ェコミュージアム - みる会図書館


検索対象: エコミュージアム : 21世紀の地域おこし
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1. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

ージアム 21 世紀の地域おこし 工コュ はじめに 第 1 章 工コミュージアムの原点 はじめに 1 . 工コミュージアムの実態にふれて・ 2 . G. H. リヴィエールと博物館 3 . 工コミュージアムの成立・ 4 . 工コミュージアムの概念・ おわりに 第 2 章 フランスのエコミュージアム はじめに 1 . 工コミュージアムの誕生とその背景・ 2 . 地域特性による多様な活動の展開・・ まとめにかえて一日本への指針ー 第 3 章 リンゴとワインの里のエコミュージアム ( 山形県朝日町 ) ・ LO 0 一 LO 、 6 一 1 ワ」ワ 3 ワ 3 ・・・ 29 っ 0 っ 0 一 .0 ・・・ 65 1 . なぜ朝日町でエコミュージアムなのカ 2 . 朝日町の町づくり・ 3 . ふりかえれば見える地域づくりを・ 4 . 朝日町にとってのエコミュージアム・ 5 . ェコミュージアムへの取り組みの経緯・ っ 6 0 ワ朝 -4 4 4

2. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 6 章工コミュージアムへの招待 るのが、「コンセルバトウール」という「主任学芸員」の配置である。 西野嘉章氏によれば「コンセルバトゥール」とは「文化財について研究 すること、文化財を保存すること、文化財を充実すること、文化財を評定 し、認識させること、文化財について調査を行い、それを広く公衆へ伝達 し、流布すること」である。それゆえ、「コンセルバトゥールは、研究、 調査グループを率い、これを監督し、予算を計上し、執行し、行政上の諸 問題全体を処理する」 ( 『博物館学一一フランスの文化と戦略』西野嘉章 東京大学出版会、 1995 年 ) という役割を果たす専門家として配置されてい る。 もし、ほんとうに地域が、自らの地域で「エコミュージアム」としての こうした「方法としての博物館」のあ すがたを生み出したいのであれば、 りようを備えていなければ、また一過性の行政の思いつきイベントか、土 建屋型まちづくり行政で終わってしまうにちがいない。 名付かしい古里の N P 0 工コミュージアムを生み出していく運動 ( プロセス ) は、新しい日本人、 新しい文化を生み出していくように思える。 ェコミュージアムが「地域」を領域とし、「市民参加」を方式としてい る以上、それは公共性の実現にほかならない。 いったい「公共性」とは何なのか。日本では古くから、公共性を「お上」 といってきた。 この場合、滅私奉公の対象としてのお上でしかなく、もともと公共性と いうものを原理的に問うことはされてこなかった。 ェコミュージアムを実現しようとするとき、もちろん、それは非営利 ( ノンプロフィット ) な空間であり、さもしい利潤原理では生み出せない 空間であり、地域をつくる仕事師たちの作用である。 ヨーロッパに歴史的につくり出された公共の思想は、ギリシアでまず生 まれた。そこには、個人としての存在は、はかなく愚かしいものだという ギリシア風の人間観から生まれた観念であった。「都市 ( 国家 ) のもつ公 共性」こそが人間をたしかなものにし、そのためには自由な市民たちの言 かみ 161

3. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 1 章ェコミュージアムの原点 4. 工コミューシアムの概念 工コミュージアムの理念をみていくためには、フランスの地方文化の振 興、地方の活性化を図る DATAR の存在と、長年にわたる博物館学的研究 の蓄積をもつ G. H. リヴィエールの知見とをふまえる必要がある。両者に 共通するものは、フランス文化の多様性の発見と、それを表現するものを 「遺産」とし、それは人間の環境とのかかわりで営まれる生活のなかで、 過去から現在、そして未来に引き継がれるものとみることである。その保 存・活用は、そこで生活している人々の活動にゆだねられる。したがって、 工コミュージアムは、地域住民の参加なしには成立しえない。住民は、そ の運営に参加することで、テリトリーにある各種の遺産の価値を知り、そ れらとともにあることに誇りをもつ。また地域や運営に参加している個人 としてのアイデンティティの確立を図っていく。そのことは、結果として 地域の活性化につながっていくし、地方分権を実質的なものとしていく。 工コミュージアムの理念を検討していく手がかりとして、 1980 年、リヴ イエールが行った「発展的定義」がある。これは、さまざまな側面から、 工コミュージアムをとらえたものであり、いわば、エコミュージアムの工 ッセンスともいうべきものである。 まず、「エコミュージアムは、行政と住民とがともに構想し、創り出し、 活用する手段である」としている。そこでは、行政・専門家・住民の連携 が強調されている。次に、エコミュージアムは、住民自身と地域の生活環 境とを映し出す「鏡」であるとしている。工コミュージアムにかかわるこ とで自己と地域とを客観視できるという。そのほかに、エコミュージアム は「人間と自然の表現」であり、「時間の表現」であり、「空間の解釈」で あるという。それを機能という側面からみると、「研究所」であり、「保存 機関」であり、「学校」であるという。 それぞれの項目について、彼の体験にもとづく簡潔な解説が付されてい る。それについては、これまでの記述でふれられているのでは繰り返さな い。アフォリズム ( 警句・金言 ) 風に示されたエコミュージアムの「発展 的定義」は博物館学の基本的な部分をしつかりおさえながらも、より開か 25

4. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 6 章ェコミュージアムへの招待 これが 8 調子であり、あたかもこのマグマのような縄文のリズムが「近 代」をひらいたとも思われるものである。 歌舞音曲は、なかなか危険である。人をトランスにもっていってしまう だけでなく、呪術としての機能をもつ。それゆえ、いつの時代も支配者が 危機に陥ったときは歌舞音曲を禁止し、管理した。歌舞音曲の祝祭空間は 民衆のうらみつらみが呪術となっていく回路が、風のようにしのびよって いるのだ。 たとえば、農家の囲炉裏ばたのばっちゃんの語りなども、そうした呪術 の文脈で語られてきたものだ。それゆえ、民話は奥が深いものだといえ る。 工コミュージアムは、 示するものだ」 こうした「暮らしの文化の伝統」を「保存し、展 そして、この「暮らしの文化」を生み出し、保持し、機能させてきたの が、「農家」にほかならない。 もちろん、エコミュージアムは、漁村でも都市でも成立しうるが、とり あえず、農村をエリアとして考えてみよう。 農家は「百姓」といわれてきた。つまり律令時代、さまざまな職階の姓 をつくっていって、ついに庶民のレベルになったとき、あまりにも多彩な 職 ( わざ ) で暮らす、多彩な形のなりわいがあったため、「ええい、めん どくさい、いつばひとからげで、百姓 ( なんでもありの人たち ) 」とでも 片づけてしまったにちがいない。文字どおり、農家は、なんでもありで生 きてきた。そして、そのことで、文化をつくってきた。基本は「自給」で ある。支配層は「奪う」ことが、基本であるのに対し、農家の基本は「自 給」である。それはいまでも変わらない。 農家は「自給」を捨てたときに、「奪う」という「依存」の文化に組み 込まれていく。 ェコミュージアムはそれゆえ、「農家」の「自給」の現在がなによりも 展示されなければならないのではないか。 たとえば、自給というのを、せまくキッチンガーデン ( 菜園 ) とのみ考 えてはいけない。 自給というのは、依存 ( 分業 ) とは対極にある自己決定にほかならない。 157

5. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

はじめに 数年前、フランスのエコミュージアム視察団に参加し、プルゴー ニュの 工コミュージアムを視察してきた。 それまで、エコミュージアムについて、文献などを通じて多少の知識・ 情報をもっていたが、それはきわめて観念的なものであり、実感に裏付け られた納得のいく理解とはいえなかった。このことを幾分でも解消できた らという思いが、私を視察団に参加させた。この視察は、私にとってみの り多いものであり、その後の学習にあたって、私を導いてくれる視点なり 観点を与えてくれている。 この稿は、その視察報告であるとともに、私が理解しているエコミュー ジアムのあり方、とらえ方を示すものである。したがって、厳密な意味で のエコミュージアム研究をめざすものではない。これは、あくまでも、私 の実感にこだわったエコミュージアム観として読んでいただきたい。 ーヌの都市型のエコミュージアムである。 工コミュージアム、そして、中西部にあるル・クルゾー には、プルゴーニュ地方の南東部に位置するプレス・プーギニョン地域の ランスのプルゴーニュ地方のエコミュージアムを視察し、学んだ。具体的 1996 年 6 月、「第 3 回ェコミュージアム海外セミナー」に参加して、フ 1 . 工コミューシアムの実態にふれて モンソー 8 されていた。このホテル自体は、エコミュージアムを構成しているもので いう名称がつけられており、フランス全土の水車についての解説書も販売 た案内書には、プークシャトーの水車・ホステリエ ( 田舎風のホテル ) と 下の一部を川が流れている。一種の水車小屋風に建てられている。入手し には、水車を構成している機械の部分が上手にいかされており、建物の床 の内外を見てみると、ひじように興味深いことがわかった。ホテルの内装 ルアン郊外にあるこぢんまりとしたホテルであった。翌朝、起きてホテル パリ到着後、約 5 時間のバス旅行の末に着いたのは、同地域の中心地・

6. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 3 章 をはぐくもうとするものである。 ( 2 ) 工コミュージアムと子どもたちの「生きる力」 リンゴとワインの里のエコミュージアム 79 すのである。 ば、地域の人たちと先生方とが力を合わせ、学校の教育活動が深まりを増 よく知ろうとするとき、大きな助けとなる。工コミュージアムが充実すれ ミュージアムが充実し、その窓口がいつも開いていれば、先生方が地域を 所であると同時に、それをみんなに伝えていく機関・施設でもある。工コ ェコミュージアムは、地域の人たち自らが地域のことを調べていく研究 くということは、そうたやすいことではないのである。 忙しい勤務のなかで、地元在住の教師でもないかぎり、地域に精通してい 心をゆさぶる生き生きとした授業を仕組んでいくことができる。しかし、 地域をよく知っていれば、地域の生きた素材を活用して、子どもたちの というのが、偽らざる現状である。 場合が多い。 みながらも、その手続きの繁雑さや時間的制約から断念せざるをえない ②児童の学習意欲を高めるために「地域の教材や人材」を活用したいと望 だけに依存している場合が多い。 ①地域社会とのつながりの希薄さから情報収集がスムースでなく、副翫本 も、 動が、ますます重要になっていくということを多くの学校では認識しつつ しかし、地域に根ざし地域の教育力をいかした豊かな体験を伴う教育活 ど求められているときはない。 根ざし、地域の教育力をいかした、豊かな体験を伴う教育活動が、いまほ 育力の活用なくして、「生きる力」をはぐくむことは困難である。地域に ( 学習指導要領 ) が配慮事項としてあげられているように、地域のもっ教 導体制、地域の教材や学習環境の積極的な活用などについて工夫すること」 「地域の人々の協力も得つつ全教師が一体となって指導にあたるなどの指

7. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 6 章ェコミュージアムへの招待 そ 20 万円にもなるという。 「北の大地」「カナダ」「赤毛のアン」「星の降る里」などといった、何の 必然性もないお祭り言語に酔わされ、誰ひとり責任をとるものもいないま ま、芦別の「カナディアンワールド」は荒れ放題だという。 市は「市営公園」にするという、いつもの言い換えで、なんとかしよう とするが、それは虚無でしかない。 祭りは終わったのであり、この祭りをデッチ上げた「土建屋型ハコモノ まちおこし行政」と、利益誘導しか求めない住民意識の時代が終わったの 田中直毅氏のいうように、問題は、私たちが、「市場原理」というもの をよくわかっていない、ということかもしれない。 「市場というカオスが選択していくときの多様な価値観の存在」 ( 田中直 毅 ) ということだ。いすれにしても、それぞれの個性的な自己決定が生み 出す、多様な価値 ( 商品 ) の交換として、社会の根源をとらえるときにき ているにちがいない。 工コミュージアム ( 地域の自然と文化がそのまま博物館 ) が登場したの こういう時代のもとである。 は、 すべて、モノゴトは歴史的な刻印をおびる。 1990 年代の終わり、バブル がはじけ、 20 世紀の経済社会のモデルが、世紀末となって転換期を迎える ときの「日本のエコミュージアム」を私たちは、いま構想しようとしてい るのだ。 まず、どこかのマニュアルをひきうっすことをやめてほしい。そして、 自分の住んでいる地域が、現在、どのような問題を抱え、そして、地域の 人々が自らの文化をどのように保存しようとしてきたのかを調査し、その 資源的価値を明らかにしてほしい。 それをどのように展示するのか。「並べること」と「展示すること」は ーーに博物館学の、学問としての蓄積と有効性が機能しなければ ) 星つ。、 ならない。 工コミュージアムという、課題、システムが、今日重要だと思われるの は、フランスの人々によって構想された、このアイデアが明らかに、日本 の地域課題に取り組む方法だと思えるからだ。 153

8. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

【執筆者一覧】 第 1 章 小川剛 ( おがわ・たけし ) お茶の水女子大学名誉教授。獨協大学経済学部教授。 第 2 章 岩橋恵子 ( いわはし・けい 志學館大学文学部助教授。著書に『 21 世紀を展望するフランス教育改革』 ( 共著東信堂、 1997 年 ) 、『ポランティア・ネットワーキングー生涯学習 と市民社会一』 ( 共著東洋館出版、 1997 年 ) 。訳書に『国際成人教育論ー ユネスコ・開発・成人の学習ー』 (). S. ポーラ著東信堂、 1997 年 ) 。 佐竹伸ー ( さたけ・しんいち ) 朝日町役場企画課勤務。朝日町工コミュージアム研究会事務局長。 橋間友則 ( はしま・とものり ) ( 有 ) 生活地理研究所代表。朝日町ェコミュージアム研究会副代表。 菅井正人 ( すがい・まさと ) 第 3 章 ビーズファーム代表。朝日町ェコミュージアム研究会会員。 安藤竜ニ ( あんどう・りゆうじ ) ージアム研究会監事。 朝日町教育委員会生涯学習課勤務 ( 派遣社会教育主事 ) 。朝日町ェコミ 第 4 章 今橋克寿 ( いまはし・かっとし ) 東和町役場開発商工課勤務。空・山・川総合研究所理事。 ジアム研究会理事。 第 5 章 佐々本芳資郎 ( ささもと・よしろう ) 島根県浜田地区広域行政組合勤務 ( 弥栄村役場派遣 ) 。 日本エコミ コ . コ - 173

9. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

ないだろうか。 ②田園空間整備事業にあたる総体としての東和町の状況 空山川総研が中心となって、ハードよりソフトこそたいせっと考え、住 民参画を柱に、自分たちのスケールとテンボで進めてきたイーハトープ・ 工コミュージアム運動も、田園空間整備事業が入ることにより、いよいよ 一大転機を迎えることとなった。実戦経験の乏しい N P O としては、防具 をつけた竹刀での稽古から、いきなり真剣による勝負の舞台に、引っ張り だされたという感がしないでもない。しかもまわりには「お手並み拝見」 とばかりに、観戦者や関係者がけっこういるのである。 事業では、 5 年間で約 5 億円近くもの資金が投入されることになるし、 その半分は町の一般財源からの負担というのだから、 ことは重大である。 といっても、全国的には平均 15 億円の事業だそうだから、東和町の事業規 模は小さいほうなのだそうだ。 そもそも金をかけずに知恵と汗を出すことによって、等身大で進めたい としたエコミュージアムづくりに、力量以上の負担を強いられるよう形で 取り組まねばならなくなったことに、一抹の矛盾と疑問と不安を抱くのは、 私たちだけであろうか。 工コミュージアムといいながら、結局東和町においても、時間的な制約 のなかで、えてして行政がやってしまいがちなアカウンタビリティの不十 分な、従来とさほど変わらない補助事業が、予算の消化という程度のレベ ルで終わりということになりはしないのか、つい心配になってしまうとい うのがホンネである。 ェコミュージアムづくりを目標とする田園空間整備事業は、生涯学習の まちづくりと同じように、行政にあっては一つの担当課のみで進められう るものではない。市民サイドにあっては一つの NPO ・空山川総研だけで なしうるものではなく、行政と地域の総力が休むことなく、しかも無理な く傾注されつづけなければならない性格をもっているのである。 ③田園空間整備事業を追い風として受けとめたい この事業では、町行政も事業申請の当初から空山川総研を頼みとし、 れまでのところ担当する課だけではあるが、積極的にアプローチをしてき ている。 120

10. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 2 章フランスのエコミュージアム ではこの想いはどのように活動に貫かれているのだろうか。まず、テリ トリーは、フルミ町とトレロン町を中心とした 13 町で構成されている。 こで注目されるのは、 こうしたテリトリーは、たとえば行政単位のように すでに設定された空間をアプリオリに前提とするのではなく、エコミュー ジアムの運動のなかで形成されていくものであるということだ。つまり、 ・トレロン・エコミュージアムのテリトリーは、まずフルミ町とト フルミ レロン町がかっての産業遺産の保存ということにかかわってエコミュージ アム運動の展開の過程のなかで協力と合意のもとで設定されていき、その 主旨がさらにほかの町の人々にも理解されるにしたがって 13 町に及ぶ住民 のなかへ工コミュージアム協同体が広がり形成されたのであり、当初から 空間として限定された地域が存在していたわけではない。言い換えればェ コミュージアムの基盤を形成していったかぎりでの地域であるといえる。 その意味では、フルミ・トレロン地域もさらに拡大、あるいは縮小される 可能性も大いにある。今日、テリトリーを広くし、それら地域全体を呼称 する「アベノワ地域ェコミュージアム」と名称変更しようという提案がな されてきているのはそのためである。 こみち 「アンテナ」および「発見の小径」は、今日地域全体で計画中のものも含 め表 2 ー 1 のような 8 か所が設定されている。そして、これらがテリトリ ー全体に設定され、フルミ・トレロン地域の工業、農業、自然、宗教など が理解できるように構成されている。興味深いことに、これらはすべて住 民の発案によるもので、展示されているものもすべて住民の提供によるも のである。しかも、エコミュージアムを訪問するとたいていはガイドが説 こうしたガイドもほとんどが住民である。この点 明をしてくれるのだが、 について、 M. グジャルは「ガイドにしろ、企画や展示にしろ、それは地 域の生活の証人である住民によってなされるのが当然と考えている。そう でなければ、どこの博物館も同じものになってしまうだろう」とコメント し、エコミュージアムが真に個性あるものになるかどうかは、そうした 「地域の証人」の力にかかっていることを強調している。 「住民参加」にはさまざまな形態があるが、エコミュージアムの場合、管 理・運営の決定レベルや、こうした遺産と収集レベル、企画レベル、そし て証言や情報レベルまでをも含めて考えられていることが注目される。私 41