女 - みる会図書館


検索対象: 萬葉秀歌 下巻
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1. 萬葉秀歌 下巻

首の眼目で、あなたをば深く思ひつめて居ります、といふ戀愛歌である。そこで葛城王の場 合には、あなたを粗略にはおもひませぬといふに歸著するが、此歌はその女の印吟か、或は 民謠として俥はってゐるのを吟誦したものか、いづれとも受取れるが、遊行女婦は作歌する ことが一つの款待方法であったのだから、このくらゐのものは作り得たと解釋していいだら うか。この一首の言傅へが面白いので選んで置いたが、地方に出張する中央官人と、地方官 と、遊行女婦とを配した短篇のやうな趣があって面白い歌である。俥説の文の、『右手持」水、 撃 = 之王膝一』につき、々の疑間を起してゐるが、二つの間に休止があるので、水を持った 右手で王の膝をたたくのではなからう。『之』は助詞である。 おほみわ をがきたは てらでら めがきまを 寺寺の女餓鬼申さく大の男餓鬼うて共の 池田朝臣 子生まはむ〔卷十六・三八四〇〕 ほみわのあそみきもり まひら いけだのあそみ 池田朝臣 ( 古義では眞枚たらうといふ ) が、大棘朝臣奥守に贈った歌である。一首の意は、 ほみわをとこがき 寺々に居る女の俄鬼どもは大帥の男餓鬼を頂戴してその子を生みたいと申してをりますよ、 といふので、大祚奧守は痩男だったのでこの諧謔が出たのであらう。『寺々の女俄鬼』とい 154

2. 萬葉秀歌 下巻

衣の袖を纏き交した時の情緖がこの序詞にこもってゐるのである・ あまはし 萬葉に老人の戀を詠んだ歌のあることは既に前にも云ったが、なほ卷十三には、『天橋も まっ つくよみ をちみづ 長くもがも高山も高くもがも月讀の持たる變若水い取り來て君に奉りて變若得しむもの』 きみ あめ ( 三二四五 ) 、反歌に、『天なるや月日の如く吾が思へる公が日にけに老ゆらく惜しも』 ( 三二四 あたら ぬながは 六 ) があり、なほ、『沼名河の底なる玉求めて得し玉かも拾ひて得し玉かも惜しき君が老ゆら く惜しも』 ( 三二四士 ) といふのもある。これは女が米だ若く、男の老いゆく从況の歌である が、男を玉に比したり、日月に比したりして大切にしてゐる女の心持が出てゐて珍しいもの である。なほ、『悔しくも老いにけるかも我背子が求むる乳母に行かましものを』 ( 卷十二・一一 九二六 ) といふのもある。これは女の歌だが、諧謔たから、女はいまだ老いてはゐないので あらう。略解に、『袖のなれにしとは、年經て袖のなれしと、その男の馴來しとを兼言ひて、 君も我も齡のおとろへ行につけて、したしみのことになれるを言へり』とあって、女の作っ た歌の趣にしてゐるのは契沖以來の説である 9 102

3. 萬葉秀歌 下巻

る。直接に女に愬へてゐない客觀的ないひ方だけれども民謠的な特徴が共處に存じてゐる。 ともしび かがよ いもゑまひ 燈のかげに糶スうっせみの妹が唹しおもかげ 作者不詳 に見ゅ〔卷十一・一一六四二〕 寄」物述」思の中に分類ぜられてゐる。自分の戀しい女が燈火のもとにゐて、嬉しさうにに からだ うっせみ こにこしてゐた時の、何ともいへぬ美しく耀くやうな現身印ち體そのものの女が、今おもか げに立って來てゐる、といふのである。この歌は嬉しい心持で女身を讚美してゐるのだから、 幾分誇張があって、美麗過ぎる感があるけれども、本人は骨折ってゐるのだからそれに同情 して味ふ方がいい。『年も經ず歸り來なむと朝影に待つらむ妹が面影に見ゅ』 ( 卷十二・三一三 八 ) などと較べると、『燈のかげに』の方は覺官的に直接に云ってゐる。 なにはびとあしびた おの 難波人葦火焚く屋の媒してあれど己が妻こそ とこ 作者不子 1 = ⅱ 常めづらし会〔卷十一・一一六五一〕

4. 萬葉秀歌 下巻

けの錯覺であらうか。『今か今か』と繰返したのも、女の語氣が出てゐてあはれ深い。 卷十二 ( 二八六四 ) に、『吾背子を今か今かと待ち居るに夜の更けぬれば嘆きつるかも』。卷 二十 ( 四三一一 ) に、『秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ』がある。 よふ ゅ ゅ ざさ はなはだも夜深けてな行き道の邊の五百小竹 が上に霜の降る夜を〔卷十・二三三六〕作者不詳 い ~ ささ 『五百小竹』は繁った笹のことで、五小竹の意だと云はれてゐる。もう綮った笹に霜が 降ったころです、こんなに夜更にお歸りにならずに、暁になってからにおしなさい、といっ て、女が男の歸るのを惜しむ心持の歌である。全體が民謠風で、萬人の唄ふのにも適ってゐ るが、はじめは誰か、女一人がかういふことを云ったものであらう、そこに切にひびくもの があり、愛情の纏綿を俥へてゐる。女が男の歸るのを惜しんでなるべく引きとめようとする よがらす 歌は可なり萬葉に多く、既に評釋した、『あかときと夜鳥鳴けどこのをかの木木のうへはいま だ靜けし』 ( 卷士こ二六三 ) などもさうだが、萬葉のかういふ歌でも實質的、具體的たからい いので、後世の『きぬぎぬのわかれ』的に抽象化してはおもしろくないのである。 みちべ

5. 萬葉秀歌 下巻

よはひおとろ しろたへ 吾が齢し袤 ~ ぬれば白細布の袖のれにし君 おも をしぞ念ス〔卷十二三九五二〕 作者不詳 一首の意は、おれも漸く年をとって體も衰、てしまったが、今しげしげと通はなくとも、 長年狎れ親しんだお前のことが思出されてならない、といふ程の意で、『君』といふのを女に して、男の歌として解釋したのであった。無論民謠的にひろがり得る性質の歌だから、『君』 をば男にして女の歌と解釋することも出來るが、やはり老人の述懷的な戀とせげ男の歌とす る方が適當ではなからうか。さすれば、女のことを『君』といった一例である。それから、 『白細布の袖の』までは『狎れ』に績く序詞であるが、やはり意味の相關聯するものがあり、 は、前云ったやうに直接性があって、よく響くので一般化したものであらう。併し、『死なむ よ我背』と女のいふ方が、『死なむよ我妹』と男のいふよりも自然に聞こえるのは、後代の私 の僻眼からか。ただ他の歌が皆この歌に及ばないところを見ると、『今は吾は死なむよ我背』 が原作で、從って、『死なむよ我背』が當時の人にも自然であっただらうと謂ふことが出來・ そで きみ 101

6. 萬葉秀歌 下巻

あさかやま 安積山影さへ見ゆる山の井の淺き心を吾が思 はなくに 〔卷十六・三八〇七〕 前の采女某 かつらぎのほきみ 葛城王が陸奧國に派造せられたとき、國司の王を接待する方法がひどく不備だったので、 うねめ 王が怒って折角の御馳走にも手をつけない。その時、嘗て采女をつとめたことのある女が侍 してゐて、左手に杯を捧げ右手に水を盛った瓶子を持ち、王の膝をたたいて此歌を吟誦した ので、王の怒が解けて、樂飮すること終日であった、といふ傅詭ある歌である。葛城王は、 天武天皇の御代に一人居るし、また橘諸兄が皇族であった時の御名は葛城王であったから、 そのいづれとも不明であるが、時代からい〈、ば天武天皇の御代の方に傾くだらう。併し仲説 さき であるから實は誰であってもかまはぬのである。また、『前の采女』といふ女も、嘗て采女と して仕たといふ女で、必ずしも陸奧出身の女とする必要もないわけである。『安積山』は 陸奧國安積郡、今の輻島縣安積郡日和田町の東方に安積山といふ小山がある。共處たらうと 云はれてゐる。木立などが美しく映ってゐる廣く淺い山の泉の趣で、上の句は序詞である。 そして『山の井の』から『淺き心』に連接せしめてゐる。『淺き心を吾が思はなくに』が一 い 3

7. 萬葉秀歌 下巻

がはじめてお會したあなたよ、人に知られぬうちにお歸りください。原文には、『一夜妻』 とあるから、男の歌で女に向って『一夜妻』といったやうにも取れるが、全體が男を宿めたー 女の歌といふ趣にする方がもっと適切だから、さうすれば、『一夜夫』といふことになる。 この歌は民謠風な戀愛歌で作者不明のものだから、無名歌として掲げてゐるのである。『千 鳥しば鳴く起きょ起きよ』のところは巧で且つ自然である。『一夜夫』と解するのは考・古 つま 義の詭で、『妻はかり字、夫也。初て一夜逢し也』 ( 考 ) 。とあるが、これは遠く和歌童蒙抄の 詭まで溯り得る。あとは多く『一夜妻』詭である。『人ノ妻ヲ - 忍ビテアリケル = 』 ( 仙抄 ) 、 「一夜妻はかりそめに女を引き入れて逢ひしなり』 ( 新考 ) 云々

8. 萬葉秀歌 下巻

ごとみ いもひと うつく 愛しみ我が念ス妹を人みなの行く如見めや手 に纏かずして〔卷十一一・二八四三〕柿本人歌集 おれの戀しくおもふ女が、今彼方を歩いてゐるが、それをば普通並の女と一しょにして平 然と見て居られようか、手にも纏くことなしに、といふのである。あの女を手にも纏かずに 居るのはいかにも辛いが、人目が多いので致し方が無いといふことが含まってゐる。これた けの意味だが、かう一首に爲上げられて見ると、まことに感に乘って來て棄てがたいもので ある。『人皆の行くごと見めや』の句は強くて情味を湛 ( 、情熱があってもそれを抑 ( て、傍 觀してゐるやうな趣が、この歌をして平板から脱却せしめてゐる。無論民謠風ではあるが、 ・未た語氣が求心的である。 いも やますげ みづかげ やまがは 山河の水陰に生ふる山草の止まずも妹がも 柿本人歌集 ほゆるかも〔卷十一一・二八六二〕

9. 萬葉秀歌 下巻

もない女に偶然逢って、その後逢はない女に對する戀の切ないことを歌ったものである。『玉 かぎるほのかにだにも見えぬおもへば』 ( 卷二・二一〇 ) 、『玉かぎるほのかに見えて別れなば』 ( 卷八・一五二六 ) 等の例がある。この歌は男の心持になって歌ってゐる。 あめ 行けど行けど逢は妹ゅゑひさかたの天の露 じも 霜に濡れにけるかも〔卷十一・二三九五〕柿本人屆歌集 同上、人麿歌集出。行きつつ幾ら行っても逢ふ常のない戀しい女のために、かうして天の 霹霜に需れた、といふのである。苦しい調子でぼつりにつりと切れるのでなく、連續調子で のびのびと云ひあらはしてゐる。それは謂ゆる人麿調ともいひ得るが、それよりも寧ろ、こ の歌は民謠的の歌だからと解釋することも出來るのである。併し、この種類の歌にあっては やま 目立つものだから、その一代表のつもりで選んで置いた。『ぬばたまの黒髮山を朝越えて山 したっゅ 下露に汕れにけるかも』 ( 卷士・一一一四一 ) などと較べると、やはり此歌の方が旨い。 いも っゅ

10. 萬葉秀歌 下巻

に續けて序詞とした。『我と笑まして』は吾と顏合せてにこにこして、吾と共ににこにこし ての意。一首の意は、わたしと御一しょにかうしてにこにこしておいでになるところを、人 に知られたくないのでけ、といふので、身體的に直接な珍らしい歌である。此は民謠風な讀 人不知の歌だが、後に大伴坂上郎女が此歌を模倣して、『靑山を横ぎる雲のいちじろく吾と 笑まして人に知らゆな』 ( 卷四・六八八 ) といふ歌を作った。これも面白いが、卷十一の歌ほど 身體的で無いところに差違があるから、どちらがよいか鑑別せねばならない。 道のべのいっしば歴のいつもいつも人の許さ むことをし待たむ〔卷十一・二士士〇〕作者不詳 この歌は、『人の許さむことをし待たむ』といふのが好いので選んだ。男が女の許すのを 待つ、氣長に待っ氣持の歌で、かういふ心情もまた女に對する戀の一表現である。この卷の、 『梓弓引きてゆるさずあらませばかかる戀にはあはざらましを』 ( 二五〇五 ) は、女の歌で、 やはり身を寄せたことを『許す』と云ってゐる。なほ、卷十二 ( 三一八 (l) に、『白妙の袖の 別は惜しけども思ひ亂れて苡しつるかも』といふのがある。この、」 " 苡す』は稍趣が違ふが、 ゆる