図 7 神奈川県植物誌 図 8 神奈川県植物誌 います。調査会がスタートしたのは昭和 54 年でし 果たすことができますし、この様な研究の方法は おそらく博物館に最もふさわしい研究だと思いま た。まず植物誌をつくろうと広く県民に呼び掛け、 集まった人達の勉強会が始まります。参加者には す。 植物の名前等まったく知らない人も、当然ながら 琵琶湖博物館では、この様な一般の情報を大規 含まれています。県立博物館、川崎市博物館、平 模に持ち寄って行う研究を、博物館の研究の体系 塚市博物館が中心になり、植物の見分けかたの勉 の中に位置付けて行ってきました。 1993 年にタン ポポの分布調査を行いましたが、その後も毎年、 強会を始めながら県内を 108 の区域に分け、個々の 区域の担当者を決めて、区域ごとに標本採集をし 生物、人のくらし、環境に関わる参加型の研究調 査を行っています。 ながら区域ごとのリストを作っていきます。 そういう作業の途中にも、難しい植物群ごとに また研究者が一生かかってもできないような研 その植物の専門家を呼んで見分けかたの勉強会が 究を博物館の参加型調査で行った例もあります。 繰り返され、 9 年後には、厚さ 18 センチという立 ある地域にいる全ての植物のリスト ( 植物誌・ 派な本として植物誌がまとめられました。最初に フロラ ) 、あるいは動物のリスト ( 動物誌、昆虫誌 画期的と書いたように、まったく植物のことを知 など・ファウナ ) などを作るのは、その地域を考 らない人も含めて勉強をしながら作ったことだけ えるためにも、あるいは生物の分布や進化を考え ではなく、 108 の区域ごとにどういう環境に生息し るためにも非常に重要な仕事です。これらのリス トを作る際に、分布の証拠として標本を必ず採集 ている植物なのかを明記し、また全てのデーター し、博物館などに保管しておきます。 は証拠標本として博物館の収蔵庫に保管がされて 神奈川県では植物誌を作るために、県内の幾つ いるということです。数名の専門家がその一生を かけて作るのが慣例であった仕事を、専門家の指 かの博物館が協力をして、画期的な成果を上げて 図 10 関西淡水動物談話会の調査 図 9 水草研究会の調査 3
頼関係が重要でした。中国の魚の多くは、武漢に 全国の水族館関係者や一般の研究者の方々にお世 あるこの水生生物研究所が収集してくれたもので、 話になりました。琵琶湖内の生物は、多くの漁師 3 回にわたり滋賀県に運ぶことができました。今 さんにお願いして捕れた魚の中から分けていただ ではこれらの魚たちの 2 世が大きく育ち、展示水 くことができました。収集の過程で、ビワコオオ 槽で泳いでいます。 ナマズや巨大なコイなどのように採ろうと思って 収集飼育の過程では、さまざまなエピソードが も採ることが難しい魚などは、漁師さんの方から 生まれました。例えば、北海道の阿寒湖ヘイトウ わざわざ連絡がありいただきに行くということが というサケ科の魚をいただきに行ったとき、早朝 何度もありました。また、外国産の魚を含めて、 かなりの魚たちを他の水族館からいただくことが にこちらを出発し釧路空港に着くと現地では大地 できました。これは、日本国内の水族館同士の連 震が発生して釧路から阿寒湖までの道路が寸断さ れ、波打っ道路を見ながら何時間もかかってやっ 携が緊密で、お互いに助け合うという関係ができ あがっているからです。さらに、国外産の淡水魚 と現地までたどり着くことができたということが ありました。また、苦労して運んだ魚を、治療す は、最近の熱帯魚ブームのお陰で特殊なものを除 る薬の使用時間を少し間違えたために全て殺して いて専門の観賞魚専門店から購入できました。た しまうという大きなミスも犯してしまいました。 だ、中国の淡水魚につては、日本にはほとんど入っ 以上のように、多くの人々の協力と善意に支え てはおらず、中国の研究機関に直接お願いして収 集飼育してもらい、職員が取りに行くことになり られながら琵琶湖博物館の水族はなんとか計画通 ました。これには、顧問や理事員として博物館作 り大きな問題もなく収集することができました。 ただ、当初予定していた鳥類のカイップリについ りに取り組んでいただいた故三浦泰三さんが長く ては、環境庁の許可をいただき採補し展示する予 培ってこられた中国科学院水生生物研究所との信 定でしたが、まだ実現するにはいたっていません。 今後とも展示できるよう努力を続ける予定です。 ( 藤岡康弘 ) 収集数 展示数 53 , 782 31 , 303 国内産淡水魚 国外産淡水魚 軟 体動 物 生 類 両 殻 類 甲 爬 虫 類 昆 虫 類 類 環形・海綿動物 計 展示水族の収集計画 図 143 2 , 514 4 , 014 1 , 085 1 , 780 120 220 1 , 210 2 , 380 26 1 30 70 0 ー豊ーカ : 宮エネルギ - 望を水一 1 4 4 40 60 図 142 琵琶湖文化館から博物館への水族の輸送 36 , 332 62 , 341 ー 64 ー
身近に見られないものが分かりやすく展示触れ ジ ( アンケートにあった言葉 ) 博物館のイメー る調べる知る楽しみ充足感近代的好き しゃれたおみやげ趣味的重厚知らないも 展示物 のがある静かで落ちついている不思議楽し アケボノゾウ アートアンモナイト石ア いところ知恵の宝庫知識のでんど一知的 黄金大きい箱遺物新しい ユオノレゴーノレ 知的な面白さのんびりした空気がただような 物大昔の農器具遺跡工芸古代の生物ギ っかしいなんでもあるナマズのぬいぐるみが リシャの彫刻貴重な物考古学科学恐竜 かわいいまじめ未知の世界見たいロマン 恐竜の化石化石カイッフ。リ胡宮鉱物鉱 石骨董品古文書研究のための参考資料古 チック 代史の資料甲虫類の化石貝の化石古代の生 イメージ ( マイナス ) 活用具古美術骨格標本刀掛軸出土品 いついっても置いてあるものがかわらない 植物資料ゾウやワニの化石生物魚サン 度は来てみたいがそう何度も来ることがないとこ ショウウォ石器石像情報水族館水生植 ろあまり面白くないところー部の人がいくと 物写真水中トンネル実物生物群史祖鳥 ころお蔵入りと博物館行き薄暗い談合あ マンモスの骨格ゾウの模型産物の紹介水 まりなじみがない重々しい陰気大きな声で 槽書籍史料シガゾウの化石世界の民族の 舌せないおもしろそうでないと行かない多く 生活用具人類の起源ジオラマ人骨何でも のちゃちな展示歩きくたびれる私みたいなも ある年代物ナマズナウマンゾウ乗り物 のでもいっていいのかなあ笑えないややこし 年表焼ものヨシミイラ歴史レプリカ い堅苦しい暗いかたいかびくさいくた 宝宝箱動植物の標本生態系動物地層 びれる子供を静かにさせなければならない所 土地利用陳列品と解説鳥銅鐸地球から宇 子供連れではいけないところ気楽に入りにくい 宙まで体験コーナー道具土器動物骨格 ところカビかすかなカビくささガランとし 動物化石動物剥製地域の特徴大理石地球 ている解説が多い解説を読むのに時間がかか の遺産茶つぼ陶器地図彫刻ビワコナ る車で行かなければならないコンクリ マズ剥製古いもの発掘品はにわ標本 記憶にのこらない係員が感じ悪い来る人の質 ビデオテレビ文化財琵琶湖仏像服飾品 が悪いつまらない手でふれられない近寄り 古いガラス骨美術品飛行機プランクトン がたい展示物の匂い冷たい楽しくないっ 復元物本昔懐かしい資料見たものがある かれるたいくっ地味体験的要素が少ない ところ森モニュメント珍しい物水虫 遠い閉ざされているテーマがない鉄さく静 模型丸子船マンモス ニチュア民芸 かしけくさい静かすぎるしめっぽい少し 距離がある実生活と別世界食事が粗末で高い イメージ ( プラス ) 損をした印象が残るじめじめしているすす 新たな発見の場いつでもいたい落ちついた んで行こうと思わない雑多な品々仕事をして ところ大きい新しい発見おどろき安い いる人はほとんど行けない写真がとれない専 面白いワクワクする分かりやすい優雅ゆっ 門的まじめ難しいマンネリ化難しいし分 たり快い音楽貴重な遺産格調高い興味 かりにくい町中にない見るだけめったに行 きれい感動心静か心落ちっく近代的開 かないマイナーマナーがない古い古臭い 放的くらいイメージ ( まじめ、難しい ) から明 入りにくい古めかしいほこりがかぶってい るいイメージ ( 楽しむところ ) に変化している る古臭いものがおいてある雰囲気が悪いほ 好奇心高尚な学究的子供に見せたいびっ こりっぽい感じ人がすくない人がいない 触 くり始めての出会い物知り物知り館珍し い感動胸のときめき文化に一役広い普段 れられない平面的ほこり人ごみひっそり 一三ロ
18. 故河野光子博士のカワゲラ類標本などの受贈 博物館が果たしているさまざまな役割のうち、 地味ですが生物学の研究にとって重要なのは、模 式標本など研究の比較基準になる標本を保管して 研究者に利用してもらう、という役割です。 に紹介する故河野光子博士の標本は、一見すると ちっぽけな虫の古びた標本ですが、この意味では とても価値の高い標本です。 河野光子博士は大正 5 年 ( 1916 年 ) に福島県会 津若松の造り酒屋に生まれました。女学校の頃か ら昆虫採集に熱中し、東京女子高等師範学校 ( 現 在のお茶の水女子大学 ) 入学の頃からカワゲラ類 という川や湖にすむ虫について論文を書き始めま した。そして、戦中戦後の研究環境の悪かった時 代に、カワゲラ類のアマチュア研究者として精力 的にたくさん論文を発表しました。河野博士のカ ワゲラ類研究の成果のうち、最も重要なのは 30 数 種に及ぶ新種を見つけたことです。また、たくさ んの種のカワゲラ類幼虫を飼育羽化させて、幼虫 と成虫の関係を明らかにしました。現在、日本産 カワゲラ類幼虫の名前がほぼわかるのは、基本的 にはこの河野博士の研究成果によるものです。 家業の酒造業を継がれた河野博士は、晩年には その関係のお仕事が忙しくなり、自宅に保管して おられたカワゲラ類標本を整理しきれなくなった ようです。そのため、比較のため標本の一部を見 せてほしいという内外の研究者からの依頼に答え られなくなっていました。自身の標本の価値をよ く理解しておられた博士は、さぞや心苦しい思い をされていたことでしよう。 河野博士は平成 4 年 ( 1992 年 ) に 76 才で亡くな りました。生前から博士の指導を受けていた琵琶 湖博物館の内田は、ご子息の河野俊輔氏 ( 現此花 酒造株式会社社長 ) を訪ね、博士のカワゲラ類標 本の今後の保管について相談しました。その結果 博士の遺品のうち、標本、研究ノート、研究関係 書籍などカワゲラ類研究に関する資料は、俊輔氏 のご好意で琵琶湖博物館に寄贈していただき、博 士の研究を詳しく知る内田が整理にあたることに なりました。現在これら資料の大部分は、琵琶湖 博物館に移され、整理が続けられています。重要 な標本については、すでに研究者に公開され、成 果が発表され始めました。 ここで、こんな古い標本がどのように研究に役 立つのか説明しておきましよう。例えば、河野博 士が新種として見つけたキべリオスェダオカワゲ ラという虫がいます。この虫は、本州各地の川に すみ、ほかの似た種からはっきり区別できること になっています。しかし、最近の研究では、キべ リオスェダオカワゲラはひとつの種ではなく、い くっかの種の寄せ集めである可能性が出てきまし た。もしいくつかの種であるとすると、それらに 名前をつけ直さなければなりません。キべリオス ェダオカワゲラの学名 ( ラテン語をもとにした国 際的な生物の名前 ) は、 Caroperlapacifica といい ますが、国際動物命名規約 ( 動物の学名を定める ための研究者間の国際的なとりきめ ) に従うと、 これらのうち 1 種がこのキべリオスェダオカワゲ ラの学名を引き継ぐことになります。 問題はこの 1 種をどうやって選ぶかです。命名 規約によれば、河野博士がキべリオスェダオカワ ゲラを最初に発表したときに使った標本が、新し い考え方でどの種にあたるか、で選びます。この ような標本は「模式標本」と呼ばれ、生物の学名 を国際的に安定して定めるために、とても大切な ものです。 内田は琵琶湖博物館に移されたキべリオスェダ オカワゲラの模式標本を使って、このなかまのカ ワゲラに名前をつけ直す研究を始めたところです。 このほかにも河野博士の標本はいろいろな研究に ( 内田臣一 ) 役立ちそうです。これからの成果にご期待くださ し、 図 150 フタッメカワゲラ属の幼虫 ( 河野博士 1937 年の論文より ) ー 68 ー
ています。ハンノキやヤナギの木は、大津市真野 佐川で採集した本物です。樹木の葉や草本類は、 シルク製の樹脂でできています。本物の植物を葉、 茎、実などの部分にわけて型をとり、樹脂を流し 込んで成形し、色付けした後、部分を組み立てま す。植物の場合、季節に左右されるため、計画的 に敏速に採取しないと製作に何年も歳月を費やし てしまうことになります。 ジオラマの組立 展示物が完成したら、いよいよ、展示室での組 立にとりかかります。まず、壁面に背景画を描き ます。次に大物の樹木やゾウ、流木を配置し、地 面をつくります。地面が固まると、樹木に枝や葉 を取り付け、水辺や陸地に草本類を植えた後、樹 脂を流し込んで水面をつくります。植物を自然な 図 63 メタセコイアのレプリカの仮組み ( 野外にて ) 姿に整えて、落ち葉をまいて樹脂で固めた後、最 仕事をしてきたわけではありませんでした。です 後に照明や音響装置の調整が行われて、ハイ ! 出 から展示をつくるためには、展示のテーマに関連 来上がり。 して調査・研究をしている人の協力を得たり、あ ジオラマの源 るいは新たに資料の収集・調査を行うことが必要 ジオラマは、 1 つの展示で多くの情報を一度に です。 A 展示室の「博物館の地下をさぐる」とい 伝えることができますが、これを製作するために う展示は、この展示をつくることを第一の目的と は、多くの基礎的な情報が必要となります。「ゾウ しておこなわれた資料収集・調査研究のようすや のいた森」のジオラマは、琵琶湖周辺地域から発 その成果を紹介しています。 見されてきた化石をはじめ、野洲川の河原で発見 烏丸地区深層ボーリング調査団 されたゾウやシカの足跡化石や愛知川の河床から 「博物館の地下をさぐる」という展示の基礎資 姿を現したメタセコイアなどの化石林の調査の結 料の収集と同時に琵琶湖の古環境復元と環境の変 果から、当時の湖の様子や動物相や植物相が究明 遷を明らかにする目的で、烏丸半島の琵琶湖博物 され、これらをもとにしてつくられたものです。 館の建設予定地で、深さ 1000 メートルに及ぶボー ( 木田千代美 ) リング調査が計画されました。ボーリング掘削は 1992 年の 1 月 7 日から 9 月 28 日の 9 ヶ月をかけて 4 . 博物館の地下をさぐる 行われました。 博物館の展示をつくる ボーリングによって地下から引き上げれれた円 博物館の展示は、いろいろなデータにもとづい 柱状の地層 ( コア ) は、過去の様子を記録したビ てつくられています。言い換えれば、資料を収集 デオテープのようなものです。このビデオテープ したり、調査・研究した成果を紹介するひとつの を再生するために烏丸地区深層ボーリング調査団 場所として、展示があります。すでにあった博物 が組織され、層序学、堆積学、火山灰層序学、古 館の展示をつくりかえる場合は、学芸員がそれま 地磁気学、地球物理学、地球年代学、同位体地球 でに収集したり、調査・研究した成果にもとづく 科学、有機地球化学、無機地球化学、地球物理学、 ことができます。しかし、琵琶湖博物館は新しく 古生物学などの専門家によって、コアが研究され っくられた博物館です。したがって、そこで働く ました。作業には多数の大学院生の協力があった 学芸員も新たに採用されました。そのような学芸 ことはいうまでもありません。そんな院生の中に 員の多くは、それまで博物館のテーマを意識して は博物館の職員になった人もいます。 ー 28 -
ー 075 物の 0 、 052 . ・ 図 20 メディアラボ 図 21 CD—ROM 事であり、未来につながっていく仕事という意味 いくことを目指しています。 例えば琵琶湖博物館では、映像を重視して静止 での重要性があります。 博物館では数多くの標本を集め、整理して使え 画と動画のコレクションを作ろうとしています。 るように収蔵しておき、必要にしたがってその標 昭和 30 年代の写真を持って、その写真が写ってい 本を使った研究がおこなわれ、また一般の人や研 る場所に行って話をきくと、その写っている人や 周囲の風景から、その写真が撮影された時代が思 究者の利用ができるようにしています。 いだされてきます。普段はもうすっかり忘れてい 特に博物館であっかう標本や資料には、昆虫や 植物の様な生物、化石や岩石から、民具、古文書、 ても、写真を見たことで、その写真のすみに写っ フィルムなどとその整理の方法も、保存の条件も ているモノを見たことで、いろいろなことが思い だされ、また大勢であれば、共通の話題ができこ まったく違うものがありますので、それぞれの資 とで、さらに多くの事が蘇ってきます。 1 枚の写 料、標本ごとに違った整理方法を取り、温度や湿 真には、その時代の人のくらしが封じ込められて 度条件を変えた収蔵庫に保管されています。 例えば 20 年ほど前に日本中に広がって話題になっ いるのです。 現在の写真には、現在のくらしが写しだされて たセイタカアワダチソウという植物があります。 います。各時代のさまざまな写真、静止画と動画 最初に日本に入ってきたのは明治時代で、種子交 を整理して利用することで、多くの情報を保存す 換で入ってきた株から逃げ出した物だといわれて ることができるのです。現在博物館内の情報利用 います。その後、特に目立つ事はなかったのです 室では、 70 時間分ほどの動画を選んで見ることが が、 1970 年代ころに急に日本中で目につくように なり、やがてあらゆる空き地がセイタカアワダチ できるようになっており、また 5 万枚を越える静 止画が CD - ROM に保存されており、近くこの静止 ソウで埋めつくされるかのような勢いとなりまし 画も検索して見ることができるようにする計画で た。当時、北九州から北上してきたといわれてい たのですが、本当の所はどうすれば分かるのでしょ す。 うか。この答えは簡単で、各地の博物館の収蔵庫 4 ) 資料整備保管 の標本を見て、その採集日を地図に落としていけ 博物館にはとても沢山の標本があるらしい、と ばいいはずです。 有名な例では、大英博物館の大量の水鳥の剥製 いうことはだれでも知っています。ひとつの標本 の羽に含まれている水銀の量を調べることで、世 は、ある時代にそのモノがあった、あるいはある 界の各地の時代を追った水銀量の増加がわかった、 生物がいた、という確実な証拠であり、またある という研究があります。また日本のブナの葉の大 生物はこういう形の生物である、というはっきり とした実例です。このようなモノを集めて、将来 きさは、場所によってずいぶん違うことは経験的 に残す、ということは博物館のひとつの大切な仕 に知られていたのですが、各地の収蔵庫のブナの 7
る部分もありますが、それでは前向きな、あるい は発展的な活動はできません。生物が絶えず栄養 を得て成長して行くように、博物館は学芸員自身 の研究の成果によって生長・発展し、情報発信を することができるのです。では博物館の研究には どのようなやり方があるのでしようか。 1 学芸員の専門的な研究 博物館の専門職員のことを学芸員と呼びますが、 4 ヨ【コ 子云貝はそれぞれ自分の専門の分野があって研究 をしています。 例えば琵琶湖博物館で一番若い宮本真二さんの 図 4 研究報告書 専門分野は、自然地理学です。植物花粉のカラは 立っているのかを調べようとする研究で、化学分 堅くて、化石として残りやすいものです。そこで 析を行うことによって、炭水化物、窒素、リン等 地中の花粉化石を地層にそって掘出し、時代ごと が湖の水の中の食物網で、どの様に生物に利用さ にどんな植物の花粉が出てくるかを調べると。時 れているかを調べます。そういう結果から湖の生 代ごとにどういう植物が多く、どういう種類の森 態系の成り立ちや調節の仕組を知ろうということ があったのか、などがわかります。この様な方法 です。 を使って過去 200 万年ほどの間の各地の環境の変化 博物館では、学芸員が自分の専門のテーマで研 を調べるのが現在の研究テーマです。 究をし、また博物館内外の研究者との共同研究や また、次に若い芳賀裕樹さんの専門分野は陸水 総合研究などに参加して研究を行っています。 化学です。湖の生態系がどの様なバランスで成り 2 参加型研究 研究と言う言葉は難しくて専門家でなくてはで ~ 身のまわりの自然みんなで調べてみませんか ~ きないような印象があるかも知れませんが、地域 タンポポの花を送ってください のさまざまな情報を集めることで研究が行われる 県立琵琶湖博物館開設準備室では、県民の皆さんに参加をしていただいて、滋 とすれば、地域に住んでいる人々が情報を持ち寄 賀県下の各地でタンポポを使。て自然の様子を調べ、展示にもその結果を使わせ ていただこうと考えています。タンポポからみた身の回りの自然を、い。しょに り、情報交換をし、情報整理をすることで新しい 調べてみませんか。 タンポポはだれもがよく知。ている植物ですが、滋賀県下には、 6 種類のタン スタイルの研究ができます。まして多数の人々が ポポカ現られます。そのうち 4 種類はもともと日本にあ。た在来種 ( カンサイタ 広い範囲から情報を持ち寄れば、数名の研究者で ンポポ、セイタカタンポポ、シロバナタンポポ、ケンザキタンポポ ) で、 2 種類 が外国から日本にはい。てきた帰化種 ( セイヨウタンポポ、アカミタンポポ ) で はまったくできないような、広範囲の、またある す。在来種と帰化種の区別は簡単にできます。うらの図のように、花を包んでい 短期間の情報を得ることができます。そして博物 る総ほうという部分が、在来種ではま。すぐで、帰化種では外がわにまがってい ます。 館はそのような情報が集まるセンター的な役割を 在来種は、田畑のあぜや堤防などいつも少しずつ人手が加わるような場所が好 きです。帰化種は、町の公園や道路わきのような少し乾燥した、人手が強く入。 た場所に生えています。ですから、どちらのタンポポがはえているかで、その場 所の自然のようすを知ることができます。 調査方法 : 外にでたときにタンポポを見つけたら、花かつほみの部分をつみと。 てください。そのタンポポを持ち帰り、ティッシ、ペー , ヾーでつつみ、このチラ シの記入事項を書いた後、切り取。て封筒を作り、人れて送。てください。博物 館準備室で送られた資料を整理します。資料を送。ていただいた方には、結果が まとまりしだい、報告の冊子をお送りします。 調査期間 : 平成 5 年 4 月 1 5 日 ~ 5 月 3 1 日 送り先 : 520 大津市京町 4 丁目 1 番 1 号 滋賀県教育委員会事務局 ( 仮称 ) 琵琶湖博物館開設準備室 タンポポ調査係 電話 0775-27- 07 図 6 タンポポデーターの入力 物究 3 琵琶湖情物館聞設準 研究調設報告 ノ / / 図 5 調査募集のチラシ 2
15. 『水族飼育係の 1 日』はこ うだよ 水族の飼育係は、来館者のみ なさんに展示水槽の魚類を快適 に見ていただけるよう裏側 ( バッ クャード ) で毎日いろいろな仕 事を行っています。ここでは日 頃みなさんが見ることのできな い水族飼育の裏方を『水族飼育 係の 1 日』と題してかいつまん で紹介しましよう。 飼育係の仕事は大きく分けて ( 1 ) 飼育水の管理と ( 2 ) 水 槽の管理、および ( 4 ) 生物の 管理に分けられます。 ( 1 ) 飼育水の管理 魚類をはじめとする水生生物 が健康に過ごせるかどうかは、 図 1 39 水族遅速ろかシステム その大元である飼育水の水質や 水温の管理がうまくいくかどうかで 90 パーセント 以上が決まります。そのため、展示水槽のバック ャードには、飼育水を管理するための機器類や濾 過槽などが設置されています。飼育係は水槽の底 の砂を洗ったり、濾過槽を洗ったり、水温の制御 やポンプなどの機器が正常に動いているかなど絶 えず目を光らせています。特に濾過槽の掃除は、 飼育係の仕事の中では一番大変な仕事の一つです。 ( 2 ) 水槽の管理 展示水槽内の生物を来館者のみなさんに快適に みて頂くために、飼育係は絶えず水槽のガラス面 や壁面等の掃除をしたり、前日の餌の残りや死魚 がいないかなど点検を行っています。こうした点 検は、通常博物館の開館前の短い時間に行ってい ます。ただし、掃除は場合により開館時間中に行 うこともありますので、みなさんの中には、ウェッ トスーツで身をつつみ、アクアラングを背負った 飼育係が水槽を潜っている姿を見かけたことのあ る方もおられるかも知れません。この掃除も、夏 はそれほどでもありませんが、冬期は水温が低下 するためかなりきつい作業です。 展示水 排水口 下部循環 排水口 熱交換機 逆洗排水 ( 汚水回収槽へ ) 冷・温水 緩速濾過槽 ( 重力式濾過 ) 濾材 ポンプ 琵琶湖水 ( 濾過湖水 ) ′ 0 0 0 水族飼育の仕事 ( 安川 図 140 浩史・画 ) ー 62 ー
9 月 ] 5 日 9 月 23 日 ヒガンバナの開花情報 ( ・は開花地点 ) 図 1 74 よせられたヒガンバナ開花情報 が、この年は新潟や徳島の方からの情報もいただ だいています。今年 ( 1997 ) の春には、「春をさが いており、それほどはっきりした時間差とも思え してみませんか」という調査をおこない、毎日の ませんでした。 調査の結果を企画展示「博物館ができるまで」の 10 月中旬に、その荒い結果を図に書いて、調査 中でみていただくことを計画しています。 参加者にお返しして、なぜこういう結果になった b 研究会への参加 のかを考えていただけませんか、という問い合せ 化石のことを勉強してみたい、水草について知 をしました。それに対しても多くの方からの意見 りたい、 トンボやチョウについて勉強したい、そ が集りましたが、なぜ彼岸のころに一せいに咲き んなことを博物館に相談すると、それぞれのテー 始めるのかはもうひとつ結論はでていません。た マで集っている研究会などを紹介してもらえるか だ地温が関係するのだろうということが推測でき もしれません。そういう研究会には博物館の学芸 ますので、それを意識して観察すればある程度の 員や滋賀県内外の大学の先生や教員、あるいは大 ことは言えるだろう、というところまでいって、 学の先生以上に実力のあるアマチュアの研究者、 後はこれからの宿題となりました。 勉強を始めたばかりのひと、本当に様々な人が集っ 琵琶湖博物館ではこの様な生物やくらしに関し ていっしょに勉強をしています。 てごく足下を見直すような調査を毎年行い、結果 こういう研究会のよさは、現場へ出て資料収集 をまとめながら、成果を展示にもっかわせていた をしていることと、ほぼ理想的なマンツーマンの ヒガンバナ開花日 ( 1 995 年 9 月 ) 指導を受けることができることでしよう。そのよ うな研究会のひとつ、「ため池研究会」を紹介しま しよう。 滋賀県には現在、 2080 余りのため池があるそう です。ため池は農耕にともなう水不足を解消する ために人が作った池であり、もとからあった自然 の池ではありませんが、田んぼや畑の利用にとも ない、農村的な環境の中で、多様な生物がくらす 場となっています。このため池にはまたため池に 特有の水草や昆虫などが見られますが、圃場整備 や農業形態の変化を受けて、ため池の必要性が薄 れ、ため池の生物が変化し、利用の仕方も変って 9 月 80 日 1 80 1 60 140 120 1 00 件 数 80 60 40 20 5 3 8 6 日 図 175 ヒガンバナ開花日 ー 78 ー
5 琵琶湖博物館の楽しみかた 1 ) 博物館に参加する 琵琶湖博物館は「参加型」の博物館です。博物 館の活動のどんな場面でも、利用する人が意見を 出し、事業に参加して、一緒に博物館を作ってい くような、そんな博物館にしたいと考えて作られ ています。展示も、研究も、資料収集も、日常の 事業にも、さまざまに参加の方法があります。そ のような博物館に参加するいくっかの例をあげて みましよう。あなたも参加をしてみませんか。 a 参加型調査 参加型の調査として生物を中心としたタンポポ、 アオマッムシ、カタッムリ、ヒガンバナなど、く らしを中心として、水辺の遊び、水環境カルテな どの調査が多くの方々の協力で行われていますが、 1985 年の秋のヒガンバナ調査を紹介しましよう。 調査の目的は、ヒガンバナには開花前線はある のか、ということです。サクラの場合には 4 月前 後には暖かい地方から順にサクラが咲き始め、沖 縄から北海道まで 2 カ月以上の時間をかけて咲き 続けています。滋賀県内でも、大津市内で咲き始 めてから、海津大崎が咲き始めるまでの間には 2 週間程の時間がかかります。秋の花であるヒガン バナは彼岸に一斉に咲き始めるといわれています が、本当だろうか、秋の花なので、北から降りて くるような開花前線はないのだろうか、というこ とを調べようとしたのです。 願いしました。 ができるハガキをお送りして、調査への参加をお のチラシと返送用の調査内容を直接に書込むこと アオマッムシ、カタッムリ ) の参加者には、同様 れまでやってきた生物系の参加型調査 ( タンポポ、 公民館などに配付しておいていただくと共に ようにしました。このチオラシを県内の図書館や 旨と調査内容、記録してもらう内容などが分かる 8 月の中旬には依頼のチラシを作り、調査の主 けです。 らい、その日付を地図に落としていこうというわ スなどで、ヒガンバナが咲きだした日を教えても までの通勤の道や、いつもの買物の道、散歩コー 調査の方法は簡単で、毎日あるいている道、駅 琵琶湖博物館準備室の「身近な生き物調査」にご協力ください ヒガンバナの開花日を いっしょに調べませんか 琵琶湖博物館準備室では、今年の 9 月にヒガンバナの開花日の調査を行います。 家や職場などの近くでヒガンパナが咲く場所があれば、今年、咲いているのに初めて気が ついた日を教えてください。 【調査の目的】 ヒガンバナは秋の彼岸の頃にいっせいに咲くといわれています。でもほかの花、たとえば サクラの開花日は、南の大津と北の海津では約 1 か月のずれがあります。そこで琵湖博物 館準備室では、ヒガンパナにも「サクラ前線」にあたるような開花日のずれが見られるかど うかを、県内の多くの方のご協力を得て、調べたいと思います。 調査の結果がまとまりしだい、調査に協力していただいた方には結果をお知らせし、ま た現在準備中の ( 仮称 ) 琵琶湖博物館の展示の中でも使わせていただく予定です。 【調査の方法】 1 ) 毎日歩いている道すじなどで、ヒガンバナの花が咲いているのにはじめて気がついた日、 場所 ( わかれば市町村字名まで ) 、咲いていた場所の様子 ( 1. 田んほのあぜ 2. 道ばた 3. 川や水路の土手 4. 林の積 5. その他 ) を記録して下さい。 2 ) ヒガンバナの集団の大きさと、咲いている様子を見て下さい。 ( 例・ 30 株はどあって、一部が咲き始めている、など ) 3 ) ヒガンバナの別名、言い伝え、思い出などを自由に書いて下さい。 4 ) 調査していただいた方のお名前、ご住所、年齢を書いて、琵琶湖博物館準備室まで送っ て下さい。手紙、葉を、ファックスなど、どの方法でもかまいません。 つはみ 【調査期間】 520 大津市打出浜国・ 【送り先・問い合せ先】 平成 7 年 9 月一日 咲きはじめ 9 月 3 0 日 満開 昆琶閹博物館開設準備室ヒガンパナ調査係 ( 担当者 : 布谷 ) Tel 0775-27 ヨ 405 Fax 0775-27 ヨ 410 図 172 ヒガンバナ調査依頼用紙 9 月 3 日には、博物館準備室のすぐ近くの大津 市農協の方から電話があり、大津市穴太で満開に なって咲いているという情報が最初の報告でした。 それからは少しずっ電話や葉書、封筒が届くよう になり、 10 月 10 日ごろにようやく終了。およそ 1800 人の方からの報告をいただきました。 調査の結果は、開花前線はまったくなし、とい う結論です。実は日本列島全体で見ると開花前線 はあると書いてある文献も見つけてあったのです 図 173 4 ヒガンバナの花 ー 77 ー