分科会委員長 テーマ < 高階秀爾 TAKAS 工 INA 、 Shuji 美術史家、美術評論家、公益財団法人大原美術館長、財団法人西洋美術 振興財団理事長。 第一回幻世紀ミュージアム・サミット総監修。 一九三一一年生まれ。東京大学教養学部卒業後、同大学院在学中にフラン ス政府招聘給費留学生として渡仏、。ハリ大学美術研究所およびルーヴル 学院で西洋近代美術史を専攻。国立西洋美術館勤務後、東京大学文学 部助教授、同教授を経て一九九二年より国立西洋美術館長。同退官後、 一一〇〇一一年より大原美術館長。東京大学名誉教授、。ハリ第一大学名誉博士。 一一〇一一一年文化勲章受章。ほか、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、文化 功労者、レジオン・ドヌール・シュヴァリエ勲章 ( フランス ) 、グランデ・ ウフィチャーレ勲章 ( イタリア ) など国内外で受賞多数。『名画を見る眼』 『世紀末芸術』『日本近代美術史論』『近代絵画史ーーゴャからモンドリ アンまで』『西欧絵画の近代』『日本絵画の近代』など著書多数。 テーマ 建白田晢 TATE 工 ATA 、 Aki 「 a 埼玉県立近代美術館長、京都市立芸術大学長。 第三回幻世紀ミュージアム・サミット総監修 国立国際美術館主任研究官、多摩美術大学教授、国立国際美術館長を経 て、二〇一一年より現職。専門は近現代美術。第四四回 ( 一九九〇年 ) ・ 第四五回 ( 一九九三年 ) ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー 横浜トリエンナーレ二〇〇一アーティスティック・ディレクター、あい ちトリエンナーレ ( 二〇一〇年 ) のアーティスティック・ディレクター などを務める。二〇〇二ー〇三年コロンビア大学客員研究員。 詩人としても活躍し、一九九一年に『余白のランナー』で歴程新鋭賞、 一一〇〇五年に『零度の大』で高見順賞を受賞。 テーマ O 水沢勉 MIZUSAWA 、 Tsutomu 神奈川県立近代美術館長。 一九五一一年横浜生まれ。慶応義塾大学大学院修士課程修了後、神奈川県 立近代美術館に学芸員として勤務、同館企画課長を経て現職。ドイツ語 圏および日本の近現代美術に関心を抱き、その交流史についても論じる。 「モボ・モガ 1910 ー 1935 」、「村山知義の宇宙」など多数の展覧会を手 がける。著作として、『この終わりのときにも』『点在する中心』 ( 共編著 ) 『美術館は生まれ変わる』 ( 共編著 ) など多数。。ハングラデシュ・ビエン ナーレ ( 一九九三、一九九七年 ) 、サンパウロ・ビエンナーレ ( 二〇〇四 年 ) 日本コミッショナー、横浜トリエンナーレ二〇〇八「タイムクレヴァ ス」総合ディレクターなどを歴任。 テーマ 蓑豊 MINO 、 Yutaka 兵庫県立美術館長、金沢幻世紀美術館特任館長、大阪市立美術館名誉館 長。 第二回幻世紀ミュージアム・サミット総監修。 ド大学大学院 一九四一年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、 美術史学部博士課程修了、同博士号取得。カナダ・ロイヤルオンタリオ 232
基調講演 池澤夏樹 IKEZAWA 、 Natsuki 作家、詩人。 一九四五年北海道帯広市に生まれる。小学校から後は東京育ち。 一九七五年から三年間ギリシャで暮らし、一九九四年から一〇年は沖縄、 二〇〇四年から五年はフランスに住み、現在は札幌在住。その間に無数 の小さな旅を重ねる。 一九八七年に『スティル・ライフ』で芥川賞を受賞。その後の作品に『真 昼のプリニウス』、『マシアス・ギリの失脚』、『花を運ぶ妹』、『静かな大 地』、『カデナ』、『氷山の南』など。詩集に『池澤夏樹詩集成』がある。 二〇〇七年から二〇一一年まで、個人編集による『世界文学全集』 ( 全 三〇巻 ) を河出書房新社より刊行した。 博物館を扱ったエッセーに『見えない博物館』、『パレオマニア』がある。 ) ンヨン・ホールデン John 工 OLDEN O アソシェイト、英国シティー大学客員教授 ( 文化政策・経営 英国の大手シンクタンクである C r-o の文化部長を二〇〇〇ー〇八 年まで務める。法律およびデザイン史修士。音楽、映画、劇場、歴史遺産、 博物館、図書館などの文化セクターにおける数多くのプロジェクトに関 第 5 回幻世紀ミュージアム・サミット講師等一覧 ( 肩書きは開催当時 ) わり、政策、評価、リーダーシップ、労働力開発、学習などの間題に取 り組む。行政、資金提供機関、信託機関、財団法人、主要文化機関 ( ロ イヤルシェークスピア劇団、大英博物館、セージ、ゲーツへッド、ヴィ クトリア & アル。ハ ト美術館 ) などとも協働。英国のみならず、ヨーロッ ハ各国、オーストラリア、ニュージーランド、日本、シンガポール、米 国、カナダなどで講演を行う。著書および共著多数ウエプ サイトで公開 ) 。 基調講演解説 菅野幸子 KANNO 、 sachiko 国際交流基金情報センタープログラム・コーディネーター 宮城教育大学、プリティッシュ・カウンシル東京勤務後、グラスゴー大 学美術史学部装飾芸術コースデイプロマ課程に留学。一九九三年より国 際交流基金に勤務、現在に至る。アーティスト・イン・レジデンスや美 術館のアウトリーチ活動など芸術と社会をつなぐ活動に関心を持ち、国 際交流基金でプログラム・コーディネーターとして国際文化交流に関す る顕彰制度の運営、情報の提供、各種コンサルテーションを行う傍ら、 東京大学人文社会系研究科 ( 文化経営専攻 ) 後期博士課程に在籍し、英 国の文化政策を研究。宮城学院女子大学非常勤講師、東京芸術評議会専 門委員、文化芸術創造都市ネットワーク日本調査研究会委員を務める。 231 第 5 回 21 世紀ミュージアム・サミット講師等一覧
なる立場からミュージアムに関わる参 加者たちが一つのテープルを囲み、時 間内に具体的な提案を出すため、各グ ループで密度の高い議論が展開されま した。 続いて、各テープルで話しあったこ とを発表し、討論テーマごとの解決策 を共有しました ( 各テーマのまとめは 頁以下参照 ) 。 分類した五つのテーマは相互に関連 の深いものなので、別グループの発表 に対する質疑応答も熱のこもったもの となります。発表後、一人四票をもっ て「よい」と思ったアイデアに投票し、 各テーマの成果を全員でふりかえる時 間をもちました。 長期 ( 5 年以上 ) 中期 ( 3 ~ 5 年 ) 短期 ( 1 年 ) 統治機構 ( ガヴァナンス ) 経営者 ( マネジメント ) 現場 ( オペレーション ) グループワークで使用したワークシート。 議論を散漫にせず、短時間で「具体的かつ効果的な」解決策を探るための枠組み。 , ー . に、 ~ ー . 、、課題芬析・着羡のため 0 枠組み 一一 ; ーー中第 ( 3 ~ 5 年 ) 第第 ( 1 年以内 2 一二一 一 ; 一 ~ 長類 5 年以上 81 テーマ A 分科会概要
博物館東洋部学芸員、カナダ・モントリオール美術館東洋部長、米国・ インディアナポリス美術館東洋部長、シカゴ美術館中国・日本美術部長、 東洋部長を歴任。一九九五年に帰国後は大阪市立美術館長、全国美術館 会議会長、金沢幻世紀美術館長、金沢市文化顧問、金沢市助役を歴任後、 サザビーズ北米本社副会長に就任。一一〇一〇年より兵庫県立美術館長。 著書に『安宅コレクション韓国陶磁』『白磁』「超・美術館革命ーー金沢 幻世紀美術館の挑戦』ほか論文多数。 分科会企画グループ長 テーマ < 佐々木秀彦 SASAKI 、エ idehiko 東京都美術館交流係長・学芸員。 一九六八年東京生まれ。東京外国語大学卒、東京学芸大学大学院修士課 程修了 ( 教育学修士、ミュージアム論・文化資源論 ) 。 江戸東京博物館、江戸東京たてもの園、東京都歴史文化財団事務局を経 て現職。博物館法規の改正の検討、博物館評価制度や博物館関係者の行 動規範の調査研究に関わる。 二〇一二年四月にリニューアルオープンした東京都美術館の公募展事業 の再構築、アート・コミュニケーション事業の立上げに従事。 博物館政策 ( 評価 ) 、ミュージアムにおける学び、文化資源とデジタル 化など、ミュージアムに関わる分野の書籍に執筆。ミ、ージアム施策に 関わる多数の研究会・審議会などに参加。 テーマ Ⅱ義和 OGAWA 、 Yoshikazu 国立科学博物館学習・企画調整課長。 一九八二年筑波大学生物学類卒。ニューヨークのアメリカ自然史博物館 インターン、東京学芸大学大学院連合博十課程学校教育学研究科学校教 育学専攻修了。博士 ( 教育学 ) 。サイエンスコミ、ニケーション、科学 教育、博物館教育、生涯学習の観点から人々と科学との関係性を探って いる。学習指導要領 ( 中学校理科 ) 作成協力者、日本学術会議「科学技 、日本ミュージアムマネージメント学会、 術の智」プロジェクトメンパー 日本科学教育学会、日本サイエンスコミュニケーション協会の理事。著 書に、『博物館で学ふ」『展示論』『サイエンスコミ、ニケーション』『小 学校理科教育法』『教師のための博物館の効果的な利用法』などがある。 テーマ O 岡本真 OKAMOTO 、 Mak0t0 アカデミック・リソース・ガイド ( 株 ) 代表取締役・プロデューサー 国立情報学研究所産学連携研究員、早稲田大学パイオ・マイニング 研究所招聘研究員。 一九七三年生まれ。国際基督教大学教養学部社会科学科卒。編集者な どを経て、一九九八年に『 ACADEMIC RESOURCE GUIDE 」を創 刊。一九九九年五月から二〇〇九年七月まで、ヤフー株式会社に勤務。 Yahoo! カテゴリの編集、 Yah00! 検索、 Yah00! 知恵袋、 Yah00! 検索ラン キング、 Yahoo! 検索スタッフプログ、 Yah00! 百科事典、 Yah00! ラボば どの企画・設計・運用に従事。 一一〇〇九年九月、「学問を生かす社会〈」をビジョンとするアカデミック・ 233 第 5 回 21 世紀ミュージアム・サミット講師等一覧
綿として変わらないものも確かにある。だから、たとえば縄文式土器を見て「よくもまあ、こんなす ごいものをつくったものだ。どういう思いがこんな風にモクモクと湧き出たんだろう」という感動を 覚える。一〇〇〇年、二〇〇〇年、何百世代ものあいだを通じて変わらない、人間の本性というもの がある。その感動を未来に向かって送り出すのも現在の世代の義務のひとつであると思いながら、そ の具体物の前に立ってみる。たとえばエジプトのルクソールの大きな壁面に、ヒェログリフ、象形文 字が彫ってあります。ただ書いてあるのではなく、刻んである。一〇〇〇年、二〇〇〇年ではびくと もしないようにしてある。そこに、実際にそれを掘った石工の鑿の動きが見えるような気がする。そ の書かれた文章をつくった書記の気持ち、つくらせた王様の意図、そういうものが読み取れる。それ は、余計なことをすべて心から捨てて、静かな気持ちで対峙したときに、やつばり伝わってくる。 だけど、みんなが「伝わってくる」と感じるためには、人びとをうまく呼び寄せて、そこに立たし めて、心を静かにしてやらなくてはいけない。おそらく、そのための知恵と技術と惹きつけるやり方 を考え、生みだすことが、これからのわれわれ、とくにミュージアムにかかわる皆さんの仕事なのだ ろうと思います 35 基調講演 I 「過去は未来である」 ( 池澤夏樹 )
第四回のミュージアム・サミットの成果をまとめた『 100 人で語る美術館の未来』の出版から二 週間ほどで、あの東日本大震災が起きました。一〇〇〇年に一度という大津波でいくつもの集落とコ ミュニティーが流され、二年近くたってもいまだに復興に辿りつかない集落もあります。しかしがれ きの中に鳥居が立ち、鎮守の社だけが残った地区も多くみかけられ、鹿踊りなど民俗芸能を継承して きた地域の復興は早かったといわれています。 それはなぜか。縄文以来、八百万の神が宿る自然と同化し共生してきた東北の人々は神や仏の座を 高台で守り、祭りや民族芸能に先祖の供養や鎮魂の意味を込め、心のよりどころにしてきたと言われ ます。だからこそ、その核が残されていればコミュニティー立て直しの大きな力となったのだと思わ れます。 幻世紀ミュージアム・サミットは二年に一度開いてきましたが、回を重ねるにつれ次回はどうする かとテーマ設定に髑んできました。しかし第五回の今回は大震災のほぼ一年後の開催がきまっていた ので、その教訓を活かそうと思いました。それは地域文化を支えるはずの美術館・博物館はそうした 復興の核となりえるのか。あるいは日頃、その地域の人と人をつなぎあわせる舞台となっているのか あるいはそうした核であるには何が求められているのか、という課題です。 というのも前回は、美術館関係者や美術の専門家で討議していたサミットを見直し、参加した普通 おわりに 225 おわりに
>—l< 連携とは << »-a とは、 Museum ( 博物館 ) 、 Archives ( 文書館 ) 、 *-a << とは、 Museum ( 博物館 ) ・ Library ( 図書館 ) ・ Archives ( 文書館 ) の頭文字。「連携」とは、三種類の Lib 「 a 「 y ( 図書館 ) 、 Unive 「 sity ( 大学 ) 、 lndustry ( 産業 ) の頭文字。 施設間の事業連携を指す。連携による効果として、コレク 従来の連携に大学と産業を加えることで、文化資源と ションのアクセスへの向上、プログラムの共同開発、人館者関わりのある機関・団体の枠を広げ、政府・自治体以外の民 間資金も活用しながら、文化資源の収集・保存・研究・公開 数の増加、職員の質の向上などが期待される。カナダや米国 ( 活用 ) を効果的に進めることを目指している。 に実践事例が多く、連携の形態としては、①プログラムの共 連携の構想は、二〇〇九年に知的資源イニシア 同開発、②デジタル・コンテンツの共同作成、③施設の共同 テイプが企画した「日本の連携の方向性を探るラウン 利用、などがある。 日本では、二〇〇八年に、カナダ・オタワ公立図書館リ ドテープル」での議論の中から生まれてきた。 << —連 デュー分館のアレクサンドラ・ヤロウらの執筆による『公立携のアイデアを含むラウンドテープルの成果は、二〇一一年 七月に出版された『デジタル文化資源の活用』 ( 勉誠出版 ) に詳 図書館・文書館・博物館ーーー協同と協力の動向』が紹介され たことで関心が高まり、二〇〇九年には、特定非営利活動法しい。また、一般財団法人デジタル文化財創出機構の主催で、 二〇一二年二月に開催されたシンポジウム「文化情報の整備 人知的資源イニシアテイプの主催により「日本の *-a 連携 と活用ーーーデジタル文化財が果たす役割と未来像二〇一二」 の方向匪を探るラウンドテープル—」が開催された。 においても、連携の話題が取り上げられた。 解説 連携とは 131 解説
動物もただ見ているだけではわからない、理解の糸口がなかなか見つからないこともあるんです ね。それを解消できるのがコミュニケーションではないかと思います。きっかけを作り、いろいろ なことを仕かけることで、もっと関わりたい、また来たいという想いが生まれる場所になるのでは ないでしよ、つか 村尾知子・久代明子 ( 東京都写真美術館 ) 一九九五年に開館した東京都写真美術館 ( 写美 ) には、「存在感のある美術館」という定性目標が あります。「存在感」とは、まず具体的には、どこにあるかを知ってもらうことです。二〇〇〇年 に福原義春館長が就任したとき、「写美は上野にあるの ? 」と聞かれてショックを受けて、恵比寿 にあることをもっと強く言わなければいけないと思ったそうです。名刺からはじめて、新聞やテレ ビでも「東京都写真美術館 ( 恵比寿 ) 」と紹介してもらうように、広報担当が写美の存在感を出すべ く取り組みました。 また、写美には年間目標もあります。福原館長一年目の目標は「静かな賑わい」でした。これも 館長が「写美は一日いても静かで涼しくて、新聞とか本を読むのにいいね」と友人から言われて、 美術館としては人が集まる努力もしなければいけないと危機感を持ったことがきっかけです。 図の棒グラフ ( 薄い色 ) は東京都からの予算です。どんどん減っています。折れ線グラフは人場 者数の推移です。人場者数が底をついた二〇〇〇年以降、職員の取り組みもあり、目標もしつかり 話題提供 5 東京都写真美術館の取り組み 東京都写真美術館〕東京・恵 比寿ガーデンプレイス内に一九 九五年一月総合開館。国内唯一 の写真と映像の専門美術館とし て、三つの展示室と映画ホール を持つ。収蔵作品約二万八千点 を誇り、専門図書室では貴重な 写真集や書籍を閲覧できる。 東京都目黒区三田一ー一 WWW. syabi.com ミュージアムの価値の実現をめぐって 174 第 2 部
的に可能かわかりませんが、現場としては以前から追求してきた独立行政法人による博物館運営が この機会にうまく実現すれば、という期待を持ちながら様子を見ている状況です。 デリカシーの三つの「シー」が博物館設置者には必要だという 数年前、ポリシー、リテラシー 拙文を書きました。設置者の問題については、そちらも参照していただければと思います ( 山西良平 一 l) 、日本博物館協会、二〇〇八年、二一ー二五頁 ) 。 「公立博物館の在り方をめぐって」『博物館研究』四三 ( 一 博物館コミュニティーをつなぐインターミディアリー 当館は、一九五〇年に設置されました。当初のよちょち歩きの時代は、市民や研究者の集団が後 援会という形でパックアップし、館を支えてくれました。後援会はその後、「大阪自然科学研究会」 に発展します。そして、一九七四年に現在地に移転したのを機に、研究会から友の会という博物館 ューザーによる学習組織に脱皮し、活動の幅を広げました。同時に、博物館とつながりの深い、よ り専門的な研究サークル、同好会といったヘビーユーザーの集団も多数活動していました。そう いった人たち、特に友の会の役員を中心に、「大阪自然史センター」という法人が二〇〇一 年に設立されます。このは、定款に大阪市立自然史博物館との連携を行うことが目的と明 記した、博物館をとりまく協力者による事業体です。それまでの友の会事業を引き継ぐのに加え、 ミュージアムショップやボランティア事業など、博物館が直接運営することがなかなかむずかしい 事業も、この大阪自然史センターが担ってくれています。さらに、今まで学芸員だけではこなしき れなかった子ども向けワークショップなどのプログラム開発や大規模なフェスティ、、ハルを、博物館 と共催するといった形で博物館とタッグを組んでいます。この法人は、自ら各種の補助金や 委託料を獲得し、デザイナーやファシリテーターなど、学芸員にはないスキルを持っ職員もきちん と雇用しながら事業を営んでいます。 ミュージアムの価値の実現をめぐって 84 第 2 部
を求めるのであれば文化しかないのではないでしようか。それなのに日本では、具体的な文化の担い 手である美術館あるいは博物館については、ほとんど、考えられていない、あるいは論じられてない と長年感じてきました。 「幻世紀ミュージアム・サミット」は、そのような背景から二〇〇四年にはじまりました。当時は 多くの美術館・博物館が予算や人員を削減され、大きな制度改革の波にもまれ、ミュージアムは冬の 時代に突人したと言われていました。その中で私どもは、先人たちが創造してきた歴史を学ぶ糧とし てのミュージアムが、国の文化力となっていくにはどうすればよいのか、議論を深めてきました。サ ミットは開始以来隔年で開催してきましたが、「文化の継承と創造」をテーマとした第一回にはじま り、第三回までは、欧米やアジアの代表的なミュージアムの館長の方々においでいただき、ミュージ アムが従来の収集・保存・展示する機能を残しながら、いかに未来社会 ~ の創造を触発する機能〈革 新していくか、そういった問題に対する見識あるいは活動状況などを述べていただいて、日本の美術 館関係者の方々とともに討議してまいりました。その成果は、『ミュージアム・。ハワー』 ( 慶應義塾大 学出版会、二〇〇六年 ) 、『ミュージアム新時代』 ( 同、二〇〇九年 ) という二冊の書籍にまとめられてい ます。 一方、海外の先進的な事例を聞くと大変触発されるわけですが、あまりに社会状況、政治状況が違 うこともあり、私たち自身の実践につながらない面もあると考えるようになりました。そこで前回、 二〇一〇年二月に開催した第四回は、美術館側だけでなく、利用者側の視点から、「あなたにとって