絵心経の教えるもの ギョウ、ジン、 ハンニヤ」と一生懸命にお経を唱えている光景が幻想となって浮 かんできた。 うす暗い燈明の明りをたよりに、頭を寄せあって一、いに唱えている 私は、ジーンと目頭が熱くなるほどの強い感動を覚えた。 「心経が読めた、読めた」と嬉しそうな大勢の笑顔が目の前に浮かんだからで ある。 文字の読めない昔の人達を、こんな絵にしてまでも読みたいとする「、い経の力」 の偉大さに襟を正す想いであった。 私は早速、浅草寺へ手紙を書いて清水谷貫主さまへ絵心経のお礼を言い、私も ト冊誌「呪文の謎」を書きたいので、この絵、い経を使用させて戴き度いとお許し を乞うたのである。貫主さまからは、丁寧なお返事を戴きお許しを得るとともに、 いろいろとご教一小を戴いた その後、毎年正月には上京して清水谷貫主さまに拝顔し、種々ご指導を得たの いまも絵、い経を見る度に貫主さまの温容を想い浮かべる。 0 5
「諸行は無常」なのである。 おご 「諸行無常」と言うと、「驕る平家は久しからず」と、陰にこもった鐘の音を 連想して滅入った気持ちになるのは嫌だと想う。 若々しく春の芽生えを想うのではなくて、冬枯れに寒々しく落ち込む死を連想 するので嫌だと想う。 だが「無常」とは「常ならず」であって、「万物流転」と同じことである。「常 住不変」と言うものは、この世の中に何もないと言うことである。地球が自転し ているから朝、昼、晩があり、しかも公転しているから四季がある。この自転、 公転は人間のカではどうにもならないのだ、と言うだけのことである 誰がこんな仕組みを造ったのかと言って、昔は神さまが造られたで済んでいた のだが、 今の人はそれでは納得出来ない。 指 物理学やカ学で一生懸命考え観測しているのだが、字宙は広大で無限である。 の ニュートンやダーウイン、アインシュタイン等の偉い学者が、いろんな仮説を 除 考え出して、まあ、当分の間、そう言うことだろう、と納得しているのが科学で を 苦ある。定説とか公理と言っても、当分の間の仮説であって、絶対ではない。
絵心経の教えるもの とんじんち そうである。身心を悩ますものの根本は、貪、瞋、癡の三つだと仏教で教えてい る。先にも述べたが大事なことなのでもう一度くりかえすから想い起こして欲し ゝ 0 「貪」とは、貪欲などと言ってむさばる、いである。ほどほどにとか、足るを知 る心が欠けていることを言う。「瞋」とは、腹を立てることを指す。分を亡れ、 いっしか傲になっているから腹が立つのである。謙虚であることの大切さを教 な、つよも・つ士 ( えている。次は「癡」、おろかなことを言う、「愚痴蒙昧なこと」と辞書で解説し ている。これは自分で自分を反省して、自分はおろかかどうかを反省するしかな ゝ 0 愚痴と一一一一口、つところを注音 ~ して : 以上の三つを三毒と言って、これが悩みを生む根本原因だから注意しなさいと 私はこの三毒の対策として心経の読誦と、写経が一番良いと想っている。 私達が、仏教を信仰するのは仏の智慧を戴き、慈悲にすがることと言われてい 智慧と慈悲とは仏の徳だけれども、これは仏の二面を一言うだけで、本来は一つ ロ 3
嵯峨の名の由来 どうなのだろうか。 昭和の現在、中国と日本の両帝は永久に嵯峨山に神鎮まり給う。日本にあって は嵯峨山に源を発する広沢の法流が、空海の法脈を伝えている。 嵯峨と一言う文字が、地形の険しい景観とか、清興な雅味を帯びる雰囲気をもっ ことは頷ける。 しかし、やはりそれだけではない。何か目には見えないけれど、神韻の漂う神 秘なカか、その背後にあるように想えてならない。 私は自分の目で嵯峨山を眺め、肌で山の声を感じとりたいと願っていた。そし て、昭和五十六年十一月、遂に訪中出来た。 西安でお目にかかった中国科学院、考古研究所の馬得志先生に、中国と日本の 両嵯峨山の写真を見せて、弘法大師が嵯峨山をご将来されたと想っていますが、 如何でしようかと伺った。「私もそのように想います」との馬先生の返事に、私 はいよいよ , 目一一 = 口を強めた。 また、嵯峨山は崇陵だから研究所に参考になる写真があるかも知れないから調 べてあげます。もしなかったら後日送ってあげる、と約束して下さった。
写真にうつる弘法大師 いままでに「大師は薬子の変に祈疇された。霊験あらたかで兄仲成は誅せられ、 薬子は毒をあおいで自害した」と、大師の修法は怨敵降伏の祈疇であるごとく一言 う人もあるが、私はそうは想わない。 大師が上表文の中で仰せになっているのは、「中国から請来したお経の中で、 仁王経、守護国界主経、仏母明王経など国王のために説かれた法門があります。 七難を滅し、四時を調和し、国、家、自分を護る妙典です。私はお授けを受けま したがまだ練行する時間がございませんでした。私は弟子達とともにこれを教え、 これを修したいと想います」と言う意味である。 あつれき 薬子の変は、嵯峨天皇の御代になって早々の変であり、先帝との軋轢であるか ら、天下を二分する大問題である。これを鎮めるのは武力による鎮圧もさること ながら、これだけではカの圧力であって、また時を経て形を変えて顕現する。 そのためには、対立の溶解が大事であり、双方ともに救われることが大切であ る。怨讐を越えて、双方が睦みあい、関係の人達も総て歓喜の心に立ち戻すこと が何ものにもまして要なことであった。 大師の修法は上表文に仰せの通り怨敵降伏ではなくて、国、家、自分達をもと
オカいまこの洞窟の案内人であるウイグ ル人母子の瞳の美しさ、幼女のあどけなさに 人ホッとして、心の中で合掌せずにはいられな かった。 そして、ふと、眼耳鼻等六根、六境の否定 ( 一ちこそ、般若空観の入口ではなかったか、と自 族問自答したのである。 そウイグルの人をして、自らの目の玉をえぐ 、 . 、《人り取らせられたみ仏の大慈悲に、息が止まり そうな感動を覚え、想わず、い経を誦してい 仏芸研究の友人は、前日に見た敦煌洞窟と ムよ・甲畄日云一堂の日勿万を、いよいよ の異常な相違に、がっかりした様子だったが、不 ( 彳ィー才士戸 ここに確定する条件として受けとっていた この場所にはもう一つ良い条件がある。
大陸に近い。だから動植物の生態も日本とよく似ているのではなかろうかと考え ていた。 先年、この地へ旅行したとき、植物分布とこの国の歴史に注目していたのだが、 私はがっかりして帰って来た。 日本の植物があると言うので聞いてみると、日本から移したものと言う。この ハワイと同じような素 地に古くから住んていたミクロネシアの人達はと言うと、 朴な民芸品を作るか、フラダンスで観光客を招いているに過ぎない。 日本の場合、大陸の文化に対応した一部の貴族や文化人、それに帰化人達がこ れをこなしたことだろうが、私はその底に、それを支える多数の日本人の素質の 良さを見落してはならないと想うのである。 渡来してきた諸文化の質の高さもさることながら、それを受けて、消化して、 日本式にアレンジしたその能力は、他の国にその例を見ない。それは単なる付焼 刃ではない。その底に深い素地があってのことと想うのである。 五 「日本人は物真似ばかりや」と、やっかみ半分に蔑称する人もいるが、果して 鬼そうだろうか。私は「単なる写し絵式な物真似ではない」と想っている。
宮中ではすでに前年帰国の伝教に、密教流布の裁下はおりている。大師は伝教Ⅷ と同じような密教をもって帰ったのだろうと、素人目にはそう見える 新帝になって、大同四年七月、大師に入京の命が下ったのも密教流布のための ご下命ではない。中国文化に傾倒される嵯峨新帝が、中国文化の実情を空海より 直接聞きたいとの仰せではなかったか、と想われる。 ところが、大師上京一年目に薬子の変が勃発した。 事変は九月、上表は十月である。 「仁王経等を中国で授けてもらったが、私はまだ練行したことがありません。 弟子達に教えながら自分も修法したいと想います。よろしいか」と極めて遠慮し た上表文である。 なお、「内道場のこと、城中、城外道場のこと」も中国の例を述べているだけ である。 しかし、さすがに嵯峨天皇は炯眼の帝である。大師から中国事情を聴問するう ちに、「空海が抜群の密門大徳である」ことを察知されていた。 密教宣布は桓武父帝によって伝教に許されている。しかし、その伝教が空海に ー : カん
〇〇 〇〇 嵯峨野を生ける ハ大の縁起田 5 想をこれに当 荘厳華では、字宙の本体、本質にピントを当てた、 てて、地・水・火・風・空の五大現象と、精神現象を識として字宙を丸呑みに把 握しようとする密教の手法を用いる。 , ( 大を役枝に配しているのがこれである。 あ共 興に乗って美を求める芸術と、 ての 天人地 の生と死をみつめる宗教と、どこで、 ちの どうつながるのだろうか。それは の者 い賞 の観何れも「いのちを対象」とする点 宙と 宇品 で一致すると私は想っている。 も作 ) 十 , ばよよ、 ~ 旦 , 男の のわ れ表。のちを生のまま扱う「いのちの芸 何をむ のち生術」だと想うのである。 そのを だからいけばなは、六大とか、 体の 四、な 三大とか、五行、三才と言った大 のはと 流丸動自然のいのちのルールをとりあげ 御太感 3 るて役枝に配するのである。 左相相 右相 添うて 添わず 用控留 なま 円 3
と中村元先生はおっしやっている。 「私のもっている大事ないのちは、本当はこんないのちだったのだ」と解ると、 ッと目が覚めたように明るくなって、見るもの、聞くもの、総てが嬉しくて、 有難くて、じっとしていられなくなる。 と一一一口、つことになって、ふと、 自分の出来ることは何でも奉仕させて戴きたい。 自分を返り見ると、病気もなおっていた。悩みも消えていた。 このような体験が次々と伝えられて、、い経は有難い功徳がある、と言われるよ うになったのだと私は想っている。 「何故、そうなるのか」を説明しないと、マュッパだと言われそうだから説明 を加えると、次のようである。 私達の一番困るのは、「病気と悩みごと」である。病気と悩みごとがなくなれば、 それこそ天下泰平、極楽至極、結構なことである。 それには、「何故、病気と悩みごとが起こるのか」と、その原因を調べなくて はならない お釈迦さまは、「むさほり ( 貪 ) と、 いかり ( 瞋 ) とおろかさ ( 癡 ) を、生まれ 凵 8