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検索対象: 日本の自然史博物館
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1. 日本の自然史博物館

2.4 県立博物館 73 0 森林ゾーン 公園ゾー ン 施設ゾーン 文化情報コア シンや 広場 図書館 知識の森 県民の森 文書館 1 、 1 創造の森 伝承の森 果樹園 図 2.35 徳島県文化の森構想配置 ( 両角 , 1991 ) この館の特性は文化の森を構成し , 他の 4 館 ( 図書館 , 近代美術館 , 文書館 , 21 世紀館 - 一文化情報コア ) と一体のものであることである ( 図 2.35 ) . さらに 外側を取り囲んで , 公園ゾーン , 森林ゾーンがあり , またシンポル広場には野 外劇場がある . 徳島県文化の森は恵まれた自然環境の中にあり , 21 世紀を見 こした新しい型の総合施設といえるだろう . ここには各館を機能的に一体化し , 文化情報サービスをするシステムがある . データベースシステムとして 21 世紀館にある大型コンピュータを各館とオン ラインで結び , 利用・情報提供をしている . 管理・運営は文化情報コアの役目を果たす 21 世紀館が中心となって行われ る . しかし , この館が他館の上位にあるのではない . 柔軟で機能的・効率的な 管理・運営をするためのものであり , 各館は独立性・自主性を保持している . 全体で 300 億円以上を投じてつくられたこの施設は開館以来 10 カ月で約 100 万人 ( 博物館は 19 万人 ) の人を迎えたという . ある意味では 1 つの実験と いえるだろう . これから先の活動に注目したい . 博物館についていえば , 全体の中でどのように位置づけされ , 他館とどのよ うな関連をもって活動してゆくか問題となろう . モットーにあるように , 地域

2. 日本の自然史博物館

4.4 自然保護と博物館 169 市立 21 , 町立 7 , 大学 5 , その他 4 である . 日本古生物学会の名簿 ( 1989 ) では 会員 728 名中 41 名 , 5.6 % でやや高い . いずれにしても , 博物館の数と比較し ていかに絶対数が少ないかがわかる . 任用の問題もある . 65 ページの岐阜県立博物館のように , 学校教育の現場 とつながった人事異動が行われ , そのために平均して 4 年勤務と異動が早い . 学芸員としての経験を十分積まないうちに変わってしまうのでは , その職務を 十分果たすことができない . また , 学芸の業務が蓄積・継続されることも少な くなる . 学芸員の採用はいろいろなレベルで行われている . 個人的な関係に基づくも のから , まったく公平な公募まである . 公募による選考によって , 適性をもっ た人が適所に採用されるのがもっともよい . さらに , 博物館の間で学芸員相互の配置がえ ( 期限を切った相互出向の関係 でもよい ) ということが考えられないだろうか . 現状ではたいへん困難かもし れないが , 学芸員の視野が拡がること , 刺激が生じること , 欠けていた部分が 埋められることなど利点が多いと思われる . 博物館の学芸員にとって必要なことは , 資格のあるなしに関係なく資質があ ること , 熱意をもっこと , センスがあることである . 博物館全体としては , 適 当な数が用意され , 年齢構成や専門分野のバランスがとれていることが望まれ る . また館長などの管理者 , 事務などの管理職員との調和も必要である . 4.4 自然保護と博物館 人間の歴史の中で , 今ほど自然のことが問題にされている時代はない . オゾ ン層の破壊 , 温暖化 , 酸性雨など地球全体にかかわる問題から , 身近なそれぞ れのすむ地域の問題まであるが , いずれもその原因は人間の側にある . 人間の 営みが自然を変えてきて , その結果として , 自然だけでなく人間の存立までが 危なくなってきているのである . 「自然を守れ」の声はいまや世界的に拡がっている . 国際自然保護連合 (IUCN), 世界自然保護基金 ( WWF ) など世界レベルの団体 , 日本自然保護協 会 ( 図 4.1 ) , 日本自然保護連盟などの日本全国の組織 , そして地域におけるき

3. 日本の自然史博物館

205 5.5 博物館はどこへ行く 図 5.15 ボランティアによるバザー ( アメリ カ・オークランド博物館 ) れておこう . 情報化時代といわれる現在 , さまざまな形の情報が世界にあふれ ている . 社会との結びつきを考えたとき , 博物館は情報の受信場所として , そ して発信源として機能することができる . 受信・発信の間にあって , 整理し保 存することが必要である . 「もの」資料と同じに扱えばよいのである . 「もの」 資料より多様で , しかも消耗しないし , 複製もつくれる . 応用範囲はうんと広 くなるのである . しかもその情報は地域のものに始まって日本全土に及ぶ , さ らに地球規模にまで拡がるだろう . 博物館ネットワークを使ってのやりとりも その中に含まれ , これからますます拡大してゆく性質をもっているといえる . 5.5 博物館はどこへ行く これから 21 世紀へ向けて , 博物館はどう変わってゆくのか , またどう変え てゆけばよいのか . まず , 1990 年度の新設博物館の状況を見てみよう . ミュージアムデータ no. 16 ( 1991 ) , no. 17 ( 1992 ) に丹青総合研究所のまとめがある ( 図 5.16 ). 新設さ れた 267 館について分野別の割合をみると , 人文系が 50 % 台を維持し , 自然 史系は着実に比率をのばしている . 美術系は横ばいである . 地域別では分散の 傾向が見られ , 関東・中部が 50 % 以上あったこれまでの片寄った状態がなく なった . 東北・近畿の比率が高くなり , 他地域も上昇している . その他のデー タは表 5.1 のようである . 全体としてみると , 規模に大小がありばらついていることがわかる . 多様化

4. 日本の自然史博物館

4.5 博物館ができるまで 179 いと展示に穴があくことになる . 「もの」については余分に用意し , その中か ら選択するくらいの余裕がほしい . ひとつひとつの展示の内容と形 , 全体の配置 , 照明の効果など展示のハード だけでなくソフト面も含めてのチェックが行われ , 展示室全体の環境や雰囲気 もよいということになれば作業は終わりに近い . 全体の調整 建物の建設が始まり , 展示の実施設計が進む時期から後では , 全体の調整作 業が必要となってくる . 管理者のもと , 管理職員 , 学芸員 , 委員会メンバー 展示業者 , 建築業者を含み必要に応じて選出されたメンバーで調整会議をもっ ことになる . 建物 , 展示それぞれの進行状況 , 両者の調整などが行われる . 館 の職員の構成をどのようにするか , 運営の規則も考えられなければならない . 管理者は当然館長予定者である . 学芸員はもちろんのこと , 管理職員も引き続 いて博物館の担当職員であるほうが望ましい . 完成・公開 展示が完成し , 細かい調整が終われば , 完成・引渡しとなる . 後は公開を待 つのみである . 開館準備が忙しくなり , 学芸員は案内のリーフレット , 展示解 説などを用意することになる . 公開されると当初は入館者が多く , いろいろな問題が出てくる . たとえば破 損が生じたり , 内容についてのコメントがあったり , 説明を求められたりする . しばらくはその対応に追われることとなる . 発想から完成まで , 3 ー 10 年を必要とする . 最低 5 年をみたいところである . 少々時間がかかりすぎるのではと感じられるかもしれないが , 実際の作業は複 雑で多くの調整を必要とし , そのくらいの時間がほしい . 余裕をみたほうがよ 博物館をつくる作業はチームプレーによって行われる . 作業そのものは複雑 であって , チームのメンバーは多様である . つくるものは一般的なモデルがあ るが , それぞれ独自のものであって , 決まったものではない . 一点製作の芸術 作品のようなものである .

5. 日本の自然史博物館

51 2.3 自然史系博物館 図 2.23 野尻湖博物館 図 2.22 恐竜公園 ( 長野市 ) これが自然史館と結びつけば , 博物館への入館者も増え , 活動も盛んになるだ ろう . クビナガリュウ , オオッノジカ , ナウマンゾウなどのレプリカをそなえ , 郷土産の多くの化石の展示があるのだから , 人をひきつける要素は十分にある . 恐竜公園と自然史館 , さらに動物園・植物園と一体化して活動すれば , 全体の レベルも上がるだろう . 長野市を中心とした地域は自然の豊かなところである . 自然史館は , さらに 現在の動物・植物をも含めた自然史の館であってほしい . 化石の多い長野県に は化石の館がいくつかある ( 30 , 49 ページ参照 ). しかし , 動物・植物につい てはむしろ少ない . もう 1 つ意識を高め , テーマを拡げた館は期待できないも のだろうか . 自然保護の問題にまで手がのばせたら , さらにすばらしい . 野尻湖博物館 長野県上水内郡信濃町 1962 年に始まり , これまで 11 次にわたって行われた野尻湖の発掘資料を材 料とする博物館である ( 図 2.23 ). 町立で 1982 年に開館した . 総面積 1236m2 , 展示面積 320m2 で , 資料 45000 点をもち , 学芸員 2 名 , 年間入館者数約 7 万 人という博物館である . 考古部門を含み , 厳密には自然史館ではない . 野尻湖の発掘は 1 つの科学運動である . しかも , 専門家から一般市民まで ,

6. 日本の自然史博物館

第 1 章自然史博物館 表 1.3 日本の自然史系・地学系の博物館の数と比率 ( 糸魚川 , 1990 ) 数自然史系の数 % 地学系の数 全国 4057 382 124 ( 動物園などを含む ) 全国 3673 北海道 322 東 北 337 関 東 539 東 270 中 部 902 近 畿 463 中 国 320 四 国 155 365 ( 動物園などを含まない ) これは動物園などを除いたこと , 基礎資料の違いによるもの 約 2 倍となるが , だろう . 地方別にみると北と南で比率が高い . 東京 , 近畿で低いのは都市型分 布パターンで , 美術館などが多いことにも原因があろう . 県別にみると , 多いほうから沖縄 ( 25.6 % ) , 高知 ( 21.9 % ) , 秋田 ( 19.1 % ) と なり , 群馬 , 北海道 , 熊本が続く . 少ないほうからは鳥取 , 広島 , 大阪 , 福岡 , 東京と並び , いずれも 5 % を割っている . 自然史系のうちで地学分野を含むものは 50 % 以下で , 20 ー 30 % が多い . 博物 館全体の中で見ると 5 % 以下 , 東京 , 近畿では 2 % 以下できわめて少ない . さらに , どんな形で自然史系の博物館が存在しているか統計をとると表 1.4 のようになる . 自然史プロバー , 総合館 , 合併館の一部としてあるのが主要な ものである . ビジターセンター , 観光用の館は今後さらに増加する可能性があ る . この他 , 設立年で見ると , 戦前創立の館はきわめて少なく , 4 % 以下 ( 14 館 ) にすぎない . 1970 年以降に大部分がつくられている . こうしてみてくると , 日本における自然史博物館はじつに多様である . 外国 に比べて , また他分野と比較して未発達の分野である . 以下の章において , 次のような流れで自然史博物館を解析したい . まず次章 ではいくつかの博物館をケーススタディとして取り上げ , 材料とする . 第 3 章 12 9.4 3 一 3 一 4 ・ 4 ・ 1 画 4 ・ 11 つん 4 ・ 3 一 10.4 15.2 11.3 12.2 11 . 0 12.9 12.9 4 ・つ 4 - ) 3 ) ( 0 -6 - ′ 0 7 ・ 3 」 つんイ 1 イ 1 つん -8 一 -4 ・ 0 -6- 1 一 0 ノ ( 0 11 つん 4 ・

7. 日本の自然史博物館

5.5 博物館はどこへ行く 表 5.1 新設博物館のデータ 207 面積 全体 自然史 総工費 全体 自然史 単価 ()2 当り ) 全体 自然史 最大 35000 2903 最高 2700 万 160 万 最高 1304 869 最小 最低 300 300 最低 30 90 38 197 平均 (m2) 1935 870 平均 ( 千円 ) 1771024 526676 平均 ( 千円 / m2 ) 543 424 ると 2 : 8 , 極端にいえば 0 : 10 も出てくるかもしれない . 物館活動をする . 一過性の見学施設で , 特別展 , なにかの行事のときに住民 る . 1960 年代以降 , 多くっくられた . 学芸スタッフがいて , いろいろな博 [ 第 2 世代 ] 希少資料だけではなく , その他も含めて資料を積極的に公開す くは観光地にあり , 展示以外の活動はしない . 宝物館・記念館などで , 希少価値のある資料 ( 宝物 ) を保存し , 展示する . 多 [ 第 1 世代 ] 保存中心で , 1960 年代末までの博物館の大部分がこれに属する . に変化してきているとする . 介しよう . 1 つは時系列でとらえたもので , 博物館の活動の内容は時代ととも 伊藤 ( 1991 ) はすぐれた視点で博物館をとらえ , 解説している . その概要を紹 未来がかかっている . ことが大切である . 博物館は蓄積であり , それをいかに活かすかということに とであろう . 硬直した姿勢では問題は解決されないだろう . 最後に積み重ねる 動を展開することである . 次に時代の変化や社会の要求にソフトに対応するこ である . 各館が個性をもっことである . 他と違った特色を出し , ユニークな活 おきたい . 3 つの基本要素と 4 つの機能について変わることはない . 後は応用 それではこれからどうしたらよいか . 第 1 に基本と原則はしつかりおさえて と「動」 , 「自然」と「ハイテク」 , 「伝統的」と「改革的」などになるだろう . 可能である . 一般化し対置してみれば , 「古いもの」と「新しいもの」 , 「静」 といった両極化が生まれてくるだろう . 自然のものと人工のものという対比も 展示について見れば , 「もの」と「レプリカ」 , あるいは「もの」と「映像」

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2.7 大学博物館 107 図 2.54 名古屋大学古川総合研究資料館 1990 年にタンデトロン加速器質量分析計 ( 14C 年代を測定する ) と結びつき , 前述のセンターとなった . 予算的にも裏づけができ , 人の配置もあったが , 表 向きは資料館として認められたのではない . 資料館が強く求められたのは , 大学において蓄積された資料の保存のためで ある . 名古屋大学の歴史は 50 年と , 他の大学と比べてそれほど長くはないが , それでも総合研究資料館が構想された段階で , 資料は約 50 万点といわれた . 国内・国外の各地の化石・岩石 , コケ標本 , 木曽馬 , 古窯資料 , 高木家文書 ( 古文書 ) , 伊勢湾台風資料など地域のものも含めて , 貴重なものが多い . これ らが , 置く場所がほとんどなく , 放置に近い状態にあった . まずこの問題が解決されたのは大きかった . ただ , 十分に整理されていない 資料も多く , これからの問題である . 整理されて参考資料として使えるものだ けが , 本当の資料である . その区別をしないと物置 , さらにはゴミだめになっ てしまう . 展示室は旧閲覧室を転用してつくられた広い空間で , 展示向きである ( 図 2.54 ) . 各分野がそれぞれ趣向をこらしたが , 全体として統一はされなかった . 大学であるから研究の成果を開示するのが第 1 だが , かなり思いっきのものが 含まれている . 公開は年 10 日 , 他に特別公開日 ( 卒業式や大学祭など ) があり , その他の日でも事情が許せば見学できる . 入館者は年門約 1000 人 , 一般の博 物館 0 常識から 0 、えば , 公開し、 0 、るとは 0 、えな 0 、ほと : である . 研究 0 面では , 全学的な支援のもとに , 研究報告が 1985 年以来刊行され , 7 号を数えている . 第 7 号は 300 ページをこえる . 大学博物館としてこの館をとらえたとき , よい面と悪い面の両方がある . 前

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212 第 5 章博物館の未来像 礼 , 食物 , 道 , 水などである . ほんとうにテーマになるか , うまく博物館とし て構成できるか疑問のあるものまである . 人文系の学生が主なので , 自然系の ものは少ない . また , このように並べただけでは , 内容について紹介できない のでおもしろさは伝わらないだろうが , 発想はじつに自由でユニークなものが あった . 地域志向型についてはすでに論述が多数ある ( たとえば伊藤 , 1991 ) . また地 こでは一般的なテーマ 域のテーマは一般化しにくい側面をもっているので , のものを取り上げることにする . 生物学分野 ( 1 ) ヒトの博物館 生物としてのヒトをテーマにする . ヒトの歴史 , ヒトとしての成立の理由 , ヒトと類人猿の違い , 人種 , ヒトと環境 , ヒトの移動 , ヒトと食物など事項は 多い . ヒトそのもの , そして自然とのかかわりから見たヒトに焦点をしばる . 人類学 , 考古学 , 医学 , 生物学 , 古生物学 , 食物学など多様な分野にわたる内 容である . たとえば目玉は , 上田 ( 1989 ) のいう人体を 200 倍にしてガラス張り にし , 中がすべて見られる模型にしたらどうだろうか . 多面的な自然史的ヒト 研究を同時に研究部門としても考えたい . ヒト全体では大きすぎる , テーマが収斂しないなどの懸念があるなら区切っ てもよい . たとえば文部省の重点領域研究のテーマとなっている「モンゴロイ ド」はどうだろうか ( 図 5.19 ) . この研究プロジェクトは , 日本人を含めてモ ンゴロイドの起源とひろがりに多方面からアプローチしている . アジアだけで なく , アメリカを含めたグローバルなテーマである . その成果をそのまま博物 館の材料としてはどうか . もちろん研究は継続され , 資料は収蔵・保管される . また「住居とヒト」というテーマも考えられる . 年代を区切って , あるいは 地域を限って住居の変遷を取り上げるのである . できれば野外博物館にして住 居を復元したい . このテーマは拡げれば限りなく大きくなるから , どこかに重 点を置く . 時間的・空間的な変化をとらえること , 自然とのかかわりを明らか にすることが必要である . 材料としては石があり , 木があり , またマンモスの 化石骨まで登場するだろう .

10. 日本の自然史博物館

64 第 2 章自然史系博物館のすがた 盛り上がりにかける . 熱帯の海と山のあのダイナミックさはどこにいってしま ったのかと思う . この他の展示も全体にやや古びて活力が見られない . 独自の歴史の中ではぐ くまれた独特の民俗品 , 優れた工芸品 , そして天与のすばらしい自然をもって いるのだから , これらを見せてほしい . また , この地における人と自然のかかわりは山下洞人 , 港川人をはじめとす る旧石器人のときにまでさかのばる . 現在に至るまでの , そして現在の両者の かかわりあいをぜひテーマにしてほしい . 沖縄においても自然破壊の問題が生 まれている . そのこともぜひ含めてほしい . 基本的には博物館全体のつくりか え , あるいは展示の再構成・新装が必要なのであろう . かって沖縄のある人が語られた「県博の人はみなその道一筋の人ばかりで す」という言葉を覚えている . たしかに , 博物館全体にそういったいっしよう けんめいさを感じる . それは建物や展示が多少古くても , 博物館そのものが活 力をもっことにつながる . 最近 ( 1992 年 ) , 酒造組合連合会と共催で , 「泡盛」 の特別展が行われたという . 試飲会もあったとのこと , このような沖縄らしい 市民とむすびついた特別展などをどんどん企画してほしいものである . たいへんであろうが , 予算的な裏づけを得て , 再生の第一歩を踏み出してほ しい . 近くの首里城が復元されたこともあり , 観光ともつながって多くの見学 者を迎え , 新しい天地が開けてくるのではないだろうか . この博物館が経てき た戦前から戦後への歴史は同時に沖縄の歴史である . そのことを思うとき , 21 世紀へ向けての発展をぜひと願うのである . 岐阜県博物館 関市小屋名 置県 100 年を記念して計画され , 1971 年から 5 年間の準備期間を経て 1976 年 5 月開館した . 地下 1 階地上 2 階建で , 延面積 8788.8m2 , 六角形を基本と した建物である ( 図 2.31 ) . 館長以下嘱託まで含めて 28 名 , そのうち学芸部は 3 分野を含む . 常設展示室はそれぞれ第 1 , 第 2 の展示室に分かれる . 講堂 , 県立の総合館なので人文・自然の両面にわたり , 自然は動物 , 植物 , 地学の 14 名 , 自然系は 4 名である .