「宮古の宝」を掘り起こす 4 3 ; 4 30 1 黒森神社 2 黒森神楽 3 モニターツアーで神楽鑑賞後、神楽衆とともに 4 宮古の伝統的な正月料理 5 賑わいを取り戻した浄土ヶ浜
「宝」を活かした地域振興プラン ーエコウォーク ( 黒森神社 / 三陸海岸 ) 1 モニターツアーの受付 2 黒森神社境内での神楽鑑賞 34 バークホランティアによるガイド風景 5 津波が押し寄せて変貌した海岸地帯を 歩く エコウォーク受付 32
農業・漁業関係者、食や自然、まちづくり関参加者にとっては、荘厳な雰囲気の中で繰りている。 広げられる神楽を鑑賞できる貴重な体験が盛なお、橋本研究室では、今年度から 3 年間 係者等、延べ幻人にのぼる。 り込まれた質の高いプログラムとすべく準備かけて、「風評被害」を克服するためのフィー 宝を活かした を進めてきたが、参加者からは概ねそのよう ルド調査を、裏磐梯で名高い福島県北塩原村 ウォーキングコースの提案 な評価をしてもらえたようである。これからで開始している。注 3 こうした調査に参加する 2012 年度には、前年度の調査成果をも地元の宝を活かした復興支援を、地元住民ゼミ生たちの成長が、今から楽しみである。 もとに、宝を活かした地域振興プランとしたちとともに考えていきたい。 て、ウォーキングイベントを企画した。黒森 注 1 2011 年度「日本観光研究学会震災特別研究」 ( 「エコツー 2013 年度は 神楽と三陸の海岸地域という 2 つのテーマに リズムによる震災復興支援の実証的研究一岩手県宮古市における 裏磐梯で名高い北塩原村調査 r-ooo 年の絆を紡ぐ宝探し調査」研究代表者】文教大学海津ゆり 沿ったコースとプログラム開発、ガイド育成 え ) 。 2012 年度は日本エコツーリズム協会 (OI-LJCD) 、日本エコ と活用、実施のための組織づくりなどの要素この調査に参加したゼミ生たちは、地元のウォーク環境貢献機構 ( -)WOO) 、東日本ウォータービジネ ス、ニ戸市 ( 岩手県 ) の支援を得て推進され、 2013 年度からは を組み込んで実現したものである。学生たち方々と一緒に作業をしたり、ツアー参加者と 文科省科学研究費 ( 「観光資源の持続的保全と利用を可能とする地 は、 7 月のツアーコースの整備 ( 旧参道の刈払交流する機会に恵まれたりしてきたし、観光域連営システムの応用研究」研究代表者【海津ゆりえ ) の研究対象 地域としている。 い ) 、 8 月のプレイベント、月の本番と、ツ学部でもエコツーリズム論を担当いただいて アーのサポート役として活躍した。 いる海津ゆりえ先生 ( 文教大学 ) の指導のもと、注 2 フェノロジーとは生物学用語で「生物季節学」という意味で ある。対象となる生物を人や人の営みに展開すると、地域における 3 年目となる本年は、黒森神楽の権現様 ( 獅海津研究室の学生たちと共同で調査する機会 自然・文化・行事・生業・食など多様なテーマに基づく暦を作るこ 子頭 ) を祀る黒森神社の例大祭 ( 7 月日 ) にを得たことは何よりの経験となっているはずとができる。この暦を活用すると、季節ごとの地域像が明らかとな 、地域の生活の疑似体験を構成することができ、その応用として 合わせて、神楽を鑑賞できるウォーキングプである。彼ら彼女らを見ていると、現場を繰 季節ごとのきめ細かい地域の宝を発信する観光プログラムを作るこ とが可能となる。 ログラムを実施した。主催は宮古市観光協会、 り返し訪れ自分の眼で観て、震災復興への着 ガイドは国立公園で働くバークボランティア実な足どりを全身で感じとり、土地のものを 注 3 立教東日本大震災・復興支援関連研究 ( 2013 年 など、住民が主体となることを意識した企画食しながら過ごすフィールドでの体験の一つ度 5 朽年度 ) 「観光資源の持続的活用による風評被害の克服に関す る研究」 ( 研究代表者橋本俊哉 ) である。今年も私たちは、本番 2 週間前のコー ひとつが血となり肉となり、心身ともにたく ス整備に参加し、地元の方々と連携をとりなましく成長していることを感じる。ゼミ生た がら準備を進めてきた。市民には地元の良さちの調査結果の一部は、コースマップやフェ を再認識する格好の機会となり、 遠方からのノロジーカレンダー注 2 として地元に還元され
Pie し d note IH マみやこ宝こよみー 山と海をつな 0 食、山と海が生んた神楽 い・・、はを 式ーおす、・第 は 0 ーの第・ を・し一を・要ツをしわ 学生たちの調査をもとに作成されたフェノロジーカレンダー。宮古市の観光協会や市内の寿司屋などで活用されている。 ・画 えをま ′ : のを ! 第 は、、・製強い物 を・れ物の物 、 : ーれはろはろ を・つツ・ンエ′ を 1 ・、ア第れすイ・ヤ を・イ・ .0 第を の - ・第・・を物・・を・を 4 をン第修 / アイの アをを、一・れ・、・ヤを・レイーヤ・をレを、 0 ・当 第・第′物を第の -4 , 物・・ , 物 海の幸 31 「交流文化」フィールドノート
Pie し dnobe IH と、住民が先祖から伝えられた「地域の宝」を、 宮古市でのフィールド調査 調査の主旨と目的 生きる力や文化として読み取り、コミュニティ 宮古市は、三陸を代表する景勝地である名 2011 年 3 月物日に起きた東日本大震災を再びつないでいくことが、今回の復興にお 勝・浄土ヶ浜を有する観光地で、「スー は、「—ooo 年に一度」、「未曾有」の大地震いても重要な鍵となるはずである。 こうした問題意識にたち、私たちの調査堤防」で知られる田老地区も現在は宮古市 と繰り返し報道されてきた。しかし実際には、 三陸沿岸はこれまで繰り返し大地震と大津波チーム注 1 は、岩手県宮古市で震災のなかに含まれている。文化面では、北は普代村か に遭遇してきた「津波常習地」である。それで残された自然・生活文化・生業・技術等のら南は大槌町までを巡業するという、珍しい でも住民は、たびたび地震に見舞われること「宝」を掘り起こし、それらを活かして、住形態を今に伝える黒森神楽 ( 国指定無形文化財 ) をも地域の特性とし、子孫に伝えるべき知恵民が参加できる被災地域の宝を核とした「地がある。漁業も盛んで、サンマや昆布の産 域復興プラン」を提案することを目的とした地として名高いほか本州随一の鮭の生産量を の一つに数えてこの地に住み続けてきた。 「人びとが住み続ける」ことは重要な意味震災復興調査に取り組んできた。 2011 年誇る。 初年度の 2011 年度は、 8 月に 1 週間か をもっている。住民が地域の誇りを連綿と継にスタートしたこの調査プロジェクトにおい けて実施した「調査合宿」を皮切りに、繰り 承してきたことを意味するからである。今日て、ゼミの学生有志たちは、文献調査、フィー の三陸沿岸地域があるのも、住み続けてきた ルド調査 ( 被災地域の踏査と住民への聞き取り調査、返し宮古市を訪れ、集中的な踏査とヒアリン 土地への誇りが精神的な支えとなり、それが地域復興プランとしてのウォーキングプログラムのグを実施した。自然・生活文化・生業等の代 繰り返される大津波からの復興へ向かうエネサポート ) において、欠かせない役割を果たし表的な宝に着目し選定したヒアリング対象者 は、宮古市商業観光課、観光協会、神楽関係者、 ルギーとなってきたのであろう。そう考えるてきた。 2 4 これより先 津波浸水想定区域ー 引 Tsunami れ nd 前 00 第 00 5 1 天井部のみ残されたガソリンスタ ンド 2 壊滅した田老地区の住宅 街。津波は「万里の長城」といわれ た巨大堤防をも乗り越えた 3 宮 古港 ( 1 、 2 、 3 は 2011 年 8 月撮影 ) 4 津波の被害を受けた三陸海岸沿 いの遊歩道の手すり 5 「これより 先津波浸水想定区域」 27 「交流文化」フィールドノート
た「佐渡」を執筆している。 2013 年 ) では、文化人類学・民俗学の観点を通じて熱心に拝んではいるが、没入の度合い これまで宗教学では、聖地がなぜ存在する から、日本の巡礼、とりわけ四国遍路の現在にはそれほどでもなく、時に信仰なのか観光なの か分からなくなってくる。それは「他者」と突のかというと、その場所自体が強い宗教的なカ ついて論じた。現代では巡礼がツアー商品にな いうなれを有しているからだと考えたり、あるいは「天 る一方、完全に娯楽や消費対象になるわけでもき放せるほど遠い世界の話ではなく、 ば「私たち」の日常感覚で捉えられる範囲の話孫降臨」のように、ある場所に強い力を持った なく、地域の習俗としての側面や「お参り」と 霊的存在が偶然降り立ってできたと考えてき である。日常性の中で宗教の拡がりを捉えるこ しての意味も残している。それは「巡礼ツーリ と、それは私の考える民俗学的視点であると言た。いずれにせよ人間の力をはるかに超越した ズム」というべき、伝統と近代との融合である。 ハワーに結びつくことが、聖地成立の要件だと 私は四国での巡礼ツアーの現場、旅行会社やえる。 考えてきたのである。 巡礼者の日常的実践の場で参与観察を行うとと 聖地をめぐる動向 しかし現在聖地と言われている場所は必ずし もに、四国遍路への信仰の篤い佐渡島で、ツアー もうひとつは宗教社会学を専攻する人たちがもそればかりではない。より現実的な、人間の 経験者から聞き書きを行った。本書はツーリズ ムを介して宗教的世界に関わろうとする人々の集まって編んだ『聖地巡礼ツーリズム』 ( 星野営みの中で作られてきた場所が多い。本書の掲 英紀・山中弘・岡本亮輔編、弘文堂、 2012 年 ) 載事例でいえば、アウシュビッツやニューヨー エスノグラフィー ( 民族誌 ) である。 本書は博士論文をもとにした著書であり、事である。右記の単著が人々の宗教経験や内面性クのグラウンドゼロ、御巣鷹山は人為的な悲劇 例分析に加え、いくつかの理論的考察を行ってに焦点をあてた内容であったのに対して、本書を鎮魂するために多くの人が訪れる場所となっ いる。最も重視したのは「普通の人々」の宗教は聖地という場所をめぐる動向に焦点があてらている。また毛沢東の生誕地やバングラデシュ 1990 年代にいくれている。つまり現在聖地とみなされ、多くのの聖者廟は、歴史に名を残す個人への崇拝がも 的経験を描くということ。 つものカルト事件を経験してきた私たちにとつ人を集めている場所がどのような歴史をたどっとになった聖地であるし、巨大大仏として知ら て、「宗教」という響きは必ずしも心地よいもて現在の姿に至ったのかを、宗教的な観点だけれる牛久大仏やアニメの聖地と呼ばれる今戸神 のではない。それは多くの人にとって理解不能でなく、ツーリズムや政治状況にも焦点をあて社は、メディアのカ抜きには語れない 本書はこのように聖地というには意外な場所 な「他者」の出来事であろう。他方で、宗教はて描いたものである。 崇高であり人間存在の根本を規定する至上の価取り上げられている場所は世界カ所に上も多く取り上げている。それを通じ、現代の人々 る。その中で私は「四国遍路」に加え、世界文が何を「聖なるもの」と捉えているかを知るこ 値とする考えもある。 だが本書で描かれる人々は巡礼に対して「力化遺産にも指定されている沖縄の聖地「斎場御とができ、結果として宗教と観光の接合という、 ルト」的に没入しているわけでも、崇高な理念嶽 ( せーふあうたき ) 」、それに律令時代以来多極めて現代的なテーマへと読者を誘う。 ( 門田岳久 ) くの貴人が流され、独自の宗教性を蓄積してき を持って行っているわけでもない。確かに巡礼 43 読書案内