198 第 5 章博物館の未来像 5.3 博物館からミューズランドへ ここで述べようとしていることは 2 冊の本によっている . 上田篤著『博物館 からミューズランドへ』 ( 1989 , 学芸出版社 ) , 石田修武著『職人共和国だよ り』 ( 1986 , 晶文社 ) である . 2 人の著者はいずれも建築家であり , それぞれ瀬 戸大橋架橋記念館 , 伊豆の長八美術館の開設にかかわった人たちである . 分野 は異なるが , 博物館づくりについてのすぐれた卓説ややり方が見られ , 自然史 分野にも共通する側面があるので紹介したい . まず , 倉敷市児島にある瀬戸大橋架橋記念館 ( 通称「橋の博物館」 ) である . 倉敷市は博物館都市で , 大原美術館を筆頭に多数の美術館・博物館があり , 観 光客でいつもにぎわっている . 市の中心からはずれていて , 気がつかない場合 も多いと思うが , この博物館は大原美術館などと違った強烈な個性をもってい る . 上田は上記の本の中で , 拝観主義 ( 見せてやる ) から完全公開へと博物館の姿 勢を変えたいという . そして , 目指すところはミューズランドである . その意 味は環境言語博物館であり , わかりやすくいえば , ディズニーランドのような 観客参加型の側面をもった博物館である . 人間のコミュニケーションには 3 つ の言語がある . 記号言語 ( 文字や話し言葉など ) , 視覚言語 ( 絵 , マンガ , テレ ビ , 映画など ) , そして , 環境言語である . 環境言語は人間の五感全部に訴え るもので , 視聴覚 , 触覚 , 味覚 , さらに人間が参加するという行動も含まれる . このような考えのもとに , 橋の博物館をたんに瀬戸大橋ができた記念物とす るのではなくて , 「世界の橋の博物館」とするように提案して , 上田はこの中 に 4 つのメッセージをこめたという . すなわち , ( 1 ) テーマ ( 橋 ) 博物館である , ( 2 ) ワンルーム・ミュージアムである , ( 3 ) 環境言語博物館である , ④橋宮で あるの 4 つである . ( 2 ) は動線がなく自由に見られるということを前提として いる . 自分の見たいものを選んで自由に見る場というわけである . ④は古い ものをなんらかの形であがめ , 残してゆきたい . それがお宮 ( 神社 ) である . の考えにたって神社のようなパターンで構成する . すなわち , ゲート ( 鳥居 ) → 参道と大鼓橋→境内→博物館 ( 神社 ) と続き , 横に公園 ( 庭と森 ) がっくられる . 新しい橋が無事であれと願うならば , 消えてゆく古い生活 ( 船や島の生活 ) を鎮
2.2 豊橋市自然史博物館 23 市制施行 80 周年を記念したものである . アナトサウルス ( 恐竜 ) の実物骨格標 本が目玉であり , 地球の歴史と生物の進化がテーマで , 時代を追って展示が構 成され , 加えて特別企画として郷土の自然とガラパゴス物語の 2 つがある . 面積は 3713m2 , 館員 8 名 , 嘱託 2 名である . 1991 年 3 月までの約 3 年間の 入館者数は約 56 万人である . 中規模の館であるが , 増設計画がっくられ実施 され始めているので , 近い将来 , 東海地方の自然史博物館の中心の 1 つになる だろう . 1989 年に登録博物館となった . つくられ方 この博物館がっくられるにいたったきっかけは恐竜アナトサウルスの購入で ある . 以前から豊橋市地下資源館建設に関して , アメリカのデンバー自然史博 物館と交流があった . その中で話が進行し , 1983 年に 31 万ドル ( 当時のレー トで約 7400 万円 ) で購入された . このことから自然史博物館建設が具体的となり , 同年結成されていた建設推 進会議が動き出した . おもに小・中学校の先生方からなる研究委員会が構想を まとめていった . 基本理念として「生物の進化と自然のしくみを学び , 自然と 調和した新しい文化の創造を目指す場として , 自然史博物館をつくる」ことカ あげられた . ねらいは 3 つで , 「生物の進化」 , 「郷土の自然」 , 「地球の自然」 で , それぞれと人間のかかわり合いである . 1984 年 8 月に展示基本計画ができ , 同年 11 月に建物および展示の基本設計 について各 5 社の競技設計が行われ , 建物には日建設計 ( 株 ) , 展示には京都科 学標本 ( 株 ) が選ばれた . 1985 年に建物・展示とも基本・実施設計が行われ , 建設地が決定した . 1986 年に建物・展示について入札された ( 総工費は約 15 億円 , そのうち 5 億 円が展示である ) . 建築および展示については学識経験者が監修・指導にあた った . 1987 年になって学芸員が 1 名配置された . この博物館の場合 , 建築と展示との整合性はとくに配慮されなかった . ただ , 基本方針の中に示されていた展示室の配分 ( オリエンテーション , 古生代 , 中 進化 , そして主展示物であ 生代 , 新生代 , 郷土の自然 , ガラパゴス物語 るアナトサウルス ) が十分に考慮され , 建物が設計された .
54 第 2 章自然史系博物館のすがた 色 , ビデオなど現在の多様な手法を使えば無理ではないと思われる . よりくわ しく調査・研究しようとする人には資料室を公開する , 学芸員が相手をするな ど別な対応をしたほうがよい . 開館以来 30 年近く , さすがに古びて傷みも目につく . 近い将来に新しい展 示に替えられることを望みたい . 公立にしてはめずらしく独立採算とのことで , なかなかむずかしいかもしれないが , ぜひ実行してほしい . この館のさまざま な活動は学術委員の方々の協力のもとに行われている . 大学 , 高校 , 中学の先 生方を含め , 多数の方々がそれぞれの分野で協力されている . これは研究・普 及活動に大きな力といえよう . 研究報告などの刊行物があり , 特別展は地域の テーマで年 2 回 , 学習会は 5 月から 2 月の間に 8 ー 9 回 , その他 , 友の会活動も あり , 活動は盛んである . 田口線が廃止になり , 鳳来寺山パークウェーができて , 参道を利用する人が 減り , その影響が博物館に現われている . また , 過疎の波がここ鳳来町にも押 し寄せている . しかし , 館の方々の努力はこの館の存在を強く印象づける働き をしている . 訪ねてみればなにがしかの感興を覚えることができるのである . 東海自然歩道が近くを通っていることもあり , 自然愛好家が途中ぜひ立ち寄 る場所となるよう , さらに充実してほしい館である . 蛭川村長島鉱物陳列館 ( 長島コレクション陳列所 ) 岐阜県恵那郡蛭川村奥渡 蛭川村は花崗岩を石材として採掘していて , その花崗岩中のペクマタイト ( 巨晶岩脈 ) から多くの鉱物を産する . 1965 年 ( 昭和 40 年 ) 9 月 , 隣接する中津 川市出身の鉱物学者 , 故長島乙吉氏より鉱物標本約 1000 点が寄贈され , これ を展示するために開館した ( 図 2.25 ) . 120m2 の展示室である . 現在は郷土資 料館と一体で運営されている . 岐阜県東部の有名な観光地恵那峡の対岸にあり , 村立の休養施設である紅岩 山荘に隣接して位置し , 山荘の管理下にある . 岩石と鉱石 , 鉱物を分類展示している陳列ケースに並べられた標本はそれ自 体貴重なものであるが , たんに並べられているだけで説明もなくわかりにくい . 最初に展示されて以来 , 時間がたっているせいか , 整理は悪く管理は十分でな
72 徳島県立博物館 第 2 章自然史系博物館のすがた 徳島市八万町向寺山 徳島県文化の森総合公園の一部として 1990 年 11 月にオープンした . 面積 8133m2 , 人文 ( 考古・歴史・民俗・美術工芸 ) と自然史 ( 動物・植物・地学 ) の 7 分野をもっ総合博物館である ( 両角 , 1991 ) . 職員は正規 19 , 臨時 4 , 非常勤 10 の計 33 名 , 非常勤職員の中には受付・案内人が含まれる . 学芸員は人文 7 名 , 自然史 7 名の合計 14 名である . 両角 ( 1991 ) に従い , 見聞した印象を加え て紹介する . 博物館のモットーは , ( 1 ) 郷土に根ざし世界に拡がる , ( 2 ) 開かれ た , ( 3 ) 研究を大切にする , ④文化財を守り自然の保全をめざす「博物館」と いうことである . 現在の状況の中で当然考えられることである . 建物は現代的である . 空間が広くとってあり , ゆったりとしている . 大理石 などをふんだんに使ってゆとりがある . 色彩も豊富であり , 外とのつながりも あって明るい . ちょっとぜいたくすぎはしないかという感じはある . 展示は総合展示と部門展示に分かれる . 自然史分野について見ると , 前者は 「日本列島と四国の生い立ち」 ( 7 パート ) と「徳島の自然とくらし」 ( 4 パー に分かれ , 人文展示を真中にはさむ頭と尾ということになる . 2 番めの「狩人 たちの足跡」にも第四紀の生物が登場する . こでも 2 体の全身骨格と 1 つの 恐竜が登場するのは最近の傾向の 1 つで , 頭骨 ( レプリカ ) がある . 四国の地史に入れ込むのは少々「しんどい」ところで あるがやむをえまい . 「徳島の自然とくらし」に魚の剥製が登場するが , この 方面での技術の進歩は著しくみごとな標本となっている . かっての液浸標本や 乾燥標本と比べて隔世の感がある . 部門展示の自然史の分野では 5 つのテーマがある . 生物の分類にぬいぐるみ が使ってあって楽しい . ユニークなアイデアである . 以上とは別にラブラタ記念ホールがあり , 南アメリカの古生物が展示してあ る . メガテリウム ( オオナマケモノ , 複製 ) , パノックス ( アルマジロの仲間 ) , チタノサウルス ( 恐竜 ) などが見られる . めずらしいもので , 人びとの興味をひ いている . しかし , なぜここに南アメリカの化石が , という疑問は残る . アル ゼンチンのラブラタ大学との資料交換によるもので , モットーの 1 っ , 「世界 に拡がる」を実現したものであろうか .
90 第 2 章自然史系博物館のすがた れ努力をされていて , 新しい面を切り開いてはいるが , ややもの足りない . ま た時期的に見て , 当然展示替えが構想されたが , 順送りにされている . この館は港の地域に , 関連するいくつかの館をもっている . 南極観測船「ふ じ」がすぐ隣にあり , より多くの人を集めている . 1992 年 10 月には水族館も オープンした . また 360m2 の貿易展示室もできている . 港にはロマンがある といわれているが , 名古屋港は工業港でそのイメージが薄かった . 最近では変 わってきて , 楽しい場所としての港となってきている . そこでの学びと遊びの 合体した場として博物館の意義は大きい . ぜひ他の館と協力して , 有効な学習 十娯楽の場としてほしい . この館のこれからの問題点をあげておく . ( 1 ) 普及中心でよいが , 他の側面 , 収集 , 調査・研究などの活動も加える ( 2 ) 展示替えを近い将来に実施すること . ( 3 ) 有志の人によって友の会がつくられているが , 館との関係が薄い . め ずらしい例である . 館と友の会の一体の活動をすること . ④港の発展から始まって , 地域の活性化まで考えた活動がほしい . ( 5 ) 専門職を加えること . 半田市立博物館 愛知県半田市桐ヶ丘 1972 年以来旧図書館跡にあった郷土資料館を新装して , 1984 年 10 月に開館 した登録博物館である . 図書館と併設されていて , 入場無料である . 延面積は 約 1900m2 で , 展示室は特別展示室も含めて約 930m2 である . 職員は館長以 下 12 名 , そのうち学芸関係は 6 名である . 年間入館者は約 15 万人 , 7 月と 8 月が多く , 1 , 2 月を除いて毎月 1 万人をこす . 展示は 3 つに分かれる . 第 1 展示室は「知多半島の自然と歴史」である ( 図 2.44 ). このテーマを十分に見 せるにはいささか狭い . とくに自然の部分はいかにいろいろ盛り込もうかとい う努力のあとが見られるが , もの足りない . 実物を使った地質断面 , 自然を見 せるジオラマ , ビデオなどで構成されている . 自然史とは関係ないが , 圧巻は第 2 展示室で , 市内の現存する山車 31 台を
56 第 2 章自然史系博物館のすがた 改修工事・展示替えが行われ , 1992 年 7 月名前を変え , 新発足した . この館の特徴として次の点があげられる . ( 1 ) 約 113000 点の資料をもっている . 動物資料が中心であるが , 貝類が 60000 点を占める . この貝類標本はよく整理され , 目録がっくられていて , 参考資料として公開され , 高く評価されている . 植物標本目録もある . ( 2 ) 普及活動が活発である . 自然観察学習会 , 天体観測会など多様であり , 野外の活動も含めて市民に親しまれている . 友の会があり , 博物館だよりを 年 10 回発行している . ( 3 ) 協力員という制度があり , 地学 , 天文 , 鳥 , 昆虫 , 動物 , 植物の各分 野で博物館に協力し , 指導・助言する約 20 名がいる . 小・中・高校の先生 など教育関係者 , 自営業など多様な市民が含まれている . ④研究報告が継続して出版されている . ( 5 ) 地域に密着して , 地道に活動している . 野鳥学習会などを含む野外観 察会 , また収集資料・研究報告の内容についても同様なことがいえる . ( 6 ) つくられた最初から , 展示に新しい試みがなされた . ジオラマや「野 鳥の国」 ( 鳥の声と解説をテープで聞ける ) などがそれである . 新館は総面積約 1500 m2 ( 約 500 m2 増 ) , 展示室面積約 590 m2 ( 約 230 m2 増 ) , 資料室約 340m2 ( 約 270m2 増 ) である . 特別展示室 , 実習室 , 講堂が増設され た . 常設展示は分類展示からテーマ展示へ変わり , 180 インチの大型映像によ るアドベンチャーシップ , ビデオライプラリーがつくられた . 展示室は足羽山 , 郷土の生い立ち ( 地質 ) , 郷土の自然 ( 動植物 ) の 3 っからなり , 小型のジオラマ と標本とを組み合わせて構成されている . かってのぎっちりつまった分類展示 と比べて , わかりやすく見やすくなって , また , きれいに明るくなって , 一般 の人に人気を呼ぶだろう . いつほう , 実物が少なくなって , 迫力がなくなった 面もある . 構成には苦心のあとが見られる . 映像展示室は 44 席 , 3 つのオリジナルソフトをもつ . ビデオは既製のもの も含めて 14 本が用意されている . 映像展示は 20 ー 30 分 , 子どもたちには喜ば れるだろうが , 次のソフトを用意しないとあきられる恐れもあろう . 全体に展示のレベルが一般向きになった . 幼稚園児の遠足があるとのこと , そのあたりも考慮されたのであろう . かっての静かで重厚な , 独特の展示室の
第 5 章博物館の未来像 乙ファルプス博物館都市 ( 長野県大町市 ) 大町市には 7 つの博物館があり ( 39 ページ参照 ) , そのうちの東山低山帯野 外博物館の内山慎三館長の提案である . その骨子は次のようである . 大町市全体を博物館として機能させるために , 小さくてもよいから各分野の 専門博物館をたくさんつくる . 核になる博物館があり , 情報を提供し ( 図 5.5 ) , 指導する . 各博物館は地域づくりの核となる . 住民ひとりひとりが学芸員とな る . テーマは「山と水と道」で , すべて大町に深く根づいていることがらであ る . これに関連する博物館として , 現在 , 山岳博物館・低山帯博物館 ( 山 ) , 酒 の博物館・エネルギー博物館・温泉博物館 ( 水 ) , 塩の道博物館 ( 道 ) などがある . 子どもが自由に体を鍛え , 自然の中で遊び学べる施設として「山の子村」が ある ( 低山帯博物館の中 ) . 景観づくりの 1 っとして「サクラの植物園」がっく られ , その中に森林劇場と呼ぶ多目的ホール・野外音楽堂ができた . その他の 環境整備も進められている . 内山氏はキャンペーンタイトルとして「ムーゼ ン・ストラーセ ( 博物館街道 ) 大町」を提案している . なかなかおもしろい発想 であり , かっ積極的に進められているので , これからさらに発展するだろう . 自然のよい面をさらに取り込んで , 後で述べる「人と自然」のエコミュージア ムにしてもらいたい . 朝日町工コミュージアム構想 朝日町は山形県の中央部にあり , 南に朝日山地がある . 面積約 200km2 , そ の約半分は国有林で , 民有林とあわせて約 3 / 4 を山林が占めている . ブナの原 生林をもっことで知られている . 人口は 1 万人少々で , 就業人口は農業を中心 とした一次産業 , 工業を中心とした 2 次産業 , 第 3 次産業がほば 1 / 3 ずつであ る ( 工コミュージアムフォーラム資料 ) . 農業はりんごが中心となっている . この町にエコミュージアム構想がある . 施設の概念図 ( 図 5.6 ) は豊かな自然 とそれに基づいた産業 , っちかわれた文化の中で町全体を博物館としてとらえ , 町を理解し , 学び , 楽しみ , 誇りをもって生活してゆこうというのである . この方針は町勢要覧を「緑の博物誌」と名づける姿勢に現われている . また , 第 3 次総合開発基本計画の中の 5 つの大綱 , 15 の主要プロジェクトの中に明 己されている . いわゆる町づくりの一環としてエコミュージアムがとらえられ 188 一三ロ