で両親のもとに戻されてきた。それは表向きの理由だった。後になって人々は、少年が寄宿舎の教師 たちから知恵遅れで、寄宿学校にとって望ましくない存在であると判断を下されて帰って来たことを 知ったのである。 ヒュー少年はその時八歳だった。ひ弱そうだが美少年といってよい優雅な顔立ちの少年で、とりわ けその大きく見開かれた眼と、大理石のような肌の色あいは、何かいつも不安におびえているような , 印象を与えるのだった。 事ジーン・クレイノ ヾーは自分なりの流儀で少年の教育を行なう計画を立てた。彼は少年を、黒板と教 バ科書とノートとともに一室に閉しこめ、様々の課題やラテン語作文などを与え、少年が誤りを犯した レり、少しでも勉強に気乗りしない様子が見えると、容赦なくステッキで殴りつけるのだった。 ク 一人の召使いは、クレイバ ーにエプロンを叩きつけて《エルム荘》を去っていった。地方判事に召 ン 喚された彼女は、乗馬用の鞭で激しく打たれた少年が、背中に鞭痕を痛々しく幾筋も浮き立たせ、唇 いから血を流しながら気を失って倒れているのを目撃したと証言したのだった。 んジーン・クレイバ ィートン校 ( 材ングランド、イ ー ) で行なわれている教育法を実践したに過ぎない 父と抗弁したが、結局、判事から五ポンドの罰金を言い渡される破目になった。 ムクレイバーはますます少年を憎むようになった。《ワイルド・グローブズ》ゴルフ・クラブの支配 人が取りなさなかったら、少年は虐待のすえに殺されていたかも知れなかった。事態を心配した判事 の勧告とエドマンド・ランプルックの威嚇的な視線のおかげで、やがて少年は毎日一時間から二時間 庭に出て過ごすことを許されるようになった。生け垣越しにリンクスのゴルファーのプレーに熱、いに 169
少年の、ほっそりとした顎と黒い眼の愛らしい青白い顔が時折り見かけられるのは、その柊の艶や 1 かな緑ごしなのだった。 ー・デスモンドと結婚 ジーン・クレイバーが、ダンバー杯を三度獲得した女流ゴルファーのドロシ したのは十年前だった。 彼女は素晴らしい美貌の持ち主だったが、世に知られた破産と倒産の常習者ローレント・デスモン トを父親に持っていたため、質素な生活を送っていた。ジーン・クレイバーは彼女の父親を破産から エドマンド・ランプルックとの婚約を破棄して、美し 救った。そしてその数カ月後、名ゴルファー いドロシーは、いわば神の救い主にも等しいそのクレイバーと華燭の典を挙げたのである。 丿ンクスに見かけることはなくなった。異常に嫉妬深いクレイノー もはや彼女の姿をクラブ・ たとえ偶然であっても妻がかっての婚約者と出会うことを怖れていたからである。実際クレイバー本 人もランプルックを見かけてもそ知らぬふりをするありさまで、ましてや会釈を交わしあうなど思い もよらないといった風であった。 彼らの結婚は、初めから幸福なものではなかったが、一子ヒューが誕生するに及んで、その日常は、 憐れむべきドロシーにとって、まさしく地獄と化したのだった。 ーが、ジーン・クレイハ 使用人たちの口さがないおしゃべりから、人々は、その無垢の幼児ヒ = に少しも似ておらず、濃い黒眼と細みの顎の形などから、むしろエドマンド・ランプルックにそっく りであり、そのために父親たるクレイバーから数々の残醋な仕打ちを受けていることを知るのだった。 数年が経った。幼い頃から地方の寄宿舎に預けられていたヒ = ー少年は、健康上の理由ということ カップ ひいらぎ
見入っている少年の姿が見かけられるようになったのは、その頃からだった。 クレイバーの監視の眼が光っていなければ、ジム・カーランドは少年に近づき、優しく言葉をかけ てやることにしていた。 「ゴルフを見るのが好きだね ? 」 「あ、うん、大好き ! 」 「自分でもやってみたいだろうね ? きっと」 「ええ、とっても 「そうか ! きっといっかはできるようになるからね」 「ほんとう ? 」 少年の黒い美しい瞳から、悲しみの影が一瞬消え、ふだんは悲しそうに固く結ばれている唇が、微 笑みにほころびかけるのだった。 ある日、ジム・カーランドが少年を、いつものようにそうしてカづけていたとき、ヒ = ー少年は謎 めいた様子でそっと言った。 「ラム小父さんも、そう言ってくれたんだよ ! 」 「誰のことだね、ラム小父さんて ? 」 専属コーチは訊ねた。 ヒュー少年は頭を振った。 「言ってはいけないんだ。でも、明日の朝一緒にゴルフをするんだよ」
172 彼は驚きのあまり呆然となった。はるか彼方でドライバーを振り上げているヒュー少年は、非の打 ち所ない見事なスウイングでポールをグリーンに飛ばしているのだった。 位置の関係で打球の筋を見届けられないので、カーランドは小舎の陰から出て、リンクス全体を見 渡す場所にある針葉樹の小さな茂みにひそかに身をすべりこませた。そこから彼は、ヒュー少年が、 砂質土の小さなティーの上に注意深く新しいポールを置き、二度ほど素振りをした後、おもむろにシ ョットするのを見た 白昼夢のようだった。ジムは幻覚にとり憑かれたのかと思った。 ヒュー少年の打球は大きな弧を描きつつ、奇蹟のような勢いで空中高く舞い上がり、グリーンめが けてまっしぐらに二百ャード以上を飛び、ホールから数フィートの位置に楽々と落下した。 と同時に、ピンが見えない手によって引き抜かれたかと思うと、ポールはそのままホールに向かっ てするすると進み吸い込まれるようにカップ・インしてしまったのだった。 少年の歓声が聞こえた。ジムは、少年がたった今ショットをしたばかりのティーイング・グラウン ドに何気なく眼を移した。ところが少年の姿はそこになかった。人影一つ見当たらなかったのだった。 その日、彼は少年が生け垣の向こうから手を振っているのに気がついた。 「カーランドさんーと、少年は言った。「ラム小父さんは、機嫌が悪いの。どうしてかって言うと、 今朝、カーランドさんはばくたちのことを見ていたでしよう。、 ーくラム小父さんに、カーランドさ んにひどいことをしないでっておねがいしておいたんだ。だってカーランドさんは優しい人だもの。 そしたらラム小父さんは、何もしないって約束してくれたよ。でも、ああいうことは、して欲しくな
その先に暗く波立っ海原があり、夜が翼を広げて迫ってくるのが感しとれた。 コースに人影はなかった。動くものは何一つ無かった。すべてが凝固してしまったようで、奥行き のあるいわゆる三次元的立体感がなかったなら巨大な版画を見ているとしか思えなかったに違いない。 しかし間もなく誰かがやって来ること、それがフランスのすぐれた女性ゴルファー デポン ( イ . ングラ 脚の ) . レディース・チャンビオンシップで並いるイギリスの女性ゴルファーたちに苦杯をなめさせた アンドレット・フロジェ嬢であることは、わかっていた。 このときこの夢で初めて耳で聞こえる現象に気づいた。何かが吼えているような、はっきりとした、 だが反響のともなわない不思議な : それが何であるか間もなく思いあたった。リン ールの森で何度も聞いたことがあった。あそこの コンスウンド ひるね 《白人屋敷》の近くでは、夕方になると午睡からさめた虎が狩りに出かける前に、よくあんなふうに 吼えていたものだった。 吼え声は少しも気にならなかった。ばくの関心は、やがて現われるはずのアンドレット・フロジェ 嬢に集中していた。 まだ実際に会ったことはなかったが、・ とのスポーツ誌を開いても、ほど良い背たけの、ほっそりと してしなやかそうな体つきの優雅な彼女の写真が載っていたのだ。 ばくはパジャマ姿だったが、これはそう気にならなかった。銀と真珠のラメ入りの黒い絹の。ハジャ マは少しもおかしい所がないし、場違いとも思えなかったからだ。昔、ある有名な中国人から同しょ うな衣服をプレゼントされたことがあったが、召使いだった安南人の少年にくすねられてしまった。
いんだって : : : 」 「ラム小父さんというのは、ピンをホールから抜いてくれた人のことかい ? 」と、カーランドは確 かめてみた。 「そうだよ。今日、ばくのためにキャディーをしてくれたんだ。ね、やさしい人でしよう ? 」 「でも : : : その、私にはラム小父さんの姿が見えなかったのだけれどね」と、カーランドは当惑し ) ながら言った。 事「ばくにしか見えないんだ。約束なんだよ。ああ : : : ばく、あの小父さんが大好きなんだ : バくが呼びかけるとね、いつもやって来てくれるんだよ」 レ「そのラム小父さんて、どんな人なのかい ? 」 ク 少年は真剣な表情になっこ。 ン 「説明するのは、とても難しいんだ。カーランドさん。前はときどき、もしかして女の人かなって ジ 思ったけれど : : だって顔はちょっとママに似ているんだもの。でも、とっても大きいんだ。とって んも。それに : 父ヒュー少年は考えこむように頭を振った。 ム 「それにライオンなんだ」やっと少年は言った。 「ああ、ライオンねーすっかり動顛してコーチはロごもった。 「ラム小父さんは、ばくにドライバーをくれるって約束してくれたよ。だから、いっかそれを見せ てあげるね」庭の小径の方から足音が聞こえてきたので、後ずさりしながら少年は言った。 173
☆ 謎を解く鍵を発見したのはキャディーの少年だった。 十七歳のビル ・ハンターは近くの小さな農場主の息子で、上級の学校に進学するため血のにしむよ うな苦労をしていた少年だが、その苦労もようやく報いられようとしていた。 「あと一、二年もすれば」と、学校の教師は期待をこめて語るのだった。「ビルは奨学金を獲得して 大学で学ぶようになるだろう それは十月のある晩のことだった。クラブの解散とパックの遺産となった保険金の受け取りの拒否 を決めたメンバーたちがバーに集まっていた。 ーマンが居なかったのでビルが代わりをひきうけていた。 突然、ビルは発泡性エールを満たしたジョッキを置くとこう叫んだ。 ・ : あれは八月の十日でした」 支配人のプリスコンプ氏は少年に怒りの眼を向けた。その悲劇の日付は、思い出すたびにやり切れ ドない気持ちだった。ましてや、それを思い出させたのがキャディーとあっては : 金「それがどうしたのかね ? ビル・、 ノンター」と、彼は不機嫌をあらわにしながら言った。 しかしビルはひどく興奮している様子だった。 「ソームズさんは、風を切る大きな音を聞いたと言っていましたね ? たしか」 「言っていたとも。が、もうその話は沢山だ。その位にしておきたまえ」と、プリスコンプ氏は少 「そうだ !
212 年を叱るように言った。 「検屍官も陪審の人たちも、なんて浅はかだったのでしよう」と少年は叫んだ。「パックさんの命を 奪ったのは、あのドライバーではないのです ! 」 少年に好意を持っていたモーティマー・クレイグが口をはさんだ。 「きみはこれまでもいつもし 0 かりした意見を持っていた。それに今回のこの事件では誰も何一つ ましな考えを持っていないのだから、とにかく説明してみることだ」 つるはし 「鶴嘴を持 0 て下さい」とビルは言 0 た。「皆さんも。そしてパックさんの遣体が発見された場所を 掘り返してみるのです」 プリスコンプ氏の怒りは爆発寸前だった。しかし他のメンバーたちは少年の提案を面白がって受け 入れた。そして三十分後、四番ホールのティー ・グラウンドには掘り返された土の山ができあがって それを発見したのは、ウィリアム ・ドーン卿だっこ。ドライハ ・ヘッドに似た形の黒光りする奇 妙な鉄の塊だった。 「あの不運なスミザーソンさんの命を奪ったのは、これなのです , と、ビルは得意そうに言った。 「何かこういう物があるだろうと見当はついていました」 「しかしきみ、これは地中一フィー ト以上も深い所にあったのだよ ! 」と、ウィリアム・ドーン卿 「その通りです。ウィリアム卿」 は不審そうに言った。
「明日だって ? : でも、きみ、お父さんは、きみがリンクスに出るのを許してくれはしないだ ろうに : : : 」 「ラム小父さんが一緒なんだ。お日様が昇る頃、迎えに来てくれるって言っていたもの」 「いいかいヒュー。邸から出てはいけないときびしく言われていることは、よく知っているだろ う ? ー驚いたジムの声は、思わず大きくなっていた。 それに 「ラム小父さんが、外に出してくれるんだ」と、少年は答えた。「とても強いんだから : 件 事ばくのこと好い子だって」 その時ジーン・クレイバーの黒々としたシルエットが、小径の向こうの曲がり角に現われた。少年 レは姿を隠そうとした。しかし間もなくカーランドは、激しい平手打ちの音と、それに続く悲鳴とすす ク り泣きを聞いたのだった。 ン 首をたれたまま、カーランドは拳を握りしめてその場に立ちつくし、怒りを懸命にこらえていた。 できるものなら、あの肥大漢のクレイバーを叩きのめしてしまいたかった。だが《ワイルド・グロー んブズ》のような由緒あるゴルフ・クラブ専属のコーチという地位を、再び他に見つけ出すのがどれだ 父け困難か、彼はよく知っていた。 一方で彼は、ヒ = ー少年が今しがた打ち明けてくれた謎めいた言葉の意味を、いぶかしく思い返し てみるのだった。 翌日、彼は夜明けとともにリンクスに出て、小舎の陰に身を隠していた。待つほどもなく、遠くか らポールを打っ音が響いてきた。 171
174 「さっき、誰かと話をしていなかったかね ? カーランド君 . と、クレイバーが訊ねた。 「いいえ」専属コーチは平然と嘘をついた。 「そうか、では私の耳のせいとしておくしかないらしいな。だが言っておくが、もしもう一度きみ よそ が私の息子と話しているのを見かけたら、きみはどこか他処にコーチの職を求めなければならないこ とになるから、そのつもりでいてもらおう。もちろんそのときには、あのいまいましい小僧の骨とい う骨はばらばらにされているだろう ☆ 恐ろしい惨劇はそれから十日後に起こった。カーランドはアシュトンやランプルック、 / レ・、 ンたちと小舎の蔔こ 月。いた。カーランドが、模範プレーにとりかかろうとした矢先どっこ。、 オオしつの間に やって来たのか、ヒュー少年が、突然大人たちの間に姿を現わしたのだった。 はず 「ラム小父さんが、カーランドさんにこれを見せてもいいって ! 」楽しそうに声を弾ませながら、 少年は風変わりなゴルフ・クラブを専属コーチに差し出すのだった。 そのドライバーをまず手にしたのは、シルバーマンだった。 「何だね、これは ? 」と、彼は思わず声を大きくしていた。「いったい、 からもらったのかい ? ヒュー君 カーランドも静かにその場から離れた。だがしばらくして彼は、自分の名が呼ばれているのに気が ついた。見るとジーン・クレイバーが生け垣から身を乗り出していた。 この変てこなクラブは、誰