萬葉秀歌 上巻
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1. 萬葉秀歌 上巻

ャも やまと 島隱う吾が榜ぎ來れば羨しかも大和へのぼる ふね 眞熊野の船〔卷六・九四四〕 山部赤人 山部赤人が、辛島を過ぎて詠んだ長歌の反歌である。辛荷島は播磨國室津の沖にある島 である。一首の意は、島かげを舟に乘って榜いで來ると、羨しいことには、大和〈のぼる熊 野の舟が見える、といふので、旅にゐて家鄕の大和をおもふのは、今から見ればただの常套 手段のやうに見えるが、當時の人には、さういふ常套語が、既に一種の感動を伴って聞こえ て來たものと見える。『眞熊野の舟』は、熊野舟で、熊野の海で多く乘ったものであらう。 攷證に、『紀州熊野は良材多かる所なれば、その材もて作りたるよしの謂か。さればそれを 本にて、いづくにて作れるをも、それに似たるをば熊野舟といふならん。集中、松浦船・伊 豆手船・足柄小船などいふあるも、みなこの類とすべし』とあり、『渺囘榜ぐ熊野舟つきめ づらしく懸けて思はぬ月も日もなし』 ( 卷十二・三一七二 ) の例がある。『羨しかも』は、『羨し きかも』と同じだが當時は終止言からも直ぐ績けた。結句は、『眞熊野の船』といふ名詞止 めで、『棚無し小船』などの止めと同じだが、『の』が入ってゐるので、それだけの落著があ

2. 萬葉秀歌 上巻

は理窟に合はぬところがあると見えて、解釋上の異見もあったのである。 あなしがはかはなみた まきむく ゆっき たけ くもゐた 痛足河河浪立ちぬ卷目の由槻が嶽に雲居立て るらし〔卷七・一〇八七〕 柿本人歌集 あなしがは まきむ′、 柿本人麿歌集にある歌で、詠雲の中に收められてゐる。痛足河は、大和磯城郡纏向村にあ り、纏向山 ( 向山 ) と三輪山との間に源を發し、西流してゐる川で今は卷向川と云ってゐ あなし ゆっき るが、當時は痛足川とも云っただらう。近くに穴師 c 痛足 ) の里がある。山槻が嶽は卷向山 の高い一峰だといふのが大體間違ない。一首の意は、痛足河に河浪が強く立ってゐる、恐ら く卷向山の一峰である由槻が嶽に、雲が立ち雨も降ってゐると見える、といふので、既に由 槻が嶽に雲霧の去來してゐるのが見える趣である。強く荒々しい歌調が、自然の動運をさな がらに象徴すると看ていい。第二句に、『立ちぬ』、結句に『立てるらし』と云っても、別に 耳障りしないのみならず、一首に三つも固有名詞を入れてゐる點なども、大膽なわざたが、 作者はただ心の儘にそれを實行して毫もこだはることがない。そしてこの單純な内容をば、 莊重な響を以て統一してゐる點は實に驚くべきで、恐らくこの一首は人麿自身の作だらうと

3. 萬葉秀歌 上巻

うとも、私には天皇の面影がいつも見えたまうて、忘れようとしても忘れかねます、といふ のであって、獨詠的な特徴が存してゐる。 『玉かづら』は日蔭蔓を髮にかけて飾るよりカケにかけ、カゲに懸けた枕詞とした。山田 けまん 博士は葬儀の時の華縵として單純な枕詞にしない詭を立てた。この御歌には、『影に見えっ っ』とあるから、前の御歌もやはり寫象のことと解することが出來るとおもふ。『見し人の 言問ふ姿面影にして』 ( 六 OII) 、『面影に見えつつ妹は忘れかねつも』 ( 一六三〇 ) 、『面影に懸 かりてもとな思ほゆるかも』 ( 二九〇〇 ) 等の用例が多い。 この御歌は、『人は縱し思ひ止むとも』と強い主観の詞を云ってゐるけれども、全體とし ては前の二つの御歌よりも寧ろ弱いところがある。それは恐らく下の句の聲調にあるのでは なからうか。 やましみづく やまぶき 山吹の立ちょをひたる山淸水汲みに行かめど し みち 高市皇子 道の知らなく〔卷ニ・一五八〕 たけちのみこ 十市皇女が薨ぜられた時、高市皇子の作られた三首の中の一首である。十市皇女は天武天 102

4. 萬葉秀歌 上巻

やまぢ 秋山の黄葉を茂み迷はせる妹を求めむ山道知 , りずも「卷二・二〇八〕 柿本人 これは人營が妻に死なれた時詠んだ歌で、長歌を二つも作って居り、その反歌の一つであ かるさと る。この人營の妻といふのは輕の里 ( 今の畝傍町大軽和田石川五條野 ) に住んでゐて、共處に 人麿が通ったものと見える。この妻の急に死んだことを使の者が知らせた趣が長歌に見えて ゐる。 一首は、自分の愛する妻が、秋山の黄葉の茂きがため、その中に迷ひ入ってしまった。そ の妻を尋ね求めんに道が分からない、といふのである。 死んで葬られることを、秋山に迷ひ入って隱れた趣に歌ってゐる。かういふ云ひ方は、現 世の生の連績として遠い處に行く趣にしてある。當時は米ださう信じてゐたものであっただ らうし、そこで愛惜の心も強く附帯してゐることとなる。『迷はせる』は迷ひなされたとい ふ具合に敬語にしてゐる。これは死んだ者に對しては特に敬語を使ったらしく、その他の人 麿の歌にも例がある。この一首は亡妻を悲しむ心が極めて切實で、ただ一氣に詠みくだした あきやま もみち いも 116

5. 萬葉秀歌 上巻

類してゐるが、内容は戀歌で、鴨に寄せたのだといへばさうでもあらうが、もっと直接で、 どなたかに差し上げた御歌のやうである。單に内容からいへば、讀人知らずの民謠的な歌に かういふのは幾らもあるが、この歌のよいのは、さういふ一般的でない皇女に印した哀調が 讀者に傳はって來るためである。土屋文明氏の萬葉集年表に、卷十一一 ( 三〇九八 ) に關する 言ひ俥を參照し、戀人の高安王が伊豫に左遷せられた時の歌だらうかと考へてゐる。 おもかげ かやはらとほ 陸奥の眞野の草原遠けども面影にして見ゆと 笠女郎 ふものを〔卷三・三九六〕 かさのいらつめ 笠女郎 ( 傳不詳 ) が大伴家持に贈った三首の一つである。『眞野』は、今の磐城相馬郡眞野 かやはら 村あたりの原野であらう。一首の意は、陸奧の眞野の草原はあんなに遠くとも面影に見えて 來るといふではありませぬか、それにあなたはちっとも御見えになりませぬ、といふのであ るが、なほ一説には『陸奥の眞野の草原』までは『遠く』に績く序詞で、かうしてあなたに 遠く離れてをりましても、あなたが眼前に浮んでまゐります。私の心持がお分かりになるで せう、と強めたので、『見ゆとふものを』は、『見えるといふものを』で、人が一般にいふや みちのく まぬ かやはら

6. 萬葉秀歌 上巻

その つくよ 四 ) 、『誰が苑の梅の花かも久方の淸き月夜に幾許散り來る』 ( 卷十・二三二五 ) 等の例がある。 この赤人の『幾許も騒ぐ』は、主に群鳥の聲であるが、鳥の姿も見えてゐてかまはぬし、若 干の鳥の飛んで見える方が却っていいかも知れない。また、結句の『かも』であるが、名詞 から績く『かも』を据ゑるのはむづかしいのだけれども、この歌では、『ここだも騒ぐ』に績 けたから聲調が完備した。さういふ點でも赤人の大きい歌人であることが分かる。 きょ ひさきお ぬばたまの夜の深けぬれは久木生ふる淸き河 ちり 原に千鳥しば鳴く〔卷六・九二五〕山部赤人 あかめがしは 赤人作で前歌と同時の作である。『久木』は印ち歴木、楸樹で赤目柏である。夏、黄綠の ひさぎ 花が喰く。一首の意は、夜が更けわたると楸樹の立ちしげつてゐる、景色よい芳野川の川原 に、千鳥が頻りに鳴いて居る、といふのである。 この歌は夜景で、千鳥の鳴聲がその中心をなしてゐるが、今度の行幸に際して見聞した、 芳野のいろいろの事が念中にあるので、それが一首の要素にもなって居る。『久木生ふる淸 き河原』の句も、現にその光景を見てゐるのでなくともよく、寫象として浮んだのであら か 213

7. 萬葉秀歌 上巻

いなみぬ 人作、これも八首中の一つである。稻日野は印南野とも云ひ、播磨の印南郡の東部印ち 加古川流域の平野と加古・明石三郡にわたる地域をさして云ってゐたやうである。約めてい へば、稻日野は加古川の東方にも西方にも亙ってゐた平野と解釋していい。可古島は現在の 高砂町あたりだらうと云はれてゐる。島でなくて埼でも島と云ったことは、伊良虞の島の やまとしま 條下で詭明し、また後に出て來る、倭島の條下でも明かである。加古は今は加古郡だが、も とは ( 明治二十一一年 ) 印南郡であった。 はかはか 一首の意は、廣々とした稻日野近くの海を航してゐると、舟行が捗々しくなく、種々もの おもひしてゐたが、やうやくにして戀しい加古の島が見え出した、といふので、西から東 ( 向って航してゐる趣の歌である。 さや 『稻日野も』の『も』は、『足引のみ山も淸に落ちたぎつ』 ( 九二〇 ) 「『筑波根の岩もとど ろに落つるみづ』 ( 三三九一 l) などの『も』の如く、輕く取っていいだらう。『過ぎがてに』 は、舟行が遲くて、廣々した稻日野の邊を中々通過しないといふので、舟はなるべく岸近く 漕ぐから、稻日野が見えてゐる趣なのである。『思へれば』は、彼此おもふ、いろいろおも ふの意で、此句と、前の句との間に小休止があり、これはやはり人麿的なのであるから、 『ものおもふ』ぐらゐの意に取ればいい。つまり旅の難儀の氣持である。然るに從來この甸 いなびぬ いなびぬ いらご

8. 萬葉秀歌 上巻

しな こま になると、感情のあらはし方も細ぐ、姿態も濃やかになってゐたものであらう。良寬の歌に 『月讀の光を待ちて歸りませ山路は栗のいがの多きに』とあるのは、此邊の歌の影響だが、 良寬は主に略解で萬葉を勉強し、むづかしくない、樂なものから入ってゐたものと見える。 ひとやまべ ひさかたの雨の降る日をただ獨う山邊に居れ いぶ は欝せかりけり〔卷四・七六九〕 大件家持 きのいらつめ 大伴家持が紀女郎に贈ったもので、家持はいまだ整はない新都の久京にゐて、平城にゐ た女郎に贈ったものである。『今しらすの嬾に逢はず久しくなりぬ行きてはや見な』 ( 七六八 ) といふのもある。この歌は、もっと上代の歌のやうに、蒼古といふわけには行かぬ が、歌調が伸々としてめて順直なものである。家持の歌の優れた一面を代表する一つであ らうか あめふ 7

9. 萬葉秀歌 上巻

單純に過ぎてしまはないため、餘韻おのづからにして長いといふことになる。 ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり み つき 見すれば月かたぶき箞一・四八〕柿本人 これも四首中の一つである。一首の意は、阿騎野にやどった翌朝、日出前の東天に既に曉 の光がみなぎり、それが雪の降った阿騎野にも映って見える。その時西の方をふりかへると、 もう月が落ちかかってゐる、といふのである。 この歌は前の歌にあるやうな、『古へおもふに』などの句は無いが、全體としてさういふ 感情が奧にかくれてゐるもののやうである。さういふ氣持があるために、『かへりみすれば 月かたぶきぬ』の句も利くので、先師伊藤左千夫が評したやうに、『稚氣を脱せず』といふ のは、稍酷ではあるまいか。人麿は斯く見、斯く感じて、詠歎し寫生してゐるのであるが、 それがち犯すべからざる大きな歌を得る所以となった。 『野に・かぎろひの』のところは所謂、句割れであるし、『て』、气ば』などの助詞で績け て行くときに、たるむ虞のあるものだが、それをたるませすに、却って一種渾沌の調を成就 み

10. 萬葉秀歌 上巻

られないといふやうに解するやうになる。守部の解は常識的には道理に近く、或は作者はさ ういふ意圖を以て作られたのかも知れないが、歌の鑑賞は、字面にあらはれたものを第一義 とせねばならぬから、おのづから私の解釋のやうになるし、それで感情上決して不自然では ない。 第二句、『立儀足』は舊訓サキタルであったのを代匠記がタチョソヒタルと訓んだ。その 他にも異訓があるけれども大體代匠記の訓で定まったやうである。ョソフといふ語は、『水 鳥のたたむョソヒに』 ( 卷十四・三五二八 ) をはじめ諸例がある。『山吹の立ちよそひたる山淸 水』といふ句が、既に寫象の鮮明なために一首が佳作となったのであり、一首の意味もそれ で押とほして行って味へば、この歌の優れてゐることが分かる。古調のいひ難い妙味がある と共に、意味の上からも順直で無理が無い。黄泉云々の事はその奥にひそめつつ、挽歌とし ての關聯を鑑賞すべきである。なぜこの歌の上の句が切實かといふに、『かはづ鳴く甘南備 河にかげ見えて今か険くらむ山吹の花』 ( 巻八・一四一 = 五 ) 等の如く、當時の人々が愛玩した花 だからであった。 104