909309309093093093093099 93099 ◆ 9309309 べ 5099 93093 9 第十章の解説 ミカエル祭 (Michaelmas Day) は、今日のイギリスでは九月二十九日に祝われ、この頃に なると、ミクルマス・ディジー (Michaelmas daisy) と呼ばれるえぞ菊に似たピンクや白、 紫の花が咲きます。 ミカエル祭は、聖ミカエルと天使たちを祝う日でもあり、秋の収穫を感謝する日でもあり、 賦課租を納める日でもありました。 聖ミカエルは、大天使ミカエル、天使長ミカエルとも呼ばれる、天使たちの指導者です。悪 魔のサタンとは双子の兄弟ですが、後にドラゴンとして現われるサタンと戦います。このため に、本文にもあるように、聖ジョージと並んで聖ミカエルも、″ドラゴン退治〃で後世に知ら れているのです。 「ヨハネの黙示録」は、その場面を次のように述べています。 「見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をか ぶっていた・ 。さて、天では戦いが起こった。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったの である。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった」 ( 十二章一二と七行 ) このように、ミカエルはしばしばドラゴンと戦っている場面を描かれていますが、同時に天 秤を持っていることもあります。これは最後の審判の日に魂の重さを量り、天国へ人れるかど うかを決めるためのものでした。 前に触れたミルトンの『失楽園』では、アダムとイヴを楽園から追うために神からっかわさ れたのは、この聖ミカエルであると描かれています。 第 10 章の解説ーー 170
9 レ彡 さあ、丈の高い古いドアをローテションしてみましよう。ドアを横に倒して、二つの 小さなテープルを足の代りにして支えます。あるいは、大工さんの使うホーゼスと呼ば れる木挽台の上にのせてもいいでしよう。ですから、こういった臨時のテープルを中世 では「馬と鞍のテープル」 ( ホーゼス・アンド・サドル ) と呼んでいました。 エンターテイメントのため、または給仕のために理想的なテープルの配置は字型で す。字の底の横棒が主賓席にあたります。字の縦の二本棒が客人たちの席、すなわ ちサイドボードにあたります。スペースによっては、客人たちはテープルの片側だけに 並んでいる椅子、もしくはべンチに腰を下ろします。居合わせた人びとの顔が皆、字 型の内側を向いて座り、字の中で、芸人たちが各々の芸を披露するのです。 けれども、幾つかの丸いテープルを大きな楕円形に配置するのも、字型と同様に効 果的かもしれません。テープルの配置には、次の三つの必要条件があります。 ①主賓席を祝典の中心に据えること。そこに儀典官が立ち、指図をします。すべて の客人たちが祝典のごちそうのサービスを受け、すべてのエンターテイメントを確実に再 見ることができること。③しつらえの仕方が優雅で趣向をこらしたものに見えること。 の 世 中 章 テープルの飾りつけ 簡単な白のテープルクロスがいいでしよう。さもなければ、特に色あざやかなべッド シーツ、たとえばくり色やぶどう酒色、または森林の緑色などはたのしいテープルクロ
十二人の乾杯をする人たちが、その木を囲み、円を作ります。彼らは大きなグラスか、 タンカードと呼ばれる金属製の取っ手のついたコップを手に持ちます。その中には、り んご酒が半分まで注がれ、表面には三切れの小さなきつね色のキャラウェイ・シード・ ケーキが浮んでいるのです。乾杯する人たちは、リズムをつけてその木のまわりをねり 歩き、次のような歌を歌います。 万歳 /. 年老いたりんごの木よ / あらゆる枝から さあ、りんごをおくれ の 帽子一杯に、キャップ帽一杯に マス一杯に、マス一杯に そして、また我らの腕一杯に ナ そして、木に向って杯をかかげ、「乾杯 / 」と叫びます。りんご酒をほんの少し飲んフ ンでから、それぞれが種人りのシード・ケーキの一切れを食べ、残りの二切れを枝の上か、エ タ 木の下の桶の中に置きます。 次にもう一度、彼らは木のまわりをゆっくりと廻り、歌をくり返します。この間に、 第 木がりんご酒を飲むのです。それぞれが、残っているりんご酒を桶に注ぎこみます。そ してまた、三度目の歌を歌いながらの行進です。「フレー /. 万歳 / 」と大声で叫んだ
ママーズ・マミングス トウエルフス・ナイトのホビイ・ホースも、ふつうはママーと呼ばれる役者が演じる のでした。ママーとは、田舎や町の人たちで、マミングとか、マミング・プレイズと呼 ばれる伝統的な休日の芝居を演じる人たちです。彼らのほとんどは本職の役者ではなく、 貴族の出でもなく、教育を受けたわけでもありません。でも、時には、この三つをかね そなえた人もいました。そして、観客が素朴であろうと、洗練されていようと、彼らは どんな時にも、暖く歓迎されたものでした。 起源がいっかわからないほど古い劇を、彼らは毎年演じるのです。時には劇の意味が わからないこともあるし、筋が単純で馬鹿げてみえるのもあります。でも、年々歳々演 じられ、人びとを楽しませました。マミングは、見慣れていると同時に、目新しくもあ りました。トウエルフス・ナイトのホビイ・ホースは相も変らず後ろ足ではね廻り、善 良なる聖ジョージは常に殺され、いつぶう変った老医師によって死からよみがえるので すが、テーマは同じでも、毎年とっておきのスリルで楽しませてくれるので、知りぬい ていながらも知られざる楽しみがあったものなのです。 ママーによる聖ジョージ劇
飲物の鑑識 。ハンの儀式、。ハンで作った美しいお皿 ( トレンチャー ) の創作、 乾杯、食塩の献呈、 水差しを使っての手洗の儀式などを儀典官が指図してとり行なった後にも、さらに幾つ かのならわしを最初のごちそうであるファースト・コースの始まりを告げるファンファ ーレの前に行なわなければなりません。 まず、カップ係が、ワインの検査をしなくてはなりません。飲み物は、・ハトラーとい う酒瓶や酒樽の係が注ぐのです。この検査によって主人や高貴な客人たち、参会者たち は、飲物はまじり気がなく安心して飲めるのだと納得するのです。この検査はクリーダ ンス (credence) と呼ばれ、お毒味のことです。時には、化学的検査をすることもあり ます。糞石のような石を液体の中に沈めます。もし不純物や砒素のような毒がワインの 中に人っていれば、その石の色が変るのです。 乾杯と祝福 飲み物の鑑識がとどこおりなく終了すると、宴会の客人たちはグラスを上げます。 儀典官は大声で「乾杯、乾杯 / 大いにお飲み下され、ご一同の健康のために / ーと 再び叫びます。客人たちも、「乾杯、乾杯 / 」と答えます。おかかえ聖職者が、饗宴の 13 ーー第 1 章華やかな中世の祝典
舞とかを受けついでいくこともできるのです。そしてまた、自分たちの生活に末長くぜ ひとも残しておきたい魅惑的な昔の風習が、少しはみつかるかもしれません。私たちの 祖先の儀式の幾つかをとり行なうことが、私たちの未来を品位あるものにすることで しよう。しかも中世の祝祭日は、私たちをしばし中世の想いにひたらせるだけでなく、 中世の世界を再現させてもくれるのです。 すばらしい饗宴 おとぎ話の中のような中世の饗宴に列席しているといたしましよう。 ヴェルヴェット、シルク、宝石、プロケードなどで優雅な装いをこらして、宴会場へ 列を作って人っていきます。身ぎれいな若い召使たちが、テープル ( と私たちを案内す るのです。最も高貴な客人かホストが、他の客たちを見わたすことができる、そして彼 らからもよくみえるように、いちだんと高い主賓席、またはダイ = とよばれる壇上の主 賓席につきます。主賓席の後には名誉ある席であることを示す、ポルダキンと呼ばれる世 な 意匠をこらした天蓋があります。長テープルには、位階に従って着席します。 ″儀典官〃とは、饗宴の広間での進行係なのです。儀典官は、首から重いくさりのつい華 た非常に大きな金色の鍵をさげています。心をこめて声を張り上げ、彼は客人たちを歓嶂 第 迎いたします。 「乾杯、乾杯、愛する友よ / ウエルカム、ウエルカム / 元気に、親しき友たち
2 食べたり、くわえたりするりんご 大きなりんごを磨いて水平に半分に切りますと、その種は " 五角形。と呼ばれる、星 型に並んだ状態に見えます。その五辺からなるとぎれのない模様は、季節がとぎれなく 巡ってくることのあらわれであり、季節がどこで始まり、どこで終わるということがな いのです。 客人たちはそこに出されただけのりんごを食べたい放題食べますが、食べる前にその 半分は五人毎に一緒に使う塩水の人ったボウルに人れなくてはなりません。その塩水は、 聖スウイズンの涙を記念するものなのです。残りの半分の方は、黄金色の泡立てたクリ ームにつけられます。これはサフランかたんぼぼで味をつけ、色づけされています。 客人たちは、五人で一つのボウルを使います。黄金色は、りんごの五角形と同じく、 永遠を表わします。決して変色も変質することもなく、黄金色は完全であり、永遠なの です。このような象徴的な食べ物を食べるということは、長寿を願うことになります。 ″アップル・ポビング〃は、往々にしてひどく面白いものです。なみなみと水の人った 大きなたらいの上にりんごが浮かべられており、客人たちは、たらいのまわりにひざま ずくと、手を背中でつなぎます。 どの客も、りんごを口でくわえて取らなくてはなりません。りんごの方へ体を倒し、 自分の歯でくわえるのです。歯は指ほどにしなやかではありませんから、自信家の " 取 148
ート あるといえましよう。織物から切り取られたり、金属にエナメル加工された赤いハ 型が、洋服の前、あるいは袖の上に縫いつけられたり、ピンで止められたりしますが、 これを身につけている人は「愛」に身も心も捧げているしるしなのです。この愛という のは、ある特定のすばらしい人に対するものであったり、理念としての愛、愛の神、あ るいは、聖ヴァレンタインのような愛の聖人への愛であったり、さまざまでした。 愛の音楽、シイヴァリー 客人たちは、気持が高まってくるような音楽に誘われて、饗宴の広間へと列をなして くりこんでいきます。 そのメロディとリズムは、気分を高め、愛のムードをかもし出すように工夫されてい ます。たとえば、ヴァレンタインのメロディには、鳥の鳴き声を真似たものもあります。 独特のヴァレンタイン音楽としては、結婚式の祝宴の音楽に似た、シイヴァリーと呼ば れるものがありました。楽人たちはクレセンドーと呼ばれるメロディーをホーンでにぎ やかに奏でます。このクレセンドーは行進曲のようなはっきりとした拍子で、しかも強 烈に音を強めて演奏します。この愛の音楽には、聴く人びとにわくわくするようなスリ ルを呼びさまそうとする意図があったのです。
0 豆の王妃様 っ / " 一フボラ国〃の邪悪なる王が、せっせと働け、遊んではならぬという布告をして民をこ らしめた時に、皆の大好きな休日の一つであるクリスマスを彼は無くしてしまったこと になります。ということは、彼はトウエルフス・ナイトの祝典も禁止したことになるの です。と申しますのは、中世のクリスマスは一日だけでなく、十二日間のお祭りだった からです。クリスマスのしめくくりは、トウエルフス・ディ ( 十二日節 ) 、いえ、むし ろ、本当はその前のトウエルフス・ナイトだったのです。一月五日にお祝いされるトウ エルフス・ナイトでは、ほとんどのしきたりが、競い合う形をとります。 トウエルフス・ナイトのどんちゃん騒ぎのただ中にいると想像してみましようか。 誰が″豆の王様と王妃様〃になるのか、競い合って決めるまでは儀式は始められませ ん。技よりも運が勝者を決めるのです。当りくじは、″トウエルフス・ケーキ〃の中に 隠されています。その他のごちそう、ゲーム、ダンス、エンターテイメントなども、ほ とんどが競い合う形式をとります。 たとえば″木々に乾杯〃 ( ワッセリング・ザ・トウリーズ ) という儀式の時に飲む、 ス。ハイスで美しく色づけされたりんご酒は、この寒い冬との戦いに、必ずや巡り来る春 がうち勝っことをうけ合うためのものです。これからの季節によいことがありますよう にと、オクスホーン・ダンスもします。 ママーと呼ばれるトウエルフス・ナイトの役者たちが、戦いの寸劇も演じます。強く て立派な聖ジョージは、強くて悪辣な騎士と戦いを交えなくてはなりません。教会では 宗教劇が、やはり善人と悪人の戦いを描き出します。不思議な星を追い求める三人の王
flll ⅢⅢ川川 、 flll ⅢⅢ川リ川 トウエルフス・ナイト・ファイヤー ・ウエル 田園の屋外で行なう祝典では、少なくとも飲み物か食べ物のうちの一品が、 フス・ナイト・ファイヤーのまわりで供されました。十二列に小麦を播かれた見晴しの よい畑では、麦わらの小さな束からなる十二個のかがり火と、一つの大かがり火に火が祭 ともされます。そして参列者たちは、この火のまわりに集まるのです。 の 屋内の祝典では、ろうそくがかがり火の代りをします。暗い広間では、頑丈な燭台に日 立てられた十二本のろうそくか、または何セットかのろうそくに、一本一本火がともさ什 れます。客人たちは、火がともされるごとに「乾杯 / 」と叫びます。そして一定の間隔 イ ナ をあけて、三本のろうそくが部屋のおのおのの角に置かれます。一本の大変に大きなろ うそくか、数本のろうそく立てがついている枝状の燭台が、一番大きな火を作り出しまフ 工 す。この十三番目の火は、オールド・メッグと呼ばれることもあります。 野原であろうと、大広間であろうと、このトウエルフス・ナイト・ファイヤーこそが、 章 快活な飲めや歌えやの騒ぎの中で中心的な役割を占めるものでした。、 第 さて、トウエルフス・ナイト・ファイヤーには、どんな意味があるでしようか ? 火は、次の年の収穫を約束するもの、または、野原の精のための穀物の捧げ物である このラムズ・ウールは、祝宴の ト・ファイヤーには特に大切なものでした。 、いっ飲んでもかまいません。トウエルフス・ナイ