いよいよ撮影班が到着。ここからは映像を撮り あわただしく準備を終え、まずべルーの首都リ ながらチチカカ湖を縦断していきます。さすがに マへと飛びました。関係機関を回り、資料の採集 映像班はプロ。着いた翌日の夜明けから高山病も や持ち出しに必要な申請を行います。その合間に 時差ポケもかまわず走り回って撮影をします。日 研究機関を訪ねて最新の情報を集めたり、資料を の出を撮った後は一気にベルー側のコバカバーナ 送り出すルートの確保をします。リマでは、移民 という町に入り、ここからは数時間ごとに撮影と でベルーに渡られた方たちに本当にお世話になり 移動の繰り返し。ある程度なれたとはいえ、富士 ました。その方たちが、昨年末に始まった日本大 山の頂上に近い環境で山道をあがったり降りたり 使公邸占拠事件で数名巻き込まれたようです。 の撮影はさすがにこたえました。 の文が出る頃には無事解決していることを願って チチカカ湖にはいくっかの大きな島があり、中 やみません。 には千人くらい住んでいるところもあります。そ リマで必要なことを済まし、次はボリビアの ( 実 して島々には実に見事な、石垣で仕切られた段々 質的な ) 首都ラバスに入ります。ここでも同じよ 畑が連なっています。琵琶湖でたとえるなら、沖 うに役所と研究機関回り。すでに日本を出て半月 島や竹生島がすべて段々畑でおおわれていると言っ 近くたちました。まだ、湖にはお目にかかれませ た感じでしようか。大人の頭ほどの石は島の外か ん。「お ~ い、チチカカ湖はどこだあ ~ ? 」。ちな みにラバスは高度 3500m 。海岸近くのリマから急 ら持ち込まれたもので、ひとつひとつ、現地の人 でさえ息を切らしながら運んだのです。いったい に富士山の 8 合目あたりに来たようなもので、薄 どれくらいの時間がかかったのでしよう。千年 ? い酸素に身が悲鳴を上げています。 撮影に応じてくれた島の家族の一人が、ふっと道 やっとのことで申請が一段落。 JICA のプロジェク ばたの石積みを指さし「あれはインカ時代 ( 室町 トで設立された水産試験場にお世話になり、 1 週 時代頃 ) のお墓」といった言葉が印象的でした。 間ほど生物の採集ができました。時間がないので 石の重さや石を運ぶのにかかる時間の認識は、文 作業は毎日深夜 2 時過ぎまで続きます。朝は 7 時 献からは得ることはできません。来てよかった、 頃からマーケット ( 青空市場 ) に出かけて生活用 品を集めます。造船業の盛んな島に渡り、水利用 としみじみ思う瞬間でした。 湖の沿岸では、水草を家畜に食べさせています。 や水草のこと、漁などについてインタビューもし あたりには木はおろか、草も貧弱なものしか生え ました。移動する車の中では、試験場に勤める地 ていません。水草は燃料にもなります。そして負 元職員に畑のことや水利用のことを聞きます。あ 人々の営みはまさに水草によって支えられている まり根ほり葉ほり聞くので、最後には相手が「あ ~ のです。そうしたことをフィルムに納めながらチ 疲れた」といってパッタリ倒れてしまったことも チカカ湖を渡って行きました。さすがにプロの撮 ありました。あっという間に夢のような 1 週間が 影は手際よく進みますが、思い通りにならないこ すぎると、再びラバスに戻って資料を送る手続き。 ノ、、 0 トトラの束を運ぶトトラの船 図 134 図 133 映像撮影隊 ー 58 ー
8 . 空から見た琵琶湖 ながら 1 . 7 ~ 2.0km 間隔に 1 枚の割合で行い、その C 展示室 [ 湖の環境と人びとのくらし ] の入口床 線での撮影が終われば、次の線に移って同じよう 面に広がる写真は、大阪湾から琵琶湖に至る地域 に撮影を続けてゆきます。撮影は秋に雲が全くな を私たちが鳥になったように見ることができます。 い快晴の日を選んで行いました。こうした天気は この展示はどのようにつくられたのでしようか。 1 年におよそ 35 日あるといわれていますが、この 順を追って見てゆきましよう。 時も撮影できる日は数日しかなく、そのような天 ①空中写真を撮影します。 気の日を待っているうちに山に雪が積もってしま 空中測量用のカメラを積んだ飛行機が地上 3 , 600 い翌年の秋にもう一度撮影し直した場所もいくっ m 位の高さで飛び、上空からの写真を撮影してゆ かありました。撮影した写真の枚数は 2 , 248 枚にも きます。撮影はまず東西方向に 1 本の線上を飛び なります。 図 96 空中写真の撮影四角錐の底面が撮影される範囲で隣の破線で 示す範囲と 60 % 重複させています。 ( 出典 : 空中写真の知識財日本地図センター ) 扉ノ 写真を隣り合う写真と張り合わせていく「モザ 0 ぐ気夕 イク」と呼ばれる作業を行います。写真は四隅ミト が少し歪んでいるため、、ザイクにはかなり熟ゝ背 & 3 練した技術が必要です。山 0 尾根や谷、道路や鵞し 河川がうまく繋がるように張り合わせます。展 示室にある写真にはどうしてもうまく繋がらなす、、 か。たと = ろもありますから見 0 けみくだ 0 ヾ 0 、、 さい。 図 98 モザイクされた写真 1 枚の写真のようですが 8 枚の写真 を貼り合わされています。 図 97 航空測量用のカメラ ー 40 ー
とも出てきます。フラミンゴの撮影の時は、泥沼 で撮影スタッフが踊ったり、はいつくばったりし て鳥のごきげんを伺いました。ウロ族の人にトト ラの船を造ってもらい、それを撮影することになっ ていたのですが、スケジュール通りにいくかどう かわからなくて青くなったこともあります。市場 の撮影をしていたらバナナをぶつけられたり、ま た、ある家族の撮影をしていたら、隣の家族が「な んであっちばかり」とラジオを大音響で鳴らして 撮影の邪魔をしたことも。人の心持ちというのは、 場所によって同じようで違い、違うようで同じな のですね。 どうにか撮影と資料の収集・送り出しを無事終 え、帰国しました。帰ると今度は映像の編集作業 に入ります。映像班がおおざっぱにまとめたラッ シュをみてこちらの希望を伝え、また手直しをす ることの繰り返しです。シナリオを何度も書き直 し、最後の音入れに学芸が立ち会って、そうして 作品が生まれます。 外国の湖やその周囲の生活を映像やモノで紹介 することに参加して、その難しさをずいぶん感じ ました。材料を集める苦労もありますが、表現の 段階でもかなり気を使うのです。たとえば、おも しろいものを強調しようとすると、現地の実生活 から離れてしまいます。 また、マーケットで買ったタイヤの再生品のサ ンダルなどは、現地では何気ないものなのに、展 示品としてみなさんの目に触れるときには貧しさ の象徴として写るかもしれない、とか。 ( 実際、そ うらしいのですが、私たちは貧しさを表現しよう としているのではない ) 琵琶湖の展示コーナーに モノがないのは、解説パネルにあるように「琵琶 湖の展示は来館者の心の中につくる」のがもっと も大きな理由ですが、同時に「これが琵琶湖の周 囲の生活だ」という品を選べないことも理由のひ とつなのです。映像についても同じです。琵琶湖 の映像にはカワウが象徴的な動物として映し出さ れています。「琵琶湖ならカイップリ。なぜ嫌われ 者のカワウか」というおしかりをいただくことも ありますが、もし外国から我々と同じような目的 で取材班が来たとしたら、どちらを写すでしよう ? 実際にカワウはたくさんいるのです。文献だけの 情報に頼らず、自分たちの目で実際に見たことを 展示に活かす、といってもやはり限界はあります。 その意味も込めて、琵琶湖の映像はカワウを写し 続けています。 そのような限界があることを承知していただい た上で、なお琵琶湖と世界の湖を比較し、同じ占 異なる点について考えていただけたらいいなと、 私たちは思っています。 ( 芳賀裕樹 ) ー 59 ー
9 建設基本設計まとめ 4 も化イ 10 展示実施設計、建築実施設計、情報シス 4 てよっま辺の第 ( を、 テム実施設計に着手、運営方針検討開始 9 ) 平成 5 年度 ( 1993 年度 ) 学芸職員採用 ( 1 名 ) 5 住民参加型調査開始 ( タンポポ ) 5 淡海環境フェアーに 図 35 出展 8 教育委員会理事員三浦先生急死 5 教育委員会理事員三浦先生を偲ぶ会 9 5 図 34 水辺の遊び調査 1 1 月 6 日臨時県議会において、展示・建築工事契約案件議決 ( 工期 : 平成 6 年 1 月 7 日 ~ 平成 6 8 年 3 月 31 日 1 建築起工式 6 展示製作開始、情報システム構築、運営方針検討 3 琵琶湖博物館シンポジウム ( 草津市勤労福祉会館 : 実行委員会主催 ) 6 3 県広報紙「滋賀ナウ」琵琶湖博物館特集県内全戸配付 6 10) 平成 6 年度 ( 1994 年度 ) 学芸職員採用 ( 1 名 : 併任 2 名 ) 6 5 C 展示「環境とは何だろう」展示内容決まる 6 5 カタッムリ調査開始 6 7 「黄河象」展開催 ( 7 月 30 日 ~ 8 月 4 日草津文化芸術会館 ) 6 7 準備室ふなずしつけ込み 6 C 展示室近畿地域航空写真撮影開始 10 6 8 琵琶湖博物館 ( 仮称 ) 建設準備委員会懇談会 6 図 37 11 準備室のふなずし盗難 6 屋外展示での 12 琵琶湖博物館 ( 仮称 ) パンフレット完成 田植え 6 1 シンポジウム「身近な環境調査と博物館作り」 ( 1 月 22 日野洲文化小劇場 ) 7 3 丸子船進水式、湖上曳航、一般公開 ( 3 月 25 日松井造船所 3 月 25 、 26 日烏丸半島 ) 7 11 ) 平成 7 年度 ( 1995 年度 ) 9 滋賀県立琵琶湖博物館 ( 仮称 ) 開設準備委員会設置 ( 委員長 : 千地万造京都橘女子大学教授 ) 7 9 展工事安全祈願祭 ( 乃村工芸社主催 ) 7 10 ヒカンバナ調査開始 7 10 博物館セミナー開催 7 川那部「館長予定者」記者会見 1 8 2 開館プレ展示「前野隆資写真展『琵琶湖・水物語』」水口文化芸術会館 長浜楽市 8 2 シンポジウム「鹿深の里に琵琶湖の生い立ちを探る」水口碧水ホール 8 3 建築工事完了 8 平成 8 年度 ( 1996 年度 ) 12 ) 学芸職員採用 ( 11 名 ) 8 4 滋賀県立琵琶湖博物館設置 8 シンボルマーク決定 6 第 2 回博物館セミナー開始 8 6 生活実験工房田植え 8 建物工事完了 図 39 10 滋賀県立琵琶湖博物館開館 8 ( 中島省三氏撮影 ) を 図 36 博物館セミナー 第 稲かり 図 38 ー 18 ー
図 51 レプリカの葉に針金の柄をつける シダのレプリカ 図 52 す。 3 . ジオラマができるまで 葉は柔らかいプラスティックの板に熱を加えな 「ゾウのいた森」一約 180 万年前の環境復元 ! がら型に吸引して葉の形を作ります。その板を葉 ジオラマ (Diorama) とは の形に切り取り、針金で柄をつけると 1 枚の葉が ジオラマは、展示する事物とその周辺の環境・ でき上がります。 1 本の木のレプリカを作る場合 背景との関係を同一空間に立体的な表現する展示 には、 1 万枚を越えるような葉が必要になります 方法の 1 つです。それは、一種のバーチャルリア から、幾つかのタイプの葉を作り、あとは同じも リティー ( 仮想現実 ) 空間であり、来館者があた のを大量に作ります。 かもその場にいるような臨場感や立体感を与えて 彩色と組み立て くれます。 できた葉を茎に取り付け、細部を作りながら絵 琵琶湖博物館では、自然史展示室の「亜熱帯の の具で色をつけていきます。 どんな植物でも、葉 湖」コーナー、「ゾウのいた森」コーナーや環境展 部が枯れた色になって が虫に食われていたり、 示室の「農村のくらし」コーナー、「川岸林と川の いるもので、そういうところも現場で撮影した写 生き物たち」コーナー、「どぶ川の生き物たち」コー 真を参考にしながら、色を付けていきます。この ナーなど、各所でジオラマが見られます。 時に葉の位置や角度など、実物の植物を良く知っ その中で、自然史展示室の「ゾウのいた森」コー ていないと、似ているようで違った植物になって ナーは、今から約 180 万年前の環境を復元したジオ しまいます。学芸員ができ具合を最初にチェック するのはこの段階です。 仕上 この状態で、同じようにして作った花やツボミ を取り付け、茎や葉の小さな毛などをつけて、実 物と同じような様子にしていきます。全体ができ あがると、展示する方法によっては、展示台を付 けてできあがりです。図 50 はレプリカ作りの工程 をレプリカとして見ることができるように考えた 展示のプランです。実物は企画展示会場で見て下 さい。 ( 布谷知夫 ) な、ら・」嚶 ・「コ・アートコ 0 ・ メ 0 コイ . にも” 象のいた森・展示計画平面図 図 53 ー 25 ー
図 1 23 つけこんだフナズシ ところで、桶につかったフナズシは、そのまま では型どりできません。そのため、いったん、冷 凍庫のなかでフナズシを桶ごと凍らし、それをノ コギリで半分に切り、型どりをおこないました。 フナズシの桶を半分に割った、冗談のようなこの レプリカにも、ちょっとした苦労話しがあるので す ( 写真 123 ) 。 く前野隆資さんの写真〉 この展示コーナーでは、伝統食のレプリカと同 時に、昭和 30 年頃の沖島の写真がたくさん使われ ており、当時の様子がわかるようになっています。 これらの写真は、大津市在住の写真家、前野隆資 さんが撮影されたものです。水道は、まだありま せん。必要な水は、朝の澄んだ琵琶湖の水を、天 秤桶で家の瓶まで運んで使っていました。洗濯や 洗い物、洗面や歯磨きにも、皆、琵琶湖の水を使っ ていました。このような貴重な写真があるからこ そ、伝統食をはぐくんでいた当時の暮らし全体を、 来館者はイメージできるのです。 く展示の完成と、ちょっと困ったこと〉 レプリカができあがると、全体のレイアウトを 考えなくてはいけません。どうしたら、全体とし てまとまった形になるのか、レプリカの担当スタッ フだけでなく、デザイナー、解説文をパネルにす るグラフィック担当スタッフ、そして展示台等を 作る造作担当のスタッフとも相談しながら具体的 . な作業をすすめていきました。たとえば、料理を 図 1 22 できあがったフナズシのレプリカ 肥料に乾燥したニシンをつかっていました。その なかでも、質のよいものは、料理にもつかわれて いたのです。しかし、昭和 30 年頃には、化学肥料 の登場によりニシンは肥料として使われなくなり、 献立としてもあまり登場しなくなっていたのです。 暮らしは、しだいに大きく変わりつつあったので す く熹まれたフナジス〉 この展示コーナーのなかに、おもしろいレプリ 力があります。フナズシの桶を半分に割って、 飯につかっているフナズシを見ることができるよ うにしたものです。このフナズシのレプリカをつ くるためには、フナズシをつけこんだ本物の桶が 必要になります。そこでレプリカ製作の半年前、 沖島の漁師さんに講師になっていただき、一桶っ けていただきました。見よう見まねで、私たち学 芸員も一緒に二桶つけました。つまり、三桶つけ たわけです。 それから半年。「そろそろ、レプリカの製作をは じめなくては」、そして「自分たちのつけたフナズ シの味見もしてみよう」と思っていたやさきのこ とです。ある朝、桶がなくなっていたのです。盗 まれてしまったのです。しかし、どういうわけか、 沖島の漁師さんにつけていただいた一桶だけが残 されていました。ただ、中身は半分だけぬきとら れていました。幸いにも、残った半分から型どり し、なんとかレプリカをつくることができました。 がっかりし、泥棒にたいして腹を立てたのも事実 なのですが、逆に、「半分だけ残すなんて、情けの ある泥棒ゃなー」と妙なところで感心もしてしま いました。今でも、なんとも複雑な気分です。 ー 51 ー
ー 075 物の 0 、 052 . ・ 図 20 メディアラボ 図 21 CD—ROM 事であり、未来につながっていく仕事という意味 いくことを目指しています。 例えば琵琶湖博物館では、映像を重視して静止 での重要性があります。 博物館では数多くの標本を集め、整理して使え 画と動画のコレクションを作ろうとしています。 るように収蔵しておき、必要にしたがってその標 昭和 30 年代の写真を持って、その写真が写ってい 本を使った研究がおこなわれ、また一般の人や研 る場所に行って話をきくと、その写っている人や 周囲の風景から、その写真が撮影された時代が思 究者の利用ができるようにしています。 いだされてきます。普段はもうすっかり忘れてい 特に博物館であっかう標本や資料には、昆虫や 植物の様な生物、化石や岩石から、民具、古文書、 ても、写真を見たことで、その写真のすみに写っ フィルムなどとその整理の方法も、保存の条件も ているモノを見たことで、いろいろなことが思い だされ、また大勢であれば、共通の話題ができこ まったく違うものがありますので、それぞれの資 とで、さらに多くの事が蘇ってきます。 1 枚の写 料、標本ごとに違った整理方法を取り、温度や湿 真には、その時代の人のくらしが封じ込められて 度条件を変えた収蔵庫に保管されています。 例えば 20 年ほど前に日本中に広がって話題になっ いるのです。 現在の写真には、現在のくらしが写しだされて たセイタカアワダチソウという植物があります。 います。各時代のさまざまな写真、静止画と動画 最初に日本に入ってきたのは明治時代で、種子交 を整理して利用することで、多くの情報を保存す 換で入ってきた株から逃げ出した物だといわれて ることができるのです。現在博物館内の情報利用 います。その後、特に目立つ事はなかったのです 室では、 70 時間分ほどの動画を選んで見ることが が、 1970 年代ころに急に日本中で目につくように なり、やがてあらゆる空き地がセイタカアワダチ できるようになっており、また 5 万枚を越える静 止画が CD - ROM に保存されており、近くこの静止 ソウで埋めつくされるかのような勢いとなりまし 画も検索して見ることができるようにする計画で た。当時、北九州から北上してきたといわれてい たのですが、本当の所はどうすれば分かるのでしょ す。 うか。この答えは簡単で、各地の博物館の収蔵庫 4 ) 資料整備保管 の標本を見て、その採集日を地図に落としていけ 博物館にはとても沢山の標本があるらしい、と ばいいはずです。 有名な例では、大英博物館の大量の水鳥の剥製 いうことはだれでも知っています。ひとつの標本 の羽に含まれている水銀の量を調べることで、世 は、ある時代にそのモノがあった、あるいはある 界の各地の時代を追った水銀量の増加がわかった、 生物がいた、という確実な証拠であり、またある という研究があります。また日本のブナの葉の大 生物はこういう形の生物である、というはっきり とした実例です。このようなモノを集めて、将来 きさは、場所によってずいぶん違うことは経験的 に残す、ということは博物館のひとつの大切な仕 に知られていたのですが、各地の収蔵庫のブナの 7
あげるテーマとしてはある意味で新しすぎる時代 子さま御成婚から美智子さま御成婚」という一世 でもあります。多くの歴史系博物館の学芸員が悩 代をさかのぼりながらたどり、そこで昭和 30 年代 んでいることのひとつに、近現代をどう表現する の農村のくらしの情景再現展示場面にタイプスリッ か、ということがあります。近現代はまだ歴史学 プしてしまいます。 的に評価の定まっていない、定説のない時代であ このような流れをとることで、「自分に直接かか り、その時代の出来事や物事をどう表現するのか わりのある」「自分が日常的に経験した」こと、あ という問題がここにはあります。 るいは自分の身の回りの人たちが経験したことを 確かに学問的にみると、歴史的に評価が定まっ きっかけとして、時代の変化を具体的に思いだし、 ていないかもしれませんが、近過去というのは今 あの時代の共通体験が引き出せないだろうか、そ 生きている多くの人びとが直接経験し、人生を歩 してできるなら、これからの水と人、自然とのか んできた時代でもあります。そこでの生活史や個 かわりを考えられないだろうか、と考えました。 人史を語り合わせることで、現代史のひとつのス トーリができるのではないだろうか、というのが ( 4 ) なぜ情景再現展示なのか ? 私たちの発想でした。 現在の環境問題は、私たち自身が、生産の効率 とはいえ、日常的に普通に経験していること、 性と生活の快適性、利便性を求めた結果ともいえ 過去の記憶などを、個人の意見として表現しても るものであり、このような社会動向の根底には、 らうのは意外とむずかしい。まして博物館ではい それを望む私たちの欲求、欲望があり、それは特 ろいろな知識を教えてもらい、お勉強をするとこ 定の精神文化を反映しているものでもあります。 ろと多くの人が思いこんでいるし、自分が何かを 精神文化を内面から表現することができるかどう 表現する、自分から何かを言うのではなく、何か か、それが次の課題となりました。昭和 30 年代、 を学んでいくところと思っている人が多い。そん 急速に変容した時代に私たちは何を思い、何を求 な中で、私たちは「あなたが経験したこと、あな めたのか、ある意味でそこに精神的なレベルでフィー たのお父さんやお母さん、おじいちゃん、おばあ ドバックすることが原点となるであろうと仮定し ちゃんが経験したことがが大切ではないかしら」 ました。その結果、今、そして将来を考えなおす と呼びかけ、それぞれの人生を振り返ってもらう のか、今が良いと判断するのか、それは来館者そ きっかけの場ができないか、という発想にたちま れぞれに考えてもらうことにしました。 した。そのためには何らかのとりつくシマが必要 そのためには、来館者自身に関心をもってもら だろうと。それがまず最初に紹介した「空からみ う必要があります。その関心の糸に触れるには、” た琵琶湖」と「びわこ 40 年」の展示です。多くの 心の表現 " にまでふみこむことが必要でしよう。 日本人が日常的に経験してきたモノと出来事を、「雅 多くの博物館が、生活を表現するのに、個別の生 図 1 03 ゴ工モンプロ 最初の出会い ( 平成 3 年 7 月 26 日 ) 図 104 東側からみる冨江家の全景 ( 平成 4 年 11 月 : 撮影 井口博之 ) ー 44 ー
13. ー琵琶湖の琵琶湖らしさを理解するために 6 . チチカカ湖 ( 南米大陸 ) 「世界の湖沼」展示ができるまで 琵琶湖同様、数百万年という時を経てきた「古 代湖」。固有種も多い。 「琵琶湖」について様々なテーマの展示をみて 水草を高度に利用する文化がある。 きた後で、最後に登場するのが「世界の湖」展示 です。各大陸から選ばれた 6 つの湖とともに 文献資料だけでは「生きた」展示はっくれない 、ヒ 琶湖も展示に加わっているのに気づかれたでしょ ので、学芸員が各湖を訪ねました。それぞれに苦 うか ? また、このコーナーで流れている 5 分ほど 労談やエピソードはあるのですが、ここでは私が のビデオでは、各湖の漁や食といったテーマが、 訪ねたチチカカ湖を中心にお話しましよう。 すべて同じタイミングで映し出されるようになっ 出発前にすることは情報収集です。文献を読み、 さまざまな人に会い、それぞれの湖の特徴や生活、 ています。このコーナーには、異なる環境や文化 現地の交通、輸送、治安、病気などあらゆる情報 をもっ湖と比べることで、琵琶湖の「らしさ」を を集めます。欧米は比較的順調に情報が集まりま 考えてほしいとの願いが込められています。展示 されている各湖は、次のような理由で選ばれまし すが、それ以外の場所は大変です。チチカカ組は まだましなほうで、アフリカ組は内戦・エボラ出 た 1 . 洞庭湖 ( 東アジア ) 血熱など恐ろしい情報ばかり飛び込んできます。 最後には、少しでもすごみをきかすためにと無 琵琶湖の魚や漁、食文化のルーツに近い 2 . バイカル湖 ( 東アジア・シベリア ) 精ヒゲをたくわえて、アフリカへと旅立っていき 琵琶湖同様、数百万年という時を経てきた「古 ました。 さて、チチカカ湖の場合、トトラ ( 水草の一種 ) 代湖」。固有種がきわめて多く、 の浮島にすむウロ族が有名です。さらに文献をあ 特異な生態系を持つ。 3 . ポーデン湖・レマン湖 ( ヨーロッパ ) たってみると、ウロ族以外の人々も重要な資源と して水草を利用しているようです。さらに 古くから人々の営みがあった湖。レマン湖は、 湖の固有種である魚達の多くは水草帯にすんでい 湖沼学発祥の地でもある。 4 . タンガニーカ湖 ( アフリカ大陸 ) ることがわかってきました。そこで、「水草」を展 示の中心に据えることにしました。資料の収集は 琵琶湖同様、数百万年という時を経てきた「古 学芸員がしますが、展示室で流すビデオ ( 5 分 ) 代湖」。固有種がきわめて多く、 と情報利用室で流すビデオ ( 20 ~ 40 分 ) の撮影は 特異な生態系を持つ。 5 . 五大湖 ( 北米大陸 ) プロにお願いします。どんな映像をつくりたいか を伝えるために、出発前に何度も打ち合わせを行 世界でも最大級の湖が集まっている。汚染と 環境の回復。移入種の問題もみられる。 いました。 図 132 石垣が組まれた段々畑 山の上まで続く段々畑 図 131 ー 57 ー
図 180 比良の植物観察会 図 181 比良の植物観察会 それに対してフィールドレポーターは、滋賀県 たようです。 「比良山の初夏の植物観察」 の各地から、定期的にいろいろな情報を寄せてい 比良山の植物だけにテーマをしぼった観察会で たがき、その内容を展示に生かしていくことで、 した。山頂で集合、初夏とはいうものの山の上は 滋賀県の各地で何が起こっているのか、自分のい まだ葉が開いたばかりの様子で、テキストにした る地域とどう違うのか、などが分かるようにした がって、コースで見られる植物を見ていきます。 いと思います。例えばこれまでと同じ様なタンポ カエデのなかまの葉の形と花の向き、フ。ナの木、 ポなどの生物の分布や開花などのテーマを決めて、 ツッジの仲間の花、エンレイソウやイチリンソウ 情報を寄せていただく月や、あるいはまったく自 などの花、キノコや野鳥なども話題になります。 由に身近な自然や暮しの情報をよせていただく月 こういう観察会では、下見をして話題にしよう もあります。またパソコン通信が得意な人には、 と思っていた生き物よりも、当日の参加者からの デジタルカメラで風景写真を撮影して、通信で写 舌題提供やその日に見つけたものの方が面白い場 真画像を博物館に送っていただき、その写真を県 合が多いのです。この日も予定していた以上にい 内各地の今日の風景として展示で見ていただくよ ろいろな物が見られ、楽しい観察会となりました。 うなことも考えています。県内の各地から風景写 コースの途中、展望のいいところで昼の弁当を食 真が毎日集ると、たとえば冬のある日には湖南地 べ、午後は登りとなります。最後は少しきつい登 域ではいい天気が続いているのに、湖北では雪が り道を上がって、スタート地点の山頂に戻りまし 積もっていることが分かり、滋賀県のくらしに影 た。少し早い時間に解散し、まっすぐに帰る人や 響を与えている自然の様子がよくわかるのではな もう少し近くを歩いてみるという人、それぞれ自 いかと思うのです。 由に行動します。 定期的な情報をまとめて、レポーター間のニュー 植物をテーマとした観察会では、女性の参加が スレターとして発行し、また年に 1 回ぐらいは全 多いのが一般的です。この日も家族連れが何組か 体の総会を開いてレポーター間の情報交流もして と、女性のグループ参加が目立ちました。 いきたいと考えています。 d フィールドレポーター こういう制度を 1997 年の春から始める予定です。 琵琶湖博物館では、フィールドレポーターとい e ボランティア活動 う制度を始めます。これはいわば博物館への固定 博物館でボランティア活動をする、これは現在 の情報提供者のことです。これまでいろいろな参 の最高の余暇利用法ではないでしようか。先年の 加型調査を行ってきましたが、これはその都度に 大地震をきっかけにしてボランティア制度が市民 参加者をつのり、県下全域でできるだけ大勢で一 権を得たようにいわれていますが、博物館でボラ 斉に調査をすることで、新しい成果を上げようと ンティアが活躍するようになったのは、それほど してきたものです。 最近のことではありません。 一三ロ ー 80 -