3.2 博物館の基本 場合 , 長い箱型の建物はシンプルでよいのだが , 狭すぎること , とが欠点である . 分館が別にあるのはよいが , 少々不便である . ④面積の不足 幅の小さいこ 139 博物館ができてから時間がたってくると , 必す面積が不足する . それは展示 の内容を向上したいという要求が出てくることにもよるし , 資料が増加して 「もの」を入れるスペースが決定的に不足してくることにもよる . 後者の場合 , 最初に十分に考えないでつくられたケースもある . 収蔵庫の不足は多くの博物 館 , とくに収集活動が活発な館の泣き所である . 瑞浪市化石博 , 豊橋市自然史 博 , 長野市博茶臼山自然史館 , 栃木県博 , 半田市博など例は多い . このことは , 収蔵庫を倉庫と呼ぶようなセンスで博物館の建物をつくること から始まっている . また「展示 = 博物館」といった考えから , その他の部分 収蔵・研究などーーを軽く見る傾向があることにもよる . 新しく建設され る場合 , 増設される場合には , このあたりへの配慮が絶対に必要である . ( 5 ) 展示との整合に欠ける 博物館がっくられるとき , 建物のみが先行して設計され , 建設されることが ある . 時間的な制約があることもあろうし , 建物はお金をかければできあがる ということにもよる . 中に入る展示その他を短時間でつくりあげることはそれ ほどかんたんにはいかないのである . この場合 , 展示 , 収蔵などは建物に合わ せることになる . いかに不便なことか . それは展示をつくるうえのむすかしさ にも , そしてできあがってから後の使い勝手 ( 館のサイドでも見る側でも ) の悪 さにも出てくる . 名古屋海洋博の丸みをもった建物 , 岐阜県博の六角形の建物 はその例であろう . いつほう , 古い建物を利用して博物館にする例がある . 古い民家に民俗品 , 歴史史料などを展示する場合などはよいが , 建物と展示品とがマッチしない場 合がある . 一般に , 自然史資料は合いにくい . たとえば石川県の桑島の里には , 古民家の中に恐竜をはじめとする化石が展示してあるが合わない . ヨーロッパ などでも同様なケースがあるが , この場合はそれほどの違和感はない . 石造り と木造との違いであろうか . それとも西洋建築と日本建築の差であろうか . そ ういえば , 旧神宮農業館は古い木造の建物に , 自然史およびその周辺の資料が ごく自然な不思議な釣合いを見せていた . 「いれもの」と 展示してあったが ,
226 ーー・都市 188 における遊び 203 における「建物」 137 における「人」 135 ネットワーク 159 の運営 158 の機能 140 の構造 6 のつくり直し 180 の定義 6 法 163 羽根田弥太 16 , 59 付属施設 60 ボランティア 204 本草学 2 マ行 松岡敬二 25 3 つの要素 6 ニウム 194 ミュージアムショップ 47 ミューズランド 198 ヤ行 野外学習地 20 柳宗悦 140 山腰悟 98 山階鳥類研究所 31 4 つの機能 6 ワ行 わたくし美術館 195 地域 170 調査 170 筒井嘉隆 36 展示 147 改善 77 替え 37 と建物 177 の更新 153 , 180 のシナリオ 176 登録審査基準 164 登録博物館 163 特別展 156 ドネーション ( 寄付 ) 204 友の会 157 ナ行 中村春雄 103 naturalist ( 博物学者 ) 4 natural history 1 名和秀雄 97 南極観測船「ふじ」 88 西川治 219 日本博物館協会 8 , 88 沼田真 71 望ましい基準 164 博物学 1 博物館 学 166 相当施設 163 づくりの 4 つの立場 175
第 4 章博物館論 178 図 4.4 建設中の豊橋市自然史博物館 図 4.5 展示の製作 繰り返され , プラッシュアップされてゆく . 学芸員サイドからの提案も含めて , 展示の内容が厚みを増してゆく時期である . ケースや照明など展示の効果を発揮させる工夫がされる . 建物のうち , 展示 と関係する部分 , 床や壁・天井のマチェール・色など展示を取りつけるための フレームワーク , 電気の容量なども両者の検討課題である . 見学者に気持ちよく見てもらうために , 空調設備が必要であるし , 音響に対 する配慮もいる . 室内の色は展示に関係するだけでなく , もっと基本的な快適 さに関連することである . 照明も閉鎖的な環境での人工照明だけによるのか , もっとオープンにして自然光を採り入れるのか , いろいろと問題がある . 展示室であるからといって特別な空間ではないのだが , 展示をうまく見せる ( 価値を提示する ) , わかりやすく説明する ( ものの意味を表現し解説する ) こと と同時に , 気持ちよく見られる場にするということが肝要である . 施工 この後 , 建物・展示とも施工に入る . 建物は先行してつくり ( 図 4.4 ) , 養生 期間をおく必要がある . 展示は工場において準備され ( 図 4.5 ) , 最終的に博物 館に搬入され , 比較的短期間のうちに完成する . それまでに十分チェックされ , ラベルやパネルなどの文字・イラストなどの校正 , ジオラマなどの「もの」校 正なども行われるのだが , 最終的には多くの手直しが必要となる . 実施設計といっても , その段階で具体的に「もの」とそれの説明 ( たとえば ラベル ) の細かい配置その他をつめているわけではないので , 細かいミスが出 てくるし , 不足や欠陥が生まれてくる . 学芸員と業者両方のすばやい対応がな
第 3 章博物館の基本と機能 お金をかければ , 一般に「建物」をつくるこ とは容易であると考えられる . そして , 現実 の問題としてそれは可能である . しかし , 日 本の博物館の「建物」を見たとき , お金をか けたからといって博物館としてよい建物がで きているかといえば , そんなにかんたんでは ない . それでは「ふるい」にかけた結果を順 にあげてみよう . ( 1 ) 形 機能的でなく , アート指向の場合がある . 例として , 岐阜県博 , 笠岡カプトガニ博 , 名 第 古屋海洋博 , 飯田市美博などがある . 飯田市 美博の場合 , 美術館 + 博物館ということもあ 図 3.2 ベルギー王立自然史博物館新館 ろうが , 建物自身が建築家の作品である . 外 観はともかく , 工ントランスホールの柱は不 要どころか邪魔である . 笠岡カプトガニ博のように , シンボルとしての形とい うことは理解できるが , 外観の特徴は近くからではとらえにくく , 山の上から 見てはじめてわかるというのではあまり意味がない . もっとも考慮されるべき は使い勝手の問題である . ( 2 ) デラックスすぎる 最近の大規模館は建物がぜいたくにつくられている . 快適な環境を来館者に 提供し , ゆっくりよい気分になってもらうことは必要であろうが , 限度がある . むしろ質素でさつばりした建物のほうが博物館にふさわしくないだろうか . 基 本的には来館者は「もの」を見に来るのであって , 建物を見に , また休憩に来 るのではない . 千葉中央博 , 徳島県博などは目を見張るばかりのデラックスさ である . 間に合わせ 既存の建物を利用して博物館とした例がある . しかも , 北九州自然史博や準 備中の兵庫県博のような大規模な館においてである . それぞれに事情があって のことであろうが , 正しい博物館のつくり方とはいえない . 北九州自然史博の 138 」凸凸、」。」弡呂当 55 ( 3 )
4.5 博物館ができるまで には , 繰り返しての手直しが必要であるからである . 177 コンべの場合は指名業者に公平な説明をし , 質問に答え , できるだけすぐれ たノウハウを設計の中に盛り込んでもらえるような努力が必要である . この段 階では建物についての専門家も加わり , どのような空間を用意するかも考えら れなければならない . それぞれの立場からの意見を聞いて , 公正な決定によっ て業者が選ばれることになる . この後 , 基本設計の内容についてのつめが , 学 芸員と展示業者の間で行われることとなる . 展示と建物 すでに何度か述べたように , 博物館の建物は実際的なもののほうがよい . ひ とことでいえば , 使いやすい建物である . その点では機能的な美しさをもって いればよいのであって , けっしてアートとしての建築は必要としないのである . 博物館全体の使い勝手 , 展示 , 収蔵 , 研究 , 普及活動などを行うのに便利な 建物構造がまず第 1 である . とくにそれらのバランス ( 面積・配置など ) が大切 である . 身体障害者に対する配慮も必要である . 展示室についていえば , 展示しやすい展示とバランスのとれた空間をつくる ということである . ゆったりしているほうがよいが , それも度が過ぎて広さに 対して展示物が少ないと間延びする . 限られた時間内での入館者数のことも配 慮しないといけない . 展示の中での区分 ( 部門分け ) と建物の区切りとの関係も考えの中に入れてお 一般的に箱形の空間は使いやすく , 多角形・円形などの空間 かねばならない . は使いにくい . また , 室内だけでなく屋外に展示をすること , 野外にある自然 物を展示の一部として取り入れることも考慮してよい . 実施設計 次の段階として , 建物・展示とも実施設計に入る . 両者の整合をはかるため に , 繰り返し調整をしながらそれぞれの作業が進められる . 展示についていえ ば , 骨組みとしてつくられた基本設計に肉づけをする段階である . 具体的にど のようにものが配置され , 説明され , 展示されるかが決められてゆく . 展示業 者の提示したものを学芸員が中心になって検討し , 決定してゆく . 試行錯誤が
186 第 5 章博物館の未来像 カナダの例として , オンタリオ州サドベリー (Sudbury) のサイエンスノース (science North) があげられる ( 1984 年開館 ) . 里見 ( 1988 ) によれば , この博物 館の中心となるセンターは展示面積 3000m2 , 六角形の建物で湖を見下ろす位 置にある . 特徴として立体映像シアター , スワップショップ ( 資料について寄 贈・交換・アドバイスなど行い , 館と観覧者の交流をはかる施設 ) , 発見劇場 ( 実験コーナー ) , 昆虫・小動物の飼育 , 地質実験室 ( 堆積物の移動の実演 ) , 健 康のコーナー ( 血液検査 , 献血 , ェイズ , 煙草の害など ) などがあることがあげ られる . この科学博物館がコアとなり , サテライト ( 衛星館 ) としてニッケル鉱 山の坑内見学 , 隕石孔の見学などを行う . 地域社会と密着し , 地域社会と共生 しているコミュニティエコミュージアムである ( 新井 , 1987 ) . この考えは日本でも広まりつつある . 1992 年 3 月には , 工コミュージアム フォーラムが東京で開かれ , 6 月には国際工コミュージアムシンポジウムが山 形県朝日町で開かれた . 丹青総合研究所 ( 上述のフォーラム資料 ) によれば , 類 似事例が 21 , 計画事例が 2 あるという . 日本ではどんな形で生まれ活動して いるか , どのようにつくられようとしているか , 筆者が見た事例 , 資料によっ て紹介しよう . 墨田区「小さな博物館」 東京都墨田区が進めている運動である . 墨田は「産業と文化のまち」という 訒識のもとに , 知られていない産業製品 , 資料 , 技術などを公開しようという ロ心、卩 のである . 個人 , 企業のコレクションを対象にしてすでに 22 の館がある . リ ストを見るとバラエティに富み , ユニークである . たとえば , 軟式野球資料室 というのがある . ボール , バット , グラブなど製造会社による展示である . ま た , 最近できた伝統木彫刻資料館はこの道 60 年のべテラン職人が館長で , そ の作品 , 制作実演を見せようというわけである . 3M キャンペーンというのがあり , ミュージアム , マイスター ( 技術者 ) , モ デルショップ ( 直営店 ) を育てるというねらいをもっている . 小さな博物館はそ の 1 つで , モデルショップ , その他の博物館 , そして名所旧跡とも関連づけて , 墨田区を楽しい街とし , 一方において技術・文化遺産を継承し , PR にも利用 しようと考えられたものである . これらは成功していて , 他の分野へも応用が
200 第 5 章博物館の未来像 応に対して , 「補助して口を出さない」ことが必要で , 運営母体はよい意味で の第三セクターでもよいではないかと述べている . また , このような形の橋の 博物館を実現したのは , 倉敷市の対応が他の市と違って , 都市経営的センスの もとで行われたことによるとしている . いつほう , 伊豆の長八美術館は伊豆半島の南端近く , 西海岸の松崎町にある . 江戸末期から明治初期にかけての松崎町出身の左官職の名人 , 入江長八の作品 を展示したものである . 入江長八の鏝絵 ( 左官職人の使う鏝で描いた絵 ) は松崎 町を中心にたくさん残っていて , それを集め保存し , 展示しようというわけで ある . 町には多くの作品の残っている浄感寺があって「長八記念館」となって おり , また「長八作品保存会」があり , 町長以下町の人びとの長八への想い , 観光客とのコミュニケーションの場をつくりたいという願いがあって実現した . 設計は上記の本の著者 , 石山修武である . 月刊誌「左官教室」に長八美術館の ことが載り , 日本左官業組合連合会が建設への自主的参加 , 職人参加を促すこ とになった . 石山の設計はきわめてユニークなものであった . 「おとなしい平均値的な建 物でなく , むしろ見たことのない不思議な建築」と石山自身がいうほどのもの である . 依頼した町側も理解して実現したのが現在の建物である . たしかにユ ークである . 建物は全部しつくい仕上げで設計された . しつくいというのは職人芸の極地 で , すばらしい仕上げになる . そしてまた , 全国にわたって各種の技法がある . 延 2000 人に及ぶ左官職が全国から集まり , 建物をつくりあげた . 建物がユニークであるだけに , 館内は多少不便であろう . しかし , この館に は収斂された 1 つの力が現われている . 建物と展示というような問題はここで はふっ飛んでしまっている . 前に述べたのとは逆に , 建物が「アート」であっ てもよいではないかという気がしてしまうほどである . 展示作品は長八の作品である ( 図 5.12 ) . よくも鏝でこんな絵をと感心させ 長八の作品は前に述べた浄感寺 ( 長八記念館 ) , 岩科学校 ( 明治時代の学校建 ることを許したなという感がある . あるという , ある種の「不思議」がここにある . られる . しつくいで囲まれた現在の建物の中に , 鏝で描かれた江戸時代の絵が よくもつくったな , またっく
120 第 2 章自然史系博物館のすがた るのは気になる . 建物の他の部分はホール ( 多目的に使える ) , 図書・資料室 ( 約 2000 点収蔵 ) , 事務室などである . 喫茶コーナーがあるのはよい . まわり を含めてこの館がよい雰囲気をもっていて , ちょっと一休みしたい気分になる からである . 自然史との関連でいえば , 地学の分野をもっと充実してほしい . 賢治は岩石 や化石と深くかかわって , 詩や文章の中に多くの記述がある . そして , それら については研究もある ( 宮城 , 1975 ) . 近くにはイギリス海岸のように , 地質学 的にもまた賢治文学のうえでも重要なところがある . そのつもりで資料を収集 すれば , 賢治における地学の世界を復元できるだろう . 「石っ子賢さん」の企画展はあまりにもスペースが狭くて物足りなかった . もっと充実した展示を構成することはそれほどむずかしくない . よい自然の中 に立地している博物館であり , 「自然と人」のかかわりを強く意識していた宮 沢賢治がテーマであるから , たとえば自然の面を補強した展示にしたらよいと 思われる . 1992 年 4 月から「賢治と自然」のテーマで企画展が行われるとの ことであるが , ぜひこれを足がかりにしてほしい . 若い人たちの「賢治人気」 もあるから , 地学の普及のためにもそんな配慮がほしいところである . 名古屋市東山総合公園動物会館・植物会館 名古屋市千種区東山元町 1935 年 ( 昭和 10 年 ) に東山公園が建設され , 1937 年 , その中に東山動物園 , 東山植物園が開園した . 現在は動植物園として一体化されている . 総合公園は 約 60 万 m2 の広さをもち , 年間約 286 万人 ( 1989 年度 ) の入園者がある . 中学 生以下が無料なので , 約半数が有料入園者である . 職員数 128 名 , 歳入が約 10 億円 , 歳出は約 25.8 億円である . 動物園に動物会館 , 植物園に植物会館が あり , 博物館 , あるいはビジターセンターの役割を果たしている . 動物会館 ( 動物の科学館 ) は 1985 年に開館し , 延面積約 1200m2 , そのうち 展示室は約 580m2 , 図書室 80m2 , レクチャーホール約 250m2 である . 総工 費約 5.2 億円であった . 展示は一般的な「もの」を並べた展示 , ジオラマ ( ラ イオンの狩 ) , Q アンド A, 体験遊具などである ( 図 2.62 ) . 題材としては , 骨 と剥製の比較 , 化石 ( 恐竜 ) , オーストラリア , 保護動物 , 世界の動物などであ
64 第 2 章自然史系博物館のすがた 盛り上がりにかける . 熱帯の海と山のあのダイナミックさはどこにいってしま ったのかと思う . この他の展示も全体にやや古びて活力が見られない . 独自の歴史の中ではぐ くまれた独特の民俗品 , 優れた工芸品 , そして天与のすばらしい自然をもって いるのだから , これらを見せてほしい . また , この地における人と自然のかかわりは山下洞人 , 港川人をはじめとす る旧石器人のときにまでさかのばる . 現在に至るまでの , そして現在の両者の かかわりあいをぜひテーマにしてほしい . 沖縄においても自然破壊の問題が生 まれている . そのこともぜひ含めてほしい . 基本的には博物館全体のつくりか え , あるいは展示の再構成・新装が必要なのであろう . かって沖縄のある人が語られた「県博の人はみなその道一筋の人ばかりで す」という言葉を覚えている . たしかに , 博物館全体にそういったいっしよう けんめいさを感じる . それは建物や展示が多少古くても , 博物館そのものが活 力をもっことにつながる . 最近 ( 1992 年 ) , 酒造組合連合会と共催で , 「泡盛」 の特別展が行われたという . 試飲会もあったとのこと , このような沖縄らしい 市民とむすびついた特別展などをどんどん企画してほしいものである . たいへんであろうが , 予算的な裏づけを得て , 再生の第一歩を踏み出してほ しい . 近くの首里城が復元されたこともあり , 観光ともつながって多くの見学 者を迎え , 新しい天地が開けてくるのではないだろうか . この博物館が経てき た戦前から戦後への歴史は同時に沖縄の歴史である . そのことを思うとき , 21 世紀へ向けての発展をぜひと願うのである . 岐阜県博物館 関市小屋名 置県 100 年を記念して計画され , 1971 年から 5 年間の準備期間を経て 1976 年 5 月開館した . 地下 1 階地上 2 階建で , 延面積 8788.8m2 , 六角形を基本と した建物である ( 図 2.31 ) . 館長以下嘱託まで含めて 28 名 , そのうち学芸部は 3 分野を含む . 常設展示室はそれぞれ第 1 , 第 2 の展示室に分かれる . 講堂 , 県立の総合館なので人文・自然の両面にわたり , 自然は動物 , 植物 , 地学の 14 名 , 自然系は 4 名である .
5.3 博物館からミューズランドへ 魂の想いをこめて祭るというわけである . 199 実際に建物を外からみると昼は大鼓橋に見え , 夜は中にあるイタリアのリア トル橋の模型が見える構造になっている ( 図 5.11 ). 建物には x 型の斜めの階 段があり , 屋根へ登れる . 博物館のまわりはもとより瀬戸内海が見える . 景色 を眺めながら , 博物館の屋根の上でちょっとひとやすみができるわけである . 内部の天井には絵があり , 橋の下の世界として , 中世職人絵尽しから 80 人 の旅芸人 , 旅職人が描かれている . そして , 絵にふさわしい音楽が流れている . 内部には世界の橋の模型があり , 自由に勝手に見てまわれる . 北斎の「夢の百 橋」の模型があって目をひく . リアトル橋の模型は左右対称であるから , 鏡を おいて半分だけっくってある . 未来の橋の展示は , 世界中からのコンクールの 優秀作品である . これらは 650 点ほどの中から選ばれたもので , いろいろなお もしろい案が示されている . 1 階には瀬戸大橋の 1 / 500 の模型がプロンズでつくられていて , さわってみ ることができる . また 16 面のマルチビジョンがあり , さまざまな映像を単一 で , あるいは分解してみることができる . 広場の横に橋の公園があり , そこに 11 の古い橋のミニチュアがあってすべ て渡れる . 一筆書きと同じように 1 度は必ず通るが , 2 度は通らない仕組みに なっている . 八ッ橋 , 猿橋 , 家橋などが復元されているのである . まさにミューズランドであり , 上田の思想がいかんなく表わされている . 建 物は特殊な形をしているが , 展示に不便を与えていない . むしろ , 上へ歩いて 登るという発想のほうがおもしろい . 展示はそれぞれに内容があり , しかも自 由に勝手に見られるのだからよい . ビデオの利用のしかたもうまい . 外の橋の 公園は , 展示と同時に参加・体験という意味があって楽しむことができる . この博物館では研究の面はおそらく欠けるだろう . 後で述べるように , 博物 館が多様化する中で , こういう型のものがあってもよいと考えられる . 少なく とも展示という面から博物館をとらえたとき , 抜群の個性をもっているからで ある . 上田は同様な発想のもとに , コンピュータメディカル ( 人体を 200 倍にして ガラス張りにし , 中を見られるようにする ) , 生活文化 ( たとえば人形 , ふすま など ) などの博物館をつくってみたいという . また , 博物館づくりの行政の対