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検索対象: 遠野物語
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1. 遠野物語

人の物としようと企らんで、このおべんを殺してしま 0 た。後に村の人が此女の徳をたたえて、 之を弁天として祀ることにな「た。今の弁天山が即ちそれである。男が此山に登れば必ず雨が降 るという。 がらんこんりゅう 四〇昔無尽和尚が東禅寺の伽藍を建立しようとした時、境内に清い泉を欲しいと思い、大きな はやちねやま 丸形の石の上に登 0 てかに早池峯山の神様に祈願をした。或夜美しい女神が白馬に乗じて此石 上に現われ給い、無尽に霊泉を与えることを諾して消え失せた。一説には和尚、其女神の姿を描 いて置こうと思い、馬の耳を画き始めた時には既に其姿は消えて其処に無か「たとも謂う。来迎 せき 石と呼んで居るのは此石のことであるが、又別に此来迎石は、早池峯山の女神が無尽和尚の高徳 物に感じ、此石の上に立たれて和尚の誦経に聴人 0 た処だとも伝えて居る。女神から授けられた泉 、今に湧き澄んで居り、此泉に人影がさせば大雨があると伝えら は、奴の井とも開慶水とも言い 野 ながえひしやく れ、井戸のかたわらに長柄の杓を立てて置くのはその為だと謂う。 四一土淵村大字柏崎の新山という処の藪の中に泉が湧いて居て、其処が小さな池にな 0 て居る が、此池でも水面に人影がさせば雨が降ると謂われて居る。 ろっこうし 四ニ此地方で雨乞いをするには、六角牛山、石神山などの高山に登り千駄木を焚いて祈るのが 普通たが、また滝畆の中〈馬の骨などを投け込んで、其穢れで雨神を誘う方法もある。松崎村字 駒木の妻 , 神の山中には小池があり、明神様を祀「てある。昔から此池に戯をすると雨が降り ' また其者にはよい事がないと言い伝えて居るが、近所の某という者そんなことがあるものかと言 って、池の中に馬の骨や木石の類を投げ込んだ。すると此男は其日のうちに気が狂 0 て、行方不 やっこ すなわ けが

2. 遠野物語

を、此小刀を以て剥いでやろうと言って来るのである。是が門のロで、ひかたたくり、ひかたた くりと呼ばると、そらナモミタクリが来たと言って、娘たちに餅を出して詫びごとをさせる。家 で大事にされて居る娘などには、時々はこのヒカタタクリにたくられそうな者があるからである。 はげ さおさぎかま ニ七ニ春と秋との風の烈しく吹き荒れる日には、又瓢簟を長く竿の尖に鎌と一しょに結び附け ゆる て軒先へ立てることがある。斯うすると風を緩やかにし、又は避けることが出来ると謂って居る。 ニ七三此郷の年中行事はすべて旧暦によって居る。十一月十五日にタテキタテということをす るのから始めて、二月九日の弓矢開きまで、年取りの儀式が色々とあって、一年中で最も行事の 語 多いのも此期間である。正月の大年神に上げる飯をオミダマ飯と言うが、此飯を焚く為の新しい わかしょ き 物木を山から伐り出して来るのが十一月十五日で、此日伐って来た木は夕方に立てて、其上に若漿 けが 野で造った弓矢を南の方に向けて附ける。これは此木が神聖な木であるから鳥類に穢されぬ為に斯 うするのだと言われて居る。 はいぜん あずきがゆはぎはし だいしがゆ 一遠 ニ七四十一月二十三日は大師粥と謂って、小豆粥を萩の箸で食べる。此食べた箸で灰膳の上に じようず 手習をすれば字が上手になると謂う。灰膳とは膳の上に灰を載せ、是を揺すって平にならしたも のを謂うのである。亦此日には家族の者の数だけ団子を造り、其中の一つに銭を匿して人れて置 いて、此金の入った団子を取った者は来年の運が富貴だと言って喜ぶ。大師様のことはよく分ら ふぶきあ ないが、多勢の子供があった方で、此日に吹雪に遭って死なれたと言い伝えて居る。 ほとん ニ七五十二月は一日から三十日までに、殆ど毎日の様に種々なものの年取りがあると言われて すなわ 居る。併し是を全部祭るのはイタコだけで、普通には次のような日だけを祝うに止める。即ち五 おおとしがみ これ もち

3. 遠野物語

たいや ニ三同じ人の二七日の逮夜に、知音の者集りて、夜更くるまで念仏を唱へ立帰らんとする時、 門ロの石に腰掛けてあちらを向ける老女あり。其うしろ付正しく亡くなりし人の通りなりき。此 あまた ゅゑ は数多の人見たる故に誰も疑はず。姙何なる執着のありしにや、終に知る人はなかりし也。 だいどう * ニ四村々の旧家を大同と云ふは、大同元年に甲斐国より移り来たる家なればかく云ふとのこと あら なり。大同は田村将軍征討の時代なり。甲斐は南部家の本国なり。二つの伝説を混じたるに非ざ るか。 びたちのこくし * 大同は大洞かも知れず、洞とは東北にて家門又は族といふことなり。常陸国志に例あり、ホラマへ と云ふ語後に見ゅ。 物ニ五大同の祖先たちが、始めて此地方に到着せしは、歳の暮にて、春のいそぎの門松を、 野まだ片方はえ立てぬうちに早元日になりたればとて、今も此家々にては吉例として門松の片方を しめなは 地に伏せたるまゝにて、標縄を引き渡すとのことなり。 ニ六柏崎の田圃のうちと称する阿倍氏は殊に聞えたる旧家なり。此家の先代に彫刻に巧なる人 ありて、遠野一郷の神仏の像には此人の作りたる者多し。 はやちね すなはしもへ ニ七早池峯より出でて東北の方宮古の海に流れ人る川を閉伊肝と云ふ。其流域は即ち下閉伊郡 なり。遠野の町の中にて今はのと云ふ家の先代の主人、宮古に行きての帰るさ、此川の漿台 の淵と云ふあたりを通りしに、若き女ありて一封の手紙を撼す。遠野の町の後なる物見山の中腹 たた あてな みちみち にある沼に行きて、手を叩けば宛名の人出で来べしとなり。此人請け合ひはしたれども路々心に ろくぶ 四掛りてとつおいっせしに、一人の六部に行き逢へり。此手紙を開きよみてく、此を持ち行かば ふち たんぼ みやこ この かひのくに つきまさ なり これ

4. 遠野物語

もち おそ つの年の祭にも、必ず降ることになって居ると謂い、此日には村人は畏れつつしんで、水浴は勿 ろん 論、川の水さえ汲まぬ習慣がある。昔此の禁を犯して水浴をした者があったところ、それまで連 日の晴天であったのが、俄かに大雨となり、大洪水がして田畑は云うに及ばず人家までも流され た者が多かった。分けても禁を破った者は、家を流され、人も皆れて死んだと伝えられて居る。 いがわ 三四遠野郷の内ではないが、閉伊川の流域に腹帯ノ淵という淵がある。昔、此淵の近所の或家 どこ で一時に三人もの急病人が出来た。すると何処かから一人の老婆が来て、此家には病人があるが にわまえこへび それは二三日前に庭前で小蛇を殺した故たと言った。家人も思い当ることがあるので、詳しく訳 その をきくと、実は其小蛇は、淵の主が此家の三番目娘を嫁に欲しくて遣わした使者であるから、共 物娘はどうしても水の物に取られると言う。娘はこれを聞くと驚いて病気になったが、不思議なこ なお 野とに、家族の者はそれと同時に三人とも病気が癒った。娘の方は約束事であったと見えて、医者 の薬も効き目が無く、とうとう死んでしまった。家の人達は、どうせ淵の主のところへ嫁に行く ひそ そば ものならばと言って、夜のうちに娘の死骸を窃かに淵の傍に埋め、偽の棺で葬式を済ました。そ むくろそこ うして一日置いて行って見ると、もう娘の屍は其処に見えなかった。其事があってからは、此娘 の死んだ日には、たとえ三粒でも雨が降ると伝えられ、村の者も遠慮して、此日は子供にも水浴 びなどをさせぬと謂う。、此娘が嫁に行ったのは、腹帯ノ淵の三代目の主のところで、二代目 とっ の主には、甲子村のコガョとかいう家の娘が嫁いだのだそうな。 ほこら 5 ・ねどり 三五遠野の町の愛宕山の下に、卯子酉様の祠がある。其傍の小池には片葉の蘆を生ずる。昔は がん 爰が大きな淵であって、其淵の主に願を掛けると、不思議に男女の縁が結ばれた。又信心の者に かっし にわ ふち そば にせ ある

5. 遠野物語

んとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心付きて見れば、奥の方なる林の中より若き女の穉児を こちら 負ひたるが笹原の上を歩みて此方へ来るなり。橋めてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂 しまもの すそ れたり。児を結び付けたる紐は藤の蔓にて、着たる衣類は世の常の縞物なれど、裾のあたりばろ ばろに破れたるを、色々の木の葉などを添へて綴りたり。足は地に着くとも覚えず。事も無げに 此方に近より、男のすぐ前を通りて何方へか行き過ぎたり。此人は其折の怖ろしさより煩ひ始め て、久しく病みてありしが、近き頃亡せたり。 * 土淵村大字山口、吉兵衛は代々の通称なれば此主人も亦吉兵衛ならん。 ぎりきり ふえふきにうげ 五遠野郷より海岸の田ノ浜、吉利吉里などへ越ゆるには、昔より笛吹峠と云ふ山路あり。山口 ろっこうし 物村より六角牛の方へ人り路のりも近かりしかど、近年此峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に まれ さ、いひけたうげ 野出逢ふより、誰も皆怖ろしがりて次第に往来も稀になりしかば、終に別の路を境木峠と云ふ方に わやま うまつぎて 開き、和山を馬次場として今は此方ばかりを越ゆるやうになれり。二里以上の迂路なり。 * 山口は六角牛に登る山口なれば村の名となれるなり。 ぬかのまへ * 六遠野郷にては豪農のことを今でも長者と云ふ。青笹村大字糠前の長者の娘、ふと物に取り隠 ある されて年久しくなりしに、同じ村の何某と云ふ猟師、或日山に人りて一人の女に遭ふ。怖ろしく なりて之を撃たんとせしに、何をちでは無いか、ぶつなと云ふ。驚きてよく見れば彼の長者がま なにゆゑ な娘なり。何故にこんな処には居るそと問へば、或物に取られて今は其妻となれり。子もあまた 生みたれど、すべて夫が食ひ尽して一人此の如く在り。おのれは此地に一生涯を送ることなるべ し。人にも言ふな。御身も危ふければ疾く帰れと云ふまゝに、其在所をも問ひ明らめすして避げ びも いづかた と 1 とあ おそ やまみら わづら をさな・こ

6. 遠野物語

年の大暴風の時に吹き落されて、岩壁から五六間下に倒れて居たと云う話である。 あずきだいら ごかちゅう 一ニ三物見山の山中には小豆平と云う所がある。昔南部の御家中の侍で中館某と言う者が鉄砲 打ちに行き、此処で体中に小豆を附けた得体の知れぬものに行逢った。一発に仕止めようとした が命中せず、遂に其姿を見失った。それから此処を小豆平と言う様になり、狩人の間に、此処で 鉄砲を打っても当らぬと言い伝えられて居る。 一ニ四村々には諸所に子供等が怖れて近寄らぬ場所がある。土淵村の竜ノ森も其一つである。 やじり 此処には柵に結われた、大層古い栃の樹が数本あって、根元には鉄の鏃が無数に土に突き立てら れて居る。鏃は古く、多くは赤く錆び附いて居る。此森は昼でも暗くて薄気味が悪い。中を一筋 語の小川が流れて居て、昔村の者、此川で岩魚に似た赤い魚を捕り、神様の祟りを受けたと言い伝 物えられて居る。此森に棲むものは蛇の類なども一切殺してはならぬと識い、草花の様なものも決 野 して採ってはならなかった。人も成るべく通らぬようにするが、余儀ない場合には栃の樹の方に ごきげんさわ 向って拝み、神様の御機嫌に障らぬ様にせねばならぬ。先年死んだ村の某と云う女が、生前と同 じ姿で此森に居たのを見たと言う若者もあった。又南沢の或老人は夜更けに此森のを通ったら、 森の中に見知らぬ態をした娘が二人てばんやりと立って居たと謂う。竜ノ森ばかりでなく、此他 かねづか にも同じ様な魔所と謂われる処がある。土淵村だけでも熊野ノ森の堀、横道の河、大洞のお兼塚 など尠なくないし、又往来でも高室のソウジは怖れて人の通らぬ道である。 あざ はやしざき 一ニ五字栃内林崎にある宝竜ノ森も同じ様な場所である。此森の対は鳥居とは後向きになって ものすご つるから こと・ことだいじゃ さんけい 跖居る。森の巨木には物凄く太い藤の蔓が絡まり合って居り、或人が参詣した時、此藤が悉く大蛇 ら さ おそ とち わな

7. 遠野物語

共鏃は光明寺に保存せられて居る。 つづきいし 一一綾織村山口の続石は、此頃学者の謂うドルメンというものによく似て居る。二つ並んだ六 尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、其下を鳥居の様に人 むさしばうべんけい が通り抜けて行くことが出来る。武蔵坊弁慶の作ったものであるという。昔弁慶が此仕事をする いったん 為に、一旦この笠石を持って来て、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。そうすると其泣石が、 おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だと謂って、一夜中泣き明 かした。弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再び其石に足を掛けて持ち運んで、今の台石の 拾上に置いた。それ故に続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがある。泣石という名も其時から附い 語た。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立って居る。 いさござわ すその 物 一ニ同じ村の字砂子沢では、始という石が石神山の裾野に立 0 て居る。昔一人の女が、此 野 さしつかえ 山たとえ女人禁制なればとて、我は神をさがす者だから差支が無いと謂って、牛に乗って石神山 に登って行った。すると俄かに大雨風が起り、それに吹き飛ばされて落ちて此石になった。其佐 には牛石という石もあるのである。 みやもり ある 一三宮守村字中斎に行く路の途中に、石神様があって是は乳の神である。昔或一人の尼がどう いうわけでか此石になったのだと言い伝えて居る。 りゅういし かっしよく 一四綾織村の駒形神社の境内には、竜石という高さ四尺ばかりの、褐色の自然石がある。昔村 そのまま の人が此石を曳いて爰まで来るとどうしても動かぬので、其儘にして置くのだという。何の為に 曳いて来たかは伝わって居ない。竜石という名前も元は無かったが、或時旅の物知りが来て此石 やじり なかさい にわ みち わき

8. 遠野物語

まわ 明になった。村中の者が数日の間探し廻っても見附からなかったが、半年以上も過ぎて池の周り もねっ - 一′ の木の葉がすっかり落ちてしまうと、其処の大木の上に此男が投上げられた様な恰好で、もう骨 ばかりになって載って居るのが発見せられたという。 あおざさ やや 四三青笹村の御前の沼は今でもあって、梢白い色を帯びた水が湧くと謂う。先年此水を風呂に さんけいにん わかして多くの病人を人湯せしめた者がある。大変によく効くと言うので、毎日参詣人が引きも きらなかった。此評判があまりに高くなったので、遠野から巡査が行って咎め、傍にある小さな 祠まで足蹴にし、散々に踏みにじって帰った。すると其男は帰る途中で手足の自由が利かなくな そのまま 拾 り、家に帰ると其儘死んだ。又其家内の者達も病気に罹り、死んだ者もあったと謂うことである 9 語是は明治の初め頃の話らしく思われる。 しみず 物四四此地方では清水の ( ャリ神が諸処方々に出現して、人気を集めることが屡ある。佐々木 なべわり 君幼少の頃、土淵村字栃内の鍋割という所の岩根から、一夜にして清水が湧き出でて ( ャリ神と なったことがある。又今から十二三年前にも、栃内のチタノカクチという所で、杉の大木の根元 から一夜のうちに清水が湧き出で、此泉が万病に効くというので日に百人近い参詣人があった。 其水を汲んで浴場まで建てて一時流行したが、二三箇月で人気がなくなった。五六年前には松崎 もり ふもと つくもうし とらはちじい 村の天狗ケ森という山の麓に清水が湧き出して居るのを、附馬牛村の虎八爺と云う老人が見附け、 これ くろへびれいげん 是には黒蛇の霊験があると言いふらして大評判をとった。此時も参詣人が日に百人を越えたと謂 つつぶ 四五これより少し先のこと、此爺が山中で俄かに足腰が立たなくなって、草の上に突俯して居 0 おしげ とちない にわ

9. 遠野物語

122 そとかわめ 一一四同じ様な話がまだ他にもある。稗貫郡外川目村の猟人某も此女に行逢った。鉄砲で打殺 そのまま そうと心構えをして近附いたが、急に手足が痺れ声も立たす、其儘女がにたにたと笑って行過ぎ わずら たちすく てしまう迄、一つ処に立縮んで居たと謂う。後で此男はひどく患ったそうな。凡そ綾織宮守の人 で此女を見た者は、きっと病気になるか死ぬかしたが、組打ちをした宮守の男ばかりは何事も無 かったと一「ロうことであった。 一一五金沢村の老狩人が、白見山に狩りに行って山中で夜になった。家に帰ろうとして沢を来 ろうそく かかると、突然前に蝓燭が三本、ほとほとと燃えて現われた。立止って見て居ると、其三本が次 ほのおやや 語 第に寄り合ってふっと一本になり、焔が梢太く燃え立ったと思うと、其火の穂から髪を乱した女 物の顔が現われて、薄気味悪く笑った。此狩人が、やっと自分に帰ったのは夜半であったそうな。 野多分狐狸の仕わざだろうと言うことであった。大正二年の秋のことで、此話は此地方の小林区署 長が自身金沢村で聞いた話だと前置きして語ったものである。 かんえもん 一六土淵村字野崎に前川勘右衛門と言う三十過ぎの男が居た。明治の末のことであるが、前 かやか に言った山落場へ萱刈りに往き、小屋掛けして泊って居たところが、小屋の直ぐ後から年寄りの 声で、ひどく大きくあはははと二度迄笑ったそうである。又同じ人が白見山で、女の髪の赤い抜 毛が丸めて落ちて居るのを見たそうなが、此種の抜毛は猟人はよく見掛けることのあるものだと 謂われている。 一一七野崎の佐々木長九郎と言う五十五六の男が、木を取りに白見山に人り、小屋を掛けて泊 ほら ある って居た時のことである。或夜谷の流れで米を磨いで居ると、洞一つ隔てたあたりで頻りに木を やまおとしば

10. 遠野物語

139 此匂いが鼻に沁み込んだ儘で痛か 0 たと謂う。産をする者には、此酢の匂いが一番効き目のある ものだそうで、それも造り酢でなければ効かぬと謂われて居る。 一六 0 生者や死者の思いが凝 0 て出て歩く姿が、幻にな 0 て人の目に見えるのを此地方ではオ マクと謂 0 て居る。佐々木君の幼少の頃、土淵村の光岸寺という寺が火災に遭 0 た。字山口の慶 次郎大工が頭梁とな 0 て、其新築工事を進めて居た時のことである。或日四五十人の大工達が昼 休みをして居ると、其処〈十六七の美しい娘が潜り戸を開けて人 0 て来た。其姿は居合せた皆の おれ 目には「きりと見えた。此時慶次郎は、今のは俺の隣の家の小松だが、傷寒で苦しんで居て、此 拾処 ~ 来る繹は無いが、それではとうとう死ぬのかと言 0 た。果して此娘は其翌日に死んだと謂う。 語其場に居合わせて娘の姿を見た一人、古屋敷徳平という人の話である。 一六一青笹村生れの農業技手で、菊池某という人が土淵村役場に勤めて居る。この人が先年の 野 夏、盛岡の農事試験場に行「て居た時のことだとか謂「た。或日、あんまり暑か「たので家のな かに居るのが大儀であ 0 たから、友達と二人北上川べりに出て、川端に腰を掛けて話をして居た が、ふと見ると川の流れの上に故郷の家の台所の有様がは「きりと現われ、そこに姉が子供を抱 いて居る後姿がありありと映 0 た。間もなく此のまばろしは薄れて消えてしま「たが、あまりの 不思議さに驚いて、家に変事は無か「たかと手紙を書いて出すと、其手紙と行き違いに電報が来 て、姉の子が死んだという知らせがあった。 一六ニ佐々木君の友人田尻正一郎と云う人が七八歳の時、村の薬師神社の夜籠りの夜遅くな 0 てから、父親と一しょに畑中の細道を家に帰「て来ると、其途中、向うから一人の男が来るのに っちぶち