多摩川源流の里 小菅村 地元高齢者との語ら い、行政担当者から の聞き取り、すべて がツアーに参加した 高校生にとっては新 しい体験であった。 上下流域連携活動推進と 林業体験教室・エコセラビーの可能性について に北都第轟林組合 中田無双 34
タ の プ ログ、 フ ムに い て つ モ ツ ア 今回のモニターツアーは、森林ツアー と山村体験のニつから構成されています。 秩父演習林の森林ツアーでは、木材生 産を中心に林業に携わっていた人々が演 習林を活用した新しい観光ビジネスをつ くり出そうとしている現場を訪ねます。 また小菅村では従来の観光事業を脱皮し て、多摩川の「源流」をテーマにした森林 再生につながる山村体験などをメインに した新しい観光のスタイルを提唱し、村 役場を中心に取り組む姿を学びます。 森林鉄道の廃敷を歩く 秩父 東京大学、習林埼 ・入川渓 ' 、 ( 荒川源流 ) 雲取山 - 小菅村 多摩月 山梨県 荒川 東京都 スケジュー丿レ 2005 年 IO 月 22 日 ~ 23 日 10 / 22 立教大学新座キャンバス出発 08 : 45 東京大学秩父演習林着 12:00 森林ツアー ( 入川渓谷 ) * 1 13 : OO 小菅村着 18:00 19 : 30 村役場の人たちの話を聞く * 2 林ツアー * 1 入川渓谷の東大演習林には原生林や美しい渓流の流れる林道があり、埼 玉県秩父農村振興センターの専門家に森林の楽しみ方を聞きながら歩き ました。 1970 年頃まで実際に使われていた森林鉄道の廃敷をたどりなが ら、荒川源流近くまでハイキングするエコツーリズム体験です。 * 2 村役場の人たちの話を聞く 全国の山間部の村に共通する過疎化の問題を抱える小菅村は、「多摩川源 流の里」として森林を活かした都市との交流事業を起こそうとしています。 その取り組みに実際に携わる村長や森林組合の関係者の話を聞きました。 * 3 地元のお年寄りの話を聞く 農家などの地元のお年寄りに現在の村の生活や昔の暮らしぶりや仕事に ついての話を聞きました。 * 4 交流文化ディスカッション ツアーを通して体験した山村の姿についての感想や、都市と山村の交流に 関する意見交換。さらに、観光学部で交流文化を研究している中国、タイ からの留学生の話を聞きました。 10 / 23 地元のお年寄りの話を聞く * 3 09 : 30 交流文化ディスカッション * 4 1 1 : OO 小菅村を出発 14 : OO 新宿で解散 17 : OO 33 交流文化フィールドワークモニタ ーツアー
学部国際交流の展望について 稲垣勉 ( 観光学部長 ) 大学における国際交流は、海外大学との間で互恵的な関係を結ぶものです。この国際交流には、主 に三つの目的があります。ます第一に、提携した大学と共同で研究・調査プロジェクトを立ち上げ る研究協力です。第二は、教員が相互に訪問する研究者交換であり、研究・研修の機会を相互に提供 しあうというものです。第三は、学生交換、つまり両校の学生が互いに留学生として相手校で学ぶと いうものです。いわば両校が互いの教育リソースを提供しあって教育機会の拡大を図ろうというも のといえましよう。 本学部の国際交流も基本的にこのパターンを踏襲しています。とはいえ、観光学部という独特の ポジションや教育内容の独自性ゆえに、立教大学主体の提携校の枠内では必すしも収りきれません。 このため自分たちに相応しいパートナー選びが必要となります。観光学の教育のフィールドは国内 にとどまらす海外に広がっています。観光学部にとって海外大学との強固な協力関係はきわめて重 要です。現在、海外 30 校との間でパートナーシップを結ぶ構想があり、すでに 20 校以上の大学と協 定を結び、また協力交渉の最終段階にあります。 なかでもコアとなるのが、観光学部独自の三校交流協定コンソーシアムです。協定校である香港 理工大学とハワイ州立大学とのトライアングル協定が調印されたのは 2003 年です。協定に至る過 程では、ハワイ大と共同でベトナムの観光関係の官僚や国営ホテル幹部を集めたセ ~ ナーなど、さ まざまなプログラムが実施され、香港理工大学からはホテル観光経営学部長が特任教授として立教 大学に着任するなど、強いパートナーシップが築かれてきました。またラオス国立大学社会科学部 観光ホテル経営学科の立ち上げ支援も数ある国際交流のひとつの姿です ( 42 ページ参照 ) 。これらもア ジアにおける本学部の位置付けから、どッションとして途上国における観光教育支援の要請に対し てよりカ強く応えていかなければなりません。 これらの国際交流はもちろん学生の教育にも波及していきます。 2006 年 4 月の交流文化学科の 新設にともない、海外での教育体験やフィールド体験を通じて、問題意識を形成する教育を実施す るため、短期留学の受け人れや現地での観光教育プログラムのサポートのための海外のネットワー クづくりが重要になりつつあります。これには信頼できる協定校が欠かせません。 本学部では、国際化や多文化教育をより進めるために、グローバル・コどュニケーション・ツー ルとしての英語力の向上はもちろん、英語以外の語学教育も積極的に推進していきます。 06 年度か らは全学共通カリキュラムとは別枠で初歩のベトナム語の講義を始めることも予定されていますし、 留学生を対象とした多文化教育という意味で、日本における生活体験や文化体験を深めるための新 しいプログラムを日本の学生と一緒に行うことも計画されています。 欧米だけでなく、アジア・オセアニア・中国など多様な広がりを持ち、世界のさまざまな国々で 独自のネットワークを使った教育を提供できること。それが本学部の国際交流の目指すところです。 * 観光学部の国際交流については下記 URL を参照。 http://www rikkyo. ne. jp/grp/tourism/study—ab/index.html 46
は当 2006 年度 立教大学観光研究所 公開講座 立教大学観光研究所では、以下の 2 つの 観光産業の入門的公開講座を実施しています。 学生はもちろん、社会人など広く受講者を受け入れています。 ・旅行業講座 「国内旅行業務取扱管理者試験」 「総合旅行業務取扱管理者試験」 のための準備講座 ( 2006 年 4 月開講 7 月修了 ) 「旅行業講座」は、毎年 10 月に全国で行われる国家試験「総合旅 行業務取扱管理者試験」とそれに先立ち 9 月に行われる「国内 旅行業務取扱管理者試験」のための準備講座です。旅行業界と その業務に関心を持つ人たちが受講しています。旅行業に必要 な専門的、かっ実際的な知識を一流の講師陣が、実務経験のな い人にもわかりやすく講義します。講義内容では、旅行業法か ら海外・国内観光資源、旅行実務などの幅広い内容を扱います。 ・ホスビタリティ・マネジメント講座 宿泊・外食産業の理論と経営、 最新動向を学ふ ( 2006 年 9 月末開講 12 月修了 ) ホテル・旅館業・外食産業を中心とするサービス産業は、今日 「ホスピタリティ産業」と呼ばれています。「ホスピタリティ・マ ネジメント講座」では、ホスピタリティ産業の基本理念から、マ ネジメントの基礎理論、マーケティング、人事、営業企画、法律、 最新の業界動向といった幅広い内容まで、業界の第一線の実務 家を講師に招いて講義を行います。 2006 年度は会計の分野も 充実した内容になっています。 問い合わせ 立教大学観光研究所事務局 ( 池袋キャンパスミッチェル館 ) TEL 03 ー 3985 ー 25 刀 FAX 03 ー 3985 ー 0279 Email : kanken@tr.rikkyo.ac.jp 詳しい講義内容、受講申し込みについては http://www.rikkyo.ne ・ jp/grp/kanken/
交流文化とは、人々が観光を通じて交流するなかで、新しく 生まれていく文化のことです。今回は秩父と多摩という関東地 方の山間部を訪ねましたが、これらの地域は一九五〇年代から 東京都区部を中心とするレクリエーション客を受け入れてきた 歴史があります。しかし、半世紀の歴史のなかで、観光の動向 や地域の生活も大きく変わってきました。今、 , ) れらの地域では、 農家や林業従事者の生活文化をサービスとして観光客に提供す る取り組みが始まっています。たとえば、地一兀の農作物や郷上 食を直売する施設としての「道の駅」や、日帰りで利用できる 温泉人浴施設、宿泊施設などですが、なかでも近年では新しい 取り組みとして、農業や林業などの生産技術を活用して都市と 山村の新しい交流を生み出そうとする実践が始まっています , ) うした地元の人々が取り組んでいる姿を直接体験し、さま ざまな可能性や課題を発見することで、都市と山村がともに交 流文化を育んでいく意義を学ぶことも交流文化フィールドワー クのひとつです。 モニターツアーを 通して学んだこと 東京大学秩父演習林 東京大学秩父演習林は関東山地の 中央部荒川源流域にあり、奥秩父の貴 重な原生林や入川渓谷の両岸に広がる 総面積五〇 0 〇ヘクタールの森林です。 このうち三分の一が原生林で、ブナ、シ オジ、サワグルミなどの落葉広葉樹林 が分布するほか、亜高山帯域にはコメ ッガ、シラベ、オオシラビソなどの針葉 樹も分布しています。演習林内には渓 谷に沿って国有林を伐採し木材を運搬 するための森林鉄道が昭和初期に敷 設されました。一九七 0 年に廃止され た後も、登山路として利用されていま す。現在も廃敷や枕木がところどこと 残り、往時の面影をしのばせます。 山梨県北都留郡小菅村 小菅村は秩父多摩国立公園内にあ 、東京都内を流れる多摩川の源流 部に位置しています。森林が総面積の 九五 % を占め、そのうち約三割が東京 都の水源涵養林になっています。人口 は約一 0 〇 0 人、高齢化率は三三 % 。 一九七〇年代前半までは農林業などの 第一次産業が就業者の半数を占めてい ましたが、その後、第ニ次、第三次に 移行。なかでも観光を中心としたサ ービス業が伸びています。現在は自ら を「源流の里」と位置付け、多摩川下 流域に暮らす都市民との交流を行うべ く、「森林環境教育」の理念に基づく 情報発信や体験農林業、自然散策ガ イドなどを事業化していこうとしてい ます。 35 交流文化フィールドワークモニターツアー
父流文化 03 立教大学観光学部編集表紙写真 / 佐藤憲一、岩田晋典 C 〇 N T E N T S 特集 。 ' 交流が生む 食のかたち 04 ラーメンという近代 中西裕ニ 14 オックステールスープの旅路 稲垣勉 南米スリナムで食べる“チャオ ( ン” 岩田晋典 ベトナムのフランスハノバイン・ ( ー 大橋健一 〃 g Kong 24 香港における観光客向けメニューの研究 張展鴻 22 30 「交流文化」フィールドワーク 3 交流文化 フィールドワークモニターツアー 東京大学秩父演習林ハイキング / 多摩川源流小菅村の山村体験 36 読書案内 『アジア遊学 77 特集 : 世界の中華料理』 『日本の焼肉韓国の刺身』 38 最近の講演会から ベトナム観光の現状と課題 ディン・チュン・キエン ( ベトナム国家大学ハノイ社会人文大学観光学部長 ) 42 学部国際交流の現場から OI ラオス国立大学への観光教育支援
「似て非なるもの」 という問題提起 日本の焼肉 朝倉敏夫著 韓国の刺身韓 農文協 ( 一九九四 ) 一九 0 〇円 ( 税込 ) 日本の焼肉 韓国の刺身 朝倉敏夫 文化か ナイて れるとき 国で食べる焼肉は日本身を題材に選び、それぞれの国のを抽出し、日本的特質を導き出し の焼肉とどうしてこん料理がどのように受容され、変容ていることだ。 さらに、同じ手法でソウルの日 していったか、その展開過程を明 なに違うのだろう ? 本料理店の分析も行っており、両 こうした誰もが一度は感じたこらかにしている。 とのある素朴な疑問をもとに、文面白いのはその分析手法。東京国の文化的相違が見事に描き出さ 化人類学の立場から日本と韓国のニ三区内の韓国料理店を電話番号れる。日本における在日韓国人・ 新食文化の違い、その「似て非なる簿からその数的推移や地域的分朝鮮人の存在、韓国における日本 もの」の背景を考察した一冊。そ布、店名傾向を分析したり、経営の植民地体験という要素が両国の れを明らかにするために、著者はマニュアルやメニューの内容から食文化に微妙な影響を与えあって 日本においては焼肉、韓国では刺「ジャパナイズ ( 日本化 ) 」の諸相いることも興味深い 37 読書案内
いに答えることは難しい。「地元産の新鮮な 観光という視点からハワイの食文化を見るある。この性格を受けて、観光における食文 とき、どのような状況が浮かび上がってくる化紹介は、動態的な食文化の中から「場所」素材」「素材の持ち味を生かした味付け」な ど指摘される諸点も、一般的でとくに のたろうか試みに手元のガイドブックを調的な、つまり地域的な要素を拾い集め、「ハ レの食事」と「庶民の食べ物」という二項対フィックリム・キュイジーンを特徴づける要 べてみることにしよう。いすれのガイド、フッ クからも、二つの流れを読み取ることが出来比を用いて図式化されていくと見ることがで素とは言えない シフィックリム・キュイジーンとは、サ る。ひとつはパシフィックリム・キュイジー きよ、つ。ツーリストにとって、旅における食 ン (Pacific Rim Cuisine) であり、もうひとつはい は時として、旅先でかれらにとっての「本物ム・チョイ (SamChoy) 、アラン・ウオン (Alan わゆる級グルメである。 の体験」を求める行為に他ならない食文 wong) 、ロイ・ヤマグチ ( R 。 yYam 品 uch 一 ) といっ たカビオラニ・コ、 , 、ユニティカレッジに設置 ツーリストに対して、旅行目的地の食文化化にオーセンティシティを求めるとき、ツー ・インスティテュート・ されたキュリナリー リストのニーズは大きく二つに分極化してい を二極化して提示することは、観光における ひとつは伝統を反映したハイカルチャー 情報提供の常套手段と考えてよい。「ハレの オ、フ・サ・パ、ンフィック (lhe Culinary 「一 n 三【 u 食事」と「庶民の食べ物」という対比がそれとしての料理であり、もう一つは生活のリア ofthepacific) の出身者を中心に、移住してき たンヤン・マリ である。パリにおける三つ星レストランと、 リティを反映した日常食である。観光におけ 、ンヨセリン 0臼n 、 Marie osselin) などのハワイ在住のシェフが同時多 というる「ハレの食事」と「庶民の食べ物」 という J 「パゲットの美味しい左岸のパン屋」 対比は、この典型であろう。 ハワイの食文化二項対比は、このツーリストのニーズとびつ発的に始めた、素材や調味料にアジア的要素 を取り人れたコンチネンタル料理の総称と考 一致している。 紹介も一連の , ) うした対比の延長線上にある。たり えてよい実際には、パシフィックリム・キュ もっとも一見、二項対立に見える「ハレの 創造されるハワイ イジーンの代表的シェフの間でも、大きな相 対ヒは、実 食事」と「庶民の食べ物」という上 違があり、かならすしも厳密に一定の方向性 さてハワイにおける食文化を語るとき、一 のところ、地域性の異なる二つの側面にしか を示すわけではない より大きな対比は、「地域的な食」方の雄としてパシフィックリム・キュイジー 過ぎない シフィックリム 中国ーポリネシア混血のチョイ、日中混血 ンはかならす登場する と「グ一口 ーバル化した食」との関係に求める のウオン、幼少期に移民してきたヤマグチなど、 べきかも知れない しかしこの対比でさえ、 キュイジーンが比較的高価な食事として、 現実の場面では相互に融合して、明確に区分わゆるファンシーフーズに属することに異論これらシェフの民族的背景は複雑で多様であ る。こうしたシェフ達の多様な民族的背景と することが困難になりつつある。観光は「場はなかろう。しかしパシフィックリム・キュ 所」への興味を背景として生じる社会現象でイジーンがいかなる実体を持つかという間あいまって、パシフィックリム・キュイジー 15 特集交流が生む食のかたちオックステールスープの旅路
らない大部分の香港住民にとっ ついてさまざまな物語が宣伝さ てはエキゾチックなものでもあ れてきた。その伝説的な起源に る。地元ならではのものでもあ よって「盆菜」は香港新界の独 りエキゾチックでもあるという 特な家族制度の文化的伝統を表 その性格によって、地元の観光 象する「再創造された」家庭料 においては「伝統の味」として 理としてみなされている。 広く宣伝されている。 「盆菜」の起源や歴史をめぐる この香港の伝統の探求は、実 ンヨ 物には、さまざまなバ 当第際のところ一九九七年の返還を ンが存在している。たとえば、 契機にしたものである。地元香 ある言い伝えでは「盆菜」は清 の乾隆帝が広東を訪れたときに村に伝えたといわれている。ま港の観光においては、地元らしさや田舎つばさ、植民地以前の た別のバージョンでは南宋の最後の皇帝衛王と彼の側近が、モ特性が重要視されている。私が観察した一般的なパッケージッ ンゴル人の侵略によって南下した際に伝えられたとも言われてアーは、たいてい地元ならではの料理や伝統的な村落・寺院 ~ おり、そのとき大勢の兵士に十分な量の料理を出すために洗面の訪間などを行程の中に取り込んでいた新界地区の村落への 旅は、香港の住民にとって自分探しの旅でもあるのだ。 器で料理を出したのが、後に「盆菜」と呼ばれるようになった 一九九〇年代の初頭から、香港の都市住民は明らかにアイデ という。いすれにせよ、これらの物語は地元の人々の歴史観を ンティティ危機を経験していたそしてそんな彼らは、エキゾ 反映したものとなっている。 「盆菜」は地元の料理ではあるが、新界地区の文化的伝統を知ティシズムを期待して香港新界の伝統 ~ の「冒険」 ~ の参加を 一豐ゑロ新ゞ。ス」一」 0 27 特集交流が生む食のかたち香港における観光客向けメニューの研究
乞れ 4 襯 ベトナムのフランスパン しヾイン・ミー 大橋健一 ( 観光学部 ) おかずに御飯を食べるというべトナム料理のスタイルに見られるよう た麺の入ったフォー、そして豊富な肉や野菜を使ったさまざまな料理を イスペーパーで海老や香草を巻いた生春巻や濃厚なスープに米で作っ だ。注文をすると、パンを軽く炭火で炙って外皮をバリっとさ できるが、一般的なサンドイッチとはだいたい以下のようなもの 金額を指定することによってシンプルなものから豪華版まで作ってもらうことも ハム、肉団子、チーズなどの具材が用意されていて、自分の好みに応じて注文する。 中の定番で、街のあちこちに多くの屋台が出ている。屋台には、何種類ものバテや ー」のベトナム式サンドイッチは、バンの食べ方としては定番 特に「バイン・ でサンドイッチにして食べることが一般的だ。 浸して食べたり、牛肉の煮込みと一緒に食べるほか、バテやチーズ、野菜をはさん ー」は、朝食の目玉焼きの半熟の黄身にちぎって ペバン程の大きさの「バイン・ がある。かっての植民地支配の名残りかフランス式のパゲットを小型にしたコッ ー」、すなわちパン びとの日常の生活に深く根を下ろしているものに「バイン・ に、米はベトナムの食においてとても重要なものである。しかし、それと並んで人 たら、ティクアウト用サンドイッチの完成だ。 を振りかける。雑誌やノートの切れ端で包んで輪ゴムでとめ 漬け、香菜や葱をはさみ、仕上げにヌクマム ( ベトナムの魚醤 ) 子ペースト、パテを塗り、数種類のハム、人参と大根の甘酢 せてから、切り込みを入れてバンを開き、マーガリン、唐辛 道端で大胆にかぶりつくと、パリっとした外皮の食感の後、ロの 22 けとめながら人びとが編み出してきた文化を感じざるを得ない。 に広がるこの味の複雑さにこそ、ベトナムの経験してきた交流の歴史とそれを受 理では決してないが、人びとが日常的に食べ続けているフランス式パゲットの中 中に多様な具材の豊かな味が広がる。「ベトナム料理」と言って真っ先にあがる料