夜 - みる会図書館


検索対象: 遠野物語
219件見つかりました。

1. 遠野物語

きもつぶ 8 上にむく / 、と起直る。胆潰れたれど心を鎮め静かにあたりを見廻すに、流し元の水口の穴より しきり 狐の如き物あり、面をさし人れて頻に死人の方を見つめて居たり。さてこそと身を潜め窃かに家 つまた の外に出で、背戸の方に廻りて見れば、正しく狐にて首を流し元の穴に人れ後足を爪立てゝ居た これ り。有合はせたる棒をもて之を打ち殺したり。 * 下閉伊郡豊間根村大字豊間根。 一 0 ニ正月十五日の晩を小正月と云ふ。宵の程は子供等福の神と称して四五人群を作り、袋を あけ もちもら 持ちて人の家に行き、明の方から福の神が舞込んだと唱へて餅を貰ふ習慣あり。宵を過ぐれば此 晩に限り人々決して戸の外に出づることなし。小正月の夜半過ぎは山の神出でて遊ぶと言ひ伝へ まるこだち 物てあれば也。山口の字丸古立におまさと云ふ今三十五六の女、まだ十二三の年のことなり。如何 野なるわけにてか唯一人にて福の神に出で、処々をあるきて遅くなり、淋しき路を帰りしに、向ふ の方より丈の高き男来てすれちがひたり。顔はすてきに赤く眼はかゞやけり。袋を捨てゝ遁け帰 り大いに熕ひたりと云へり。 一 0 三小正月の夜、又は小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でて遊ぶとも云ふ。童子 そり をあまた引連れて来ると云へり。里の子ども冬は近辺の丘に行き、橇遊びをして面白さのあまり 夜になることあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるゝは常のことなり。 されど雪女を見たりと云ふ者は少なし。 くるみ 一 0 四小正月の晩には行事甚だ多し。月見と云ふは六つの胡桃の実を十二に割り一時に炉の火 にくべて一時に之を引上げ、一列にして右より正月二月と数ふるに、満月の夜晴なるべき月には しづ さび ひを

2. 遠野物語

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3. 遠野物語

179 なんばん ニ五六蕃椒を一生食わねば長者になる。炉の灰を掘ると中から玉コが出て来る。炉ぶちやカギ ぜん ノ ( ナ ( 自在 ) を叩くと貧之神が喜ぶ。膳に向 0 て箸で茶碗を叩くと貧乏になる。椀越しに人の 方を見ると醜い嫁や聟を持っ、どの地方でも謂われて居る俗信の類が此地方にも非常に多い また夜の火トメ ( 埋火 ) と、ヒッキリ ( 大鋸 ) の研ぎなどは人手を借りてするものではないとも謂 あざおんとく かみつ ニ五七近年土淵村字恩徳に神憑きの者が現われて、この男の卦はよく当るという評判であっ た。自分で経文を発明し、佐々木君にそれを筆写してくれと言 0 て来たこともあ 0 た。山口の某 という男がこの神憑きの男に八卦を見て貰いに行「て帰「ての話に、自分は不思議なことを見て 語来た。あの八卦者の家は常居の向うが一本の木を境にして、三間ばかり続いて藁敷の寝床にな 0 物て居たが、そこには長い角材を置いて枕にし、人が抜け出した儘の汚れた蒲団が幾つも並んで居 た。家族は祖父母、 トト、ガガ、アネ = ド夫婦に孫子等十人以上であるが、皆そこに共同に寝る らしか「たと語ると、で此話を聞いて居た村の者が、何だお前はそんなことを今始めて見たの か。あの辺から下閉伊地方では何処でもそうして居るのだと言「た。佐々木君が幼時祖父母から 聴いた胆沢郡の掃部長者のには、三百六十五人の下婢下男を一本の角材を枕に寝かして、朝に なると其木の端を大槌で打叩いて起したという一節があ「て、余穆これを珍らしいことの様に感 じて居り、殊更長木の枕という点に力を人れて話されたものだと謂う。 ニ五八夜は真裸にな 0 て寝るのが普通である。斯うせぬと寝た甲蛩が無いと謂い、一つでも体 に物を着けて寝ることを非常に嫌う。殊に夫婦が夜、腰の物を取らずに寝るのは不縁になる始め 0 おおのこ はしちやわん

4. 遠野物語

* ニタカヒはアイヌ語のニタト即ち湿地より出しなるべし。地形よく合へり。西の国々にてはニタと もヌタともいふ皆これなり。下閉伊郡小川村にも二田員といふ字あり。 おほはらまんのじよう 六九今の土淵村には大同と云ふ家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞と云ふ。此人の養 母名はおひで、八十を超えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじな ひにて蛇を殺し、木に止れる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらひたり。昨年の旧暦 正月十五日に、此老女の語りしには、昔ある処に貧しき百姓あり。妻は無くて美しき娘あり。又 うまや 一匹の馬を養ふ。娘此馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、終に馬と夫婦に成れり。或夜父 語 は此事を知りて、其次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下けて殺したり。そ 物の夜娘は馬の居らぬより父に尋ねて此事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の たちま をの 野首に縋りて泣きゐたりしを、父は之をみて斧を以て後より馬の首を切り落せしに、忽ち娘は其 首に乗りたるまゝ天に昇り去れり。オシラサマと云ふは此時より成りたる神なり。馬をつり下け たる桑の枝にて其神の像を作る。其像三つありき。本にて作りしは山口の大同にあり。之を姉神 とす。中にて作りしは山崎の福家権十郎と云ふ人の家に在り。佐々木氏の伯はが縁付きたる家な るが、今は家絶えて神の行方を知らず。末にて作りし妹神の像は今附馬牛村に在りと云へり。 七〇同じ人の話に、オクナイサマはオシラサマの在る家には必す伴ひて在す神なり。されどオ シラサマはなくてオクナイサマのみ在る家もあり。又家によりて神の像も同じからず。山口の大 同に在るオクナイサマは木像なり。山口の辷たにえと云ふ人の家なるは掛軸なり。田圃のうち にいませるは亦木像なり。飯豊の大同にもオシラサマは無けれどオクナイサマのみはいませりと すなは この

5. 遠野物語

をがせ こずゑ は猿多し。緒の滝を見に行けば、の樹の梢にあまた居り、人を見れば遁げながら木の実など を擲ちて行くなり。 四八仙人峠にもあまた猿をりて行人に戯れ石を打ち付けなどす。 まっ 四九仙人峠は登り十五里降り十五里あり。其中程に仙人の像を祀りたる堂あり。此堂の壁には ならひ 旅人がこの山中にて遭ひたる不思議の出来事を書き識すこと昔よりの習なり。例へは、我は越後 やまみち の者なるが、何月何日の夜、この山路にて若き女の髪を垂れたるに逢へり。こちらを見てにこと たぐひ いにづら 笑ひたりと云ふ類なり。又此所にて猿に悪戯をせられたりとか、三人の盗賊に逢へりと云ふやう なる事をも記せり。 物 * この一里も小道なり。 かんこどり 野五〇死助の山にカッコ花あり。遠野郷にても珍しと云ふ花なり。五月閑古鳥のく頃、女や子 ほほづき ども之を採りに山へ行く。酢の中に漬けて置けば紫色になる。酸漿の実のやうに吹きて遊ふなり。 此花を採ることは若き者の最も大なる遊楽なり。 五一山には様々の鳥住めど、最も寂しき声の鳥はオット鳥なり。夏の夜中に啼く。浜の大槌よ だらんづけ り駄賃附の者など峠を越え来れば、に谷底にて其声を聞くと云〈り。昔ある長者の娘あり。又 ある長者の男の子と親しみ、山に行きて遊びしに、男見えすなりたり。夕暮になり夜になるまで つひ 探しあるきしが、之を見つくることを得すして、終に此鳥になりたりと云ふ。オ ット 1 ン、オッ をつと トーンと云ふは夫のことなり。末の方かすれてあはれなる鳴声なり。 は」 . こレ ) ギ亠 , 五ニ馬追鳥は時鳥に似て少し大きく、羽の色は赤に茶を帯び、肩には馬の綱のやうなる縞あり。 この おはづら

6. 遠野物語

で目を醒まして見ると、あたりはすっかり暗くなって居り、自分は窮屈な姥神様の背中に凭れて いた。呼び起してくれたのは、此姥神様なのであった。外へ出ようと思っても、何時の間にか別 当殿が錠を下ろして行ったものと見え、扉が開かないので、仕方なしに其処の円柱に凭れて眠り かけると、又姥神様が、これこれ起きろと起してくれるのであったが、疲れているので眼を明け て居られなかった。こうして三度も姥神様に呼び起された。其時、家の者や村の人達が多勢で探 しに来たのに見附けられて、家に連れ帰られたと謂う。此姥神様は瘡の神様で、丈三尺ばかり の姥の姿をした木像であった。 ますざわ 月正月の晩に其家で村の若者等を呼んで神楽をする・ 拾五七鱒沢村の笠の通という家の権現様は、、 語と、自分も出て踊りたがって、座嗷であばれてしようが無かった。そこで若者たちは先す権現を っちど 物土蔵の中に人れて、土戸をしめて置いてから踊ったこともあるそうな。 つくもうししゆくしんざん 野 五八附馬牛の宿の新山神社の祭礼の日、遠野の八幡様の神楽を奉納したことがあった。其夜八 幡の権現様は土地の山本某という家に一宿したが、其家も村の神楽舞の家であったので、奥の床 わき の間に家附きの権現様が安置してあって、八幡の権現をば其脇に並べて休ませた。ところが夜更 2 」に 1 ははげ けになって何か甚だ烈しく闘うような物音が奥座敷の方に聞えるので、あかりを附けて起きて行 って見ると、家の権現とその八幡とが、上になり下になって咬み合って居られる。そうしてとう ししがしら とう八幡の権現の方が片耳を喰い切られて敗北したということで、今にこの獅子頭には片耳が無 いという話。維新前後の出来事であったように語り伝えて居る。 みやもり 五九宮守村字塚沢の多田という家は、神楽の刄夫の家であったが、此家の権現様もやはり耳取

7. 遠野物語

うずく 下窪の家では、近所の娘などが用があって不意に行くと、神棚の下に座敷ワラシが踞まって居て、 びつくりして戻って来たという話がある。 しんまち 九ニ遠野の新町の大久田某という家の、二階の床の間の前で、夜になると女が髪を梳いている という評判が立った。両川某という者がそんなことが有るものかと言って、或夜そこへ行って見 もの ると、果して噂の通り見知らぬ女が髪を梳いて居て、じろりと此方を見た顔が、何とも言えず物 凄かったという。明治になってからの話である。 おおがま 九三遠野一日市の作平という家が栄え出した頃、急に土蔵の中で大釜が鳴り出し、それが段々 強くなって小一時間も鴨って居た。家の者は素より、近所の人たちも皆驚いて見に行った。それ これ 物で山名という画工を頼んで、釜の鳴って居る所を絵に描いて貰って、之を釜鳴神と謂って祭るこ 野とにした。今から二十年余り前のことである。 九四土淵村山口の内川口某という家は、今から十年程前に瓦解したが、一時此家が空家になっ て居た頃、夜中になると奥座敷の方に幽かに火がともり、誰とも知らず低い声で経を読む声がし た。往来の直ぐ近くの家だから、若い者などが又かと言って立寄って見ると、御経の声も燈火も これ もう消えて居る。是と同様のことは栃内の和野の、菊池某氏が瓦解した際にもあったことだとい ふたまた 九五山に行って見ると、時折二股にわかれて生い立った木が、互いに捻れからまって成長して 居るのを見かけることがある。是は山の神が詰 ( 十二月 ) の十二日に、自分の領分の樹の数を算用 するときに、〆めて何万何千本という時の記号に、終りの木をちょっと斯うして捻って置くのだ ⅱ 2 ひといち かす かみだな こちら

8. 遠野物語

り、其由を主人に告げた。それで主人が自身に行って見ると、蛇と見えたのは置き忘れた名刀で とうろくゆきみつ あった。二代藤六行光の作であったという。 一四四次には維新の頃の話であるが、遠野の藩士に大酒飲みで、酔うと処きらわすに寝てしま いしがわ う某という者があった。或時松崎村金沢に来て、猿ケ石川の岸近くに例の如く酔い伏して居たの いたずら を、所の者が悪戯をしようとして佐へ行くと、身のまわりに赤い蛇が居てそこら中を匍いまわり たちま 怖ろしくて近づくことが出来なか 0 た。其うちに侍が目を覚ますと、蛇は忽ちに刀とな「て腰に 佩かれて行ったという話。此刀もよほどの名刀であったということである。 ふえふきとうげよみち 一四五遠野町の相住某という人は、或時笛吹峠で夜路に迷「て、夜半になるまで山中を迷い歩 物 いたが、道に出ることが出来なかった。愈最後だと思い、小高い岩の上に登って総領から始め かわ 野て順次に我子の名を呼んで行「た。そうして一番可愛がって居た末子の上に及んだ時のことであ ったろうというが、家で熟睡をして居た其子は、自分の躯の上へ父親が足の方から上がって来て、 胸のあたりを両手で強く押附けて、自分の名を呼んだ様に思って、驚いて目が覚めた。其晩はも う胸騒ぎがして眠られないので、父親の身の上を案じて夜を明した。翌日父親は馬の鈴の音をた 工うや よりに漸く道に出ることが出来、人に救われて無事に家に帰って来た。そうして昨夜の出来事を まった 互いに語り合ったが、父子の話は完く符節を合せる様であったから、シルマシとはこのことであ ろうと人々は話し合ったという。 一四六烏啼きのシルマシも襷と言われぬものだと謂う。先年、佐々木君の上隣りにある某冢で も此ことがあった。此家の親類の老婆が谷川の橋から墜ちて頓死した時、一羽の烏が死者のあっ ある この かなさ さる からだ とんし ところ ・こと

9. 遠野物語

142 一六九佐々木君の知人岩城某という人の祖母は、若い頃遠野の侍勘下氏に乳母奉公に上 0 て居 あるよふ た。或晩夜更けてから御子に乳を上げようと思って = チコの〈行くと、年ごろ三十前後に見え る美しい女が、エチコの中の子供をつげつげと見守って居た。驚いて隣室に寝て居た主人夫婦を 呼び起したが、其時には女の姿は消えて見えなかったと謂う。此家では二三代前の主人が下婢に 通じて子供を産ませたことがあったが、本妻の嫉妬がはげしくて、其女はとうとう毒殺されてし まった。女には其前から夫があったが、此男までも奥方から憎まれて、女房の代りだからと言っ て無慈悲にこき使われたと謂う。岩城君の祖母が見たのは、多分殺された此下婢が怨んで出て来 うわさ た幽霊であろうと噂せられた。また或時などは、此人が雨戸を締めに行くと、戸袋の側に例の女 物が坐って居たこともあったそうである。 野一七〇ノリ「シと謂う化け物は影法師の様なものだそうな。最初は見る人の目の前に小さな坊 主頭となって現われるが、はっきりしないのでよく視ると、その度にめきめきと丈がのびて、遂 まで に見上げる迄に大きくなるのだそうである。だからノリコシが現われた時には、最初に頭の方か ・こんぞう ら見始めて、段々に下へ見下して行けば消えてしまうものだと謂われて居る。土淵村の権蔵とい かじゃ う鍛冶屋が、師匠の所へ徒弟に行って居た頃、或夜遅く余所から帰って来ると、家の中では師匠 の女房が燈を明るく灯して縫物をして居る様子であった。それを障子の外で一人の男が隙見をし あとずさ て居る。誰であろうかと近寄って行くと、其男は段々に後退りをして、雨打ち石のあたりまで退 いた。そうして急に丈がするすると高くなり、とうとう屋根を乗り越して、蔭の方へ消え去った レ」田月っ -0 みおろ しっと この いんげ すきみ

10. 遠野物語

かたあし こもりたれば山の名とす。其白鹿撃たれて遁け、次の山まで行きて片肢折れたり。其山を今片羽 ごんげん まっ つひ やま 山と云ふ。さて又前なる山へ来て終に死したり。其地を死助と云ふ。死助権現とて祀れるはこの 白鹿なりと云ふ。 えんん * 宛然として古風土記をよむが如し。 きのこ しろみ 三三白望の山に行きて泊れば、深夜にあたりの薄明るくなることあり。秋の頃茸を採りに行き あ 山中に宿する者、よく此事に逢ふ。又谷のあなたにて大木を伐り倒す音、歌の声など聞ゆること きり かや あり。此山の大さは測るべからず。五月に萱を刈りに行くとき、遠く望めば桐の花の咲き満ちた 語 あたか る山あり。恰も紫の雲のたなびけるが如し。されども終に其あたりに近づくこと能はず。曽て茸 物を採りに入りし者あり。白望の山奥にて金の樋と金の杓とを見たり。持ち帰らんとするに極めて しをり 野重く、鎌にて片端を削り取らんとしたれどそれもかなはず。又来んと思ひて樹の皮を白くし栞と これ したりしが、次の日人々と共に行きて之を求めたれど、終に其木のありかをも見出し得すしてや みたり。 こあざ はなれもり 三四白望の山続きに離森と云ふ所あり。その小字に長者屋敷と云ふは、全く無人の境なり。茲 第丿〃カ たれこも に行きて炭を焼く者ありき。或夜その小屋の垂菰をかゝげて、内を覗ふ者を見たり。髪を長く二 つに分けて垂れたる女なり。此あたりにても深夜に女の叫声を聞くことは珍しからす。 三五佐々木氏の祖父の弟、白望に茸を採りに行きて宿りし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森 林の前を横ぎりて、女の走り行くを見たり。中空を走るやうに思はれたり。待てちやアと二声ば、 かり呼はりたるを聞けりとそ。 ごと に しすけ き