赤人 - みる会図書館


検索対象: 萬葉秀歌 上巻
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1. 萬葉秀歌 上巻

ひと われも見つ人にも告げむ葛飾の眞間の手兒名 おくつきころ 山部赤人 が奧津城處〔卷三・四三二〕 ままをとめ をとめ 山部赤人が下總葛飾の眞間娘子の墓を見て詠んだ長歌の反歌である。手兄名は處女の義だ といはれてゐる。『手兄』 ( 三三九八・三四八五 ) の如く、親の手兄といふ意で、それに親しみの をとめ 「な』の添はったものと云はれてゐる。眞間に美しい處女がゐて、多くの男から求婚された ため、入水した俥説をいふのである。俥詭地に來ったといふ旅情のみでなく、評判の傅詭娘 子に赤人が深い同情を持って詠んでゐる。併し徒らに激しい感動語を以てせずに、淡々とい ひ放って赤人一流の感懷を表現し了せてゐる。それが次にある、『葛飾の眞間の入江にうち 靡く玉藻苅りけむ手兄名しおもほゅ』 ( 四三三 ) の如きになると、餘り淡々とし過ぎてゐるが、 『われも見つ人にも告げむ』といふ簡潔な表現になると赤人の眞價があらはれて來る。後に なって家持が、『萬代の語ひ草と、未だ見ぬ、人にも告げむ』 ( 卷十七・四 0 〇〇 ) 云々と云っ て、この句を學んで居る。赤人は富士山をも詠んだこと既に云った如くだから、赤人は東國 まで旅したことが分から。 かっしか てこな てこな 170

2. 萬葉秀歌 上巻

穴へ 0 つねしらぬ・みちのながてを ( 山上憶良 ).. ・ 〔兊三〕よのなかを・うしとやさしと ( 山上憶良 ) : 穴九 0 なぐさむる・こころはなしに ( 山上憶良 ) : 穴究」すべ、なく・くるしくあれば ( 山上憶良 ) : 〔き五〕わかければ・みちゅきしらじ ( 山上憶良 ) : ( 九冥〕ふせきて・われはこひのむ ( 山上憶良 ).•・ 卷第六 〔九兄〕やまたかみ・しらゆふはなに ( 笠金村 )•• 〔九一 0 おきっしま・ありそのたまも ( 山部赤人 ) ・ 〔九一九〕わかのうらに・しほみちくれば ( 山部赤人 ) : 〔九一一四〕みよしぬの・きさやまのまの ( 山部赤人 ) : 〔九二五〕ぬばたまの・よのふけぬれば ( 山部赤人 ) : 〔九四四〕しまがくり・わがこぎくれば ( 山部赤人 ) : 〔会五〕かぜふけば・なみかたたむと ( 山部赤人 ) : 〔九穴〕ますらをと・おもへるわれや ( 大伴旅人 . ) : ・ 〔九当〕ちょろづの いくさなりとも ( 高橋蟲麿 ) : 〔空四〕ますらをの - ゆくとふみちぞ ( 聖武天皇 )••・ ・一三 0 ・一 60 一一 0 四 を 11 】

3. 萬葉秀歌 上巻

その つくよ 四 ) 、『誰が苑の梅の花かも久方の淸き月夜に幾許散り來る』 ( 卷十・二三二五 ) 等の例がある。 この赤人の『幾許も騒ぐ』は、主に群鳥の聲であるが、鳥の姿も見えてゐてかまはぬし、若 干の鳥の飛んで見える方が却っていいかも知れない。また、結句の『かも』であるが、名詞 から績く『かも』を据ゑるのはむづかしいのだけれども、この歌では、『ここだも騒ぐ』に績 けたから聲調が完備した。さういふ點でも赤人の大きい歌人であることが分かる。 きょ ひさきお ぬばたまの夜の深けぬれは久木生ふる淸き河 ちり 原に千鳥しば鳴く〔卷六・九二五〕山部赤人 あかめがしは 赤人作で前歌と同時の作である。『久木』は印ち歴木、楸樹で赤目柏である。夏、黄綠の ひさぎ 花が喰く。一首の意は、夜が更けわたると楸樹の立ちしげつてゐる、景色よい芳野川の川原 に、千鳥が頻りに鳴いて居る、といふのである。 この歌は夜景で、千鳥の鳴聲がその中心をなしてゐるが、今度の行幸に際して見聞した、 芳野のいろいろの事が念中にあるので、それが一首の要素にもなって居る。『久木生ふる淸 き河原』の句も、現にその光景を見てゐるのでなくともよく、寫象として浮んだのであら か 213

4. 萬葉秀歌 上巻

しほみ わかうら 若の浦に潮滿ち來れば潟を無み葦邊をさして わた たづな 山部赤人 鶴鳴会渡る〔卷六・九一九〕 わかはま 赤人の歌績き。『若の浦』は今は和歌の浦と書くが、弱濱とも書いた ( 績紀 ) 。また聖武天 ひがた 皇のこの行幸の時、明光の浦と命名せられた記事がある。『渇』は干潟の意である。 一首の意は、若の汕にだんだん潮が滿ちて來て、千潟が無くなるから、干潟に集まってゐ た澤山の鶴が、葦の生えて居る陸の方に飛んで行く、といふのである。 やはり此歌も淸潔な感じのする赤人一流のもので、『葦べをさして鶴鳴きわたる』は寫象 鮮明で旨いものである。また聲調も流動的で、作者の氣乘してゐることも想像するに難くは ない。『渇をなみ』は、赤人の要求であっただらうが、微かな『理』が潛んでゐて、もっと 古いところの歌ならかうは云はない。例 ( ば、既出の高市黒人作、『櫻田 ( 鶴鳴きわたる年 魚潟瀚干にけらし鶴鳴きわたる』 ( 卷三・二七一 ) の如きである。つまり『潟をなみ』の第 = 一句が弱いのである。これはもはや時代的の差違であらう。この歌は、古來有名で、敘景歌 の極地とも云はれ、遂には男波・女波・片男波の聯想にまで擴大して通俗化せられたが、さ かた あしべ 210

5. 萬葉秀歌 上巻

すれば、『眞白にぞ』の『に』に邪魔をするといふ微妙な點もあったのであらう。 赤人の此處の長歌も簡潔で旨く、その次の無名氏 ( 高橋迚蟲麿か ) の長歌よりも旨い。また 此反歌は古來人口に膾炙し、敍景歌の絶唱とせられたものだが、まことにその通りで赤人作 中の傑作である。赤人のものは、總じて健康體の如くに、淸潔なところがあって、だらりと した弛緩がない。ゅゑに、規模が大きく緊密な聲調にせねばならぬゃうな對象の場合に、他 の歌人の企て及ばぬ成功をするのである。この一首中にあって最も注意すべき二つの句、即 ち、第三句で、『眞白にぞ』と大きく云って、結句で、『雪は降りける』と連體形で止めたの あがき 0 0 0 0 0 0 は、柿本人麿の、『靑駒の足掻を速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて來にける』 ( 卷二・一三六 ) といふ歌と形態上甚だ似てゐるにも拘はらず、人麿の歌の方が強く流動的で、赤人の歌の方 は寧ろ淨勁とでもいふべきものを成就してゐる。古義で、『眞白くぞ』と訓み、新古今で、 『田子の浦に打出て見れば白妙の富士の高根に雪は降りつつ』として載ぜたのは、種々比較 もち みなづき して味ふのに便利である。また、無名氏の反歌、『不盡の嶺に降り置ける雪は六月の十五日 に消ぬればその夜降りけり』 ( 卷三・三二〇 ) も佳い歌だから、此處に置いて味っていい。 ( 附 記。山田博士の講義に、『田兄浦の内の或地より打ち出で見れはといふことにて足る筈なり。かくてそ の立てる地も田子浦の中たるなり』と論明して居る。 ) 151

6. 萬葉秀歌 上巻

0 0 0 0 0 門にさもらへど』 ( 卷二・一八四 ) の如く、伺候する意が本だが、轉じて様子を伺ふこととな おほなふね 0 0 0 0 みをかちぬ ワた。『大御舟泊ててさもらふ高島の三尾の勝野の渚し思ほゅ』 ( 卷七・一一士一 ) 、『朝なぎに 0 0 0 0 0 舳向け榜がむとさもらふと』 ( 卷二十・四三九八 ) 等の例がある。 この歌も、羇旅の苦しみを念頭に置いてゐるやうだが、さういふ響はなくて、寧ろ淸淡と も謂ふべき情調がにじみ出でてゐる。ことに結句の、『浦隱り居り』などは、なかなか落著 いた句である。そして讀過のすゑに眼前に光景の鯡かに浮んで來る特徴は赤人一流のもので、 古來赤人を以て敘景歌人の最大なものと稱したのも偶然ではないのである。吾等は短歌を廣 義抒情詩と見立てるから、敘景・抒情をば截然と區別しないが、總じて赤人のものには、激 越性が無く、靜かに落瞽いて、物を觀てゐる點を、後代の吾等は學んでゐるのである。 おも なみだ われみづくき みづき すらをと思へる吾や水莖の水城のうへに涕 大件旅人 蹙はむ箞六・九六八〕 大伴旅人が大納言に兼任して、京に上る時、多勢の見送人の中に兄島といふ迎律婦が居 みづき た。旅人が馬を水城 ( 貯水池の大きな堤 ) に駐めて、皆と別を惜しんだ時に、兄島は、『凡な 217

7. 萬葉秀歌 上巻

至る弓从をなす入海を上代の田兄浦とする』とした。 ましろ 田兒の浦ゅうち出でて見れば眞白にぞ不盡の ゆきふ たかね 高嶺に雪は降りける〔卷三・三一八〕山部赤人 やま・ヘのナ ( ねあかひとふじのやま 山部宿禰赤人が不盡山を詠んだ長歌の反歌である。『田兄の浦』は、古へは富士・廬原の 二郡に亙った海岸をひろく云ってゐたことは前言のとほりである。『田兒の浦ゅ』の『ゅ』 は、『より』といふ意味で、動いてゆく詞語に績く場合が多いから、此處は『打ち出でて』に つづく。『家ゅ出でて三年がほどに』、『足痛の川ゅ行く水の』、『野坂の浦ゅ船出して』、『山 まいづも の際ゅ出雲の兒ら』等の用例がある。また『ゅ』は見渡すといふ行爲にも關聯してゐるから、 『見れば』にも績く。『わが寢たる衣の上ゅ朝月夜さやかに見れば』、『海人の釣舟浪の上ゅ 見ゅ』、『舟瀬ゅ見ゆる淡路島』等の例がある。前に出た、『御井の上より鳴きわたりゆく』 の『より』のところでも言及したが、言語は流動的なものだから、大體の約東による用例に 據って極めればよく、それも幾何學の證明か何ぞのやうに堅苦しくない方がいい。つまり此 處で赤人はなぜ『ゅ』を使ったかといふに、作者の行爲・位置を示さうとしたのと、『に』と 150

8. 萬葉秀歌 上巻

ういふ俗説を洗ひ去って見て、依然として後にのこる歌である。萬葉集を通讀して來て、注 意すべき歌に標をつけるとしたら、從來の評判などを全く知らずにゐるとしても、標のつか る性質のものである。一般にいってもさういふいいところが赤人の歌に存じてゐるのである。 ただこの歌に先行したのに、黒人の歌があるから黒人の影響乃至模倣といふことを否定する わけには行かない。 卷十五に、『鶴が鳴き葦邊をさして飛び渡るあなたづたづし獨さ寢れば』 ( 三六二六 ) 、『沖 あさ 邊より潮滿ち來らし韓の浦に求食りする鶴鳴きて騷ぎぬ』 ( 三六四二 ) 等の歌があり、共に赤 人の此歌の模倣であるから、その頃から此歌は敬せられてゐたのであらう。 まとかた たづ なほ、『難波潟潮干に立ちて見わたせば淡路の島に鶴わたる見ゅ』 ( 卷七・一一六〇 ) 、『圓方 たづ す 0 」り の蔭の渚鳥浪立てや妻呼び立てて邊に近づくも』 ( 一一六二 ) 、『タなぎにあさりする鶴潮滿て おのづまよ ば沖浪高み己妻喚ばふ』 ( 一一六五 ) といふのもあり、赤人の此歌と共に置いて味ってよい歌 である。特に、『妻呼びたてて邊に近づくも』、『沖浪高み己妻喚ばふ』の句は、なかなか佳 いものだから看過しない方がよいとおもふ。 おきなみ 211

9. 萬葉秀歌 上巻

よしぬ きさやま さわ ) り・ み芳野の象山の際の木末には幾許も騷ぐ鳥の 山部赤人 こゑかも〔卷六・九二四、 聖武天皇訷龜一一年夏五月、芳野離宮に行幸の時、山部赤人の作ったものである。『象町』 のひだ一なか は芳野離宮の近くにある山で、『際』は『間』で、間とか中とかいふ意味になる。『奈良の山 の、山の際に、い隱るまで』 ( 卷一・一七 ) といふ額田王の歌の『山の際』も奈良山の連なっ て居る間にといふ意。此處では、象山の中に立ち繁ってゐる樹木といふのに落著く。 一首の意は、芳野の象山の木立の繁みには、實に澤山の鳥が鳴いて居る、といふので、中 味は單純であるが、それだけ此處に出てゐる中味が磨をかけられて光彩を放つに至ってゐる。 この歌も前の歌の如く下半に中心が置かれ、『ここだも騒ぐ鳥の聲かも』に作歌衝迫もおの あひたい づから集注せられてゐる。この光景に相對したと假定して見ても、『ここだも騒ぐ鳥の聲か も』とだけに云ひ切れないから、此歌はやはり優れた歌で、亡友島木赤彦も力説した如く、 ここだ 赤人傑作の一つであらう。『幾許』といふ副詞も注意すべきもので、集中、『禪柄か幾許曾 き』 ( 卷二こ三〇 ) 『妹が家に雪かも降ると見るまでに幾許もまがふ梅の花か」 ( 卷五・八四 こぬれ ここだ ここだ 212

10. 萬葉秀歌 上巻

る。第三句の、『羨しかも』は小休止があるので、前の歌の『渇を無み』などと同様、幾ら か此處で弛むが、これは赤人的手法の一つの傾向かも知れない。一首は、譽旅の寂しい情を 節めつつ、赤人的諧調音で統一せられた佳作である。この時の歌に、『玉藻苅る辛荷の島に しまみ 島囘する鵜にしもあれや家思はざらむ』 ( 九四三 ) といふのがある。これは若し鵜ででもあっ たら、家の事をおもはずに濟むだらう、といふので『羨しかも』といふ氣持と相通じてゐる。 鵜を捉へて詠んでゐるのは寫生でおもしろい。 かぜふ なみ ほそえ さもらひった 風吹けば浪か立たむと伺候に都多の細江に浦 山部赤人 隱り居〔卷六・九四五〕 赤人作で前歌の績である。『都多の細江』は姫路から西南、現在の津田・細江あたりで、 世んはがは 船場川の川口になってゐる。當時はなるべく陸近く舟行し、少し風が荒いと船を泊めたので、 かういふ歌がある。一首の意は、この風で浪が荒く立つだらうと、心配して様子を見ながら、 都多のー 月ロのところに結を寄せて隱れてをる、といふのである。第三句、原文『伺候爾』は、 舊訓マッホドニ。代匠記サモ一フフニ。古義サモ一フヒニ 9 この『さもらふ』は、『東の瀧の御 216