小沢健市 観光における「全体と部分」 このタイトルは、何時の頃読んだのか私の記憶は定かではないが、ノーベル物理学賞を受賞したヴェルナー イゼンベルクの著書『部分と全体』のタイトルを逆転させたものである。 ハイゼンベルクの著書『部分と全体』の内容は私のおぼろげな記憶の中にあるに過ぎないが、その内容を大胆 に表現すれば ( もっとも私は物理学という学問に接したことはないので内容を正しく読み取れるはずはないのだが ) 、それは、 全体は部分に分割可能であるが、部分を集めても全体にはならない、といった内容であった、と記憶している。 ところで、これとよく似たことは、私の専門である経済学の中にも存在する。。それは「合成の誤謬」としてよ く知られている。すなわち、個にとって正しいと思われる経済的行為が社会全体として見ると、決して正しいと は言えない、というものである。経済学でばしば引き合いに出される代表的な例は、貯蓄は個人的には美徳で あるが、経済環境がいわゆる景気後退期や不況といった環境の下では、社会的に見ると美徳だとは言えないとい うものである。その理由は、貯蓄ば、将来の何時の日かには消費財・サービスの購入のために支出されるかもし れないが、現在の不況 ( 一般に国内総生産の規模が縮小する現象を指すと考えてよい ) を克服するためにはまったく役に 立たないのみならず、貯蓄をしている人々の所得を減少させ、しいては貯蓄さえ減少させてしまうからである。 不況期には、企業が生産している生産物の売れ行きははかば力しくなぐなり、売上が減少するような経済環境 である。そのような経済環境の下で、個人的な美徳という理由から多くの人々が貯蓄に励むなら、売れなくなっ ている生産物はますます売れなくなり、生産は減少しその結果、貯蓄をしていた人々の所得を減らし、それは さらに貯蓄さえ減少させるという帰結を招来させてしまう「 多くの人々が貯蓄をせずに、消費に回すならば、生産物の販売は極端に減少することは回避され、それゆえ、 経済状態のいっそうの悪化は避けられたはずであり、その結果、多くの人々が所得の減少や失業といった最悪の 事態に直面することは避けられたはずであるからである。 このような現象は、経済学の研究領域内では、ミクロとマクロの非整合性という問題として集約可能である J. M. Keynes ( 一 936 ) が The Gene 「 al Theo 「 y 0 → EmpIoyment,lnte 「 est and Money. ( 塩野谷裕一訳『雇用・利子お 4 4 ′ 0
光は主要産業であるにも関わらす、人込客数、えば今度は書類をなくしてしまったと言う。書大幅に減ると理解していたが、ツアーオペレー ホテル軒数など、基本的統計さえ整備されてい類が手元にあっても健康の問題で記人が難しターとの契約がある比較的大規模なホテルで はツアーの前・後泊などトランジットの宿泊が 宿泊客数なんて数えていないからわからな なかった。市役所は以前ホテルを対象に質問票 、どこの国から来たのかなどお客には聞かなあり、一年を通じて一定の集客があることが明 を配布したとの , ) とだが、四 5 五件しか回収で らかになった。方、ニゴンボの宿泊施設の半 : など彼らの言い分はいくらでもある。し きす、断念してしまったとのことである。 必要なデータを集めるため、市役所同様、かし歩き回って話を聞くうちに顔見知りも増数を占める個人経営のゲストハウスでは、私が 訪問したローシーズンは、全室空室というとこ 質問票を配布したが、回収のために同じ宿泊 ろも少なくなかった。ニゴンボの宿泊施設は経 施設を何度もしつこく訪問することとした。結 営的にも分極化している。 局回収できたのは配布したうちの八割のみで またゲストハウスとひとくくりにしても、そ あったが、それでも五カ月を要した。観光によ れぞれ対応が全く異なるのが面白い。あから る地域振興にとって、観光関連の統計は不可欠 さまに迷惑そうな顔をするところ、経営が苦 であるが、ごく簡単な統計を人手するだけでも、 え しいと言いながらも、紅茶や冷たい飲み物を ニゴンボでは多くの労力と時間が必要である。 ご出して話し相手になってくれるところ、そうか このデータ集めのみで赴任から五カ月が過 の と思えば「うちの息子に日本で働くビザを出 ぎてしまった。宿泊施設は全部で四〇軒ほど 作 ュ シ してくれないか」「部屋の工事をするお金をく 1 レ , 〃ナよ . い 0 ; 調査開始前は一カ月もあれば充分だ れないか」と、こちらの意図を全く理解して と考えていた。非常に非効率なデータ収集で イ ラ くれす、勝手な要求をするところまで様々で はあったが、それなりに得るところも少なく ある。しかしこれらの対話から、ニゴンボの人々 なかった。スリランカで活動することがどうい うことなのかを知ることができたという意味え、様々な立場の地元の人々との関係も出来の本音がかいま見えてくる。 ゲストハウスに限らす会う人会う人が「生 で、この調査から活動を始めたことの意味は上がっていった。ニゴンボの素顔を知るという 活が苦しい。物価は上がるのにこの収人では 点で、この調査は大きな財産となった。 大きかった。 やっていけない。市役所が何もしてくれない」 ホテルのマネージャーにアポイントを取って、 ニゴンボの人々の本音 と口を揃えて言う。それでもあまり悲壮感が 当日にリコンファームをしても、いざ訪問する ないのが不思議だ と出かけていると言われる。やっと会えたと思 当初四 5 一〇月はローシーズンで観光客が 19 特集観光グローバル vs. ローカル観光を通じて草の根国際協力
観光人類学とフィールドワーク 須、水和博 ( 観光学部プログラム・コーディネイター ) 観光が地域社会にもたらす影響は、経済的側面のみならす、社会的・化をもった、カレン、モン、ラフ、アカ、リス、、 , 、エンなど、一般に「山 文化的・政治的側面など、非常に多岐にわたる。 , ) うした観光がも 地民」と呼ばれる少数民族が暮らしている。特に、山地民の色鮮や たらす様々な影響について、多様な側面から総体的に明らかにする学かな民族衣装は、平地に暮らすタイ系民族との差異を強調する際に 間が、観光人類学である。観光人類学の最も特徴的な点は、調査対しばしば言及される。こうした山地民の固有の生活文化や民族衣装は、 象とする社会における長期間の綿密なフィールドワークである。実際 1970 年代以来、先進諸国のツーリストを惹きつけており、トレッ に研究対象となる人々のなかに人り込んで調査を行い、文献調査、 一 = たキング・ツアーと呼ばれる、山地の村々を訪ね歩くエスニック・ツー けでは得られない、五感を通したみすからの体験を学間的分析の基 リズムが盛んである。現在では「山地民」は、タイ北部を紹介するガ 礎におく調査法。それが観光人類学を特徴づけている、フィールドワー イドブックや観光ポスターには欠かせない観光資源ともなっている クと呼ばれる調査法である。 我々は、こうした観光化が山地民社会に与える影響について考える こうした調査法は、教室内の座学で学習するだけでは不十分である。 ために、タイ北部の山地民村落を訪間した。 むしろ実際に観光の現場へ出かけていき、現地の人々の声に耳を傾け、 山地の村でのフィールドワーク 様々な現象を観察し、時にはそれに参加し、考察するといった現場で の経験が不可欠である。 最初に訪れたのは、タイ北西部、 , 、ヤンマー国境に位置しているメー 観光学研究科では、文部科学省大学院教育改革プログラムに採択ホンソン県のカヤン族と呼ばれる人々の集落である。カヤンは、俗に「首 された「ツーリズム・イノベーターの戦略的育成」プロジェクトの一長族」とも呼ばれ、一部の女性が首に真鍮を巻きつけることで知られ 環として、博士前期課程の大学院生 6 名を対象に、 2008 年 1 月ている。その視覚的な他者性から多くのツーリストを惹きつけ、この 日 52 月 5 日にかけて、タイ北部チェンマイ県・メーホンソン県にお村にも数多くのツーリストが訪れる。このカヤンの観光化については、 いて、フィールドワーク実習を行なった。 彼らが、 , 、ヤンマーの政情不安からタイ側に逃れてきたある種の「難民」 であることも手伝って、しばしば「人間動物園 (human zoo ) 」と批判 タイ北部とい一つフィールド されてきた。つまり、カヤンの人々は、一方的にツーリストのまなざ タイ北部の山間部には、多数派のタイ系民族とは異なる独自の文しにさらされ、カヤンの人々の主体性が抑圧されているというのであ 4 っ乙
4 学部国際交流の現場か このコーナーでは観光学部が行う国際交流の現場を随時報告していきます。 、り へ ス ン ャ キ 座 次 観 ン イ 本とインドの観光交流は古くは官 (p 「 incipal s 。。「ミ「 y ) バルマ女史 (Ms. Rasl 】 imi 日本人バックパッカーの聖地と ve 「 (a) の訪日もその支援活動の一環として の技術協力により実施された して、また、仏教徒にとっては 次官の本学への訪問目的は日本の学生世代 お釈迦様の聖地として広く認知されてきた が、近年は特に経済交流の隆盛に伴いビジネのインドへのイメージや旅行の実態の聞きと ス客が大幅に増加している。そのような背り調査、さらにインドの高等教育機関での観 景のなか、インド・シン首相と元小泉首相光教育において立教大学観光学部のカリキュ との間で観光分野における日本の支援が約東ラムや授業内容を参考としたい旨であった。 ・、ール州観光次観光学部生のなかには既にインドの旅行経 され、今回のインド観光省ヒノ 験があり、世界遺産や人々のやさしさなどに感 動した反面、インフラの整備や環境、衛生事 情、治安間題などにまだまだ多くの課題があ ることが指摘された。他方、未経験者のなかに は憧れの一方で「インド人はお風呂に人るか ? 」 などという素朴な疑間や食事などへの不安が発 せられ、次官の適切なアド。ハイスが述べられた。 観光次官は学生から日本の若い世代が持っ 史インドのイメージ ( 誤解から生じる悪い印象も 女 マ 含め ) がよく把握できたので今後のプロモー ション戦略の参考とするという意見とともに 次 インドの観光教育においても立教の観光学 州 部を参考とし、職業訓練的な教育に偏重せす、 よりアカデ、 , 、ツクかっ総合的なカリキュラム 省 観を目指したいという積極的な発言が行われた ン ( 國玉勝一 ) 。 4
Pie し d note 8 ルドワークを行なっていくための、重要な教訓となったであろう。 る。もちろんこうした批判はあながち間違いではない。しかし、現場 翌日からは、同じメーホンソン県内にあるカレン族と呼ばれる人々 を訪れた学生は、そうした批判だけでは理解しえないフィールドの複 雑な現実に向き合った。カヤンの人々の多くは、ある種の「難民」での村々を訪れた。 , ) この村びとの多くは、自給的な焼畑農業を営ん でいる他、畜産・観光をつうじて若干の現金収人を得ている。所得水 あるが、指定された難民キャンプの外にいるため ( 難民キャンプにツー リストは人ることができない ) 、国連や ZCO からの援助は受けていな準は低いが、村の周辺には野生動物や食用植物が採れる豊かな森が しかし、タイの市民権があるというわけでもなく、タイ市民とし広がっており、焼畑では米の他、数多くの野菜類が栽培できるため、 ての社会福祉サービスは受けられす、就労の機会も限られている。こ比較的安定した生活を送っている〔須永 2004 〕。 うしたなか彼らがタイのなかで生活をしていくためには、観光からの この地域では、地元 ZCO と協働で、 Community Based Tourism 収人は不可欠である。それゆえカヤンの人々は観光を必すしも否定的 (u=æ) と呼ばれる取り組みが行なわれている。我々はその現状を調 にとらえているわけではない。むしろ、カヤンの人々にとって一番の査すべく、 2 カ所の村に合計 3 泊して、実習をおこなった。 従来のトレッキング・ツアーに代表される山地民観光は、山地民自 関心事は、不安定な政治的境遇からの解放 ( Ⅱタイ市民権の獲得 ) であ る。ある参加学生は、「確かに人間動物園という側面はあるけれども、身によって導人されたものではなく、外部者である平地タイ人によっ それだけでは、あまりに短絡的な解釈ではないか」という感想を述べて仕掛けられたものである。それゆえ山地民自身がツアーの運営に 発言権をもっ機会は非常に限られていた〔豊田 1996 〕。それに対 ていた。むろんその学生は何か別の解釈を提示しているわけではない しかし、フィールドで感じた「何か」を徹底的に考えて、一「ロ語化してし、は、山地民自身が観光運営のイニシアチプを取るという趣報 旨のもと導人された取り組みである。今回の実習では、実際に村で いく作業の重要性・困難性を実際に経験するという , ) とは、今後フィー 。ンで商 を : をてイ村ド にの、一 村式はレ の形でト ンプ村 0 レツのフれ カョン「さ 、売 県クカ が販 ン 4 物に と 3 織け ンらの向 ホ民一一めト 一住染以 な木ー 獅で行草ン をたて イ会一れし タ集ュさと 2 のビ産 ャ村タ生品 、 0
な動機のひとっとなっている。アジアでは、日うなことが少なくなかった。しかし、一一〇〇五も台湾では定着し、中国でもそれが急速に築 本はアジアの先進国として認知され、日本人年の愛知万博を契機に査証免除が施行され隔かれつつある。日本の関係者は、日本の豊富 がヨーロッパに行く際、ロンドンやパリをはす世の感がある。中国では、まだ団体観光査証な観光資源をどのように情報発信し、また現 ナられているが、中国地旅行会社や航空会社と協力して、消費者の せないと同様に、自分の周辺の多くの人が知っという特殊な査証が設 ( ている東京、富士山、ディズニーランド、京都、人旅行客が日本の法律を遵守して実績を積んニーズに合った旅行を企画・商品化し、日本に 大阪、北海道等のへます行くこととなる でいけば、ある程度の時間はかかるであろう来てもらうかが重要である。 海外情報の浸透も消費者の旅行意欲を喚起が着実に緩和が進められると考える。 市場の発展段階の し市場の発展を促す。台湾では、九〇年代後交通アクセスの充実も重要である。九〇年 分析と強力なリーダーシップ 半に日本の芸能、ファッション情報がリアルタ代は日台間の定期路線は成田、関空、名古屋、 効果的な誘客活動を行うには、対象国や地 イムで流れ、日本の熱烈ファンである「哈日族」福岡、那覇に限られていた。九〇年後半とな ーリーズ ) が登場した。ファッション雑誌『ノるとその他の空港へのチャーター便が多く飛ぶ域の市場の状況を把握することは言うまでも ンノ』が日本で売られているそのままの姿で台ようになり、今や日台四社が日本各地に定期ない。 , ) れを中国の市場の状況を示す表のよ うに「空間的」に行い、自分たちの持っ観光 湾のコンビニのキャッシュカウンターに置かれ、路線を持っている。沖縄への大型クルーズ船も よく売れていた。 一方、中国では一一〇〇七年四就航して長い。一方中国では、上海から日本の魅力や交通アクセス、既存のツアールートと 月の温家宝総理の日本訪間以来、日本の文化、十七空港に週三百便もの定期便が飛び、日中の位置関係を踏まえて最適の市場を選ぶ。さ 生活、芸能に関する報道量が急増した。中国間で総計週約八百便が飛んでいる。現在、日本らに「時間的」に市場を捉え、揺籃期、成長 への地方路線の多くは日本人客向けであるが、期、成熟期のどの発展段階にあるか判断して 女性は日本のファッションや化粧品が大好きな ここまで分析し ため、女性誌では、日本の雑誌 ( 日本語版の中いすれは中国人が主役になる日が来る。訪日市場を選ぶことが望ましい。 て誘客活動を行っている日本の関係者は少な 国語訳が大半であるが、一部現地作成 ) が上位を占クルーズも定着し、毎年送客数が増えている。 めている。 く、これを是非お薦めしたい。 最後に旅行市場の発展を促すのは、日本か 中国の第三グループでゴールデンルート周辺 外的環境が整っていても人国許可となる査らの観光魅力自体とそれら素材を旅行商品と 以外の地域に働きかけても効果はあまり期待 証の緩和が進まなければ旅行者の増加にはっして企画し発信するマーケティングカである。 なかりにく、。 九〇年代前半の台湾では日本台湾や中国本上を問わす、特に若者は日本のできないだろう。一方、成熟が進む台湾市場 への査証審査は仔細にわたる厳しい審査が行ファッション、音楽、食に対する関心は非常にでは日本各地への旅行商品が市場に出ており、 われ、申請者や旅行会社が強い不満を抱くよ強い。また観光目的地としての日本の高評価最近では台湾の旅行会社は、中国・四国地方
必要であると感じている。 を結ぶと信じて続けてい , ) うと考えている ハード中心の観光振興 ただ、私の任期は市役所職員のモチベーショ 青年海外協力隊の観光協力 とはいえ、観光地ニゴンポが抱える間題は明ン向上を待っていてはくれない何とか市役所 白である。観光客の滞在期間を延ばそうと思っの意識改革、モチベーション向上を少しでも進日本では旅行会社で手配の仕事をしていた。 ても、彼らを惹き付ける観光的魅力が、現在めて行かなければならない とはいえ一人での仕事そのものは辛いながらも面白かった。た のニゴンボにはないスリランカ南部のビーチ活動には限界があり、外部に協力者を得て外 オいくつものツアーを同時に担当し、終わっ リゾートに対して、残念ながら優位性を見い たツアーを振り返る間もなく次々と送り出す、 だすことは困難である。それでもニゴンボには という作業が延々と続くことが少し空しくも あった。 他の町にはない特徴がある。カタマラン ( 双胴船 ) での漁業風景はその一つであろう。また八割が ある程度仕事に慣れて来た頃、自分が本 カトリック信徒であるこの町の雰囲気はスリ 当にやりたいことは何なのかを考えてみたと ゴ ランカの他の町とは多少異なっている。こうし き、思いあたったのが海外へ出てみることだっ た特徴を生かしていけば、ニゴンボ独特の魅力 た。その後、たまたま青年海外協力隊に「観 集 をつくり出すことも不可能では無かろう。 、チ光業」の職種を見つけた。協力隊には子供の 一方観光資源開発のみならす、観光地・ニゴ 頃から興味があり、見つけてから応募をする フ ンボの今後の発展は、リゾートエリアの観光産 までは早かった。しかし社会経験は五年弱のみ、 ス 業従事者に加えて、漁業関係者、市街地の商店、 旅行会社勤務とはいえこれまで観光開発に携 テ ホ 住民の協力なくしては実現できない。それら「 わった経験はない。観光開発の知識は大学時 異なる立場の住民を調整する市役所の役割は 代の机上の知識のみであった。全く初めての実 大きい。しかし観光振興プロジェクトの実施機側からも改革を迫る必要がある。現在の私に体験に、焦りばかりが募り、自分の知識不足や 関である市役所の関心は、施設整備などハー できることは、多くの人に会って意図を伝えて欠点を痛感させられる毎日である。しかしニ ド面が中心で、接遇改善、住民意識の改革な いくことである。アポなしで突然おしかけ ゴンボの人々と一緒に、できることから少しす どソフト面の重要性は認識されていない まて自らの素性を語り、少しすっ協力者を増っ進めて行こうと考えている。 す重要な課題は市役所自体の意識改革であろやそうと努力している。まだまだ効果を挙 う。同時に市役所内でのモチベーション向上がげたとは言えないものの、地道な努力が実 4 0
が必要になる。それとは対照的に、 『聖域』」だ 「休む」という行為は息抜き、気 楽さ、そして弛緩と結びついてい と記している。 る。本書によれば、この相反する 一方で、本書がいささか散漫な印 かのようなニつのことを同時にす象を与えるのも事実だ。多くの「バ るのが「ドイツ人」だということカンス周辺事情」が間に挟まれてい になる。 るし、たとえば万博の章が示すよ さらに、ドイツ人なる人々の特うに、内容の面でも全てが本書の 徴から考えても面白い。「真面目」主題に合っているとは言いがたい という形容は、「勤勉」や「質実そういったことを気にしないの 剛健」などともに、日本社会で広であれば、本書はドイツ社会の労 まり続けるドイツ人像である。け働・余暇の在り様を複数の断片か ら描き出そうとするものであり れども本書からすれば、「休む」 という行為も、同じようにドイッドイツ社会について何も知らない 人の特徴として数えるべきなので人に、ドイツの余暇事情を分かり あろう。著者は、現代ドイツ社会やすく教えてくれる好書だと言え では「『休暇』が侵すことのできなる。 オな 現場に在る者として賛成できない 意したのだ A 」い一つ。ムロ 部分にはしつかりと疑問符を付け 湾在住の日本人ジャーナリストでる点には好感がもてる。 ある著者はこうした解読を、国民たとえば、哈日族を文化帝国主 党支配下での社会状況、本省人と義と位置づける議論を「戦後の国 外省人の違い、反共と反日あるいは民党政権側に立つもの」と捉えて、 親日、世代やジェンダーなど、さまその偏りを指摘する箇所がある。 この書評では著者の指摘が適当か ざまな切り口から試みていく。 著者が - 言うように本書はたしか検証する余裕はないが、文化と政 に生硬ではあるが、かえってそれが治の問題を考える上で興味深い尸 長所になっているように思われる。題であることはたしかだ。 哈日族の聖地として有名な西門 議論は学術研究の成果を踏まえて 進められ、参照した文献・論文の町と、国民党がもたらした財宝で 溢れる故宮博物院ーー、・本書を読 一覧も明記されている。 もっとも、引用がすぎると思わめば、これら観光名所のコントラ ストがいっそう面白く思えてくる れる部分もなくはない。しかし、 ( 岩田晋典 ) 学術研究に追従するわけではなく、のではなかろうか。 才ー よのう 39 読書案内
- ル : い 場合にはシステム傘下のカレッジとして有機 的に連携することで、学生が学業を中断して 就職したり、あるいはその後に大学に復帰す るなど、実務社会との柔軟な接続を可能に毛 ている。 観光産業において、そ仕事の多くが、 end job 「将来の展望がない仕事」をと認識され、 人材流出に繋がることも少なぐない。今後は より長期にわたって個人のキャリア形成を支 援する役割が、教育機関にまます求められ るようになってきている。そてそのことカ 産業の高付加価値化にもつな・。ることが期待 されている。 上ハワイ大学システムを構成するカレッジ のひとつ、カビオラニ・コミュニティー・カレッ ジ。そのキャンパスは毎週末のフリーマーケッ トの会場としても有名。左高層コンドミ アムの建設は、ワイキキ・エリアからいまや その周辺に広がっている。右旅行産業 経営学部が所属するハワイ大学マノア校。そ の中心の位置するキャンパス・センター 47 変わるハワイ
迎 日 Q) 善一 年一一桁の経済成長が続き、「世界の工場」とし て国民の可処分所得も増大した。さらに海外 の情報が国内に人るようになると、中国政府 は人々の海外への好奇心や旅行の願望は抑え きれす、一九九七年に団体というかたちであ るが観光旅行を解禁した。日本への第一陣は 一一〇〇〇年九月に到着し、その後も各国への 渡航解禁が続く。一一〇〇八年には米国に続き、 ついに政治的懸案を抱えながらも台湾への観 光旅行が解禁となった。 揺籃期から成長期への兆し 上海の旅行会社の言葉を借りると、現在、 上海では「日本旅行プーム」が起こっている という。世界各方面への旅行の中でも、季節靴 感溢れる自然や国際級のテーマパーク、日本 独特で保存状態がいい文化・歴史遺産、最新場 の商品が割安で購人できるショッピングに加え、 安全、清潔、時間を守る信頼性、サービスの 良さ等がツアー客にも旅行会社にも好評で、 公の情報をあまり信頼しない国柄ゆえ、特に 中国は日本の一一十六倍ある広大で地形の変 化の富む国上、悠久の歴史、そして多くの民 族や文化が各地の旅行市場においても地域差 2008 中国国際旅游交易会 ( 2008 年 11 月 20 日 ~ 23 日上海新国際博覧センター )