後にも会は続いていたのに、ずいぶん村をつなぐをテーマに、地大豆城登美雄先生のプロデュースのお力が と人が減っていたのは残念だった。 の種をまく「大豆レポリューショ大きかったのでしよう。実行委員の 最後に、この鳴子の米プロジェクト ン」や竹活用の取リ組み「バンプ方々も肩書に関係なく夢をもって一人 ーファクトリ でも活躍されている、東鳴子温泉の湯 ー」などのプロジェひとりができることで参廂しているこ 守の大沼仲おさんとの出逢いを記して クトを展開中。木業はエコな企業とが成勤的でした。行政に頼らず町民 おきたい。 自身のカで祭りをつくったことが何よ 湯治場の本場、鳴子温泉もや z 0 援するデサイナー ご他聞にもれず、衰退化している中、 り自信になると思います。 私の住む山形県最上町は、鳴子とは 大沼さんは、田んばでの農作業と温泉さらに多収穫できる米はな を組み合わせた「田んば湯治」やアー 県境を隔てた隣の町で、似たような自 いか ? ・奥山勝明 然環境です。温泉があり、沢の奥まで トと湯治を組み合わせた「アート•- = 田をつくり、毎年、冷水とヤマセとの 湯治」など先進的なアイデアで湯治場 の活性化を試みている方。ボクたちト まず一年前に発足したばかりのプロたたかいです。最上町でも平成十七年 ージバの活動の目的は、薪しい湯治ジェクトでこれだけ早く発表会を開け から、「東北 181 号」と同じ寒冷地 場Ⅱ癒しの場」を、都市や農村につくたということに驚きました。そこは結用品種で、冷めてもおいしく粘りのあ 《 3 っていくことなので、「新しいトージ る「雪の舞」という米を バ」をつくる、という共通のキーワー 第を ~ 一「くり始めました。私も ドで、つながっていくということで意 昨年は七〇アールほどっ ~ 玳投ムロ ! ここにも新しい種がまかれ ・一ッくりましたが、問題は収 た、そんな嬉しいオマケまで付いた、 穫量で一〇アール当たり 1 -8 1 とても意義深い一日だった。 ・山八俵程度。「東北 号」も七俵という結果に かんざわ・のリお法人ト ージバ事務局長・理事。「都市ど農 れました。食味は「東北 ( 43 )
うと当たり前、またはマイナス要素にじゃないかしら ? 」と思うようになりし合えたら、今農業が抱えている、多 くの問題が解決できるはず」ーーそう しか思えないようなことでさえ、都〈ムました。 のお客さまにとってはその事実一つひそして、「農家とお客さまとが直接確信するようになりました。 とつが感動なのだということに気づき会って話をして、お互いを理解、尊重そして、実現した交流会は、本当に ました。 白すばらしい空気に満ちあ ふれていました。 その体験を通して「農家とお客さま ~ 京 当日、農家の紹介はも と、その両者が信頼し合っていれば、 ちろんですが、交流会で よけいなことは何にもしなくていいん 紹はお客さまの自己紹介も , 法していただきました。農 培家さんとお客さまとが同 じ目線で話をしていただ きたかったからです。 またもや予相邦のこと 自てがありました。 今思えば失礼な話です 家ど が、私はお客さまのこと 農う しん ・足さ 、を「すごく野米を好きな 会一人」ぐらいに捉えていた 流リ とん 交ラのです。 。・を第を般さ とギ 一全次 ところが自「」衂〈引一し ま家 ( 活健 生森 さ民ていただくと、「環境保 客古 おの全の活動をしています」 農の
になるほうが、結果的には大きな力に 孟ノボ販 なっていくと川村さんは考えている。 る か丿穫作、 ちなみに川村さんはこれまでに五俵 春い収制 。ののん のお米を提供しているが、一俵入魂の ん竹松営 さえ方門を 活動をすすめる中で、地兀、南国市の 村植四は業 川田る末農 農家のお米に対する意識が変わってき る、あ年の す穫でては たと感じている。 を収産しで 定の特そら 南国市といえば、かっては稲作の一一 剪コの、な のノ元穫地 期作が行なわれていたほどの地域。県 ンケ地収間 内でも有数の米どころなのかと思って カタはの山 ンのにン いたが、「米は今では一一次的な品目で ポ竹秋力と 知り合いに電話をかけまくり、足を運すから、今後は提供してもらう農家もすよ」と意外な言葉が返ってきた。 「これだけ米価が下がっていますから、 べるところには自ら赴き、想いを語っ高知に限定して、高知ファイティ た。結果、一人で一一一〇俵のお米を集めングドッグスの選手たちだけに送るよ農家にとって米は魅力的な作物ではな 。ですから、南国市の大半の農家は た人も現れ、一年目は三三〇俵、一一年うにしようかなとも考えています」 な 目は一一一月末現在までに約五〇〇俵が提じつはまだ具体化はしていないが、譬木の施設栽培を主力にしている。野 供されている。農家の数にしたら八〇一俵入魂の活動に刺激を受けたのか、菜づくりの合間に米をつくっている、 〇人ほどになるという。 香川県や愛媛県でも同じような活動のという状態ですね。でもね、一俵入魂 な、元五 % が高知旧肉の農家です。当初萌芽があるという。や「ばり、誰もがを始めてから、地兀の農家の人たちが は四国リーグの四チーム全部にお米を地兀のチームを応援したいのだ。それ米の価値を見直すようになってきたん め ッ送るつもりでしたが、提供してくれるぞれの地域で活動が立ち上がり、それです。自分たちでつくった米が選手た 活動ちてている、そういうつながりが 翆 農家の人は、地兀の高知ファイティンぞれが楽しくやっていけばいい。 グドッグスを応援したいんですよ。でのをムけるより、より地域密着型目に見えるからかもしれません」 ( 51 )
供する」だけでなく、「お金」を介してアメリカ国債となり、間接的にアフガ法人 ap bank が設立された。 つながりや情報、ノウハウの交換を求ン戦争やイラク戦争での武器調達資金 ap bank のコンセプトは eco-reso めている。を、一緒にプロジェや環境破壊に連なる大開フロジ ( エコレゾ。エコ意識への共鳴・共振 クトを推進し、協働するパートナーとエクトの資金とならないよう、おカネの意味 ) 。 Bank Band での音楽活動や、 して見始めている、そんな空気があるの流れを変えようというキャンペーン ap bank fes ( フェス ) 、 APBANG! にはあるが、まだまだ現実はきびしい だったが、さらに調べを進める中で、来環境会議、また、環フロジェク 国や企業の大きな資金の流れに左右 ap bank 、未来バンクというものがあトへの融資、食と農をつなぐ実践の場 されないで、かっ、農山村での労働、るらしいということがわかった。 kurkku kitchen c 6 運営などの活動 食生活、健康、水、山と里、家とむら を展開している。 との関係、伝承と教育などを寺り育て 一一〇〇五年、一一〇〇六年と静岡県つ ap bank とは てゆく。そんな活動に多くの善意のお ま恋で ap bankfes が開催され、それ カネや預金が流れたらいいのに : 一一〇〇一一年、坂本龍一さんの呼びかぞれ六万人、七万五〇〇〇人が訪れた。 そんな悩みを吾の仲間に相談した。すけで始まった、アーティスト自身が自会場では、アーティストによるコンサ ると「コミュニティー ハンク」「エ然エネルギー促進のために活動する ートもさることながら、融資先。フース ハンク」といった新しいタイプの Artist's Power の勉強会の中で、未来の出店、出される食べものが融資先も 融資機関ができ始めているという。そ ハンク事業組合理事長の田中優さんか含めすべてオーガニックフ 1 ドである れも、昔ご近所として行き来のら「市民のためのバンクづくり」の提こと、観客とボランティアが一体とな ったゴミ分別、マイ箸、マイスプーン あった A SEED JAPAN ( アシードジ案を受け、 ap bank 構想が立ち上がっ ャパン ) がやっている、との話。 た。翌年、小林武史さん、櫻井和寿さの持参などでも環境問題をアピ 1 ルし 実際は ASEEDJAPAN は直接の融ん、坂本龍一さんの三名が出資してた。一人ひとりが身近にできるエコ活 資はやらず、「おカネの流れ」を変え「可能性のある新しい未来を拓こうと動を考えるワークショップやトークシ るためのエコ貯金という活動をしてい しているさまざまな環境プロジェクヨーも開かれた。 た。銀行、郵便局に預金したおカネが、 ト」へ融資する非営利の有限責任中間 ( 244 )
が集一つて一つ」。さらに、 「この米俵、四万十川の流域でお米 奈路小学校は四国では初 をつくってきたおばあちゃんが編んで くれたものなんです。五〇年ぶりにつ くったよって、喜んでくれましたね」 奈外通学が認められ、現在 す 四〇人の児童が学んでい お米をつくる、俵を編む、お金では 暮 る。高校球児だった仲間 代替のできない技の蓄積が、一俵入魂 ん 日村さんに、まず、一 の底力だ。 さ 俵入魂のを持ち込ん まる だ理由はココにある。ュ 一〇入魂の仲間を増やそう ニークな発想と活動で人 脈を広げてきた川村さんが参加すれ ままでは地域全体が沈んでしまう。 「一俵入魂百勝の会」の設立総会は、 「とにかくこの地域に暮らす自分たば、「一成がまた何やら面白いことを 川村さんが暮らす奈路地区の公民館で 成美に開催された。南国市の山間部にちが楽しく元気なることから始めよう始めるらしい」と、ウワサが流れ、協 位置する奈路地区の人口は約三七〇と、若手を中心に声をかけました。学力者が集まるのではないかとにらんだ のだ。 ) 人。山を拓いた棚田の中に公民館は建校を会場にジャズのコンサートを開い そのねらいは見事に的中。設立総会 亠 9 っていた。奈路地区は南国市のなかでたり、田植え前の田んばで泥んこにな も兀気な集落として知られている。火ってバレーポールや相撲をしたり。研には農家だけでなく、会の立ち上げに つけ役となったのは川村さんだ。七年修会と称して、いろいろな地域を訪ね奔走した地域おこしのリーダーやウェ 前に地域活動グループ「奈路 ( あてはどんちゃん騒ぎになったり。そんプデザイナー、カメラマン、県の外郭 ( のすなろ ) 倶楽部」を結成し、さまざまな活動や交流を通して、たくさんの人団体の職員など多彩な顔ぶれが集うこ とに。石毛代表も参加し、山間の小さ な活動を展開してきた。きっかけは地たちとつながることができました」 も 区にある小学校の児童数が減少してき今では泥んこ球技会は恒例の行事とな小さな公民館は一日、おおいに盛り たこと。当時の児童数は一四人、このなり、集落内外から一五〇人の参者上がった。そんなつながりから、また 鬱
に応募したんです。水、酸素、食料、私も含めて、保健師は、健診や保健 頼する。 野崎さんは、千葉県浦安市で九年間そして人とのつながりを抜きにして指導で住民とかかわることがほとん 保健師として働き、一昨年、旧椎田町は、保健師の仕事はできないと思ったど。今回の催しで、同じ町に住む人同 士として接するということを若いうち へ「緑のふるさと協力隊」隊員としてのです」 食育活動を産業課が行なっているこに経験できたら、何よりだと思ったん やってきた。緑のふるさと協力隊員は、 です」 来足の地球緑化センターが約四とも新鮮に映った。 〇名の若者を全国一一一市町村に一年間「でも、考えてみたら当然のことです 派遣する制度で、野崎さんも一年間をよね。すぐ近くに、田んばや畑があるどんどん人の輪が広がって のだから。今回の連携もとても自然な 農・林・水産業、町つくり、イベント 開催日まで、約半年の間に行なわれ の手伝いなどをして過ごし、役場の仲ことだと思います。『築上の食べもの 立ちで町内の空き家を借りて、近所つが今、大事なんだ、これを伝えていくた実行委員会の会議や聞き取り調査は んだ』という思いがあるから、お金が一一〇回を超える。「なるべく多くの世 きあいをし、自治会活動も経験した。 「協力隊の仕事の後に、ごはんを呼ばなくてもどうやるかっていう知恵が出代にかかわってもらおう。幼児から高 校生まで、参加を呼びかけよう」とい れることも多くて、あそこのばあちゃてくる」 1 【んはあの漬物が得意。なんていう情報野崎さんに加えて、一一名の新人職員う目標を決め、それぞれが、自らのつ わ も、西岡さんにそれぞれ役割を与えらてを頼りに活動広げた。子育て広場 はたくさんありました」 派遣期間が終了した昨年、築上町のれた。新人栄養士の加藤幸枝さん ( 二の神崎希さん ( 三四歳 ) が築城ジュ 採用試験を受け、町の保健師となった。八きは、晝 ( やイラストの腕前を見ニアダンススクールに依頼し、オープ ) 「都市部で、子育て支援、介護予防な込まれてポスター、チラシを手描きで = ングの「ぬか漬けの歌とダンス」を どにあたることが無駄だとは思わなか制作。同じく新人保健師の高木裕美さ演じてもらうことになった。産業課か め ったけれど、何か人間の生きる根本がん ( 二七きは「漬物養子縁組、の仲らは、食育活動を行なっている八津田 小学校に、当日の味噌汁の味噌の提供 ないような気がしました。それをつき人役として活躍した。 を依頼。循環米「琿も農家から買い つめたくな「て、緑のふるさと協力隊西岡さんは一『〕う。 ( 87 )
「農村の研究をしています」「原発問題だ、実際に農家になる人は多くはない。規就農を考える若い方が売り先に去 その理由には、「夢ややりがいのあを抱いたとき、「やさい暮らしに出店 の活動をしています」「農家になろう と思っています」など、たんなる「消る仕事だとは思うけれど、それだけですればある程度は収入が確保できるか 費者」という言葉ではくくれないとては食っていけない」「どう売り先を開ら、あきらめずに農業やってみよう」 も積極的な方たちばかりで、農業に対拓していけばいいのか、わからない」と、農家になりたいという気持ちの現 そんな不安もあるのではないかと実的な後押しをできるような仕組みに して、農家に対して、非常に高い関心 なっていきたいと思うのです。 思うのです。 と行動する熱意をもっていらっしゃい 以前、有機野菜や特別農産物などを正直なところ、やさい暮らしを継続 ました。 そういった積極的にさまざまな活動扱う流通会社にいたころ、よく農家さしてやっていくことも、楽ではありま せん。 に取り組まれているお客さまたちが農んからこんな話を聞かされました。 「インターネットの業界で普通に働 家を囲み、熱心に農の話を聞いている「野菜をつくるのはそんなに大変で いていたらもっと楽な生活できたなー」 姿は非常に明るい棗を想像させてくはねえ。売るのが大変なんだよ」 れるものでした。農家さんにゆとりが農家が増えるためには、農家を理解と思うこともしばしばあります。しか ある冬にしかできないとは思うのですし支えるお客さまが増えることも必要し、今後のためには、やさい暮らしの が、今後もこういった交流の場づくりなのですね。ですから、やさい暮らしような存在も生き残っていかなくては が は定期的に行なっていきたいと思ってでは、理解のあるお客さまを増やしてならないと思っています。 「農業は儲からないから手を出すな」 いきたいと思っています。 います。 そんな業界であってはならないと 農家さんは安全でおいしい野米をお の、 客さまに提供する。お客さまは農家の思うのです。 最後の一押しになりたい 農業活動を応援する。そんな関係づく ■株式会社アグリクチュール代表取締 現在、農業従筆「は年々減っていまりをしていくことが、やさい暮らしの役東京都渋谷区上原一ー四七ー八ー一 と 電話・ LL < >< 〇三ー三四六八ー五三 す。しかし一方で、農家に憧れを抱く最終的な目的です。 ~ 回。若者は少なくないように思えます。た時間はかかるかもしれませんが、新 、い 0 ( 203 )
′真の敵〃は農外にあり ! 福岡県みやこ町勝山地域 福岡県京都地域農業改良普及センター 「矢山マイ米田んば隊」「必勝祈願米」手嶋洋司・福山昭吾 入れ、おいしいお米栽培する耕畜連米穀店や量販店と取引され、者に 携といった活動が各地で行なわれてい販売される。いわゆる系統販売である。 「売れる米づくり」って ? る。お米といえば昔は政府が全量買い この流通でお金の流れはというと、農 「売れる米づくり」というフレーズを上げ、その統制下で消費者まで流通し家から米が集まった時点で農協は集荷 目にす・る。 ていた。年々下がる米価にムシロ旗を数を県連組織に報告し、米価総額の約 国や都道不の施策には、必ずとい損け「米価を上げろー ! 」と霞ヶ関に八割半を仮渡し金として受け取る。仮 っていいほどこの「売れる米づくり」押し寄せていたのもひと荳則の光景で渡し金は農家に渡るのだが、残りのお が出てくる。この場合、米の品種改良ある。 金は県連組織が農協に集められた米を や有機肥料の活用などによる良食味米現在、米の流通がどうなっているの売り切ってから饕される。 一部の米は単協農協で販売されるが 栽培の推進などを意味することが多か説明しよう。 まず、農家が手塩にかけて米を生産その製ロは多いとはいえない。農協単 い。福岡県では「夢つくし」や「つく しろまん」などのおいしい品種が開発する。収穫された米は農家個人で販売位での「地域のお米」という販売展開 されたし、畜産農家がつくった牛糞堆するか、農協に出荷される。農協に集はまだまだ少ないのである。福岡県の 肥を水稲農家が有機資材として水田にまった米はそこから県連組織を通じてお米は岡さんちのお米」として ro 農家の福音「年内全額精算」の米が売れるシステムづくり ( 56 )
回と回のつながリ が飲める散歩コース / 湧き水が飲め登校児支援やクリニクラウン ( 蝠床道 アも以下のように多様で面白い る散歩コース / おじい & おばあとの化師 ) 活動を紹介する NEXTEP 、す こと始めよう Be Good 子どもだけで火遊びができる / ナ交流のできる場 / 親がゆっくりくってきないい / 責 café KUMAMOTO 、「熊本をカンヌ イフ、マッチを使える / 泥んこ、土、ろげる空間 ( 図書室、カフェ ) ! 」合一一口葉に一年に一本の映画を 野菜などの作物のあるところ / ウサ任をとれる人・組織 撮り続ける熊本映画革命 HINAMI : ・ ギ、一一ワトリなどの動物がいる場 。この食育、本育の取り組みを支え 所 / 自由な発想で秘密基地をつくつおカネより笑顔がスキだから たのは、これまでの活動を支えてきた ていい空間 / ツリーハウス ( おとな 多くの人と出会い、自分を磨き、未地域の若者プラス、のシゴトの のたまり場 ) / 〇 5 一一歳児がハイハ イできる長い廊下 / 搾りたての牛乳来を夢描く、畑をフィ】ルドにした不アフタ 15 に出会ってきたいつぶう変 わった若者たち。「こんなことをやっ たからって、なにか見返りあるんです か ? 」「ホンキ ? そんなの格好悪いし、 キモいし、第一そんなの馬鹿馬鹿しい」 ーーー友だちに言われるそういったコト ハを意に介さず、好きなことに突き進 むことのできる若者たち。 一九九六年、当時史上最年少の一四 歳にしてョットによる太平洋単独横断 をなし遂げた高橋素晴君と、昨年七月、 「竹イカダによる島原湾横断プロジェ クト」を計画した。閉塞感のある社 会・時代だからこそ、おバカになって、 整備した竹林公園で軽トラの荷台コンサート。若者の 若者による若者のための遊び場づくりです
小柴さんの場合、就職活動というより、各電話会社と代理店契約を結び、料金でロ出せなかったんです。今思えば、 夢のあるパート ナー探しだったと一一一口つなどの比較サイトを立ち上げた。日本そのせめぎ合いの中で、気持ちをうま たほうがよいだろう。なにしろ、面接で一番最初にアフェリエイト広告を始く伝えられない自分が歯がゆく、苦し を行なう大企業の人事担当者や社長めたのも小柴さんだ。 かったのかもしれません」 ある日、レンタカーを借りて、たっ に、開口一番、「夢はありますか ? 」と、 業績は順調で、社員も二五人までに 逆質問。しかし、ロごもるばかりで答増え、年間売り上げは最高で八億円にた一人で旅に出る。しかし、不安に思 えられる社長はほとんどいない。「失までなった。そのとき、わずか一一五歳。っているであろう社員たちの顔が目に 礼な ! 」と怒り出す人事担当者もいた。翌年には社員四一一一人、売り上げ九億に浮かび、一一二日目で会社に戻ると、ナ その結果、「トップに夢がなければ、のびた。不景気のなか、勝ち組のンバ 12 の幹部が会社を辞めてライバ 夢のある社員は現れない」という結論企業家としてテレビや雑誌、新聞などル会社を起こしていた。 その後も残った幹部たちとことある に至る。 の取材にも応えた。しかし、実際は 「八億円を達成したときから、すごくごとに衝突。続ければ続けるほど、ス トレスから吐き気や頭痛、ついには血 つらくなった」という。 起業、そして九年目の売却 理由はわからない。社員のモチベ 1 便が出て十一一指腸潰瘍になった。 大企業でなくていい。地域活性化をションは高い。自分だけがひど洛ち「本当は、みんなが足りないところを 補い合って、調和しながらやっていけ が手がけるべンチャー企業を見つけ、込んでいるのだ。 「会社を立ち上げたとき、『従業員一るような、そんな会社をつくりたかっ 「給料はいらないから、雇ってほしい」 たんです。売り上げはあるけれど、会 と、三カ月間、実務を勉強したあと、〇万人、売り上げ一兆円、ソニーやト 今度は自分が、営業マンの要らないプヨタ以上の会社をつくる ! 』というの社の雰囲気は理想とは程遠い状態。こ ~ 回レ営業といわれる比較広告の会社を一が僕の口癖だったんです。幹部たちはれが本当に自分がつくりたかった会社 九九七年に創設した。さまざまな製品たしかに優秀でした。けれども、みんなのか ? つらくて、つらくてポロポ と ロ涙をこばしながら働いていました」 の料金比較ができる有名なサイト「価なやりたいことはバラバラだった。バ ついに、起業から九年目にして会社 ラバラながらも、結果は出していたの ~ コ格ドットコム」ができるもっと前に、