から、自分の体のどのへんが四・五フィートに当たるかをまず覚える必要がある。この計測のための器具と しては、木にくるりと巻きつけて目盛を見るたけで直径が計れるテープ (diametertape) と水平に木に押 し当てて片目で目盛りを読むビルト・モア・スティック (builtmorestick) という変な名前の棒の使い方を 教わった。また、巻尺と角度計と三角関数を使って木の高さを計ったりもした。「胸の高さ」で木の太さを 計るのは、根元を計ってもそれが「木材資源としては意味のない太さだからだ」などと教わって納得し、私 もすっかり林業で身を立てるフォレスタ 1 の気分になっていた。 グレ 1 ト・マウンテンでは古くても普通のべッドがあったが、エール・マイヤ 1 ズでは、べニヤ板にわず かに敷物を敷いたような寝棚が並んでいるだけだった。食事も、グレート・マウンテンでは食堂があり質素 ながらも料理が出ていたが、ここではの先輩学生たちが毎食手作りで準備した。朝食はアメリカで一般 的なべ 1 グルというリング状のパンにハム・チーズ・野菜またはクリーム・ジャムをつけて食べる簡単なも の。昼と夜はバーベキューで、ハンバーガ 1 と菜食主義者向けの豆腐バーガ 1 にいろいろな野菜を焼いたも のという内容だった。毎食のメニューはほとんど同じだったが不平を言う者もいなかった。 エール・マイヤーズに出かける際に酒屋に寄ることはすでにこのモジュールのコース・ガイドに明記され ていて、各人が買ったビ 1 ルやジュースが大量にクーラーに人れられていた。毎晩、思い思いのグル 1 プで ーティを開催したりした。 集まってギターを弾いたり、 火曜日には森林資源量の推計を行った。三人一組になり八つの地点で各人が角度ゲージ (angle gauge) という道具を使って周囲を見渡して木の生えている密度を調べた。また、木の断面積 (basal area) のテ 1 タも計測した。集めたデータを使ってそれぞれの平均や分散を調べて森林資源量を推計した。 0
る。もちろん、二年間ですべてをカバーすることが不可能なことも知ってほしい。一定の基礎を確実に固め 2 るという目的と、学びたいことを自由に学べるという柔軟生を維持するという目的の間には、常に緊張関係 2 かあるからだ。 I.L & 改革の背景 あなたが一九九二年にエ 1 ル大学の & に来られて以来、さまざまな改革 ( 2 ・ 2 節、 4 ・ 2 節参 照 ) を推進してこられたようですが、その背景は。 コーホン & をよりまとまりのとれた機構にしようと改革を行ってきた。より多くの学生が志願す るようにしたいわけで、他のスクールとの競争もある。私が & に来た九二年当時の学校紹介カタログ には、環境学修士のプログラムには二六もの異なる選択分野 (concent 「 ation) が書かれていた。これではま るで「無秩序状態」だ。学校内たけで無秩序ならいいのだが、これは卒業してからも尾をひいてしまう。 「 & では何を教えているのか、何が得意なのか」と聞かれても、「何でも得意なんです」というわけ よゝ。日寸意分野は選ばなければなならない。そこで改革を行った。我々は林学に加えて五つの分野 を選んだ。水、経済学、社会学、生態系、草食動物た。だからといって、海洋環境の政策や科学に興味があ る学生がそれを学べないというわけではないが、そういう学生には、ロードアイランド大学や、マサチュー セッツ工科大学やデューク大学に行くことを私は勧めるだろう。この分野では我々よりこれらの大学がはる かに強いからだ。 止業の環境管理に関するプログラムの設置は三つの環境スクールの中では & が最初でしたが、
demic discipline) が主導的役割を果たさないようになっている」という点だ。 プルーワ 1 氏によれば、これらの三つのスクールには歴史的なつながりもある。エール大学の & の 数人の卒業生がデューク大学の環境スクールで教えている。 & の卒業生は、ミシガン大学の & にはプルーワー氏がおり、ミシガン大学の他の学部にも数多くいるという。林学においてミシガン大学と デューク大学もつながっている。「三校の間には、友好的な競争という伝統がある」とプルーワ 1 氏は言う。 以下では、ます、私が行くことにしたエール大学の & について詳しく触れ、それからミシガン大学と デューク大学の環境スクールについて紹介する。なお、これら三校の連絡先およびインターネット・ホーム ページについては巻末資料 4 を参照。 エール大学の林学環境学スクール エール大学の林学環境学スクールは、一九〇〇年にエール林学スクール (Ya1e F 。「 2 Sch001) として設 立された。設立責任者のひとり、ギフォード日ピンショー (Giffo 「 dPinchot) 氏は、セオドア日ルーズベルト ヒンショ 大統領の政権で活躍し、アメリカ農務省林業局 (USDA Fo 「 est Service) の初代長官となった。。 氏は「天然資源の保護 (conse 「 vation of natu 「 al 「ワ ou 「 c ワ ) 、という一一一口葉をつくり、保護 (conse 「 vation) を 「現在と将来の世代のための地球の賢明な利用」と定義した。このピンショー氏の資源保護ビジョンを教育 と実務の現実に置き換えることがエール大学の林学スクールの使命とされてきた。以来、同校の卒業生は三 五〇〇名を超えている。七二年には「林学が広い意味で人類の利益ための生態系の科学的かっ長期の管理に 6 2
すい専門職系大学院であり、②文科系・理科系を問わない学際性を持つ。③他の学部を含めて入門から高度 なレベルまでメニューがそろっている講義体系。④ (-—:< とオフィスアワ 1 で落ちこばれを出にくくするバッ クアップ体制。⑤学生は「お客」という意識。①と②は環境スクールである & 自体の良さであり、③ と④はアメリカの大学のシステム全般が持っと思われる良さから来るものだが、その根底には⑤があると思 う。これら①—⑤を以下で簡単にまとめておきたい。 文科系・理科系を問わす、社会人が入学しやすい専門職系大学院 すでに紹介したように、は、ビジネススク 1 ルと同様に実務家を養成することが主目的の専門職 系大学院 (p 「。「 essionalschool) である。少数の研究者の卵を育てる学術系大学院 (g 「 aduate school) では ないから、一学年が約一〇〇人というように定員が多く、高い学識を持っていない学生でも入学しやすい 普通の大学院には合格できなかった私も、環境スクールには合格できた。平均年齢は二七歳前後で、大学を 出た後にいったん社会経験を積んだ人が大多数た。このため各人の知識や経験もじつに多様だ。だから、 ろいろの分野で人門がしやすいように、入門編の講義は、誰にでもわかりやすい基礎的なところから始めて いる。もちろん、人門講義は ;-v & の講義だけでは足りないので、多くのクラスメ 1 トが、大学院でなく 大学レベルの講義をとっていたが、「 & の講義よりもむしろ難しい」という声もあったくらいだ。 では、文科系・理科系を問わず、環境分野に関連するさまざまな学問に人門することができる。 つまり、文科系の学生でも、人門編から始めて、化学や生物学、生態学を探求できる。例えば、経済学部出 身のアンディⅡクー (Andrew [Andyl B. coope 「 ) さんは、「経済学の計算はもうさんざんやったから、 210
っ この章では、環境スクールが社会の求める教育の提供を行っているかどうかを、 & のクラスメート これらによって、 ーによって考えてみたい。 たちの経験、就職支援責任者そしてスクール長へのインタビュ 環境スクールの役割、そして & の強みと弱みがかなり明瞭に見えてくるたろう。 ク ス 境 卒業生たちの意見 章 「ほんとうにいい学校」 , ーークリスティン ( アメリカ ) クリスティン。。ステック (K 「 isten M. 。。こさんは & で受けた教育に満足している一人だ。大 しくつかの環境科学の講義 学時代はダ 1 トマス大学 (Dartmouth co = 。第 ) で労働史を専攻するとともに、、 を履修して環境学を学んだという証明 ( 。。「 ( 三。豈。 = 。「。ラ一「。 = m 。 = こ 4 = 」一ワ ) をと 0 た。世界的なコンサ Ⅱ章スクールは役に立つか
七面倒くさい出願作業 話は前後するが、日本でフルプライト・プログラムを運営する日米教育委員会のほうからは、フルプライ ト奨学金の合否を待たずに個々の大学への出願手続きを進めるようにと、アドバイスされていた。また、奨 学金合格後は、少なくとも五つの大学にアプライ ( 出願 ) するようにと言われた。つまり、出願する大学が 少数だと、全部不合格になってせつかく合格した奨学金が水のアワになるケースがあるからだそうである。 奨学金を翌年に繰り越すということは、特殊事情がない限りできないようだ。 私が出願したのは、三つの環境スクールと、二つの一般的な大学院だった。環境スクールは、エール大学 の、デュ 1 ク大学の環境スクール、そしてミシガン大学の天然資源・環境スクール 1 クレー校のエネルギー・資源グループと、 だった。残り二つの大学院は、カリフォルニア大学 (>0) ポストンにあるタフツ大学の都市・環境政策学部 (Depa 「 tment 0 「 U 「 ban and EnvironmentaI policy) だ た。第一志望はバークレー校だった。雑然としたキャンパスが自分にびったりの雰囲気で、会ってもら ード大学のケネディ・スク 1 ルは、前述のよう った先生もとても好感が持てたからだ。見学に行ったハー な理由もあり、学費も高く、自分の行くところではないと思い、出願しないことにした。 「アプリケーション ( 出願 ) の作業はとても面倒です。だから留学にはほんとうにエネルギ 1 がいりま くつかのランクがあり、私は下から二番目くらいではあったが、留学中は収人がなくなるわけだから、貴重 な資金源だった。 8
マイクは & への人学後に失望することになる。「私たちは環境科学や環境政策について学ぶ機会は 多か 0 たけれど、産業界の環境管理についての講義は少なか「た。特に少なか「たのは、プロジクトの資 金計画や財務管理など、革新的な環境管理者にと「て必要な経営管理の技法についての講義だ「た。学校案 内の内容とは裏腹に、産業環境管理プログラム (—æä) に『産業的』なところは非常に少なかった」。 は & 単独のプログラムだが、彼は、産業関連の講義の不足から「はとの合同課程で あるべきだ」と考え、 cooäとの合同学位課程に参加することにした ( 8 章で触れたように、デ、ーク大学 やミシガン大学の環境スクールでは、企業の環境管理プログラムは、ビジネススクールとの合同学位課程と なっている ) 。またマイクは、プログラムが、二割強もの学生が興味を持っているにもかかわらす、 っ & 当局から重視されず、十分な財政的支援を受けられなかったと考えている。 を評価している面もないわけではない。先端的な概念を学ぶ得難い機会をが与えてくれたこ 役 とである。先端的な概念とは、メンデルソン教授の環境経済学、ダン。エスティ (Dan Est 』 ) 教授の「環境 政策と環境法」、そしてトーマス。グレーデル教授らの「産業エコロジー」などだ。 は、グレーデル教授の採用や『産業エコロジージャーナル』の創刊でもわかるように、産業エコロス ジーにますます重点を置き始めているが、産業エコロジーは「僕のについての大きな心配を示す良い環 例だ」とマイクは言う。産業エコロジーは、最先端の環境管理の理論に基づいており、 & にふさわし章 一方で、産業エコロジーが先端分野だということが & にジレンマをもたらしている、というのた。 & はこの先端分野の発展に貢献することができるが、産業エコロジーは新しい考え方であり、「大多 3 数の企業は聞いたことさえもないだろう ! プロフッショナル・スクール ( 専門職系大学院 ) であるとさ
」と科学分野の講義を集中的にとっていた。理科系の学生が文科系の学問を 今度は自然界のことをやりたい 専攻することもできる。ポール・メイキッシ = (paul Maykish) さんは純然たる理科系の出身だったが、 「文科系の学問をしないと世の中の動く仕組みがわからないから , と、社会・経済関係の講義を中心に学ん でいた。そういうことがとてもやりやすいのが環境スクールなのである。 ステップパイステップの講義体系 また、 & や他の学部の講義の体系が、一歩一歩着実にやれば落ちこばれることのないように、「階 段式」にうまく組み立てられていることが印象深かった。では、自分の知識を補うために必要な専ム テ ス 門分野については、アドバイザ 1 の承認があれば大学レベルの講義をとることも自由だった。大学レベルで シ は、それぞれの分野のカリキュラムが、だれでもわかる入門編から始まって、中級、上級、さらにその上、 し さ というようにしつかりと階段状に組み立てられており、その階段は大学院にもつながっている。重要なのは、 ほとんどの講義が週に二回開講され半年で終了するために、短期間にこれらの階段を駆け上が 0 て知識を習や 得できることた。各講義にはこうした階段状の道筋を十分踏まえた「受講の前提条件」 ( 「「。「。 0 = 乙 ( 。 ) が明な 示されている。その講義を学ぶためにはどの講義をすでにとっている必要があるかが一目でわかる仕組みとみ 章 なっているわけで、この道筋のとおりに講義をとっていけば、たいていの新分野は身につけられるはすだ。 例えば経済学では、微分・積分がわからなければ、全くの初心者向けを含めた一連の講義がそろっている。 微分・積分を全く使わすに経済学の基礎概念を初心者が理解するための「ミクロ経済学入門」 (lntroduc- っ ~ ( 。「』 M 一。「。。 00 = 。 m 一ワ ) という易しい講義がある。この次のレベルとしては、私がとった「ミクロ経済理論
私は少しすっリラックスしていった。 木曜の夜には地図の発表が行われた。模造紙ほどの大きな紙に、どの場所にどういう植物が生えていたか という植生をイラスト付きでユーモアたつぶりに描き、各グループの代表が発表した。シラバスに書かれて いた課題は相当に堅苦しそうに見えたが、和気あいあいと楽しい発表会だった。 モジュールの途中には、木材の伐採現場に行って現場の作業監督に話を聞く時間もあった。息抜きの時間 もとってあり、 ハイキングもしたし、フリスビーやサッカーをしたり、近くの湖に泳ぎに行ったりする時間 もあった。こうして多くのクラスメ 1 トたちと仲良くなることができた。 草の根分けてサンショウウオを数えるーー「生態系の計測」 次の週は生態系の調査を定量的に行う練習だった。このモジュールでは、コネチカット州ュニオンにある三 エール・マイヤーズの森という校有林を使って、木材伐採、学生教育の場、動植物の生育環境の保全など複 数の目的のために森林を管理するうえでの諸問題を扱う。いろいろな林地における生態系の状況を数量化す訓 森 るために、さまざまなサンプリング ( 標本調査 ) の計画法および技法が使われる。 講師は、多数の利害がからみあう環境政策の決定問題を博士課程で研究していたクリス】スティヴ ( K 「』 , 章 stave) さんが務めた。彼女は、ユーモアにあふれ内容も抜群の楽しいモジュール・プログラムを作り上げ ていた。シラバスによると、このモジュールの目的は、野外のデータの収集法を習得または復習することに あるとされていた。習得の範囲には、サンプル調査の計画、誤差の発生源の検討、およびデータの精度と正
文明・文化を論じた 社会理論と環境 (social Theory and the Environment) この講義は、環境の変化を分析するために使われる社会 ( 学 ) 理論を教授するものた。ナンシーⅡ»-a 日ベルー ソ (Nancy L. peluso) 教授という社会生態学 (social Ecology) の有名な先生が教える一連の講義があった が、この「社会理論と環境」は、これらに参加するための基礎知識を習得するものとされていた。社会生態 学は、社会学の観点から環境問題を研究する分野である。私の研究計画にあった「非物質的で魅力ある経済 発展を考えるうえで、人間のライフスタイルや文化の問題は重要であると思っていたから、この講義をと ることにした。 教えるのは、中国やフィリピンなどで社会生態学の観点から森林保護などの研究をしていた博士候補のジ ャネットⅡスタージョン (Janet stu 「 geon) 先生だった。火曜に講義を行い、木曜日に必読教材についてのデ イスカッションを行った。学生は、クラスのディスカッションで十分にとりあげられなくても、すべての必 読教材を読むことが義務づけられていた。 単位取得のためには、この講義で学ぶ五つの理論的パラダイム ( 研究方法 ) のそれぞれについて三—五ペ また、クラスのディスカッションへの十分な参加も ージの短い論文 (pape 「 ) を提出しなければならない しいという点は楽たっ 成績にカウントされるとされていた。試験がなく、最後に大きな論文を出さなくてもゝ 論文は、「資源に関する対立 (resource conflict)_ が起きている社会間題の事例を自由に選び、その事例 にそれぞれの理論を機械的に適用するとどのような主張になるかを示すものだ。私は、大量消費・大量廃棄 1 70