2.8 計画中・建設中の博物館 111 他の大学でも同じことがいえるが , 京都大学には「もの」がある . 「人」も ある . ただ「人」 ( 大学のスタッフ ) がほんとうに博物館に役立つか , これは疑 問である . 「建物」はどうしても必要で , これは予算的な裏づけがとれればよ い . 「人」は将来の運営のために , 専門職としての学芸員が必要なのである . 大学の博物館に欠けている一面ではないだろうか . 京都大学にはすでに文学部博物館があり , これができれば両輪がそろうこと になる . しつかりした計画であり , ぜひ実現して universitymuseum のモデル の 1 つにしてほしいものである . 最近 , 予定された場所に他の建物が建っとい うことを聞いた . 基本的な計画が水泡に帰さないことを期待したい . まとめ 日本の大学博物館は , ヨーロッパ・アメリカなどと比べて , あまりの貧弱さ に目を覆いたくなる現状である . なぜ , 大学博物館が日本で育てられないのか , 日本における学問のあり方を問いなおす必要があるほど , 重要な問題であると 田 2.8 計画中・建設中の博物館 兵庫県立人と自然の博物館 三田市弥生が丘深田公園 1992 年 10 月開館の自然史博物館である . 1988 年に開催された「 21 世紀公 園都市博覧会」のテーマ館を転用する . 本館は 4 階建で , 面積は延 12222m2 , そのうち展示室は約 3500m , この他約 6000m2 の収蔵庫棟がある . 建物を除 いた予算約 80 億円 , 準備室の研究スタッフは現在 27 名である . これまでに用 意された標本は約 20 万点 , 昆虫約 11 万占植物約 6 万点が中心である . 理念として「 8 つの機能をもつ博物館」とある ( 図 2.57 ) . 展示 , 収集 , 普 及・教育 , 調査・研究の従来の 4 つの機能の他に , ジーンバンク ( 種保全・自 然保護 ) , シンクタンク ( 学芸員による提案・提言 ) , データバンク ( 情報提供 ) , 学術交流の機能を加えている . 展示は 5 つのテーマ , ①兵庫県の自然誌 , ( 2 ) 人と自然 , ( 3 ) 新しい文化 ,
130 第 2 章自然史系博物館のすがた ムとの組合せで利用されていて , 計画学習のための恵まれた館といえよう . これらの展示室とは別に世界の鉱物・鉱石コーナーがあり , アメリカ・中 国・オーストラリアからの寄贈標本が展示されている . 展示として , また国際 交流の一環として展示自体はよいのだが , この展示は最初の設計になく , 予定 された研修室があてられたのは少々問題であったようである . 1987 年からの 5 カ年計画により予算約 1 億 5000 万円で , 展示替えが行われ 始めた . どの程度新しさを盛り込んだ展示になったか心配な面もある . この館はいくつかの問題を抱えている . まず一般には土・日・祝日しか公開 されていないことである . 週日は計画学習のためということであるが , 入館者 数を見てもわかるように , 一般の利用のほうが多い . もっとオープンな利用を 考えるべきである . 第 2 に , 隣接する視聴覚センターは新しくできる教育会館のほうへの移転が 予定されている . 地下資源館とプラネタリウムをどうするのか , 現在検討中で 科学館とする構想もある . 自然史博物館と結びつけて考えることもできる . い ずれにせよ方針がはっきりしていないことは問題である . 地下資源館は「どこ へゆく ? 」ということにならないようにしてほしい . 第 3 に この館は市内の小・中学校の利用を主目的として考えられてきた . そのためもあってか展示と教育・普及の側面だけが重視されてきた . 収集や研 究がなおざりにされてきたわけで , これもこの館の性格としてやむをえないと いう面もあるが , このような基本的な側面が抜けると博物館の質は上がってゆ かない . 多くの例があるが先細りは見えている . 第 4 に , 専門職が不在である . 学芸員はいるがこの方面の専門ではなく , 十 分な力をもっていない . 進行中の展示替えにも心配があるのは , この点にもか かわっている . 以上のように考えてみると , いろいろな面での不備が重なり , この館は十分 な力を出していないように思われる . 前述のように , 状況が変わってきて新し い構想のもとで発足できそうであるから , 抜本的な改定を考えるべきである . 科学館とするのは一案であるが , 自然史博物館・動物園を含めた自然公園計画 とうまくリンクさせることも考えてよい . 距離にして 2km 少々であるから , 一体化してもよいはずである .
50 第 2 章自然史系博物館のすがた 2 階の学習室では化石のクリーニング ( 整形 ) などの実習も行われているとの こと , このような活動を続けてほしいものである . 規模の小さい行政体のつくる小さい博物館では , 時間が経過するとしばしば 活動が停滞し , 来館者が減ってくる場合がある . こうなると悪循環が始まって どうにもならなくなる . この館は化石および博物館の専門の方が関係されてい るようなのでそんなことはないと思うが , 2 階展示室の問題の解決とともに これからの課題としてそうならないよう取り組んでほしい . 長野市立博物館茶臼山自然史館 長野市茶臼山 長野市には 1981 年 9 月に完成した市立博物館があり , 自然・歴史・民俗か らなっている . これとは別に動物園 , 植物園 , 恐竜公園が市内の茶臼山地域に あり , 1985 年にこの近くに自然史館が誕生した . 面積 650m2 で , 地球の歴史 をテーマにしている . コンパクトな展示スペース ( 242 (2) をもち , 入館者年間 7000 人 ( 1988 年 ) ほどの小さい館である . 職員は 4 名である . 本館での自然の展示は , 全体の導入部にある「自然」と , 最後の「自然とと もに」の両方にある . 前者では自然の生い立ちと地震・火山・災害 ( 洪水や地 すべり ) がテーマになっており , 「自然とともに」の部分とともに自然と人間の かかわりを強く打ち出している . この本館にも自然担当の学芸員が 1 名いる . 茶臼山自然史館は地球の歴史をテーマとしているので , 本館と直接関係がな いといえばそれまでだが , やはり共通することはあるようである . 本館と自然 史館がそれぞれ別であると考えないで , 連携しての活動があったほうがよいと 思われる . 両方を担当される専門主事がおられるので杞憂にすぎないかもしれ ないが , 両館を見たかぎりでは , 雰囲気は少々違うように感じられた . この館の近くにある恐竜公園は , この種の野外恐竜模型 ( 強化プラスチック 製 ) のはしりで , 数も多い ( 図 2.22 ) . 早い時期につくられたせいか造形はベス トとはいかないが , 数も多くバラエティに富み , おもしろい . 地すべり地茶臼 山は土地の利用がしにくいため思いっくことができたとのことであるが , 現在 の恐竜プームをはからずも先取りしたことになる . 篠ノ井駅前には恐竜の模型があり , 「恐竜公園へおいで」と案内している .
64 第 2 章自然史系博物館のすがた 盛り上がりにかける . 熱帯の海と山のあのダイナミックさはどこにいってしま ったのかと思う . この他の展示も全体にやや古びて活力が見られない . 独自の歴史の中ではぐ くまれた独特の民俗品 , 優れた工芸品 , そして天与のすばらしい自然をもって いるのだから , これらを見せてほしい . また , この地における人と自然のかかわりは山下洞人 , 港川人をはじめとす る旧石器人のときにまでさかのばる . 現在に至るまでの , そして現在の両者の かかわりあいをぜひテーマにしてほしい . 沖縄においても自然破壊の問題が生 まれている . そのこともぜひ含めてほしい . 基本的には博物館全体のつくりか え , あるいは展示の再構成・新装が必要なのであろう . かって沖縄のある人が語られた「県博の人はみなその道一筋の人ばかりで す」という言葉を覚えている . たしかに , 博物館全体にそういったいっしよう けんめいさを感じる . それは建物や展示が多少古くても , 博物館そのものが活 力をもっことにつながる . 最近 ( 1992 年 ) , 酒造組合連合会と共催で , 「泡盛」 の特別展が行われたという . 試飲会もあったとのこと , このような沖縄らしい 市民とむすびついた特別展などをどんどん企画してほしいものである . たいへんであろうが , 予算的な裏づけを得て , 再生の第一歩を踏み出してほ しい . 近くの首里城が復元されたこともあり , 観光ともつながって多くの見学 者を迎え , 新しい天地が開けてくるのではないだろうか . この博物館が経てき た戦前から戦後への歴史は同時に沖縄の歴史である . そのことを思うとき , 21 世紀へ向けての発展をぜひと願うのである . 岐阜県博物館 関市小屋名 置県 100 年を記念して計画され , 1971 年から 5 年間の準備期間を経て 1976 年 5 月開館した . 地下 1 階地上 2 階建で , 延面積 8788.8m2 , 六角形を基本と した建物である ( 図 2.31 ) . 館長以下嘱託まで含めて 28 名 , そのうち学芸部は 3 分野を含む . 常設展示室はそれぞれ第 1 , 第 2 の展示室に分かれる . 講堂 , 県立の総合館なので人文・自然の両面にわたり , 自然は動物 , 植物 , 地学の 14 名 , 自然系は 4 名である .
2.4 県立博物館 67 ことで , 学芸員を含め館員が努力してもどうにもならないことが多い . 抜本的 な見直しが必要であることを示している . 記事の最後に「すでに見直しの指示 が出ている」とあるから , それに期待したい . 最近 , 恐竜の足跡化石が発見され , 大きいニュースとして報道され話題を呼 んだ . 自然史関係分野の大きい目玉となるものなので , これを足がかりとして 活力が生まれそうである . 1991 年度で入館者数が約 7 万人と回復したのもそ の影響があるかもしれない . 交通からみた立地条件はやや悪いが , 百年公園と 呼ぶ自然を取り入れた公園の中にあり , 自然環境はきわめてよい . レジャーの 形式が多様化してゆく中で , 1 日を家族で自然の中で過ごし , 博物館で学び , 遊ぶというのはこれからの新しい形としてありうる . そのためにはそれに対応 する姿勢と努力が必要とされる . 埼玉県立自然史博物館 秩父郡長瀞町長瀞 1977 年に準備が始まり 1981 年に開館した . 約 3000m2 の面積をもち , その うち約 1000m2 が展示室である . スタッフは 20 名 , 学芸部は嘱託を含めて 12 名で構成されている . 博物館活動 , とくに教育・普及活動は活発である . 入館 者数約 11 万人 ( 1989 年 ) で , 40 % 以上が無料入館者 ( おもに小学生の団体 ) であ る . 規模は大きくないが , 秩父の自然の中に県立の単科の登録博物館として確 かな地位を占めている . 以前にこの地には , 秩父自然科学博物館があった . 秩父鉄道 ( 株 ) が 1921 年 ( 大正 10 年 ) に創立し , その後 , 1949 年 ( 昭和 24 年 ) にそれまでの地学分野に 動物・植物を加えて再発足したものである . その伝統を受けついだこの館は日 本の地質学発祥の地といわれる名勝・天然記念物「長瀞」の近くに立地してい る . 観光的にも著名なここには , よい自然が残されていて , 博物館の周辺もよ い環境である . 展示室に入ってまず目に入るのは , 3 頭のパレオパラドキシアの全身骨格模 型である . 1972 年に秩父市内で発見され , 旧秩父自然科学博物館により発掘 された標本で , この館の目玉となるものである . 1 頭がおしりを向けているの がユニークである ( 図 2.33 ) .
106 第 2 章自然史系博物館のすがた う数はこの館の性格をよく表わしている . 内容は深く , また多くの部門がある ことも反映してバラエティーに富むが , 全体にかたさが目立ち , おもしろさに 欠ける . 静的でもあり , 一般受けしないだろう . 立地条件がよいだけにより多 くの来館者をむかえる努力が望まれるところである . 日本の大学博物館 ( とくに国立大学 ) のモデルであるが , その次が続かない . なぜだろうか . 基本的には文教政策があるのだが , そこには日本の基礎的・系 統的研究の軽視という底流がある . この基礎的な研究は , このような大学博物 館で行うにふさわしく , 成果も上がっている . ぜひとも継続し , また発展させ , 他の大学へも波及させていかねばなるまい . 大学博物館の存在意義をもっと PR し , このような学問分野の重要性をもっ と認識してもらう必要がある . 国際化の時代において諸外国の大学博物館とネ ットワークをつくることもできると思われる . すでにスペースが不足してきていると聞く . 時間がたてば当然おこってくる 問題である . その他 , 運営についてもルーチン化して , 型にはまってくるよう なこともおこってくると思われる . ぜひソフトな対応をして , 基本的なことは もとより , さらに広い視野に立って他の大学をリードしてほしいものである . 館の構成員の方々 , 館を利用される内外の研究者 ( 100 名をこすといわれる ) , そして第 7 次という将来計画委員会の方々に期待したい . 名古屋大学古川総合研究資料館 名古屋市千種区不老町 1990 年に発足した年代測定資料研究センターの一部で , 旧古川図書館を改 装した建物 ( 延床面積約 4000m2 ) を使用している . 資料室は約 1800m2 , 展示 室は 423m2 である . 現在 , 資料専任スタッフは助手 1 名である . 1970 年に理系学部・研究所から自然史科学資料研究センターの構想が出さ れ , 設立運動が始まった . その後 , 1978 年に , 全学の多くの分野を含む総合 研究資料館構想に変わり , 1984 年にスタートした . 旧古川図書館の大部分を 流用することによってスペースを確保することができたのが発足の第 1 の理由 である . しかし , 文部省に認められることはなく , 人・予算の両面できびしい 制約があった .
116 第 2 章自然史系博物館のすがた の基本計画にのせ , 委員会で検討し , 博物館準備室をつくるというステップを ふんだ対応はよい . 完成まで 5 年の日時を見ているのも , ゆとりがあるといえ ないまでも十分な時間である . 都市の中心に公園や商業地と隣接してつくると いうのも , 現在の日本の状況の中でユニークである . 便利さを求めたというこ と , 人の流れを考えたこと ( 当然入館者数に関係してくる ) が 1 つの利点である が , 一方において面積の問題がある . 全体として手狭であるし , 収蔵庫などは 将来問題となるだろう . この点は , 周辺の適地にそれを求めることが考えられ ている . すでに , 各地に埋蔵文化財・民俗文化財の収蔵庫があるのはその先駆 けである . 基本的な施設は準備されているが , 中味がこれからの問題である . 現在 , 形 の見えている展示について少しふれてみよう . コンべの結果は , 予算的なこと を無視してつくられた案が選ばれた . 映像をはじめ , 現在最高のテクノロジー を駆使した展示である . メンテナンスのことも含めて , 少々無理ではないかと 考えられたが , 光り輝くプランはこれまでにない博物館展示 , それが歴史中心 の館で繰り広げられるとあって , 大方の賛同を得ることになった . しかし , 心配は実際となった . 実施設計の段階で内容はどんどん変わり , 規 模は縮小し , ユニークさが失われつつあるように思われる . 静止したジオラマ とレプリカ , 少々の実物資料ということになりかねないのである . 全体として こぢんまりしてきたというのが印象である . 準備室の対応にも不十分な点が見 えている . 自然の展示は , 主テーマが「北勢地域の生い立ちと自然環境」である . 最初 は 4 つのサプテーマ , ( 1 ) 自然のすがた , ( 2 ) 鈴鹿山脈のなりたち , ( 3 ) 伊勢湾 の移り変り , ④平野のひろがりから構成されていたが , 現在は , ( 1 ) 自然の中 の私たち , ( 2 ) 大地の生い立ち , ( 3 ) 化石が語る古環境と変わった . 基本的な大 きい変化ではないが , これまで多くの博物館で見られるような時系列に沿った 展示と似てきたといえる . 主テーマにある「うみ」 , 「やま」に重点をおいて構成し , 人とのかかわりの 中で自然をとらえることはできなかったのであろうか . たとえば切口を変えて , 平面的な場 ( 山一丘陵ー平野ー海 ) を軸として構成するのである . それは同時に成 立の過程も表わすことになるのだが , 視点が異なれば表現が違い , つくる側と
2.2 豊橋市自然史博物館 29 展示は開館してからすぐ手直し・追加が始まった . 収集は多面的に行われ , とくに予算的裏づけを得て , 購入に積極的である . 標本を購入することについ ての批判はあろうが , 標本が必要であること , 将来 , 入手ができるかどうかを 考えたとき , 必要なこととして認識できる . 積極さを買うべきであろう . 全館にわたってのほば倍増ともいうべき増設の将来計画はこれまでの館にあ まり見られないことである . 展示は 5 ー 10 年が限度というのが最近よくいわれ るが , その先取りというべきである . 展示もさることながら , 研究室 , 収蔵庫 , 研修室など基本的なスペースについての配慮も必要である . 積極的な点は , 各方面からの要望にも表われている . 一般市民 , 行政の上層 部 , 議会筋からの注文は多い . 豊橋市のオープンで気どらないという土地柄に よるのかもしれないが , 注文に対しては十分ふるいをかけて対応することが必 要である . 圧力とならないことが肝要である . 学芸員については多くの問題を含んでいる . 学芸員の仕事についての理解 , 評価がより必要である . 専門的に分化せざるを得ない面があり , おたがいに十 分カバーされない側面もある . 学芸員は資格のあるなしより , 仕事ができるか どうかが大切である . 資格にこだわる採用条件はやめるべきである . いずれに を拡げてゆくことができるだろう . 館との交流も始まっている . 日本国内についてはいうまでもない . 本来が地域の博物館であるが , デンバー自然史博物館をはじめ , 外国の博物 動物 3 名 , 植物 1 名 , 環境 2 名のスタッフを最低そなえたい . せよ , それぞれの分野の専門家をもっと増やす必要がある . 地質・古生物 3 名 , どんどん輪 本・諸外国の館との関係にもつながってゆくだろう . それぞれの面において協力・交流することが望まれる . それは東海地方 , 日 かの自然史系ー自然史を含む博物館がある . これらの 2 つの系列の博物館と , あり , また , 東三河には伊良湖自然科学 , 鳳来寺自然科学 , 東栄などのいくっ 豊橋市内には , 美術博物館 , 地下資源館 , 二川宿本陣資料館などの博物館が 入館者の数が増え , 質に変化が生まれ , 対応が必要になるだろう . 究・教育の中心となることが期待される . 同時に , 公園の中には遊園地もあり , の 4 月一部オープンした . 自然史博物館はその核の 1 つで , 地域の自然の研 さらに隣接の動物園を含めて , この地域に自然公園をつくる計画があり ,
54 第 2 章自然史系博物館のすがた 色 , ビデオなど現在の多様な手法を使えば無理ではないと思われる . よりくわ しく調査・研究しようとする人には資料室を公開する , 学芸員が相手をするな ど別な対応をしたほうがよい . 開館以来 30 年近く , さすがに古びて傷みも目につく . 近い将来に新しい展 示に替えられることを望みたい . 公立にしてはめずらしく独立採算とのことで , なかなかむずかしいかもしれないが , ぜひ実行してほしい . この館のさまざま な活動は学術委員の方々の協力のもとに行われている . 大学 , 高校 , 中学の先 生方を含め , 多数の方々がそれぞれの分野で協力されている . これは研究・普 及活動に大きな力といえよう . 研究報告などの刊行物があり , 特別展は地域の テーマで年 2 回 , 学習会は 5 月から 2 月の間に 8 ー 9 回 , その他 , 友の会活動も あり , 活動は盛んである . 田口線が廃止になり , 鳳来寺山パークウェーができて , 参道を利用する人が 減り , その影響が博物館に現われている . また , 過疎の波がここ鳳来町にも押 し寄せている . しかし , 館の方々の努力はこの館の存在を強く印象づける働き をしている . 訪ねてみればなにがしかの感興を覚えることができるのである . 東海自然歩道が近くを通っていることもあり , 自然愛好家が途中ぜひ立ち寄 る場所となるよう , さらに充実してほしい館である . 蛭川村長島鉱物陳列館 ( 長島コレクション陳列所 ) 岐阜県恵那郡蛭川村奥渡 蛭川村は花崗岩を石材として採掘していて , その花崗岩中のペクマタイト ( 巨晶岩脈 ) から多くの鉱物を産する . 1965 年 ( 昭和 40 年 ) 9 月 , 隣接する中津 川市出身の鉱物学者 , 故長島乙吉氏より鉱物標本約 1000 点が寄贈され , これ を展示するために開館した ( 図 2.25 ) . 120m2 の展示室である . 現在は郷土資 料館と一体で運営されている . 岐阜県東部の有名な観光地恵那峡の対岸にあり , 村立の休養施設である紅岩 山荘に隣接して位置し , 山荘の管理下にある . 岩石と鉱石 , 鉱物を分類展示している陳列ケースに並べられた標本はそれ自 体貴重なものであるが , たんに並べられているだけで説明もなくわかりにくい . 最初に展示されて以来 , 時間がたっているせいか , 整理は悪く管理は十分でな
186 第 5 章博物館の未来像 カナダの例として , オンタリオ州サドベリー (Sudbury) のサイエンスノース (science North) があげられる ( 1984 年開館 ) . 里見 ( 1988 ) によれば , この博物 館の中心となるセンターは展示面積 3000m2 , 六角形の建物で湖を見下ろす位 置にある . 特徴として立体映像シアター , スワップショップ ( 資料について寄 贈・交換・アドバイスなど行い , 館と観覧者の交流をはかる施設 ) , 発見劇場 ( 実験コーナー ) , 昆虫・小動物の飼育 , 地質実験室 ( 堆積物の移動の実演 ) , 健 康のコーナー ( 血液検査 , 献血 , ェイズ , 煙草の害など ) などがあることがあげ られる . この科学博物館がコアとなり , サテライト ( 衛星館 ) としてニッケル鉱 山の坑内見学 , 隕石孔の見学などを行う . 地域社会と密着し , 地域社会と共生 しているコミュニティエコミュージアムである ( 新井 , 1987 ) . この考えは日本でも広まりつつある . 1992 年 3 月には , 工コミュージアム フォーラムが東京で開かれ , 6 月には国際工コミュージアムシンポジウムが山 形県朝日町で開かれた . 丹青総合研究所 ( 上述のフォーラム資料 ) によれば , 類 似事例が 21 , 計画事例が 2 あるという . 日本ではどんな形で生まれ活動して いるか , どのようにつくられようとしているか , 筆者が見た事例 , 資料によっ て紹介しよう . 墨田区「小さな博物館」 東京都墨田区が進めている運動である . 墨田は「産業と文化のまち」という 訒識のもとに , 知られていない産業製品 , 資料 , 技術などを公開しようという ロ心、卩 のである . 個人 , 企業のコレクションを対象にしてすでに 22 の館がある . リ ストを見るとバラエティに富み , ユニークである . たとえば , 軟式野球資料室 というのがある . ボール , バット , グラブなど製造会社による展示である . ま た , 最近できた伝統木彫刻資料館はこの道 60 年のべテラン職人が館長で , そ の作品 , 制作実演を見せようというわけである . 3M キャンペーンというのがあり , ミュージアム , マイスター ( 技術者 ) , モ デルショップ ( 直営店 ) を育てるというねらいをもっている . 小さな博物館はそ の 1 つで , モデルショップ , その他の博物館 , そして名所旧跡とも関連づけて , 墨田区を楽しい街とし , 一方において技術・文化遺産を継承し , PR にも利用 しようと考えられたものである . これらは成功していて , 他の分野へも応用が