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検索対象: 交流文化 volume 08
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1. 交流文化 volume 08

HOEEAI 00 鵁民初の四社から現在では十社が同ツアーを販売め、訪日査証の発給は、日本の対台湾窓口で するようになった。また、松山空港から人りある財団法人交流協会が代行し、日本航空の 関西空港から帰国するツアーが催行されるな子会社の日本アジア航空や全日空の子会社の 、関西域内だけでなく、関西と他地域を繋ェアーニッポンがそれぞれ就航し ( 〇八年より日 げたツアーへと発展が見られ、の狙本航空と全日空が一一社に替わって就航 ) 、一九八四 年には政府機関である—Z+O の代わりに日 いが実現しつつある。 観台が開設された政治的事由によりこのよ 台湾における海外旅行の歩み うな変則的措置が採られたが、日台間の人的 往来は活発化し、特に台湾からの訪日客 ( 〇七 共産主義国以外という条件付きであるが、 台湾の海外旅行が解禁となったのは一九七九年は百三十八万五千一一百人 ) は日本人訪台客 ( 同 年である。その後外貨持ち出し制限の緩和が年百十六万六千三百八十人 ) を上回っている。 一九七九年の海外旅行解禁直後となる八〇 進み、高度経済成長期からバブル経済を経験 した八〇年代を経て九〇年代に人ると、資産年代の訪日観光旅行は、一一週間から一か月の団 を蓄えた富裕層を中心に海外旅行客が一気に体による日本全国漫遊旅行がほとんどを占め ており、金と時間がある富裕な高齢者が旅行 増え始めた。 九〇年代後半には、一一〇代後半から三〇代客の中心であった。台湾の経済が大きく発展 の若年層、特にキャリアウーマンたちも海外旅しバブルが弾けたころの九〇年に筆者は台湾場 行ができる経済力を付けた。海外旅行は最早赴任となった。そのころの訪日旅行は、台北か 一般的なレジャーとして急速に広まり始めたのら福岡に飛び、秋芳洞 ( 山口県 ) を見て九州に 戻り、門司港から夜行フェリーで大阪に着き だ。一一〇〇七年には、実に全人口の約三九 % に あたる八百九十六万人が海外に出かけている。市内観光、その後京都、箱根、東京市内観光・ ショッピング、東京ディズニーランドを経て成 成長期から成熟期への移行 田から帰ってくるツアーが市場の多くを占め 一九七一一年、日本は中国と国交正常化を行ていた。七日間の白バスの強行軍で本州の西 うとともに台湾との断交を実施した。そのた半分を駆け抜けるのである。 , ) のツアーは「ノー

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交流文化 立教大学観光学部編集表紙写真 / 松岡宏大 C 〇 N T E N T S 02 04 22 28 36 38 40 44 45 特集 観光グロっヾル vs. ローカル Tourism,Global vs. Local ニセコ & ハクバ スキー場のニューカマーが教えてくれたこと 小長谷悠紀 ( 長野大学 ) 現地報告 観光を通じた草の根国際協力 漁業の町ニゴンボ ( スリランカ ) から 古川舞 ( 海外青年協力隊 ) Pie し d note 8 「交流文化」フィールドノート 大学院 GP タイ北部フィールドワーク実習報告 訪日旅行市場の発展段階と誘客活動 中国と台湾での体験論から 平田真幸 ( 日本政府観光局 ( JNTO ) 海外プロモーション部次長 ) 観光における「全体と部分」 小沢健市 読書案内 観光のグローバル化とローカル化をめぐって 『大真面目に休む国ドイツ』『哈日族なせ日本か好きなのか』 学部国際交流の現場から 04 インド観光次官、新座キャンバスへ マラヤ大学と学部間協定を締結 観光教育イニシアテイププログラム 在外研究通信 05 変わるハワイ 庄司貴行

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0 第。嘉 0 発展段階誘客活 文平田真幸 ( 日本政府観光局 (JNTO) 海外プロモーション部次長 ) 写真町川秀人一 上海でいま「日旅行プ、一ム」が起きているという。台湾海にて 訪日旅行誘数事業に従事してきた筆者は、中国を中心とけ : 東アジア域 の海外旅 ? 成長期に遭遇した。 2000 年代の上海と 90 年筏の台湾。のニ つの市場を比較することで、効果的な誘客活動のヒうトが見えてく 、朝行 JAPAN 筆者はこれまで、台湾 ( 一九九〇、・九六年は日 本観光協会台湾事務所、以下「日観台」 ) 及び上海 三〇〇四、・〇八年は—ZF*C 上海事務所 ) におい て、日本への旅行客誘致事業に従事してきた。 れ海外旅行の成長期に遭遇し、市場の変化の 様子をつぶさに体験することができた。そして、 最も注力したのは短期的には訪日客の増大で あるが、中期的には訪日旅行市場を開拓し発 展させることであった。一一〇〇〇年代の中国本 上と九〇年代以降の台湾という一一つの市場を 比較することによって、訪日旅行市場の発展 段階の一般論のようなものが見えてくるように なり、今後の訪日客誘致の重要なヒントが隠 されていることに気づかされる。 中国の海外旅行の歩み 従来から中国政府は、自国の経済発展に振 り向ける外貨獲得を優先するため、「外国人に よる中国旅行は強力に、中国人の国内旅行は 積極的に、中国人の海外旅行は適度に推進す る」政策をとってきた。中国本上からは公務 や商務のほか親族訪問目的で、一九八一一一年から 順次香港、マカオ、東南アジア諸国に渡航が できるようになった。一九九〇年代に人り、毎

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次号予 2009 年 6 月刊行予定 特集 温泉クロニクル 父流文化 08 2008 年 12 月 25 日発行 発行人 編集人 デザイン 印刷 豊田由貴夫 大橋健一 望月昭秀、戸田寛 こだま印刷株式会社 問い合わせ先 立教大学観光学部 〒 352 ー 8558 埼玉県新座市北野 1 ー 2 ー 26 TEL 048 ー 471 ー 7375 http://www.tr.rikkyo ・ ac. jp * 本誌掲載記事の無断転載を禁じます。 ISBN 4 ー 9902598 ー 5 ー 8 ◎ 2008 Rikkyo University, College ofTourism. printed in Japan. 筆者紹介 ( 50 音順 ) 小沢健市 ( おざわ・けんいち ) 観光学部教授 1998 年 4 月より現職。経済学博士。主な論文に「観光振興によ る経済効果について」『自治体学研究』神奈川県自治総合研究 センター ( 第 94 号、 2007 年 3 月所収 ) 、「観光のインパクトと統 48 スリランカのリゾ - ト地ニゴンボで観光振興に取り組む。 配を担当。 2008 年より国際協力機構の青年海外協力隊に参加。 旅行、視察・研修旅行、スポーツ競技大会観戦ツアーなどの手 務。ヨーロッパ、中東、アフリカを扱う。修学旅行、企業の報償 立教大学観光学部卒業後、 2003 年よりランドオペレーターに勤 青年海外協力隊員 古川舞 ( ふるかわ・まい ) 業モデル ~ 上海市を対象として」。 務めた。近著は「揺籃期市場における訪日旅行商品開発の事 で観光行政・政策、観光マーケティング ( ゼミ ) の非常勤講師も て中央道ツアーの開発・誘致を手掛ける。立教大学観光学部 北海道」、九州テーマパークツアー、 JNTO 上海事務所長とし 修士課程卒業。日本観光協会台湾事務所長として「冬以外の 米国オレゴン大学地理学科、筑波大学教育研究科 ( 地理教育 ) 海外プロモーション部次長 ( アジア担当 ) 日本政府観光局 (JNTO) 平田真幸 ( ひらた・まさき ) ってきた。 ーリズムや先住民運動・環境運動に関する民族誌的調査を行な 地域研究。主にタイ北部の山地民カレン社会のあいだで、エコッ 了。博士 ( 観光学 ) 。専門領域は、文化人類学・観光人類学・タイ 1977 年生まれ。立教大学大学院観光学研究科博士後期課程修 立教大学観光学部プログラム・コーディネーター 須永和博 ( すなが・かずひろ ) メントの研究。 業における新商品開発組織とイノベーション・プロセス・マネジ ーマン・リソース・マネジメント。近年の研究テーマは、観光産 2002 年より現職。専門は産業社会学、経営組織論およびヒュ 観光学部准教授 庄司貴彳テ ( しようじ・たかゆき ) 博士 ( 観光学 ) 。専門は観光・レジャーの文化研究。 り現職。 ( 学部改組前の 2006 年度は産業社会学部助教授 ) 。 後期課程修了後、立教大学観光学部助手をつとめ、 2006 年よ リーアナウンサーを経て、 1998 年立教大学観光学研究科入学。 1989 年立教大学文学部史学科卒業後、岩手放送株式会社、フ 長野大学環境ツーリズム学部准教授 小長谷悠紀にながや・ゆき ) 合観光学会編『新時代の観光』 ( 第 8 章所収 ) 同文舘、 2007 年。 源としての Common P06 Resource の有効利用へ向けて」総 計」『統計』 ( 第 57 巻第 12 号 ) 、 2007 年 12 月所収 ) 、「観光資

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中国における団体観光旅行商品の造成・販売の状況 ( 2008 年 4 月現在 ) 第 3 グループ 第 2 グループ 第 1 グループ 市場の進展度 第 1 、第 2 グ 日杭州、南京、 天津、瀋陽、 広東省 蘇州、福州、 ループ以外の 対象市場 ( 主要都市 ) 大連、青島 都市 アモイ 主力商品 ( ー ゴールデンルート 主力商品 主力商品 部都市は共同 主力商品 主力商品 主力商品 ( 東京 0 大阪 ) 集客で実績 ) 「北海道十東京」 「北海道」はリ ゴールデンルー 一部旅行会 一部旅行会社 はリピーター向一部旅行会 トに次ぐ定番商ピーター向け商 け商品として定社に実績社に実績 に実績 ロロ ( 特に冬季 ) 品として定番化 番化 東京滞在、 東京滞在型は 中央道は定番化 一部旅行会南京では中 一部旅行会社に定番化 関西周遊、九州 社に実績 ( 中央道が定番検討段階 実績 ( 九州、東北、関西周遊は季節 北部は季節商品 部縦断 ) 商品として一部 立山黒部 ) として一部旅行 旅行会社に実績 会社に実績 一部旅行会社に一一部旅行会社に一一部旅行会社で一部旅行会一部旅行会 クルーズツアー 社に実績社に実績 実績 定番化 実績 一部旅行会社に 一部旅行会社に 一部旅行会 一部旅行会社に テーマ型ツアー 実績 ( 雪遊びを 実績 ( ゴルフ、一部旅行会 社に実績 ( 豪検討段階 実績 ( スキー アニメ、美容ツ社に実績 中心としたス 華ツアー ) 太極拳 ) スキーツアーなど ) キーツアー ) 備考 : 1. 「一部旅行会社に実績」 : 旅行会社がツアーを販売しても、 催行に至らないツアーが非常に多い。 2. 「検討段階」 : 旅行会社がツアー造成・販売を検討中もしくは 試験的に販売開始。 3. 「その他の地方」へのツアーは、チャーター便などを利用した ツアー開発について旅行会社の関心が寄せられている。 出典 : 国際観光白書 2008 ( 広州、深蜩等 ) 上海 北京 北海道 その他の地方 検討段階 ( ゴルフツアー ◎第 1 グループ ( 2000 年 9 月解禁 ) ◆第 2 グループ ( 2004 年 9 月 / 05 年 7 月解禁福州、アモイを含む ) △第 3 グループ ( 2005 年 7 月解禁 ) △ハルビン △長春 ◆瀋陽 ◎北京 ◆天津◆大連 ◆青島 △鄭州 南京 ◆◆蘇州 △武漢◆◎上海 杭州 ◆福州 ◆アモイ 台湾 北海道 ゴールテン丿し一ト 考える。 市場の成熟化を促進する外的環境は、ます 市場地域の経済発展である。所得が増え、生 活レベルが上がり物的欲求が満たされれば、 精神的、知的欲求の充足を求め、海外旅行が 一つの有効な手段となる。特に、揺籃期の市場 では、海外旅行自体がステータスシンポルと なり、知名度の高く先進国や憧れの対象の国、 有名観光地に行ってきたことが他者への自慢 となり、自己欲求の実現とともに旅行の主要 京 富士山 名古屋 大 △西安 △成都 △重慶 △昆明 ◎広東省 ( 広州、深切 l) 33 特集観光グローバル vs. ローカル訪日旅行市場の発展段階と誘客活動

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Nise ☆ ーセコ & ハグヾ スー場のニューカマーか教えてくれたこと 文、長谷悠紀 ( 長野大学 ) 写真白馬村観光局、小長谷悠紀 1990 年代半ばから日本のスキー人気は下降したが、 今世紀に入り幾つかのスキーリゾートで海外スキー客が目立つようになった。 北海道のニセコと長野県白馬に現れたオーストラリア人客の動向を紹介する。 *Hakuba 近年、国内スキー場の外国人客、とりわけ オーストラリア人観光客への関心が高まっ ている。 山がちの島国である日本では、大都市から 雪山へのアクセスが比較的容易であり、幾度 かのプームも経て、スキーがもっとも庶民レ ベルまで普及した国のひとつである。しかし、 一九九〇年代半ばから顕著になったスキー 人気の下降とともに、供給過剰となった各地 のスキー場の経営難が深刻となった。 その厳しい当況か拭いさられたわけでは ないが、今世紀に人って、幾つかのスキーリ ゾートで海外からのスキー客が目立つよう になった。スキープームを迎えた韓国から山 形の蔵王へ、オーストラリアから北海道のニ セコへ : これらの新しい動向は新聞にも取 ク り上げられた。なぜなら、それは、暗雲立ち セ こめていたスキーリゾートに差しこんだ一 カ 筋の光であり、再生へ向けた取り組みに新た な活力を与える出来事だったからだ。 本稿では、近年とみに注目度の高い北海道・ ニセコ、ついで長野県・白馬周辺にとって重 要な対象市場となったオーストラリア人客 集 について述べていこう 特

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迎 日 Q) 善一 年一一桁の経済成長が続き、「世界の工場」とし て国民の可処分所得も増大した。さらに海外 の情報が国内に人るようになると、中国政府 は人々の海外への好奇心や旅行の願望は抑え きれす、一九九七年に団体というかたちであ るが観光旅行を解禁した。日本への第一陣は 一一〇〇〇年九月に到着し、その後も各国への 渡航解禁が続く。一一〇〇八年には米国に続き、 ついに政治的懸案を抱えながらも台湾への観 光旅行が解禁となった。 揺籃期から成長期への兆し 上海の旅行会社の言葉を借りると、現在、 上海では「日本旅行プーム」が起こっている という。世界各方面への旅行の中でも、季節靴 感溢れる自然や国際級のテーマパーク、日本 独特で保存状態がいい文化・歴史遺産、最新場 の商品が割安で購人できるショッピングに加え、 安全、清潔、時間を守る信頼性、サービスの 良さ等がツアー客にも旅行会社にも好評で、 公の情報をあまり信頼しない国柄ゆえ、特に 中国は日本の一一十六倍ある広大で地形の変 化の富む国上、悠久の歴史、そして多くの民 族や文化が各地の旅行市場においても地域差 2008 中国国際旅游交易会 ( 2008 年 11 月 20 日 ~ 23 日上海新国際博覧センター )

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必要であると感じている。 を結ぶと信じて続けてい , ) うと考えている ハード中心の観光振興 ただ、私の任期は市役所職員のモチベーショ 青年海外協力隊の観光協力 とはいえ、観光地ニゴンポが抱える間題は明ン向上を待っていてはくれない何とか市役所 白である。観光客の滞在期間を延ばそうと思っの意識改革、モチベーション向上を少しでも進日本では旅行会社で手配の仕事をしていた。 ても、彼らを惹き付ける観光的魅力が、現在めて行かなければならない とはいえ一人での仕事そのものは辛いながらも面白かった。た のニゴンボにはないスリランカ南部のビーチ活動には限界があり、外部に協力者を得て外 オいくつものツアーを同時に担当し、終わっ リゾートに対して、残念ながら優位性を見い たツアーを振り返る間もなく次々と送り出す、 だすことは困難である。それでもニゴンボには という作業が延々と続くことが少し空しくも あった。 他の町にはない特徴がある。カタマラン ( 双胴船 ) での漁業風景はその一つであろう。また八割が ある程度仕事に慣れて来た頃、自分が本 カトリック信徒であるこの町の雰囲気はスリ 当にやりたいことは何なのかを考えてみたと ゴ ランカの他の町とは多少異なっている。こうし き、思いあたったのが海外へ出てみることだっ た特徴を生かしていけば、ニゴンボ独特の魅力 た。その後、たまたま青年海外協力隊に「観 集 をつくり出すことも不可能では無かろう。 、チ光業」の職種を見つけた。協力隊には子供の 一方観光資源開発のみならす、観光地・ニゴ 頃から興味があり、見つけてから応募をする フ ンボの今後の発展は、リゾートエリアの観光産 までは早かった。しかし社会経験は五年弱のみ、 ス 業従事者に加えて、漁業関係者、市街地の商店、 旅行会社勤務とはいえこれまで観光開発に携 テ ホ 住民の協力なくしては実現できない。それら「 わった経験はない。観光開発の知識は大学時 異なる立場の住民を調整する市役所の役割は 代の机上の知識のみであった。全く初めての実 大きい。しかし観光振興プロジェクトの実施機側からも改革を迫る必要がある。現在の私に体験に、焦りばかりが募り、自分の知識不足や 関である市役所の関心は、施設整備などハー できることは、多くの人に会って意図を伝えて欠点を痛感させられる毎日である。しかしニ ド面が中心で、接遇改善、住民意識の改革な いくことである。アポなしで突然おしかけ ゴンボの人々と一緒に、できることから少しす どソフト面の重要性は認識されていない まて自らの素性を語り、少しすっ協力者を増っ進めて行こうと考えている。 す重要な課題は市役所自体の意識改革であろやそうと努力している。まだまだ効果を挙 う。同時に市役所内でのモチベーション向上がげたとは言えないものの、地道な努力が実 4 0

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マルコース」と呼ばれ、初訪日客向けのゴール年度には九万三千七百人に達し、通年のデス 台湾の海外観光旅行市場は、一九九〇年代 デンルートに相当するものである。 ティネーションとして定番となった ( 〇七年度に経済発展の恩恵が全土に及ぶようになると、 訪日旅行経験者が増えるにつれて、団体で には約二十七万七千四百人 ) ( 注 III)O また、九六台北市および周辺に止まらす、南部の高雄市 はあるが東京三泊と箱根周辺一泊などでショッ年には、能登半島和倉温泉の加賀屋旅館が一一一台南市、中部の台中市などの主要都市にも拡 ピングやディズニーランドをゆっくり楽しむ年間で一億円を投人する本格的な販促活動を大し、それぞれ独立した訪日旅行市場を形成 リピーターが増えてきた。九三年からハウス展開し、大阪から北陸地方を通り東京へ行くするようになった。 テンボスは台湾で現地旅行会社数社を代理店ツアー商品を定着させ、近年は能登空港への 中国本上と異なり、台湾の訪日旅行市場は とした流通システムを導人し、筆者が勤めるチャーター便利用も多い。九七年からは沖縄揺籃期を終え成長期を迎えている。〇七年の 日観台とともに、旅行商品販売促進とイメー にスタークルーズ社の大型客船が就航した。 訪日客数は百三十九万人に達し、既に成熟期 ジ r-* を併せた本格的なプロモーションを開 さらに、二〇〇〇年代にはビル壁面に雪に人り、これ以上訪日客数を伸ばすのは困難 始した。九七年には約二十五万人の台湾人人壁を載せた大型屋外広告が功を奏し、富山という見方もある。 場者数を記録した ( 〇七年の訪九州台湾人客は約県から長野県を貫く立山黒部アルペンルート 観光旅行市場の発展を促進する要因 十万四千人 ) ( 注一 I)O シーガイア、スペースワー の旅行客が非常に増えた。九〇年後半から ルドも九四年から誘客活動を強化し、九州テー 二〇〇〇年代には、直行便が飛んでいない日 中国本上と台湾の訪日観光旅行市場を一一 マパーク旅行の大ブームが起こった。これが契本の地方空港にチャーター便が数多く就航し、 5 三十年の歴史を遡って俯瞰してきた。中国 機となり、今までのノーマルコースの西部分が新しいツアールートの商品が多数販売された では特に団体観光旅行が解禁後六年経った 九州ツアーに引き離され、東部分は前述の東 このような旅行ルートの多様化に止まらす、二〇〇六年くらいからの現在までの一一年間、台 京周辺ツアーとして独立し、関西は旅行商品航空会社は九五年ごろから若年層やビジネス湾では一九九五年前後からの約十三年間に訪 化されす、ノーマルコースは分断、解消されて客向けにホテル & ェアー ( リムジンバス付き ) の日旅行市場が飛躍的に成長した、あるいは成 しまった。 都市型パッケージツアーの販売を開始熟化が進行した時期といえる。市場の成熟化 九五年からは、日観台の企画で日本アジアした。日観台も旅行雑誌等と提携し、東京周は、いわゆる初訪日客向けゴールデンルートか 航空や北海道観光連盟とともに、「冬以外の北 辺への個人旅行向け観光地・施設等を紹介すら脱皮し旅行商品が多様化 ( ルート、品質、価 海道」と銘打ち、道北・道東方面のツアー商る活動を行った。当初の実績は伸び悩ん格 ) 、個人旅行化、旅行形態の多様化 ( 企業イン 品の造成・販売支援事業を開始した。台湾か だが、一一〇〇〇年代に人ると個人旅行の花形センテイプ旅行、 ( 注四 ) 、修学旅行 ( 注五 ) 、 ) 、 らの来道客は九五年度の一万人未満から九八商品に成長した。 市場の地域的拡大へ向かう状況を意味すると つ」

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をドこ レ vs. ローカノレ で第 10 月に観光庁か発足した。観光行政元化も大きな目的たが、海外かりの観光客誘致促進 も、欠かせない課題てある。各国とも競って、国単位のインバウンド観光客増加に努めている の背景には、観光消費、宿泊や土産品購入などいわゆる観光産業の枠を越えて、きな経済 しかしいくら国単位てあ観光促進を実施しても、実際に観光客を受け入れるのは特定の地。て り、特定の観光地てある現をては特定の観光地か特定の国からの観光客を材入れるビン 誉イントの関係か成立することもめすらしくない。本号では観光のさらなるグローバル化と、 = 同時並行 て進行する地域間のビンポイントの関係深化を追い、それによって生する交流のかたちを考える。