五社宮の祭神は、「南無五社大明神」と拝んでいるように五社明神、即ち五大 の大明神である。 前述の如く、弘法大師のご指示に従うと、世界の神々、日本の神々、宇宙の神々、 そして皇祖皇宗の神霊と言う四神となる。 この四神を四方に配して、中央に日の神を祀る。 中央に配する日の神の信仰は、独り日本だけのものではない。南方中国、カン ポジア、ラオス、タイ等にも日の神と月の神の信仰として広く存在し、二、三世 しらぎ 紀のころより朝鮮半島新羅の日の神信仰が北九州へ伝わった考古学的な実証を見 ても太陽神の信仰は、深く且っ広い。 天照大神が、日本の皇室の祖神霊として伊勢神宮に祀られるのも、七世紀後半 のころからと一言われているが、何れにしても日の神を神明の中央に祀ることには 異義がないと想う。 このように五大の神を配すると、そのままに神道曼荼羅が出来上がる。 この神道曼荼羅と、先の胎蔵曼荼羅を重ねると、深般若を行する人は、対向す る遍智院の諸菩薩の加護を受けることになる。一切如来三角智印の功徳である。 0
鬼と神と五社宮 る住吉大神とともに、九州から大和へ信仰が波及し、朝廷でも深く信仰されたよ うである。 奈良の大仏が建立された折も、八幡大神を勧請し、その加護によって無事大仏 開眼の偉業がなりたったと言われている。 仏教との習合もいち早く、八幡神に菩薩号を奉って、「八幡大菩薩」を称する ようになったことは広く知られている 奈良、大安寺の行教によって、石清水に八幡大神を勧請し、伊勢とともに二所 宗廟として国家的信仰の色彩を帯びることになる。 しかしそれは西暦八六〇年以降のことで、私がいま問題としているのは、それ より五十年前の八一一年、弘法大師の勧請神についてであるから、源氏の氏神の ことでも、二所宗廟としての八幡大神のことでもない。 しかし奈良朝のころから朝廷が、八幡大神、住吉大神を崇拝されていたことは 大事なことである。 ここまでは、古代日本と言っても、三、四世紀ごろからの観察であった。 そこで神を尋ねてもっと古く、弥生、縄文、先土器文化の時代よりももっと古
きの流麗さである主々 = = ロ彳 。卩契の少を吾り旦寸て充分であった。 般若の大典は、仏国印度で大成するのだが、それに至るまでの数々の思索には、 殊に砂漠が生んだ神秘体験の累積が大きな比重をなしているのではなかろうか ご承知の通り、般若、い経の翻訳には玄奘の他に羅什も、法月もと数多い。それ だけに、、い経の原本は唯一つでなかったことを物語っている。このことは、少莫 が織りなす神秘体験の深さと広さを物語るものと想われる。 ともあれ、玄奘三蔵によって象徴される般若心経の背景は、広大で深遠な神秘 砂漠の「いのち」である。それはいまもたくましく息ずいている。 大師はこれを「般若菩薩のいのち」なりと仰せになっている。 私はおよそ以上のようなことを西域旅行によって感じたのたか、 、五大明王と般 若、い経はそのままに嵯峨山院の信仰の中核として今日までも続いている。 嵯峨天皇が弘法大師のすすめによって、疫病流行のときにその平癒を祈念して 般若、い経をご写経になった。 その心経が、そのままいまも大覚寺に祀られている。これが勅封心経である。 それ故、、い経信仰は大覚寺信仰の中心をなしている。その、い経と大覚寺につい 106
絵心経の教えるもの 空から妙有へ」と転廻してゆくのは、このことだと私は想っている。 ともあれ、、い経をず 0 と読誦し、写経を続けていると、いつの間にかこんな変 化か起こる。不思議なことである。 、見甬すれば無明を除く」とお大師さまもおっしやってい 「真一言は不田 5 議なり = = ロ 心経の解説で知ることも大事なことだが、これを知 0 たとき、智識欲を満足さ 、。「智慧の開発」とは「観誦する」ことであると承 せるだけで終ってはならなし 知してほしいのである。 、いよ昌えるもの。または写すもの これを唱えるものだと教えているのが絵心経で、写すものと最初に教えて下 さったのが、嵯峨天皇のご写経であった。 いまも大覚寺の心経殿にお祀りしていて数多くの人達に 嵯峨天皇のご写経は、 信仰の有難さをお訓しにな 0 ている。信仰の実践をすすめられている。 ロ 5
鬼と神と五社宮 鬼と神と五社宮 五大堂、五覚院、五社宮と言う三跡のうち、五大堂と五覚院については、先述 の通り、一応その経過を明らかにした。 次は五社宮である。 ふつう、寺と社の関係は、二つの様式がある。その一つは寺の鎮守さんである。 寺の境内の一隅に鎮守さんとしてお社がある。仏法守護の護法神である。 もう一つは神宮寺である。神社の境内にお寺が建てられているのである。 にそくふ 神と仏は、二而即不二と言って、二つは一つの信仰を伝統としている。 神仏分離と言うのは、明治維新の折に行った国家政策であるが、これはいま反 省されている。 いわゆる日本人の血と肉になっている信仰を、政治権力で二分してしまったの 109
生んだのであると言うこと。 四、その後、年を経て五社宮は大覚寺のご鎮守神として祀られて来たこと。 五、いっしか五社明神と言うのだから五柱の神さまだと一言うことになって五柱の 神名が現われるのだが、お祭に奉仕する神官によってそれぞれの神名をあげ たこと。 六、いろいろの神名は間違っているのかと一『〕うとそうではない。あらゆる神々を、 総て包含している五社明神だから、決して間違っているのではない。 五社宮は大覚寺の開創以来、鎮守社であることもこれまた当然である。 五社宮のご神威、、 こ神徳は何千年経とうとも、ますます盛んで加護を垂れ給う ているのである。 千百有余年にわたる長い歴史の中で幾度か火災を受けながらも、ますますその 神威を輝やかせ給うているのである。 しかも、五社宮は大覚寺信仰の中心である心経の信仰と密接不可分のつながり をもっている 大に、い釜言仰について考えてみよう。 しかも 凵 4
嵯峨野の十二ヶ月 御国忌二十五日は後宇多法皇の忌日で、「みこっき」と呼ばれている。御陵の 蓮華峯寺陵では二十四日。二十五日には大覚寺で御忌法要がいとなまれる。 この法要のお供えとして、法皇さまにくさき汁を作るのが、丑日からのしきたり である。ちょうど土用真夏の盛んなときなので、疫病退散を祈念してくさき汁を 伝承しているのかも知れない。 千日詣り七月三十一日の夜に愛宕神社へお詣りすると、千日お詣りしたのと同 じだけのご利益があると伝え、真暗な山道を参詣する人が列をなしている。三歳 までの子供がお詣りすると、その子供は生涯火災に遭うことはないと言われ、父 親の肩ぐるまに乗って、幼児の参詣も多い。あたごさんは火災除けの神さまとの 信仰かあり、神木として樒を買って帰るのである。また、「火通要廩」の護符を かまどの上に祀るならわしは、古くから広く伝承されている。 愛宕山は九二四メートル、比叡山と対比する山で修験道七高山の一つで、天狗 信仰もある。「伊勢に七度、熊野に三度、愛宕山へは月詣り」と詠われるところ 七月 2 い
い、三田氏も「心経殿を 現われ 筆念じた」のだが、 ゴたのは大師のお顔であっ 宮た 宀一兀 やがてその乾板で焼付 けた大師の尊像は、皆さ 面 正んに配布された。それが し私のところへ納められた と言う次第である。 私が嵯峨へ住むようになったころ、舟形道場は大師教会としてあった。そして この話は小林さんはじめ多くの人から何度も聞いたものである。 念写については、現在京都の小原弘万さんが実際に行い、沢山の本にも書いて じよくち おられる。小原さんは草繋前大覚寺門跡のころから辱知の方で、心経百万巻、 二百万巻と読誦されて数々の霊験を体得されている熱心な心経信仰の実践者であ る。そして、テレビなどでも念写を実際に行っておられる。
絵心経の教えるもの 、い釜は、経文それ自体に神秘なエネルギーをもっているように言う人もあるか、 私はそれは表ではないと想っている。 、い経の意味を了解することも大事なことだろう。しかし、たとえその意味を知 らなくても救われねばならず、いわゆる効果のあるものでなくてはならない。 絵、い経の歴史がこれを如実に証明している。「観誦」することが大事だからで ある。「観」とは、い経についての智識ではない。「信」ずることである。信仰と言 う字の通り、「信」じて「仰ぐ」ことである。神仏への敬虔な態度と集中である。 そうした上で「誦、即ち唱えるのである。 心経の妙味は、その誦の中で味得されるのである。甘味は食べてこそ味得出来 る。これは当然のことであって決して神秘などと一言うものではない。写経の場合 も同じことが一言える。スポーツをする人も同じではなかろうか。勝ち負けを云々 するよりもむしろ、プレーそのものの中に魅力があると、スポーツする人は必ず 言うに違いない。勝負してもし勝てたら、その喜びはすばらしい。 しかし本当の醍醐味は、「勝負」にこだわるよりも、プレーするそのことの中 にあることを、誰もがみんな知っている。 7
に欠かせない暦の情報が絵もので生活の中に深くかかわりをもっている。このよ し , 刀ない 0 うな土地柄をも見落すわけには、 A 」、も , 刀ノ \ いま絵、い経と言われる絵は、舞田屋版に類するものであって、田山 系のものは見られないようである。 会、い経は、「めくら心経」と言われるように恵まれない環境の中で生まれた。 そして、少し環境条件の良い都会へ来ると、信仰から観賞に変化したようである。 現代では、その条件はそのころと雲泥の差があり、結構なことのようだが、善 八さんのころよりも苦しみ、悩みがうんと少くなっているだろうか 悩みのないくらしと言う点では、善八さんのころの方が近道であるように想え てならない。 それは何故だろうか 教育が普及して文盲はなくなった。科学が進歩して病気も減って来た。経済は 豊かになって世界の注目を浴びている。 だが、個みごとは」減ってはいない。 これはどうした事だろうか。やはり心の方をなおざりにしているからだと言え