わす お - も・かた 面形の忘るとならばあぢきなく男じものや戀 作者不詳 ひつつ居らむ〔卷十一・二五八〇〕 いはかにち あの女の顏貎が忘られてしまふものなら、男子たるおれが、こんなに甲斐ない戀に苦しん で居ることは無いのだが、どうしてもあの顏を忘れることが出來ぬ、といふのである。『男し しし もの』の『じもの』は『何々の如きもの』といふので、『鹿じもの』は鹿の如きもの、でつま をのこ りは、鹿たるものとなるから、『男じもの』は、男の如きもの、男らしきもの、男子たるもの、 男子として、大丈夫たるもの等の言葉に譯することも出來るのである。結句の『居らむ』は 形は未來形だが、疑間があり詠歎に落著く語調である。この歌の眞卒であはれな點が私の心 を牽いたので選んで置いた。單に民謠的に安易に歌ひ去ってゐない個的なところのある歌で しだ おもがた ある。それから、『面形』云々といふ用語も注意すべきであるが、これは、『面形の忘れむ時 しぬ は大野ろに棚引く雲を見つつ偲ばむ』 ( 卷十四・三五二〇 ) といふ歌もあり、一しょにして味ふ ことがⅢ国來る。 お。がた イづ をのこ
はろはろ 卷十九 ( 四一九二 ) の霍公鳥井藤花を詠じた長歌に、『タ月夜かそけき野べに澄に鳴く 公鳥」とあるのも亦家持の作、『雲雀あがる春べとさやになりぬれげ都も見えす霞たなびく』 ( 卷二十・四四三四 ) も亦家持の作で、この方は卷十九のよりも制作年代が遲い天平勝寳士年三月 三日のは注意すべきである。なほ、その三月三日には安倍沙美が、『朝な朝なあがる雲雀 になりてしか都に行きてはや歸り來む』 ( 卷二十。四四三三 ) といふ歌を作ってゐるが、やはり 家持の影響とおもはれるふしがある。 この歌の左に、『春日遲遲として、鷦鵝正に啼く。悽惆の意、歌に非ずば、撥ひ難し。仍 りて此の歌を作り、式ちて締緖を展ぶ』云々といふ文が附いてゐる。鸙鷓は雲雀と訓ませて をり、和名抄でもさうたが、實は鶯に似た鳥だといふことである。 ひはり 1 と 0
〔一全一一 D まきむくの・ひはらにたてる ( 柿本人麿歌集 )•. ・ 〔一一四大〕あきがしは・うるわかはべの ( 柿本人麿歌集 ) ・ 口一充七〕いもがなも・わがなもたたば ( 作者不詳 ) : 〔一一九き〕しなむいのち・ここはおもはす ( 作者不詳 ) 〔一一空 0 おのがしし・ひとしにすらし ( 作者不詳 ) : 〔一一九三巴うまさはふ・めにはあけども ( 作者不詳 ) ・ 〔元四七〕おもふにし・あまりにしかば ( 作者不詳 )- ・ 〔元六一〕うつぜみの・つねのことばと ( 作者不詳 ) : ・ 〔三 8 工〕あしひきの・やまよりいづる ( 作者不詳 ) 〔三 8 三〕ゅふづくよ・あかときやみの ( 作者不詳 ) : 〔一一一三大〕さぬらくは・たまのをばかり ( 東歌 ) ・ ロ三穴〕あしがりの・とひのかふちに ( 東歌 )••・ 〔三三大〕いりまぢの・おほやがはらの ( 東歌 ) : ・ ロ = 一毛凸わがせこを・あどかもいはむ ( 東歌 ) : 〔 = 一三九 C 〕つくばねに・かがなくわしの ( 東歌 ) : 〔三一禿凸をつくばの・ねろにつくたし ( 東歌 ) : ・ ロ四一 C 〕いかほろの・そひのはりはら ( 東歌 )••・ ロ四一七〕かみつけぬ・いならのぬまの ( 東歌 ) : ・ : 6 六 : 一 0 六 : 一 0 六 XIV
0 くつは あしふ はりみちかりはね いま しなぬぢ 信濃路は今の道刈株に足踏ましむな履著け わ せ 東歌 我が夫〔卷十四・三三九九〕 にひはり 信濃國歌。『今の墾道』は、まだ最近の墾道といふので、『新治の今つくる路さやかにも聞 きにけるかも妹が上のことを』 ( 卷十二・二八五五 ) が參考になる。一首の意は、信濃の國の此 處の新開道路は、未だ出來たばかりで、木や竹の刈株があってあぶないから、踏んで足を痛 めてはなりませぬ、吾が夫よ、履をお穿きなさい、といふのである。履は藁靴であっただら う。これも、旅人の氣持でなく、現在共處にゐても、『信濃路は』といってゐること、前の、 『信濃なる須賀の荒野に』と同じである。山野を歩いて爲事をする夫の氣持でやはり農業歌 の一種と看ていい。『かりばね』は『苅れる根を言ふべし』 ( 略解 ) だが、原意はよく分からぬ。 かりふね 近時『刈生根』の轉 c 井上博士 ) だらうといふ説をたてた。私の鄕里では足を踏むことをカッ クイ・フムといってゐる。
印をつけると、自然かういふ結果になるといふことは興味あることで、もっと先きの卷に於 ける家持の歌の場合と同じである。 がはづな かむなびがは 蝦嗚く廿南備河にかげ見えて今か唹くらむ山 ぶき 吹の花〔卷八・一四三五〕 厚見王 厚見王の歌一首。厚見王は績紀に、天平勝寶元年に從五位下を授けられ、天下寶字元年 に從五位上を授けられたことが記されてゐる。甘南備河は、甘南備山が飛鳥 ( 雷丘 ) か龍田 かによって、飛鳥川か龍田川かになるのだが、それが分からないからいづれの河としても味 ふことが出來る。一首は、 ( 河鹿 ) の鳴いてゐる甘南備河に影をうっして、今頃山吹の花 が矣いて居るだらう、といふので、こだはりの無い美しい歌である。 此歌が秀歌として持てはやされ、六帖や新古今に載ったのは、流麗な調子と、『かげ見え て』、『今かくらむ』といふ、幾らか後世ぶりのところがあるためで、これが本歌になって 模倣せられたのは、その後世ぶりが氣に入られたものである。『逢坂の關の淸水にかげ見え て今や引くらむ望月の駒』 ( 拾遺・貫之 ) 、『春ふかみなび川に影見えてうつろひにけり山火 あつみのおほきみ いま
て、佐保には鳥の多かったことが分かる。 いきづ 波の上ゅ見ゆる兒島の雲隱うあな氣衝かし相 笠金村 別れなは〔卷八・一四五四〕 天平五年春閏三月、入唐使多治比眞人廣成が立っ時に、笠金村が贈った長歌の反歌である。 一首は、あなたの船が出帆して、波の上から見える小島のやうに、遠く雲がくれに見えなく なって、いよいよお別れといふことになるなら、鳴呼吐息の衝かれることだ、悲しいことだ、 といふのである。此處でも、『波の上ゅ見ゆる』と『ゅ』を使ってゐる。兄島は備前兒島た いきづ らうといふ説があるが、序の形式だから必ずしも固有名詞とせずともいい。『氣衝かし』は、 いきづ ためいき 息衝くやうな从態にあること、溜息を衝かせるやうにあるといふので、いい語だとおもふ。 あち こもぬ いきづ 『味鴨の仕む須佐の入江の隱り沼のあな息衝かし見ず久にして』 ( 卷十四・三五四七 ) の用例が ある。訣別の歌だから、稍形式になり易いところだが、海上の小島を以て來てその氣持ル 式化から救ってゐる。第四句が中心である。 わか なみ こじま あひ
こころいま おも きみ あひみ 早行きて何時しか君を相見むと念ひし情今ぞ 作者不詳 和ぎぬる〔卷十一・二五七九〕 いそいで行って、一時もはやくお前に逢ひたいとおもってゐたのだったが、かうしてお前 を見るとやっと心が落著いた、といふのだらうが、『君』を男とすると、解釋が少し不自然 になるから、やはり此歌は、男が女に向って『君』と呼んだことに解する方が好いだらう。 私は、『今ぞ和ぎぬる』といふ句に非常に感動してこの歌を選んだ。このナギヌルの訓は從 こころな 來からさうであるが、嘉暦本にはイマゾユキヌルと訓んでゐる。『あが念へる情和ぐやと早 く來て見むとおもひて』 ( 卷十五・三六一一七 ) 、『相見ては須臾しく戀は和ぎむかとおもへど彌々 こころ 戀ひまさりけり』 ( 卷四七五 = D 、『見る毎に情和ぎむと繁山の谿べに生ふる山火を屋戸に引植 しるここだ ひな ゑて』 ( 卷十九・四一八五 ) 、『天ざかる鄙とも著く許多くもしげき戀かも和ぐる日もなく』 ( 卷十 七・四 0 一九 ) 等の例に見るごとく、加行上二段に活用する動詞である。 はやゅ いっ いよよ
かまくらみな せがは 費愛しみさ寢に吾は行く鎌倉の美奈の瀨河に しほみ 潮滿つなむか〔卷十四・三三六六〕 東歌 相模國歌で、『みなの瀬河』は今の稻瀬川で坂の下の東で海に入る小川である。一首は、 戀しくなってあの娘の處に寢に行くが、途中の鎌倉のみなのせ川に潮が滿ちて波りにくくな ってゐるだらうか、といふのである。『潮滿つなむか』は、『潮滿つらむか』の訛である。内 睿は古樸な民謠で取りたてていふ程のものではないが、歌調が快く音樂的に運ばれて行くの が特色で、かういふ獨特の動律で進んでゆく歌調は、人麿の歌などにも無いものである。例 へば、『玉裳の裾に潮みつらむか』 ( 卷一・四〇 ) でもかう無邪氣には行かぬところがある。ま なるさは たかね た、『ま愛しみ寢らく愛けらくさ寢らくは伊豆の高嶺の鳴澤なすよ』 ( 三三五八或本歌 ) などで も東歌的動律だが、この方には繰返しが目立つのに、鎌倉の歌の方はそれが目立たずに快い 音のあるのは不思議である。 12J
おもふ程に、あなたが戀しいのです、待ちきれないのです、といふ程の歌で、此處の「ゆゅ こと いまいま いと し』は忌々し、厭はしぐらゐの意。『言にいでて言はばゅゅしみ山川の激っ心をせかへたる かも』 ( 卷十一・二四三一 I) の如き例がある。この卷十一の歌の結句訓は、『せきあへてけり』 ( 略 解 ) 、『せきあへにたり』 ( 新訓 ) 、『せきあへてあり』 ( 總釋 ) 等がある。『ゅゅし』は、愼しみ なく、憚らずといふ意もあって、結局同一に歸するのだから、此歌の場合も、『愼しみもな く』と渤してもいいが、忌々しいの方がもっと直接的に響くやうである。 とき たまかつまあ たれ 玉勝間逢はむといふは誰なるか逢へる時さへ お・も・か・、 作者不詳 面隱しする〔卷十一一・二九一六〕 『玉勝間』は逢ふの枕詞で、タマは美稱、カツマはカクマ・筐 ) で、籠には蓋があっ て蓋と籠とが合ふので、逢ふの枕詞とした。一首の意は、一體逢はうといったのは誰でぜう。 それなのに折角逢へば、顏を隱したり何かして、といふので、男女間の微妙な會話をまのあ たり聞くやうな氣持のする歌である。これは男が女に向っていってゐるのだが、云はれて居 る女の社い行爲までが、ありありと眼に見えるやうな表現である。女の男を囘避するやうな
0 のと うみ つき ゅ 能登の海に釣する海人の漁火の光にい往く月 作者不詳 待ちがて〔卷十二・三一六九〕 まだ月も出ず暗いので、能登の海に釣してゐる海人の漁火の光を賴りにして歩いて行く、 月の出を待ちながら、といふので、やはり相聞の氣持の歌であらう。男が通ってゆく時の或 時の逢遭を詠んだものと解釋していいだらうが、比較的獨詠的な分子がある。『光に』の『に』 といふ助詞は此歌の場合には注意していいもので、『み空ゆく月の光にただ一目あひ見し人 すけき し夢にし見ゆる』 ( 卷四・士一〇 ) 、『玉だれの小簾の隙に入りかよひ來ね』 ( 卷十一・二三六四 ) 、 『淸き月夜に見れど飽かぬかも』 ( 卷二十・四四五三 ) 、『夜のいとまに摘める芹これ』 ( 卷二十・ 四四五五 ) 等の『に』と同系統のもので色調の稍ちがふものである。なほ、『タ闇は道たづた づし月待ちて往かせ吾背子その間にも見む』 ( 卷四・七〇九 ) と此歌と氣持が似て居る。いづれ にしても燈火を餘り使はずに女のもとに通ったころのことが思出されておもしろいものであ - る。 つり あま いさりび ひかり 1C4