ンは、観光地ハワイが標榜する多民族の融合しながら、実のところ厳密な意味で文化的な「五目化」している。連続性は認識できるも という価値を具体的に表象するものとして位異種混淆が生じているわけではない。多くののの、われわれの饅頭、ソーメンという観念 、 0 置づけられてきた。いわばパシフィックリム・ エスニックグループは、その特質を残しながら、 か、らはほど ~ し キュイジーンは、ツーリストの視線を背景に ハワイひいてはアメリカ社会に統合されてい ハワイとして徴づけられたスパームむすび 創造された観念としての性格を強く持ってい るとみなしてよかろう。食文化もこうした状に対し、これらのローカルフードはオリジナ る ハシフィックリム・キュイジーンが社会況を色濃く反映している。ほとんどのローカルな名前を保持しつつ変容してしまったがゆ 的に認知されるきっかけは、前述のシェフ達ルフードは、各々のエスニックグループが保えに、われわれのオーセンティシティ観念に 持してきた食文化のバリエーションにすぎな によって一九九二年のハワイ・リージョナル・ 大きなとまどいを与える。これがこれらの変 容した日本食が慎重にガイドブックから排除 キュイ、ジーン (Hawaii RegionaI Cuisine) とい、つ組 織の設立にさかのばる。これは。ハシフィック ところでいわゆる級グルメの存在自体は、 されている理由であろう。 シフィックリム・キュイジーンのよ、つに自 リム・キュイジーンが、当初からきわめて自 オックステールスープの語り 覚的な存在であったことを物語っている 覚的ではない。 しかし日・本におけるハワイ観 光の情報提供の中で級グルメは、きわめて 級グルメのひとっとして取り上げられる 級グルメの現在 自覚的に取り扱われている。スパームむすびことの多いオックステールスープは、特殊な 目を級グルメに ~ じることにしょ , っフ は、ランチョン、 , 、ートとにぎりめしという、事例といってよかろ、つ。オックステールス しかしかってま レートランチ、マナプア ( パン化した中華まん異種の存在が即物的に一体化したものであり、 プの起源は明らかではない じゅう ) 、スパームむすび ( 焼いたランチョン、 , 、ー ガイドブックにおける、級グルメのスター ともな肉を買うことの出来なかったプラン トをのせたおむすび ) 、ロコモコ ( 目玉焼きをのの位置を維持し続けている。一方でローカル テーション移民達が、捨てられる牛の尻尾を せたハンハ ーグ丼 ) など、しばし。はガイドブッ ジャパニーズと呼ばれる現地化した日本料理、煮込んで食べたという語りは広く信じられて モチ ( 餅 ) 、マンジュウ ( 饅頭 ) 、ソーメンな クでとりあげられる級グルメ的食べ物は、 いる。まさに「放るもの」としての内臓を使っ オリジナルを特定化することが可能であると どはハワイの日常生活できわめて一般的な存 たというわれわれの「ホルモン伝説」に符合 う共通点を持っている。これはハワイにお在なから、カイドブックに登場することはほするストーリーと言えよう。いすれにしても とんどない マンジュウのうちでも最も有名オックステールスープは、きわめて貧しい食 ける全てのローカルフードに共通する特徴と 一「ロってよい なマウイ・マンジュウは餡をパイ皮で包んだべ物であった。 ハワイは前述のように多民族の融合を標榜代物であり、ソーメンは様々な具を人れられ この語りはいまでも機能している。社会的 ′ 0
世界中から観光客が訪れる香港。ここでは現在、三つの異な統や文化の独自性を表象するために創造、ないし再創造された るタイプのメニューが観光客向けに用意されている という側面を持っている。 一つめは観光客向けに英語や日本語で書かれたメニューであ 三つ目は、隠れ家レストラン的なプライベートキッチンで提 る。それは地元の一「ロ葉で書かれたものを「第一メニュー とす供される「独自メニュー」である。これらの料理は一般の個人 ると「第二メニュー」 ということができるだろう。これらは香宅で顧客の好みに合わせながら提供されることが多い 港ではよく目にするものだが、まれにその値段が地元向けと観 これら三種類の観光客向け料理について考えることで、ホス 光客向けで違っていることなどによって、様々な誤解を生じさ ピタリテイや観光政策、文化的アイデンティティの形成などと せている。この「第二メニュー」は、観光客が料理を注文する関連させながら、観光客と観光地の関係についてより理解を深 助けになるという意味で香港での食事に好印象を抱かせるよ、つめることができるのではないかと私は考えている。 になるものなのだろうか、それとも、それらの誤解によって悪 印象を抱かせるものなのだろうか 二つめは、最近香港の地元旅行者に人気で、ガイドブックな 外国人観光客向け料金 どでもたびたび紹介されている新界地区の農村の伝統的な料理、 すなわち「特別メニュー」である。この料理は、香港社会の伝 以前、香港のホテルが日本人観光客向けに高い料金設定をし 香港における観光客向けメニューの研究 弓 ( 香港中文大学 ) 訳 / 鈴木涼太郎 「第ニメニュー」「盆菜」「私房菜」。 近年、香港で人気を博している観光客向けメニューを事例に 観光客と観光地の関係について考える。 写真 / 張展鴻 0 0 25 特集交流が生む食のかたち香港における観光客向けメニューの研究
楽しんでいたのである。地元の伝統を強調した「盆菜」は地元 の観光宣伝でエキゾティシズムを売りにする一方で、一九九〇 「私房菜」 年代の香港におけるイギリスによる支配の終焉のメタファーと 隠れ家風プライベートキッチン しても理解されている。言い換えれば、政治的な文脈において 「盆菜」は新界地区の親族の絆を深めるものから、香港全体の 香港では「私房菜」と呼ばれている独自のメニューを目にす シンボルとして変化してきたのである。 る。それらは家庭的な雰囲気を強調した料理で、その料理店の 「盆菜」は大きなボウルを親族一〇、・一二人でとりわけるとい オーナー独自の個性が反映されるものである。中国料理やヨー う伝統的な食事のスタイルだけにとどまらす、今では村の宴会 ロッパ料理などさまざまな「私房菜」料理店があり、それらは 場ではなく市街地の家庭でも食されるようになっている。興味皆、香港の普通料理である広東料理ではないことやヨーロッパ 深いことに、二〇〇三年の旧暦の正月、「盆菜」は不況下におのホームスタイルの料理であることを売りにしている。有名な けるヒット商品とメディアに報じられた。特に正月の二日に家英ガイドブック『ロンリーフラネット・ワールドフード・ホ 族が集まったときに食べる料理として買い求められた。現在ンコン』は、このような新しい食事の形について、禁酒法時代 「盆菜」は、家族が集まって食べる料理というイメージや、香のアメリカにおける地下クラブになぞらえるとともに、「私房 港のシンボルであるというようなイメージによって、日常的な菜」料理店はビジネスではなくアートであると論じている ものとなってきている。たとえば、「、 , 、ニ盆菜」 ( 容器がわりに小 香港において「私房菜」料理店は単に非認可の料理店である さなかばちやを使い鶏肉やキノコ、野菜などがいくつか人っているよう だけではなく、中流階級の人だけに許された秘密の食事の場で なもの ) が地元のファストフードチェーンから売り出されておあるともいえる。それらは通常企業登記されておらす、普通の 一人用の「盆菜セット」なるものまであるほどだ。 マンションの一室にある。通りすがりのお客が人ることはなく、
ているのではないかということが間題になったことかある。こ らす、そして地元の人と同じメニューを食べることができない れは、ホテルと旅行会社のあいだで取り決められる部屋タイプのではないか、と思ってしまうのは想像に難くない や眺望の指定などの条件も関わっており、一概にはその是非を 「盆菜」 間うことのできない間題でもあった。 同じことが香港を訪れる観光客が注文する料理についても一言 地元らしい伝統的な家庭料理 える。それは香港の大部分のレストランは二つ以上メニューを それぞれの上地には、地元の文化的伝統を象徴する再創造さ 持っており、それによって外国からの訪間者が違う値段設定が ほかにもあることに気づいてしまうということである。もちろれた料理がある。このような料理はガイドブックや観光客向け んここで私が言いたいのは香港のすべてのレストランが正しい のウエプサイト、旅行雑誌などでよく取り上げられているが、 価格表示をしているのかどうかということではない。重要なの香港では一般的に、それらは地元のアイデンティティを求める は、観光客と観光地それぞれの誤解によって、香港を訪れた観地元香港の観光客に人気となっている。「盆菜 (puhn choi) 」と 呼ばれる伝統的な特別料理はその一例である。 光客に悪い印象を与えかねないということである 私の知る限りでも、香港のレストランには通常テープルに複 伝統的な側面から見れば「盆菜」はハレの食事であり、香 数のメニューがおいてあることが多い。たとえば、「本日のオ港の新界地区に古くから住む人々が法事や結婚式の時に広間に ススメ」「シェフのオススメ」「お値打ちメニュー」「新メニュー」集まって食べる料理である。それはメイン料理であり、通常は 洗面器やお盆に人っている。そ 「特別料金のディナーセット」 剰一してそこから銘々が小皿に取り 「定番メニュー」などといった 具合である。ただし、そのなか 分ける。「盆菜」を食べるとい 料 統 でもアワビやフカヒレ、新鮮な う伝統は一九九〇年以降、外国 伝 港からの観光客よりも地元香港の シーフードとい , つよ、つな ~ 咼級な 観光客に人気を博している。 , ) 定番料理だけは中国語、英語、 れ ゲの料理は、香港が植民地化され 日本語それぞれで書かれている 割る以前から続く歴史を持ってお のである。そうすると、観光客 、観光の発展にともなって、 は自分たちは地元の人々に比べ 面 洗 メディアを通じて、その起源に 高価な料金を支払わなければな つん
である福岡市の成立は、このような日本の近 に、ラーメンは日本に定着・普及してきたの 都市・観光・ラーメン 代史と深く関連しており、九州内の人々、とである。私は、ラーメンの歴史とは日本の近 今や日本全国にまで広がったとんこっラー に若者たちは、この福岡市の都市性を消費代、あるいは近代民衆の歴史ですらあると考 えている。 メンの本場、福岡での観光客の昼食の定番はしに福岡市を訪れる。つまり「観光」しにやっ やはりとん , ) っラーメンだろ、つ。福岡のラー て来るのである。 ところで、新横浜にあるラーメンをテーマ メンのスタイルが確立した場と言われる、市 としたア、 , 、ユーズメント施設、新横浜ラーメ ラーメンの歴史と近代 の中心部にほど近い博多漁港そばの長浜地区 ン博物館のホームページにある「日本ラーメ にある「元祖長浜屋」の前には、 週末ともな ラーメンが観光資源となっている場は福岡ンの歴史」 というサイトを見てみると、興味 るとガイドブックを抱えた観光客の長い行列市ばかりではないその先駆けとも言えるの深いことに気づく。このホームページでは日 ができるし、一九九六年に開業した複合娯楽は札幌だろう。みそラーメン発祥の地であり、本のラーメン史を年表形式でわかりやすく紹 施設「キャナルシティ博多」内にあるテーマもう二〇年以上前に、すでに「ラーメン横丁」介しているが、ラーメンの定着期を戦中から ーク「ラーメンスタジアム」は、今や福岡が観光地となっていた札幌市は、福岡市の先戦後としている点が興味深しナオ 、。こ、、こ、戦麦ど を代表する観光スポットとなっている。ここ輩格とも言える。ただ、福岡市と札幌市は のように日本人の生活文化にラーメンが普及 には日本各地のラーメンが集められているに ともに近代に発展した都市であり、また両者していったかはあまり明確に記されてはいな もかかわらす、一番人気はやはり地元のとんとも「支店都市」の典型と呼ばれる、非常に 。しかし、前述の時代区分で興味深い点は、 こっラーメンのようだ。ラーメンは、福岡の似た性格を有している。これは偶然なのだろラーメン定着の担い手が、中国大陸からの引 立派な「観光資源」の一つとなっている。 うか。この場で、その謎を紐解くことはでき き揚げ者だった点である。そ、つするとラーメ 福岡市の特徴は九州最大の都市というそのないが、その糸口ぐらいは見つけられそうでンは、ある意味で第二次大戦前の、日本人の 一点であるし、それ以外の特徴はない。幕末ある。そこで一旦、ラーメンの歴史に目を向海外進出 ( 植民地支配という負の面が大きいが ) 期の人口は三万人程という、どこにでもあるけることにしよう の落とし子とも言える存在なのである。これ 城下町の一つであった。それが日本の国民国 ラーメンの起源か中国にあることは、日本は、 インドの植民地支配によりイギリスにも 家化にともない、九州を管轄する行政の出先人なら皆知っている事実である。そして、日たらされた茶が、紅茶文化としてイギリスに 機関が福岡市に多く出現することで、この街本にラーメン屋が登場したのも明治以降とい 定着した動きと似ている は大きな変貌を遂げることになる。「支店都うことは容易に想像できる。つまり、日本の ちなみに現在、福岡で食されているとん こっラーメンのスタイルも、博多漁港脇の長 市」としての近代の、そして九州一の大都市近代の成立と発展に歩調を合わせるかのよう ′ 0
いに答えることは難しい。「地元産の新鮮な 観光という視点からハワイの食文化を見るある。この性格を受けて、観光における食文 とき、どのような状況が浮かび上がってくる化紹介は、動態的な食文化の中から「場所」素材」「素材の持ち味を生かした味付け」な ど指摘される諸点も、一般的でとくに のたろうか試みに手元のガイドブックを調的な、つまり地域的な要素を拾い集め、「ハ レの食事」と「庶民の食べ物」という二項対フィックリム・キュイジーンを特徴づける要 べてみることにしよう。いすれのガイド、フッ クからも、二つの流れを読み取ることが出来比を用いて図式化されていくと見ることがで素とは言えない シフィックリム・キュイジーンとは、サ る。ひとつはパシフィックリム・キュイジー きよ、つ。ツーリストにとって、旅における食 ン (Pacific Rim Cuisine) であり、もうひとつはい は時として、旅先でかれらにとっての「本物ム・チョイ (SamChoy) 、アラン・ウオン (Alan わゆる級グルメである。 の体験」を求める行為に他ならない食文 wong) 、ロイ・ヤマグチ ( R 。 yYam 品 uch 一 ) といっ たカビオラニ・コ、 , 、ユニティカレッジに設置 ツーリストに対して、旅行目的地の食文化化にオーセンティシティを求めるとき、ツー ・インスティテュート・ されたキュリナリー リストのニーズは大きく二つに分極化してい を二極化して提示することは、観光における ひとつは伝統を反映したハイカルチャー 情報提供の常套手段と考えてよい。「ハレの オ、フ・サ・パ、ンフィック (lhe Culinary 「一 n 三【 u 食事」と「庶民の食べ物」という対比がそれとしての料理であり、もう一つは生活のリア ofthepacific) の出身者を中心に、移住してき たンヤン・マリ である。パリにおける三つ星レストランと、 リティを反映した日常食である。観光におけ 、ンヨセリン 0臼n 、 Marie osselin) などのハワイ在住のシェフが同時多 というる「ハレの食事」と「庶民の食べ物」 という J 「パゲットの美味しい左岸のパン屋」 対比は、この典型であろう。 ハワイの食文化二項対比は、このツーリストのニーズとびつ発的に始めた、素材や調味料にアジア的要素 を取り人れたコンチネンタル料理の総称と考 一致している。 紹介も一連の , ) うした対比の延長線上にある。たり えてよい実際には、パシフィックリム・キュ もっとも一見、二項対立に見える「ハレの 創造されるハワイ イジーンの代表的シェフの間でも、大きな相 対ヒは、実 食事」と「庶民の食べ物」という上 違があり、かならすしも厳密に一定の方向性 さてハワイにおける食文化を語るとき、一 のところ、地域性の異なる二つの側面にしか を示すわけではない より大きな対比は、「地域的な食」方の雄としてパシフィックリム・キュイジー 過ぎない シフィックリム 中国ーポリネシア混血のチョイ、日中混血 ンはかならす登場する と「グ一口 ーバル化した食」との関係に求める のウオン、幼少期に移民してきたヤマグチなど、 べきかも知れない しかしこの対比でさえ、 キュイジーンが比較的高価な食事として、 現実の場面では相互に融合して、明確に区分わゆるファンシーフーズに属することに異論これらシェフの民族的背景は複雑で多様であ る。こうしたシェフ達の多様な民族的背景と することが困難になりつつある。観光は「場はなかろう。しかしパシフィックリム・キュ 所」への興味を背景として生じる社会現象でイジーンがいかなる実体を持つかという間あいまって、パシフィックリム・キュイジー 15 特集交流が生む食のかたちオックステールスープの旅路