年 - みる会図書館


検索対象: 地域に生きるミュージアム : 100人で語るミュージアムの未来Ⅱ
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1. 地域に生きるミュージアム : 100人で語るミュージアムの未来Ⅱ

ワーク ( 後に歴史資料ネットワークに改称 ) 、震災記録を残すライプラリアン・ネットワークなどさま ざまなボランティアや Z O も立ち上がっていました。 神戸大学附属図書館の取り組み 神戸大学附属図書館の取り組みとしては、一九九五年四月になりようやく人学式を終えたころ、 ) 合わせがあ 学外から今回の震災に関する資料をどこかで網羅的に見ることはできないかという問し りました。それを受けまして、図書館の上層部が今回の震災関係の資料を収集、保管、公開するこ とは、被災地の中にある国立大学の責務であるという決断を下しました。私のほうに収集ができる かどうか意向を聞いてくれましたので、面白そう、という気持ちでお引き受けしました。 神戸大学での収集は阪神・淡路大震災に限定しています。更に文書館ではなく、図書館ですので、 最初から公開できる資料に限定しています。個人名の載ったノートなどは原則集めていません。た だ、記録媒体に関しては網羅的に収集しています。通常、図書館で収集するのは図書・雑誌に限定 されますけれども、写真やスライド・動画・ーなども震災関係でしたら集めています。 最も重要なのは、チラシやポスター・レジュメ・報告書などを集めようとしていることです。 震災資料の収集と広報 開設当初の一九九五年五月、新聞社発行の写真集などを除くとまだほとんど関連資料が出版され ておらず、発行されたものがないということから、新聞記事に掲載された方の居住地などの情報を 集約して、文書で資料の寄贈依頼をしました。区役所や保健所には多数の資料が置かれ、自分の足 で集めに行ったほうが早いくらいでした。 一番の難点はボランティア資料でした。「ボランティア元年」と言われまして、非常に多くのポ 137 テーマ C 話題提供

2. 地域に生きるミュージアム : 100人で語るミュージアムの未来Ⅱ

象だと思います。みんなが参加して、自分たちの一種の表現手段として使っている。しかし、初音ミ クが一〇〇年後に残っているか。「たまごっち」というゲームがかって流行しましたが、一〇年後の 今はほとんどないも同然です。そうやって次から次〈と新しいものを送り出して、それを消費する。 消費というのは消えてしまうわけです。それで新しいものが後から後から押し寄せる。ほとんど津波 状態です。津波というのは、水があって、後ろ〈次の水が来て、次から次〈押し寄せて、最先端の水 は追いまくられて陸地をさかのぼる。そういうことをわれわれはさんざん目にしたわけですが、それ に似たような消費の津波が世を覆っています。 そういう津波のなかで、過去の価値、現在もある過去、未来につながる過去の価値を、あえて力を 注いで強めていくことが大事だと思うんです。それがおそらく、ミ、ージアムの一番大きな役割では ないかミ = ージアムにかかわる皆さんにとっては当たり前すぎることかもしれませんが、ぼくはこ のところ、そういうことを考えています ぼくはミ = ージアムを、美術館、博物館、公文書館、それから遺跡、そういうものをすべて含むも のとして捉えています。ご存じのとおり、ミ、ーズというのは国と文化によってそれぞれですから、 ミ = ーズを総括して考える視点が大事で、それがミ、ージアムだと思うんです。ところが日本では、 明治の初めに美術館と博物館を訳し分けてしまったので、ぼくなんかも文章を書いていて非常に具合 が悪い。この場合はどっちであるかと迷う。仕方がないからカタカナで書くけど、どうも収まりが悪 いんですね。皆さんも日々感じていらっしやることだと思いますが、このミ = ージアム・サミットで は、本来のミ、ーズたち、女神たちに立ちもどってお互いの交流を考えてください ミュージアムに求められること 第 1 部いま、

3. 地域に生きるミュージアム : 100人で語るミュージアムの未来Ⅱ

しく金の光沢を持って見られる。今なら珍しくはないですが、当時は驚嘆すべきものでありました。 そのときフランスの文化大臣だった作家のアンドレ・マルローが音頭取りをしまして、「過去は現在 である、という逆説をお目にかける」と見得を切ったんです。この言葉はとても印象的で、そうか、 ミュージアムとはそういうところなんだと、ぼくは初めてしつかりと理解した。 アンドレ・マルローは、ご存じのとおりたいへんな美術好きでした。若い頃、ベトナムで美術品を 盗み国外に持ち出そうとして逮捕されています。それは試みてもいい犯罪だと思う、とこの集まりで 言ってしまってはまずいのでしようが、しかし、そういうマルローを、ばくは好感を持って見ており ました。 ハレオマニア』の旅 これから話はだんだん雑談のようになっていきます。一〇数年前、一九九八年ぐらいからですが、 ぼくはひとつの企画をつくり、自分の博物館好き、遺跡好き、考古学好きと、それからもうひとつ、 文明論を、全部まとめて仕事にしてみようと思いました。具体的には、まずロンドンを訪れ、大英博 物館に行く。ここを時間をかけてぶらぶらと展示品を見る。全体を見た上で地域を定める。たとえば、 大英博物館で一番膨大なコレクションはエジプトです。正面から人り、左にずっと回って一番奥のウ イングに行けば、一階も二階も、はじからはじまですべてエジプトです。あそこをずっと散策して、 ひとつひとつ、あたかもコレクターとなって買うがごとき目でていねいに見ていき、好きなものを決 める。 23 基調講演 I 「過去は未来である」 ( 池澤夏樹 )

4. 地域に生きるミュージアム : 100人で語るミュージアムの未来Ⅱ

ンです。本来あった場所から運び出されて、違う場所に展示されているものを本来の場所へ戻すかど 一つ力とい一つ題 もっとも有名なのはエルギン・マープル。アテネのアクロポリス 、。ハルテノン神殿の屋根や柱の上 のほうを飾っていたペデイメント、メトープ、その他の浮き彫りですね。これらは今、大英博物館の エルギン・マープル特別室に展示されています。これについては、ぼくは一九七五年から三年近く ギリシャにいて旅行ガイドをしていましたから、とても詳しいんです。日本から来る観光客を連れて 毎日のようにアクロポリスへ行き、そこで、若かったもので少ししつこく学術的過ぎる解説をして煙 たがられていました。 あの頃は「農協ツアー」なんて悪口もありましたが、南回りの飛行機で延々と飛んできて、ヨーロッ ハを五か国も回るというようなツアーです。最初に降りるのがアテネで、朝の四時頃着いて、空港の カフェの椅子で二時間休憩とかひどいことをさせて、もう皆さん時差でもうろうとしていますよ。途 中、インドでも。ハキスタンでもカレーしか出なかったなんて言いながらね。その方たちを連れて午前 中アクロポリスへ行き、ひと通りお見せして解説をします。そこで、やはりギリシャにいたときは、 「あそこを飾っていた大理石の彫刻は、今みんなイギリスにあります。運び出されてしまいました」 という言い方をしていました。 しかし、確かにそれはそうなんですが、一方では、アテネにあるよりもロンドンにあることで、た くさんの人がエルギン・マープルを見ることができるという利点もある、とも思うんです。なんと いっても大英博物館がなければ、あるいはルーヴルのような世界規模のミュージアムがなければ、『パ ことっ レオマニア』という企画は成立のしようがなかった。これはばくのわがままな思いですが、誰 ( 29 基調講演 I 「過去は未来である」 ( 池澤夏樹 )

5. 地域に生きるミュージアム : 100人で語るミュージアムの未来Ⅱ

ヤフージャパン東日本大震災写真保存プロジェクト ヤフージャ。ハンも「東日本大震災写真保存プロジェクト」という、失われてしまう記憶を後世に 残していく活動を行っています。ここには二〇一二年二月四日現在で、五万一五二八点の写真が登 録されています。このプロジェクトでも—を公開していて、社外の防災システムを開発してい る企業などに登録された写真データを提供しています。そこから誕生したのが「東日本震火アーカ イプ」というサービスなのですが、グーグル・アース上に被災地の写真をマッピングして角度も あわせてオー ーレイして、実際に被害に遭った地域の状況を被災当時の状況で残しています。上 地に紐付けられた情報を掲載しているのですが、この河川に津波が押し寄せたときの様子をマッピ ングすることで、この地域で実際に起きた被害の状況が見て取れます。このほかにも被災者の声な ど、インタビュー形式の情報も地図上にマッピングされています。 ウェブとの比較で浮きばりになるアーカイブズとミュージアムの特性 ウエプの三つの特性と比較することで、アーカイブズやミュージアムの特性がいくつか浮きぼり になると思います。「複製コストがゼロ」は、代替可能性の話につながりますが、「本物とは何か」 ということが、より身に迫って問われている状況を生んでいます。著作権の問題も複製コストがゼ 口になってきたことで浮きぼりになりました。池澤さんの基調講演にあった二五〇〇年前に発掘さ れたものを手に乗せた時の感情は、ウエプでは表現できないものです。そうした意味で「本物とは 何か」がより問われるのかなと考えています。 「物理的制約がない」という点で、ウエプ上で見られることによってミュージアムに足を運ぶ人 が減るのではないかという懸念があるとのことですが、先程のグーグル・アートプロジェクトなど 、くくく ミュージアムの価値の実現をめぐって 144 第 2 部

6. 地域に生きるミュージアム : 100人で語るミュージアムの未来Ⅱ

報資源を開示するゲートです。私が扱う歴史系の地域資料の視点からは、アーカイプの対象となる 文化資源は、館蔵資料をコアとして、地域にある資料の所在を把握する必要があります。すでに存 在が知られている文化資源に加えて、たとえば今回の震災で生まれた映像資料や「震災文庫」で稲 葉さんが収集しているビラなどさまざまな事物もあります。それらは文化資源化される過程を待っ ている状態で、プレ文化資源という言い方もできます。地域にはいろいろな広がりや深さがありま すが、公的アーカイブズと地域で相互の資料を把握して、地域の文化資源のアーカイブズをコント ロールすることがこれから大事になると思います。 私自身も一年前、館内で非常に面白い資料を発見したことがあります。二〇年前に収集され台帳 には載っていましたが、「地図 1 点」とされていただけだったので誰も確認しなかったのです。そ れをちょっと見たところ、戦後すぐの時期の、手書きの京都の住宅地図が二九一枚でてきました。 重要な資料だと思ったのですぐ目録を公開し、報道機関などにも紹介したところ、館内での閲覧者 数は三倍になり、この資料を核にした研究がいくつか生まれました。日本史研究者としては縁のな かった地理学、建築学、製図学などの専門家と新たな議論ができるようになっています。このよう に情報を開き、適切に社会の人たちに知ってもらうことによって、情報を抱え込んでいては実現で きなかった付加価値が見いだされたと思います。館内ではすぐに公開することの是非について議論 もあったのですが、そこをやってみた例です。 目録の形式にこだわらないことと、文化資源ヘアクセスする道すじを示すこと。アーカイブズの さまざまな可能性を示す事例として報告しました。 ミュージアムの価値の実現をめぐって 148 第 2 部

7. 地域に生きるミュージアム : 100人で語るミュージアムの未来Ⅱ

それだけなら誰でもすることですが、次に、その決めたものがつくられた場所、つまりエジプトに 行く。エジプトでは遺跡を見て、何よりも、その土地の風土、雰囲気、光、ナイル川の水を見る。実 際には、ひとつの地域からふたつのものを選び、ふたつのテーマを考えることにしました。エジプト の場合は、ひとつは全長五〇センチほどの船の模型です。昔、ナイル川の東側に町があり、西側は砂 漠で、砂漠の側に墓地があった。ピラミッドも西岸にありますね。人が亡くなると、遺骸を船に乗せ てナイル川を渡って墓地へ運ぶのですが、その遺骸を運ぶための専用の船がありました。エジプトは 死の文化が非常に強いところですから、死者の扱いについては、今でもたくさんのことが分かってい るのですが、その棺を運ぶ船の模型を大英博物館で見つけたんですね。もうひとつは、これまた死に かかわりますが、死者が復活したときのために本人の肖像の彫刻を用意しておく風習がある。王様や 貴族ではなくて、ぼくが選んだのはある職人の肖像でした。このふたつがつくられた場所を見ること を目的としてエジプトに行って、アスワンからナイルまで船で下りました。エジプトに行ったのは、 それが三度目でしたね。好きだから、ついつい通ってしまうんです。 それがワンセットで、こうして大英博物館を出発点にひとつの文明を見る旅を、飽きもせずに一三 回繰り返しました。この紀行をまとめたのが『。ハレオマニア』 ( 集英社インターナショナル、二〇〇四年 / 集英社文庫、二〇〇八年 ) という本です。古代に対して妄想を抱くという意味で、「古代妄想狂」と訳 せばよいでしょ一つか この『。ハレオマニア』の仕事では、一番最後はオーストラリアに行きアポリジニのロックベインティ ングを見ました。アポリジニの遺跡というものは、ほとんどありません。岩に描いたロックベイン ティングはあるけれど、そのほかには焼き物も、石で造った建造物も何にもありません。彼らはそう 第 1 部いま、ミュージアムに求められること

8. 地域に生きるミュージアム : 100人で語るミュージアムの未来Ⅱ

てないから写真は撮らないでね」。それから彼は、「バグダッドへいずれ戻るんだったら、博物館に遊 びに来なさい」と言ってくれたので、バグダッド〈戻ったときに博物館に行って収蔵品を見せてもら 「戦争になったら困るね」「うん。でもまあ、収蔵品は地下に運んで疎開してあるから」といった おしゃべりをしました。 それから日本に戻り、三か月ぐらいぼくはひとりで走り回って、反戦キャンペーンをしました。や はり、あのイラクが戦争になるのは嫌だ、あの人たちの上に爆弾が降るのは本当に嫌だと思って。し かし、翌年の三月下旬に戦争が始まってしまった。そして三週間で終わった。その後で伝えられたの が、イラク国立博物館にバグダッドの市民が乱人して収蔵品を運び出し、大量に失われてしまったと いうニュースです。その前から、ぼくは新聞などを見てずっと気をつけていたのですが、二〇〇三年 一月、アメリカの大規模コレクターの団体、アメリカ文化政策評議会が国防総省の高官に会い、イラ クの古物輸出規制法を緩和するよう働きかけた、というニュースがありました。つまり、最初から文 化財を略奪するつもりがあったんじゃないか。運び出した後の準備も何もなしに、普通の市民が博物 館に乱人するだろうか。運び出して、お金に換えるシステムが全部できていたのではないかと、ぼく は疑いました。 その後、さすがにさまざまな反対運動が起こり、収蔵品はだいぶ戻ったんです。しかし、まだ失わ ・ジョージは、日本まで来て「日本に来ている収蔵品があっ れたものはたくさんある。その後ドニー たら返してくれ」と訴えましたが、そのときは、残念ながらぼくは彼に会えませんでした。この問題 については、一一〇〇九年に、国士舘大学のイラク古代文化研究所が「 catastrophe! イラク文化遺産 の破壊と略奪」展という、何がどう失われたかを示す展覧会を開いています。 27 基調講演 I 「過去は未来である」 ( 池澤夏樹 )

9. 地域に生きるミュージアム : 100人で語るミュージアムの未来Ⅱ

第こ・二ス 0 全ユ域 ジ生 る アき ムる 来 MuseumsinDiaIoguewithCommunity IIIIIIIIIII 鬮ⅢⅢⅡ馴刪 9784775815012 1920070020007 I S B N 9 / 8 - 4 - / / ろ 8 - 1 ろ 01 - 2 C 0 0 7 0 2 0 0 0 E 発行 : 現代企画室 定価 : 2000 円十税 装画 ポス《快楽の園》 ( 部分ロ 500 年頃プラド美術館蔵 プリューゲル ( パベルの塔》 ( 部分 ) 1563 年美術史美術館蔵

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話題提供 3 阪神・淡路大震災と図書館ーー使ってもらえるアーカイブズへの取り組み 稲葉洋子 ( 神戸大学附属図書館情報管理課長 ) 阪神・淡路大震災は体験した被害があまりに大きかったから、残そう、あるいは大切な失った思 い出を記録にとどめようといった個人・社会の意識が強かったために記録が作られたといわれてい ます。震災直後から阪神大震災地元 ZÜO 救援連絡会議の文化情報部、歴史資料保全情報ネット 化も意識されていますが、現時点で連携の具体的な計画や見通しはありません。連携の阻害要因は いろいろ考えられますが、県博物館協会のネットワークも有効に活かして、神奈川らしい連携のあ り方を探りたいと考えています。 もう一つ、震災後の動きとして、二〇一一年七月に発足した神奈川歴史資料保全ネットワーク ( 神 奈川資料ネット ) があります。県博物館協会にも協力依頼があり、取り扱いを協議中です。県図書 館協会は資料ネットに参加し、さらに関東一都六県プラス甲信越静の図書館協会と相互援助の枠組 みを準備中とのことです。県歴史資料取扱機関連絡協議会 ( 事務局】県立公文書館 ) は、博物館協会 と同様、取り扱いを協議中です。 資料ネットには、救済対象を歴史資料に限定していて自然史資料や生き物は対象にならないな ど、博物館の立場からは課題があります。博物館協会だからできることを念頭に、震災時の対応 に関するアンケート調査と研修会「東日本大震災に関わる標本レスキューと震災対応」 ( 二〇一一年 一二月 ) を実施するなど、実のある連携を目指した取り組みをはじめています。 ミュージアムの価値の実現をめぐって 136 第 2 部