地方 - みる会図書館


検索対象: エコミュージアム : 21世紀の地域おこし
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1. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 2 章 った。 ( 2 ) 地方開発政策の進展 フランスのエコミュージアム フランスにおいてエコミュージアムが最初に設立されるのは 1960 年代末 であるが、実現の直接的契機となったのは、当時の地方開発政策、文化政 策の一環として地方に設立された「地方自然公園」の誕生であった。 1950 年代から 60 年代にかけてフランスは経済成長のなかで、地方の過疎化や生 活レベルの低下、都市への人口と産業の集中といった地域間格差が深刻化 した。そしてそのなかで政策の重要な柱となったのは、経済活動を中心と する公共サービスの地方への分散化であった。なかでも全国国土整備計画 は最重点課題とされ、高度経済成長の過程で多様化する開発目標の調整が 図られ、各地方が対象とされた。そのさい、文化投資による公共設備が重 視され、その一環として文化施設の設置をはじめ、文化的機会を全国に普 及するための文化政策が実施されたのであった。それは 1963 年からの 4 週 間の有給休暇の実現ともあいまって、地方で休暇を過ごすことを促進する 観光政策への取り組みとも連なっていた。こうしたなかで、地方自然公園 をつくることが政策課題として浮かび上がってきたのであった。 当初、地方自然公園のモデルは、スカンジナビアの野外博物館に求めら れた。だが、当時国際博物館会議の責任者であり、フランスの国立博物館 の主任学芸員でもあったリヴィエールは、地方自然公園のなかに「社会的 慣習、儀式、舞踊、歌、伝説などを、公園という鏡が映し出すメッセージ としてとらえ」て、野外博物館やたんなる公園を超える可能性をみたので あった。その最初の実践が、 1960 年代末のウェッサン島地方自然公園で、 次いでランド地方自然公園で試みられた。そして後にそれらはウェッサン 島エコミュージアム、グランド・ランド・エコミュージアムとして実現す ることになったのである。そこではたとえば、 19 世紀末の地域調査研究に もとづいて地主や小作農家の住居、農地や果樹園、牧草地などを復元し当 時の生活の場を再現する地区がつくられたり、あるいは古い民家をその中 の家具や生活用品とともに保存して記憶の収集が行われたりしたのであっ ーーに従来の博物館 ( 学 ) の批判をふまえてのエコミュージアム実現の 第一歩が踏み出されたのである。

2. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 2 章フランスのエコミュージアム そして地域歴史研究の協同体もこのアンテナの活動に参加している。 施設には、ワインや圧縮機、ブドウの栽培から収穫、発酵までに使 われる器具の展示やその過程を示す展示、かってのワイン製造農家の 生活の様子の展示などがあり、それらをかってブドウ栽培とワインづ くりをしていたボランティアのガイドで見学できる。 * 地方新聞製作所 : 現在ルアン町の所有であるが、もとは『ランデパン ダン』という地方新聞の印刷所であった。フランスの地方新聞はかっ てたくさんあったが、規模が小さくなって、今日ではそれらが集合化 する傾向にある。したがって、かってはそれぞれの新聞が各自の印刷 所をもっていたが、最近では新聞も一般の印刷所に任せるようになっ た。そして現在ランデパンダン紙は、編集などはルアン町で行ってい るものの、印刷は大都市であるリョン市で行われている。このアンテ ナでは、かっての鉛の印字を使っての印刷の風景を扱っている。印刷 所は実際に動く状態で保存するのが目的である。したがってよく子ど もたちが来て新聞を作って、実際に印刷を体験している。また資料室 には、ランデパンダン紙の創刊号から現在までのものが保管されてお り、 100 年以上前のこの地域のことがわかる貴重な情報源にもなって いる。 * 水車のサーキット : プレス・プーギニョンにはかって 300 の水車があ ったことがエコミュージアムの調査によって明らかになっているが、 そのうち実際に地域に点在して残っている 7 つの水車 ( うち稼働して いるのは 2 つ ) をエコミュージアムを構成するものとして、それらを 結ぶ見学コースをサーキットとしている。その出発点には水車の歴史 を示す展示がされている。それらの活動は、他方で水車の全国連盟に 加盟し連携をとっている。 ( 4 ) 「冒険」を続けるエコミュージアム クルゾー・エコミュージアムが、今日のいわゆる協同体型の一つの方式 を生み出したことはすでに述べた。それは、地域に広がる遺産を住民の参 加によって支えていくことを、実質的なものにしていくのに有効な方式で あったのだった。しかし、それから 20 年の実践を経て、新たな形態を模索

3. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

また人々が集い歓談を楽しむ場となっている。ここを見て、人々が地域の 農業・文化の伝統をつなげていく場が確保されていることを感じた。また、 工コミュージアムを支えているアソシアシオン ( 公的目的のためのボラン ティア集団 ) の存在を確認した ーーにも『発見の手引き』という内容の しつかりした解説書があった。これを読むことで、「森と木の家」の存在 理由が明らかになる。 次に訪れたのは、サン・ジェルマン・デュ・ボワにあるプレス地方の農 業の過去・現在・未来を示すアンテナ施設である。その建物は、かっての 農家の納屋であったという。そこでは、まずプレス地方の典型的な農家の 姿が、模型と一部実物で示されている。この地域は、かっては農業の中心 地域であった。主に 19 世紀に同地方で行われていた農耕法が農具と農耕用 の家畜とともに示されている。 また、プレス地方の未来の農業のあり方一一一世界的な銘柄となっている 「プレスのひなどり」の育成を中心とする も示されている。これは、 農民自身の体験をふまえての未来像であるという。 受付には、女性がおり、入館料の徴収と、プレス地方の農業に関する各 種の資料を販売していた。展示の説明は、アソシアシオンの人々が行って いた。視察後、アソシアシオンの人々がわれわれと意見交換の機会をつく ってくれたが、そこでも、ほかのところと同じように、そこで生活する喜 びと誇りとが言葉の端々にうかがわれた。 同地域の中心地ルアンには、見学に値するいくつかの施設があるが、な かでもエコミュージアムのアンテナ施設とされているのが、地方日刊紙 『ランデパンダン』の編集・印刷・発行していた社屋である。同紙は、現 在でも 14 ページの紙面からなり発行されているが、本拠はリョンに移され たという。同アンテナは、 1930 年代の地方新聞社の編集室、そして輪転機 は可動の状態で保存されている。われわれが訪問したさいにも、かって同 社で働いていた人が輪転機を動かし、実際に印刷して見せてくれた。 ちなみに、同新聞社は 1878 年に設立され、その後いくつか紙名を変えな がらも、地域の人々の新聞として、同地域にまつわる生活・文化の情報を 伝え、人々の意識を活気づけることにつながったものと思われる。 ニュというとワインが思い起こされる。現在ではあまりワイン プルゴー 12

4. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

家が取り組む通産省の補助事業 ) に参画する。 ・『東和町散策マップ ( 民俗芸能編 ) 』を制作・刊行する。 3. 地域 ( テリトリー ) の特色 ( 1 ) 東和町は典型的な中山間地域の農村 東和町は典型的な中山間地域の農村で、岩手県の内陸部に位置し、北上 山系の最高峰である早池峰山塊から始まる、北上川の最大の支流猿ケ石川 に沿って開けた地域である。東北地方最大の温泉と宮澤賢治のふるさとで 知られる花巻市、民話の里として名高い遠野市、地方拠点都市として躍進 著しい北上市に隣接し、米・肉牛・リンゴを主産物とする農業を基幹産業 としつつ、隣接する都市の商工サービス業に従事したり、それらを消費す ることがきわめて容易という地理的・社会的条件にも恵まれている。さら に、高速交通網のターミナルである東北新幹線新花巻駅、東北自動車道花 巻南インターチェンジ、花巻空港までいずれも 20 分以内にアクセスできる という好条件下にあり、さらに、近い将来には東北縦断自動車道釜石秋田 線が通り、町内中心部にインターチェンジができることになっている。 したがって、きびしい環境のなかでも生き残れる、新しい自分の農業を 確立したいという積極的な農家や、エコロジカルな意味で真に豊かな生活 スタイルを創造しようとする新田舎人と称される人々には、住みごたえの ある魅力的な土地である。 ( 2 ) 人をひきつける不思議な魅力のある地域 自由化のなかでますますきびしい競争を強いられ、他産業との格差が拡 大する一方で、なかなか明るい材料を見いだしにくい農業・農村の現実は、 何のへんてつもない農村としての東和町にも、厳然として存在している。 にもかかわらず、ここには、人をひきつける不思議な力もたしかにあるよ うだ。 東和町は町の施策として、人材の養成と有用情報の収集と外部とのネッ トワーキングのために、交流事業を多彩に展開している。国際交流、都市 農村交流、全国 4 東和交流、異業種交流といった具合である。これらの交 102

5. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

3- 工コミューシアムの成立 フランスにおいて、エコミュージアムが 1970 年前後に設けられたことは、 偶然ではない。この時期のフランスは、政治、経済、社会、文化の各領域 において、大きな転換期を迎えていた。 1958 年 10 月、ド・ゴール政権のもとで新憲法が公布され、第 5 共和制の 体制に入る。 経済の分野をみると、 1950 年代末から 1960 年代の初頭にかけて、恵まれ ない地域において、過疎と生活水準の低下がみられるようになった。言し 換えれば、地域間の格差がみられるようになった。また折から地方分権化 の声が高まり、 1960 年には「地域」 (Région 、旧州に当たる ) が、設置さ れた。これら「地域」間のひずみを調整するものとして、 1963 年、国土整 備地域活動庁 (Délégation l' Aménagement du Territoire et l' Action Régionale 、 DATAR と略称 ) が設立された。同庁は、小規模であったが、 「地域・空間計画庁」ともいわれ、当時進められていた地域改革にあたっ て、「地域・空間」の面での調整役の任を担い、その立役者になったとい われる。ちなみに、 1946 年に設けられた計画庁は、フランスの財政運営に おいてさまざまな調整役の任を果たし、その成果は高く評価されていた。 DATAR は、その任務の一つとして、 1963 年から導入された 4 週休暇制 度、徐々に広がりつつあった週休 2 日制への対応策を考えていた。フラン ス人の 40 % が、少なくとも 3 週間、居住地を離れること、また 700 万人の 外国人がフランスを訪れる、といった事実から、観光事業が経済的にも、 地域の活性化に結びつくと考えられた。 そこでまず、ラングドック・ルーシロン海岸やアキテーヌ海岸などが、 地方のリゾート地になりうるものとして、開発された。 1967 年、地方自然 公園の設置も、その一環と思われる。最初のエコミュージアムといわれる ものが、地方自然公園のなかで、誕生したことは偶然ではない。 1966 年 9 月 25 日から 10 月 1 日にかけて、プロバンス地方のルールにおい て「地方自然公園検討会」が開かれた。これには、大臣、高級官僚、専門 家、研究者が参加し、新設される地方自然公園運営の基本方針について論 20

6. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 1 章工コミュージアムの原点 議を交わした。その検討会で、リヴィエールは報告を行った。その内容は、 地方自然公園でそれぞれの地域の民家を保存し、野外博物館にするという ものであった。委員の多くは、自然公園に博物館的技術を導入し、その観 光資源としての価値を高めるとともに、フランス民衆文化の粋ともいえる 家屋の保存によって、文化遺産の保護にも資するとして、彼の意見に賛意 を示した。 リヴィエールの野外博物館の構想は、 MNATP の開設当初からのもので あり、この提言を行う数年前から、実際にその実現のための活動にかかわ ってきたのである。ーっは、ノルマンディのウェッサン島においてであり、 他はガスコーニュ地方のグランド・ランドのマルケーズ地区においてであ った。 1959 年、ウェッサン島のドキュメンタリーを撮影するために、映画監督 ジャン・ピエール・ギュスタンが、同島を訪れる。彼は、撮影を進めてい るうちに、同島に魅せられ、「民族学」研究、資料の収集を行うようにな る。彼は、この島の「民族学」的遺産、とくに伝統的な住居の保存の必要 性を感じ、 1963 年、リヴィエールと接触するようになる。リヴィエールは ギュスタンのために援助を惜しまなかった。 1967 年の秋、リヴィエールは 将来の自然公園の幹部養成の研修をウェッサン島で行った。また DATAR は「ウェッサン島の野外博物館計画」案の作成をギュスタンに求めた。彼 は、リヴィエールの協力のもとで「島のさまざまな要素における遺産の保 存を目的とし、遺産のために島を整備し、適当な経済開発を伴う」ことを 骨子とした案を作成した。それは認められ、 1968 年 6 月、「ウェッサン島 の技術と伝統の家」がアリモリック地方自然公園を母体として生まれた。 それは、当初、 2 軒の民家によって構成された。 1 軒は、家具などを当時 のまま保存し、公開された。他は、島の文化と歴史とを統合的に取り扱い、 展示を行う博物館とされた。その後、島の灯台に灯台博物館が設けられ、 工コミュージアムとなった。 他は、ガスコーニュ地方のランドのものである。同地方は、元来、砂丘 地帯であり、砂から土地を守るために 19 世紀中頃から松の植林が行われて いた。松の成育とともに松脂産業が起こり、砂から守られた地区では、農 業、牧畜業が行われていた。同地方では、 1930 年代から「森の博物館」の 21

7. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 2 章フランスのエコミュージアム だが、その思想的な成熟と実現は、数十年後の 1960 ~ 70 年代を待たねばな らなかった。その背景には、①伝統的博物館 ( 学 ) への挑戦②実現の直接 的契機としての地方開発政策③ェコミュージアムを実質的に支えていく 協同体運動の高まりがある。 ( 1 ) 伝統的博物館 ( 学 ) への挑戦 フランスの博物館は、その国有財を中央集権的に管理する仕組みの制度 が高度に発達したところにその特徴がある。そして、高度な専門家養成か ら得られる質の豊かな行政指導や、収集物に対する法律的規制の厳格さに よって、その文化的水準が維持されてきた。 200 年以上の歴史をもち、施 設規模、蔵品内容、学芸活動など、あらゆる点で世界でも屈指の博物館と いわれるループル美術館は、 こうした博物館制度によって守られ発展して きたその代表的なものである。 しかし、他方でそれは、博物館施設と蔵品内容さらに職員の序列化・差 別化を促してきたことは否めない。文化省博物館局の管轄下にある博物館 が、施設、収集・保存物、職員配置などあらゆる点で格差づけられ、ピラ ミッド構造を形づくってきたのであった。それは、博物館の専門職員であ る学芸員 (conservateur) とは国立系の博物館に所属する者のみをさし、 非国立系の博物館に勤務する多くの学芸員は、法制度上は学芸員と認めら れてこなかったことや、文化省博物館局傘下にある国立博物館 34 館中 24 館 がパリおよびその周辺に集中していることに端的に示されている。 ピラミッド構造の問題の根底には、博物館の機能と収集物に対する意味 づけにおいて、国有財の保存という国家的役割の絶対重視、国家的に価値 づけられた収集物への高い評価と、その収集物を通しての観衆への啓蒙的 教育、民衆の文化や地方の文化の軽視といった思想が横たわっていた。し たがって、「博物館は今日なお、権力の拡大を信じている階級の埃をかぶ った固定観念が集中している不可思議な場のままである」といった批判や、 あるいはまた「 ( 伝統的博物館の世界は、 ) 文化的には生徒を指導するとい う硬直した教育の世界であり、審美的には傑作作品に偏重する世界であり、 博物館学的には建築物と神聖な展示によるミューズの殿堂の世界として君 臨している」とその権威主義的な博物館 ( 学 ) が指摘・批判されたのであっ

8. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

表 2-3 ペイ・ドウ・レンヌ EM 定款 管理機構 工コュ ージアム ( EM ) の事例一覧 文化省博物館局の認定の有無 プロジェクト構想の年代 一般公開の年代 責任者 ( 個人名略 ) 職員 アニマシオン ( 活性化 ) 活動 テリトリー 活動テーマ 保存コレクション 資料 展示 ( 常設 ) 展示 ( 特別 ) 研究作業 場所 1985 年の訪問者 委員会の役割 1985 年の財政状況 出版物、視聴覚資料制作 60 バス・セーヌ EM プロトン地方自然公園 有り 1975 年 1979 年 学芸員 学術班 2 、運営班、受付班 17 プロントン地方自然公園、 40 市町村、 4 万人 熟練仕事、セーヌ川の活動、 リンゴ 動産 : 7 网、不動産 : 昔の建 造物 5 ( 風車・パン焼きの家、 司祭館、鍛冶場 ) 図書室、写真資料室、音響ラ イプラリー、ピデオライプラ 木靴の家、パン焼きの竈、熟 練仕事の家、リンゴの家、風 車、鍛冶場 ノルマンジーの風車、もし卵 が私に話したら、バスセーヌ の漁業 ウールのリポン、ノルマンデ ィの風車、熟練仕事、バスセ ーヌの漁業 巡回展示、遺産のアトリエ、 遺産の分類、地方生産物の市 場 コア : 445 ⅲ、アンテナ : 保 存コレクション項目参照 コア : 1 万 8320 人、アンテ ナ : 3 万 1250 人 学術委員会、利用者委員会、 管理者委員会、アニマトゥー ル委員会 運営費 : 約 112 万フラン ( 公 園・市町村 22 % 、州 6 % 、国 家 7 % 、自主財政 62 % 、私的 パートナー 3 % ) 投資 : 120 万フラン 「陳列台、リポン」「マンビル の意志の風車」「バスセーヌ 川の漁業」 プレス・プーギニョン EM 1 年協同体法 1980 年 1984 年 学芸員 絵葉書の作成など 紙と錬鉄」「麦・パン・人間」、 「ピエール・ド・プレス城の壁 投資 : 1 浦万フラン 5 % ) 主財政 15 % 、私的パートナー 10 % 、州 15 % 、国家 55 % 、自 運営費 : 約 170 万フラン ( 県 会合 ) 、学術委員会 利用者委員会 ( 1 年に 1 回の 8 网人 コア : 8000 人、アンテナ : 設展示項目参照 コア : 1940 市、アンテナ : 常 館整備 育セミナー、住民宅での博物 教育的活動、学校教師との教 展望と開発、農業の継承 水車の目録作成、地方住民の ウ園労働者とブドウ園、水車 ンクール、農業の継承、ブド ら職人、プレス地方の農業コ ランシーの椅子製造職人とわ ( 以上アンテナ ) にみる人生、麦・パン・人間 ア ) 、プレス地方の森、日記 展示会のための 12 の思想 ( コ 地方資料センター 点 動産 : 家具、道具、衣装 1 网 農業、職人、水力網 115 市町村、 6 万人 ア・研修生など ニマトウリス 1 、ボランティ 研究担当 1 、会計秘書 1 、ア レンヌ市 1979 年 1987 年 学芸員 レンヌ史についての EM での 農業の進展 プルターニュ特有の建築物、 の歴史 16 世紀から今日までのレンヌ 家屋 ( 10 ヘクタールと 20n イ ) 菜の種、不動産 : 農場と付属 動産 : レンヌで培養された野 レンヌの郷土史と近年の進展 28 市町村、 30 万人 ームと職員 プルターニュ博物館の学術チ 用者委員会 ( 計画中 ) 理者委員会ルンヌ市 ) 、利 学術委員会 ( 最も重要 ) 、管 バンティネの農場 祭りと工業の組織化ほか プログラム化 ヌ川の漁業」の制作 「町と田舎の交流」「パスセー 視聴覚資料「リンゴ酒の製造」

9. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

第 1 章ェコミュージアムの原点 4. 工コミューシアムの概念 工コミュージアムの理念をみていくためには、フランスの地方文化の振 興、地方の活性化を図る DATAR の存在と、長年にわたる博物館学的研究 の蓄積をもつ G. H. リヴィエールの知見とをふまえる必要がある。両者に 共通するものは、フランス文化の多様性の発見と、それを表現するものを 「遺産」とし、それは人間の環境とのかかわりで営まれる生活のなかで、 過去から現在、そして未来に引き継がれるものとみることである。その保 存・活用は、そこで生活している人々の活動にゆだねられる。したがって、 工コミュージアムは、地域住民の参加なしには成立しえない。住民は、そ の運営に参加することで、テリトリーにある各種の遺産の価値を知り、そ れらとともにあることに誇りをもつ。また地域や運営に参加している個人 としてのアイデンティティの確立を図っていく。そのことは、結果として 地域の活性化につながっていくし、地方分権を実質的なものとしていく。 工コミュージアムの理念を検討していく手がかりとして、 1980 年、リヴ イエールが行った「発展的定義」がある。これは、さまざまな側面から、 工コミュージアムをとらえたものであり、いわば、エコミュージアムの工 ッセンスともいうべきものである。 まず、「エコミュージアムは、行政と住民とがともに構想し、創り出し、 活用する手段である」としている。そこでは、行政・専門家・住民の連携 が強調されている。次に、エコミュージアムは、住民自身と地域の生活環 境とを映し出す「鏡」であるとしている。工コミュージアムにかかわるこ とで自己と地域とを客観視できるという。そのほかに、エコミュージアム は「人間と自然の表現」であり、「時間の表現」であり、「空間の解釈」で あるという。それを機能という側面からみると、「研究所」であり、「保存 機関」であり、「学校」であるという。 それぞれの項目について、彼の体験にもとづく簡潔な解説が付されてい る。それについては、これまでの記述でふれられているのでは繰り返さな い。アフォリズム ( 警句・金言 ) 風に示されたエコミュージアムの「発展 的定義」は博物館学の基本的な部分をしつかりおさえながらも、より開か 25

10. エコミュージアム : 21世紀の地域おこし

構想があり、それにリヴィエールはかかわっていた。 1968 年、リヴィエールは、野外博物館の設置場所を求めて、同地を訪れ た。同地は、ガスコーニュ・ランド地方自然公園となっており、またアキ テーヌ博物館の協力もあって、野外博物館の構想は具体化した。用地とし てはグランド・ランドのマルケーズ地区が選ばれた。作業を進めるなかで、 同地区の 19 世紀の土地台帳が発見され、 19 世紀のマルケーズ地区の全容が 明らかとなった。したがって、伝統的な民家の移築とともに 19 世紀の地区 の再現が図られた。土地台帳にもとづき、民家だけでなく周辺環境 ( 農場、 庭、森など ) も再現され、まさに、環境博物館 ( Mus de l' environnement) となった。 このようにして地方自然公園に、野外博物館が設置された。これらが工 コミュージアムと呼ばれるようになったのは、 1971 年秋、ディジョンで開 かれた ICOM 第 9 回大会において、環境相ロべール・プシャド (Robert poujade) が行ったスピーチによるとされる。そこでプシャドは、 「フランスでは、野外博物館の実現は遅れていた。われわれは国際的な 経験を参考にしながら、この段階を乗り越えた。公の場で起こすのは初 めてであり、まだ実験段階であるが、『エコミュージアム』と名づけた ものを広めていこうとしている。これは、最近設置された自然公園のな かで生まれてきている」 と述べている。当時は、環境、エコロジーなどに人々の関心が集まり、 フランスでは同年、環境省が設置されている。「エコミュージアム」とい う用語も、当時の ICOM の責任者ヴァリーヌが、エコロジー (écologie) と 博物館 (musée) とを組み合わせてつくったという。 このようにして、フランスのエコミュージアムは、地方自然公園を母体 として生まれた。今日、エコミュージアムといわれ、地域の人々がアソシ アシオを組織して、その運営などに主体的な存在として積極的に参加する ようになるのは、プルゴーニュの産業都市クルゾーを中心とした地域での 都市型工コミュージアムができてからである。 クルゾー市を中心とする地域は、かってフランス有数の鉱業、鉄鋼業、 ガラス工芸の中心地であった。第 2 次世界大戦中、ドイツ空軍による爆撃 の標的にされたという。 19 世紀中頃から、 1 世紀余にわたって、同地域を 22