博物館学 - みる会図書館


検索対象: 新しい自然史博物館
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1. 新しい自然史博物館

〃 8 第 4 章海外の自然史博物館 またちがったかたちになっているであろう . 再見したいものである . ヨーロッパの伝統と革新 博物館についてヨーロッパを 1 つにまとめて議論することは , とうていで きることではない . それぞれが個性をもち , 多様なかたちをもっているから である . しかし , いくつかの共通する点を認めることができる . それは「伝 統」と「革新」である . 前者は , ヨーロッパが自然史学のルーツ , 博物学の 生まれた地域であり , また , それにもとづいた近代博物館発祥の地であるこ とからもわかるように , この地域のもっている歴史そのものである . その第 ーは膨大な数の標本である . 膨大な「もの資料」があるのである . 営々とし て続けられてきた博物館活動の原点ともいうべきものである . これとは逆に , ここにはつねに新しいものを求める姿勢がある . もちろん 国によっても , また時代によってもそれは一様ではないが , ときにその精神 が発露される . そのよい例はフランスのグラン・プロジェ ( 第 3 章参照 ) で あり , 大英自然史博物館の変革である . いつばうでは , 長い時間継続してい る伝統的なものがあり , 他方では , それとは似ても似っかない時代の先端を ゆくものがある . しかもこの両極性 ( 双方向性 ) が共存してあり , 違和感が ないという不思議さがある . これこそョーロッパにみられるおもしろさであ り , 日本ではおそらくみられないことである . 4 ・ 2 アメリカの独自性 国立自然史博物館とアメリカ自然史博物館 アメリカというよりもむしろ世界を代表する自然史博物館として , 国立自 然史博物館 (NationaI Museum of Natura1 History, smithonian lnstitu_ tion, ワシントン D. C. ) とアメリカ自然史博物館 (American Museum of Natural History, ニューヨーク ) がある . 前者は国立 , 後者は私立という基 本的なちがいはあるが , 自然史の大博物館であることに変わりはない . 展示を中心に両者を比較してみる ( 表 4.1 ). 関係者に話を聞いていないの で , まったく外からみた印象である . 新しいタイプの展示はそれぞれにおもしろく魅力的である . 「進化の大ギ

2. 新しい自然史博物館

第 1 章 自然史研究と自然史博物館 1. 1 これまでの自然史博物館 戦前略史 戦前には日本にどのくらいの数の博物館があったのであろうか . 日本博物 館協会 ( 1932 ) によると総館数 298 , そのうち自然史に関係する館は 30 であ り , 台湾 , 朝鮮 , 樺太などの植民地に 10 館あるから , 内地での比率は低い . 日本の博物館史についてはいくつかの著作 ( 伊藤 , 1978b ; 樋口・椎名 , 1981 ; 椎名 , 1981 , 1988 など ) があり , くわしく解説されているが , これら を参考にして自然史博物館に関係することをまとめておく . 明治初年 ( 1870 年代の初め ) , 博覧会会場や物産縦覧場として始まった施 設は , その後かたちを変えて博物館となる . 1875 年の東京博物館 ( 現在の国 立科学博物館の前身 ) や 1877 年の開拓史仮博物場 ( 現在の北海道大学農学部 付属博物館 ) などであるが , これらは自然史に関係する博物館の最初のもの である . その他 , 大学などの学校 , 私立 , 先駆的な公立の館ができるが , 自然史お よび自然史系の博物館は戦前 ( 1945 年まで ) で数十を数えるのみである . い くつかの館名をあげてみるとつぎのようになる . [ 明治 ] 1879 年函館仮博物場 ( 現在の市立函館博物館 ) , 1891 年神宮 農業館 ( 1996 年に解体復元された ) , 1905 年木の葉化石園 ( 私立 , 栃木 県塩原にある ) , 1910 年秋田鉱専列品館 ( 現在の秋田大学鉱山学部付属 鉱業博物館 ). [ 大正 ] 1913 年平瀬貝類博物館 ( 1919 年に閉館 ) , 1917 年山口県立教 育博物館 ( 山口県立山口博物館の前身 ) , 1919 年名和昆虫博物館 ( 現在 3

3. 新しい自然史博物館

現土岐守月吉羽産 の 館 物 博 史 然 自 章 第 ! , 図 2.7 博物図 ( 「日本産物誌』より ) た展覧会も開かれている . 西洋の博物学の長い歴史のなかで , 多くの優れた 動植物の図が描かれた . 多様な版種が創作されたことによって , 美術品とし ても意味のあるものが多い . しかし , 基本的には , 自然科学上の記録として とらえねばなるまい . 博物図は本の挿し絵としてつくられたものが多いから , 複数存在している ( 実際はそうでない側面をもち , 高価な場合も多い ). したがって , 現在でも コレクションの対象になりうる . あるいは , まだ「狙い目」かもしれない . 日本の江戸ー明治時代のそれも含めて , 開拓の余地がありそうである . 現に ョーロッパの古書店の目録中には , 私でも購入できる可能性のある材料がた くさんある . 集めるだけでなく , 研究の対象としてもおもしろい . その時代の学者が , ある生物をどのようにとらえていたか , 学問の水準がどのあたりにあったか , 探ってみるのも楽しい . それにもまして , 動物・植物のコレクションをして いることになる ( 実物ではないが ). 国立自然史博物館 ( パリ ) の「進化の大 行進」 ( 第 4 章参照 ) を , 図の上で再現できそうである . さらに広げて , 風景画・静物画のなかの , 動植物を対象にすることも可能 である . この場合 , 原画を収集することはとてもできないから複製にしよう . 多くの泰西名画 , そして , 東洋の多様性に富んだ多くの作品のなかに , 多く の自然物を発見することができる . そこには , 分類学・生態学・自然地理

4. 新しい自然史博物館

8 第 1 章自然史研究と自然史博物館 のはじまりはここにあるといえよう . 日本貝類学会会長を務めた黒田徳米 ' こで貝類学研究のスタートを切った . 平瀬貝類博物館は残念ながら は , 1919 年に閉鎖された . [ 齋藤善右衛門 ] 宮城県の素封家で , 齋藤報恩会をつくり , 1933 年に博物 館をつくった . 当時英文で発行された研究報告には , 東北帝国大学の関係 者も含めた多くの学者による生物・化石に関する研究論文が載り , 海外に も名をはせた . 博物館は現在も活動中である . [ 森本慶三 ] ,. = 内村鑑三に師事したキリスト教徒で , 1926 年 , 私財を投じて 津山基督教図書館をつくった . 戦後 , 私立の高等学校を設立 , その後 , 10 年がかりで子息とともに , 多くの学者の協力を得て , 「津山科学教育博物 館」を準備し , 1963 年に開館した . 多種多様な資料を収集しているが , 人体の内臓標本が森本氏自身のものであるというのはよく知られた話であ る . 現在 , 博物館は子息謙三氏が中心となって運営されている . [ 筒井嘉隆↓大阪市立自然史博物館の前身 , 大阪市立自然科学博物館をつ くり , 初代館長となった . 建物がなく , 仮住まいという悪い条件のなかで 地道に博物館活動を続け , 現在の館の基礎をつくった人である . その伝統 のなかで多くの博物館人が育ち ( たとえば千地万造 , 日浦勇など ) , 大 阪市立自然史博物館だけでなく , 各地の自然史博物館で , 当館出身の学芸 員の人が活躍している . それにしても日浦勇の早逝は惜しまれる . このほか岡田要 ( 国立科学博物館長を務めた生物学者 ) , 新井重三 ( 秩父 自然科学博物館より埼玉大学教授となり , 自然史博物館に大きな貢献をした . 現在はエコミュージアム研究会会長 ) , 沼田真 ( 前千葉県立中央博物館長 , 日本自然保護協会会長 ) , 千地万造 ( 大阪市立自然史博物館長 , 徳島県立博 物館長を務めた ) , 太田正道 ( 秋吉台科学博物館から北九州市立自然史博物 館に移り , 館長となる ) などの名前があげられよう . 多くの俊英が活躍中で あることは言をまたない . 博物館に直接かかわったこれらの人びとのほかに , 多くの人たちが博物館 をサポートしてきている . 専門家にかぎらず , 広く自然史分野のアイテムに 興味をもち , 標本を集め , 地域において生態や分布の調査をしてきた人など である . 集められた標本のうち , 博物館資料として役立っているものは多い .

5. 新しい自然史博物館

206 第 6 章自然史博物館の改革 英自然史博物館 ). ドイツは A 類 , B 類が混交している . アメリカの大博物 館は B 類が中心で , C 類ができ始めた . 展示替え後のデンバー自然史博物 館の「恐竜」がどうであるか , 興味のあるところである . 博物館途上国では ほとんどが A 類である . 日本をはじめ , 各国の状況を図 6.15 にまとめてみ た . なお , フランスの科学館にみられる 3 世代 ( 第 3 章参照 ) はほば A, B, C 類に対応するが , I がⅡに ⅡがⅢに内包されるかどうかについては , 否定的な面もみられる . また , この系統分類は他の種類の館へも応用でき , 拡張できる場合がある . 国立民族学博物館は「もの」中心の展示で , いつけ んして A 類 -B 類であるが , ビデオテークも含めて考えれば , C 類のレベル に近い . 展示構成もうまくダイナミックで , 楽しい表現が各所にみられる . 展示の類別 国 日 本 ョ ロ ッ メ カ 館名 神宮農業館 網走市郷土博物館 美祢市化石館 上士幌町ひがし大雪博物館 青海町自然史博物館 前沢町立牛の博物館 群馬県立自然史博物館 豊橋市自然史博物館 滋賀県立琵琶湖博物館 滋賀県立琵琶湖博物館 (C 展示室 ) 大英自然史博物館 ゾルンホーフェン博物館・ホルツマ ゼンケンベルグ研究所博物館 パリ国立自然史博物館 ( 古生物 ) ルーアン自然史博物館 ディジョン自然史博物館 パリ国立自然史博物館 ( 進化 ) 国立技術博物館 発見宮 ラ・ビレット科学産業都市 国立自然史博物館 ( スミソニアン ) アメリカ自然史博物館 デンバー自然史博物館 ーデン博物館 カリフォルニア科学アカデミー博物館 図 6 コ 5 各国の自然史博物館の展示の類別

6. 新しい自然史博物館

3.2 産業遺跡の復活 95 り特許庁の資料館から譲り受けた文献がある . ミュージアムショップもあり , レストランもなかなかよい . 名古屋市内にあってアプローチもよい . おすす めの博物館の 1 っとして紹介できる館である . 「生きている」産業遺跡博物 館といえる . ( 2 ) 土木・建築遺跡 この分野においてつくられた物は大きく , 遺物というよりは遺跡に入る . 現地に保存される例は古くからあり , 世界各地の遺跡 ( 建物を含めて ) がそ れにあたる . 最近では , 世界遺産の指定も行われている . 建物や産業遺跡を 集めて博物館とすることは , 北欧のスカンセン (Skansen) などの野外博物 館に始まって全世界に及んでいる . イギリスのバーミンガムの近くにあるア イアンプリッジーゴージ博物館 (lronbridge Gorge Museum) は , ナショナ ル・トラストによって経営されている産業遺跡・博物館である . 中心になっ ているのは世界最古の鉄橋で , 産業革命時 ( 1779 年 ) につくられたものであ る . 鉄橋のほか , 本来ここにあったいくつかの鉱山・工場などに加えて , ほ かから移築された施設もある ( 糸魚川 , 1979 ). 日本では , 明治建築の遺跡 ( 物 ) を集めてつくった明治村がある . 土木学会に土木博物館の構想があり , 「土木学雑誌」で博物館の特集が組まれたことがあった ( 1993 年 ). 土木の専 門家と博物館の専門家による座談会があったが , そのとき , 土木の博物館は 実際の構造物のある場所に , それ自身を主題として , 関連するものを集めて 博物館とすることであると私は考えた . っくったもの ( 道具 ) , っくった方 法 ( 設計図など ) が , つくられたものの近くに集められていれば , 現地性の 図 3.4 アイアンプリッジーゴージ博物館

7. 新しい自然史博物館

26 第 1 章自然史研究と自然史博物館 よりよい社会づくりに応用する」を意味している . この言葉のなかにはそれ までの生物学にない 3 つの意味が含まれていて , それらは , 生物学が生命と はなにかを問いかける科学であること , 生物としての人間を視野に入れた と , そして「科学と社会」という意識を導入したこと , であるのに気づく . それから 20 年 , 生命科学の進歩は著しく , DNA 研究を基盤として生物 学の役割は拡大した . そして , DNA をかなめとして , そこから多様にのび ている生物の世界に好奇心を向けた研究を「生命誌」としたい . 生命誌は DNA のなかに書き込まれた歴史を読み取りながら , 生命とはなにか , 人間 とは , と問うていく分野で , 生命科学の転換したものである . この考えはまさに博物誌の「よみがえり」である . そして , 生命を自然に 置き換えれば , 自然史 ( 誌 ) となるであろう . 中村はこの考えを具体的に示 す場として「生命誌研究館」をつくった . 後述 ( 第 6 章参照 ) するが , これ は生命誌の理念を提示した博物館である . (natural 岩槻 ( 1996 ) は生物の多様性に関連してナチュラルヒストリー history) を論じている . 20 世紀後半において , DNA をキーワードとした生 命の普遍性の研究の陰で , やや生彩を欠いていた生物多様性の研究が最近み なおされて , 21 世紀の生物学の中核になる勢いをみせている . いつばう , 社会的課題としての生物多様性の保全も , 1992 年のリオデジャネイロにお ける環境サミット以来 , 話題となってきている . 生物多様性の研究では , 多様な生物についての基礎的な情報を準備する必 要がある . そこには興味深い多くの事実があり , それ自体たいへんおもしろ いことであるが , 問題はその多様性がバラバラでなく , 進化の歴史のなかで っくりあげられ , 現在も 1 つの地球生命系として , 相互に関連しながら存在 していることである . 生物の進化は地球 , さらには宇宙の進化を背景にして いて , これらすべての進化のなかの特定の相であるといえる . 進化は統合的 な現象であり , 研究にも統合的な手法が必要になってくる . このようにみてくると , かって個別の現象記載をおもな仕事としていたナ チュラルヒストリー ( 博物学とよばれていた ) は , 多様性を統合的な手法に よって研究する新しい学問としてよみがえることとなる . 自然史 ( 科 ) 学で ある . さらに , 科学の展開という大きな流れのなかで , ナチュラルヒストリーの

8. 新しい自然史博物館

ノ 22 第 4 章海外の自然史博物館 ge C. Page Museum of La Brea l)iscoveries) があり , ランチョ・ラ・プレ アのタールピットからでた更新世後期の化石を展示している . 100 トンの材 料から 400 種以上の動植物 100 万点が取り出されていて , 発掘現場もみるこ とができる . 3 館に共通して特徴的な点は , 地域の材料から始まって地球規模のことに まで及んでいること , ジオラマが必ずあること ( これはたいへん精巧で , 数 は 100 を超える場合がある ) , 子ども向けの体験学習施設 ( ディスカバリー ルーム , チルドレンギャラリーなど ) が必ずあること , 基本的なアイテム ( 鉱物 , 化石 , 動植物など ) は必ず押さえていること , 自然史館に先住民族 の展示があること , ボランティア活動がさかんなこと ( デンバー自然史博物 館には 2000 人が登録されている ) , ュージアムショップが充実しているこ と , などである . このような共通点はあるが , それぞれは独特の性格をもっている . 展示で みるならば , デンバー自然史博物館の恐竜 , ロサンゼルス郡立自然史博物館 の昆虫動物園とカリフォル = アの歴史 , カリフォル = ア科学アカデミー博物 館の水族館などである . これらは館の姿勢・活動に関係しているものである . 展示替えが行われていて , デンバー自然史博物館は新しい恐竜の展示をオー プンしたと聞いたし , 1987 年当時のカリフォル = ア科学アカデミー博物館 の図録には 1988 年と 1989 年に新しいギャラリーを開始する予定と記されて いる . これらの館は日本でいえば県立 , あるいは大都市の市立博物館に相当 するもので , 比較や対照ができる規模と内容をもっている . 自然史博物館の経営 丹青研究所の「ミージアムデータ」 25 号に , 特集として「アメリカの 自然科学系博物館の運営状況」というのがある . これは 7 つの大型の科学 館・自然史館についてその状況をまとめたものである . このなかから , フィ ールド自然史博物館 (Fie1d Museum of Natural History) , アメリカ自然史 博物館 (American Museum of Natura1 History) , フィラデルフィア自然科 学アカデミー博物館 (Academy of Natural science of Philadelphia) の自然 史関係 3 館の運営状況をみて , 博物館活動のようすを推定してみる . 収入と 支出の項目の順位・割合 ( % ) を示したのが表 4.2 である .

9. 新しい自然史博物館

2 . 1 学芸員と館長 37 ネットワークをつくること は重要なことの 1 つではなかろうか . 他 の機関との人事の交流は不可能なことであろうか . 時限っきの学芸員の交 換・出向 , それは似た規模の館どうし , あるいはそうではないちがった性格 をもった館どうしであってもよい . 学芸員にとって , そのための共通の基盤 として , 博物館についての研究・学習がある . また , それは博物館学の確立 という意味ももっている . 現実に学芸員の関係する人事異動があるとき , よくみかけるのが上方志向 のそれである . 小さい館から大きい館へ , 博物館から大学へといったケース である . たしかに研究条件を含めておかれている条件が悪い場合に , これを とがめることはできない . こういうことがなるべく少なくなるように , 博物 館の学芸員の勤務条件をよくすることが必要である . 学芸員のおかれている状況は , 一概にはいえないが , けっしてよいもので はない . しかし , その仕事は生涯学習のなかで , そして自然史研究のなかで , 重要な位置を占めている . 連帯して地位の向上をめざし , 自らの力をそなえ , それを十分に発揮するために知恵を働かせることが重要である . さらに必要なことの 1 っとして , 学芸員そのものをもっと周知させること がある . 仕事の内容 , 博物館活動における役割の重要性 , いかに数が少なく 十分でないか , などである . その反面として , このことは学芸員が博物館 , そしてその活動に対し責任をもたなければならないことを意味しているが , その心構えをもっことは当然である . いずれにせよ , 学芸員が博物館の裏方 でなく表方であることを確立し , 積極的に働きかけていけば , 博物館は一般 の人に対してよりなじみのあるものになっていくと思われる . このほか , 北海道博物館協会学芸職員部会が行った 1994 ・ 1996 年度の 2 回の学芸員についてのアンケート調査の結果が報告されている ( 地徳・北海 道博物館協会学芸職員部会 , 1998 ). くわしい解析がされているが , 概要を 示すと以下のようである . [ 総論 ( 1994 年度 ) ] ①実態は「事務職員・技術職員」とみなされている , ②事務職 / 技術職が行う業務を引き受けていて , 法に定める業務の遂行が 困難である , ③「研究者」とも「教育者」とも評価されていない . ム ( 1996 年度 ) ] ① 1994 年度の結果とほば同じ傾向にある , ②「博物 、心、に 1 館」なるものが , いわれているほど研究施設でも普及施設でもないことが

10. 新しい自然史博物館

22 第 1 章自然史研究と自然史博物館 活動 要素 もの 建物 人 学芸員事務方 収集・保存 ◎ 調査・研究 ◎ ◎ 展示 教育 ◎ 教育・学習 運営・管理 ◎大〇 中 図 6 博物館活動 ( 機能 ) と要素 ( 改訂 ) 博物館の区分 すでに述べた博物館事情などのなかで , 丹青研究所 , 日本博物館協会によ る区分はすでにふれた ( 図 1.4 など ). これらは館種別 , 設置者別 , 制度 ( 法 による規定 ) 別などの区分であるが , 基本的に大差はない . 伊藤 ( 1978a ) は 整理して , まず大きく形態別 , 機能別 , 目的別に分け , さらに細分している . 形態別区分のうち , 種類別では人文科学系 , 芸術系 , 自然科学系 , 生物科学 系 , 複合系といった区分で , これまでのものととくにちがった点はない . 目 的別の分類は新しい視点に立った区分で , 地域志向型 , 中央志向型 , 観光志 向型に分けられる [ 糸魚川 , 1993 : pp. 208 ー 209 ] ( 表 6.4 参照 ). 外国での区分もけっして厳密ではなく , 実際的なやり方である . 例を示そ ( 1 ) Museum of the world 4th ed. (). G. Saur, München, 1992 ) の区分 Agriculture museum ( 農業博物館 ) , Archeology museum ( 考古学博物 館 ) , Decorative arts museum ( 装飾美術館 ) , Ethnology museum ( 民 族学博物館 ) , GeneraI museum ( 総合一一般博物館 ) , Historic site ( 歴 史遺跡 ) , Historical/Public affairs museum ( 歴史 / 公務博物館 ) , Mili- tary museum ( 軍事博物館 ) , Music museum ( 音楽博物館 ) , Natural history museum ( 自然史博物館 ) , Open air museum ( 野外博物館 ) , ミング芸術博物館 ) , Religious Performing arts museum ( ノヾフォ arts museum ( 宗教美術博物館 ) , Science museum ( 科学博物館 ) . ◎〇◎〇〇 ◎◎◎〇 研究 情 社会活動 報 ◎