サンティアゴ - みる会図書館


検索対象: 交流文化 volume 14
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1. 交流文化 volume 14

プンしたことがあげられる。ヨーロッパ系大いわけでもない。サンティアゴ市内の、とあや信仰の有無 手航空会社のみならす格安航空会社も乗りる巡礼宿では宿主が「イベリコ豚がなぜこんよりも、自分 このの足または自 人れ、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、なに飼育されているか知っているか ? 巡礼の大地から豚肉嫌いの異教徒を追い払う転車で肉体的 アイルランドなどのヨーロッパ川都市のほか、 南米ベネズエラのカラカスからも国際線の直ためだ」と冗談めかして言い、その目の前で疲労を伴う道 彳きかあった ( 巡礼を終えたユダヤ教徒がハム抜きでオー 行便が飛んでいる。 ダーした " モッアレラとイベリコハムのサンかど , つか、か 聖地空間に生きること ドイッチ ~ をほおばって笑っている。ワール「本当の巡礼 ドワイドに開かれた聖地の日常のひとこまでかどうかの基 雑多な余所者を相手にする聖地に暮らす 準のようである。苦労のプロセスを経て憧れ 人びとは、サービス業として客を選ぶことはある。 なく、訪ねてくる巡礼が異教徒であってもそ先に、巡礼オフィスが定める正式な巡礼のの地に到着することに重きが置かれ、それこ の待遇にほば変わりはないが、意識していな条件をあげたが、人びとの実感としてはもはそが醍醐味なのだ、と。そして巡礼者たちに F. 2 新 8 . 1 巡礼をサンティアゴへと導くホタテ貝の目印 2 サンティアゴ 市内を巡回する観光バス 3 サンティアゴ・デ・コンポステラ のパラドール Reyes catolicos ( カトリック両王 ) 。 5 つ星の最高 級の国営ホテル。かっては巡礼の救護院だった 4 サンティア ゴ市内のみやげもの店。 2010 聖年の記念杖 21 特集巡礼聖地サンティアゴ・デ・コンポステラの現在

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トリックの中心であったカスが聖ヤコプのものであると認定されると再び ティリア王国が勢力を伸ばし巡礼地としての威信を取り戻すに至る。それ たⅡ世紀から、イベリア半島も束の間、 19 3 0 年代のフランコ独裁下の のイスラム勢力を一掃すべく スペインでカトリックの思想が政治利用され レコンキスタ ( 国土回復運動 ) ると、人びとのカトリックに対する不信感が が完結した巧世紀には、サン著しく増大し、巡礼が行われることはほとん どなかった。内戦と世界大戦の混乱がおさま ティアゴ巡礼は、制度的な巡 礼組織が編成されたことも手り、フランコの民主化が落ち着きを見せ始め 伝って参拝者が年間万人をた 1980 年代に人ると、サンティアゴ・デ・ 数えるほどのプームとなってコンポステラとスペイン・カトリック教会は いたと記録されている。しかし、あらためて積極的に観光と結びつくことで巡 路の開発と復活の試みをはじめたのであ イスラム勢力が優勢な時代や、礼 堂 聖 ノ力、ら〕友しはじ 大聖人崇拝や巡礼による贖罪をる。それが徐々にヨーロツ。、。 否定した宗教改革のもとで巡め、当時の社会主義政権の崩壊や日本でのバ ン ネは下火となった。さ、らに炻 プル崩壊といった社会不安にさらされる個人 が、情報化の中にあって癒しや人生の転換を デ世紀後半にスペインと英国が ア戦火を交えた折には聖ヤコプもとめて足を向けるようになる。加えて、巡 礼を題材とした文学作品パウロ・コエーリョ ンの遺骨が行方不明になるとい う珍事が起こったため、巡礼の『星の巡礼』や、 1993 年の巡礼路 ( フ なる。バチカン、エルサレムとならんでカト はもちろん、聖地であることすら忘れられてランスの道〕サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからの いくつもの リック三大聖地のひとっとされるサンティアしまう。 約 800 ) の世界遺産登録など、 コ・デ・コンポステラは、セイント・ヤコフ その後、 300 年近く経った円世紀になっ注目要素が登場するなか、 1994 年の「ヤ すなわちサンティアゴという名のとおり、 9 てようやく、現在のサンティアゴ大聖堂の祭コプの聖年」 ( 訪れる誰もが罪を許される特別の年 ) 世紀にその地で聖ヤコプの遺骨が発見され壇が位置するあたりで遺骨が ( 再 ) 発見され ( た に飛躍的に巡礼数が増加し、右肩上がりでの たことに由来する聖地である。スペイン・カといわれている ) 、当時の法王レオリ世にそれ現在の巡礼プームへと続いている ( 図 ) 。 第 17 特集巡礼聖地サンティアゴ・デ・コンポステラの現在

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なって考えたくて、世界遺産だから、といっ カトリック巡礼と観光 た様ざまな動機で行われている。たとえばカ トリックの洗礼を受けているスペイン人大学 ヨーロッパにおけるカトリック巡礼の実践 は、中世以来、その国や地域の政治的・宗教生が、仲間との交流を深めることを主目的と ードなイベント企画」とし 的な事情や人びとの心もちによって盛衰を繰した「ちょっとハ て巡礼するのは珍しいことではないし、夏体 り返し、また、繰り返させられてきた。いい かえれば、巡礼は、時代、 ) との価値観や社み、 ) とに巡礼路を少しすっ断続的に歩くこと 会的な状況によって大流行することもあれば、も一般化している ( 筆者調査、 2013 年 ) 。いっ 忘れ去られることもあった。カトリック信徒ばうで聖地の側も、カトリックであるかどう かはさておいて、あまねく人の巡礼の動機を が神や聖人を想いながら長い道程を歩いて心 身に試練を課すような、信仰に根ざす実践を引きだすようなアビールをはじめ、観光者を 「正式な巡礼」と位置づけるなら、「不純な動惹きつけて呼び込むための快適な環境の整備 機」での巡礼や、異教徒の巡礼を歓迎するこやシステムづくりの努力をしている。 本稿では、スペイン・カトリックの聖地サ とや、巡礼聖地を観光化することは、宗教と 世俗が共存するという意味で「脱世俗化」とンティアゴ・デ・コンポステラとその巡礼 (EI してとらえられる。しかし、「巡礼者はなか camino) を例として、こうした現代の巡礼の ばツーリストであり、ツーリストはなかば巡成り立ちと「観光 ( 資源 ) 化」について素描する。 礼者」 (Turne 「 . 一 978 ) なのであり、そもそも巡 サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼の 礼は行為者当人にとっても旅と切り離せるも 概観 のではなく、目的地としての聖地が万人にひ らかれているいま、巡礼と観光はますます不聖なる場所 ( Ⅱ聖地 ) を訪れる宗教的行為、 人 それが巡礼である。聖地であることの明確な 可分のものとなっている。 数 現在の徒歩または自転車による巡礼は、自定義はなく、カトリックの場合はとくに聖人者 礼万万万万万万 ″い 0 分探し、誰かの弔い、精神鍛錬や健康促進、の奇譚や聖遺物との関連を背景に成立し、聖 なるものを求めて人が集まるところが聖地と 人が巡礼をする理由を知るため、ひとりに 聖ヤコプ年 世界遺産認定 2007 西暦 ( 年 ) 2002 円 92 図サンティアゴ巡礼者数の推移 ( 岡本 2012 : 188 より引用 ) 円 97 円 87 ′ 0

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ヨーロッパのカトリック巡礼は、時代ごとの価値観や社会状況で盛衰を繰り返してきた。今日、巡礼は観光と 不可分のものとなっている。現在における巡礼の成り立ちと「観光化」について、スペイン・カトリックの聖地 サンティアゴ・デ・コンポステラとその巡礼を例に素描する。 聖地サンカアがデ・コンホステラの現在 - 一巡礼と観光をめぐる素描 Santiago de Compostela 文写真内藤順子 S P A Madrid 15 特集巡礼地サンティアゴ・デ・ヨンポスー の現在 = ・

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堂 ラ テ デ のき 光で 栄が のこ 面る 堂し ラ デ参 ゴプ イヤ テ聖 ンる サれ 3 さ ここまでみたとおり巡礼の流行は、信者の 数や信仰心の強さに比例しない。そうした状 況はカトリックからすれば嘆くべきことと捉 えられがちだが、ある修道士は「巡礼観光の 否定や、信仰の強さ云々の " 巡礼の正当性″ 聖地サンティアゴ・デ・コンポステラの 現在 19 特集巡礼聖地サンティアゴ・デ・コンポステラの現在

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特集 - . 巡れ・地サ ~ ティアヨ第・物ンステラの現 5 文献 国立民族学博物館編 2007 『聖地☆巡礼 : 自 分探しの旅へ』。 岡本亮輔 2012 『聖地と祈りの宗教社会学』 春風社。 TURNER, Victor & TURNER, Edith. 1995 ( 1978 ) ,lmage and Pilgrimage in Christian CuIture: Anthropological Perspectives (Lectures on the History Of Religions, New Ser. , No. 11 ) COIumbia Unversity Press. 参考 http:〃www.camino-de-santiago.jp/about- santiago/toukeijouhou. html サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂 サンティアゴ・デ・コンポステラのバラド ール中庭

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1 サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂の頂にある聖ヤコプの巡礼像 2 サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂正面の「栄光の門」の聖ヤコプ この 1994 年からの巡礼と観光客の増加 は、地元の人びとの実感としてもはっきりと 記憶されており、現在市内でタクシー運転手 をしている男性はその波に乗って 19 9 5 年 にそれまでのチーズ加工業から運転手へと仕 事を変え、一人娘を大学へ進学させられるほ どの稼ぎを得られるようになったという 1998 年には「祈りの道」としてサンティ アゴと日本の熊野古道は姉妹道提携を結び、 国際観光共同プロモーションと銘打って宣伝 も盛んに行い、日本からの巡礼も増えた。 2 012 年 1 月にはサンティアゴ巡礼オフィス (Oficina Acogida al pe 「 eg 「一 no ) か Faceb00k に参加し、 2013 年からは毎日の巡礼の数をチェック できる公式ホームページを稼働しはじめるな いまではインターネットをつうじてあら ゆる情報を集めることができる。また、巡礼 経験者やまさに巡礼中の人のプログやオ一冐 r も数多くみられ、それが世界規模で流布し、 人生にちょっとした迷いを持っている人の自 分探しや、定年をひかえた人の余生の巡礼へ の憧れと直結し、宗教的理由によらないあら たな巡礼を呼び込んでいる。

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ゴは が現れる。そうした風景を日常として、いま テ だかってないほどの巡礼と観光客を受け人れ、 聖地サンティアゴ・デ・コンポステラは賑わっ 3 の ている。 聖ヤコプは 7 世紀に殉死して列聖されたの ち、十字軍の時代には異教徒を滅ばしてカト リック教徒を救済するという奇跡の復活出現の巡 をしたとされている (Santiago M 籌 amo 「 0 望ムー ア人殺しの聖ヤコプ ) 。それ以来、カトリック にとっては異教徒からの守護聖人としてな るで からく敬われ、いまでもサンティアゴ大聖堂れ安 わ格 るく ) の向かいにある市役所の頂では、白馬に跨っ 、しプ 料ャ た聖ヤコプの彫像が異教徒を足蹴にして剣 堂 食無聖 をが を振るっているのだが、時代が変わればそ の役割も変わる。いまは「サンティアゴ」が 都模 巡礼画 「聖ヤコプ」を意味することも知らないよう 丿ま聖 一引る な異教徒が何万人も自分の墓を訪れて、と こよ ラ るコ きに感激の涙を流しているようすを静かに見 2 あレ がグ 守っている。 礼表 巡のエ のテ 車タる「】・・ 自こて 、却れ 内ら ゴラく アト多 イス数 テレが ンの品 サ内術 1 市美

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記場内 やかっている」というのだ。巡礼の苦労のプ 2 広市 ロゴ るイア ロセスを体現する者とそれを癒す者、その相 あドイ 互関係が現代の巡礼のありかたのひとつであ 地プン 的オサ 目 3 4 り、そこに明確な信仰は介在していない力に 行ち性 思える。しかし、何がしかの聖性が人びとを 流た男 é生の , 校元 つなぐ聖地空間のありかたが垣間見えてくる 8 高地 ーのむ 'ö人営 日ンを おわりに 一ベス リスビ さまざまの方法と方向から観光開発され シきサ ( て影 たともい , んるサンティアゴ・デ・コンポステ ラだが、毎日、たくさんの巡礼と思しき人び 徒業 ら光 とがサンティアゴ大聖堂の前にひろがるオプ 双か観 「、、、、目街で ラドイロ広場に佇んでいる。ある人は到着後 まのム 衵郊一ち 巡近ュた に座り込んだまま聖ヤコプの像を見上げ、他 ~ ア祕ス方では同朋と記念撮影をしたりする姿が見受 テをの却 ン影世く けられる。気の遠くなるような距離を歩いて サ撮中歩 1 念でを きた人たちが目の前におり、願をかけたのか 自然とそうなったのか伸びたままの髭や髪の 姿ではらはらと涙を流している。そこに観光 聞く限りにおいて、少なからす道中においてではない楽しみがあるらしい。ある巡礼宿の客をたくさん乗せた観光バスが到着し、パラ ール宿泊と大聖堂見学だけを目的としたア 神秘体験や人生の転機となる得難い経験をし主人は「自分は生まれた時から聖地にいるか ら巡礼したことも、する気もないけれど、世ジアからの団体客が降りてくる。でも誰もが いつばうで、巡礼を迎える人びと もまた、結構な頻度で「説明しがたい神聖さ界中から聖ヤコプのもとに人がや 0 てくるの大聖堂の巨大さに圧倒されている。どこから をまと 0 た巡礼者がおり、否応なく迎え人れを迎えることが何より貴い、聖ヤコプと神〈か観光客相手のホタテ貝グッズ売りの老婆や、 しい、たんに商売だけの愛の示し方だと思う。ある意味で巡礼にあ中世のコスチ、ームに身を包んだラッパ吹き る気にさせられると、 23 特集巡礼聖地サンティアゴ・デ・コンポステラの現在

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の議論は生産的ではない」と断言する。いまを受けられる。宗教上の目的ではない場合黙裡にしかし自然に行われているものである。 巡礼を行 や僧侶も推進するその観光化に伴い、システは「歓迎証」が発行され、その区別の基準は ムと環境の整備が進められ、確立されてきて明確ではないが、異教徒の場合には原則としわすダイレクトに聖地にやってくる観光客を てこれを受け取ることになる。もうひとっ巡ターゲットとした観光整備が続けられており、 システム整備のひとつには「巡礼手帳 ( ク礼の特典として、「巡礼証明」もしくは「歓市内では観光スポットを巡回する汽車型の観 レデンシアル ) 」と「巡礼証明」の発行があげ迎証」があると、サンティアゴからの復路の光バスを走らせるようになった ( 幻ページ写真 交通手段 ( 鉄道・航空機 ) の割引が受けられる。 2 ) 。大聖堂のはす向かいにある国営ホテル・ られるだろう。「巡礼手帳」は巡礼を行いた ハラドールもそのひとっといえよう ( 幻ページ い誰でもが貰えるものであり、「異教徒歓迎」かっての巡礼には帰りの道行きがあったのだ ハラドールはスペイン観光政策の中 と明記されているだけでなく「異端者、怠け が、昨今の巡礼はもつばら往路のみで完結し写真 3 ) 。 者、すべての者にひらかれているーとも書かてしまう。聖地側も、巡礼者の帰路について心事業のひとっとして成功した観光資源であ れている場合が多い ( 発行所によって多少異な はさほど関心もないよ、つである り、スペイン全国の旧い貴族の城や修道院な る ) 。また、手帳発行の際に簡単なアンケート 環境整備の面では、巡礼路や巡礼宿の整備どの歴史的建造物を改修して宿泊施設として ラドールに泊まること・目体の問 言人かあり、名前、国籍、パスポートナンヾ と、その施しにまつわる暗黙の了解の確立が再利用し、パ 巡礼目的、巡礼手段、出発地、期間、宗教 ( 力あげられる。適度に歩きがいのある、整備し品化を図ったプランドである。サンティアゴ 14 9 9 / 年にカトリック一両 トリック、プロテスタント、スビリチュアル、その他 ) すぎていない、カといって荒野すぎない、徒のパラドールは、 が間われる。つまり、宗教を間わす何人をも歩に向く巡礼路を整え、サンティアゴ巡礼の王によって建設された王立病院 ( 巡礼救護施設 ) こ 100 近くある 迎え人れる前提で交付されていることがわかシンボルマークであるホタテ貝をその道しるが前身となっており、全上こ る。いつばうで「巡礼証明」は「正式な巡礼」べとなるよう順路に散りばめる ( 幻ページ写真 ハラドールのなかでも 2 っしかない最高級の 1 ) 。道中の巡礼宿 ( アルベルゲ ) やホタテ貝 に対して与えられるものである。正式な巡礼 5 っ星を得ている。日本からサンティアゴに とは、宗教上・信仰上の目的で徒歩 100 を店先に掲げているレストランでは、巡礼者向かう観光商品には、「憧れの 5 っ星パラドー ルに泊まる」といった売り文句のツアーが数 以上、傷病者の場合は騎馬で 10 0 以上、 ( 「巡礼手帳」を持参する者 ) に無償 ( 任意の寄付 ) 自転車の場合は 2 0 0 以上の距離を巡礼しまたは格安で部屋や食事を提供する。これは多くある。 もうひとつ重要なこととして、 2011 年 てきたものとされる。巡礼完了ののち「巡礼法律や条例で厳密に定められたものではなく、 手帳」を提出すると、その日の、 , 、サにおいて個人経営の場合はあくまで聖地に住むホスト 川月にはそれまでの平屋建ての空港から一変 巡礼の祝福 ( 名前と出身地、出発点の読み上げ ) の善意として、あるいは「功徳」として、暗して最新設備を備えた巨大な国際空港がオー 0 っ乙