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検索対象: 萬葉秀歌 下巻
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1. 萬葉秀歌 下巻

しか つまよ わさだ か やま をかべ さを鹿の妻喚ぶ山の岳邊なる早田は苅らじ霜 作者不詳 は零るとも〔卷十・二二二〇〕 早稻田だからもう稔ってゐるのだが、牡鹿が妻喫ぶのをあはれに思って、それを驚かすに 忍びないといふ歌である。それをば、『霜は降るとも』と念を押して、あはれに思ふとか、 たったち をかべ 情してとかいふ、主観語の無いのをも注意していい。岡邊といふ語は、『龍田路の岳邊の道 に』 ( 卷六・九七一 ) 、『岡邊なる藤浪見には』 ( 卷十。一九九一 ) 等の例にある。かういふ人間的と 謂ふべき歌は萬葉には多い。人間的といふのは、有情非情に及ぼす同感が人間的にあらは れるといふ意味である。 0 あめ おも しぐれ あ・ま、 - もは 思はぬに時雨の雨は零りたれど天雲霽れて月 よ 作者不 夜さやけし〔巻十・二二二七〕 思ひがけず時雨が降ったけれど、いつのまにか天雲が無くなって、月明となったといふた 二一口 つく

2. 萬葉秀歌 下巻

ゐるが、娘子の歌ほど聲調にゆらぎが無い。『天地の禪なきものにあらばこそ吾が思ふ妹に あれ とこやみ 逢はず死せめ』 ( 三七四〇 ) 、『逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで吾戀ひ居らむ』 ( 三士四一 D などにあるやうに、『天地の』とか、『常闇』とか詠込んでゐるが、それほど響 かないのは、おとなしい人であったのかも知れない。 ひときた 歸うける人來れとい秋しかはほとほと死に き君かと思ひて〔卷十五。三七七二〕狹野茅上娘子 娘子が宅守に贍った歌であるが、罪をゆるされて都にお歸りになった人が居るといふので、 嬉しくて死にさうでした、それがあなたかと思って、といふのであるが、天平十二年罪を赦 されて都に歸った人には穗積朝臣老以下數人ゐるが、宅守はその中にはゐず、續紀にも、『不 あやふ レ在 = 赦限ことあるから、此時宅守が歸ったのではあるまい。この『殆と死にき』をば、殆し の意にして、胸のわくわくしたと解する説もあり、私も或時にはそれに從った。併し、『天の 火もがも』を肯定するとすると、『ほとほと死にき』を肯定してもよく、その方がく切實 で却っておもしろいと思って今囘は二たびさう解釋することとした。この歌は以上選んだ娘 149

3. 萬葉秀歌 下巻

こはだ 郡、現在字治村木幡で、桃山御陵の東方になってゐる。前の歌に、強田とあったのと同じで ある。一首の意は、山科の木幡の山道をば徒歩でやって來た。おれは馬を持ってゐるが、お 前を思ふ思ひに堪へかねて徒歩で來たのであるぞ、といふのである。舊訓ヤマシナノ・コハ ダノヤマニ。考ヤマシナノ・コハダノヤマヲ。つまり、『木幡の山を歩み吾が來し』となる ので、なぜ、『馬はあれど』と云ったかといふに、馬の用意をする暇もまどろしくて、取るも のも取あへす、といふのであらう。本來馬で來れば到著が早いのであるが、それは理論で、 まどろしく思ふ情の方は直接なのである。詩歌では情の直接性を先にするわけになるから、 かういふ表現となったものである。女にむかっていふ語として、親しみがあっていい。 かとり ひと ものおも うみいかり 大船の香取の海に碇ろし如何なる人か物念 柿本人置歌集 はざらむ〔卷十一・二四三六〕 同上、人麿歌集出。『大船の香取の海に碇おろし』までは、『いかり』から『いかなる』に 績けた序詞であるから、一首の内容は、『いかなる人か物念はざらむ』、印ち、おれはこんな に戀に苦しんで居るが、世の中のどんな人でも戀に苦しまないものはあるまい、といふだけ おほふね

4. 萬葉秀歌 下巻

あま ひさかたの天つみ空に照れる日の失せなむ日 こひや こそ吾が戀止まめ〔卷十二・三〇〇四」作者不詳 この戀はいつまでも變らぬ、空の太陽が無くなってしまふならば知らぬこと、といふので あるが、戀に苦しんでゐるために、自然自省的なやうな氣持で、かういふ云ひ方をしてゐる のである。後代の讀者には、何か思想的に歌ったやうにも感ぜられるけれども、いひ方の動 機はさういふのではなく、もっと具體的な氣持があるのである。この種のものには、『天地 おほっちと に少し至らぬ丈夫と思ひし吾や雄心もなき』 ( 卷十二・二八士五 ) 、『大地も採らげ盡きめど世の みなっき 中に盡きせぬものは戀にしありけり』 ( 卷十一・二四四一 l) 、『六月の地さへ割けて照る日にも吾 が袖乾めや君に逢はずして』 ( 卷十・一九九五 ) 等は、同じゃうな發想の爲方の歌として味ふこ とが出來る。心持が稍間接だが、先づ萬葉の歌の一體として珍重していいだらう。なほ、『外 目に君が光儀を見てばこそ吾が戀やまめ命死なずは』 ( 卷十ニ・ニ八八三 ) があり、「わが戀や まめ』といふ句が入って居る。 103

5. 萬葉秀歌 下巻

0 ′、ま あしがき わぎもこ 蘆垣の隈所に立ちて吾妹子が袖もしほほに 会しぞはゆ〔卷二十・四三五七〕 おさかべのあたひちくに 上總市原郡、上丁刑部直千國の作である。出立のまぎはに、蘆の垣根のの處に立って、 袖もしほしほと濡れるまで泣いた、妻のことが思出されてならない、といふので、『蘆垣の隈 所』といふあたりは實際であっただらう。また、『泣きしぞ思はゆ』も上總の東國語である たらう。或は前にも『おも倍由』といふのがあったから、必ずしも訛でないかも知れぬが、 『泣きしぞ思ほゆる』といふのが後の常識であるのに、『ぞ』でも『思はゆ』で止めてゐる。 『しほほ』も特殊で、濡れる形容であらうが、また、『しをしをと』とか、『しぬに』とも通 ふのかも知れない。 おほきみみこと っ 大君の命かしこみ出で來れば我ぬ取り著きて 防人 いびし子なはも〔卷二十・四三五八〕 そで 186

6. 萬葉秀歌 下巻

こも いはき をはっせやま 事しあらは小泊瀨山の石城にも隱らは共にな おも わカせ 娘子某 思ひ吾背〔卷十六・三八〇六〕 むかし娘がゐたが、父母に知らせず竊かに一人の靑年に接した。靑年は父母の呵嘖を恐れ て、稍猶豫のいろが見えた時に、娘が此歌を作って靑年に與へたといふ傅説がある。『小泊瀬 いはき 山』の『を』は接頭詞、泊瀬山、今の初瀬町あたり一帶の山である。『石城』は石で築いた廓 で此處は墓のことである。この歌も普通の歌で、男がぐづぐづしてゐるのに、女が強くなる 心理をあらはしたものである。前の歌は實德の上からいへば、貞になり、これもまた貞の一 種になるかも知れない。親をも措いて男に從ふといふ強い心に感動せられて傅説が成立する こと、他の歌の例を見ても明かである。『な思ひ、我が背』の口調は強いが、女らしいい味 セム ひがある。毛詩に、『死則同レ穴』とあるのは人間共通の合致であるだらう。 こと

7. 萬葉秀歌 下巻

さあ小床に行かう、といふのである。『いざせ』の『いざ』は呼びかける語、『せ』は『爲』 で、この場合は行かうといふことになる。『明日きせざめや』を契沖は、『明日著セザラメャ』 と解いたが、それよりも『明日來せざらめや也。明日來といふは、凡て月日の事を來歴ゆく と言ひて、明日の日の來る事也』といふ略解宣長説 ) の穩常を取るべきであらう。これも 田園民謠で、直接法をしきりに用ゐてゐるのがおもしろく、特に結句の『いざ・せ , 小床に』 といふのはただの七音の中にこれだけ詰めこんで、調子を破らないのは、なかなか旨いもの である。 0 兒もち山若かへるでの黄葉まで寢もと吾は思 ス汝は何どか思ス〔巻十四・三四九四〕東歌 『兄持山』は伊香保温泉からも見える山で、澁川町の北方に聳えてゐる。一首は、あの子 かへで もみぢ 持山の春の楓の若葉が、秋になって黄葉するまでも、お前と一しょに寢ようと思ふが、お前 はどうおもふ、といふので、誇張するといふのは既に親しんでゐる證據でもあり、その親し みが露骨でもあるから、一般化し得る特色を有つのである。『汝は何どか思ふ』と促すところ やまいか もみづ

8. 萬葉秀歌 下巻

たにはぢなえ またまづら とが分かり、模倣心理の昔も今もかはらぬことを示してゐる。『丹波道の大江の山の眞玉葛 絶えむの心我が思はなくに』 ( 三 0 七一 ) といふのも序詞の一形式として書いておく。 以上で卷十二の選は繆ったが、從屬的にして味ってもいいものが若干首あるから序に書記 しておかう。たいして優れた歌ではない。 おも ここおも 死なむ命此は念はずただにしも妹に逢はざる事をしぞ念ふ ( 二九二 0 ) ひ け おのがじし 各自ひと死サらし妹に戀ひ日に日に痩せぬ人に知らえず ( 二九二八 ) たづさ うまさはふ目には飽けども携はり間はれぬことも苦しかりけり ( 二九三四 ) 思ふにし餘りにしかば術を無み吾はいひてき忌むべきものを ( 二九四七 ) ことは うっせみ っ ま 現身の常の辭とおもへども繼ぎてし聞けば心惑ひぬ ( 二九六一 ) あしひきの山より出づる月待っと人にはいひて妹待っ吾を ( 三〇 0 二 ) タ月夜あかとき闇のおぼほしく見し人ゅゑに戀ひわたるかも ( 三〇〇三 ) い 106

9. 萬葉秀歌 下巻

すべ らぬが、女の歌とする方が感に乘ってくるやうである。術なき事といふのは、どうしていい しかた すべ か爲方の分からぬ氣持で、『術なきものは』、『術の知らなく』、『術なきまでに』等の例があり、 共に心のせつばつまった場合を云ってゐる。下の句の切實なのは讀んでゐるうち分かるが、 上の句にもやはりその特色があるので、此上の句のためにも一首が切實になったのである。 億良が熊凝を悲しんだものに、『たらちしや母が手離れ』 ( 卷五・八八六 ) といったのは、此歌を しろかみ 學んだものであらう。なほ、『黒髮に白髮まじり老ゆるまで斯る戀にはいまた逢はなくに』 ( 巻四・五六三 ) といふ類想の歌もある。第二句、『母之手放』は、ハハノテソキテ、ハハカテカ レテ等の訓もあるが、今契沖訓に從った。 ひと きみ 人の寐る味宿は寐ずて愛しきやし君が目すら なげ を欲りて歎くも〔卷十一・二三六九〕柿本人属歌集 同上、人麿歌集出。一首の意は、このごろはいろいろと思ひ亂れて、世の人のするやうに 安眠が出來ず、戀しいあなたの眼をばなほ見たいと思って歎いて居ります、といふので、こ れも女の歌の趣である。『目すら』は『目でもなほ』の意で、目を強めてゐる。争のロ語にな

10. 萬葉秀歌 下巻

こころかな はるび ひはり うらうらに照れる春日に雲雀あがり情悲しも ひとり 大作家持 獨しおもへは〔卷十九・四二九二〕 同じく家持が天平勝寶五年二月二十五日に作ったものである。一首は、麗らかに照らして をる春の光の中に、雲雀が空高くのぼる、獨居して、物思ふとなく物思へば、悲しい心が湧 くのを禁じ難い、といふので、萬葉集の大部分の歌が對詠歌、相待的な愬への歌であるのに、 この歌は、不思議にも獨詠的な歌である。歌に、『獨しおもへば』といふのが共を證してゐ るが、獨居沈思の態度は既に支那の詩のおもかげでもあり、佛敎的靜觀の趣である。これ も家持の到り著いた一つの歌境であった。 前言にもいった天平二年の旅人宅の歌に、山上憶良の、『春されば先づ喰く宿の梅の花ひ とり見つつや春日くらさむ』 ( 卷五・八一八 ) には、ややこの歌と類似點があるが、それ以外の ものの多くは戀愛情調で、對者 ( 男女 ) を豫想したものが多い、從って人間的肉體的なもの が多い。然るにこの歌になると、すでにその趣がちがって、自然観入による、その反應とし ての詠歎になってゐる。 179