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検索対象: 萬葉秀歌 下巻
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1. 萬葉秀歌 下巻

0 こころけ はだ 朱らひく膚に觸れずて寢たれども心を異しく 我が念はなくに〔卷十一・二三九九〕柿本人屆歌集 同上、人麿歌集出。一首の意は、今夜は美しいお前の膚にも觸れずに獨寐したが、それで も決して心がはりをするやうなことはないのだ、今夜は故障があってつひお前の處に行かれ ず獨りで寐てしまったが、私の心に別にかはりがない、といふのであらう。・『心を異しく』は、 心がはりするといふほどの意で、集中、『逢はねども異しき心をわが思はなくに』 ( 卷十四・三 四八一 D 、『然れども異しき心をあがおもはなくに』 ( 卷十五・三五八八 ) 等の例がある。女の美し こしてし寸はなか い膚のことをいひ、覺官的に身體的に云ってゐるのが、ただの平儿な民謠。 った原因であらう。アカ一フヒク・ ( ダに就き、代匠記初稿本に、『それは紅顏のにほひをい アカラヒ・ はだへ ひ、今は肌の雪のごとくなるに、すこし紅のにほひあるをいへり』といひ、精撰本に、『朱引 トハ、紅ニ應ジテ肌モニホフナリ』と云ったのは、契沖の文も覺官的で旨い。 あか

2. 萬葉秀歌 下巻

女嬬とあるから、低い女官であっただらう。一首の意は、あなたがいよいよ山越をして行か れるのを、しじゅう心の中に持ってをりまして、あきらめられず、不安でなりませぬ、とい ふ程の歌である。『君を心に持っ』は貴方をば心中に持っこと、心に抱き持っこと、戀しくて 忘れられぬこと、あきらめられぬことといふぐらゐになるが、『君を心に持っ』と具體的に云 ったので、親しさが却って增したやうにおもはれる。『吾妹子に戀ふれにかあらむ沖に住む うきね 鴨の浮宿の安けくもなし』 ( 卷十一・二八 0 六 ) 、『今は吾は死なむよ吾妹逢はずして念ひわたれ ば安けくもなし』 ( 卷十二・二八六九 ) 等、用例は可なりある。 ほろ あめ きみ ゅ みち ながて 君が行く道の長路を繰う疊ね燒会亡ばさむ天 侠野茅上娘子 の火もがも〔卷十五・三士二四〕 たぐ 同じく續く歌で、あなたが、越前の方においでになる遠い路をば、手繰りよせてそれを疊 てんくわ んで、燒いてしまふ天火でもあればいい。さうしたならあなたを引き戻すことが出來ませう、 といふ程の歌で、強く誇張していふところに女性らしい語氣と情味とが存じてゐる。娘子は 古歌などをも學んだ形跡があり、文藝にも興味を持っ才女であったらしいから、『天の火も や たた 7

3. 萬葉秀歌 下巻

しをしを れを聞くとわが心萎々とする、といふのである。後世の歌なら、助詞などが多くて弛むと ころであらうが、そこを緊張せしめつつ、句と句とのあひだに、間隔を置いたりして、端正 で且っ感の深い歌調を全うしてゐる。『心も萎に』は、直ぐ、『白露の置く』に績くのではな く、寧ろ、『蟋蟀鳴く』に關聯してゐるのだが、そこが微妙な手法になってゐる。いづれにし ても、分かりよくて、平凡にならなかった歌である。 もみぢはこよひ やま うか あしひ会の山の黄葉今夜もか浮びゆくらむ山 大件書持 の瀨に〔卷八・一五八七〕 ふみもち 大津書持の歌である。書持は旅人の子で家持の弟に當る。天平十八年に家持が書持の死を 痛んだ歌を作ってゐるから大體その年に死去したのであらう。此一首は天平十年冬、橘宿禰 奈良麿の邸で宴をした時諸人が競うて歌を詠んだ。皆黄葉を内容としてゐるが書持の歌ひ方 が稍趣を異にし、夜なかに川瀬に黄葉の流れてゆく寫象を心に汀べて、『今夜もか汀びゆく らむ』と詠歎してゐる。ほかの人々の歌に比して、技巧の足りない穉拙のやうなところがあ って、何時か私の心を牽いたものだが、今讀んで見ても幾分象徴詩的なところがあっておも やま

4. 萬葉秀歌 下巻

0 やまちさ しらっゅ こころふか 山萵苣の白露もみうらぶるる心を深み吾が 柿本人歌集 戀ひ止まず〔卷十一・二四六九〕 やまちさ 同上、人歌集出。山萵萱は食用にする萵萱で、山に生えるのを山萵苣といったものであ らう。エゴの木だといふ説もあるが、白露おくといふ草に寄せた歌だから、大體食用の萵苣 と解釋していいやうである。露のために花のしなってゐるやうに心の萎える心持で序詞とし た。この歌も取りたてていふ程のものでないが、『心を深みわが戀ひ止まず』の句が棄てが たいから選んで置いたし、萵宣は食用菜で、日常生活によって見てゐるものを持って來たの がおもしろいと思ったのである。 はは たら - 4 つわ まよごも いも 垂乳根の母が養ス蠶の繭隱うこもれる妹を見 むよしもがも〔卷十一・二四九五〕柿本人属歌集 同上、人麿歌集出。第三句迄は序詞で、母の飼ってゐる蠶が繭の中に隱るやうに、家に隱 か

5. 萬葉秀歌 下巻

あさかやま 安積山影さへ見ゆる山の井の淺き心を吾が思 はなくに 〔卷十六・三八〇七〕 前の采女某 かつらぎのほきみ 葛城王が陸奧國に派造せられたとき、國司の王を接待する方法がひどく不備だったので、 うねめ 王が怒って折角の御馳走にも手をつけない。その時、嘗て采女をつとめたことのある女が侍 してゐて、左手に杯を捧げ右手に水を盛った瓶子を持ち、王の膝をたたいて此歌を吟誦した ので、王の怒が解けて、樂飮すること終日であった、といふ傅詭ある歌である。葛城王は、 天武天皇の御代に一人居るし、また橘諸兄が皇族であった時の御名は葛城王であったから、 そのいづれとも不明であるが、時代からい〈、ば天武天皇の御代の方に傾くだらう。併し仲説 さき であるから實は誰であってもかまはぬのである。また、『前の采女』といふ女も、嘗て采女と して仕たといふ女で、必ずしも陸奧出身の女とする必要もないわけである。『安積山』は 陸奧國安積郡、今の輻島縣安積郡日和田町の東方に安積山といふ小山がある。共處たらうと 云はれてゐる。木立などが美しく映ってゐる廣く淺い山の泉の趣で、上の句は序詞である。 そして『山の井の』から『淺き心』に連接せしめてゐる。『淺き心を吾が思はなくに』が一 い 3

6. 萬葉秀歌 下巻

へる也』 ( 暙解 ) と云ったのは、『それ王卿等、宜しく和歌を賦して奏すべしと、印ち御ロ號 やまづと に曰く』と詞書にある、その『御冂號』をば直ぐ山裏と宜長が取ったからかういふ解釋にな ったのであらう。併し山裏の内容はただ山の仙人に關係ある物ぐらゐにぼんやり解く方がい いのではあるまいか。そこで下の舍人親王の『心も知らず』の句も利くのである。舍人親王 の和へ御歌は、『あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰』 ( 四二九四 ) といふので、 前の『山人』は天皇の御事、後の『山人』は土産をくれた山の仙人の事であらう。そこで、 『山に御いでになった陛下はもはや仙人でいらせられるから俗界の私どもにはもはや御心の 程は分かりかねます。一體その山裹と仰せられるのは何でございませう。またそれを奉った 仙人といふのは誰でございませう』といふので、御製歌をそのまま受けついで、輕く諧謔せ られたのであった。御製歌は、『山村』からの聯想で、直ぐ『山人』とつづけ、仙的な雰圍 氣をこめたから、不思議な淸く澄んだやうな心地よい御歌になった。 〇 くれしげ 木の暗の繁会尾の上をほととぎす鴨て越ゅ いま なり今し來らしも〔卷二十・四三〇五〕大件家持 へ 184

7. 萬葉秀歌 下巻

しか をぐらやま タされば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寢 舒明天皇 宿にけらしも〔卷八・一五一一〕 秋雜歌、崗本天皇舒明天皇御製歌一首である。小倉山は恐らく崗本宮近くの山であらうが、 その邊に小倉山の名が今は絶えてゐる。一首の意は、タがたになると、いつも小倉の山で鳴 く鹿が、今夜は鳴かない、多分もう寢てしまったのだらうといふのである。いつも妻をもと るね めて鳴いてゐる鹿が、妻を得た心持であるが、結甸は、必ずしも卒寐の意味に取らなくとも いい。御製は、調べ高くして潤ひがあり、豐かにして弛まざる、萬物を同化包攝したまふ親 愛の御心の流露であって、『いねにけらしも』の一句はまさに古今無上の結句だとおもふの である。第四句で、『今夜は鳴かず』と、共處に休止を置いたから、結句は獨立句のやうに、 豐かにしてらざる重厚なものとなったが、よく讀めばおのづから第四句に縷の如くに績き、 また一首全體に響いて、氣品の高い、いふにいはれぬ歌調となったものである。『いねにけら しも』は、親愛の大御心であるが、素朴・直接・人間的・肉體的で、後世の歌にかういふ表 現のないのは、總べてかういふ特徴から歌人の心が遠離して行ったためである。此御歌は萬 ゅふ こよひ い

8. 萬葉秀歌 下巻

けさ かり かすがやま 今朝の朝け雁がね聞きっ春日山もみぢにけら いた し吾がこころ痛し〔卷八・一五一三〕穗積皇子 ほづみのみこ 穗積皇子の御歌二首中の一つで、一首の意は、今日の朝に雁の聲を聞いた、もう春日山は もみち 黄葉したであらうか。身に沁みて心悲しい、といふので、作者の心が雁の聲を聞き黄葉を聯 想しただけでも、心痛むといふ御境涯にあったものと見える。そしてなほ推測すれば但馬皇 女との御關係があったのだから、それを參考するとおのづから解釋出來る點があるのである。 何れにしても、第二句で『雁がね聞きっ』と切り、第四句で『もみちにけらし』と切り、結 句で『吾が心痛し』と切って、ぼつりぼつりとしてゐる歌調はおのづから痛切な心境を暗指 するものである。前の志貴皇子の『石激る垂水の上の』の御歌などと比較すると、その心境 と聲調の差別を明らかに知ることが出來るのである。もう一つの皇子の御歌は、『秋萩は尖 きぬべからし吾が屋戸の淺茅が花の散りぬる見れば』 ( 一五一四 ) といふのである。なほ、近 くにある、但馬皇女の、『言しげき里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひて行かましものを』 ( 一五一五 ) といふ御歌がある。皇女のこの御歌も、穗積皇子のこの御歌と共に讀味ふことが あさ

9. 萬葉秀歌 下巻

かおやまきぎした きみ うつ あしひ会の片山雉立ちゅかむ君にくれて顯 しけめやも〔卷十二・三二一〇〕 作者不詳 旅立ってゆく男にむかって女の云った歌の趣である。『片山雉』までは『立っ』につづく 序詞である。旅立たれるあなたと離れて私ひとりとり殘されて居るなら、もう心もぼんやり うつつ してしまひませう、といふので、『顯しけめやも』、現ごころに、正氣で、いして居ること が出來ようか、それは出來ずに、心が亂れ、茫然として正氣を失ふやうになるだらうといふ 意味に落著くのである。この雉を持って來た序詞は、鑑賞の邪魔をするやうでもあるが、私 は、意味よりも音調にいいところがあるので棄て難かったのである。『僞りも似つきてぞす うつ る現しくもまこと吾妹子われに戀ひめや』 ( 卷四・七士一 ) 、『高山と海こそは山ながらかくも現 うっしごころ しく』 ( 卷十三・三三三一 D 、『大丈夫の現心も吾は無し夜晝といはず戀ひしわたれげ』 ( 卷十一・ 一一三士六 ) 等が參考となるだらう。なほ、『春の日のうらがなしきにおくれゐて君に戀ひつつ 顯しけめやも』 ( 卷十五・三 ~ 」五一 D といふ、狹野茅上娘子の歌は全くこの歌の模倣である。お 5 もふに當時の歌人等は、家持などを中必として、古歌を讀み、時にはかく露骨に模倣したこ 0

10. 萬葉秀歌 下巻

おはくめぬしお 力しお第 たまふ旨が宣せられてある。また長歌には、『大伴の遠っ祖の共の名をば、大來目主と負 へり みづ かはね つかさ ひ持ちて仕へし官、海行かば水漬く屍、山ゆかば草むす屍、おほきみの邊にこそ死なめ顧み ことだ はせじと言立て』云々とあるもので、家持は生涯の感激を以て此の長短歌を作ってゐるので ある 9 あめ 乙の見ゆる雲ほび乙りてとの曇り雨も降らぬ こころだら 大件家持 に〔卷十八・四一一一三〕 か心足び 天平感寶元年閏五月六日以來、旱となって百姓が困ってゐたのが、六月一日にはじめて雨 雲の氣を見たので、家持は雨乞の歌を作った。此はその反歌で、長歌には、『みどり兄の乳 わたつみ 乞ふがごとく、天っ水仰ぎてぞ待つ、あしひきの山のたをりに、彼の見ゆる天の白雲、海訷 ぐも みやべ の沖っ宮邊に立ち渡りとの曇り合ひて、雨も賜はね』云々とあるものである。『この見ゆる』 の『この』は『彼の』、『あの』といふ意である。『ほびこり』は『はびこり』に同じく、『と の曇り』は雲の棚びき曇るである。『心足らひに』は心に滿足する程に、思ひきりといふの に落著く。一首は大きくゆらぐ波動的聲調を持ち、また海禪にも迫るほどの強さがあって、 あま あま 0