ラーメンスタジアム - みる会図書館


検索対象: 交流文化 volume03
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1. 交流文化 volume03

1 マルタイのインスタントラーメン。これを置いていないスーパーは福岡にはないほどだ 2 キャナルシティ博多内にある「ラーメンスタジアム」 3 日本 各地のラーメンが集められている 4 「ラーメンスタジアム」内の土産物屋で売られるキャラクターグッズ 5 実物大の屋台も展示されている 1 1 特集交流が生む食のかたちラーメンという近代

2. 交流文化 volume03

である福岡市の成立は、このような日本の近 に、ラーメンは日本に定着・普及してきたの 都市・観光・ラーメン 代史と深く関連しており、九州内の人々、とである。私は、ラーメンの歴史とは日本の近 今や日本全国にまで広がったとんこっラー に若者たちは、この福岡市の都市性を消費代、あるいは近代民衆の歴史ですらあると考 えている。 メンの本場、福岡での観光客の昼食の定番はしに福岡市を訪れる。つまり「観光」しにやっ やはりとん , ) っラーメンだろ、つ。福岡のラー て来るのである。 ところで、新横浜にあるラーメンをテーマ メンのスタイルが確立した場と言われる、市 としたア、 , 、ユーズメント施設、新横浜ラーメ ラーメンの歴史と近代 の中心部にほど近い博多漁港そばの長浜地区 ン博物館のホームページにある「日本ラーメ にある「元祖長浜屋」の前には、 週末ともな ラーメンが観光資源となっている場は福岡ンの歴史」 というサイトを見てみると、興味 るとガイドブックを抱えた観光客の長い行列市ばかりではないその先駆けとも言えるの深いことに気づく。このホームページでは日 ができるし、一九九六年に開業した複合娯楽は札幌だろう。みそラーメン発祥の地であり、本のラーメン史を年表形式でわかりやすく紹 施設「キャナルシティ博多」内にあるテーマもう二〇年以上前に、すでに「ラーメン横丁」介しているが、ラーメンの定着期を戦中から ーク「ラーメンスタジアム」は、今や福岡が観光地となっていた札幌市は、福岡市の先戦後としている点が興味深しナオ 、。こ、、こ、戦麦ど を代表する観光スポットとなっている。ここ輩格とも言える。ただ、福岡市と札幌市は のように日本人の生活文化にラーメンが普及 には日本各地のラーメンが集められているに ともに近代に発展した都市であり、また両者していったかはあまり明確に記されてはいな もかかわらす、一番人気はやはり地元のとんとも「支店都市」の典型と呼ばれる、非常に 。しかし、前述の時代区分で興味深い点は、 こっラーメンのようだ。ラーメンは、福岡の似た性格を有している。これは偶然なのだろラーメン定着の担い手が、中国大陸からの引 立派な「観光資源」の一つとなっている。 うか。この場で、その謎を紐解くことはでき き揚げ者だった点である。そ、つするとラーメ 福岡市の特徴は九州最大の都市というそのないが、その糸口ぐらいは見つけられそうでンは、ある意味で第二次大戦前の、日本人の 一点であるし、それ以外の特徴はない。幕末ある。そこで一旦、ラーメンの歴史に目を向海外進出 ( 植民地支配という負の面が大きいが ) 期の人口は三万人程という、どこにでもあるけることにしよう の落とし子とも言える存在なのである。これ 城下町の一つであった。それが日本の国民国 ラーメンの起源か中国にあることは、日本は、 インドの植民地支配によりイギリスにも 家化にともない、九州を管轄する行政の出先人なら皆知っている事実である。そして、日たらされた茶が、紅茶文化としてイギリスに 機関が福岡市に多く出現することで、この街本にラーメン屋が登場したのも明治以降とい 定着した動きと似ている は大きな変貌を遂げることになる。「支店都うことは容易に想像できる。つまり、日本の ちなみに現在、福岡で食されているとん こっラーメンのスタイルも、博多漁港脇の長 市」としての近代の、そして九州一の大都市近代の成立と発展に歩調を合わせるかのよう ′ 0

3. 交流文化 volume03

浜屋台街が始まりといわれる。引揚者による ラーメンもその例外ではないようである。も馴染み深いインスタントラーメンか次々に ラーメン屋台が全国に出現したことか、ラー ラーメンの日本への定着は、近代日本の負の登場した。この動きは地方都市にも影響し、 グロー メンの日本への定着過程における転機だとし バル化と、それに伴う人の移動の副産福岡のインスタントラーメンの古典とも一言え ているのは、福岡のラーメン事情を考える上物とも言える。実際に博多港は、第二次大戦る「マルタイ棒ラーメン」は、「チキンラー でも一小唆的である 後に朝鮮半島、中国大陸からの引き揚げ者のメン」が発売された翌年には既に登場している。 明治の開国により、ラーメンは横浜や函館上陸地として最大の港であった。博多港の向 インスタントラーメンの登場は、二つの意 といった外国人居留地近くで日本人に食されかい側には「博多港引揚記念碑」というモニュ味で極めて重要だったと私は考えている。そ たのが発祥だという伝承がある。福岡のラー メントも作られている。福岡市の屋台のほとの第一は、ラーメンという名称の定着であ メンは、ちぢれていない細麺と、麺のみをおんどでラーメンを食べることができるのは、 る。従来「中華そば」「南京そば」とも呼ば かわりできる「替玉」 れていたラーメンは、インスタントラーメン というシステムに特徴この時代の名残りと言えるかもしれない があるが、これは長浜屋台に食べに来る客の の登場により本格的に「ラーメン」という名 ラーメンの「日本化」 多くが忙しい魚市場関係者であったため、す 称で統一される。これには、テレビの出現に くにゆであかるよう麺は細くし、ご飯のおか このように日本の生活に浸透したラーメンよるコマーシャル効果も大きいだろう。日本 わり感覚で麺を足したというのが起源だと言は、戦後の高度経済成長期 ( ご 一九六〇人誰もが、たしたし 一度はロにしたことかあ われている。福岡のラーメンはしばしば「長年代 ) には完全に我々の生活の一部になる。 る「国民食」としてのラーメンは、このイン 浜ラーメン」と称され、どの店の麺も細く、 経済成長に伴う都市人口とサラリーマンのスタントラーメンの登場により完成したと断 また替玉システムも普通にある点は、長浜屋急増は、この手軽な食べ物を都市におけるポ言してもよいであろう。インスタントラーメ 台街のスタイルが福岡市一円に広がった証左ピュラーな昼食へと変えていった。だがこのンなくしては、おそらく現在のラーメン文化 とも一「ロ , んる。 時期、ラーメンという料理に決定的な転機が は無かった、と言っても過一「ロではない 私たちは常識的に、ラーメンは開国とと訪れる。それがインスタントラーメンの登場 インスタントラーメンのもう一つの決定的 もに日本にもたらされ、水面の波紋が広がである な、そして最も重要な点は、それまで外食の るように徐々に我々の生活に定着したという 一九五八年、日本最初のインスタントラー 料理であったラーメンを家庭内に持ち込んだ イメージを持ちがちであるが、実際にある特メンとなる「チキンラーメン」が日清食品か点にある。この食品の登場により、ラーメン 定の文化要素が定着するには、時代を反映すら発売され、その後数年のうちに、「サッポは家庭食になった。家族揃ってインスタント るインパクトをもつ出来事が伴うことが多口一番」「明星チャルメラ」といった現在でラーメンを食す風景は、ある意味で、大量生

4. 交流文化 volume03

産・大量消費時代に新たに登場した近代家族ている。そこには、近代を生きる民衆の歴史、 の原風景と言えるかもしれない ある意味で近代民衆の「交流文化」が刻印さお そして、いわゆるご当地ラーメンの登場れているとも一一口える。ラーメンに代表される ン 、実はこのインスタントラーメンの成立と国民食の歴史は、近代の民衆史そのものであ オ 大きく関係している。日本初のご当地ラーメり、それはグロー バルな世界と不可分な、そ ン ン、札幌みそラーメンが開発されたのは、実して抜き差しならない関係にあるのである。 たたクロ は九六一年とそう古いことではなく、この ーバル化と不可分なラーメン文 プームの火付け役は「サッポロ一番」の味噌化も、すでに日本の地域文化のアイデンティ 福岡空港に置かれていた「博多ラーメンガイド」には 味である。そしてインスタントラーメンによティとなりつつあるよ , つだ。とんこっラーメ市内のラーメン店が紹介されている り「国民文化」化されたラーメンは、その次ン発祥の地と呼ばれる福岡県久留米市では、 の段階として地域の食文化の表象へと転化し次のような伝承が伝えられている。従来、豚う意見も確かにあるが、この伝承はそれに対 て、 しくことになる。その際、初期のご当地ラー 骨でだしを取るスープ自体はあったが、今のし「いや、違うっちゃ。とんこっスープはう メンを代表する都市が札幌 ( 味噌ラーメン ) と ように自濁したものではなかった。ある時、ちらが作り出したものばい」 という、自己主 張とアイデンティティのありかを示している 福岡 ( とんこっラーメン ) だった点は象徴的だ店の主人が豚骨でだしを取っていたとき、た . し、わ 6 、り ) ラーメンという、従来とは全く異なる食文化またまガスの火を消し忘れてしま、 よ、つに見える。白濁したとんこっスープは今 、とい、つ枠を が地域を表象し、その地域の出自が近代であの時間が経った後、それに気づいた主人が慌や九州一円に伝播し、さらに九州 るという点は、偶然がもたらしたと一言うにはてて戻ってみると白濁したスープができてい越えて広がっている。むしろ、このような状 あまりに出来すぎている。このあたりが、ラー たそれでスープを作ると、不思議なことに 況の中でこそ、この久留米の伝承は、真偽と 濃厚な美味しいスープができたので、それを しう間題とは関係なく、地元の人々の思いと メンと近代のほっれた糸をほどくきっかけに なるのではないだろうか 店に出したら評判となり、現在のとんこっして語られるのである。 ヾレヒ」、つこ、 ラーメンかできあがった、という話である , ) , ) には、一近代化やが , ロー ラーメンというアイデンティティ この伝承は、白濁したとんこっスープは地域がそれを越える世界と出会い、交流する このように、私たちが日々眼にするラーメあくまで「自前の」食文化である、というこ中で、それへの反応として地域の文化やアイ とん , ) っ デンティティがかたちづくられる様子が見て ンの歴史には、近代化、グロー ヾル化、高度とを主張する話に思えてならない 取れる 経済成長といった日本近代の歴史が濃縮されスープの源流は中華料理の白湯スープだとい ラーメッ 、ガイド 案内裄のスタりフが、自信をもってオススメします・ 0

5. 交流文化 volume03

衛種司 うムネ 100 円 800 800 800 00 450 350 200 'i'J 1 とんこっラーメン。青ネギ、白ごま、紅生姜は欠かせない 2 白濁したとんこっスープ 3 麺のみおかわりできる「替玉」というシステムが特徴 4 ・ 5 福 岡市内のラーメン店にて。メニュ - にも「替麺」 ( 替玉 ) がある 7 特集交流が生む食のかたちラーメンという近代

6. 交流文化 volume03

ーラメンどいう近 中西裕ニ -( 福岡木学人文学部 ) 全国のご当ラ・メンを代表する「とんこっラーメン一 今や福岡の立派な観光資源の一つ。 その発祥の伝承とスタイルの定着、普及の歴史を通し 「国民食」としてのラーメンを考える。 写真 / 遠藤宏取材協力 / 岩井壱敏 ( 「一九ラーメン」野芥店 )

7. 交流文化 volume03

/ 袒浜屋 博多漁港近くの長浜地区にある人気店「元祖長浜屋」。長浜ラーメンを代表する店の一つ 13 特集交流が生む食のかたちラーメンという近代

8. 交流文化 volume03

5 特集交流が生む食のかたちラーメンという近代 崎 博多弓を・ 記念碑 元祖「長浜屋」 福天神

9. 交流文化 volume03

町す一、 ~ 第印チーズ 制ョチェの っ 1 5 2 第 1 博多漁港 2 博多港引揚記念碑 3 九州最大の歓楽街、中洲 4JR 博多駅近くの大博通り。各企業の支店が並ぶ 5 長浜屋台街 9 特集交流が生む食のかたちラーメンという近代

10. 交流文化 volume03

特集に関連する書籍の中から今回選んだのは、 交流文化としての食を考えるのに最適のニ冊 驚くほど多様化した 「中国外の中国料理」の現在 アジア遊学行 特集「世界の中華料理」 勉誠出版 ( ニ〇〇五 ) 一八〇〇円十税 Book Review 読書案内 者らによる詳細な事例をもとに解た中華料理が海外に伝播していく だけでなく、中国内でも外からの 説している 日本をはじめ韓国、インドネシ食文化が流入することで本家の中 アといった周辺アジア諸国から北華料理に変容が起こっていること だ。本書が注視するのは「料理を 米ヨーロツ。ハに及ぶ豊富な事例が 紹介されるが、多様化には大きく文化としてとらえ、そうした文化 が多文化と接触し、受容、拒否、 三つの類型が見られる。第一に、 幾分「現地化」されながらも伝統解釈といったプロセスを経て変容 の姿を保とうとする高級レストラしていく姿」なのである。 なかでも「日本の『国民食』と ンの「正統」中華料理。第ニに、 チャプスイ ( 北米風中華雑炊 ) やしての中華」という論考では、も ラーメンのような中国には存在しともと中国伝来の食文化がいかに ないほど「現地化」した料理。第日本食として一般化し「国民食」 三に、東南アジアに見られるようとなるかというプロセスに注目し ている。本号における「ラーメン なほとんど中華料理とは思えない 編者によると、中華料理には北 という近代」と問題意識の重なる 京料理や広東料理といった「大伝ほど「土着化」した料理。 一般にこうした料理は正統を知部分も多いので、併せて読んでみ 統」以外にも、見落とすことので る者の目からは「まがいもの」とると面白いだろう。 きない一群の「小伝統」があり、 なお、本号に寄稿いただいた香 その一潮流が「中国外の中国料見られがちだが、日常的にそれを 理」だという。それはまさに本号食している人々にとっては、これ港中文大学の張展鴻準教授も「返 還後の香港広東料理」という論考 こそが中華料理だと認知されてい 号の特集「交流が生における日本のラーメンであり、 を執筆している。香港の観光客向 む食のかたち」というスリナムのチャオミンにほかならるのである。 テーマについて、もつない。本書ではその全世界的な規興味深いのは、多様化の諸相はけ料理の流行の背景にある中国返 と突っ込んで知りたいと思われた模で驚くほど多様化した中華料理単純に地理的な距離ではなく、交還がもたらした香港人のアイデン 読者に恰好の題材を提供しているの現在の姿を、それぞれの特定地流の生じた歴史的文化的な状況のティティ危機について理解を深め 域を専門にした人類学者や社会学違いに大きくよっていること。まることができるだろう。 のが本書である。