文字づかいについて 新潮文庫の日本文学の文字表記については、なるべく原文を尊重するという見地に立ち、次のように方針 を定めた。 一、ロ語文の作品は、旧仮名づかいで書かれているものは現代仮名づかいに改める・ 一「文語文の作品は旧仮名づかいのままとする。 三、一般には当用漢字以外の漢字も使用し、音訓表以外の音訓も使用する。 四、難読と思われる漢字には振仮名をつける。 五、送り仮名はなるべく原文を重んじて、みだりに送らない。 六、極端な宛て字と思われるもの及び代名詞、副詞、接続詞等のうち、仮名にしても原文を損うおそれが 少ないと思われるものを仮名に改める。 本書収録の作品には、文語文のものと、ロ語文のものとがあるが、前記の方針により、文語文のものは旧 仮名づかいのままとし、ロ語文のものは現代仮名づかいに改めた。 文語文の振仮名は旧仮名づかいによる。ただし字音による語は、古い字音仮名づかいによらす、現代の字 音による仮名を振る・ ( 例えば、「蒼々茫々」「執着」を、「サウサウバウ・ハウ」「シフチャク」とせす、「そ ) そうばうばう」「しゅうちゃく」とする ) そこな
とほのごう * 一遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて取囲まれたる平地なり。新町村にては、遠 っちぶちつくもうし あをざさ かみごうをともあやおり ますざはみやもり たっそべ 野、土淵、附馬牛、松崎、青笹、上郷、小友、綾織、鱒沢、宮守、達曽部の一町十ケ村に分っ。 あるい とはのは すなは 近代或は西閉伊郡とも称し、中古には又遠野保とも呼べり。今日郡役所の在る遠野町は即ち一郷 まちば の町場にして、南部家一万石の城下なり。城を横田城とも云ふ。此地へ行くには花巻の停車場に きたかみがは さる 語 て汽車を下り、北上川を渡り、其川の支流猿ケ様の潭を伝ひて、東の方へ人ること十三里、遠 物野の町に至る。山奥には珍しき繁華の地なり。伝へ言ふ、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水な ゅうらく りしに、其水猿ケ石川と為りて人界に流れ出でしより、自然に此の如き邑落をなせしなりと。さ 野 ななないやさき れば谷川のこの猿ケ石に落合ふもの多く、俗に七内八崎ありと称す。内は沢又は谷のことに て、奥州の地名には多くあり。 * 遠野郷のトーはもとアイヌ語の湖といふ語より出でたるなるべし、ナイもアイヌ語なり。 おちあひ しちしちじゅうり * おのおの ニ遠野の町は南北の川の落合に在り。以前は七七十里とて、七つの渓谷各く七十里の奥より売 買の貨物を聚め、其市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。四方の山々の中に最も甄でたる はやちれ ろっこうし を早池峯と云ふ、北の方附馬牛の奥に在り。東の方には六角牛山立てり。石神と云ふ山は附馬牛 と達曽部との間に在りて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて ところ らいない * * * いづごんげん 此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山 あっ かみへ その この いしがみ
狼 ム目ハ きつね 狐 色々の鳥 花 小正月の行事 雨風祭 語 々 物歌謡 野 三六ー四一一 六〇、九四、一〇一 一四、一〇二ー一〇五 一〇九
てもらひたる所 ~ 、ヤマ ( 、又飛び来り娘のありかを問 ~ ども隠して知らずと答 ~ たれば、いん ね来ぬ轡は無い、人くさい香がするものと云ふ。それは今雀を炙って食った故なるべしと言 ~ ば、 ャ ( 、も納得してそんなら少し寝ん、石のからうどの中にしようか、木のからうどの中がよい か、石はつめたし木のからうどの中にと言ひて、木の唐櫃の中に人りて寝たり。家の女は之に鍵 ( 、に連れて来られたる者なれば共々に之 を下し、娘を石のからうどより連れ出し、おれもヤマ を殺して里〈帰らんとて、錐を紅く焼きて木の唐櫃の中に差し通したるに、ヤ ( 、はかくとも 知らず、 ( 二十日鼠が来たと言 ~ り。それより湯を煮立てゝ焼錐の穴より注ぎ込みて、終に其ャ 語 ( 、を殺し一一人共に親々の家に帰りたり。昔々の話の終りは何れも = レデドンド ( レと云ふ語 もっ とざ 物を以て結ぶなり。 野一一七昔《これもある所にト、とガ、と、娘の嫁に行く支度を買ひに町〈出で行くとて戸を鎖 し、誰が来ても明けるなよ、は , と答 ~ たれば出でたり。昼の頃ャ「、 ( 、来りて娘を取りて食ひ、 娘の皮を被り娘になりて居る。夕方一一人の親帰りて、おりこひめこ居たかと門のロより呼べば、 あ、ゐたます、早かったなしと答黛二親は買ひ来たりし色々の支度の物を見せて娘の悦ぶ顔を 見たり。次の日夜の明けたる時、家の鶏羽ばたきして、糠屋の隅 ' 子見ろちゃ、けゝうと啼く。 はて常に変りたる鶏の啼きゃうかなと二親は思ひたり。それより花嫁を送り出すとてャ ( 、の おりこひめこを馬に載せ、今や引き出さんとするとき又鶏啼く。其声は、おりこひめこを載せな えでヤ ( 、のせた、けゝうと聞ゅ。之を繰り返して歌ひしかば、二親も始めて心付き、ヤ ( ( を馬より引き下して殺したり。それより糠屋の隅を見に行きしに娘の骨あまた有りたり。
しても並ばなか 0 たので、幾度も水を掻き廻して遣り直したが、矢張り同じことであったから、 何かあ 0 たのではないかと心配した。帰 0 てから其話をすると、ほんにあの婆様とは気が合わぬ ことがあ 0 て、一日離れて居たことがあると語 0 た。伊勢から奈良、廻る途中のことであ 0 たそ うな。また先年の東京の大地震の時にも、村から立 0 た参宮連中の旅先きが気掛りであ 0 たが、 矢張り此方法で様子を知ることが出来たと謂う。 ニ六ニ今はあまり行われぬ様にな 0 たことであるが、以前は慰瘡に罹 0 た者があると、先ず神 棚を飾「て七五三縄を張り、膳を供えて祭 0 た。病人には赤い帽子を冠らせ、また赤い袋を攣 拾かせ、寝道具も赤い布の物にする。斯うして三週間で全治すると、酒湯という祝いをした。此日 語には親類縁者が集ま 0 て、神前に赤飯を供え、赤い紙の幣東を立てる。また人形に草鞋と赤飯 たびん 物の握飯と孔銭とを添えて持たせ、これを道ち力もを ; 、こ送り出した。此時に使う孔銭は、旅銭とも謂 0 た。そうしてまだ疱瘡を病まぬ者には、る可く病気の軽か 0 た人の送り神が歓迎せられた。 ニ六三死人の棺の中には六道銭を一しょに入れる。是は三途の河の渡銭にする為だと謂われる。 また生れ変 0 て来る時の用意に、親類縁者の者達も各く棺に銭を人れて遣るが、其時には実際よ りも成る可く金額を多く言う様にする。例えば一銭銅貨を人れるとすれば、一千円けるから今度 生れ変る時には大金持ちにな 0 てがいなどと言う。また米麦豆等の穀物の類も同じ様な意味で入 れて遣るものである。先年佐々木君の祖母の死んだ時も、よい婆様だ 0 た。生れ変る時にはうん と土産を持 0 て来なさいと、家の者や村の人達までが、可成り沢山な金銭や穀類を棺に入れてや 川ったと一一一〕うことである。
どうびき 奉公をせずともすむやうにして遣らんと言ひたり。その為なるか否かは知らず、其後胴引など云 てくち ふ博奕に不思議に勝ち続けて金溜り、程なく奉公をやめ家に引込みて中位の農民になりたれど、 此男は疾くに物忘れして、此娘の言ひしことも心付かずしてありしに、或日同じ淵の辺を過ぎて 町へ行くとて、ふと前の事を思ひ出し、伴へる者に以前か、ることありきと語りしかば、やがて 其噂は近郷に伝はりぬ。其頃より男は家産再び傾き、又昔の主人に奉公して年を経たり。家の主 人は何と思ひしにや、その淵に何荷とも無く熱湯を注ぎ人れなどしたりしが、何の効も無かりし とのことなり。 もちろん 語 * 下閉伊郡川井村大字川井、川井は勿論川合の義なるべし。 いしがはこと 物五五川には鷦多く住めり。猿ケ石川殊に多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて川童 野の子をみたる者あり。生れし子は斬り刻みて一升犠に入れ、土中に埋めたり。其形極めて醜怪 こひぞり むこ なるものなりき。女の壻の里は親張村の何某とて、これも川端の家なり。其主人人に其始終を語 みぎはうづくま はたけ れり。かの家の者一同ある日畠に行きてタ方に帰らんとするに、女川の汀に踞りてに一、 / 、と笑 ひてあり。次の日は昼の休に此事あり。斯くすること日を重ねたりしに、次第に其女の所へ村 だちんづけ の何某と云ふ者夜々通ふと云ふ噂立ちたり。始めには壻が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ 窺ひたりしが、後には壻と寝たる夜さへ来るやうになれり。川童なるべしと云ふ評判段々高くな これ りたれば、一族の者集りて之を守れども何の甲斐も無く、壻の母も行きて娘の側に寝たりしに、 深夜にその娘の笑ふ声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなはず、人々如何にと うまふね もすべきゃうなかりき。其産は極めて難産なりしが、或者の言ふには、馬槽に水をたゝへ其中に うはさ なんが さる かひ ため
* ニタカヒはアイヌ語のニタト即ち湿地より出しなるべし。地形よく合へり。西の国々にてはニタと もヌタともいふ皆これなり。下閉伊郡小川村にも二田員といふ字あり。 おほはらまんのじよう 六九今の土淵村には大同と云ふ家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞と云ふ。此人の養 母名はおひで、八十を超えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじな ひにて蛇を殺し、木に止れる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらひたり。昨年の旧暦 正月十五日に、此老女の語りしには、昔ある処に貧しき百姓あり。妻は無くて美しき娘あり。又 うまや 一匹の馬を養ふ。娘此馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、終に馬と夫婦に成れり。或夜父 語 は此事を知りて、其次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下けて殺したり。そ 物の夜娘は馬の居らぬより父に尋ねて此事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の たちま をの 野首に縋りて泣きゐたりしを、父は之をみて斧を以て後より馬の首を切り落せしに、忽ち娘は其 首に乗りたるまゝ天に昇り去れり。オシラサマと云ふは此時より成りたる神なり。馬をつり下け たる桑の枝にて其神の像を作る。其像三つありき。本にて作りしは山口の大同にあり。之を姉神 とす。中にて作りしは山崎の福家権十郎と云ふ人の家に在り。佐々木氏の伯はが縁付きたる家な るが、今は家絶えて神の行方を知らず。末にて作りし妹神の像は今附馬牛村に在りと云へり。 七〇同じ人の話に、オクナイサマはオシラサマの在る家には必す伴ひて在す神なり。されどオ シラサマはなくてオクナイサマのみ在る家もあり。又家によりて神の像も同じからず。山口の大 同に在るオクナイサマは木像なり。山口の辷たにえと云ふ人の家なるは掛軸なり。田圃のうち にいませるは亦木像なり。飯豊の大同にもオシラサマは無けれどオクナイサマのみはいませりと すなは この
135 日本兵のうち黒服を着て居る者は射てば倒れたが、白服の兵隊はいくら射っても倒れなかったと はず いうことを言って居たそうであるが、当時白服を着た日本兵などは居らぬ筈であると、土淵村の 似田員福松という人は語って居た。 このえれんたい 一五四この似田貝と云う人が近衛聯隊に入営して居た時、同年兵に同じ土淵村から某仁太郎と らつば いう者が来て居た。仁太郎は逆立ちが得意で夜昼凝って居たが、或年の夏、六時の起床喇叭が鳴 ると起き出でさまに台木に走 0 て行き、例の如く逆立ちをして居た。そのうちにどうしたはずみ かに台木から真逆さまに墜ちて気絶した儘、午後の三時頃まで前後不覚であった。後で本人の語 拾 るには、木の上で逆立ちをして居た時、妙な調子に逆転したという記憶だけはあるが、其後のこ 語とは分らない。ただ平常暇があ「たら故郷に 0 て見たいと考えて居たので、此転倒した瞬間に かけだ 物も郷里に帰ろうと思 0 て、営内を大急ぎで馳出したが、気ばかり焦 0 て足が進まない。一一歩 = 一歩 を一跳びにし、後には十歩二十歩を跳躍して 0 ても、まだもどかしか 0 たので、一そ飛んで行 こうと思い、地上五尺りの高さを飛び翔「て村に帰 0 た。途中のことはよく憾えて居ないが、 ちょうどひるあが 村の往来の上を飛んで行くと、恰度午上りだったのであろうか、自分の妻と嫂とが家の前の小 で脛を出して足を洗って居るのを見掛けた。家に飛び入って常居の炉の横座に坐ると、母が長煙 みまも 管で煙草を喫いつつ笑顔を作って自分を見瞻って居た。だが、折角帰宅して見ても、大した持て なしも無い。矢張り兵営に還 0 た方がよいと思いついて、また家を飛び出し、東京の兵営に戻っ て、自分の班室に馳け込んだと思う時、薬剤の匂いが鼻を打って目が覚めた。見れば軍医や看護 卒、或は同僚の者達が大勢で自分を取巻き、気が附いたか、しつかりせよなどと言って居るとこ かけ にお っちぶち
を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、 ひそかこれ 末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早池峯の山を得、姉 ゅゑ たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各、、三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠 ねたみおそ 野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。 すなはばん 1 こうみち * この一里は小道即ち坂東道なり、一里が五丁又は六丁なり。 おあざ * * タッソべもアイヌ語なるべし。岩手郡玉山村にも同し大字あり。 * * * 上郷村大字来内、ライナイもアイヌ語にてライは死のことナイは沢なり、水の静かなるよりの名 、刀 とちない * わの 物三山々の奥には山人住めり。栃内村和野の佐々木嘉兵衛と云ふ人は今も七十余にて生存せり。 このおきな 此翁若かりし頃猟をして山奥に人りしに、かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を ただちつつ 野 くしけづ 梳りて居たり。顔の色極めて白し。不敵の男なれば直に銃を差し向けて打ち放せしに弾に応じ て倒れたり。其処に馳け付けて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪は又そのたけよりも ふところ 長かりき。後の験にせばやと思ひて其髪をいさゝか切り取り、之をねて懐に人れ、やがて家路 し ! らものかげ に向ひしに、道の程にて耐へ難く睡眠を催しければ、く物蔭に立寄りてまどろみたり。其間夢 これ と現との境のやうなる時に、是も丈の高き男一人近よりて懐中に手を差し人れ、かの綰ねたる黒 たちまわむり 髪を取り返し立去ると見れば忽ち睡は覚めたり。山男なるべしと云へり。 * 土淵村大字栃内。 ささか れつこたち 四山口村の吉兵衛と云ふ家の主人、根子立と云ふ山に入り、笹を刈りて東と為し担きて立上ら うつつ かへえ つひ かっ
すげがさ かす つく・もうし ・ 8 なり。附馬牛の谷へ越ゆれば早池峯の山は淡く霞み山の形は菅笠の如く又片仮名のへの字に似た ひな り。此谷は稲熟すること更に遅く満目一色に青し。細き田中の道を行けば名を知らぬ鳥ありて雛 にはとり を連れて横ぎりたり。雛の色は黒に白き羽まじりたり。始めは小さき錐かと思ひしが溝の草に隠 ししをどり すなは れて見えざれば乃ち野鳥なることを知れり。天神の山には祭ありて獅子踊あり。茲にのみは軽く あか いささ 塵たち紅き物聊かひらめきて一村の緑に映じたり。獅子踊と云ふは鹿の舞なり。鹿の角を附け たる面を被り童子五六人剣を抜きて之と共に舞ふなり。笛の調子高く歌は低くして側にあれども いかん 聞き難し。日は傾きて風吹き酔ひて人呼ぶ者の声も淋しく女は笑ひ児は走れども猶旅愁を奈何と 語 もする能はざりき。盂蘭盆に新しき仏ある家は紅白の旗を高く揚げて魂を招く風あり。峠の馬上 物に於て東西を指点するに此旗十数ヶ所あり。村人の永住の地を去らんとする者とかりそめに人り たそがれおもむろ ゅうゆう 野込みたる旅人と又かの悠々たる霊山とを黄昏は徐に来りて包容し尽したり。遠野郷には八ヶ所の ほうさ ふせがね 観音堂あり。一木を以て作りしなり。此日報賽の徒多く岡の上に燈火見え伏鉦の音聞えたり。道 わらにんぎよう あたか - よ・うが ・遠 ちがへの叢の中には雨風祭の藁人形あり。恰もくたびれたる人の如く仰臥してありたり。以上は 自分が遠野郷にて得たる印象なり。 思ふに此類の書物は少なくも現代の流行に非ず。如何に印刷が容易なればとてこんな本を出版 し きようあい しわざ し自己の狭隘なる趣味を以て他人に強ひんとするは無作法の仕業なりと云ふ人あらん。されど敢 ところ そのよう て答ふ一斯る話を聞き斯る処を見て来て後之を人に語りたがらざる者果してありや。其様な沈黙 しーんわが にして且っ慎み深き人は少なくも自分の友人の中にはある事なし。況や我九百年前の先輩今昔物 これこれ たとへけいけん 語の如きは其当時に在りて既に今は昔の話なりしに反し此は是目前の出来事なり。仮令敬虔の意 ちり くさむら はやちね さび みぞ