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検索対象: 萬葉秀歌 下巻
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1. 萬葉秀歌 下巻

かなくさまくらたこ いりぬ 吾が戀はさかも悲し草枕多胡の入野のく 東歌 もかなしも〔卷十四・三四〇三〕 上野國歌。『多胡』は上野國多胡郡。今は多野郡にした。『草枕』を『多胡』の枕詞とし タルミノ : 、ヅノハ シキャシ たのは、クビのタに續けたので變則の一つである。垂水之水能早敷八師 ( 卷十二・三〇二五 ) で、 ハヤシのハとハシキャシのハに績けたたぐひである。『入野』は山の方へ深く入りこんだ野 まさ といふ意味であらう。『まさか』は『正か』で、まさしく、現に、今、等の意に落著くだらう。 『梓弓すゑはし知らず然れどもまさかは君に縁りにしものを』 ( 卷十一一・二九八五 ) 、『しらがっ そひはりはら く木綿は花物ことこそは何時のまさかも常忘らえね』 ( 二九九六 ) 、『伊香保ろの傍の榛原ねも ゆりゆり ころに奥をな兼ねそ寸さかし善かば』 ( 卷十四・三四一〇 ) 、『さ百合花後も逢はむと思へこそ今 0 0 0 うるけ のまさかも愛しみすれ』 ( 卷十八・四〇八八 ) 等の例がある。一首の意は、自分の戀は、い寸現に こんなにも深く強い。多胡の入野のやうに ( 序詞 ) 奥の奥まで相かはらずいつまでも深くて強 い、といふのである。『まさかも』、それから、『おくも』と績いてをり、『かなし』を繰返し てゐるが、このカナシといふ音は何ともいへぬ響を俥へてゐる。民謠的に誰がうたってもい こひ 0 0 0 に 4

2. 萬葉秀歌 下巻

とをいろいろ氣を揉むことも背景にあって、なかなかおもしろい歌である。やはりこの卷 ( 一一 五五士 ) に、『垂乳根の母に中さげ君も我も逢ふとはなしに年ぞ經ぬべき』といふのもあるが、 これも母に話して承諾を得る趣で、これも娘心であるが、『母に陬らば』といふ方が直截でい この「障らば』をば、母の機嫌を害ふならばと解する説がある。これは「障』の川例に本 づく説であるが、『障りあらめやも』、『障り多み』、『障ることなく』等だけに據るとさうな るかも知れないが、『石の上ふるとも雨に關らめや妹に逢はむと云ひてしものを』 ( 眷四・六六 四 ) 。『他言はまこと熕くなりぬともそこにらむ吾ならなくに』 ( 卷十二・二八八六 ) 。『あしひ きの山野さはらず』 ( 卷十七・ = 九当 (i) 等は、卷四の例に『關』の字を當てた如く、『それに 拘はることなく、關係することなく』の意があるので、『山野さはらず』の如くに、そのため にげらるることなくといふのは第二に導かれる意味になるのであるから、この歌はやはり、 『母に關はることなく、拘泥することなく』と解釋していいと思ふ。また歌もさう解釋する 方がおもしろい。

3. 萬葉秀歌 下巻

はろはろ 卷十九 ( 四一九二 ) の霍公鳥井藤花を詠じた長歌に、『タ月夜かそけき野べに澄に鳴く 公鳥」とあるのも亦家持の作、『雲雀あがる春べとさやになりぬれげ都も見えす霞たなびく』 ( 卷二十・四四三四 ) も亦家持の作で、この方は卷十九のよりも制作年代が遲い天平勝寳士年三月 三日のは注意すべきである。なほ、その三月三日には安倍沙美が、『朝な朝なあがる雲雀 になりてしか都に行きてはや歸り來む』 ( 卷二十。四四三三 ) といふ歌を作ってゐるが、やはり 家持の影響とおもはれるふしがある。 この歌の左に、『春日遲遲として、鷦鵝正に啼く。悽惆の意、歌に非ずば、撥ひ難し。仍 りて此の歌を作り、式ちて締緖を展ぶ』云々といふ文が附いてゐる。鸙鷓は雲雀と訓ませて をり、和名抄でもさうたが、實は鶯に似た鳥だといふことである。 ひはり 1 と 0

4. 萬葉秀歌 下巻

もない女に偶然逢って、その後逢はない女に對する戀の切ないことを歌ったものである。『玉 かぎるほのかにだにも見えぬおもへば』 ( 卷二・二一〇 ) 、『玉かぎるほのかに見えて別れなば』 ( 卷八・一五二六 ) 等の例がある。この歌は男の心持になって歌ってゐる。 あめ 行けど行けど逢は妹ゅゑひさかたの天の露 じも 霜に濡れにけるかも〔卷十一・二三九五〕柿本人屆歌集 同上、人麿歌集出。行きつつ幾ら行っても逢ふ常のない戀しい女のために、かうして天の 霹霜に需れた、といふのである。苦しい調子でぼつりにつりと切れるのでなく、連續調子で のびのびと云ひあらはしてゐる。それは謂ゆる人麿調ともいひ得るが、それよりも寧ろ、こ の歌は民謠的の歌だからと解釋することも出來るのである。併し、この種類の歌にあっては やま 目立つものだから、その一代表のつもりで選んで置いた。『ぬばたまの黒髮山を朝越えて山 したっゅ 下露に汕れにけるかも』 ( 卷士・一一一四一 ) などと較べると、やはり此歌の方が旨い。 いも っゅ

5. 萬葉秀歌 下巻

一首の意は、「かなる間しづみ』までは序詞で、いろいろとうるさいなどが立つが、じっ とこら ( て、かうしてお前とおれは寢るのだよ、といふのである。代匠記に、『シノビテ通フ 所 = モ皆人ノ臥シヅ「ルヲ待テ兄等モ吾モ共 = 下紐解トナリ』と云ってゐる。結勺の、八一「〕 の中に、『兄ろ五〕紐解く』部ち、可哀い娘と己とがお五に著物の紐を解いて寐る、といふ複雜 なことを入れてあり、それが一首の眼目なのだから、調子がつまってなだらかに伸びてゐな い。それに上の方も順じて調子がやはり重く壓搾されてゐるが、全體としては進行的な調子 で、勞働歌の一踵と感ずることが出來る。恐らく足柄山中の樵夫などの間に行はれたもので あっただらう。調子も古く感じ方材料も古樸でおもしろいものである。 『荒男のい小箭手挾み向ひ立ちかなる間しづみ出でてと我が來る』 ( 卷二十 , 四四三〇 ) は『昔 年の防人の歌』とことわってあるが、此歌にも、『かなる間しづみ』といふ語が入ってゐる。 併し此語は卷十四の歌語を踏ま、て作ったものと看做すことも出來るから、この語の原意は でおひそや 卷十四の方にあるだらう。なほ、『はろばろに家を思ひ出負征箭のそよと鳴るまで歎きつる かも』 ( 卷二十・四三九八 ) 、『この床のひしと鳴るまで瑛きつるかも』 ( 卷十三・三ニ士 0 ) がある。 119

6. 萬葉秀歌 下巻

かりごもひとへ 苅薦の一重を敷きてさ寐れども君とし寐れば さむ 作者不詳 寒けくもなし〔卷十一・二五二〇〕 こもむしろ 作者不明。薦蓆をただ一枚敷いて寐ても、あなたと御一しょですから、ちっともお寒くは ありません、『君とし』とあるから大體女の歌として解していいであらう。第四句原文が、 キ、、トシアラネ 『君共宿者』であるから、キミガムタ。キミトモ。等の訓があるが、『伎美止之不在者』 ( 卷 十八・四〇七四 ) などを參考して、平几にキミトシヌレバと訓むのに從った。これ翦民謠風に むしぶすま したふ 卒直に覺官的にいひあらはしてゐる。『蒸被なごやが下に臥せれども妹とし宿ねば肌し寒し も』 ( 卷四・五二四 ) といふのは、同じゃうな氣持を反對に云ったものだが、この歌の方が、寧 ろ實際的でそこに強みがあるのである。 〇 いも ふりわけかみみじかはるくさかみ 振分の髮を短み春草を髮に纒くらむ妹をしど 作者不詳 おもス〔卷十一・二五四〇〕 0 きみ

7. 萬葉秀歌 下巻

なっそひ うなかみがた ふね 夏麻引く海上潟の沖っ渚に船はとどめむさ夜 東歌 り〔巻十四 - 三三四八〕 スけにけ あづまうた この卷十四は、いはゆる『東歌』になるのであるが、東歌は、東國地方に行はれた、概し て民謠風な短歌を蒐集分類したもので、從って卷十・十一・十二あたりと同様作者が分から ない。併し、作者も單一でなく、中には京から來た役人、旅人等の作もあらうし、京に住ん だことのある遊行女婦のたぐひも交「てゐようし、は他から流れこんだも 0 が少しく變形 したものもあり、京に俥達せられるまで、 ( 折ロ博士は大倭宮廷に漸時に貯留せられたものと考、 てゐる。 ) 幾らか手を入れたものもあるだらう。さういふ具合に單一でないが、大體から見て 東國の人々によって何時のまにか作られ、民謠として行はれてゐたものが大部分を占めるや うである。從って卷十四の東歌だけでも、年代は相當の期間が含まれてゐるものの如く、歌 風は、大體訛語を交へた特有の歌調であるが、必ずしも同一歌調で統一せられたものではな 卷第十四 おきす 112

8. 萬葉秀歌 下巻

0 よな あしび かげ いけみづ 池水に影さへ見えて唹きにほふ馬醉木の花を そで 大件家持 袖に扱入れな〔卷二十・四五一二〕 大伴家持の山齋屬目の歌だから、庭前の景をそのまま詠んでゐる。『影さへ見えて』の句 も既にあったし、家持苦心の句ではない。ただ、『馬醉木の花を袖に扱入れな』といふのが此 歌の眼目で佳甸であるが、『引き攀ぢて折らば散るべみ梅の花袖に扱入れつ染まば染むとも』 ( 卷八・一六四四 ) の例もあり、家持も『白妙の袖にも扱入れ』 ( 卷十八・四一一一 ) 、『藤浪の花 なっかしみ引き攀ぢて袖に扱入れつ染まば染むとも』 ( 卷十九四一九一 l) と作ってゐるから、 あへて此歌の手柄ではないが、馬醉木の花を扱入れなといったのは何となノ、適切なやうにお もはれる。併し全體として寫生力が足りなく、諳記により手馴れた手法によって作歌する傾 向が見えて來てゐる。そして共に對して反省せんとする氣魄は、そのころの家持にはもう袞 へてゐたのであったたらうか。私はまださうは思はない。 こき こき 200

9. 萬葉秀歌 下巻

いま な やまだに あしびの山谷越えて野づかさに今は鳴くら 山部赤人 む鶯の乙ゑ〔卷十士・三九一五〕 山部宿禰赤人詠 = 春一歌一首であるが、明人と書いた古寫本もある ( 西本願寺本・神田本等 ) 。 『野づかさ』は野にある小高い處、野の丘陵をいふ。『野山づかさの色づく見れば』 ( 卷十・一一 の例がある。一首は、もう春だから、鶯等は山や谷を越え、今は野の上の小高いと ころで鳴くやうにでもなったか、といふので、一般的な想像のやうに出來て居る歌だが、不 思議に浮んで來るものが鮮かで、濁りのない淸淡とも謂ふべき氣持のする歌である。それた から、家の内で鶯の聲を聞いて、その聲の具合でその場所を野づかさだと推量する作歌動機 と解釋することも出來るし、さうする方が『山谷越えて』の句にふさはしいやうにもおもふ が、併しこの邊のことはさう穿鑿せずとも鑑賞し得る歌である。『ひさぎ生ふる淸き河原に』 の時にも少し觸れたが、つまりあのやうな態度で味ふことが出來る。卷十七の歌をずうっと 卷第十七 うぐひす 159

10. 萬葉秀歌 下巻

けの錯覺であらうか。『今か今か』と繰返したのも、女の語氣が出てゐてあはれ深い。 卷十二 ( 二八六四 ) に、『吾背子を今か今かと待ち居るに夜の更けぬれば嘆きつるかも』。卷 二十 ( 四三一一 ) に、『秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ』がある。 よふ ゅ ゅ ざさ はなはだも夜深けてな行き道の邊の五百小竹 が上に霜の降る夜を〔卷十・二三三六〕作者不詳 い ~ ささ 『五百小竹』は繁った笹のことで、五小竹の意だと云はれてゐる。もう綮った笹に霜が 降ったころです、こんなに夜更にお歸りにならずに、暁になってからにおしなさい、といっ て、女が男の歸るのを惜しむ心持の歌である。全體が民謠風で、萬人の唄ふのにも適ってゐ るが、はじめは誰か、女一人がかういふことを云ったものであらう、そこに切にひびくもの があり、愛情の纏綿を俥へてゐる。女が男の歸るのを惜しんでなるべく引きとめようとする よがらす 歌は可なり萬葉に多く、既に評釋した、『あかときと夜鳥鳴けどこのをかの木木のうへはいま だ靜けし』 ( 卷士こ二六三 ) などもさうだが、萬葉のかういふ歌でも實質的、具體的たからい いので、後世の『きぬぎぬのわかれ』的に抽象化してはおもしろくないのである。 みちべ