レプリカ - みる会図書館


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1. 博物館ができるまで

2 . レプリカ作り 博物館の展示では、ジオラマやレプリカがっき り画可朝州Ⅲ ものです。ジオラマの植物のレプリカを見て、毎 日水をやるのは大変でしよう、といわれたことが 幾度もありますが、作り物とは見えないほどの出 来ばえといえるでしよう。 レプリカには、絵図などの紙物、化石や岩石、 植物や動物などの生き物などがあります。基本的 な作り方は同じなのですが、植物のレプリカの作 り方を紹介しましよう。とはいっても実際に作っ ているのは、専門の製作業者の方で、私たち学芸 図 49 資料の採集 員は、どういう物を作るのかを計画して指示し、 花と実がうまく両方ついている植物を探したり、 製作の途中で形の間違いはないかどうか、完成後、 調度いい大きさの個体を探したり、ということも 指示どおりに出来上がっているかなどをチェック ありますし、また伊吹山の植物では採集禁止地域 することをしただけです。 ですから、山頂での様子を調査した後に、山裾で 植物のレプリカは展示室では、三つのジオラマ 庭で育てている方から分けていただいたり、三合 の中と、生き物コレクションのケースの中に展示 目のホテルにお世話をかけたりというようなこと してある伊吹山や多雪地の植物、水草などがあり もありました。 ます。 型取り 現場調査 採集した植物は、葉と茎、花も花びら、がく、 まず展示する植物を決めます。そして花がつい おしべ、めしべ、と分け、シリコンなどを使って ている状態や季節を想定して、実際の状態を現場 それぞれの型を取ります。場合によると微妙な花 に見にいきます。この時にレプルカを作る業者の びらなどは、現場ですぐに型を取ってしまうこと 職人さんと一緒にいって、現場を見てもらい、同 もあります。 時に採集をします。採集前にどういう環境に生え ですから茎の長さなどは自由がききますが、花 ている植物かを見、写真を撮って、生きている状 の形や葉の形などは実物とまったく同じ形の物を 態を記録し、色見本と合わせて色を確認するなど 作ることになります。 の作業を行い、最後に丁寧に採集して痛まないよ 成型 うにビニール袋に入れ、夏などは大きなアイスポッ 型から中味をだして、そこにプラスティックの クスに入れて保存し、会社まで持って帰ります。 ような樹脂を入れて、いわば部品を作っていきま レ ) 。リの出来て、、 ( ゆョフは ) ユ 0 ャー・ン ちイェニ 】匚ロ匕。 ロ ( レプリカができるまでの展示案 図 50 ー 24 ー

2. 博物館ができるまで

図 1 23 つけこんだフナズシ ところで、桶につかったフナズシは、そのまま では型どりできません。そのため、いったん、冷 凍庫のなかでフナズシを桶ごと凍らし、それをノ コギリで半分に切り、型どりをおこないました。 フナズシの桶を半分に割った、冗談のようなこの レプリカにも、ちょっとした苦労話しがあるので す ( 写真 123 ) 。 く前野隆資さんの写真〉 この展示コーナーでは、伝統食のレプリカと同 時に、昭和 30 年頃の沖島の写真がたくさん使われ ており、当時の様子がわかるようになっています。 これらの写真は、大津市在住の写真家、前野隆資 さんが撮影されたものです。水道は、まだありま せん。必要な水は、朝の澄んだ琵琶湖の水を、天 秤桶で家の瓶まで運んで使っていました。洗濯や 洗い物、洗面や歯磨きにも、皆、琵琶湖の水を使っ ていました。このような貴重な写真があるからこ そ、伝統食をはぐくんでいた当時の暮らし全体を、 来館者はイメージできるのです。 く展示の完成と、ちょっと困ったこと〉 レプリカができあがると、全体のレイアウトを 考えなくてはいけません。どうしたら、全体とし てまとまった形になるのか、レプリカの担当スタッ フだけでなく、デザイナー、解説文をパネルにす るグラフィック担当スタッフ、そして展示台等を 作る造作担当のスタッフとも相談しながら具体的 . な作業をすすめていきました。たとえば、料理を 図 1 22 できあがったフナズシのレプリカ 肥料に乾燥したニシンをつかっていました。その なかでも、質のよいものは、料理にもつかわれて いたのです。しかし、昭和 30 年頃には、化学肥料 の登場によりニシンは肥料として使われなくなり、 献立としてもあまり登場しなくなっていたのです。 暮らしは、しだいに大きく変わりつつあったので す く熹まれたフナジス〉 この展示コーナーのなかに、おもしろいレプリ 力があります。フナズシの桶を半分に割って、 飯につかっているフナズシを見ることができるよ うにしたものです。このフナズシのレプリカをつ くるためには、フナズシをつけこんだ本物の桶が 必要になります。そこでレプリカ製作の半年前、 沖島の漁師さんに講師になっていただき、一桶っ けていただきました。見よう見まねで、私たち学 芸員も一緒に二桶つけました。つまり、三桶つけ たわけです。 それから半年。「そろそろ、レプリカの製作をは じめなくては」、そして「自分たちのつけたフナズ シの味見もしてみよう」と思っていたやさきのこ とです。ある朝、桶がなくなっていたのです。盗 まれてしまったのです。しかし、どういうわけか、 沖島の漁師さんにつけていただいた一桶だけが残 されていました。ただ、中身は半分だけぬきとら れていました。幸いにも、残った半分から型どり し、なんとかレプリカをつくることができました。 がっかりし、泥棒にたいして腹を立てたのも事実 なのですが、逆に、「半分だけ残すなんて、情けの ある泥棒ゃなー」と妙なところで感心もしてしま いました。今でも、なんとも複雑な気分です。 ー 51 ー

3. 博物館ができるまで

図 51 レプリカの葉に針金の柄をつける シダのレプリカ 図 52 す。 3 . ジオラマができるまで 葉は柔らかいプラスティックの板に熱を加えな 「ゾウのいた森」一約 180 万年前の環境復元 ! がら型に吸引して葉の形を作ります。その板を葉 ジオラマ (Diorama) とは の形に切り取り、針金で柄をつけると 1 枚の葉が ジオラマは、展示する事物とその周辺の環境・ でき上がります。 1 本の木のレプリカを作る場合 背景との関係を同一空間に立体的な表現する展示 には、 1 万枚を越えるような葉が必要になります 方法の 1 つです。それは、一種のバーチャルリア から、幾つかのタイプの葉を作り、あとは同じも リティー ( 仮想現実 ) 空間であり、来館者があた のを大量に作ります。 かもその場にいるような臨場感や立体感を与えて 彩色と組み立て くれます。 できた葉を茎に取り付け、細部を作りながら絵 琵琶湖博物館では、自然史展示室の「亜熱帯の の具で色をつけていきます。 どんな植物でも、葉 湖」コーナー、「ゾウのいた森」コーナーや環境展 部が枯れた色になって が虫に食われていたり、 示室の「農村のくらし」コーナー、「川岸林と川の いるもので、そういうところも現場で撮影した写 生き物たち」コーナー、「どぶ川の生き物たち」コー 真を参考にしながら、色を付けていきます。この ナーなど、各所でジオラマが見られます。 時に葉の位置や角度など、実物の植物を良く知っ その中で、自然史展示室の「ゾウのいた森」コー ていないと、似ているようで違った植物になって ナーは、今から約 180 万年前の環境を復元したジオ しまいます。学芸員ができ具合を最初にチェック するのはこの段階です。 仕上 この状態で、同じようにして作った花やツボミ を取り付け、茎や葉の小さな毛などをつけて、実 物と同じような様子にしていきます。全体ができ あがると、展示する方法によっては、展示台を付 けてできあがりです。図 50 はレプリカ作りの工程 をレプリカとして見ることができるように考えた 展示のプランです。実物は企画展示会場で見て下 さい。 ( 布谷知夫 ) な、ら・」嚶 ・「コ・アートコ 0 ・ メ 0 コイ . にも” 象のいた森・展示計画平面図 図 53 ー 25 ー

4. 博物館ができるまで

するとお母さんもにおっています。 「ほんまやわ。フナズシて臭いなー、お父さん。」 このような語りや感想を来館者の後ろで盗み聞 きしながら、担当者である私は、密かに喜んでし まうのです。といっても、単なる私の自己満足で はなく、この展示をつくるためにたいへんな苦労 をした製作スタッフの皆さんの苦労が報われたこ とに対する喜びなのです。 く文献を調べ、聞き取り調査をする〉 このコーナーに展示してある伝統食や食材のレ プリカをつくるにあたって、まず、関連する文献 を探すことから始めました。沖島の伝統食につい ては、さいわいにも、滋賀県で栄養士をされてい る田辺愛子さん ( 滋賀の食事文化研究会 ) による 調査報告がすでにありました。しかし、田辺さん の調査対象時期は、昭和初期です。そこで、田辺 さんの調査報告をもとに、自分たちでも沖島にで かけ、漁師さんや老人会の皆さんに、補足的に聞 き取り調査をおこないました ( 写真 117 ) 。 くレプリカをつくる〉 調査結果が終わると、こんどは、レプリカづく りです。精巧なレプリカをつくるためには、型ど りをするための本物の料理が必要になります。そ こで、沖島の皆さんにお願いして、実際に料理を っくっていただきました ( 写真 118 ・ 119 ) 。次々に 調査結果にもとづいた料理が台所から運ばれてき ます。美味しそうにできあがった料理を、そのま まいただきたいところですが、そういうわけには いきません。レプリカ担当スタッフが、盛りつけ 10. 「沖島の伝統食」ができるまで C 展示室「湖の環境と人びとのくらし」のなか を歩いていると、さまざまな料理や食材をならべ たコーナーがあらわれます。琵琶湖にうかぶ沖島 の、昭和 30 年頃の食事 ( 伝統食 ) と食材について 解説したコーナーです。当初、このような展示を っくることに対して、ロの悪い同僚からは、「いか にも、食い意地が張ってるあいつらしい」という 冷やかしの声も聞こえてきましたが、担当者であ る私には、ちゃんとした理由があったのです。 この C 展示室のテーマは、環境です。では、伝 統食が環境というテーマとどう関係しているので しようか。環境というと、私たちは、自分たち身 のまわりの自然環境を思いうかべます。しかし、 生き物である私たちの身体自体も、有る意味で、「内 なる環境」でもあるのです。つまり、かって身の まわりでとれた食材によってつくられた伝統食と は、身のまわりの自然環境という「外なる環境」 と、身体という「内なる環境」を媒介する重要な 役目をはたしていたのです。私たちは、伝統食を ヒントに、身近な環境と自分たちの関係について 考えることができるのです。どうも、いけません。 理屈っぽい話しは、これくらいにしておきましよ この展示コーナーの前で、来館者の人たちが、 なにやら語りあっています。どうも、県内にお住 まいの年配の皆さんのようです。ちょっと、聞い てみましよう。 「なっかしいなー。」 「ほうや、ほうや。こんなん食べてたわ。ナ マス、のジュンジュンとカゝな。工ビ豆 . とカゝ。」 「昔は、やつばり質素やなー。」 「いや、ほんなことないで。今から見ると、反対 にご馳走とちゃうか。」 「しかし、まあ、これ、ようできてるなー。ほん まに作りものけ ? 」 こんどは、フナズシのレプリカを前にした親子 づれです。小さな子供が、フナズシにさわろうと しています。すかさず、お父さんが叫びます。 「さわったらあかんで。手が臭くなるで。におっ てみー。臭いやろ。あかん、髪の毛がっくやろ。」 伝統食の聞き取り調査 図 1 1 7 ー 49 ー

5. 博物館ができるまで

のせる台をとってみても、そのちょっとした高さ の違いで、せつかく精巧にできた料理のレプリカ も、来館者によくみえなくなり、展示がだいなし になってしまうからです。このようなレプリカの 列品だけでなく、グラフィックパネルの配置にい たるまで、細かな配慮が必要になるのです。 博物館が開館し、たくさんの来館者にこの展示 コーナーを見ていただきました。ただ、 ちょっと困ったことがあります。琵琶湖博物館の 展示の特色は、ガラス越しに展示をみるのではな く、実際にさわったりしながら、展示を全身で感 じることができる点にあります。だから、「これ、 よくできてるなー」と、精巧にできたレプリカに もふれていただいてもかまわないと思います。た だ、優しくふれていただきたい。ときどき驚くの ですが、食材のダイコンや、トロ箱のなかの魚が とれていたりするのです。これらは、皆、接着材 で固定してあるため、簡単にはとれないはずなの ですが 来館者のなかには、無理にカまかせ にいじって、結果として、展示を壊してしまう方 がいらっしやるようです。これからも、多くの来 館者に展示を楽しんでいただき、展示を通して環 境と私たちの暮らしとの関係について考えていた だきたいと願っています。そのためにも、展示に たいするマナーを守っていただきたい、これは、 担当者の心からのお願いです。 ( 脇田健一 ) 11. 回転実験室製作経過 回転実験室つくりのウラ話 回転放物面と手作り実験室の製作 図 124 の奇妙な装置は、博物館準備室の委託を受 けた琵琶湖地域環境教育研究会が、回転実験室っ くりに向けて苦労して作った、「回転放物面」を利 用した実験装置です。しかし、実際の回転実験室 には、この回転放物面は使われなかったのです。 なぜ、この形を作ろうとしたのでしようか。ま た、なぜ使われなかったのでしようか。 この装置は、毎分 33 回転で回した時に、ビー玉 くらいの大きさの球を置くと、中央に向かって落 ちょうとする力が、遠心力とちょうど釣り合って、 球が止まるように作られています。どこに置いて ー 52 ー 図 124 実験装置 も釣り合うようになっている、このような面の形 を「回転放物面」と呼びます。 この装置は、 1991 ( 平成 3 ) 年夏に、研究会が パソコン通信上で製作者を募って作ってもらった ものです。面の形を図に書いたり、でき上がった 面が正しくできているかどうかを確かめたりする のは簡単なのですが、実験に適した材質できれい な面を作るのは大変でした。 回転放物面を作ろうとしたわけ 地球回転の影響で発生する力には「遠心力」と 「コリオリの力」の 2 種類があります。地球上の 湖や海で普通に起る現象では、地球上での遠心力 の代表的な強さは、コリオリのカの l()(wl()()()() 倍 になります。 ところが、遠心力は全ての物体に同じように働 くので、世界全体がこの力にバランスして、傾い た所で止まっています。私たちはこの傾いた世界 を「まっすぐ」だと感じているので、遠心力の影 響は打ち消されてしまいます。 一方のコリオリの力は、運動している物体にの み働くため、その物体だけが周囲とは違う動きを することになるので、観測するとその差が現れて きます。 回転実験室ではコリオリカを感じたいわけです から、地球上の湖や海と同じように、「世界全体を 傾ける」ことによって遠心力の影響を打ち消そう と考えました。そこで、実験室の床を回転放物面 にすることによって、内向きに倒れる力と遠心力 とをバランスさせ、傾いた床が「まっすぐ」と感 じられるようにしようとしたわけです。

6. 博物館ができるまで

図 59 スイショウの幹の型取り 図 57 象の粘土模型 ( 実物大 ) 図 60 スイショウの型をはがしたところ 図 58 粘土模型からの型取り 色して完成させます。アケポノゾウの肉っきの復 また、ジオラマのミニチュア模型 ( 1 /10) を 元は、これまでされたことがなく、日本で初めて 作り、来館者の動きや目線にあわせた通路やもの の作業となりました。 の位置、照明・音声などの演出効果を決めます。 く植物の製作〉 くアケポノゾウの復元〉 ジオラマの植物は、本物を乾燥させたものとレ アケボノゾウは、兵庫県明石市から発掘された プリカ ( 模型 ) を使用しています。メタセコイア 骨格化石をもとに、筋肉をつけて復元されました。 とスイショウは、日本ではすでに絶滅しており、 レプリカ ( 模型 ) 製作では、まず、骨組みをつく 大阪市立大学付属植物園で幹の型どりをさせても り、粘土で肉づけした模型をつくります。これを 型どりし、型に樹脂を流し込んで成形した後、着 らい、銅板の筒に樹脂でつくった樹皮を張り付け 図 61 象のいた森のミニチュア模型による検討 図 62 象のいた森のミニチュア模型 ( 1 / 1 0 ) ー 27 ー

7. 博物館ができるまで

90 図 119 イサザの白豆煮 ナマズのジュンジュンを作る 図 1 1 8 を利用するばあいもあります。たとえば、ボウダ ラやコンブのばあい、本物に樹脂をしみこませま 図 120 料理の盛りつけ かたや、色や艶などについて注意深く観察します。 く消えた食材、消えた料理〉 沖島の皆さんに料理をつくっていただいたわけ そしてスケッチをし、写真をとります ( 写真 120 ・ ですが、その材料のほとんどは自分たちで用意し 観察のおわった伝統食は、そのまま静岡にある なくてはいけません。ただ困ったことに、手には 食品サンプル製作の工房まで運ばれます。工房で いりにくいものがありました。 たとえば、魚のギギです。現在、琵琶湖では、 は、まず、料理をシリコンゴムで精巧に型どりし ます。たとえば、工ビ豆のばあい、工ビと大豆と ほとんどギギをとることができません。そこで、 夜、下流の瀬田川にでかけて、釣りでギギをつか は、別々に型どりしなくてはいけません。できあ がった型に、こんどは、塩化ビニールを流し込み まえました。それから、カボチャひとつにしても、 ます。そのさい、同時に色もつけます。必要なば 当時ごく普通につくられていた種類のものが、現 あい、スケッチや写真をもとに彩色していきます。 在ではっくられておらず、スタッフは、その種類 色だけでなく、艶などにも十分に気をつかいます。 のカボチャを手に入れるのに、たいへんな苦労を そして、できあがったものを皿に盛りつけ、仕上 しました。 げをおこなうのです。じつに手間暇と神経を使う また、昭和の初期にあった料理が、昭和 30 年頃 作業なのです ( 写真 122 ) 。 にはなくなっているばあいがありました。 ほとんどのレプリカは、このような方法でたい とキュウリの酢の物がそうです。昭和初期、畑の 121 ) 。 ー 50 ー

8. 博物館ができるまで

目 1 博物館は何をしているところなのか 次 1 ) 2 ) 3 ) 4 ) 5 ) 6 ) 研究・調査 交流サービス 情報 資料整備保管 展示 樹木図 2 博物館のイメージ 3 日本の博物館の歴史 1 ) 2 ) 3 ) 4 ) 5 ) 6 ) 7 ) お上からの啓蒙のための博物館 ( 明治時代 ) 地域と結びついた博物館をめざして ( 昭和 50 年代 ) 明治 100 年を記念した博物館群 ( 昭和 40 年代 ) 地域からの博物館作り ( 第二次大戦後 ) 近代型の博物館の始まり ( 昭和初期 ) 通俗教育の意識 ( 社会教育 ) と地方の博物館の誕生 ( 大正時代 ) 博物館多様化の時代と琵琶湖博物館 4 琵琶湖博物館ができるまで 1 ) 2 ) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 3 ) 年表 琵琶湖博物館の展示と資料 琵琶湖博物館の展示の変遷 レプリカ作り ジオラマができるまで「ゾウのいた森」 博物館の地下をさぐる 「琵琶湖の自然史研究室」ができるまで 丸子船ができるまで 約 180 万年前の環境復元 世界最大の淡水貝塚・粟津貝塚その貝層立体はぎ取り 彦根市の民家の移築と展示物収集 空から見た琵琶湖 「沖島の伝統食」ができるまで 回転実験室作りのウラ話 環境とは何だろう 琵琶湖の琵琶湖らしさを理解するために 魚類の飼育は水にあり 水族飼育係の一日 水族資料の収集飼育はいかになされたか ザリガニの作り方 ( ディスカバリールーム ) 故河野光子博士のカワゲラ類標本などの受贈 桑島先生の植物標本の寄贈 琵琶湖博物館収蔵の民具たち 福田文庫 博物館の建物七不思議 5 琵琶湖博物館の楽しみかた 1 ) 博物館に参加する 2 ) 博物館で調べる 6 琵琶湖博物館の開館と今後の活動 9 ・ 13 ・ 77 86

9. 博物館ができるまで

図 27 B 展示室でのワークシート学習 図 26 化石 博物館と聞いて頭に浮かぶ展示物では、多いも それに対してマイナスのイメージの数はプラス のから順にあげると、歴史 ( 98 ) 、化石 ( 90 ) 、恐 の倍の 288 件あり、かたい ( 43 ) 、静か ( 43 ) 、古め 竜 ( 53 ) 、古いもの ( 28 ) 、文化 ( 25 ) などです。 かしい ( 31 ) むつかしい ( 30 ) 、 暗い ( 29 ) 、など あと目につくものでは、模型、レプリカ、古文書 , とつづきます。そのほかにも、マンネリ化、入館 しにくい、あまり面白くないところ、ほこりをか ゾウ、剥製、ミイラ、生活用具、昆虫、はにわ、 ぶっている、気楽に入りにくい、私みたいなもの 動植物標本、などとても雑多なものがでてきます。 上位にある歴史と化石は、典型的に歴史系と自然 でも入っていいのかなあ、ねむたくなる、かすか なカビくささ、疲れる、少し距離がある、地味、 史系の博物館のイメージで、恐竜も同じく自然史 系で最も人気がある展示です。展示物については、 つまらない、などが上げられています。 それぞれの人の好みが全面に出て、いろいろな種 この内容はちょっとショックでした。もともと 博物館というところは、発祥の場といわれている 類の博物館の姿が見えてくるようです。 利用のイメージでは、まず展示、が圧倒的に多 ギリシャの時代からごく最近まで、その時代の最 高の「美の殿堂」であり、「知識の殿堂」であった く、学習、研究、体験、新たな発見の場、子供の 自由研究、老若男女が楽しめる、自然を身近に感 はずで、各国はきそって国立の博物館作りをして じる、小学校の社会見学、などがあります。全体 きたのです。日本でも明治以降は国策として万国 博覧会に出品し、全国から物を集めて国立博物館 として子供の集る場所というイメージが強く、や はり展示を見る場所と考えられているようなこと を作り、各自治体も威信をかけて博物館作りをし てきたはずなのです。各時代の最も輝かしい場所 が分かります。 最後に、この範疇には入らない言葉がたくさん であるはずの博物館が、なぜこれほどにマイナス あげられています。大英博物館やスミソニアン、 イメージの大きな場所になってしまったのでしょ ループルなどの博物館の名前が出てくるかと思う うか。おそらく各時代ごとにひとびとが望む博物 と、知識、科学、考古学、などやロゼッタストー 館像の変化に、博物館の側の対応が追い付いてい ンからインディージョーンズ、学云員、博物館員、 ないために、博物館が古臭い、マイナスイメージ 館長、人の名前では、南方熊楠と梅棹忠夫さんの の場所になってしまったのだろうと考えています。 二人がでてきました。まさしく森羅万象あらゆる そういう意味では、博物館本来のあるべき基本を 言葉が出てきて、博物館イメージの混沌さがよく 見失わない範囲で博物館の活動の内容を大きく替 ( 布谷知夫 ) 現れています。 えていくことが必要なのでしよう。 ー 10 ー

10. 博物館ができるまで

図 75 自然史研究室 図 76 自然史研究室 企画した者にとっては、大変うれしい限りです。 6 . 丸子船ができるまで その横には、レプリカ作りの過程を示したものや、 「本当にそんなことをするつもりやろうか・・・」 さら というのが、船大工、松井三四郎さんの正直な気 骨を晒している様子を再現したバケツもあります。 ちなみに、このバケツの蓋には、骨をさらしてあ 持ちだったでしよう。「琵琶湖博物館の歴史展示室 るバケツに通常書いてあるように " あけるな " と の目玉展示物として実物の丸子船を建造するやな 書いてあるので来館者は、開けていいのか開けて んて・・・」。近世から戦前にかけて琵琶湖の主要な輸 はいけないのか悩んでいるようです。もちろん開 送の手段であった丸子船は、その名のとおり丸い 形をした、琵琶湖にしかない大型の木造船です。 けていただきたいのですが、開けてみるとなんと 臭ってくるような水つけの晒した骨が再現されて すっかりすたれてしまったこの船が最後に作られ おり、やはり開けなかったほうがよかったと思う たのは、もう半世紀も前のことです。「本当にでき 来館者も多くいることと思います。各机の引き出 るんだろうか・・・」。とまどいは、私たちの方にもあ しの中にも研究に関係した道具や標本類が展示さ りました。 丸子船の復元が最初に計画されたのは今から 10 れています。これには、気が付かない来館者も多 いようですが、発見した来館者は大喜びしていま 年以上も前のことです。丸子船に関する入念な下 す。一度目では気づかなくても、二度目で気づく 調べの後、船大工探しが行われました。それには、 人もいるようですから、あえて”引き出しを開け 丸子船の建造をかって手がけたことがあり、当時 てください " という野暮な表示はしないようにし の道具を所有している現役の船大工、という条件 に加えて、もうーっの大事な要素が考慮されまし ています。このような、実際の研究室や調査風景 た。それは、技術継承者が身近に居るということ の再現展示ができたのは、計画の初期の段階から 実際に調査や研究を行っている学芸員が展示構想 です。丸子船を作る技術を持っ船大工はもうほと に参加できたからだと思われます。そして、十分 んど存在しません。図面に基づいて作るのではな な時間があったことが、細部まで凝って、多少い いこの造船方法は、船大工の頭の中にしか保存さ れていないのです。近い将来失われていくに違い たずら気のある「琵琶湖の自然史研究室」展示が ないこの貴重な技を誰かに伝えることは、今回の 誕生した要因であると思っています。 ( 高橋啓一 ) 復元製作の大きな目的の一つでした。そして、た だ一人、現役で活躍しておられたのが大津市本堅 田の松井三四郎さんだったのです。松井さんは戦 前に 6 艘の丸子船の建造を手がけ、今では息子の 三男さんと一緒に造船所を営んでおられます。 展示物として復元されたのは、標準的な百石積 みの丸子船、それでも舵を人れると全長 19 メート ー 33 ー