て振る舞いなから、オラショと呼ばれるラテ ン語由来の祈祷を唱え、信徒仲間の殉教地を 聖地として奉り、生まれた子どもに洗礼を授 けて、秘密裏に子や係に信仰を受け継いで っ ) 0 ーし半 / そして幕末の長崎で、世界史的な出来事が 起こる。開国後の長崎に居留し始めた外国人 カトリック信徒のために、大浦天主堂 ( 国宝 指定 ) が 1865 年に建てられた。この大浦 天主堂に、 2 0 0 年以上も潜伏してきた浦上 地区 ( 現長崎市 ) の隠れキリシタンが現れ、自 らがキリシタンであることを外国人神父に告 白したのである。 「信徒発見」と呼ばれるこの出来事は、禁教 令が明治前後も依然として敷かれていたため、 隠れキリシタン組織の大規模な摘発と弾圧に 繋がった。しかし、・ 1873 年 ( 明治 6 年 ) にようやく信仰の自由が認められると、信徒 たちは貧しくとも資金を積み立て供出し、ま た労力を提供して木材やレンガ、石などの資 材を運び、いわば信徒による手作りの教会が 各地に建てられていった。結果として長崎県 には現在でも 132 のカトリック教会があり、 その数は全国でも抜きんでて多い このように、長崎県の外海や平戸、五島 1
キリシタンと一い 現代の教会巡礼 長崎の文化層序と観光商品化 文・写真佐藤大祐 近年、長崎県の教会やキリシタン史跡が観光商品化されている。 背景には過疎化があるが、古来日本の玄関口だったこの地には 400 年を超えるキリシタンの歴史がある。教会への旅へと人々 を駆り立てる動機とは何だろうか 念で訪 記景 ル風た 工的 ビ衷カ コえ会 ス見教 シのる ラ教とト フと左一 る寺日き あ 5 、 2 で 韶帳 心年年一一 中 1 7 3 0 由 の 9 0 自 平名客 下教有問 一冊のノート 長崎県には、キリシタンの歴史に裏打ちさ れた、建築史的にも価値あるレンガ造りや木 造の美しい教会が数多く存在するため、教会 めぐりをする巡礼者や観光客が絶えない。そ のような長崎県の多くの教会の人り口付近に は、外部からの訪間客が自由に記帳できる
会や信徒が強い影響を受ける危険性がどの地序を豊穣なものにしている。分厚く個性的な長崎は 1580 年に現在の長崎市中心部が領 域よりも高いと一「ロ、んるだろ、つ。 文化層序を有する長崎にとって、地域固有の主の大村純忠からイエズス会に寄進され、多 歴史は他地域との差別化の格好の材料であ数の教会や慈善病院が設けられて、一説には 長崎の文化層序とキリシタン る。中でも、これまで見過ごされてきたキリ数万人の信徒を誇ったという 古来より日本の玄関口であった長崎には、 シタン史は世界遺産化に伴って一躍注目の的 しかし、江戸時代に人るとキリシタンへの となっている。 中国大陸や朝鮮半島 , 東南アジア、ヨーロッ 迫害が本格化し、教会はことごとく破壊さ ハから様々な文化が流人してきた。多くの文そもそも、日本のキリシタン史は、イエズれ、信仰を続けようとする者は捕らえられて 化が時代を経るごとに地層のように堆積したス会のフランシスコ・ザビエルが 1549 年拷間を受けたり、処刑されたりした。それで 状態を「文化層序」という。 400 年を超にキリスト教 ( カトリック ) を伝えたことに始も棄教を選択しない信徒たちは、周囲から隠 えるキリシタンと教会の史実は、痛ましい出まる。多くのキリシタン大名の庇護下にあつれて、密かにカトリック信仰を続けることに 来事が数多く見られたものの、長崎の文化層た九州は布教の根拠地となったが、わけても なる。隠れキリシタンの多くは仏教徒とし を第ツ第 歴史とロマンの島平戸 、大航海時代のト判 ~ - 彡′′彡卩 1 2 平戸紐差教会。 1929 年建設、鉄筋コンクリート。 2 代目。 初代は 1885 年建設。鉄川与助設計施工 ( 2008 年 4 月 22 日 ) 3 佐世保市中心部の三浦町教会。 1931 年建設 (2004 年 7 月 )
列島におけるカトリック信仰は、迫害、潜伏、 復活という苦難の道のりを、世代を超えて経 験してきた。しかも浦上の信徒はその後、長 崎原爆の爆心地をも経験している。過酷な歴 史を背負っている分だけ信徒の信仰心は厚く 教会は信徒の日常生活に密着している。 私たちの心をとらえる旅 「巡礼」と「観光」との関わり 人は長い人生の折々で、生きてい ノ、 , ) との一古しさは 苦しさを味わう。生きてい いつの時代も、宗教・宗派を問わ おそらく、 す、普遍的な感情であろう。そうであるから こそ迫害、潜伏、復活を経験した長崎の教会 には、信徒であるか否かを間わすそこを訪れ る者と苦しみを分かち合い、私たちの傍らに 寄り添ってくれる真心の大気が満ち満ちてい る。このことこそが、長崎の教会への旅へと 人々を駆り立てる大きな動機になっているこ とは確かであろう。一方で、長崎の教会は、今、 観光商品化の渦中にある。この一見ジレンマ とも見える現象について考えることを通して、 私たちは「巡礼」と「観光」との関係を探っ てゆくことかできるだろう 0 聖フランシスコ・ザビエル記念教会 ( 平戸市 ) 参考文献 稲垣勉 2001 「観光消費」岡本伸之 『観光学入門』有斐閣アルマ 海老沢有道 1981 『キリシタンの弾圧と 抵抗』雄山閣 松井圭介 2013 『観光戦略としての宗教 ー長崎の教会群と場所の商品化ー』筑 波大学出版会 宮崎賢太郎 2001 『カクレキリシタン : オ ラショー魂の通奏低音』長崎新聞新書 41 特集巡礼キリシタンと現代の教会巡礼
ノートが置かれている。 に心動かされ、単なる癒しをはるかに超えた 長崎県北部のとある教会に置かれたノー 体験を得ているようだ。教会に備え付けられ トを開いてみよう。そのノートに書かれてい たノートに書かれた「教会に初めて足を運び ましたが、とても落ち着き心があらわれるよ るのは、「すばらしい眺めの中に立てられて うです。ほんの少しの時間にゆったりした気 いる教会でお祈りできたことを感謝いたしま す、という長崎市のカトリック信徒からの寄肩計当 ~ ~ 。持ちにさせて頂きました。今日がとても素晴 一オれんマ都 らしい一日になりました」という感想からそ せ書きや、「京都から来ました。平戸、原城一に 洋いいをい れがうかがわれる。 などキリシタン殉教の跡をたどらせていただ ~ イは 9 化内し 1 く旅をしてきました。歴史を、人間のなす業 ダ市れをト 現代の多様な教会巡礼 のおそろしさをおもっています」というプロ 一丁スタント〕徒による一三ロ述もある。これ、らに このような体験のできる長崎県の教会は、 レ / すでに旅行会社によるツアーにも取り込ま みられる旅は、キリスト教徒が神や殉教者へ れている。五島列島を目的地とした東京発 祈りを捧げて敬意を表す巡礼と言えるだろう。 のパッケージツアーを 2 つ紹介しよう ( 松井 他にも、東京や大阪などの大都市から、 ション系の学校の生徒が修学旅行として長崎 1 つ目はカトリック信者を対象とした巡礼 市や平戸、五島列島を訪れる例もある。 ツアーであり、 3 泊 4 日がい万円台で設定さ しかし、近年これらの教会には、女性を中 れ、カトリック神父が随行する。そして、島 、いに、明らかにキリスト教徒ではない訪客 巡 会 内の教会をバスで回りながら、教会堂で、、、 が増えている。彼女らは都市部に住む C *-a 教 の 代 や、母・娘の親子連れ、年配の女性グループ サが営まれ、参加者による祈りが捧げられ 現 ン る。 2 つ目の観光客を対象とするパッケージ 客などであり、従来の巡礼者とは明らかに異 タ ツアーでも、教会をはじめとするキリシタン なる人々である。近年のスビリチュアルプー キ ムの影響を受けているのかもしれないが、そ 関連施設は重要な観光資源であり、教会に椿礼 巡 んなことよりも、素朴な教会の荘厳な雰囲気 油や五島うどんなどの名産品を組み合わせて、 集 特 の中で、背景にあるキリシタンの苦難の歴史 中高年の女性グループをターゲットとしたツ 5 ) いいれい , い・朝イを いいれ、、い わ覓をみ物しり . いいを :I 第を・ : 、朝 : を .
グロー 、ハリゼーションの深化によって、優勝一人歩きしてしまう。すると、住民や信徒が 助劣敗の地域間競争が繰り広げられており、長その新たな価値を守り通すことを押しつけら 津崎もその例外ではない。特にキリシタンが多れたり、その価値にそぐわないものは切って く居住していた外海や平戸、五島列島は都市捨てられたり、といった危険がっきまとう。 また、観光客によってもたらされる収人は 竣部から遠く離れた半島や離島といった辺境の 地であり、過疎化が急速に進行している。そ主としてホテルや旅行会社などの業者に人る のため、他の地域との差別化を図りながら地ことになり、教会を守ってきた信徒には、ゴ 、 , 、問題や駐車場不足、トイレ清掃など負の側 域活性化することが喫緊の課題となっている。 近年、「長崎の教会群とキリスト教関連遺面が押しつけられるだけ、ということにもな りかねない。すでに、長崎の教会観光研究の 用産」と題して、キリシタン史に裏打ちされた 教会を世界文化遺産へ登録することが目指さ第一人者である松井圭介は著書の中で、地元 れており、 2007 年には文化庁からユネスのカトリック教徒にとって信仰の場としての コに推薦される暫定リストに登録された長教会や儀礼の場としての聖人殉教の地が、観 崎の観光産業にとって、修学旅行をはじめと光化によって観光客の個人的な祈りや癒しの する団体旅行が落ち込んでいるため、世界遺場、あるいは四国遍路を見本とした「ながさ 「ー ~ 告町れ産 ~ の登録は願 0 てもないことだろう。教会き巡礼」の創出というような、新しい意味を や信徒にとっても、過疎化が進む中で、観光持った巡礼地として再編されつつあると指摘 している ( 松井 2 013 ) 。 収人が教会の維持に寄与するかもしれないと 会 現代社会においては、観光客の嗜好は速い の期待もなされている。 宣 しかし、世界遺産化には大きな間題もはらスピードで多様化しており、とある場所や文代 む財 む。ひとたび旅行会社や行政、観光協会の視化が商品化され、消費され、飽きられると、 を文 また新たな商品が生み出される、という一連 島要点から、各所に眠るキリシタン史や教会およ 戸重 ら指び信徒の信仰生活に観光「商品」としての新のサイクルが高速回転している。教会が日常礼 か国 たな価値が付与されると、メディアや観光客生活に密着している長崎においては、世界遺 串設 長施 などによって都合良く解釈され、その解釈が産化と教会や信仰の観光商品化に伴って、教
アーが組まれている。その中には、世界遺産 連暫定リストに掲載された頭ヶ島教会と青砂ケ 浦教会を巡り、キリシタン洞窟や旧五輪教会 などの辺境地にあるキリシタン関連施設に船 で立ち寄り、キリシタン墓地で観光客が信者 から直接話を聞く、といったセールスポイン トが設定されているツアーもある。 また、上五島の複数の教会では、ロ月中 旬に音楽家を招いて「チャーチコンサート」 が催されており、島外からもツアーや個人で 来島した観光客が訪れ、クリスマスのイル、、、 ネーションに彩られた教会で信徒と共に賛美 歌を合唱する。参加費は無料で各教会とも立 ち見客が出るほど盛況である。また、上五島 のある民宿では、青砂ヶ浦教会での結婚式ッ アーを企画商品として打ち出している。 さらに、韓国から長崎の教会やキリシタン 。史跡を訪れるキリスト教徒も多い。韓国のキ リスト教史は近代以降の 2 00 年ほどである。 8 4 そのため、韓国のキリスト教徒は世界各地の 会 1 祈さ教年巡礼地を訪れることが多いというか、かれら キリシタン史と教会の観光商品化 出 0 にとって、長崎での「潜伏」 という受難の歴 の神見海っ ル 1 史と独自のキリシタン文化は、ヨーロッパの このように今日、教会やキリシタン史跡が まこ崎産 巡礼地とは異なる魅力的なものに映るという次々と観光商品化されつつあるのは、この地 学加長 見教静 ( 松井 2 013 ) 。 域に共通する危機意識の表れでもある。現在、 平戸市 佐保市 五島市
父流文化 14 立教大学観光学部編集表紙写真 / 門田岳久、内藤順子 特集 巡礼 観光と巡礼 聖地サンティアゴ・テ・ コンホステラの現在 ー一巡礼と観光をめぐる素描 内藤順子 「交流文化」フィールドノートの 工コツーリズムによる 宮古市の震災復興支援 ーー 1 OOO 年の絆を紡ぐ宝探し調査一一 橋本研究室 キリシタンと 現代の教会巡礼 ーー長崎の文化層序と観光商品化 佐藤大祐 C 0 N T E N T S 02 04 門田岳久 34 読書案内 『聖地巡礼ツーリズム』 『巡礼ツーリズムの民族誌』 最近の講演会から 日韓における「海女観光」の現状 中山大学旅遊学院 ( 観光学部 ) の教育 42 44
次号予 2014 年 3 月刊行予定 特集 おみやげ 父 ) ル文化 14 2013 年 1 1 月 20 日発行 筆者紹介 ( 50 音順 ) 門田岳久 ( かどた・たけひさ ) 観光学部助教 東京都立大学人文学部社会学科卒業。東京大学大学院総合 文化研究科超域文化科学専攻文化人類学コース博士課程修 了。博士 ( 学術 ) 。日本学術振興会特別研究員を経て、 2012 年 より現職。単著に『巡礼ツーリズムの民族誌 - ー消費される宗 教経験』、共著に『宗教と社会のフロンティアーー宗教社会学か らみる現代日本』、『聖地巡礼ツーリズム』、『来たるべき人類 学 3 宗教の人類学』、『都市の暮らしの民俗学 1 都市とふる さと』。近年は沖縄の聖地観光について研究を進めている。 佐藤大祐 ( さとう・だいすけ ) 観光学部准教授 2003 年筑波大学大学院地球科学研究科修了、博士 ( 理学 ) 。 長崎国際大学国際観光学科講師を経て 2009 年より現職。専 門は観光地理学 ( 対象は海岸・高原のリゾート , 文化伝播 ) 。主 な著書に『地域調査ことはじめー - あるく・みる・かぐー - 』 ( 共 著 ) 『観光の空間一一視点とアプローチ - ー』 ( 共著 ) など。 内藤順子 ( ないとう・じゅんこ ) 観光学部兼任講師 早稲田大学理工学術院創造理工学部専任講師 2007 年九州大学大学院人間環境学府単位取得退学、日本学 術振興会特別研究員 (PD) 、立教大学観光学部助教を経て 2013 年より現職。専門は文化人類学 ( 都市、観光、宗教、開 発 ) 。フィールドはラテンアメリカおよびスペイン、主な著書に 『「境界」のいまを生きる』 ( 共編著 ) 、『支援のフィールドワー ク』 ( 共著 ) など。 発行人 編集人 デザイン 印刷 村上和夫 大橋健一 望月昭秀 千代田巧芸社 問い合わせ先 立教大学観光学部 〒 352-8558 埼玉県新座市北野 1-2-26 TEL 048 ー 471 ー 7375 http://www.rikkyo.ac.jp/tourism * 本誌掲載記事の無断転載を禁じます。 ◎ 2013 Rikkyo University. College of Tourism. Printed in Japan. I S B N 9 7 8 ー 4 ー 9 9 0 5 8 7 8 ー 0 ー 2
【 e c 一 u 「 e 一最近の講演会から 岩手県久慈市小袖地区を舞台に、 鳥羽志摩地域では、観光用の「海女小屋」体を暖める体憩室のことであるが、観光用 1959 年、ラジオドラマ『北限の海女』を運営し、観光客を受け人れている。実際の「海女小屋」では、海女さんに海の話を が放送されて以降、この地域の海女は「ヒ 」の「海女小屋」は、海女漁の後に冷えた身聞きながら、海女達が獲った魚介類をその 限の海女」と称されるようになり、注目を 浴びてきた。 2011 年の東日本大震災によって、久 慈市も大きな被害を受けた。震災から 1 年 後、海には魚介類が戻ってきている。今年 は ZZZ の朝の連続ドラマ「あまちゃん』 の影響で、多くの観光客が小袖地区を訪ね てくるようになった。 小袖地区の「海女センター」では、 7 月 から 9 月まで、 " ゥニ素潜り漁 ~ の実演をし ながら観光客を呼び込んでいる。 日本で昔から海女が多く分布し、活躍し てきた地域としては、三重県鳥羽志摩地域 がある。今でも 1000 人近くの海女が海 女漁を営んでいる。 観光学部アカデミックアドバイサー講演会 日韓における「海女観光」の現状 2013 年 6 月日 ( 金 ) 新座キャンパス 4 号館 2 階 N421 教室 講師劉亨淑氏 ( 韓国・東義大学校 ホテル・コンべンション経営学科副教授 ) 4-