列島におけるカトリック信仰は、迫害、潜伏、 復活という苦難の道のりを、世代を超えて経 験してきた。しかも浦上の信徒はその後、長 崎原爆の爆心地をも経験している。過酷な歴 史を背負っている分だけ信徒の信仰心は厚く 教会は信徒の日常生活に密着している。 私たちの心をとらえる旅 「巡礼」と「観光」との関わり 人は長い人生の折々で、生きてい ノ、 , ) との一古しさは 苦しさを味わう。生きてい いつの時代も、宗教・宗派を問わ おそらく、 す、普遍的な感情であろう。そうであるから こそ迫害、潜伏、復活を経験した長崎の教会 には、信徒であるか否かを間わすそこを訪れ る者と苦しみを分かち合い、私たちの傍らに 寄り添ってくれる真心の大気が満ち満ちてい る。このことこそが、長崎の教会への旅へと 人々を駆り立てる大きな動機になっているこ とは確かであろう。一方で、長崎の教会は、今、 観光商品化の渦中にある。この一見ジレンマ とも見える現象について考えることを通して、 私たちは「巡礼」と「観光」との関係を探っ てゆくことかできるだろう 0 聖フランシスコ・ザビエル記念教会 ( 平戸市 ) 参考文献 稲垣勉 2001 「観光消費」岡本伸之 『観光学入門』有斐閣アルマ 海老沢有道 1981 『キリシタンの弾圧と 抵抗』雄山閣 松井圭介 2013 『観光戦略としての宗教 ー長崎の教会群と場所の商品化ー』筑 波大学出版会 宮崎賢太郎 2001 『カクレキリシタン : オ ラショー魂の通奏低音』長崎新聞新書 41 特集巡礼キリシタンと現代の教会巡礼
会や信徒が強い影響を受ける危険性がどの地序を豊穣なものにしている。分厚く個性的な長崎は 1580 年に現在の長崎市中心部が領 域よりも高いと一「ロ、んるだろ、つ。 文化層序を有する長崎にとって、地域固有の主の大村純忠からイエズス会に寄進され、多 歴史は他地域との差別化の格好の材料であ数の教会や慈善病院が設けられて、一説には 長崎の文化層序とキリシタン る。中でも、これまで見過ごされてきたキリ数万人の信徒を誇ったという 古来より日本の玄関口であった長崎には、 シタン史は世界遺産化に伴って一躍注目の的 しかし、江戸時代に人るとキリシタンへの となっている。 中国大陸や朝鮮半島 , 東南アジア、ヨーロッ 迫害が本格化し、教会はことごとく破壊さ ハから様々な文化が流人してきた。多くの文そもそも、日本のキリシタン史は、イエズれ、信仰を続けようとする者は捕らえられて 化が時代を経るごとに地層のように堆積したス会のフランシスコ・ザビエルが 1549 年拷間を受けたり、処刑されたりした。それで 状態を「文化層序」という。 400 年を超にキリスト教 ( カトリック ) を伝えたことに始も棄教を選択しない信徒たちは、周囲から隠 えるキリシタンと教会の史実は、痛ましい出まる。多くのキリシタン大名の庇護下にあつれて、密かにカトリック信仰を続けることに 来事が数多く見られたものの、長崎の文化層た九州は布教の根拠地となったが、わけても なる。隠れキリシタンの多くは仏教徒とし を第ツ第 歴史とロマンの島平戸 、大航海時代のト判 ~ - 彡′′彡卩 1 2 平戸紐差教会。 1929 年建設、鉄筋コンクリート。 2 代目。 初代は 1885 年建設。鉄川与助設計施工 ( 2008 年 4 月 22 日 ) 3 佐世保市中心部の三浦町教会。 1931 年建設 (2004 年 7 月 )
の議論は生産的ではない」と断言する。いまを受けられる。宗教上の目的ではない場合黙裡にしかし自然に行われているものである。 巡礼を行 や僧侶も推進するその観光化に伴い、システは「歓迎証」が発行され、その区別の基準は ムと環境の整備が進められ、確立されてきて明確ではないが、異教徒の場合には原則としわすダイレクトに聖地にやってくる観光客を てこれを受け取ることになる。もうひとっ巡ターゲットとした観光整備が続けられており、 システム整備のひとつには「巡礼手帳 ( ク礼の特典として、「巡礼証明」もしくは「歓市内では観光スポットを巡回する汽車型の観 レデンシアル ) 」と「巡礼証明」の発行があげ迎証」があると、サンティアゴからの復路の光バスを走らせるようになった ( 幻ページ写真 交通手段 ( 鉄道・航空機 ) の割引が受けられる。 2 ) 。大聖堂のはす向かいにある国営ホテル・ られるだろう。「巡礼手帳」は巡礼を行いた ハラドールもそのひとっといえよう ( 幻ページ い誰でもが貰えるものであり、「異教徒歓迎」かっての巡礼には帰りの道行きがあったのだ ハラドールはスペイン観光政策の中 と明記されているだけでなく「異端者、怠け が、昨今の巡礼はもつばら往路のみで完結し写真 3 ) 。 者、すべての者にひらかれているーとも書かてしまう。聖地側も、巡礼者の帰路について心事業のひとっとして成功した観光資源であ れている場合が多い ( 発行所によって多少異な はさほど関心もないよ、つである り、スペイン全国の旧い貴族の城や修道院な る ) 。また、手帳発行の際に簡単なアンケート 環境整備の面では、巡礼路や巡礼宿の整備どの歴史的建造物を改修して宿泊施設として ラドールに泊まること・目体の問 言人かあり、名前、国籍、パスポートナンヾ と、その施しにまつわる暗黙の了解の確立が再利用し、パ 巡礼目的、巡礼手段、出発地、期間、宗教 ( 力あげられる。適度に歩きがいのある、整備し品化を図ったプランドである。サンティアゴ 14 9 9 / 年にカトリック一両 トリック、プロテスタント、スビリチュアル、その他 ) すぎていない、カといって荒野すぎない、徒のパラドールは、 が間われる。つまり、宗教を間わす何人をも歩に向く巡礼路を整え、サンティアゴ巡礼の王によって建設された王立病院 ( 巡礼救護施設 ) こ 100 近くある 迎え人れる前提で交付されていることがわかシンボルマークであるホタテ貝をその道しるが前身となっており、全上こ る。いつばうで「巡礼証明」は「正式な巡礼」べとなるよう順路に散りばめる ( 幻ページ写真 ハラドールのなかでも 2 っしかない最高級の 1 ) 。道中の巡礼宿 ( アルベルゲ ) やホタテ貝 に対して与えられるものである。正式な巡礼 5 っ星を得ている。日本からサンティアゴに とは、宗教上・信仰上の目的で徒歩 100 を店先に掲げているレストランでは、巡礼者向かう観光商品には、「憧れの 5 っ星パラドー ルに泊まる」といった売り文句のツアーが数 以上、傷病者の場合は騎馬で 10 0 以上、 ( 「巡礼手帳」を持参する者 ) に無償 ( 任意の寄付 ) 自転車の場合は 2 0 0 以上の距離を巡礼しまたは格安で部屋や食事を提供する。これは多くある。 もうひとつ重要なこととして、 2011 年 てきたものとされる。巡礼完了ののち「巡礼法律や条例で厳密に定められたものではなく、 手帳」を提出すると、その日の、 , 、サにおいて個人経営の場合はあくまで聖地に住むホスト 川月にはそれまでの平屋建ての空港から一変 巡礼の祝福 ( 名前と出身地、出発点の読み上げ ) の善意として、あるいは「功徳」として、暗して最新設備を備えた巨大な国際空港がオー 0 っ乙