野外博物館 - みる会図書館


検索対象: 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし
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1. 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし

3 章は、若い研究者たちが、農村文化研究所という民間の研究所により集まって、民間の博物 館を核として地域を活性化させるためのディテ 1 ルを試みた共同研究の一班である。 4 章は、知的レクリエ】ション施設として位置づけた、特異な県立博物館の構想と、その実現 についての綿密な紹介である。 5 章は、都市、ことに東京下町の地域おこしをめざした博物館のありようと、都市に適した新 しい展示手法の提案と実験例である。 6 章は、ダム水没集落による新集落の形成と、その活性化のための博物館建設に伴う問題点と、 将来の課題についての提言である。 7 章は、高原地帯の平凡な町が、その自然環境と歴史的景観をいかして、町全体を野外博物館 として地域を活性化させる構想と、推進のプロセスである。 8 章は、生活環境博物館構想の視点から、地域おこしと博物館の関係とそのあり方を、実例を あげて論じたものである。 以上のような構成であるため、全体として統一を欠く点も見られぬことはない。叙述方法もそ れぞれ異なり、時に思い入れがあり、時に淡淡たる語りであり、ある者は冷静な目での観察であ り、指摘であり、提言であり、またある者は学術的な論考でもある。かようにバラエティに富ん 3

2. 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし

次 7 マ博物館の整備 / ▽観光施設としての博物館 マ博物館と地域の問題 マまちづくりと博物館 / 5 中世吉備の荘 5 平凡なまちの活性化 マ中世の野外博物館ができないものか / マモザイク会議と学習会 マリーディングプロジェクト「中世吉備の荘」 / 叫 マかたちが見えはじめての不安 / 神崎宣武

3. 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし

〈引用及び参考文献〉掲載順 『二〇〇〇年の千葉県』 ( 千葉県 ) 一九八五年 『全国市町村要覧』 ( 第一法規出版株式会社 ) 一九八八年 『千葉県立房総のむら年報 1 』一九八七年 『千葉県立房総のむら年報 2 』一九八八年 『千葉県立房総のむら年報 3 』一九八九年 『博物館研究』 ( 財日本博物館協会 ) 一九八九年 『博物館調査報告」 ( 助日本博物館協会 ) 一九八六年 『千葉県統計年鑑』一九八九年 『民俗展示の構造化に関する総合的研究』一九八八年 『野外博物館総覧』 ( 助日本博物館協会 ) 一九七八年 『現代博物館論』 ( 暁印書館 ) 一九八五年 738

4. 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし

はじめに 「博物館」というものが、果たして地域活性化・地域おこしに役立つのであろうか。従来の博 物館、博物館に対する既成観念からすると、否定的に考えざるを得ないであろう。しかし、今日 においては博物館そのものが大きく転換しつつあり、博物館に対する観念も一変しつつある。博 物館は住民の憩いの場であり、知的交流の場であり、情報交換の場であると考えられるようにな り、地域活性化の重要な機関であるとされるようになった。 こうした考え方は、すでに十数年前から芽ばえている。高度経済成長の終焉に伴う地域経済・ 文化の地盤沈下の傾向の兆しと、それに対するかのように台頭してきた高度情報化社会の到来と、 軌を一にしている。そうした時、高度情報化社会に対応しながら、地域活性化の一翼を担うべく 志向して、全国各地でさまざまなかたちでの博物館構想が生まれてきた。 それは、時に個人の熱情による広域にわたる野外博物館の構想。長年にわたり資料をこっこっ と収集し、手づくりの博物館をつくる試み。共同研究により博物館を核として、地域を活性化す

5. 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし

5 章下町の再開発と博物館 づけが、当初段階で明確にできない結果によるものであろう。また明確な展示プリン シプル ( 展示理念 ) をもって事に当っているところもあり、学術的分野を文化教育面 で一般観覧者にどのような展示手法で伝えるかという展示造詣に深いところもあるの である。 今後、地域おこしのなかで博物館、資料館の計画以外でも人の集まる場所には必ず 何らかの展示施設は多くなってくると思われる。その地域独特のものが必ずあるはず だが、すぐ郷土資料館という発想ではなく、もっと切り口を考慮して郷土独特の博物 館をつくる方向を定めるべきと考えている。すぐ業者に企画競技をさせるということ は拙速でことを運ぶことになりはしないかと心配である。 博物館展示の仕事はすべて学術研究者と我々が協同ですすめていくため、普段から 研究しいろいろな分野に興味をもち、関心や好奇心の持主である必要があるかと思っ ている。つまり学術研究者の専門外である設計面を、我々が代行するわけであるから、 かなり高度な学術要因にも触れる場合もあり、それを理解する基盤が展示設計側にな ければならない。そのためかなりのハードワークな日常となっている。我が国でも博汚

6. 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし

4 章生活環境博物館をめざして 一、伝統的な技術、風俗、習慣を直接見学し、触れることができるとともに、自ら 体験したり、飲食 ( 食体験 ) もできるなど、柔軟な運営形態をとっていること 一、来館者のニーズに対応するため、専門職員や指導者を配置するとともに、それ に即応した、演目のための施設を備えていること 一、現在の交通アクセスは、そのほとんどが自動車、とりわけマイカーを使った利 用方法が多く、それに対応した交通網 ( 平成三年度バイバス完成予定 ) と駐車 場スペースを有していること 以上のように、「房総のむら」は、既存の博物館の展示内容とはかなり異なった「知 的なレクリエーション施設」として、ユニークな演目展開をしている。今後、さらに 演目内容を充実し、現在整備中の施設が完成すれば、従来の資料館的な展示方法から 脱却し、生活環境をも含めて再現した、新しい野外博物館になると思われる。 「房総のむら」の運営形態は、新しい形のまちおこしの手法として、十分検討され る可能性を有した博物館のひとつであると考える。 737

7. 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし

8 章「ふるさと村」の創設による地域の活性化 ミュージアムとは生活環境博物館ともいうべきもので、一定の文化圏を構成する地域 の文化を保存・育成し、地域社会の発展に寄与することも目的としている。中央博物 館やサテライト・センターが設けられているが、地域住民の生活そのものが生きた展 示として位置づけられており、従来の博物館の概念とは全く異なっている。こうした 構想に基づく博物館の建設は、フランスにはじまり、ヨーロッパやアメリカへ広がっ た。日本でも遠野市の「遠野盆地民俗博物公園構想」や佐世保市鹿子地区の開発構想 のなかにとり入れられている。遠野市のそれについてはすでに紹介されており、また 佐世保市の構想は目下計画段階にある。 そこでここでは、そのスケールにおいてこそ雲泥の差はあれ、ややエコー ジアムの形に類似する「ふるさと村」をとりあげながら、博物館が地域の活性化に果 たす役割について検討してみたい。その前にまず「地域おこし」の動向を概観してみ ることにす . る。 227

8. 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし

マエコー・ミュージアムの概要 都市工学研究の第一人者である西川幸治氏は、つい先頃「博物館都市と博物館地域」 構想なるものを提示した。この構想は、氏がイラクを訪れた時、バビロン遺跡の保存 構想について問われた際に思いついたものであるという。それによれば、広大な都市 遺跡の調査とその保存をはかるための施設をかたちづくり、それと並行してバベルの 塔などの遺構の復元と整備をすすめるのが「博物館都市」の機能となる。一方「博物 館地域」とは、ガンダーラ全域を「博物館地域」とし、その文化的環境と伝統をそこ なうことなく保存し、積極的に活用をはかり、個性ある地域開発をめざすものである AJ し、つ 氏のいうこの「博物館地域」こそ、実は近年クローズ・アップされているエコー ミュージアム (Eco-museum —Human E00 一 og 一 ca 一 Museum—) に他ならない。 226

9. 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし

4 章生活環境博物館をめざして が設置されることも夢ではないと考えられる。 このように、各地域に博物館が建設され、活動をおこなっていくと、隣接する博物 館同士が競合する状況になる。そのような状況のなかで、魅力のある博物館として活 動していくためには、展示される「資料」、それを企画・普及する「学芸員」と、そ の博物館を利用する「来館者」、そして、博物館の「建物」としての内容や立地条件 などは、欠くことのできない要素と考えられている。これらの基本的な要素や条件に 加えて、その博物館に行かなければ観覧できない展示資料や、講習会、講座など特色 のある事業展開が必要となる。 ところで「まちおこし」「むらおこし」については、北海道池田町、大分県湯布院町、 岩手県遠野市など比較的、過疎の自治体の地域活性化をめざしたもので、単に地域特 産品づくりにとどまらず、イベント、人材育成、イメージアップなどがおこなわれて いる 「房総のむら」をとり巻く周囲の環境についてはすでに述べたように、急激な開発 により首都圏のべッド・タウン化の様相を呈し、従来の「まちおこし」をする地域と

10. 日本列島活性化シリーズ 博物館づくりと地域おこし

5 章下町の再開発と博物館 ▽博物館をつくるということ 昭和六十年にすべての設計が終わり六十一年から工場製作がはじまり、その間に平 行して建物の建築工事が開始された。そして展示資料の現場とりつけが終わり生活道 具が飾り込まれ、経年効果の仕上も終わり、照明音響演出もコンピュータにインブッ ぬしゃ ともあるが、やはり明治時代にヨーロツ。ハから入ってきた技法なのであろう。塗師屋 ( 家具塗装 ) の古老にきいたところが、「もう、やれる人はいねえだろう」というこ とであった。このような技法は長年かかってできあがった技法でありながら現在では 消滅しかかっている技術である。日本映画が低迷している今日、かっての日本映画の ために働いた一裏方技術が私も含めて博物館展示のなかで生きているのである。博物 館的技法が現在の博物館のなかで有効に展示されているのも時代がかわったというこ となのであろう。