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検索対象: 萬葉秀歌 下巻
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1. 萬葉秀歌 下巻

つまりは同じことに歸著するのである。 きみ あさしぬはら かむなび 艸南備の淺小竹原のうるはしみ妾が思ふ君が こゑしる 作者不詳 をく〔卷十一・二士七四〕 の著ナ あさしぬはら 一首の、『神南備の淺小竹原のうるはしみ』は下の『うるはしみ』に績いて序詞となった。 併し現今も飛鳥の電岳あたり、飛鳥川滑岸に小竹林があるが、そのころも小竹林は繁って立 派であったに相違ない。當時の人 ( この歌の作者は女性の趣 ) はそれを觀察してゐて、『うる はし』に績けたのは、詩的力量として觀察しても驚くべく鏡敏で、特に『淺小竹原』と云っ アサジメ たのもこまかい觀察である。もっとも、この語は古事記にも、『阿佐士怒波良』とある。併 しる しそれよりも感心するのは、一首の中味である、『妾が思ふ君が聲の著けく』といふ句である。 をつと 自合の戀しくおもふ男、印ち夫の聲が人なかにあってもはっきり聞こえてなっかしいといふ ので、何でもないやうだが短歌のやうな短い抒情詩の中に、かう自山にこの氣持を詠み込む といふことはむつかしい事なのに、萬葉では平然として成し遂げてゐる。

2. 萬葉秀歌 下巻

かなくさまくらたこ いりぬ 吾が戀はさかも悲し草枕多胡の入野のく 東歌 もかなしも〔卷十四・三四〇三〕 上野國歌。『多胡』は上野國多胡郡。今は多野郡にした。『草枕』を『多胡』の枕詞とし タルミノ : 、ヅノハ シキャシ たのは、クビのタに續けたので變則の一つである。垂水之水能早敷八師 ( 卷十二・三〇二五 ) で、 ハヤシのハとハシキャシのハに績けたたぐひである。『入野』は山の方へ深く入りこんだ野 まさ といふ意味であらう。『まさか』は『正か』で、まさしく、現に、今、等の意に落著くだらう。 『梓弓すゑはし知らず然れどもまさかは君に縁りにしものを』 ( 卷十一一・二九八五 ) 、『しらがっ そひはりはら く木綿は花物ことこそは何時のまさかも常忘らえね』 ( 二九九六 ) 、『伊香保ろの傍の榛原ねも ゆりゆり ころに奥をな兼ねそ寸さかし善かば』 ( 卷十四・三四一〇 ) 、『さ百合花後も逢はむと思へこそ今 0 0 0 うるけ のまさかも愛しみすれ』 ( 卷十八・四〇八八 ) 等の例がある。一首の意は、自分の戀は、い寸現に こんなにも深く強い。多胡の入野のやうに ( 序詞 ) 奥の奥まで相かはらずいつまでも深くて強 い、といふのである。『まさかも』、それから、『おくも』と績いてをり、『かなし』を繰返し てゐるが、このカナシといふ音は何ともいへぬ響を俥へてゐる。民謠的に誰がうたってもい こひ 0 0 0 に 4

3. 萬葉秀歌 下巻

この歌は、『念 ( ども念ひもかねつあしひきの山鳥の尾の永きこの夜を』 ( 二八〇一の別傅 として載ってゐるが、拾遺集戀に人麿作として載り小倉百人一首にも選ばれたから、此處に 選んで置いた。内容は、『長き長夜をひとりかも寢む』だけでその上は序詞であるが、この 序詞は口調もよく氣持よき聯想を伴ふので、二八〇二の歌にも同様に用ゐられた。なほ、『あ ひとめ しひきの山鳥の尾の一峰越え一目見し兄に戀ふべきものか』 ( 二六九四 ) の如き一首ともなっ てゐる。『尾の一蜂』と績き山を越えて來た趣になってゐる。この『あしひきの山鳥の尾の」 の歌は序詞があるため却って有名になったが、この程度の序詞ならば萬葉に可なり多い。

4. 萬葉秀歌 下巻

ももふわ っしま あさぢやましぐれあめ 百船の泊っる對馬の淺茅山時雨の雨にもみた ひにけり〔卷十五・三六九士〕 新羅使 新羅使の一行が、對馬の淺茅浦に碇泊した時、順風を得ずして五日間逗留した。諸人の中 で慟いて作歌した三首中の一つである。淺茅浦は今俗に大口浦といってゐる。モミヅは其頃 多行四段にも活用し共をまた波行に活用せしめた。『もみだひにけり』は時間的經過をも含 ませてゐる。歌は平几で取立てていふほどではないが、實際に當って作ったといふ爭はれぬ 強みがあるので、讀後身に沁むのである。 0 あまぎか て ひな つき とほ わか 天離る鄙にも月は照れれども妹ぞ遠くは別れ 來にける〔巻十五・三六九八〕 新羅使 前の歌の績きであるが、五日滯在のうちには時雨も暙れて月の照った夜もあったのであら う。『鄙にも月は照れれども』といふ句に哀韻があるのは、都の月光といふ相對的な感じも いも 144

5. 萬葉秀歌 下巻

って外に出ない戀しい娘を見たいものだ、といふので、この繭のことを云ふのも日常生活の 經驗を持って來てゐる。蠶に寄する戀といっても、題詠ではなく、斯ういふ歌が先づ出來て それから寄」物戀と分類したものである。この歌は序詞のおもしろみといふよりも、全體が 實生活を離れず、特に都會生活でない農民生活を示すところがおもしろいのである。卷十一一 まよごも ( 二九九一 ) に、『垂乳根の母が養ふ蠶の繭隱りいぶせくもあるか妹にあはずて』といふのがあ いきづ 、卷十三 ( 三一一五八 ) の長歌に、『たらちねの母が養ふ讎の繭隱り氣衝きわたり』といふの があるが、やはり此歌の方が旨い。『いぶせく』では績きが突如としても居り、不自然で妙味 - がないやうである。 たらちね - はは さは いましわれ ことな 垂乳根の母に障らばいたづらに汝も吾も事成 るべしゃ〔卷十一・一一五一士〕 作者不詳 正述 = 心緖→作者不明。一首の意は、母に遠慮して氣兼してぐづぐづしてゐるなら、お前 も私もこの戀を遂げることが出來んではないかといふので、男が女を促す趣の歌である。男 が氣を急いで女に向って斯くまで強いことをいふのも或場合の自然であり、娘の方で母のこ

6. 萬葉秀歌 下巻

上句は序詞で、中味は、『やまずも妹がおもほゆるかも』だけの歌で別に珍らしいもので はない。また、『山菅のやまずて君を』、『山菅のやまずや戀ひむ』等の如く、『山菅の・やま みづかけ ず』と績けたのも別して珍らしくはない。ただ、山中を流れてゐる水陰にながく靡くやうに すけ して群生してゐる菅といふ實際の光景、特に、『水陰』といふ語に心を牽かれて私はこの歌 を選んだ。この時代の人は、幽玄などとは高調しなかったけれども、かういふ幽かにして奧 深いものに觀入してゐて、それの寫生をおろそかにしてはゐないのである。此歌は人麿歌集 みづかけ 出だから人麿或ト期の作かも知れない。『あまのがは水陰草の』 ( 卷十・二 0 一三 ) とあるのも、 かういふ草の趣であらうか。 あ あさゆ きみ ゅふべき 朝去きてタは來ます君ゅゑにゆゅしくも吾は なげ 作者不詳 歎きつるかも〔卷十一一・一一八九三〕 『君ゅゑに』は、屡出てくる如く、『君によって戀ふる』、印ち『君に戀ふる』となるのだ が、もとは、『君があるゆゑにその君に戀ふる』といふ意であったのであらうか。一首の意は、 いまいま 朝はお歸りになってもタ方になるとまたおいでになるあなたであるのに、我ながら忌々しく

7. 萬葉秀歌 下巻

である。王女は額田王の御姉であったから、額田王の歌にも共通な言語に對する銓敏がうか がはれるが、額田王の歌よりももっと素直で才鋒の目だたぬところがある。また時代も萬葉 上期だから、その頃の純粹な響・語氣を俥へてゐる。卷八 ( 一四六五 ) に、藤原夫人の、『霍 とぎす 公鳥いたくな鳴きそ汝が聲を五月の玉に交へ貫くまでに』があるが、女らしい気持たけのも ほととす のである。また、やはり此卷 ( 一四八四 ) に、『公鳥いたくな鳴きそ獨りゐて寐の宿らえぬ に聞けば苦しも』といふ大伴坂上郎女の歌があるが、『吾が戀まさる』の簡淨な結句は及 ばない。これは同じ女性の歌でももはや時代の相違であらうか。 とほ はるきた やま うち靡く春來るらし山の際の遠会木末の唹き 尾張連 ゆく見れば〔卷八・一四二二〕 をはりのむらじ 尾張連の歌としてあるが、仲不明である。一首は、山のあひの遠くまで績く木立に、きの ふも今田も花が多くなって見える、もう春が來たといふので、『険きゅく』だから、次から次 と花がいてゆく、時間的經過を含めたものだが、共處に讀者を迷はせるところもなく、ゆ ったりとした迫らない響を感じさせてゐる。そして、春の到來に對する感慨が全體にこもり、 な こぬれ

8. 萬葉秀歌 下巻

印をつけると、自然かういふ結果になるといふことは興味あることで、もっと先きの卷に於 ける家持の歌の場合と同じである。 がはづな かむなびがは 蝦嗚く廿南備河にかげ見えて今か唹くらむ山 ぶき 吹の花〔卷八・一四三五〕 厚見王 厚見王の歌一首。厚見王は績紀に、天平勝寶元年に從五位下を授けられ、天下寶字元年 に從五位上を授けられたことが記されてゐる。甘南備河は、甘南備山が飛鳥 ( 雷丘 ) か龍田 かによって、飛鳥川か龍田川かになるのだが、それが分からないからいづれの河としても味 ふことが出來る。一首は、 ( 河鹿 ) の鳴いてゐる甘南備河に影をうっして、今頃山吹の花 が矣いて居るだらう、といふので、こだはりの無い美しい歌である。 此歌が秀歌として持てはやされ、六帖や新古今に載ったのは、流麗な調子と、『かげ見え て』、『今かくらむ』といふ、幾らか後世ぶりのところがあるためで、これが本歌になって 模倣せられたのは、その後世ぶりが氣に入られたものである。『逢坂の關の淸水にかげ見え て今や引くらむ望月の駒』 ( 拾遺・貫之 ) 、『春ふかみなび川に影見えてうつろひにけり山火 あつみのおほきみ いま

9. 萬葉秀歌 下巻

あま つり ささなみひらやまかぜうみふ 樂浪の比良山風の海吹けば釣する海人の袂か 柿本人屆歌集 へる見ゅ〔巻九・一七一五〕 ゑにすのもと 槐本歌一首とあるもので、槐本は柿本の誤寫で人麿の作だらうといふ説がある。一首の意 ささなみひら は、近江の樂浪の比良山を吹きおろして來る風が、湖水のう〈に至ると、釣してゐる漁夫の 袖の翻るのが見える、といふ極く單純な内容であるが、張りある淸潔音の連績で、ゆらぎの 大きい點も人麿調を聯想せしめるし、人麿歌集出の歌だから、先づ人麿作と云っていいもの であらう。この歌の上の句ほどの程度の、諧調音でも吾々が作るとなれば、なかなか容易の わざではない。 いへかなご はっせがはゆふわた 泊瀨河タ渡り來て我妹子が家の門に近づきに 柿本人屆歌集 けり〔卷九・一士士五〕 舍人皇子に獻った歌一一首中の一つで、人麿歌集に出でたものである。『門』をカナドと訓ん わぎもこ そで

10. 萬葉秀歌 下巻

こはだ 郡、現在字治村木幡で、桃山御陵の東方になってゐる。前の歌に、強田とあったのと同じで ある。一首の意は、山科の木幡の山道をば徒歩でやって來た。おれは馬を持ってゐるが、お 前を思ふ思ひに堪へかねて徒歩で來たのであるぞ、といふのである。舊訓ヤマシナノ・コハ ダノヤマニ。考ヤマシナノ・コハダノヤマヲ。つまり、『木幡の山を歩み吾が來し』となる ので、なぜ、『馬はあれど』と云ったかといふに、馬の用意をする暇もまどろしくて、取るも のも取あへす、といふのであらう。本來馬で來れば到著が早いのであるが、それは理論で、 まどろしく思ふ情の方は直接なのである。詩歌では情の直接性を先にするわけになるから、 かういふ表現となったものである。女にむかっていふ語として、親しみがあっていい。 かとり ひと ものおも うみいかり 大船の香取の海に碇ろし如何なる人か物念 柿本人置歌集 はざらむ〔卷十一・二四三六〕 同上、人麿歌集出。『大船の香取の海に碇おろし』までは、『いかり』から『いかなる』に 績けた序詞であるから、一首の内容は、『いかなる人か物念はざらむ』、印ち、おれはこんな に戀に苦しんで居るが、世の中のどんな人でも戀に苦しまないものはあるまい、といふだけ おほふね