著書紹介 へのツアー企画に関心を寄せている。 展段階を提示することだが、前述のように進 ( 注一 ) 中央道ツアー商品の導入の経緯と詳細な分析については、 「揺籃期における訪日旅行商品開発の事業モデル」を参考にさ アジアや欧米の様々な市場の進展の度合を展する方向はある程度決まっているとはいえ、 れたい。 グロー バルに見渡して最適な市場を選択する観光はすべて人間がかかわる現象である。市 ( 注 (l) 九州運輸局調べ。 ( 注三 ) 北海道庁調べ。 ことにより、効率的に具体的成果を上げるこ場を動かす大きな力が働けば旅行会社や観光 ( 注四 ) 特定のテーマ、目的のために催行される旅行。訪日旅 」行では、博物館・美術館めぐり、有名建築家の作品巡り、ス とができる。となると、揺籃期の中国市場で客は動くのである。中国や台湾の誘客成功 キー・ゴルフ等のスポーツ系旅行等がある。 ゴールデンルートや北海道以外の地域が、時期では、自治体や事業者の特定の人物によるカ ( 注五 ) 中国や台湾における修学旅行 ( 教育旅行 ) は、日本と異 なり生徒全員が参加する学校行事ではない。旅行会社が企画し、 が熟すまで取り組みを控えることが賢明では強いリーダーシップが発揮されている。冷静な 学校を通して募集し、希望する生徒が参加する。複数の学校の生 ある。しかし、訴求力のある観光資源が備わり、市場の分析力とともにインバウンドに取り組徒からなる混成団が多く、日本の学校〈の訪問と交流活動が重要 なプログラムとなっている。 送客旅行会社、クルーズ、航空会社 ( チャーター む強力なリーダーシップを期待したい。 参考文献 便 ) のニーズに合致した強い働きかけを行えば、 平田真幸著『国際観光マーケティングの理論と実践 5 日本の異 誘客が実現できる可能性が高くなる。 文化理解とアイデンティティ追求への挑戦』国際観光サービスセ ンター発行、ニ 00 六年。 今回筆者が試みたのは、訪日旅行市場の発 平田真幸、薬丸裕著「揺籃期における訪日旅行商品開発の事業 モデル 5 中国上海市を事例として」 ( 溝尾良隆編『観光地の持続的 発展とまちづくり』ニ 00 七年 ) 。 日本政府観光局 ( z 0 ) 「国際観光白書 2 0 0 8 」 ニ 00 八年 国際観光マーケティングの 理論と実践 日本の興文化理解とアイデンティティ追求への挑載ー、 『国際観光マーケティングの理論と実践 ~ 日本の異文化理解と アイデンティティ追求への挑戦』 平田真幸著 国際観光サービスセンター (2006) 2800 円 ビジット・ジャパン・キャンペーンの推進により、日本 各地で外客誘致活動が活発化している。本書は外客誘 致を「国際観光マーケティング」として学問的に位置づ け、日本国内外の豊富な事例の成功・失敗要因を数値 データにもとづき理論的に分析している。また、日本の インバウンド史黎明期から中国の訪日観光旅行解禁ま での一世紀を俯瞰しつつ、先達の労苦から教訓を抽出 する。さらに、筆者自身の台湾と上海市場の現場経験 をもとに、東西世界をバランスよく、国際会議誘致まで およそインバウンド関連のテーマを網羅的にカバーして いる。外客誘致は海外と日本の異文化理解であり、ま た地域のアイデンティティの確認と追及でもある。筆者 は専門分野にとどまらず、国際化の中の日本人の生き 方も示唆している。 35 特集観光グローバル vs. ローカル訪日旅行市場の発展段階と誘客活動
をドこ レ vs. ローカノレ で第 10 月に観光庁か発足した。観光行政元化も大きな目的たが、海外かりの観光客誘致促進 も、欠かせない課題てある。各国とも競って、国単位のインバウンド観光客増加に努めている の背景には、観光消費、宿泊や土産品購入などいわゆる観光産業の枠を越えて、きな経済 しかしいくら国単位てあ観光促進を実施しても、実際に観光客を受け入れるのは特定の地。て り、特定の観光地てある現をては特定の観光地か特定の国からの観光客を材入れるビン 誉イントの関係か成立することもめすらしくない。本号では観光のさらなるグローバル化と、 = 同時並行 て進行する地域間のビンポイントの関係深化を追い、それによって生する交流のかたちを考える。
リフト券などの一人あたり単価四五〇〇円。ションを築きつつあるといえよう。かねて韓体暇の過、 ) し方にかかわる感覚や訪れる オーストラリア人がスキーをした場合、総消国人対応を充実させてきた五竜スキー場も、距離の違いからも、外客は私たちに「違う視 費単価は一六〇〇〇 5 一七〇〇〇円と積算韓国人スタッフに加え、オーストラリアから界」の所在を様々に教えてくれる。白馬を訪 される。延べ泊数でもオーストラリア人は長のワーキングホリディの人の雇用を始めた。れる外国人客の話を聞いて、またあっけらか 期傾向であり、重要なお得意様としてのポジ なお、白馬に来訪する外国人客の消費はんという表現がピッタリの陽気に語るフィ 多様である。スキー好きなお父さんがスキー ンドラーの顔や、かって訪ねたニセコの雪景 場へ日参するかたわら、奥さんと子供たちは色なども思い出しつつ、私はそんなふうに ジャスコに買い物へ行ったりする。また、滞思った。 在中に村中でスキーの板やプーツ、スノー ( フィンドレー氏についての記述は、二度のご講演 ププーツなどを買いもとめる外客は少なくな マ ス スキー場でレンタルしているニューデザとその折り機会を得たやりとり、送付、 ク インのスキー板を是丿 ドにといって買って帰ンフレット類によっている。また白馬観光事情につ ア いては、七月二五日の視察でお世話になった宮田氏、 をノ / , 一〈る ( 五竜スキー場談 ) 。 白 クパ・ツーリズム加盟の白馬リ塩島氏、信州・長野県観光協会、北安曇地方事務所 からいただいた情報にもとづいて構成した。文中は ゾートホテルラ・ネージュ東館・塩島真一 によれば、大きなスーツケースを携えてやっ敬称略とさせていただいた。ご協力いただいた方々 には感謝とともにお許しを願いたい ) て来るオーストラリア人は、白馬のホテルに 滞在しつつ、県内の善光寺や山ノ内温泉はも とより、秋葉原、京都へも行くのだという。 これは白馬が日本観光のゲートシティに なっているということではないか ? 観光 客の足場となる「ゲートシティ」は交通要衝 の地という固定概念がある。白馬で見聞した 事実は、ゲートシティ立地論に発想転換をう ながすものであった。 0 ー E 料 1 鹵 ー . 取制 & N 刈 S ⅸ知 Toyama 0 JRNagano HAKUØA•・ JRChuoLine 1 Nagoya 田 T 地 主要参考資料 CSNOW BUSINESS 』 日本ケープル、 2004 年冬 ( No. 101 ) 、 2008 年上期号 ( No. 109) 「視察研修資料」 白馬村観光局、 2008 年 7 月 / ヾンフレット 「 NAC ニセコアドベンチャー センター」 2008 年入手 1 1 特集観光グローバル vs. ローカルニセコ & ハクバ
の観光を参与観察するとともに、村びととワークショップ形式のインかし、そしてその覆された現実に真摯に向き合い、それを学問的に分 タビューを行なった。 析していくという作業が、フィールドワークの意義であり、可能性で この村へ行く には、舗装された道路はなく、特に雨期のアクセスある。 は非常に困難である。それゆえ , ) の村を訪れるツーリストは、年間 しかし最終日に訪れたチェンマイ県のモン族の村では、「学術調査 6 、 7 組のスタディ・ツアーが中心だ。そうなると観光からの収益の意義とは何か」という根本的な問題も考えざるを得ない経験をし は、当然限られている。しかしこの現状について説明する際、ある村た。その村は、チェンマイ市近郊に位置しており、最も早い時期に観 びとは「舗装された道路が村まで通らなくても構わない。それによっ光化が進んだ村として知られている。それゆえ、そこを訪れる学生や てツーリストが増えることの方が間題だ」と語った。カレンの人々研究者は多いのだが、この村の村長は、我々とのインタビューのなかで、 は、観光による利潤の拡大化を志向するのではなく、食料をある程次のように述べた。「研究者はたくさん訪れるが、その成果は全部図 度自給できる焼畑という既存の生業を維持したまま、一定の自律性を書館 ( こいく。この村には何も残していかない」。調査成果をいかに現 もちながら、観光を運営していくことに意義を見いだしている〔須永地の社会に還元できる ( しうる ) か、今回の実習では、非常に難しい 2004 〕。しかし当初、ある参加学生は、 , ) の村びとの言明をなか 問題も突きつけられた。 なか理解できなかったようだ。おそらく「 ( 所得水準の低い ) カレンの人々 参考文献 は、観光によって現金収人を増やすことや「開発』を望んでいる」と 須永和博「エコツーリズムのローカル化ーーータイ北部山地カレン社会 いう「固定観念」があったのかもしれない を事例として」『立教観光学研究紀要』 6 【 3 ー一 4. 調査者の「常識」は、実際のフィールドでは往々にして覆される。し豊田三佳 1996 「観光と性」山下晋司編『観光人類学』新曜社も℃ . 一 3 一ム 40. 中無もエ人レ 菜て種チ 0 の 野べ品・ - 一 o たす来て日衣 れは在人に毎族 村、民 穫菜いま で野なコのはの 森け日ンに やるかスモ村 畑え見リのの 、のわり一県こるを 村味まツィいれあ 、があのマ近訪で ま」は向ンどがま ー第理で志工ほトス 村料地一チらスビ み '_ のン平シ獅かリ一 ンレ、ル」内一サ 力「な〈市ッ 2 の薬ぐ 4 マ上タ 心農多ン以ン ぐーな
タンなどの例外を除けば、南アジア唯一の仏教に立ち人らない限り危険にさらされる可能性任地は事実上の首都コロンボから北へ三〇キロ、 圏であり、世界的にも上座部仏教の中心地ではかなり低い。しかし ; TE と政府軍による国際空港から七キロに位置する漁業の町・ニ ある。その他の宗教として、ヒンドウー教、キ三〇年にわたる断続的戦闘状態とテロが、観ゴンボである。漁業に加え、町の北にはリゾー リスト教、イスラム教が存在している。しかし光地・スリランカのイメージに暗い影を落としトホテルが建ち並び、観光産業も盛んである。 複雑な民族構成、宗教事情はかならすしも安ていることは否定できない。現在でも時折流ニゴンボでは二〇〇五年より、日本の円借 定的とは言いかたし れるテロのニュースは「危険な国」というイメー 款による観光振興プロジェクト、 TRIP (Tou 「 ism Resou 「 ces lmp 「 ovement p 「 oje ロ ) か進行中である 六つの世界文化遺産と一つの自然遺産 このプロジェクトはニゴンボの他にも三カ所の スリランカの基本的な産業は、農業と繊維 地方都市でインフラの整備を中心に実施され 製品である。ことにセイロンティーと呼ばれ ており、さらにコロンボとキャンディでは人材 像 る紅茶は有名で、狭い国土ながら中国、イン 以育成のプログラムも行われている キ っ に次ぐ世界第三位の茶生産国である。また ニゴンボでは、魚市場の整備、オランダ統 立 観光も産業上大きな位置を占めている。主 っ治時代から残るハ、 , 、ルトン運河の改修・浚渫、 要な観光地は、文化三角地帯といわれるア 諠市内の景観美化 ( 道路の改修 ) が行われている。 ロ 出 これに付随して、外国人 ( 特に日本人 ) 向けの ヌ一フータフ一フ (Anuradhapu 「 a) 、ポロンナルワ の ン 観光資源の開発や提示・演出の仕方、観光客 (polonna 「 uwa) 、古都キャンディ (Kandy) を結ん グ た一帯と、世界遺産の港湾都市ゴール (Ga11e) 誘致の方法を提案することが私の役割である。 か、らコロンボの南マウント・ラビニア (Mount 漁勤務先はプロジェクト実施機関であるニゴンボ Lavinia) あたりまで延々と続く海浜リゾートで 市役所であり、行政が観光振興のために果た あろう。この一一つの地域を中心に仏教遺跡などジを再認識させ、その払拭は容易なことではすべき役割についての提案も、あわせて期待さ れている。 六つの世界文化遺産と一つの自然遺産が集中し ている。世界的にも例の少ない高水準の観光 漁業の町・ニゴンポ 観光の現状把握 資源の集中度といえよう。 スリランカは概して治安が良く、シンハラ人現在私は国際協力機構の青年海外協力隊員 ニゴンボに赴任し、ます実施したのは観光の とタ、 , 、ル人は共存している。北部の戦闘地域として、スリランカで観光開発に携わっている。現状把握であった。しかしニゴンボにとって観
マルコース」と呼ばれ、初訪日客向けのゴール年度には九万三千七百人に達し、通年のデス 台湾の海外観光旅行市場は、一九九〇年代 デンルートに相当するものである。 ティネーションとして定番となった ( 〇七年度に経済発展の恩恵が全土に及ぶようになると、 訪日旅行経験者が増えるにつれて、団体で には約二十七万七千四百人 ) ( 注 III)O また、九六台北市および周辺に止まらす、南部の高雄市 はあるが東京三泊と箱根周辺一泊などでショッ年には、能登半島和倉温泉の加賀屋旅館が一一一台南市、中部の台中市などの主要都市にも拡 ピングやディズニーランドをゆっくり楽しむ年間で一億円を投人する本格的な販促活動を大し、それぞれ独立した訪日旅行市場を形成 リピーターが増えてきた。九三年からハウス展開し、大阪から北陸地方を通り東京へ行くするようになった。 テンボスは台湾で現地旅行会社数社を代理店ツアー商品を定着させ、近年は能登空港への 中国本上と異なり、台湾の訪日旅行市場は とした流通システムを導人し、筆者が勤めるチャーター便利用も多い。九七年からは沖縄揺籃期を終え成長期を迎えている。〇七年の 日観台とともに、旅行商品販売促進とイメー にスタークルーズ社の大型客船が就航した。 訪日客数は百三十九万人に達し、既に成熟期 ジ r-* を併せた本格的なプロモーションを開 さらに、二〇〇〇年代にはビル壁面に雪に人り、これ以上訪日客数を伸ばすのは困難 始した。九七年には約二十五万人の台湾人人壁を載せた大型屋外広告が功を奏し、富山という見方もある。 場者数を記録した ( 〇七年の訪九州台湾人客は約県から長野県を貫く立山黒部アルペンルート 観光旅行市場の発展を促進する要因 十万四千人 ) ( 注一 I)O シーガイア、スペースワー の旅行客が非常に増えた。九〇年後半から ルドも九四年から誘客活動を強化し、九州テー 二〇〇〇年代には、直行便が飛んでいない日 中国本上と台湾の訪日観光旅行市場を一一 マパーク旅行の大ブームが起こった。これが契本の地方空港にチャーター便が数多く就航し、 5 三十年の歴史を遡って俯瞰してきた。中国 機となり、今までのノーマルコースの西部分が新しいツアールートの商品が多数販売された では特に団体観光旅行が解禁後六年経った 九州ツアーに引き離され、東部分は前述の東 このような旅行ルートの多様化に止まらす、二〇〇六年くらいからの現在までの一一年間、台 京周辺ツアーとして独立し、関西は旅行商品航空会社は九五年ごろから若年層やビジネス湾では一九九五年前後からの約十三年間に訪 化されす、ノーマルコースは分断、解消されて客向けにホテル & ェアー ( リムジンバス付き ) の日旅行市場が飛躍的に成長した、あるいは成 しまった。 都市型パッケージツアーの販売を開始熟化が進行した時期といえる。市場の成熟化 九五年からは、日観台の企画で日本アジアした。日観台も旅行雑誌等と提携し、東京周は、いわゆる初訪日客向けゴールデンルートか 航空や北海道観光連盟とともに、「冬以外の北 辺への個人旅行向け観光地・施設等を紹介すら脱皮し旅行商品が多様化 ( ルート、品質、価 海道」と銘打ち、道北・道東方面のツアー商る活動を行った。当初の実績は伸び悩ん格 ) 、個人旅行化、旅行形態の多様化 ( 企業イン 品の造成・販売支援事業を開始した。台湾か だが、一一〇〇〇年代に人ると個人旅行の花形センテイプ旅行、 ( 注四 ) 、修学旅行 ( 注五 ) 、 ) 、 らの来道客は九五年度の一万人未満から九八商品に成長した。 市場の地域的拡大へ向かう状況を意味すると つ」
を醸し出している。これを踏まえて訪日旅行年から上海発 ( 〇七年から天津発を追加 ) 福岡、 江省 ) 、南京市 ( 江蘇省 ) の旅行業界に新規旅行 市場は富裕層の集中する都市単位でとらえな長崎、鹿児島、沖縄と済州島に寄港するクルー商品を導人し、商品やルート、品質の多様化 ければな、りない また、これら都市の市場のズを開始し、〇八年からは米国のロイヤルカを中・長期的に推し進めるモデル事業を開始 発展の状況は、現在まで団体観光旅行査証のレビアン社が済州島と福岡に八万トン級のクすることにした。これが前述の中央道ツアー 解禁の時期によりグループ分けするとわかり ルーズを就航させた、両社で年間一一万以上を商品開発事業である。 やすい ( 表中国市場におけるツアー商品造成・販送客したが、今後増便や船の大型化も狙って各都市の主要旅行会社四 5 五社すつに商品 売の状況三三ページ参照 ) 。 造成・販売をしてもらうことに漕ぎ着け、開 広東省、北京市、上海市の第一グループが このほか主要市場では年に一 5 数回日本の始年の二〇〇五年度に一一十団体四百四十九人、 先進市場であり、初来日の旅行客が参加する地方都市にチャーター便が就航している都市〇六年度に五十六団体千八百四十四人、〇七 コールデンルート ( 東京、箱根、富士山、京都、大阪 ) もあるが、定期便を持たない内陸部の都市か年度には七十九団体一一千二百七十二人と年々 のほか、上海では北海道や中央道ルート ( 名古らの誘客に有効な手段となっている。 実績を伸ばし、今では定番商品として旅行会 屋から中央高速沿いに八ヶ岳、山梨県へと結ぶ ) 、沖上海では既にリピーターが観光客の二 5 三社が進んで販売してくれるようになった。特 縄ツアーが定番として催行されている。広東割くらいに達し、また高価格・高品質のツアー に第二グループの南京市では、中央道ルート 省では東北、九州、立山黒部方面へのツアー商品も安定して販売されている。上海を中心 が「新ゴールデンルート」として従来のゴール 商品が催行されている。これらの三大市場周として第一グループでは、〇六年くらいからデンルートに取って替わった ( 注一 ) 。また、ア 辺に位置する第二グループの都市では、まだ観光旅行ルートや品質の多様化が始まってい モイや福州市 ( 福建省 ) 、青島市 ( 山東省 ) 、北京 初来日客がほとんどであるため、ゴールデンる。揺籃期から成長期に移行しつつある。実は、市にも中央道ツアー商品が導人され、も、つ一つ ルート以外は北海道ツアーくらいしか催行実筆者が上海に赴任した〇四年には、中国からの戦略である他の市場への拡大も進んだ 績は出ていない日本との直行便がほとんどの訪日観光といえばほとんどがゴールデンルー 中央道ツアー開発が軌道に乗ると、 なく、経済発展も沿岸部より遅れている内陸トであり、安売り競争で旅行会社の利幅は減—Z+O 上海事務所は、ツアールートのさら 部に位置する第三グループでは、ゴールデンるとともに、宿泊施設や食事、サービスの質なる多様化を推し進めるため、〇七年度から ルートが市場のほとんどを占めている の低下が旅行客に及んでいた。—Zk*O 上海東京を人れない関西起点のツアー開発を企画 主に第一および第一一グループで注目すべきは、事務所では長野県と愛知県の協力も得て、こし、上海の主要旅行会社に販売を開始しても 日中韓を結ぶクルーズが年々活発化しているの動きに歯止めをかけ、日本への観光客数をらった。一年目は八百人と苦労したが、〇八年 , ) とである。イタリアのコスタ社は、一一〇〇六伸ばすには、ます上海市とその周辺の杭州市 ( 浙度には半年で既に約九百人の送客があり、当 0