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検索対象: 嵯峨野の神と仏たち
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1. 嵯峨野の神と仏たち

写真にうつる弘法大師 いままでに「大師は薬子の変に祈疇された。霊験あらたかで兄仲成は誅せられ、 薬子は毒をあおいで自害した」と、大師の修法は怨敵降伏の祈疇であるごとく一言 う人もあるが、私はそうは想わない。 大師が上表文の中で仰せになっているのは、「中国から請来したお経の中で、 仁王経、守護国界主経、仏母明王経など国王のために説かれた法門があります。 七難を滅し、四時を調和し、国、家、自分を護る妙典です。私はお授けを受けま したがまだ練行する時間がございませんでした。私は弟子達とともにこれを教え、 これを修したいと想います」と言う意味である。 あつれき 薬子の変は、嵯峨天皇の御代になって早々の変であり、先帝との軋轢であるか ら、天下を二分する大問題である。これを鎮めるのは武力による鎮圧もさること ながら、これだけではカの圧力であって、また時を経て形を変えて顕現する。 そのためには、対立の溶解が大事であり、双方ともに救われることが大切であ る。怨讐を越えて、双方が睦みあい、関係の人達も総て歓喜の心に立ち戻すこと が何ものにもまして要なことであった。 大師の修法は上表文に仰せの通り怨敵降伏ではなくて、国、家、自分達をもと

2. 嵯峨野の神と仏たち

弘法大師の著書「即身成仏義」に「仏日の影、衆生の心水に現われるを加と一一一〕 行者の心水、能く仏日を感じるを持と名ずく」と加持の意味を説明されてい る。ちょうど、この古歌がこの加持の妙を詠っているようにも想われる。 加持と言う言葉は、真言密教の中で常に使われている。それはおよそ次のよう な意味あいをもっている。 即ち、私達の総ての行動は、三カと言って三種のエネルギーの合体だと言うの である。 その一つは自分自身の行動、技術、勉学等である。二つめは如来の加持力と言っ て、私達の目には見えないが、字宙の彼方から大きな作用を受けて、自分が行動 していると言うことを知らねばならないと言うこと。第三は法界のカ、解りやす く言えば、社会全体からいろんな角度からの力を受けて始めて、自分の行為に現 われると言う。これを三カと言って、密教を修行する人にはかたときも忘れては ならないと教えられる。 自分の積極的な態度と、世間のご恩については理解しやすいのであるが、二番 目の如来加持力は頭の中だけでは理解しにくい。

3. 嵯峨野の神と仏たち

に乗って行った。 興が尽きたから帰ったのだ。別に戴に逢わねばならぬことはな い」と答えた。 と、言う話である。この故事は中国や日本の詩人、文人に用いられ、日本でも 平安以降の詩につねに詠まれている。東洋芸術を一貫する潮流、伝統の筋金であ ると言われている。 芸術とは想像の楽しみである。興に乗るとはそのことで、興が尽きたらそれで 冬、る。 ついでだからとか、自分の興に他人も引っぱり込むとか、淋しいから連れにな れとか、そんな意志の弓、 弓しことでは芸術を理解出来ない。興は自分だけのものと 言う原則を厳と守って、「王子猷は反転した」と尊敬されたのであった。万人万 様の人達が、「平和」に生きてゆくためには、各人が自分自身に忠実でなくては ならない。それが芸術の入口であることを物語っている。この興に雑念の入らな いことを固く守ることの厳しさを教えているのである。 仏教は、人は何故生まれるのか。意志の如何にかかわらず死なねばならないの は何故か。死んだら次はどこへ行くのか。この生死の問題を正面から問うもので 8

4. 嵯峨野の神と仏たち

である。 一軒の家を見ても、父は智慧を担当し、母は慈愛を受けもっているようだが、 両親の愛は一つであり、この愛が子供をはぐくむと言う法則に変わりがないのと 同じである。 般若と一言うのは梵語の発音で、智慧のことを意味している。智慧の門を入って 仏の大慈悲を戴くと言う仕組みである。 智慧と言うのは智識とは違う。物識りになると言うのではない。自分で自分の ことを知るのである。特にいま、自分が生きていることの意味を「有難いこと」 と知るのである。認識ではなくて、価値を知るのである。そうすると、因と縁に よっていま生きていると言うことが、実は「生かされている」と解って来る。 「生かされている。有難いことだ」と解って来ると、腹を立てたりしなくなる。 なお、今と一言う一時は二度となし 、。者行は無常だと気がつくと、 いま、圧 ~ かさ れていることに感謝して、一生懸命に生きようとする。生活の基本がこのような 姿勢になると、煩悩と言う三毒が薬に変化するのである。「渋柿の渋そのままの 甘さかな」である。苦しみがいつの間にか楽しみに変わっている。般若、い経の「真 ロ 4

5. 嵯峨野の神と仏たち

絵心経の教えるもの とんじんち そうである。身心を悩ますものの根本は、貪、瞋、癡の三つだと仏教で教えてい る。先にも述べたが大事なことなのでもう一度くりかえすから想い起こして欲し ゝ 0 「貪」とは、貪欲などと言ってむさばる、いである。ほどほどにとか、足るを知 る心が欠けていることを言う。「瞋」とは、腹を立てることを指す。分を亡れ、 いっしか傲になっているから腹が立つのである。謙虚であることの大切さを教 な、つよも・つ士 ( えている。次は「癡」、おろかなことを言う、「愚痴蒙昧なこと」と辞書で解説し ている。これは自分で自分を反省して、自分はおろかかどうかを反省するしかな ゝ 0 愚痴と一一一一口、つところを注音 ~ して : 以上の三つを三毒と言って、これが悩みを生む根本原因だから注意しなさいと 私はこの三毒の対策として心経の読誦と、写経が一番良いと想っている。 私達が、仏教を信仰するのは仏の智慧を戴き、慈悲にすがることと言われてい 智慧と慈悲とは仏の徳だけれども、これは仏の二面を一言うだけで、本来は一つ ロ 3

6. 嵯峨野の神と仏たち

そして、そのいのちの共 鳴を美と呼び、共鳴の感動 を大切にするのが、先述の 子猷訪戴の物語のように芸 術の基本となるのである。 花密教も、この大生命体の ご - つんかいく・つむじよ・つ 盛 構造を「五蘊皆空で無常 なり」と受けとめて、この 大生命の中へ飛び込んで、 「真空こそ妙有」と知り、 常楽の境を求めるのであ 芸術、宗教ともに、その対象は自然字宙であり大生命体である。 特に嵯峨の流れは、それを自分に置き変えて、自分の周囲に生かすことがポイ ントである。 のち 円 4

7. 嵯峨野の神と仏たち

と中村元先生はおっしやっている。 「私のもっている大事ないのちは、本当はこんないのちだったのだ」と解ると、 ッと目が覚めたように明るくなって、見るもの、聞くもの、総てが嬉しくて、 有難くて、じっとしていられなくなる。 と一一一口、つことになって、ふと、 自分の出来ることは何でも奉仕させて戴きたい。 自分を返り見ると、病気もなおっていた。悩みも消えていた。 このような体験が次々と伝えられて、、い経は有難い功徳がある、と言われるよ うになったのだと私は想っている。 「何故、そうなるのか」を説明しないと、マュッパだと言われそうだから説明 を加えると、次のようである。 私達の一番困るのは、「病気と悩みごと」である。病気と悩みごとがなくなれば、 それこそ天下泰平、極楽至極、結構なことである。 それには、「何故、病気と悩みごとが起こるのか」と、その原因を調べなくて はならない お釈迦さまは、「むさほり ( 貪 ) と、 いかり ( 瞋 ) とおろかさ ( 癡 ) を、生まれ 凵 8

8. 嵯峨野の神と仏たち

〈云、い経を持っている」と、誌されている。 ところが、年代と年齢とを数えてみるとうまく合わない。そこで不審に想 0 た のだが、 三代襲名と言うことで、「善八さんに教えてもら 0 た」と言うのも合点 のゆくことである。 このようにして、「田山系絵心経」が生まれて百年ほど経過したころに、この 絵、い経が広く世間に知られることになった。 それは、「東遊記、後編、巻之一蛮語」と言う京都の南谿子著の刊行物で紹介 されたのである。寛政九年二七九七 ) のことである。そこでは、「南部 ( 岩手県 ) の辺鄙には、いろはをだに知らずして、盲暦と言うものありしとぞ、余が通行せ し街道にはあらねども、聞きしままをしるす。また般若心経なども盲暦の法にて 誦ずると言う」、としてその絵を載せていると言うことである。 も 0 ともこの刊行物は、東北遊行をした天明四年二七八四 ) の秋からは十三 年も経過しているのである。 しかしこれは、著者も自分から書いているように、田山へ自分で行 0 たのでは きゅうあい ない。田山へ行 0 た百井塘雨の「笈埃随筆」から借用したものである。 ロ 0

9. 嵯峨野の神と仏たち

だから、今日生かされているこの一瞬をフルに生きるくらしを、最も尊いものと 受けとるのである。 弘法大師は見聞した唐風文化の様々を話されるとき、この密教を織りなして話 される。 お聞きになる嵯峨天皇は、日本三筆と言われる最高の教養豊かな英主である。 民の幸せを一途に祈念される国王である。大師の話に賛同されたことは想像に難 くない。 それは高邁な哲学ではない。ひらかなのように誰でも手の届く具体的な舌だ、 らである。目の前の極めてありふれた出来事の中に深い哲理があると言うことで ある。例えば、リ ンゴが木から落ちると言うありふれたことが、万有引力と言う 決定的道理を含んでいるのと同じである。この目に見えないエネルギーを指して 見えないから秘密と言うに過ぎない。 これこそ「公開せる秘密」である。秘密仏 教と言われる弘法大師の密教は、人に隠して、自分だけの秘密では決してない。 みんなの教えである。教えと言うよりもむしろ、すでにもっている自分を改めて 見直すこと、唯それだけである。実の如く自心 ( 身 ) を知ることが密教だと言わ 円 0

10. 嵯峨野の神と仏たち

、い経の霊験と言うものも観誦することであり、写経を続けることである。 私は般若心経の空観についていろいろと解説をすることが無意味だと言うので ) 0 しかしこれは智識であって、「行ずる」と一言うのにはその力が弱い。観誦する ことの方へも比重を置いて戴きたいと想うのである。 この「行ずる」ことを端的に教えてくれるのが絵心経だと言える。 私は浅草寺の清水谷貫主さまの導きを受けて絵、い経のことを書いたりしている とき、盛岡市にお住いの佐藤勝郎氏より絵、い経について詳しいことを教えて戴い 佐藤さんは、この「絵心経」や「めくら暦」等について研究しておられる方で、 ご自分の研究成果を次々に教えて戴いたのである。 そこでこの絵、い経の成り立ちなどについてご紹介しよう。 絵心経が最初に生まれたのは、 いまから約三百年前のことである。文禄 ( 一六 九〇 ~ 一七〇〇 ) のころと言われている。 誕生の地は、岩手県一一戸郡安代町字田山である。 8