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検索対象: 交流文化 volume03
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1. 交流文化 volume03

交流文化とは、人々が観光を通じて交流するなかで、新しく 生まれていく文化のことです。今回は秩父と多摩という関東地 方の山間部を訪ねましたが、これらの地域は一九五〇年代から 東京都区部を中心とするレクリエーション客を受け入れてきた 歴史があります。しかし、半世紀の歴史のなかで、観光の動向 や地域の生活も大きく変わってきました。今、 , ) れらの地域では、 農家や林業従事者の生活文化をサービスとして観光客に提供す る取り組みが始まっています。たとえば、地一兀の農作物や郷上 食を直売する施設としての「道の駅」や、日帰りで利用できる 温泉人浴施設、宿泊施設などですが、なかでも近年では新しい 取り組みとして、農業や林業などの生産技術を活用して都市と 山村の新しい交流を生み出そうとする実践が始まっています , ) うした地元の人々が取り組んでいる姿を直接体験し、さま ざまな可能性や課題を発見することで、都市と山村がともに交 流文化を育んでいく意義を学ぶことも交流文化フィールドワー クのひとつです。 モニターツアーを 通して学んだこと 東京大学秩父演習林 東京大学秩父演習林は関東山地の 中央部荒川源流域にあり、奥秩父の貴 重な原生林や入川渓谷の両岸に広がる 総面積五〇 0 〇ヘクタールの森林です。 このうち三分の一が原生林で、ブナ、シ オジ、サワグルミなどの落葉広葉樹林 が分布するほか、亜高山帯域にはコメ ッガ、シラベ、オオシラビソなどの針葉 樹も分布しています。演習林内には渓 谷に沿って国有林を伐採し木材を運搬 するための森林鉄道が昭和初期に敷 設されました。一九七 0 年に廃止され た後も、登山路として利用されていま す。現在も廃敷や枕木がところどこと 残り、往時の面影をしのばせます。 山梨県北都留郡小菅村 小菅村は秩父多摩国立公園内にあ 、東京都内を流れる多摩川の源流 部に位置しています。森林が総面積の 九五 % を占め、そのうち約三割が東京 都の水源涵養林になっています。人口 は約一 0 〇 0 人、高齢化率は三三 % 。 一九七〇年代前半までは農林業などの 第一次産業が就業者の半数を占めてい ましたが、その後、第ニ次、第三次に 移行。なかでも観光を中心としたサ ービス業が伸びています。現在は自ら を「源流の里」と位置付け、多摩川下 流域に暮らす都市民との交流を行うべ く、「森林環境教育」の理念に基づく 情報発信や体験農林業、自然散策ガ イドなどを事業化していこうとしてい ます。 35 交流文化フィールドワークモニターツアー

2. 交流文化 volume03

産・大量消費時代に新たに登場した近代家族ている。そこには、近代を生きる民衆の歴史、 の原風景と言えるかもしれない ある意味で近代民衆の「交流文化」が刻印さお そして、いわゆるご当地ラーメンの登場れているとも一一口える。ラーメンに代表される ン 、実はこのインスタントラーメンの成立と国民食の歴史は、近代の民衆史そのものであ オ 大きく関係している。日本初のご当地ラーメり、それはグロー バルな世界と不可分な、そ ン ン、札幌みそラーメンが開発されたのは、実して抜き差しならない関係にあるのである。 たたクロ は九六一年とそう古いことではなく、この ーバル化と不可分なラーメン文 プームの火付け役は「サッポロ一番」の味噌化も、すでに日本の地域文化のアイデンティ 福岡空港に置かれていた「博多ラーメンガイド」には 味である。そしてインスタントラーメンによティとなりつつあるよ , つだ。とんこっラーメ市内のラーメン店が紹介されている り「国民文化」化されたラーメンは、その次ン発祥の地と呼ばれる福岡県久留米市では、 の段階として地域の食文化の表象へと転化し次のような伝承が伝えられている。従来、豚う意見も確かにあるが、この伝承はそれに対 て、 しくことになる。その際、初期のご当地ラー 骨でだしを取るスープ自体はあったが、今のし「いや、違うっちゃ。とんこっスープはう メンを代表する都市が札幌 ( 味噌ラーメン ) と ように自濁したものではなかった。ある時、ちらが作り出したものばい」 という、自己主 張とアイデンティティのありかを示している 福岡 ( とんこっラーメン ) だった点は象徴的だ店の主人が豚骨でだしを取っていたとき、た . し、わ 6 、り ) ラーメンという、従来とは全く異なる食文化またまガスの火を消し忘れてしま、 よ、つに見える。白濁したとんこっスープは今 、とい、つ枠を が地域を表象し、その地域の出自が近代であの時間が経った後、それに気づいた主人が慌や九州一円に伝播し、さらに九州 るという点は、偶然がもたらしたと一言うにはてて戻ってみると白濁したスープができてい越えて広がっている。むしろ、このような状 あまりに出来すぎている。このあたりが、ラー たそれでスープを作ると、不思議なことに 況の中でこそ、この久留米の伝承は、真偽と 濃厚な美味しいスープができたので、それを しう間題とは関係なく、地元の人々の思いと メンと近代のほっれた糸をほどくきっかけに なるのではないだろうか 店に出したら評判となり、現在のとんこっして語られるのである。 ヾレヒ」、つこ、 ラーメンかできあがった、という話である , ) , ) には、一近代化やが , ロー ラーメンというアイデンティティ この伝承は、白濁したとんこっスープは地域がそれを越える世界と出会い、交流する このように、私たちが日々眼にするラーメあくまで「自前の」食文化である、というこ中で、それへの反応として地域の文化やアイ とん , ) っ デンティティがかたちづくられる様子が見て ンの歴史には、近代化、グロー ヾル化、高度とを主張する話に思えてならない 取れる 経済成長といった日本近代の歴史が濃縮されスープの源流は中華料理の白湯スープだとい ラーメッ 、ガイド 案内裄のスタりフが、自信をもってオススメします・ 0

3. 交流文化 volume03

南米大陸北東部、大西洋沿岸の熱帯地域にされた、ほば一世紀前に刷られた絵葉書には、基本である。大抵の場合、肉は調理済みで冷 スリナム共和国という小さな国がある 中国系・ヨーロッパ系・インド系・ジャワ系・たいが、熱帯では苦にならない。野菜にはナ 首都バラマリボの中央市場にはいろいろなアフリカ系という当時の主要五集団を用いてガササゲが使われることが多いナガササゲ 飲食店が軒を連ねている。「平記賓館」なるスリナム社会の多元性が表現されている は、ナシゴレンやローティの付け合せとして 中国系食堂の看板には、「チャオ、 , 、ン ( 焼きソ , ) うした歴史的・社会的背景から、スリナも多用されており、スリナム料理で不可欠の パこ、焼き飯、そしてソフトドリンクというムにはさまざまな地域に山来する料理が存在食材となっている この食堂の主な商品の名が記されている。そする。「中国料理」のチャオ、 , 、ンや、「ジャワ さらに、キュウリの酢漬けと激辛唐辛子の して、食堂の店先では、ジャワ系とインド系料理」のナシゴレン、「インド料理」のローティスライスも付いてくる。この唐辛子はハバ、、 と思われる人々が燻製魚を売っている。 は、最も人気のある外食メニューだ。スリナロの一種で、スリナム料理屋ならどこでも置 スリナムは、世界でも珍しい多民族国家でム人が、ユダヤ系企業フェルナンデスのソフ しているものだ。スリナム人にはそれくらい ある。旧宗主国のオランダ王国が一七世紀中 トドリンクを飲みながらこれらの料理を食べ辛い物好きが多く、「そこがオランダ人とス 葉から二〇世紀前半までの間に、プランテー ている姿は、ランチであろうがディナーであリナム人の大きな違い」と言う人もいるくら いである。 ション産業の必要に応じて、世界のさまざまろうが、きわめて日常的な光景である な地域ーーアフリカ大陸西岸、現在のインド さて、このチャオ、 , 、ンであるが、実際には こうしてみると、「中国料理」のチャオ、 , 、 やインドネシア、中国大陸南部など に労単に焼きソバと形容するだけでは物足りない ンにもスリナム的な側面が多々備わっている 働力を求めたからだ。したがって、スリナム山盛りの麺の上にブッ切りのトリ肉が表面を ことが分かる。熱帯の木陰でフェルナンデス 共和国の人口は、黒人奴隷やアジア人労働者覆うようにテンコ盛りになっている。注文にを片手にチャオ、 , 、ンで腹を膨らませつつ、ス の子孫で構成されていて、きわめてモザイク応じて豚肉や牛肉が加えられることもあるが、 リナムの友人とするおしゃべり。私にとって、 的である。「我らスリナムの子供たち」と題スリナム人が大好きなトリ肉が使われるのが日本ではできない贅沢である 0

4. 交流文化 volume03

ているのではないかということが間題になったことかある。こ らす、そして地元の人と同じメニューを食べることができない れは、ホテルと旅行会社のあいだで取り決められる部屋タイプのではないか、と思ってしまうのは想像に難くない や眺望の指定などの条件も関わっており、一概にはその是非を 「盆菜」 間うことのできない間題でもあった。 同じことが香港を訪れる観光客が注文する料理についても一言 地元らしい伝統的な家庭料理 える。それは香港の大部分のレストランは二つ以上メニューを それぞれの上地には、地元の文化的伝統を象徴する再創造さ 持っており、それによって外国からの訪間者が違う値段設定が ほかにもあることに気づいてしまうということである。もちろれた料理がある。このような料理はガイドブックや観光客向け んここで私が言いたいのは香港のすべてのレストランが正しい のウエプサイト、旅行雑誌などでよく取り上げられているが、 価格表示をしているのかどうかということではない。重要なの香港では一般的に、それらは地元のアイデンティティを求める は、観光客と観光地それぞれの誤解によって、香港を訪れた観地元香港の観光客に人気となっている。「盆菜 (puhn choi) 」と 呼ばれる伝統的な特別料理はその一例である。 光客に悪い印象を与えかねないということである 私の知る限りでも、香港のレストランには通常テープルに複 伝統的な側面から見れば「盆菜」はハレの食事であり、香 数のメニューがおいてあることが多い。たとえば、「本日のオ港の新界地区に古くから住む人々が法事や結婚式の時に広間に ススメ」「シェフのオススメ」「お値打ちメニュー」「新メニュー」集まって食べる料理である。それはメイン料理であり、通常は 洗面器やお盆に人っている。そ 「特別料金のディナーセット」 剰一してそこから銘々が小皿に取り 「定番メニュー」などといった 具合である。ただし、そのなか 分ける。「盆菜」を食べるとい 料 統 でもアワビやフカヒレ、新鮮な う伝統は一九九〇年以降、外国 伝 港からの観光客よりも地元香港の シーフードとい , つよ、つな ~ 咼級な 観光客に人気を博している。 , ) 定番料理だけは中国語、英語、 れ ゲの料理は、香港が植民地化され 日本語それぞれで書かれている 割る以前から続く歴史を持ってお のである。そうすると、観光客 、観光の発展にともなって、 は自分たちは地元の人々に比べ 面 洗 メディアを通じて、その起源に 高価な料金を支払わなければな つん

5. 交流文化 volume03

国や地域間を問わず、観光による移動は人々の意識を変え、 文化を変容させていきます。 2006 年 4 月に新設される「交流文化学科」は、近年観光の 役割として注目されている「交流」に焦点を合わせ、地域研 究とともに、多文化共生への視点を養い、グローバル化す る世界で交流の実をあげうる国際公務員、ジャーナリスト など国際的な人材の育成を目指します。 2006 年 4 月、 立教大学観光学部に 「交流文化学科」誕生。 立教大学観光学部 〒 352 ー 8558 第、埼玉県新座市北野 1 ー 2 ー 26 TEL 048 ー 471 ー 7375 学部の紹介や入学案内については http://www.rikkyo.ne ・ jp/grp/tourism/

6. 交流文化 volume03

のオックステールスープは出汁のきいた、中 上昇を果たしたかっての移民の子係達も例外為に他ならない ではなく、 もっとも有名なオックステールスープは、 華スープの様相を呈する。さらにフィリピン 「二 5 三カ月に一度、無性にオッ たくなると語るカピオラニ・コーヒーショップだと言われて系ではアドボに近いものが供されることが多 クステールスープが食べ 酢を用いた牛の尻尾のシチューといった いる。昔カピオラニ通りに立地していたこの 人々も多い確かにオックステールスープは ハワイのローカルフードの中でも、一二を争店は、現在場末のボウリング場の中に本店を趣である う美味しい食べ物であろう。しかし二 5 三カ移転し、薄暗い雰囲気の中で営業を続けている。 こうした多様性は、オックステールスープ 月に一度、無性に食べたくなる人々にとって、うらぶれたボウリング場の駐車場には、場違が様々な民族的背景を持ったプランテーショ オックステールスープを食べるという行為は、 いなべンツやレクサスが数多く停まっている。ン移民の中で、日常の必然性にしたがって同 意識するかどうかに関わらす、かれらのルー これらのほとんどは、時たま無性にオックス時多発的に生じた存在であったことを窺わせ ツを確認し、アイデンティティを確認する行テールスープを食べたくなるかってのプランる。その意味でオックステールスープは、数 あるハワイのローカルフードのなかでも、ヘ テーション移民の子係の車である。 ノワイ ハワイのローカルフードの多 リテージ的性格を色濃く持っている。 前述の通り、 フ ス くは、完全なクレオールではなく、オリジナのローカルフード全般に一言えることだが、担 レ イ ルを容易に特定化できるバリエーションに過い手はその時々の経済・社会状況にしたがっ 工 ウ カビオラニ・コーヒーショッ ぎないオックステールスープも同様に、基て変化してい る す 当 層文化の影響を色濃く受けている。牛の尻尾プもサービス担当はすべて新移民のフィリ 担 を ピーナに置き換えられ、沖縄移民の影を見る の煮込みとご飯という組み合わせは変わらな ス 。しかし各々の基層文化の影 いものの、オックステールスープという名称ことはできない サる でで一括される食べ物はきわめて多様性に富ん響を受けた多様なオックステールスープが、 もでいる。カピオラニ・コーヒーショップは沖今後もハワイ社会の中で生き残ってい は間違いない 背縄からの移民が経営してきた。若干油のきい シ的 たスープが特徴である。広島や愛媛など本上 ヒ民 引用文献 からの移民によって経営されている店のオッ Laudan 、 Rachel 、 The F00d of Pa 「 adise: Exploring 工 awaii's CuIina 「 y 工 eritage 、 Unive 「 sity 象工 awai'i P 「 ess 一 996 クステールスープは、ほとんど「お清まし」 状態であっさりしていることが多い華人系 カリ 17 特集交流が生む食のかたちオックステールスープの旅路

7. 交流文化 volume03

である福岡市の成立は、このような日本の近 に、ラーメンは日本に定着・普及してきたの 都市・観光・ラーメン 代史と深く関連しており、九州内の人々、とである。私は、ラーメンの歴史とは日本の近 今や日本全国にまで広がったとんこっラー に若者たちは、この福岡市の都市性を消費代、あるいは近代民衆の歴史ですらあると考 えている。 メンの本場、福岡での観光客の昼食の定番はしに福岡市を訪れる。つまり「観光」しにやっ やはりとん , ) っラーメンだろ、つ。福岡のラー て来るのである。 ところで、新横浜にあるラーメンをテーマ メンのスタイルが確立した場と言われる、市 としたア、 , 、ユーズメント施設、新横浜ラーメ ラーメンの歴史と近代 の中心部にほど近い博多漁港そばの長浜地区 ン博物館のホームページにある「日本ラーメ にある「元祖長浜屋」の前には、 週末ともな ラーメンが観光資源となっている場は福岡ンの歴史」 というサイトを見てみると、興味 るとガイドブックを抱えた観光客の長い行列市ばかりではないその先駆けとも言えるの深いことに気づく。このホームページでは日 ができるし、一九九六年に開業した複合娯楽は札幌だろう。みそラーメン発祥の地であり、本のラーメン史を年表形式でわかりやすく紹 施設「キャナルシティ博多」内にあるテーマもう二〇年以上前に、すでに「ラーメン横丁」介しているが、ラーメンの定着期を戦中から ーク「ラーメンスタジアム」は、今や福岡が観光地となっていた札幌市は、福岡市の先戦後としている点が興味深しナオ 、。こ、、こ、戦麦ど を代表する観光スポットとなっている。ここ輩格とも言える。ただ、福岡市と札幌市は のように日本人の生活文化にラーメンが普及 には日本各地のラーメンが集められているに ともに近代に発展した都市であり、また両者していったかはあまり明確に記されてはいな もかかわらす、一番人気はやはり地元のとんとも「支店都市」の典型と呼ばれる、非常に 。しかし、前述の時代区分で興味深い点は、 こっラーメンのようだ。ラーメンは、福岡の似た性格を有している。これは偶然なのだろラーメン定着の担い手が、中国大陸からの引 立派な「観光資源」の一つとなっている。 うか。この場で、その謎を紐解くことはでき き揚げ者だった点である。そ、つするとラーメ 福岡市の特徴は九州最大の都市というそのないが、その糸口ぐらいは見つけられそうでンは、ある意味で第二次大戦前の、日本人の 一点であるし、それ以外の特徴はない。幕末ある。そこで一旦、ラーメンの歴史に目を向海外進出 ( 植民地支配という負の面が大きいが ) 期の人口は三万人程という、どこにでもあるけることにしよう の落とし子とも言える存在なのである。これ 城下町の一つであった。それが日本の国民国 ラーメンの起源か中国にあることは、日本は、 インドの植民地支配によりイギリスにも 家化にともない、九州を管轄する行政の出先人なら皆知っている事実である。そして、日たらされた茶が、紅茶文化としてイギリスに 機関が福岡市に多く出現することで、この街本にラーメン屋が登場したのも明治以降とい 定着した動きと似ている は大きな変貌を遂げることになる。「支店都うことは容易に想像できる。つまり、日本の ちなみに現在、福岡で食されているとん こっラーメンのスタイルも、博多漁港脇の長 市」としての近代の、そして九州一の大都市近代の成立と発展に歩調を合わせるかのよう ′ 0

8. 交流文化 volume03

らない大部分の香港住民にとっ ついてさまざまな物語が宣伝さ てはエキゾチックなものでもあ れてきた。その伝説的な起源に る。地元ならではのものでもあ よって「盆菜」は香港新界の独 りエキゾチックでもあるという 特な家族制度の文化的伝統を表 その性格によって、地元の観光 象する「再創造された」家庭料 においては「伝統の味」として 理としてみなされている。 広く宣伝されている。 「盆菜」の起源や歴史をめぐる この香港の伝統の探求は、実 ンヨ 物には、さまざまなバ 当第際のところ一九九七年の返還を ンが存在している。たとえば、 契機にしたものである。地元香 ある言い伝えでは「盆菜」は清 の乾隆帝が広東を訪れたときに村に伝えたといわれている。ま港の観光においては、地元らしさや田舎つばさ、植民地以前の た別のバージョンでは南宋の最後の皇帝衛王と彼の側近が、モ特性が重要視されている。私が観察した一般的なパッケージッ ンゴル人の侵略によって南下した際に伝えられたとも言われてアーは、たいてい地元ならではの料理や伝統的な村落・寺院 ~ おり、そのとき大勢の兵士に十分な量の料理を出すために洗面の訪間などを行程の中に取り込んでいた新界地区の村落への 旅は、香港の住民にとって自分探しの旅でもあるのだ。 器で料理を出したのが、後に「盆菜」と呼ばれるようになった 一九九〇年代の初頭から、香港の都市住民は明らかにアイデ という。いすれにせよ、これらの物語は地元の人々の歴史観を ンティティ危機を経験していたそしてそんな彼らは、エキゾ 反映したものとなっている。 「盆菜」は地元の料理ではあるが、新界地区の文化的伝統を知ティシズムを期待して香港新界の伝統 ~ の「冒険」 ~ の参加を 一豐ゑロ新ゞ。ス」一」 0 27 特集交流が生む食のかたち香港における観光客向けメニューの研究

9. 交流文化 volume03

タ の プ ログ、 フ ムに い て つ モ ツ ア 今回のモニターツアーは、森林ツアー と山村体験のニつから構成されています。 秩父演習林の森林ツアーでは、木材生 産を中心に林業に携わっていた人々が演 習林を活用した新しい観光ビジネスをつ くり出そうとしている現場を訪ねます。 また小菅村では従来の観光事業を脱皮し て、多摩川の「源流」をテーマにした森林 再生につながる山村体験などをメインに した新しい観光のスタイルを提唱し、村 役場を中心に取り組む姿を学びます。 森林鉄道の廃敷を歩く 秩父 東京大学、習林埼 ・入川渓 ' 、 ( 荒川源流 ) 雲取山 - 小菅村 多摩月 山梨県 荒川 東京都 スケジュー丿レ 2005 年 IO 月 22 日 ~ 23 日 10 / 22 立教大学新座キャンバス出発 08 : 45 東京大学秩父演習林着 12:00 森林ツアー ( 入川渓谷 ) * 1 13 : OO 小菅村着 18:00 19 : 30 村役場の人たちの話を聞く * 2 林ツアー * 1 入川渓谷の東大演習林には原生林や美しい渓流の流れる林道があり、埼 玉県秩父農村振興センターの専門家に森林の楽しみ方を聞きながら歩き ました。 1970 年頃まで実際に使われていた森林鉄道の廃敷をたどりなが ら、荒川源流近くまでハイキングするエコツーリズム体験です。 * 2 村役場の人たちの話を聞く 全国の山間部の村に共通する過疎化の問題を抱える小菅村は、「多摩川源 流の里」として森林を活かした都市との交流事業を起こそうとしています。 その取り組みに実際に携わる村長や森林組合の関係者の話を聞きました。 * 3 地元のお年寄りの話を聞く 農家などの地元のお年寄りに現在の村の生活や昔の暮らしぶりや仕事に ついての話を聞きました。 * 4 交流文化ディスカッション ツアーを通して体験した山村の姿についての感想や、都市と山村の交流に 関する意見交換。さらに、観光学部で交流文化を研究している中国、タイ からの留学生の話を聞きました。 10 / 23 地元のお年寄りの話を聞く * 3 09 : 30 交流文化ディスカッション * 4 1 1 : OO 小菅村を出発 14 : OO 新宿で解散 17 : OO 33 交流文化フィールドワークモニタ ーツアー

10. 交流文化 volume03

特集に関連する書籍の中から今回選んだのは、 交流文化としての食を考えるのに最適のニ冊 驚くほど多様化した 「中国外の中国料理」の現在 アジア遊学行 特集「世界の中華料理」 勉誠出版 ( ニ〇〇五 ) 一八〇〇円十税 Book Review 読書案内 者らによる詳細な事例をもとに解た中華料理が海外に伝播していく だけでなく、中国内でも外からの 説している 日本をはじめ韓国、インドネシ食文化が流入することで本家の中 アといった周辺アジア諸国から北華料理に変容が起こっていること だ。本書が注視するのは「料理を 米ヨーロツ。ハに及ぶ豊富な事例が 紹介されるが、多様化には大きく文化としてとらえ、そうした文化 が多文化と接触し、受容、拒否、 三つの類型が見られる。第一に、 幾分「現地化」されながらも伝統解釈といったプロセスを経て変容 の姿を保とうとする高級レストラしていく姿」なのである。 なかでも「日本の『国民食』と ンの「正統」中華料理。第ニに、 チャプスイ ( 北米風中華雑炊 ) やしての中華」という論考では、も ラーメンのような中国には存在しともと中国伝来の食文化がいかに ないほど「現地化」した料理。第日本食として一般化し「国民食」 三に、東南アジアに見られるようとなるかというプロセスに注目し ている。本号における「ラーメン なほとんど中華料理とは思えない 編者によると、中華料理には北 という近代」と問題意識の重なる 京料理や広東料理といった「大伝ほど「土着化」した料理。 一般にこうした料理は正統を知部分も多いので、併せて読んでみ 統」以外にも、見落とすことので る者の目からは「まがいもの」とると面白いだろう。 きない一群の「小伝統」があり、 なお、本号に寄稿いただいた香 その一潮流が「中国外の中国料見られがちだが、日常的にそれを 理」だという。それはまさに本号食している人々にとっては、これ港中文大学の張展鴻準教授も「返 還後の香港広東料理」という論考 こそが中華料理だと認知されてい 号の特集「交流が生における日本のラーメンであり、 を執筆している。香港の観光客向 む食のかたち」というスリナムのチャオミンにほかならるのである。 テーマについて、もつない。本書ではその全世界的な規興味深いのは、多様化の諸相はけ料理の流行の背景にある中国返 と突っ込んで知りたいと思われた模で驚くほど多様化した中華料理単純に地理的な距離ではなく、交還がもたらした香港人のアイデン 読者に恰好の題材を提供しているの現在の姿を、それぞれの特定地流の生じた歴史的文化的な状況のティティ危機について理解を深め 域を専門にした人類学者や社会学違いに大きくよっていること。まることができるだろう。 のが本書である。