ごとみ いもひと うつく 愛しみ我が念ス妹を人みなの行く如見めや手 に纏かずして〔卷十一一・二八四三〕柿本人歌集 おれの戀しくおもふ女が、今彼方を歩いてゐるが、それをば普通並の女と一しょにして平 然と見て居られようか、手にも纏くことなしに、といふのである。あの女を手にも纏かずに 居るのはいかにも辛いが、人目が多いので致し方が無いといふことが含まってゐる。これた けの意味だが、かう一首に爲上げられて見ると、まことに感に乘って來て棄てがたいもので ある。『人皆の行くごと見めや』の句は強くて情味を湛 ( 、情熱があってもそれを抑 ( て、傍 觀してゐるやうな趣が、この歌をして平板から脱却せしめてゐる。無論民謠風ではあるが、 ・未た語氣が求心的である。 いも やますげ みづかげ やまがは 山河の水陰に生ふる山草の止まずも妹がも 柿本人歌集 ほゆるかも〔卷十一一・二八六二〕
憐のこころで詠んだもので、西洋的にいふと、戀の盲目とでもいふところであらうか。その あはれが聲調のうへに出てゐる點がよく、第三句で、『多かれど』と感慨を籠めてゐる。結句 の、『鳴くも』の如きは萬葉に甚だ多い例だが、古今集以後、この『も』を段々嫌って少くな ったが、かう簡潔につめていふから、感傷の厭味に陷らぬとも謂ふことが出來る。この歌の さつを かしこ をじか 近くに、『山邊には獵夫のねらひ恐けど牡鹿鳴くなり妻の眼を欲り』 ( 一一一四九 ) といふのがあ るが、この方は常識的に露骨で、まづいものである。 あきか あさぢ さむふ 秋風の寒く吹くなべ吾が屋前の淺茅がもとに こほろぎな 作者不詳 蟋蟀鳴くも〔卷十・二一五八〕 『吹くなべ』は、吹くに連れてといふ意味なること、既に云った。この歌は既に選出した、 『タ月夜心もしぬに白露のおくこの庭に蟋蟀鳴くも』 ( 一五五一 I) に似てゐるが、『淺茅がもと に』といふのが實質的でいいから取って置いた。結句の『も』は『さを鹿鳴くも』の『も』 に等しい。萬葉にはこの種類の歌がなかなか多いが皆相當なものだといふのは、實質的で誤 魔化さぬのと、奧に戀愛の心を習めてゐるからであるだらう。
相當におもしろいものばかりであるのを見れば、或は人厨自身が何かの機縁にかういふ旋頭 歌を作り試みたものであったのかも知れない。 わ ゆっき かく つまあかね 長谷の五百槻が下に吾が隱せる妻茜さし照れ ひとみ る月夜に人見てむかも〔卷十一・二三五三〕柿本人歌集 まっせ ゆっきいほっき 旋頭歌。人麿歌集出。長谷は今の磯城郡初瀬町を中心とする地、泊瀬。五百槻は五百槻の ことで、澤山の枝ある槻のことである。そこで、一首の意は、長谷 ( 泊瀬」の、槻の木の茂 った下に隱して置いた妻。月の光のあかるい晩に誰かほかの男に見つかったかも知れんとい ふので、上と下と意味が關聯してゐる。併し旋頭歌だから、下から讀んでも意味が通じるの である。この歌も民謠的だが、素朴でいかにも當時の風俗が分かっておもしろい。旋頭歌の 調子は短歌の調子と違ってもっと大きく流動的にすることが出來る。内容もまた複雜にする ことが出來るが、それをするといけない事を意識して、却って單純にするために繰返しを用 ゐてゐる。 はっせ つくよ けやき
らに』も同様で、おいでにならないとは承知してゐますのに、それでも私はあなたをお待ち してゐますといふ歌である。白樂天の琵琶行に、猶抱一一琵琶一半遮」面の句がある。 きみ ひとめぐ さと 人も無古うにし鄕にある人を愍くや君が戀 作者不詳 に死なする〔卷十一・二五六〇〕 作者不明であるが、舊都にでもなったところに殘り住んでゐる女から、京にゐる男にでも 遣 0 た歌のやうに受取れる。もう寂しくなって人も餘り居らないこの舊都に殘「て居ります 私に、可哀さうにも戀死をさせるお 0 もりですか、とでもいふのであらう。『めぐし』は、 『妻子見ればめぐし愛し』 ( 卷五・〈〇〇 ) 、『妻子見ればかなしくめぐし』 ( 卷十《・四一〇六 ) 等の 『めぐし』は愛情の切なことをあらはしてゐるが、『今日のみはめぐしもな見そ言咎むな』 ( 卷九・一七五九 ) 、『こころぐしめぐしもなしに』 ( 卷十七・三九七八 ) の『めぐし』は、むごくも 可哀想にもの意で前と意味が違ふ、その意味は此處でも使ってゐる。語原的にはこの方が本 義で、心ぐし、目ぐしの『ぐし』も皆同じく、『目ぐし』は、目に苦しいまでに附くことから 來たものであらうか。結句從來シナセムであったのを、新考でシナスルと訓んた。 こひ
かおやまきぎした きみ うつ あしひ会の片山雉立ちゅかむ君にくれて顯 しけめやも〔卷十二・三二一〇〕 作者不詳 旅立ってゆく男にむかって女の云った歌の趣である。『片山雉』までは『立っ』につづく 序詞である。旅立たれるあなたと離れて私ひとりとり殘されて居るなら、もう心もぼんやり うつつ してしまひませう、といふので、『顯しけめやも』、現ごころに、正氣で、いして居ること が出來ようか、それは出來ずに、心が亂れ、茫然として正氣を失ふやうになるだらうといふ 意味に落著くのである。この雉を持って來た序詞は、鑑賞の邪魔をするやうでもあるが、私 は、意味よりも音調にいいところがあるので棄て難かったのである。『僞りも似つきてぞす うつ る現しくもまこと吾妹子われに戀ひめや』 ( 卷四・七士一 ) 、『高山と海こそは山ながらかくも現 うっしごころ しく』 ( 卷十三・三三三一 D 、『大丈夫の現心も吾は無し夜晝といはず戀ひしわたれげ』 ( 卷十一・ 一一三士六 ) 等が參考となるだらう。なほ、『春の日のうらがなしきにおくれゐて君に戀ひつつ 顯しけめやも』 ( 卷十五・三 ~ 」五一 D といふ、狹野茅上娘子の歌は全くこの歌の模倣である。お 5 もふに當時の歌人等は、家持などを中必として、古歌を讀み、時にはかく露骨に模倣したこ 0
あなた 悲しむのです、といふので、この歌の『人』は貴方といふぐらゐの意味である。この歌は女 としての心の働き方が特殊で、今までの相聞歌の心の動き方と違ふところがあっていい。こ の歌の長歌は、『敷島の大和の國に人さはに滿ちてあれども藤波の思ひ纏はり若草の思ひっ きにし君が目に戀ひやあかさむ長きこの夜を』 ( 三二四八 ) といふので、この反歌と餘り印き 過ぎぬところが旨いものである。この長歌の『人』は人間といふぐらゐの意だが、やはり男 といふ意味が勝ってゐるであらう。 略解で、『わがおもふ人のふたりと有ものならば、何かなげくべきと也』と云ったのは簡潔 ナラビョノナガニヒトリ′ ~ でいい。なほ、この短歌の、『人二人』云々につき、代匠記で遊仙窟の『天上無」雙入間有」一』 といふ句を引いてゐたが、この歌の作られた頃に、遊仙窟が渡來したか奈何も定めがたいし、 『人二人ありとし念はば』といふやうないひ方は相聞心の發露としてそのころでも云ひ得た ものであらう。明治新派和歌のはじめの頃、服部躬治氏は、『天地の間に存在せるはたゞ一一 人のみ。二人のみと觀ぜむは、夫婦それ自身の本能なり。觀ぜざるべからざるにあらず、お のづからにして觀ずべしとす。夫婦はしかも一體なり。大なる我なり。我を離れて天地あら ザ、天地の相は我の相なり。既に我の相を自識し、我の存在を自覺ぜらば、何をもとめて何 かなげかむ。我は長へに安かるべく、世は時じくに樂しかるべし。蓋しこの安心は絶對なり』 109
かなと だのは、『金門にし人の來立てば』 ( 卷九・一士三九 ) 等の例に據ったので、『金門』で單に『門』 といふ意味に使ってゐる。一首の意味は、戀歌で、戀しい女の家に近づいた趣だが、快い調 子を持って居り、伸々と、無理なく情感を湛へてゐる點で、選ぶとせば選ばれる歌である。 ただ舍人皇子に獻った歌だといふので、何か寓意を考へ、『此歌モ亦下意アル歟。君ガ恩惠フ チギ 近ク蒙ルベキ事 ( 、譬〈パ人ノタ去バ必一フズ逢ハムト契リタラムニ、泊瀬川ノ早キ瀬ヲカン ウジテ渡リ來テ共家近ク成タルガ如シトヨメル歟』 ( 代匠記 ) 等と詮索しがちであるが、これ は何かの機に作ったもので、自分でも稍出來の好い歌だといふので、皇子に獻ったものでで はっせがは もあらうか。さすれば、普通の戀歌として味っていいわけである。泊瀬川は長谷の谿を流れ、 遂に佐保川に合する川である。 たびとやご 旅人の宿せむ野にをらば吾が子羽ぐくめ あめ たづむら 天の群〔卷九・一七九一〕 遣唐使隨員の母 天平五年夏四月、造唐使 C 多治比眞人廣成 ) の船が難波を出帆した時、隨行員の一人の母親 ひとりご が詠んだ歌である。長歌は、「秋萩を、妻ふ鹿こそ、一子に、子持たりとい、、鹿兄じも かなと
しか つまよ わさだ か やま をかべ さを鹿の妻喚ぶ山の岳邊なる早田は苅らじ霜 作者不詳 は零るとも〔卷十・二二二〇〕 早稻田だからもう稔ってゐるのだが、牡鹿が妻喫ぶのをあはれに思って、それを驚かすに 忍びないといふ歌である。それをば、『霜は降るとも』と念を押して、あはれに思ふとか、 たったち をかべ 情してとかいふ、主観語の無いのをも注意していい。岡邊といふ語は、『龍田路の岳邊の道 に』 ( 卷六・九七一 ) 、『岡邊なる藤浪見には』 ( 卷十。一九九一 ) 等の例にある。かういふ人間的と 謂ふべき歌は萬葉には多い。人間的といふのは、有情非情に及ぼす同感が人間的にあらは れるといふ意味である。 0 あめ おも しぐれ あ・ま、 - もは 思はぬに時雨の雨は零りたれど天雲霽れて月 よ 作者不 夜さやけし〔巻十・二二二七〕 思ひがけず時雨が降ったけれど、いつのまにか天雲が無くなって、月明となったといふた 二一口 つく
たである。月光を機縁とした戀の歌に、『吾背子がふり放け見つつ嘆くらむ淸き月夜に雲な あ ' だ 棚引き』 ( 二六六九 ) 、『眞袖もち床うち拂ひ君待っと居りし間に月かたぶきぬ』 ( 二六六士 ) 等 がある。 0 をちかた とこ こさめふ 彼方の赤土の小屋に旅霖降う床さへ沾れぬ身 わぎも 作者不詳 に副へ我妹〔卷十一・一一六八三〕 これは寄」雨歌だから、かういふ云ひ方をするやうになったもので、『赤土の小屋』印ち、 土のうへに建ててある粗末な家に小雨が降って來て床までも沾れた趣である。そこで結句が 導かれるわけで、つまりは、『身に副へ我妹』が一首の主眼となるのである。上の句などは大 體の意味を心中に浮べて居れば好いので、小詭風に種々解釋する必要はなからうとおもふ。 民謠的で、勞働に携はりながらうたふことも出來る歌である。
さはいづみ ふまでは、といふので山の歌らしくおもへる。この卷に、『こもりどの澤泉なる石根をも通 してぞおもふ吾が戀ふらくは』 ( 二四四三 ) といふのがあるが、二四四三の方が原歌で、二七 九四の方は分かり易く變化したものであらう。さうして見れば、『石根ゅも』は『石根をも』 と類似の意味か。 0 ひとごと しげ きみうづらな 人言を繁みと君を鶉鴨く人の古家に卅らびて 遣りつ〔卷十一・一一七九九〕 作者不詳 人の噂がうるさいので、鶉鳴く古い空家のやうなところに連れて行って、そこでいろいろ とお話をして歸したといふので、『君』をば男と解釋していいだらう。この歌で、『語らひて 遣りつ』の句は、まことに働きのあるものである。訓は大體考・略解に從った。 やまり あしひの山鳥の尾の垂尾の長き長夜を一 作者不詳 人かも宿む〔巻十了二八 0 二〕 や ひとふるヘ ひと